ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -12ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

今年の夏は空前の冷夏でした。私も初めてのことです。
8月の上旬には最高気温が15℃くらいの日もありました。
猛暑はニュースになるのに冷夏は伝えられないようですね。なぜでしょうね?
世界では暑い所と涼しい所があっても、暑い時だけ報じれば「世界的な猛暑」という印象になりますね。

外国の情報などはまっすぐ伝わらないものだと考えておいたほうが良いです。

それでも過去10日くらいは本来の夏が戻っていました。
とはいえ夜に気温が下がり始めるのが早くて、例年に比べるとそこまでではありませんでした。
それももう終わってまた20℃以下になるそうです。

2月ころから作っていた楽器も形ができたので一休みです。


学校も夏休みで、ヴァイオリン製作学校の生徒が研修に来ています。
同僚が休暇を取っているので私が教える係です。
何か思ったことがあれば次にでもお伝えしましょう。


こちらは新年度のようなことは9月からです。
オーケストラも8月にはお休みとなります。新しいシーズンが9月から始まるわけです。
夏休みの間に楽器をメンテナンスに出すので我々弦楽器職人は今が修理の最盛期となるわけです。近年はコロナ対策のために、演奏会が行われず、メンテナンスの仕事も減っていました。このためひざびさに持ち込まれた楽器は汚れなどが多くついてニスの補修も必要になっています。
このような費用はオーケストラが持ちます。したがって申請をするなど楽団によって手続きが違います。資金が潤沢な楽団とそうでない楽団があります。動物園のような感じです。

プロの演奏者でも楽器のことは素人のようなものです。
弦楽器職人のもとを訪ねて楽器を見てもらうといろいろなことを言われます。
「私が考案したこれにすると音が良くなる」と言われます。ほんとかウソが怪しいものです。
そんな話です。

プロオケのチェロ奏者がやってきました。
別の工房で、指板を交換する修理を受けました。その後音が気にいらずに前のほうが良かったと言っています。それで何とかしてくれというわけです。
前の音が分からないので修理の依頼としては最悪の条件です。
依頼を受ける時に何が不満でどんな音にして欲しいか明確に指示してもらう方が助かります。でもその通りにできるかはわかりません。

一番困るのは「何か分からないけどしっくりこない」とか「以前のほうが音が良かった」と言われる時です。具体的にわからないと何ともしようがありません。

以前に別の工房で指板を交換すると音が悪くなったので再び交換することになりました。

指板を外しました。裏側を見ると変わっています。

尾根のような筋が3本入っています。
何のためにこのようになっているかは想像ですが、強度を保ちながらも指板を薄くすることで軽量化をはかっているのではないかと思います。


職人は「私が考案した指板に交換すると音が良くなる」と持ち掛けたのでしょう。実際演奏者は愛想をつかしています。指板の外側の丸みも気に入らず触るのも嫌という感じです。

持ち主の人は元の指板も取ってあったのでそれに戻すこともできそうでした。しかし他の問題があるので全く別の修理をすることになりました。

弦楽器ではいつものことで「ネックの下がり」が生じています。ネックが弦に引っ張られて指板の下端が下がってくると、それに合わせて駒の高さを低くしないと弦を抑えにくくなります。このため駒が低くなっています。そのせいか弓が表板のエッジにぶつかって傷がついています。
そこで、駒を高くするように修理が必要だと指摘しました。
この時角度だけを上げると表板を押し付ける力が強くなり、ギャーと押しつぶしたような音になる恐れがあります。
そこで角度が正しくなるようにします。

ネックに板を張り付けて高さと角度を調整します。

木材を張り付ける時に材料が薄いと接着のためににかわの水分が染み込むと曲がってきてしまいます。木材は水につけると狂いがひどく出ます。この接着は非常に難しいものです。
接着前は隙間なくぴったり合うように加工したつもりになっていても接着すると隙間が空いてしまうのです。職人ならあるあるでしょう。

木材を厚くすれば歪みは少なくなりますが、後でたくさん削り落とさないといけません。そこで、合板に張り付けてそれごと接着する方法を試みてみました。

指板は角度を変えるだけなら新しいものにする必要がありませんが、持ち主がとにかく前回の修理でつけられた指板を嫌っているので新しくしました。
以前のプロの演奏者がコロナの前からメンテナンスをしていないので指板も摩耗していますし、表面のカーブがあっていないので多く削り直さないといけません。そうするとやってみたら指板が薄くなりすぎたなんてことになりかねません。そんな失敗はついこの前にヴィオリンでありました。

前の指板は触りたくもないということもあって新しいものにしました。費用はオーケストラ持ちです。過去の修理をした人ではありません。

でもこれで音が以前のようになるかはわかりません。教科書通りに正しくしただけです。しかしもともと駒が低くなっていたので、以前よりも元気よく鳴るのではないかと思います。以前の音に戻すのではなく、楽器本来の能力を引き出すということです。
今回の修理が正解かどうかは分かりません。わからないのですから標準的な状態にすることしか私にはできません。

それよりもしばらくメンテナンスをしていなかったニスの方が大変ですね。傷を直すなんて仕事はありますが気が遠くなります。傷がいくつあるんでしょうか?
傷ひとつあたりで料金を計算すれば大金をゲットできますがそうもいきません。完全に直すのは無理で、痛々しくない程度にすれば使い込まれた楽器という印象になることでしょう。


ニスの仕事が多いので結果音がどうなるかはしばらく先になります。また報告します。


しかし、過去に改造修理をした職人の態度というのは「典型的な職人」のものです。「軽い方が音が良い」という理屈を信じていて、「軽量化した指板に交換することで音が良くなる」と、演奏者に改造修理を持ち掛けたのでした。その結果音は持ち主の人は気に入りませんでした。

その職人も「音を分かっている」つもりなんでしょうね。でも理屈で考えているだけです。職人や技術者の言うことが「机上の空論」であることが多いと私が指摘していることです。

こういう場合に「音が良い」と言ことに具体性が無いのです。これがレーシングカーの改造なら、タイムとして結果が出ます。ドライバーが運転しやすいことも長丁場のレースではタイムアップにつながります。

でも、音が良いということに何の具体性もありません。
音というのは変化することはあってもそれを良いととらえるか悪いととらえるかは主観でしかないと考えるべきです。つまり同じ変化でもあるケースでは音が良くなり、別のケースでは悪くなったと評価されうるのです。

現状がどうで、それがどう変わったかということですから。

生物の進化と似ています。卵や子供が生まれると個体差のあるものが生まれます。そのうち生存に有利な個体が残ってさらに子孫を残します。たくさんの卵のうちほんのわずかだけが「良くなった」というわけです。
それでも環境が変化すると対応できなくなって栄えた生物も絶滅してきました。

ちょっとずつ違う指板を何十個も交換すれば一つや二つは音が良くなるかもしれません。チューンナップというのはそれくらいのリスクだと思ったほうが良いです。職人にそれくらいの経験があって、このケースではこうする、このケースではこうするというくらいの知識があれば「技術」として確立しているということになります。しかしそのようなケースはまれで今回のように頭がで考えた机上の空論であることが多いです。

演奏家としては職人に「指板を変えたら音が良くなりますよ」と言われるとそうかと思ってしまうでしょう。

今回の修理では指板を変えるだけでなく、駒の高さ、ネックの角度、魂柱、駒も交換します。そうやって多くの項目を同時にやるとすべてが最善ではないにしてもリスクが分散して極端に変な音にはならないでしょう。おそらく楽器本来の「普通の音」になるのではないかと思います。それを願って仕事をするしかありません。
実際弓が表板にぶつかっていたので駒を高くするのは楽器を守るために必要なことです。演奏を妨げる要素を改善するという事にもなります。

あとはもともとボディストップが短いチェロで、弦長が短い方が弾きやすいということで、その点も以前のものより厳密に調整します。


研修に来ている学生にはこんなことを見せて、職人というのは理屈で考えているけども、実際の音はそれとは全然違うんだということを教えました。
なんで職人がそんな思考に陥るかというのは一つは、ヴァイオリン製作学校の先生がそういう事を教えているからです。学校の先生というのはそういうものです。実際の楽器とお客さんとのやり取りで起きることを体験するのはいい刺激となるでしょう。
しかし現段階では、「決められた寸法に正確に加工する」ということがとても難しいものです。それができないのに音が良くなる秘密に夢中になるのはもってのほかです。
ヴァイオリン職人を志した人のうち最初の1~2か月で8割の人が辞めます。それは作業が苦行と感じられるからです。私はそれが楽しくてしょうがありませんでしたし、研修生も苦にならないようなので将来性があります。以前やめて行った見習いはつらくてしょうがなかったようです。職人としてまじめに仕事をできるだけでも「天才」なのですよ。

私が作っているようなヴァイオリンでも、ヴァイオリン製作学校では不合格になるものです。板は薄すぎるし、アーチは高すぎます。形もストラディバリとは違います。
学校で教えていることが間違っているとまではいいませんが、正解とされていることが狭すぎるのです。もっと幅があるということを知ってもらいたいです。

正解を頭で考えるのではなく、実際に出てきた音を耳で聞かないといけません。

今回のお客さんは割といろいろな工房を訪ねては職人の言うことを真に受けてしまい様々な「チューンナップ」を施しています。それに対してプロでも全く無頓着な人もいます。

私は指板を軽量化することよりもネックの角度や駒の高さのようなことの方がはるかに音の違いに直結するのではないかと思います。この手の修理は数えきれないほどやってきています。

よく分からない「発明品」に飛びつく前に普通の状態にしたほうが良いでしょうね。
安価なアクセサリー類なら試してダメなら没にすれば良いですが、チェロの指板交換は結構な仕事量です。学生にはヴァイオリンの指板交換をやってもらいました。学校では新作楽器の製造しかまだやっていないので、修理で指板を交換するのははるかに難度が高いです。
悪戦苦闘していましたが、プロは同じくらいの作業時間でチェロを交換できます。

当然生徒には発明品の指板を教えるのではなく、普通の指板交換を正しく行う方法を学んでもらいました。

このような失敗事例が起きる原因を皆さんも参考にしてもらいたいと思います。
つまり机上の空論で考えている職人が主流だということです。これは別の分野でも「理系マニア」が陥りやすいものです。そういうマニアを一般の人は頭がおかしいと思うでしょう。そういう人はマニアの中でも「下手くそ」な人です。下手くそなマニアを取り上げて「その趣味はクレイジー」と思われてしまいます。本当にマニアの上級者は理屈ではなく結果を客観的に受け入れ、センス良く生かすものです。科学とは客観的であるはずなのに、理系趣味の人が理屈に引っ張られて、先入観で結果を判断してしまうのです。だからおそらく理系出身者の中でも本当の科学者は少ないのでしょうね。職人の中でもそうなのですから。
ストラディバリや音響工学の研究も出てきます。それも先入観に満ちたものでおよそ科学とは言えないものです。

さらに、芸術や文化というのは科学とも違います。それを「美」という抽象的なものを作り上げなくてはいけません。美を生み出すための手段が技術というわけです。技術に興味があって美に興味がないと「下手くそなマニア」の典型となることでしょう。

ヘタクソなマニアが飛びつくようなものというのがあるんです。それと同類の職人がニーズに応えて収入を得ているというわけです。
健康食品とかパワーストーンとか他の分野でもいろいろありますね。


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こんにちはガリッポです。

弦楽器のおもしろさは「音」が人間の思考とは全く別の原理であるという事にもあります。ものを学ぶためにはこれまでの人生経験で培ってきたものをすべて忘れることが重要です。

天才や巨匠や名人のようなずば抜けた職人がいて彼の作る楽器の音だけが優れているという思い込みがあります。しかし人間の社会の中での地位と物理現象の音とは全く関係がありません。音は空気の振動ですが純粋な物理現象で、空気を読んではくれません。

例えば20世紀に作られたヴァイオリンは形は同じようなストラド型かガルネリ型でアーチは平ら、板の厚みはやや厚めのものが多いです。このように教科書通り20世紀初めの頃に作られたものはたいていよく鳴るようになっていて、新作楽器ではかないません。多くのものは作者も有名ではなく値段は新作よりも安いことも多いです。
たくさんある中から試奏して好みに合う音のものを探すことができます。



ドイツ、チェコ、ハンガリーなどのマイスター級のヴァイオリンであれば教科書通りきっちり作られています。値段は300万円もするようなものはめったになく、200万円もしないものがほとんどで作者が無名なら100万円位です。こうなるとイタリアの新作楽器には競争力がありません。日本ではこのようなモダンのマイスターヴァイオリンが存在することは知られておらず、仕入れても売れない、売れないから仕入れない、売ってないから誰も知らないというサイクルに陥っていることでしょう。安くて音が良い楽器の宣伝に費用をかけるよりもバブル時代の商売を続ける方が旨味があるというわけです。
何よりも一度嘘をつくとつじつまを合わせるために嘘をつき続けないといけなくなります。このため日本語で情報を集め弦楽器に詳しくなればなるほど、無知の人よりも理解から遠ざかっていくことになります。英語も独特の世界があって危険です。今まで嘘の上に嘘を積み重ねて構築して来たウンチクが崩れ去ってしまうのはせっかくの労苦が水の泡になってしまいます。

だから私は言葉で語られることなんて無視しろと言っているのです。そうすれば矛盾することもありません。なぜかはわからなくても弾いて音が気に入ればそれで良いのです。それが「悟りの境地」です。

日本国内でも地方から東京に行くと価値観の違いに驚きます。高価な楽器が飛ぶように売れて行くのが理解できません。東京中心の思考で弦楽器業界自体が時代錯誤にならないことを願います。


イタリアのもので同じ時代のものとなると普通は500~1000万円くらいします。しかし品質はバラバラで素人が作ったような一か八かのものも「イタリア製」と一緒くたにされています。業者は「個性がある」とほめるかもしれません。
しかし不真面目だったり、教育を受けられなかった職人はどこの国にでもたくさんいてドイツやチェコの個性的なものはマイスター作品とは区別され50万円位がせいぜいでしょう。手作りだからと言って音は量産楽器にもかなわないかもしれませんし、逆に何百万円もするものよりも良いかもしれません。ヴァイオリンの値段と音は直結せず1000万円~2000万円は誤差の範囲内くらいと思ったほうが良いでしょう。

500~1000万円、またはそれ以上するイタリアのモダン楽器を見ても職人たちが皆「見事なものだ」と絶賛するようなものではありません。鑑定書があるかどうかだけです。そういうものだと知ってください。

それを正当化するウンチクが捏造されます。
「フランスの楽器の方が美しく作られている、しかしイタリアの職人は見た目ではなく音を作っているのだ」と。私もイタリアのオールド楽器のファンですからそうあってほしいです。しかし実際には日本の業者が安くしか買い取ってくれないので見た目がそこそこのものを手早く作っているようです。日本の消費者も音に対してシビアではなく「言葉」に高いお金を払っているようです。

フランスの楽器製作は組織的に行われたので、それほどの規模で音について研究されたことも歴史上ないことでしょう。むしろ性能が優れています。そもそもモダン楽器を確立したのがフランスですから。モダン楽器というのは広いホールで演奏するため、作曲もスケールの大きなダイナミックな作品が作られるようになり、それに「音」を対応させるために考案されたものです。現在でもそれが主流となっていて、イタリアの職人もそれに習っています。
音のために考えらたのがモダン楽器であって、見た目だけを作ろうとしたものではありません。それならシュタイナー以上に工芸品を目指したことでしょう。かつて王侯貴族が所有していたヴィヨール族の楽器や宝飾品のように装飾に力を入れることでしょう。
ただ極限まで性能を追求しなくても、遊びがあっても良いのかなとも思います。意外と「柔よく剛を制す」ということがあるので弦楽器は面白いのです。


同じようなウンチクは弓についても言われます。
フランスの弓に比べるとドイツの弓のほうが正確に加工できていることがあります。「フランスの弓の方が個性や味があるんだ」と。今度はフランスの立場が逆転してるのが面白いですね。値段が安い産地のものが品質が高いと同じような言い訳を考えるものです。
日本人の職人についても同じようなことが言われることでしょう。

言葉で知るべきことはウンチクのようなものはいくらでも作れるということです。このため詳しい人ほど間違っていくのです。ヴァイオリン業界ではウンチクを作ることが楽器を作るよりも熱心なようです。


ともかく職人の腕の良さが音の良さとは直結しません。
作りながら音を調整する工程が無いので作っている時にはどんな音がするかわかりませんし、何が理想なのか分かっていないので卓越した技量で精密に加工してもそれが正解かわかりません。加工に失敗したと思ってもその方が音が良いかもしれません。音の良し悪しも演奏者によって感じ方が違います。


このため現在ヨーロッパで職人は楽器を製造するよりも修理の仕事の方が主になっています。たくさん作られ過ぎました。たくさん作られたので値段も安いのです。それを「高い=音が良い」と思い込んでいると試すことさえしません。安い楽器をバカにする人には弦楽器への愛がありません。愛が無いのに愛好家とは言えないでしょう。

コストパフォーマンスという概念はとても重要です。弦楽器に詳しいのであるならこのことを理解しているべきです。有名な作者の楽器を買っておけばいいというのは楽器に興味がないお金持ちの雑な買い方です。弦楽器のことを知らない親や祖父母が高い楽器を買うのはカモにされるだけです。

こちらで楽器自体に興味がない人は作者名なんてなんでもいいから音が良い楽器を試奏して選んでいます。作者名なんて知る必要が無いのです。



一方で20世紀には作風が定説としてマニュアル化し定まってしまっため、全く違う音のものは珍しくなります。特にオールド楽器や初期のモダン楽器とは音が違うと感じる人もいます。個人差があります。これを探すのは数が無いので難しいのです。有名なオールド楽器は高価なものですが、必ずしもお金の問題ではありません。評価額では新作よりも安いものがありますが売っているか分からないのです。

そのような楽器が音が違うのは「古さ」と「作り」の二つの要素が考えられます。古さを再現することは不可能ですが、作りなら可能性があります。

19世紀以降、近現代的な楽器を効果的に作る方法が研究されて来たのでオールド楽器のようなものは作り方が誰もわからなくなってしまいました。気持ちだけオールド風に作りたいと思っても工具を変えなければ出来上がってみるといつもと同じ現代風になってしまいます。
またオールド楽器は作風もバラバラなのでどれを再現すると結果が得られるかも重要です。特定の古い楽器と同じだから良いというわけではありません。


新作楽器でオールドのような音を再現するにはとても厳しい条件となります。オールドの時代なら適当に作っても今頃はオールドの音になっています。

オールドだから全部音が良いというわけでもありません。音もバラバラで好みも別れるでしょう。
したがって私が作っているようなもので200年以上前のものがあればものすごく期待が持てる貴重なものです。
それは私がたくさんの楽器を見て来て、試作を繰り返してこんなもんじゃないかというイメージです。
そのような条件を満たしてお手本となるものを探すのは難しいです。
このため何でもかんでもオールド楽器の複製を作れるというわけにもいきません。
ビオラになるとオールドで作られた数が少なく、サイズもバラバラで、ペッグボックスに難があるのでもっと難しいです。

モダン楽器すら製法が失われてしまったようです。19世紀的なものはすぐに売れてしまいます。うちでは板が薄く暗くて強い音のものは学生などに最もよく売れるトレンドです。こちらでも80年代にはまだ明るい音のものが売れていて、当時暗い音のものを買った人は少数派だったと言っています。今となっては鳴るようになっていますから羨まれるものです。

評判というのは「過去の知識」です。
国として間違いを教えるわけにはいかない小学校で教えるようなことは過去の知識であり、大学で行われる最先端の研究とは違います。いつでも定説が覆るのが高度な知識です。
何よりも自分の心に正直であることが重要です。それが私がこちらで学んだことです。

小型にモディファイしたピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンです。
横板を裏板に接着します。

アンティーク塗装なので中も古くします。


ラベルには偽造防止技術です。絵を描いてあります。小さく描かないといけないのが難しいです。

ここを切り取ってネックを取り付けます。

高いアーチの楽器ではネックの取り付け方が難しいです。正解が分かりません。

ネックがつくとヴァイオリンらしくなります。基本的にはアマティ譲りの造形をしています。しかし音響的には窮屈さが少ないと思います。モデルはアマティとデルジェスの間という感じですね。
というよりもデルジェスはこれを踏襲し、アマティのクオリティが無くなったというだけです。デルジェスの謎の一つは適当に作ってあるのに、後の時代の適当に作られたものと違うので、単なる適当でもないという所です。このような基本があるからでしょう。大雑把に言えばアマティやグァルネリ家のものを適当にしたのがデルジェスということです。さらにグァルネリ家で働いていたベルゴンツィの影響もあります。
これをデルジェスを革新的なものと考え、他のグァルネリ家やアマティを「従来の劣ったもの」ととらえるとデルジェスを理解することができません。

適当に作られた楽器の音が良いことがあるというのは説明してきました。適当にする何かベースみたいなものがあるはずです。

エッジの加工が終るとコーナーの印象も変わってきます。アマティ的な細長い感じがあります。しかしやや横方向に向かっているのが特徴です。
板は板目板でユニークです。
全体に丸みがあります。

アーチはかなり高さがあります。白木なので指板の影が映っています。中央を頂点としています。上が平ら過ぎると陥没してしまいます。
横板は板目板ではなく柾目板になっています。これはオリジナルに習ったためです。グァルネリ家では適当で木材を揃えようという気が無かったのでしょう。ネックも柾目になっています。アマティやストラディバリなら板目板で統一されていることでしょう。

アーチも立体感があり丸みがあります。楽器全体に丸みがありかわいらしい感じがします。クレモナのオールドヴァイオリンはかわいらしい印象があります。モダン楽器の方が立派という感じがします。


ネックは通常よりも2mm短くなっています。胴体のストップ(駒の位置)は3mm短くトータルで5mm短くなります。指板の位置をずらせばネックも最大で2mm伸ばすことができるようにしてあります。時を経てオーナーが変わっても通常のヴァイオリンとして使用できるようにするためです。

指板の幅も通常よりも0.5mm細くなっています。たった0.5mmですがネックを握った印象は異なるでしょう。1mm細いと細すぎます。これがクレモナの新作楽器では私の通常よりも1.5mm太かったのです。私のビオラよりも太い物でした。




これからニスを塗ります。
会社の仕事とは別の時間でやっているので、ここまでほとんど休まず半年かかっています。こんなに一生懸命作っても適当に作られた楽器の音が良かったりするんですからやってられません。


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こんにちはガリッポです。

チェロについて続報があります。
ハミッヒのチェロは板が厚くアマチュアには鳴らすのは難しいという話でした。

今度は男子音大生が試奏をしました。
ハミッヒのチェロを弾くと「弾きやすい」と好印象を持ったようでした。若くエネルギッシュな彼ならもしかしたら弾きこなせるかもしれないと私も思いました。その後、クロッツ家のチェロを弾くとパフォーマンスははるかにそれを上回るものでした。
演奏技量が高くなれば鳴りにくい楽器でも問題がなくなるかもしれないと考えていましたが、その逆で差はさらに開いたようです。


木材についても質問がありました。
ミッテンヴァルトではとても目の細かい木材が好まれました。成長速度が遅く密度が高いものです。同じ種類の木は平地にも生えていますが、成長速度が速いため年輪の間隔が広くなります。成長速度が遅いもので、チェロほどの大きさとなると樹齢が相当必要になります。必ずしも音が良いとか悪いとかではありませんが、特に表板でミッテンヴァルトの楽器の分かりやすい特徴です。
黄金期のストラディバリの裏板は横じま模様の杢が深いだけでなく、密度も高いものが使われています。ヴァイオリンの一枚板の裏板でチェロの半分と同じくらいの樹齢が必要ですが、今では入手は難しいです。
紳士服で言うと生地がどうだのこうだのいう話で、音は関係ないので楽器としてはそれほど気にする必要はありません。チェロだとそれ自体が貴重なので木材を選べるほど選択肢がありません。ハミッヒのほうが現代的には上等な木材に見えますが音は出にくいです。
一方でイタリアも含めてオールドの時代には低質な木材が使われることも多くありました。また均一で整っていないものの方がコピーを作ったときにオールドっぽさが出ると私はわざとそのようなものを探しています。

「年輪年代学」という学術研究があり、表板の年輪の特徴を分析しデータベース化する試みがなされています。素性が分からないシュタイナー型のオールドヴァイオリンを調べると、同じような木材の特徴が、ウィーン、ミュンヘン、ニュルンベルクの楽器と近かったそうです。このようにアルプスの木材は当時から木材商を通じて流通しており、特定の産地の楽器だけに使われていたのではないようです。表板は植林によって豊富にあり薪として燃やされるほどで、裏板は枯渇して来ているようです。

日本との格差


ブログを始めて随分となりますが、私もとても勉強になったことが多くあると思います。常にユーザーの視点を意識するようになったことです。職人には職人の世界の論理があります。日ごろから現地のお客さんの声にも耳を傾けるようになりましたが、読者の方との交流も思いがけない経験となります。特に日本とこちらの差について得ることが多くあります。

日本から楽器を買いに来るというのはとても珍しくて20年近く前にうちで買って行った人がいます。短い時間でしたが今年はコロナ対策も終わって久々にやってきて顔を見せてくれました。でもそんなことはとても珍しいことです。

主にオーケストラで仕事をしているという日本人のヴァイオリン奏者の方が、以前からブログを読んでいただいていて良い楽器があったら欲しいということで連絡をいただいていました。私は、わざわざ日本から来るほどの価値のある楽器がないと思っていたので当初は冷たい返答でした。そんな中急に南ドイツのオールドヴァイオリンが持ち込まれて、かつて記事でも紹介したオランダのヴァイオリンが安くなるということで急遽渡欧されることになりました。

ご自身は高校生の時にイタリアのモダン楽器を買ってもらって使っていたそうですが、音に不満があり見てもらうと素人が作ったような楽器で板の厚みがチェロのようだと言われたそうです。そこで5年ほど前に新作のクレモナのヴァイオリンを買ったそうですが、音量に不満があったそうです。そのヴァイオリンを持参してうちの店で楽器を探すことになりました。

長旅にもかかわらず着いてすぐに試奏を始めました。
本命はオランダのオールド、ヘンドリック・ヤコブスです。

しかし音量のことを言っていたので、とりあえずボヘミアのマティアス・ハイニケのヴァイオリンを弾いてもらいました。ご自身のクレモナのヴァオリンに比べてはるかによく鳴ることに驚いていました。

私は50年以上経っている楽器がこれくらい鳴るのは普通だと思っていたので日本から来る価値のあるほどの楽器だとは思っていませんでした。マルクノイキルヒェンのパウル・クノールやカールスルーエのパーデヴェットなどどれを弾いてもクレモナの新作楽器よりははるかに鳴るようです。私の作った楽器でもクレモナのものよりは鳴り、ミルクールの量産品でもよく鳴りました。

私は、チェコやドイツの楽器でもイタリアの楽器と決して遜色はないですよと、ブログでも書いてきました。しかし実際はそれどころではなく、その日店にあった楽器の中ではクレモナの新作楽器が最低レベルでした。名のあるものだけでなくあご当てを試すためにそこら辺にあった安い楽器を弾くとそれもよく鳴ってビックリしました。

そんなに差があるものだとは私も思っていませんでした。
もちろんクレモナの現代の楽器もいろいろあるでしょうが、うちの店に来ることが全くと言っていいほど無いので実力が未知でした。


ちょうど寿司と反対です。
こちらでは新鮮な魚が流通していないので、日本から来たどんなに腕が良い職人でも作れる寿司のレベルが低いです。こちらの高級店の寿司よりも、日本のスーパーマーケットの寿司のほうがレベルが高いです。こちらで高いお金を払って寿司屋に行くよりも、帰国してスーパーで買った方がずっとおいしいのです。
それと同じような感じです。こちらではなんでもない普通の楽器と思われているものが、日本で売られているクレモナの楽器に比べてはるかによく鳴るのです。

クレモナの楽器の厚みを測ってみるとかなり厚い物でした。外観は悪くないのに何故か板の厚みはかなり厚かったです。20世紀にはどこでも厚い楽器が多くクレモナの楽器のほうが薄いのではないかと期待していましたが変わらないですね。
その他にはネックはとても太い物でした。クレモナの楽器でも職人によっていろいろ違いますが、クレモナの学校の教科書通りに作ると太いネックになります。クレモナにはヴァイオリン職人のほうがヴァイオリン奏者よりも多いんじゃないかと思うほど、演奏者と職人の接点がありません。職人たちの論理がまかり通っているのです。偉いマエストロの言ったことの方がお客さんの言う事よりも重要なのでしょう。
仕事も新作楽器の製造しかないので、日本やアメリカの業者が安い値段でしか買い取ってくれないとしてもそれしか生計を立てる方法がありません。いかに安上りに作ってそれなり見栄えがするかということを流派全体として経験値を蓄積してきました。このため他の国の楽器とは見た目は違う独特な雰囲気があるでしょう。中国人も真似ているでしょうが「本物のイタリア製」だからと言って音が良いということはありません。

フランスでは1800年代にモダン楽器の製造が盛んになり、それが伝わったドイツでは1800年代の後半にドイツ的なモダン楽器の作風が確立し広まりました。ドイツの北から南の端まで作風はそっくりで1900年頃には多く作られるようになり、チェコのボヘミアでも独自の楽器が作られるようになりました。このような楽器はたくさんあり値段は200万円もしないようなものがほとんどです。作者名が不明だったり、無名な作者なら1万ユーロもしません。これらは何でもクレモナの新作楽器よりもよく鳴るのです。このようなマイスター作の楽器は日本にはほとんど輸入されず存在すら演奏者には知らされていません。

私はその中でもまれにすごくよく鳴る楽器があって、そのレベルを鳴ると考えていたので驚きです。このため私も自分の楽器は鳴らないと考えていました。

「鳴れば良いというものではない」と考えるかもしれませんが、そのクレモナの新作楽器に鳴る以上の魅力があるとも思えません。それに対してオールドや初期のモダン楽器を試してみると音色(おんしょく)が全く違いました。彼にとってはその違いはとても重要で20本くらいある19世紀終わりから20世紀前半の楽器の試奏はそれ以上しませんでした。


最初の印象ですぐに、飛行機代を払って楽器を買いに来る価値があると分かりました。どれでも自分の楽器よりは音が良いのです。100万円位のヴァイオリンを30万円の旅費をかけて買っても新作のイタリアの楽器よりははるかに安いのですから。中高生などはそれで練習したほうがずっと良いですね。彼も言っていましたが、当時は楽器が鳴らないのは自分の演奏が未熟だからだと考えていたそうです。そうではなくて楽器が鳴らなかったのです。日本の中高生はハンディキャップを背負っていることになります。

私がイタリアの楽器を悪く言うと、日本人の「ねたみ」ということになります。
そうなると客観的な技術者としての意見ではありません。しかし少なくともイタリア製の楽器がはるかに格上で、他の国のものはどうしようもなく劣っているという考えは改めたほうが良いと思います。
最近指摘しているように、国際的な流通ルートに乗るためにはイタリアの職人も安く楽器を作らなければいけないということですね。
20年ほど前に買って行った人も今でも自分の楽器を溺愛しているようで、そこまで愛情を持っているのが謎でしたが、日本で売られている楽器と比べれば納得です。

今回のようにプロの演奏者になると本当に音が良いかどうかが分かるようになります。例によってセールストークは無く、今回は3日間、営業中は何時間でも好きなだけ邪魔をせずに弾いてもらいました。それだけ弾かせてもらえることは日本ではないと言っていました。じっくり弾かれたら何か都合が悪いんでしょうかね?

楽器選びの次の段階


しかし、古い楽器限定で探すとなると急に状況は難しくなります。
なぜなら数が急に少なくなり、作風も品質もバラバラです。
ヤコブ・シュタイナーとJ.B.ヴィヨームも予算オーバーではありますが試してもらいました。またニセモノではないブッフシュテッターも売り物ではありませんがめったに手に取る機会はないので試してもらいました。


まずは弓から。
航空会社によって楽器の扱いが違うため今回は弓を持ってくることは断念しました。もちろんうちには売るほどありますから何でも好きなもので試すことができます。彼が選んだのはこの弓で十分に弾きやすいと言っていました。

フロッグの材質が変わっていますが、牛の角でしょうか?ホースト・シッカーという戦後の西ドイツ・ブーベンロイトの作者のマイスター弓です。

この弓は今の為替相場で27万円くらいになりますが、平年の相場で考えると22万円位になるでしょう。マイスターの弓としては最低ランクです。それはまだ新しすぎて骨董品としての相場ができていないためです。つまり新品の弓に骨董品のように値段がつくのはおかしいということです。メーカーや店が自由経済の下で勝手に好きな値段で売っているだけです。
他に100万円を超えるような弓もたくさんありますが、これで十分使いやすいと言っていました。かつてブログでもそのような記事を書いていましたがその通りであることを実感していただいたようです。
これは日本よりもずっと高い消費税が込みになった値段です。

今回の目的の一つとして私が修理してきた南ドイツのヴァイオリンです。


ピカピカに仕上がりました。

音は私も意外な感じで優雅で上品なものとは全く違いました。ダイレクトではっきりと強い音のするものでした。当然新作楽器よりもよく鳴ります。
私の予想は完全に外れました。こもったようなモヤモヤした音はありません。
19世紀のモダン楽器でも尖った暗い音で強い音がするものがありますが、それは高音がそれ以上に鋭いです。それとは違い高音は柔らかさがあります。音色は現代の楽器とは全く違います。

アーチはそれなりに高さがあります。表板の横方向の断面では三角になっています。そのあたりが柔らかい豊かな響きが抑えられているのではないかと思います。はっきりと特徴のある音で、強く鳴ります。
これは彼の好みではなかったようです。

大本命のヘンドリック・ヤコブスです。詳しくはリンクを参照してください。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12673287974.html?frm=theme




こちらはフワッと繊細な響きがあり、全体的に柔らかさがあります。アクセルが急に全開になるのではなくてじわっと音が出る感じですかね。弱い音がうまく出ることは言っていました。
音自体は好きなようでしたが、大きな音を出すのはちょっと労力がいるようです。それでも自分の楽器よりは上ですから買い替える意味はあります。

弦楽器の音は下克上だと言っていますが、思わぬ伏兵が現れました。

楽器庫の一番奥にあった謎の古そうな楽器です。

仕事も雑でかなりいびつです。
どこの誰が作ったのか全く分からない楽器です。量産品のような特徴も無いので手作り感があります。しかしどこの流派なのかも全く分かりません。普通はこのような楽器に偽造ラベルを貼って売るものですが、それならニセモノと判断されるものです。しかしノーラベルでなんだかわかりません。

アーチも平らでペタッとしたものです。

普通に考えればただの安物で1万ユーロもすることは無いです。クオリティだけで言えば5000ユーロもどうかと思うくらいです。古さをどう評価するかです。
ただし、仕事の雑さになんとなく雰囲気があります。まず無いとは思いますが、もしかしたら高価な楽器かもしれません。古い楽器は作者や流派によって値段が決まるのでそれが判明しないと値段のつけようがありません。値段がつけられないと売ることはできません。

ここまで粗雑に作られた楽器は名器を集めたような本には出てきません。本を作る時には美しい傑作を写真に収めようとするからです。

しかし音はよく鳴って豊かさと強さがあります。
彼が何度も何度も試奏を繰り返した結果この楽器を一番気に入りました。しかし社長も売り物として考えていなかったので困ったものです。私が変な楽器を楽器庫から見つけてしまったばっかりに厄介なことになってしまいました。粘り強く交渉するとこの後で鑑定士に見てもらうことになりました。
今回は予定通り自分の楽器だけを持って帰り私が次に帰国するときに楽器を届けるという予定です。謎の楽器が買えないようならヤコブスになります。
ヤコブスは最大で8万ユーロの相場となっています。今なら1000万円を超えます。謎の楽器は値段が不明です。普通なら1万ユーロもしないはずですが、念のため鑑定士の意見を聞きたいと思います。


鑑定士はなんて言うでしょうか?

古い楽器らしい音色があり、鳴りが良くて楽に音が出るということを高く評価していました。このような楽器を買わずに、なぜ苦労してわざわざ音が出にくい楽器を弾かなければいけないのかということです。

私の見た感じではオールドではないと思います。アーチが平ら過ぎるし大概のものはアマティやシュタイナー譲りの丸みがあります。ストラドモデルを適当に作った様な感じがあります。フランス風のモダン楽器をよく理解しないで自己流で作った様な感じがします。オールドとモダンの境目の時期なのかもしれません。
モダン楽器で有名な作者でこのようなものは見たことが無いのですごく高価ということは無いでしょう。それでももしイタリアの人が作ったならそれだけで最低でも3万ユーロはすることでしょう。
他にパターンがあるとすれば、有名な職人の息子がとんでもなく不器用なケースです。苗字が有名なら最低の評価でもそれなりにするでしょう。

このような楽器は職人には怒られるタイプのものです。「こんなひどい楽器をなんで選ぶんだ?」と。それに対して「でも音は良いんです」と反論しなくてはいけません。

修理は私が表板を開けてフルレストアしてあります。しかし私も覚えておらず、たいした楽器ではないという認識だったようです。それ以来売り物として出されることもなかったようです。その時に張られたオブリガートの弦も5年以上前のものですが新品のようです。

最後にあご当てを選んで、古い在庫についていたものがしっくり来たようです。金具が酸化して粉を吹いていましたが、未使用だったようです。磨いたらきれいになりました。昔のあご当てでメーカーも分かりません。

肩当を使わない場合にはこのような真ん中につけるものを使う人がいます。


とても面白い体験


読者の方が来るというのも初めてでしたが楽しい数日間となりました。

出どころ不明の謎の楽器を気に入ることになりました。私が言って来たとおり、弦楽器というのは弾いてみないと分からないということですし、どこの誰が作ったものに音が良いものがあるかもわかりません。
木材もチープなものです。

鑑定士は夏休みで休業しているので来月に鑑定に出します。結果が楽しみですね。私は鑑定士ごとに言うことが違うのではないかと思います。でも、鑑定士も分からないと言うのではないかと思いますけどね。どうでしょう。


どちらかのヴァイオリンと私が自分で作っているヴァイオリンの二つを持って帰るため他のものは次回の帰国では持って帰れません。ご了承ください。


鳴りにくい楽器を学生に使わせるのは酷です。仕事の道具としても使いやすいことが重要なのではないでしょうか?日本の楽器の流通には大きな問題があるようです。消費者の意識が大事だと思います。何でもない楽器をバカにせずちゃんと音を評価することが重要です。

冒頭のチェロの話も無視できなくなってきます。
ハミッヒのチェロは板が厚くて鳴りにくいという話でしたが、同じような厚さで新品だった場合はそれよりも鳴らない可能性が高いでしょう。あのハミッヒのチェロでさえ日本で売られているものよりもはるかに鳴るという可能性も出てきます。怖いので考えるのはよしたほうが良いかもしれません。

日本国内であれば他の生徒も同じようなものを使っているので競争においてはハンディキャップにはならないでしょう。しかし世界で一番高価な楽器を使っている日本人の学生が一番鳴らない楽器を使っているのではないかと思われます。留学生などを見ると心当たりがあります。

少なくとも留学する前に楽器を買っていくのはやめたほうが良いと思います。



こんにちはガリッポです。

以前ハミッヒのチェロについて紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12807150974.html
700万円くらいするチェロです。モダンチェロとしては特別高いわけではありません。しかし常識的に考えれば高価なものです。
板が厚くて鳴りにくいという印象がありました。
常連のアマチュアのチェロ奏者が試奏しました。
この人は父親が放送楽団でヴァイオリンを弾いていて、幼少からずっとチェロを弾いています。元医者で退職していますがチェロを弾くことを老後の楽しみとしています。
ハミッヒのチェロを試すと、やはり底から鳴らしきることはできず、表面的な音について鼻にかかったような鋭さがあることを気に入らない様子でした。
アマチュアにはかなり難しいという感じです。やはりフラットで板が厚いこのチェロは弾き手を選ぶようです。桁違いの力量を持った演奏者ならどうかは分かりません。しかしプロでも仕事は楽にできるほうが良いと鳴らしやすい楽器を好む人が少なくありません。

職業は聞いていませんが、かなりの腕前のアメリカ人が弾くと特別音が小さいという感じはしませんでしたが、他のチェロよりも音量があるという感じもしません。小型のクロッツ家のチェロのほうが音量がありました。フラットで大型のモダンチェロのほうが小型で高いアーチのオールドチェロよりも音量が無いのです。アーチがフラットなほど音量があるという理屈は現実ではありません。フラットなアーチで鳴らない楽器はたくさんあり、高いアーチでも鳴れば音量が出ます。鳴るか鳴らないかの違いがどうして生まれるかはわかりません。板の厚みが要因になることはありそうです。

700万円するからと言って必ずしも音が良いチェロと言えるものではありません。

つまり値段は一つ一つの楽器の音で決めているわけではなく、作者の名前で決まっています。作者の評価なんて本当にいい加減なものです。特にチェロが有名なハミッヒでこの有様です。職人の感覚すると作者の評価というのは本当に雑です。楽器を褒める時はいくらおおざっぱでも責められません。職人なら0.1mmの正確さを求められます。今回のように評価が間違っていても誰も責められません。普通の人は物事を厳密に考えないみたいです。作者を評価する仕組みみたいなものは無くて、何となくうわさで広まって人気が出てくるようなことです。幽霊が出るというくらいの信ぴょう性です。

もしかしたら弾きこなせる人が現れるかもしれませんが、こういう楽器は「マニアのコレクター向け」または「資産化」の線が濃厚ですね。でも高いから音が良いと思って買ってしまう軽率な人がいるでしょう。700万円位なら安いと品定めせずに買う人もいるかもしれません。



このように値段が高いからと言って必ず音が良いわけではないということを言っています。ほかにも700万円位のチェロがたくさんあれば、値段に見合ったものもあるでしょう。したがって全くメチャクチャということもないかもしれません。しかしチェロは作られた数が少ないので好きなものを選べるというのは難しいです。
ヴァイオリンであれば同じ値段で同じくらいの格のもの、つまり200~300万円位のものはたくさんあることでしょう。200万円以下となるともっと多くなります、かえって安い方が掘り出し物もあるかもしれません。

ちなみにクロッツ家のチェロは900万円位でしょうか。高いだけのことはあります。小型なのに低音が豊かで深みがあります。鳴るだけでなく音に味わい深さ、柔らかさ、心地良さ、伸びやかさがあります。さすがにオールドは違うという感じがしますがオールドにしてはかなり安いです。

ともかく必ずしも値段と音が一致するわけではないので必ず試して購入する必要があるということです。有名な作者ほど、値段がけた違いに上がりますが、音はそこまでではありません。場合によっては並以下ということもあります。本当に音が良い楽器が欲しいなら、はるかに安い楽器も試すべきです。有名ではないけども職人から見ると十分一人前の職人のものがあります。


このようなことは音楽家も真剣には考えてこなかったでしょう。今は値上がりが甚だしいので楽器の値段を考えるとお金が紙くずのようです。
普通は地位が高くなり高収入になると高い楽器を持っているものです。それに対してアジアの人たちは先に高い楽器を買って、地位を上げようというわけです。発想が逆ですが、本当にそうなるでしょうか?業者はそこに付け込んで商売をしてきました。

「値段が高い楽器が本当に音が良いのか?」
こんな事は真剣に考えられてこなかったことです。
このようなことを真剣に考えないのが普通の人のようです。私は実際に多くの楽器を経験することで疑問に思うようになりました。職人の中でも変わっている方でしょうね。頑固な職人の中の職人というわけです。

弦楽器について言われてきた知識についても同様です。
例えばラッカーのニスについては「ラッカーは硬いため振動を妨げて音が悪い」と教わりました。「柔らかいニスは振動を妨げないため音が良い」ということです。このような知識を学んだ職人は「私は音について理解している」と考えてしまいます。柔らかいニスを塗ったので「私の楽器は音が良い」と考えます。しかし知識で考えてわかっていると思い込んでいるだけで、実際に硬さを変えて音を実験したことがありません。

私は「本当にラッカーは音が悪いのか?」と疑問を持っています。ラッカーで塗られた楽器でも音が良いものが実際にあったからです。
そもそもラッカーに限らず硬いニスの楽器が音が悪いということは全く見当違いです。修理の仕事をしていると、硬いニスの楽器はメンテナンスの時にダメージが少ないのですぐにわかります。そのような楽器でもよく鳴るものがあります。

音が良いという事にはいろいろあって、音量があるということもあるし、柔らかい音というのもあります。少なくとも硬いニスの楽器では音の強さという点では優れているのではないかと思うほどです。洗濯機など騒音があります。私は学生時代にゴムを洗濯機の脚の下に挟んで騒音を軽減した経験があります。ゴムのような柔らかいものが振動を妨げているのですよ。このようなことは様々な分野で使われていると思います。理屈の時点で現実とかけ離れています。

「ラッカーは鋭い音で音量が強く感じられますが時には耳障りな音がする」と結論付けて良いのでしょうか?ラッカーの楽器でも柔らかい優しい音がする楽器もありました。つまりニス自体は音についてそれほど決定的な影響を与えるわけではないということが分かったにすぎません。つまりニスが何だからと言ってどんな音がするかはわからないということです。20年以上の経験で私が分かったことはニスがなんであるかによって音がどうなのかは分からないということです。

「ラッカーは硬いので振動を妨げ音が悪い」という知識を学んだ職人は「自分は音について理解している」と自負することができます。しかしそれを検証していくと「音については分からない」となっていきます。よく分かっている人ほど「分からない」ということになります。

一般論として言えば、ラッカーが塗られているのは安価な量産品です。それも古い時代です。今ではアクリルのほうが主流でしょう。戦前のザクセンなどの量産楽器の場合にはラッカーが普及した時代と一致します。雑に作られて粗悪なものがたくさんあります。それにラッカーが塗られていて、安価な楽器の音になっているわけです。「ラッカーが塗られているような楽器の音」として私がイメージするのは耳障りでやかましい下品な音です。それはラッカーのせいというよりは楽器の作りの粗さにあるでしょう。ラッカー自体が音が悪いというのではなく、ラッカーが塗られているような楽器は値段が安いものだということです。ラッカーを用いたのもコストを安くするためです。「ラッカー=安物」というのはあっています。しかし丁寧に作られた楽器にラッカーを塗っても必ずしも音が悪くなるということは無いでしょう。せっかく手間暇かけて作られた楽器にラッカーを塗ると安物の印象になってしまいます。商品としてはもったいないですね。一方ラッカーでもきれいにニスを塗ればラッカーかどうか見分けはつきません。私は臭いで判断することがあります。見た目よりも臭いのほうが確かです。逆に言うと見た目ではわからないことがあります。もちろん音でニスがラッカーかどうか聞き分けられる人はいないでしょう。

一方でニスを塗り直したこともあります。
ラッカーはあまりありませんが、現代の量産楽器のアクリルを溶かして剥がし、天然樹脂のアルコールニスで塗ったことがあります。また、量産メーカーにニスを塗る前の楽器を売ってもらって、自前でニスを塗ったことがあります。完成品と比べると、天然樹脂のアルコールニスのほうが柔らかい音がしました。やはり硬いニスのほうが耳障りな音がするようです。しかしニスの違いよりも楽器そのものの違いの方が大きいようです。10年以上前に量産メーカーの白木のチェロにアルコールニスで塗ったことがあります。そのチェロはニスを塗っただけでそれ以外は改造などはせず、工場製と同じものです。しかし現在、別の量産メーカーの完成品のほうが柔らかい音がします。当然アクリルのニスが塗られていますが、音は私がアルコールニスを塗ったものよりも柔らかいのです。
アクリルのニスでも、配合成分を変えるで硬さを変えることが可能なはずです。アクリルでも柔らかすぎてケースの跡がついてしまうものもあります。ラッカーでもかつて硬さの違うものがあったはずです。一般にラッカーの耐用年数は数十年で、乾燥が進むと細かく割れてきます。こうなるとボロボロと剥げて来て修理は難しいです。ラッカーの薄め液(シンナー)で濡らしてあげると溶けてひびが埋まります。しかし乾くとまた割れてくるでしょう。それに対して戦前のザクセンの量産品に塗られていたラッカーは今でもきれいな状態を維持しています。ラッカーの中でも奇跡的なものです。ミルクールのものでも長持ちしています。それに対して戦後に塗られたようなラッカーのニスのほうが傷んでいます。安い楽器ですから手間をかけると楽器の値段を超えてしまうため修理のしようがないです。

ギターの世界ではこのような昔のようなラッカーが高級品と考えられているほどです。


このように一つ一つのことに深く検証していくと本当に何が音が良いのか音が悪いのかよくわからなくなってきます。「ラッカーが塗られているようなものは安物である」というのがおおざっぱな知識です。でも本当に音が悪いわけではありません。

このため職人が音について分かっていると自負していても本当に理解しているのかというのも疑問です。工房を訪ねると音についていろいろな説明を受けます。一般の人はそうかと話を聞くわけです。私が同じ説明を聞くと「つじつまがあっておらず、言っていることが滅茶苦茶」と感じます。
私が音について分からないというのはこのようなことです。

値段が高いからと言って音が良いとは限らない
安い楽器だからと言って音が悪いとは限らない


じゃあ、何なんでしょうか?
「弾いてみないと音は分からない」という当たり前の結論が導かれます。


私は硬いニスのほうが音が鋭く、柔らかいニスのほうがマイルドな音になると考えています。しかしニスよりも楽器本体の音の方が重要で、本体との相性だと思います。
戦前のドイツでも安物のラッカーが塗られた量産品に対して、マイスター作の楽器ではオイルニスが塗られました。これはとても柔らかいニスです。ハンブルクのヴィンターリングなどは典型的な柔らかいニスで、100年ほど経った今でも固まっていません。これは差別化というものです。イギリスの楽器でも同様のニスを見たことがあります。このあたりのことが現在でも常識として残っているわけです。100年前の常識が今でも信じられているのが弦楽器の知識なのです。

柔らかくて分厚いニスを私の楽器に塗れば、音が弱くてマイルドすぎるでしょう。しかし100年くらい経った楽器では全く問題がないくらいによく鳴るようになっています。したがってニスは何でも良いということになります。


オイルニスを使っている職人が、アルコールニスやラッカーのような揮発性のニスに対して嫌悪感を示すとします。「これは速乾性のニスだからダメなんだよ」と嫌そうな顔をします。そうすると一般の人は「そういうものなんだ」と思ってしまうでしょう。でも実際には音についてよくわかりません。こういう専門家の態度というのはとても無責任だと思います。ましてや営業マンのレベルでこんなことを言ってるとしたらとんでもないですね。

私も自作の楽器にはオイルニスを使っています。しかしだから音が良いと言うと嘘になるでしょう。オイルニスは塗るのが楽しいです。揮発性のニスはすでに塗った層を溶かすので作業がやりにくく私も嫌いです。だからオイルニスを使います。もしかしたら私の楽器にはラッカーのほうが音が良いかもしれません。ラッカーはシンナーの匂いも嫌で健康にも悪いでしょう。
ニスの硬さは樹脂の成分によって決まるのでオイルニスのほうがアルコールニスよりも柔らかいと決まっていません。むしろ硬い樹脂はアルコールには溶けないのでアルコールニスで特に硬いニスは作れません。しかし、硬い樹脂というのはガラスのように割れやすくなってしまい、脆くバリバリと割れてはがれてしまい丈夫とも言えません。これはオイルニスでもアルコールニスでも同じです。アクリルやラッカーのニスはこのあたりで次元が違う丈夫さがあります。自動車など一般的な塗装用に開発されてきたからです。

職人は自分が作りたいように楽器を作っているので、その音を気に入る人がいれば買えば良いというだけです。楽器がそうでなくてはいけない合理的な理由は無いでしょう。アマティやシュタイナーもみな自分が作りたいものを作っていただけです。

前回は職人の保守性の話をしました。
保守的な立場では物事になんか後付けでそれが最も優れているというような理屈を考えるものです。保守的な考えというのは長年にわたって集めて来た強い理屈が洗練されているので説得力があります。保守的な人に理屈を聞いた時点で勝ち目はありません。それはただの理屈です。言葉を言っているだけです。その物語はフィクションの文学作品です。

それに対して「先見性」が著しく欠けています。
物事が良いか悪いか、よく分からないという立場に身を置くといろいろな可能性が出てきます。理屈も一つ一つ検証してみるとまるでデタラメです。

音が良いとか悪いとかはっきりと区別するのは難しいです。実際にいくつかの楽器を弾き比べてみてください。音が違うのは分かります。でも良いか悪いかをどんな基準で判断すれば良いか分からないです。
私はこういう音が好きとか、こういうのは嫌いだとかをはっきり前提として言えば、このような楽器はどうかと薦めることはできます。ただしその前にいろいろな楽器を試さないと本当にそれが求めている音なのかもわかりません。

言葉で表したり、分類したりすることが難しい微妙な音の違いがあります。ましてや点数なんてつけようがないです。そうなると「なんでも良い」としか言えません。こういう音を求めているということを指定しない限り、このようなタイプの楽器が優れていると言うこともできないのです。トラックとレーシングカーのどちらが優れているか?というようなものです。つまり趣味趣向の方向性がジャンルとして明確に分かれておらず「値段」という一つの物差しだけがあるのです。
先ほどの例のようにフラットで大型の楽器がソリスト用、高いアーチで小型の楽器が室内楽用と分類しても、実際は音量でも小型の高いアーチの楽器が勝っていたりします。

私のブログでは私が自分の好きな音についてのみ探求し、私の好きな音の楽器ばかりを取り上げ、私の目指している楽器作りだけ紹介することもできます。私と同じ音の好みの人だけが読むブログにすることもできます。私が作ってみたらこういう音になったということは言えますが、そこで得られた規則性はこの世にあるすべての楽器でも通用するとは言えません。他にたくさんこのような情報があるなら私がやらなくても良いでしょうけども。


イタリアのオールドの名器が適当に作ってあると書いています。これは一人前の職人であればだれでも分かることです。しかし消費者が情報として聞くことは無いでしょう。楽器店は何千万円もするようなものを適当に作ってあるとは言わないからです。営業マンは実際に作ったことが無いと適当に作ってあるという事さえもわかりません。適当に作ってあるから音が悪いかと言うとそうでもないのです。適当に作られている楽器で音が良いものはあります。弦楽器というのはそんなものなんです。これがとても重要なことだと思います。それも他で学ぶ機会があるでしょうか?
適当に作るのも難しいもので、ヴァイオリン製作学校のような仕組みでは教えることは難しいです。マニュアル化された通説を勉強して決められた寸法に正確に加工することで売り物になる楽器ができます。昔は子供のころから家業を手伝わされて学んでいったのでしょう。先生の中にはそのようなことに気付く人もいるかもしれませんが改革までするのは難しいでしょう。
世の中には陰謀論者のように物事はすべて誰かによって計算されていると思いたい人が一定数います。どう見ても無造作に作られたオールド楽器を、すべて計算しつくしてそのように作ってあると考える人がいます。私の手には負えません、そういう職人を教祖として信者になってください。天地や生命を誰かが計算づくで作り出したと考えるのと似ています。

やっつけ仕事で作られているイタリアのモダンヴァイオリンが700万円くらいするとします。一人前の職人が見ればたいていの人にはやっつけ仕事で作ってあると分かります。でもお店では700万円のヴァイオリンを「これはやっつけ仕事で作られています」とは紹介しないでしょう。楽器の質で言えば量産楽器と変わらず、音も量産楽器と似ているかもしれません。量産楽器ならそれを「やかましい耳障りな下品な音」と評価し、700万円のものなら「さすが巨匠、力強く輝かしい音」と評価するかもしれません。私からすれば同じような音です。でもそれが好みの音であるなら私は文句ありません。実際に起きている問題は高いから音が良いだろうと思って音を確かめず後で気に入らなくなることです。その音は良い音か悪い音か言うことはできません。好みの問題としか言えません。量産楽器のような音が好きだということはあり得ます。分かりやすくはっきりした音ということがあります。700万円ほどの予算で自分の好きな音の楽器を買った結果、量産品のような音だったということはあるでしょうね。それは好きな音の楽器でお気に入りですから良いと思います。
しかし弦楽器マニアがオールドの名工の弟子の子孫の弟子とかいう「情報」を有り難がってオールド楽器と似ても似つかないものを買っていると笑ってしまいます。頭で楽器を選んでいますが、師弟の情報には例によって嘘が含まれれているのです。師弟関係が本当でも1世代で全く作風やクオリティが変わってしまうことの方が多いです。現代の「通説」のようなマニュアルが無く適当にやっていましたから教育が難しいのです。普通の音楽家が耳だけで選んだ方がまだましです。



まあ、こういう話を聞く機会はなかなかないと思うんですよ。私も修行を始める前に考えていたイメージと実際が大きく違いました。それは音の好みが違えども多くの人の役に立つことでしょう。そうなると「なんでも良い」としか言えなくなります。

私は食べ物に執着が無いのでよくわかりませんが、ラーメン屋をやるのにスープを研究して自分の味を作り出して、それで勝負して店が繁盛するとかそんなことがあるのかもしれません。しかしヴァイオリンは現代の日本人が作り出したものではないですから。他の趣味などで得たものの考え方を当てはめるのは危険です。ニスでも作業性、品質、色などが製品として売り物にできるレベルにするだけでとても難しいものです。楽器店に卸すなら職人は買いたたかれるのでコストの安さが最重要ですから、作業効率が良くそれなりに見栄えがするということが最も重要です。
現代でも工業製品では画期的なアイデア商品のようなものができると他社もそっくりのものを作るのが普通です。ましてやギルドのような職業組合の時代には独創性なんて考えていなかったかもしれません。
自分の思いたいように思っていると事実は理解できません。何でも野球で考える人もいますね。運がよくボールが落ちてヒットになることもあるでしょうが、昔の野球解説者は執念によってヒットが生まれたと言っていました。楽器の音もそうだろうと考えると野球なんて知らないほうが良いです。

偶然で成り立っているのは生物の進化ですね。それが一番近いかなと思いますが、「何のために進化した」みたいな考えをする人が未だにいるでしょう。人類がここにいるのもただの偶然です。偶然ってすごいですよね。

思っているよりも、弦楽器と音についてはルールや秩序、法則性などは無い乱世の下克上です。それが弦楽器のおもしろさだと思います。

先ほど話したクロッツ家のチェロです。

丸みが綺麗で丁寧に作られているのが分かります。オールドのチェロでこのように状態が良いものは珍しいです。クロッツ家はミッテンヴァルトなので木材の産地で表板の木目が細かい「上等な」ものが手に入ったのも特徴です。
サイズは小型で7/8くらいしかないので駒を刻みより下げてプロのオケ奏者に使用されていました。その方が亡くなられて兄弟の方が売りに出したいと持ち込まれました。鑑定がどうだの、修理やセッティングがどうだのまだ話がついていません。6万ユーロくらいだとは言っています。

ミッテンヴァルトの作者はそんなにシュタイナーに忠実というよりはそれぞれが好きなように作っていたようです。ちょうどクレモナの人たちがアマティと似てたり似て無かったりするようなものです。一人一人の作者について見て行けばかなり個性的なようです。しかし商業的な注目度が無いために資料すらほとんどありません。私はウィーンのものの方がシュタイナーに忠実でミッテンヴァルトのほうが個性的なように思います。

スクロールは独特で南ドイツのスタイルがはっきり分かります。シュタイナーの特徴をさらにオーバーにしたものです。

アーチはそれほど高くなくこの楽器の時代では典型的なシュタイナー型ではなくなっています。1700年代も終わりころのものでしょう。アーチのふくらみは滑らかで変な癖も無くモダン楽器へ向けて作風が変化していました。しかし現代のフラットなものと違ってエレガントなカーブになっています。チェロの大きさでこれができるということは相当な美的なセンスがあったはずです。
ストラディバリを研究するのはすでにドイツでも行われていましたが、伝統を基礎としながらも新しい流れを取り入れていたのでしょう。昔は刻一刻と楽器も変わっていったようです。それが20世紀になると時間が止まります。クラシック音楽もそうですね。ハイドンが子供の時と晩年では音楽ががらりと変わっているはずです。それが20世紀になると止まっているようです。100年以上前の曲が現代曲です。


プロのオケ奏者が自分の楽器の修理のために来ていましたが、このチェロにはにんまりです。これまでも短い弦長にできないか試行錯誤していたくらいですからピッタリです。自分の楽器を修理するよりも音は良いでしょうが、それでも安くはありません。


仕事と関係なくこんなチェロで無伴奏ソナタを弾いていれば良いでしょうね。しかし、このチェロは音を鋭くする方向で調整がされてきたようです。オケで仕事となると舞台上でもはっきり聞こえるとかもっと実用的な要素が求められるようになってくるのかもしれません。多くのチェロはもっと無神経な刺激的な音がします。すべては一長一短です。


こちらも南ドイツのヴァイオリンです。表板の修理が終わり接着しました。ラベルはブッフシュテッターと書いてありましたが、シュタイナー型なので全く違います。右に写っているのが本物のブッフシュテッターのです。
ストラディバリの1690年代のものをお手本として作られていました。アーチもずっと平らです。実際のストラディバリは現代の職人の常識からすると必ずしもフラットではありませんが当時の人の印象ではそう見えたのでしょう。

駒の脚のところのヘコミもきれいに直っています。
あとはニスだけです。ニスも修理したては綺麗すぎて古い楽器の感じがしません。しかし一度やっておかないと毎年毎年補修が必要になります。数十年すれば落ち着いてよく見るような古い楽器のようになるでしょう。今後のメンテナンスは部分的な補修だけで済むはずです。ブッフシュテッターの方も過去にそのような修理が行われたはずです。

ニスもきれいに磨き上げると汚れの下に隠れていた板の割れを発見することにもつながります。ニスを磨き上げる作業をすると楽器をくまなく観察することになります。いくら注意しても見るだけでは気づかないことが多くあります。修理の時も表板を開ける前に掃除したほうが良いかもしれません。楽器の健康状態を確認する上でも重要です。

穴を埋めたので新たに穴を開けます、かなり理想的なポジションに持って来れるでしょう。



ペグはオーソドックスなタイプで手に馴染み最も使い勝手の良いものです。スイスモデルと言います。このようなものは入手がとても難しくなってきました。ストックがなくなったらもう手に入らないかもしれません。
ツゲに装飾がついたものはいくらでも売っていますが、このようなタイプの質の良い物には、メーカーや商社は関心が低いようです。
うちではかつて安価な量産楽器にも取り付けていました。今では値段が高騰してとんでもないです。昔売った量産楽器を下取りすると摩耗したペグを交換し、元のものは軸を削り直して格上の楽器に移植しています。これは新品です。
黒檀のシンプルなタイプで良いものは希少です。このペグの良さが分かる人はかなりの玄人です。

ニスをできるだけ乾かして音は週明けに出ることでしょう。楽しみです。


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こんにちはガリッポです。

弦楽器の価値の根本にかかわるような難しい話題が続いていました。

基本的に弦楽器は服装で言うと紳士服のスーツに似ていると思います。
上等なスーツというのはおそらくテイラー職人の間では当然決まりがあると思います。生地の質などもランクがあり、仕立ての良さや、体に合っているかなど差がはっきりあるでしょう。

ニュースなどで政治家や大企業の重役が出てくるときに、たいがいは「悪者」として出てくるわけですけども、私は自分が着ないので分かりませんが、おそらく相当高いスーツを着ているのだと思います。スーツに詳しい人は見てすぐわかるでしょうが、普通の人はニュースの内容しか興味がないはずです。

演奏者の写真や映像を見ても普通の人は人物の方に興味があるでしょう。私などはすぐ楽器の方を見ます。何なら駒の形がどうだとかそんなのです。

政治家や重役が立派なスーツを着ているのを見て「素敵だ」とか「カッコいい」と思うかとなると話は別です。俳優やモデル、スポーツ選手のように体格に恵まれているわけでも無いと高いスーツを着てもスマートに見えるわけではありません。

そもそも「悪代官」として見せられるわけですから、高いもんを着ていたら「私腹を肥やして‥」余計に印象が悪くなるものです。

当人は炎上を沈下するために、失礼の無いようにきちっとした格好をしなくてはいけないという意図があるのかもしれません。
私にはわかりませんが、ビジネスマンの方々はそういう部分で気を使っていらっしゃるのかもしれません。

プロの音楽家にとって楽器は、ビジネスマンがスーツや革靴などに対する考え方と似ているでしょう。身分が高い人ほど高価な楽器を持っています。実際にはニセモノも多くあります。職人が見れば一瞬で分かるようなものでも、高価な楽器と思い込んでしまえば音が悪いからと気付くようなものではありません。
オーケストラであまり変わったものを使っている人は見ません。芸人のような演奏者なら緑色ののヴァイオリンを使っている人を新聞で見たことがあります。


弦楽器も同じような時代のものであるし、同様の思想や社会階層のものでもあります。音楽というのはそういうものを象徴しているものです。同じ音楽を愛好する人たちは同じ価値観を共有しているというわけです。

スーツというのは1900年くらいからロンドンやニューヨークなど西洋の大都市で着られるようになったようです。当時の写真を見ると街にいる男性はほとんど全員がスーツを着ています。土木作業員から魚屋さんまでみなスーツを着ています。ニューヨークの野球場の観客も全員スーツを着ていますし、大人だけでなく公園で野球をして遊ぶ子供も膝下丈のズボンのスーツを着ています。おそらくスーツの中にも種類があったのかもしれませんが古い白黒写真では違いが分かりません。
服装の流行というのは今でもありますが、街の人が全員が着るような流行は無いです。当時は「上流階級」がすべてで、誰もがそれを真似たようです。上流階級と言っても王侯貴族に比べると一般市民で、今で言うと「セレブ」です。
日本人から見ると外国の服装だと思うかもしれませんが、ヨーロッパの地方の人にとっても、ニューヨークやロンドンで流行している外国のものです。スーツは伝統的な民族衣装ではありません。

弦楽器もその時代に普及して画一的なものです。生産数は1900年前後ころから急増しているのは中古品の数でも分かります。ストラディバリ型という決まった形で作られました。同じものであるから品質によってランクが細かく分かれていました。それが我々職人の間には伝わってきています。


今の人たちの考え方はだいぶ変わっていると思います。決まったスタイルをだれもが良しと考えるのではなく、素敵だとかカッコイイだとか個人が自由に感じることであるし、道具や機械は見た目ではなく性能によって評価されるべきだと考える人もいるでしょう。

そうなると現代の人の趣味趣向とは違うんじゃないかというのは感じています。もう一つはもっと古い王侯貴族の時代もまた違っていたと思います。1900年ごろの弦楽器に関する価値観は相対的なものではないかと思うんです。逆にそれを「クラシック」として考えるのも面白いです。1900年頃ならモダン楽器でも裸のガット弦で弾いていましたから。燕尾服に社交ダンスのような靴で蝶ネクタイして軽やかに弾いていたようなイメージがあります。

そういうことを想像するのが私は面白くて、モーツァルトの時代にどうだったかなんてのも面白いです。かつらをかぶって派手な服で、舞台にもセットが作られていたようです。


話はそれていきましたが、職人の考える楽器の良し悪しというのは100年くらい前の伝統に基づいているということですね。ユダヤの人たちやアメリカのアーミッシュという人たちが黒い服装をしたりしますが、聖書の時代の格好ではありません。19世紀後半くらいの感じですかね。
そんな感じですごく古いわけでもないですが、時間がある時に止まったのでしょう。弦楽器職人の世界もある時から止まっています。それがこの前から話している「通説」というもので時間が止まっているようです。今のヨーロッパの人たちはそんなしきたりにまじめに従う人は少なくなっています。マスクすらしないのですから。今は量産品よりも質が落ちるような素人が作ったような「ゆとり仕様」のハンドメイドの楽器がたくさんあります。

私はいつもカジュアルな作業服を着ていますから、休日でも外出でも問題ありません。ホームセンターなどに行くには最適な格好です。ビジネスや優雅な旅行客の集う空港で作業服を着ているのは私か空港の作業員くらいです。
場違いになるとすれば演奏会に出かけるくらいです。日本ではクラシックのコンサートだからと言ってスーツを着なくてはいけないなんて感じではなかったと思います。ヨーロッパでも近頃はアウトドアジャケットなどで来ている人が普通です。たまたま天気が悪かったからそれできたとかそんなものです。ただし、プラチナチケットの音楽祭などになると話は別です。今がそんな季節ですが、スーツなんて着てたら暑くてたまらないでしょうね。冷房なんて格式ある古い建物には無いですから。たとえばバイロイトですね。演奏者の汗や呼気なども表板や裏板の剥がれなどの原因となります。大きすぎるビオラも過酷を極めることでしょう。

戦前は真夏でもスーツを着ていたわけです。海岸でスーツを着てビーチチェアに寝そべっている写真もあります。それが、戦争を契機に戦闘服や作業服を経験し服装が機能的になって来たのだと思います。当然楽器にも今はそういうものが求められています。楽器を買いに来る演奏者は音にしか興味がありません。それに対して職人は今でも昔ながらの「きちんとした」フォーマルな「様式美」を重視しています。

「上等な楽器」というのが機能性に優れているというのは違います。スーツよりも現代のアウトドア用の服装の方が優れているでしょう。そういう意味では楽器製作も変わらないといけないのかもしれません。しかしながら現実世界でできることは、職人は機能性とは関係のない価値観を持ってて、過去に作られたものもそういうものではないので、楽器を買う時に機能性が優れているか自分で確かめる必要があります。そこを勘違いすると目的と違うものを買ってしまうことになります。

カーボン製のヴァイオリンも作られました。試してみると思ったほど悪い音ではありませんでした。しかし板が硬すぎると思います。もうちょっと柔軟な素材が必要です。単にカーボンだから未来的でカッコいいというのではなくて真剣に素材を開発しないと駄目でしょうね。弓の方がその点はマッチしていたようです。単に柔らかさを適切にしても木材と違って音が単純になってしまうと思います。そこで複合素材とか難しくなっていくでしょう。

伝統的な価値観から現代の価値観へと変わっていないのが弦楽器の業界ですが、そもそもクラシック音楽というのが伝統的な価値観を象徴する音楽です。音楽ファンの皆さんはカルチャーや社会階層などは関係なく純粋に音楽の魅力を楽しんでいる人が多いのではないかと思います。このためしきたりに縛られず、もっと多様性があっても良いのかなと思います。それが私の言っている「なんでも良い」ということです。

職人の仕事はいわば、工作機械のようなものです。こんなものを作れとなればその通りに作れるかどうかが職人の能力です。楽器の場合には土俵に上げるまでが仕事です。審判はユーザです。そもそも文化には勝敗は無くファンになるかどうかですから、勝っても負けてもファンがいるかどうかの方が重要でしょう。
壊れた楽器や未完成のものではステージにあげることができません。そこまでが職人の仕事です。楽器を修理する仕事でも万全な状態にするまでが私の仕事です。その結果をどう評価するかはユーザー一人一人がすべきことです。私が楽器を良いか悪いかを決めるわけではありません。基本的にそんなに変なものでなければ、一人くらいはファンが現れるものです。一人いれば十分です、二つと同じ音の楽器はありませんから。

10万円のヴァイオリンと100万円のヴァイオリンでは製造時にかけられる手間が圧倒的に違います。でも100万円のヴァイオリンと1000万円のヴァイオリンでは作る時にかけた手間は変わりません。900万円は製造時ではなく作者の死後、流通の段階で誰かの手の中に入っていくお金です。だから私はそのような値段は気にも留めません。このため10万円と100万円の間の違いを見抜く方が眼力が必要で、1000万円のヴァイオリンは鑑定書がどうかという書類の話です。

100万円のヴァイオリンにも違いがあります。
手間暇かけて作っても作者が有名でない中古品なら100万円位にしかなりません。一方東京の楽器店が新作楽器を100万円で売る場合は、仕入れ値ははるかに安いのでまじめに作っていたら職人は生活ができません。


5000万円とか1億円くらいになるとさすがに作られた時代が全然違います。そうなると製造された段階でもかなり違いがあるし、経過した年月も違います。1000万円~2000万円位じゃあ誤差の範囲内で余計に払ってもあまり意味がないという感じですね。4000万円位なら面白いものがあります。

99%の人には関係のない世界で、ストラディバリがどうだからというのと目の前の楽器がどうかとは関係がないです。
ストラディバリにも厚めの板のものがあります。アマティ派の1600年代のものはとても薄くて、ストラディバリも若い時のものは薄く1700年代を過ぎると徐々に厚いものが作られるようになっていく傾向があります。でも毎度ばらつきがかなりあるようです。
年齢とともに次第に板が厚くなっていくというのはあり得る話です。めんどくさくなっていくのもあるでしょう。薄くする方が作業量が多いからです。ストラディバリなどはかなり高齢になっていますから、晩年は仕事を手伝った息子たちでさえ60歳以上だったりします。

理屈で物を考えると、長年の研究の結果ストラディバリが理想の板の厚みを見出したと考えがちです。単に年齢とともにめんどくさくなったのかもしれません。

どっちが正しいのかというのと実際作ってみれば良いです。私は晩年の板の厚い物をそのまま作ったことがありますが、音は厳しかったです。過去に作ったヴァイオリンの中でも最低の部類でした。
音は好みですがいかにも新しい楽器のような音で「ストラディバリのコピー」として魅力的ではなかったです。現実的には板が薄いものをコピーしたほうが結果は良かったですね。お客さんの注文で作るなら、失敗する可能性が高い板の厚めのものは不安が強いです。それが正直な感情です。つまり数百年待つ経つ必要がある場合と、作ってすぐにそれなりに雰囲気が出るものがあるようです。名器と同じだから良いというのではなくコピー向きのお手本があるというわけです。

ちなみにアイザックスターンは同じモデルの2台のデルジェスを持っていました。一つは板が厚めで、もう一つは薄めでした。愛用していたのは薄めのものの方だったそうです。ですから、何が正しいというのではなくて演奏者の好みです。別の演奏者がどちらを好むかはわかりません。

そのデルジェスには『イザイ』という名前がついてますが、私はコピーを作ったことがあります。今まで作った楽器の中でも特に低音が強い物でした。スターンは板が厚い方のデルジェスをソプラノと表現し、イザイはテノールのような低音が魅力の楽器と言っていました。その前に36cmを超えるニコラ・リュポーのストラド型のコピーを作りました。それは板が薄かったのになぜか低音ばかりが強いものではなく、バランスの中庸なものでした。それより1㎝小さいイザイのコピーのほうが低音が勝ったものになりました。そういう意味では大きさと音が直結しないということが分かりました。また、スターンの言っていたこととは合っていてコピーの音がオリジナルに対して全くデタラメでもないということがあります。

このようなことはとても面白い体験で職人冥利に尽きるものです。

19世紀にはフラットなアーチで薄い板のものが作られていました。リュポーのコピーでもそうでしたが、特にネガティブな結果はありません。フラットだから板を厚くしなくてはいけないという理由は全く分かりません。むしろフラットで薄いものがあると音大生などには受けが良くよく売れて残っていません。もちろん学生に板が薄いとか教えてはいません。
アーチが平らだと板が柔軟になるのでその分厚みを増すべきだとか理屈で考えてもしょうがないです。結局弾いて気にいったものを測ってみたらどうだったというだけのことです。
私は思うに外骨格の構造なのでヴァイオリンのように小さいものは強度が十分なんだと思います。板が薄く古くなって弱ったヴァイオリンでも問題ありません。チェロとかコントラバスになると強度不足は起きると思います。私くらいの経験でももう少し深く考えることができます。現実を何も見てないのに頭で考えてもしょうがないです。研究したい人はもっと普通の楽器のことをよく知るべきです。普通の楽器は全然ダメだという決めつけは科学的ではないですよね。

でも逆に意外とこんなに厚くても鳴るんだなということもあるかもしれません。実際店頭で音量が大きく感じるものはあります。弦楽器に関しては規則性が通用せず意外なことはいつでもあるんです。まだ結論は決めていません。

まとめるとこれまでは「正しい楽器」というのが職人の間で信じられてきました。

職人は「正しい楽器を作ったからプレイヤーは私の楽器を買うべきで、それに見合った報酬が得られるべきだ」と偉そうに言っていたらみなさんはどう思うでしょうか?それで楽器が売れず「最近の若者は礼儀作法を軽んじ社会道徳がなっていない」と嘆いても状況は変わらないでしょう。
お客さんを魅了するようなものを作らないといけないと思いませんか?正しいかどうかは忘れて弾いたとたんに思わず笑みが出るようなものを作ったほうが良いと思います。古い楽器も発想が現代と全く違うので分かると面白いです。


南ドイツのオールドヴァイオリンです。

割れ傷が無数にあり、補強をするのでも気が遠くなります。過去の修理では補強のための木片が取り付けられ、なぜかその後の修理で取り除かれていました。
割れが多すぎて埒が明かないと思ったのでしょうか?
しかし一つ一つ丁寧に補強していきました。
このようにフレームに固定した状態で木片を取り付けると木片が歪みを与えません。

割れが多いのでいくつかの割れをまとめて補強しました。昔の修理では一つ一つの割れごとに補強していたので木片が膨大な数になっていたことでしょう。それをそのあとの人が取り除いて羊皮紙をセロテープのように貼っていました。修理前はこのようでした。

羊皮紙は太鼓の皮にも使われています。水分を吸収し、伸びたり縮んだりします。接着するときに接着剤の水分で伸びて乾燥して縮みます。この時傷を締め付ける効果があるわけですが、板に変なストレスをかけることになります。それが原因で表板が割れてしまったものも見たことがあります。特に日本のように湿度の変化が大きい国では季節によって変化が起きるので、あまり用いないほうが良いかもしれません。和紙のほうが良いかもしれませんが、こちらでは入手が難しいです。
羊皮紙はごく薄いものを使うべきです。厚い物では縮む時の力が強いからです。

いくつかの傷をまとめて補強することでシンプルになりました。できるだけシンプルな方法で効果が得られるのが職人の仕事としては最良です。補強も強すぎるとそのすぐ横がウィークポイントになります。
特に古い傷が開いていた部分を重点的に補強しています。それ以外は補強しすぎないように気をつけました。

木片を取り付けるとフレームを外しても表板の歪みは小さくなりました。タッピングで叩いてみても響きが豊かになったようです。それでも製作中の楽器の表板に比べるとボワンとにぶい音がして心もとない地味なものです。それがオールド楽器です。こんなことからもヴァイオリンは強度が十分なので板が風化して強度が落ちても問題がないのでしょう。アーチを平らにしても板を厚くする必要がないのもあり得ることです。



裏板や横板にも割れがありますので補強します。

ラベルは偽造です。普通は偽造ラベルは古さをサバ読んで楽器よりも古い年号にするものです。
日本の楽器店で古い楽器を買った人の話を聞くとサバを読んで実際よりも古く言うのが当たり前のようです。楽器店で説明を受けた場合それよりもずっと新しいことが多いでしょう。コーナーブロックのないヴァイオリンの質問を受けましたが、そのようなものは1900年前後に多いものです。

日本の楽器店の営業マンがなぜサバを読んで年代を古く言うのかですが、厳しい営業ノルマや営業成績が求められることも背景にはあるでしょう。このようなことは弦楽器だけではなく日本で「社会人」と呼ばれるものなのかもしれません。前回の話では200万円の予算でヴァイオリンを探していたお客さんが100万円以下のものを気に入って買うことになりました。日本の営業マンなら200万円の予算なら250万円以上のものを売らないと社長に怒られるかもしれません。しかしうちは社長が接客してましたから・・・のん気なものです。

食品業界でラベルの偽造があれば大きなスキャンダルになるでしょうが、ヴィオリンでは西洋でも古くから当たり前のように行われたきた「商慣行」と思ったほうが良いでしょう。誰もが知っているような大手の楽器店でも初めからそのようなラベルが貼られたものなら「自分の手を汚さず」に楽器を売ることができます。だから彼らが興味を持つのは「良い偽造ラベルが貼られた楽器」なのです。またノーラベルで作者も年代も不明となるとサバを読んで売られていると考えたほうが良いでしょう。


しかしこの楽器はラベルの年号よりも古いと思います。ラベルの作者は、ガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッターでドイツではいち早くストラディバリを模してヴァイオリンを作った人です。この楽器はいわゆるシュタイナー型なので全く違います。ブッフシュテッターも若い頃はシュタイナー型の楽器を作っていたかもしれませんが、年代が違います。ラベルの紙質も形も違います。今メンテナンスのために本物のブッフシュテッターがあるので見比べてみましょう。
このようなものは日本で違いが分かる人が少ないでしょう。ブッフシュテッターの偽造ラベルがついたものを日本の店頭で見たことがあります。

このような偽造ラベルが貼られるということは、シュタイナー型のオールド楽器が「良くないもの」と考えられてきたということを表しています。
この辺の考え方もそろそろ見直してもいいのではないかと思います。近代の思想では近代の楽器のほうがオールド楽器よりも優れているということになります。

19世紀の人たちには時代遅れに思われたオールド楽器も今となってははるかに貴重なものとなりました。近代以降の楽器のほうがありふれてしまったのです。

電車でも新しい車両が出るとカッコいいと思うかもしれませんが、やがてほとんどが置き換わって見慣れてしまい、古い車両が最後の一台になったときにファンが別れを惜しみます。そんなことが弦楽器でも起きて来たと思います。シュタイナー型の楽器は私も含め現代の職人には作ることができず今では珍しいものです。1900年頃に作られたシュタイナー型の量産品は全く違います。


駒の脚のところのヘコミも写真でも分からないくらいに直りました。しかし楽器全体としての変形があり、アーチが三角形になっていてきれいな丸みまでは戻せませんでした。しかし駒の脚のところがへこんでいると駒が不安定になり転倒などの危険も高まります。接地の確実性や音の面でも違いがあると思います。

基本的にオールド楽器が変形しているのは当たり前のことで、必ずしも音が悪くなるというわけではありません。酷く変形して見るからに無残なものでも、意外と音はオールド特有の心地の良い音がしています。どちらかというと柔らかい音になるのかもしれません。元気よく強い音は失われているかもしれません。

表板をあてがってみて指板の角度や向きを確認します。

指板を先に接着してから表板をつけます。

ペグの穴はすべて埋めました。新しいペグを取り付けると使い勝手も向上することでしょう。ペグの材質は黒檀にします。特に日本のような気候の厳しい所では密度が高い黒檀のほうが優れているでしょう。オールド楽器には明るい茶色のツゲのものをつけることが多くありますが、これだけニスの色が濃いと似合わないように思います。シンプルで機能的なのが通好みです。プロの演奏者でもそのほうが良いでしょう。年々入手が難しくなっている黒檀のほうが高級木材となるでしょう。

新作楽器の製作です。

小型のヴァイオリンですがネック部分はほぼ同じです。

ホームセンターに売っている手動のノコギリでも十分に切れます。

ペグの穴はボール盤で開けておくと一番狂いが少ないものです。

ペグの穴は貫通していませんが十分な深さまで開けてあります。外側の加工が終ると幅を狭めていきます。

穴が出てきました。

両サイドができるとペグボックスの中を彫ります。

この時ペグの穴があるとどれだけ深く彫るべきか分かりやすいです。ペグとペグボックスの底との間に弦が収まるスペースが必要になります。弦が挟まるとスムーズに動きません。職人に必要なのはそのような気配りです。

前面と背面も彫っていきます。


白木は写真に撮るのが難しいです。




ピエトロ・グァルネリもスクロールはそんなに正確ではありません。毎度毎度全く同じではなくばらつきがあります。アマティの名残があり、ストラディバリとはだいぶ違います。



ヴァイオリン製作学校の生徒が夏休みの実習に来ることになりました。ピエトロ・グァルネリなんて言っても「?」くらいのものです。まずグァルネリが5人いることを暗記しないといけません。初代がアンドレアでアマティの弟子です。息子が二人いてピエトロとジュゼッペです。ジュゼッペには息子が二人いてピエトロとジュゼッペです。…ややこしいですね。
決められた寸法に正確に木材を加工することが非常に難しく、今は悪戦苦闘していることでしょう。それを多少でも楽にできるようにテクニックを教えたいと思いますが、それをマスターしないままプロの職人としてやっている人も多くいるはずです。

保守的な職人でも楽器を預けたりするにはまだ安心です。説教するようなら頭が固すぎるかもしれません。



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職人と演奏家はプロでもそれぞれ全く別の職業です。両者のコラボレーションで弦楽器の音が醸し出されるわけです。職人側の論理と演奏家の求めるものが全く合っていないことが普通でそれが葛藤になっています。成功している職人は演奏家の求めることに応えられているということになります。ただ演奏家も色々いますからニーズも様々です。一方で古い職業なので職人は自分本位の考え方をしている人が多いでしょう。お客さんよりも師匠の顔色のほうが重要なのです。職人の論理で物を考えお客様本位で物を考えるなんてことはなかなか無いでしょう。マーケティングなどという現代の論理的な概念を理解できる人というのは少ないでしょう。



通常、店頭で起きることというのは、演奏家は楽器自体には無頓着で興味もありません。職人からチクチクと説教を受けてムカッとくるものです。

典型的なケースでは、いろいろな店を回ってたくさんの楽器を試奏して最高の一台を買ってメンテナンスために持ってきます。職人からすると「なんでこんなヴァイオリンを選んだんだ?」と思うことがしばしばです。職人が学んだ良い楽器の知識とかけ離れているところを指摘すると「でも音が良いのです」と演奏者は反論します。
つまり職人の論理で良い楽器というのと音楽家の求める良い楽器が全く違うのです。

先日もお客さんが200万円以下くらいでヴァイオリンを選んでいました。例によってセールストークや説明は一切なく、ただただ予算内の楽器をずらっと並べ値段や作者名は見ずに弾き比べます。なぜそのようなやりかたをするかといえばそれが最も公正な楽器の選び方だと考えるからです。日本人には理解できないかもしれませんが理にかなっていると思いませんか?これが西洋人のものの考え方です。

私は直接応対はしておらず後で、師匠がそのお客さんは「奇妙な好み」を持っていると言っていました。職人が良いと思うものはことごとく除外されて、良くないと思うような楽器ばかりを選んでいたそうです。結局100万円もしないものを選びました。こうなると、音が良い楽器の条件とは「なんでも良い」としか言いようがないです。

そんなことは日常茶飯事なので、職人の間で信じられてきた「通説」なんてのは理屈の世界のもので、現実世界では全く通用しないし、はっきり言って信じるには値しないものです。私は職人側の論理が間違っているのではないかと反省をしています。


一応ブログを読んでいる人はユーザーを想定しています。もちろん同業者の人やアマチュアで楽器を作っている人もいるでしょう。まだ演奏はしたことが無いけども興味がある人もいるでしょう。

普通はユーザーである演奏者は楽器のことについては無頓着であまり興味が無いので以上のような感じです。しかしどうも読者の中には全く逆で、職人の側の論理を信じている人がいるようです。私は職人なのにそれを否定しようと一生懸命分かりやすい説明を考えています。なのに全く分かってくれません。なんで職人が職人の論理を一生懸命否定しないといけないのでしょうか?


もう一つは、演奏家は音に強く興味があり、職人は当然そのことを理解しているはずだという前提で考えている人がいます。つまり「専門家なのだから音のことを誰よりも分かっているはずだ」と考えているのです。しかし実際には今の説明のように、職人は職人の間で伝えられてきた「通説」を信じているだけで音の仕組みは分かっていません。それを反省してどうにかしないといけないなと私は気付いたところなのです。しかし取り組むほどこれは難しいものです。だから、今の段階で音が良い楽器の見分け方として言えることは次のようなものです。

音が良い楽器とは、弾いて良い音がするもの

当たり前だと思うかもしれませんが、これ以上でもないしこれ以下でもありません。弾いて音が良ければ作りや構造、値段や製造地などはどうでも良いのです。これが分かったら十分です。
むしろそれは音楽家側の楽器の見方であり、職人や楽器店の論理がまちがっていることです。難しいけどもできるだけ音楽家の側に立ってものを考えるように心がけるのが課題です。理屈やカテゴリーで区切って考えると良い音の楽器をたくさん見落とすことになります。そのようなものはオークションなどでコレクターには注目されず値段は安いのです。それと音楽の現場で道具として求められてる楽器は全く違います。

この時職人が言えるのは、弦の長さやネックの長さなどが間違っていると演奏しにくいということです。ペグが古くなっているとスムーズに調弦できないので修理が必要だということ、駒や指板のカーブがおかしいと弦を抑えにくかったり、弓がほかの弦を触ってしまうなどそのような基本的な事だけです。それとて演奏家の好みに応じてカスタマイズが可能です。
古い楽器なら状態も重要です。国立劇場のコントラバス奏者がひどいがらくたのようなものを次々と持ってくるので論争になります。何百万円という修理に税金を投入して良いものなのでしょうか?

楽器の値段を決める場合には音は関係ありません。全体のほんのわずかな「有名な作者」の古い楽器ではオークションなどの相場で値段が決まるので、楽器が本物か偽物か重要になります。明らかな偽物は職人には見分けられます。本物かもしれないとなると鑑定に出すことを薦めます。しかし音の良し悪しは真贋とは関係ありません。

そうでないものは楽器の品質で値段を決めます。しかし音は品質に比例しません。職人は品質の良いものを作るように教育を受けるため職人が良いと思うものが音にしか興味がない演奏者には的外れなのです。

こんな状況だということを分かってもらいたいのに、なぜか「職人は音のことを知り尽くしているはずだ」という前提で考えている人が後を絶たないのです。音の仕組みを理解することがいかに難しいかということをずっと説明していますが、全く聞いてくれません。名器でも表板を開けてみれば何も入っていません。普通の楽器と何も変わりません。普通の楽器なら音が出るので好きなものを選ぶだけですよ。

私が分かるのはたくさんの楽器の音を聞いているのでその音が世の中にある楽器の中でどういう傾向かということです。演奏者は自分の楽器しか知らないため、慣れてそれが普通になっているのでそういうのは分かりません。でも自分の楽器の音についてはとても細かい違いが分かります。それは私には分からないので説明をしないと分かってはもらえません。
しかし楽器製作の時に自由自在に音を作り分けることはできないし、音を聞かず作りだけを見て音を予測することはできません。

学生さんが工房を訪れ勉強のためにいろいろな楽器を試奏していました。私は仕事をしていたので何を弾いているかは見ていません。仕事をしながら音だけを聞いていてそれが数千万円のものなのか数百万円のものなのかもわかりません。どこの産地の時代もいつのものかもわかりません。量産品でも分からないでしょう。
私は楽器を見ればたちまちそれがどんなものなのか分かってしまうので、見てしまうと偏見を持たずに音だけを評価することができません。


しいて言えばコミュニケーションに長けていると「音を分かっている」という体裁を演じることができます。また、自信満々で先生のように説教してカリスマ性を発揮して宗教の教祖みたいな職人を求めているのかもしれません。しかし残念ながら人間が神様ではないように、職人も神様ではありません。職人からすれば「カリスマ職人」というのは嘘でしかないです。それを信じるから騙されるわけです。

思い込みの激しい職人は訳の分からない自論を持っていて、相手の楽器がなんであるかに関わらず、謎の調整法や改造を提案をしてきます。そんな楽器はダメだと買い替えを促すかもしれません。本来なら楽器や演奏者の希望によってやり方を変えるべきですが、このタイプは自信満々に語るので説得力があるのです。しばらくは洗脳されていますが、いつか気付くときが来るかもしれません。

私を含めそのような職人に騙されないようにするために、公正な方法で楽器を選ぶのです。
職人の私が職人の論理に騙されないように注意を喚起して文章の大半を占めているのにそれが頭に全く入って行かないのは不思議です。

分かる人はうんざりしてるかもしれません。

職人が音のしくみをどうして理解できないか具体的に説明すればするほど、説明するために持ち出した例の些細な所に興味を持って好きな所だけ読んで勘違いをどんどん深めていきます。私は人間だから間違っていることはいっぱいあるし、説明不足になることがいくらでもあります。そもそも私もわかっていないし、職人にも全然わからないと言っています。
分からないと言っているのに「いやそれは嘘だ、職人は分かっているはずだ」と思われてもどうしようもありません。
説明不足が無いように何度も見返すと一回記事を書くだけで5時間も6時間もかかってしまいます。だから話の主題を読んで欲しいです。

理解できている人を優先して、ついてこれない人は置いていきましょうか?
読めば読むほど勘違いを深めていくことでしょうが、そちらの国語力の問題で私の国語力ではどうにもできません。バブル時代のころから間違った考えが広まってきましたが、今度は私がその原因になるのかもしれません。だから私の言うことが信じられないなら読まないでください。
反論を認めないのはおかしいと思うかもしれません。でも私は良いものはこういうものだけだと狭めるのではなくて「何でも良い」と言ってるのですから、あなたが良いと選んだならならそれを尊重します。好みの問題です。


私が職人の論理を否定して演奏家側の考えを教えるという、現実世界とは逆の葛藤があるのがおかしいですね。笑ってしまいます。

ブログも最初のころは弦楽器について誤った理解が広まっていくことをオカルトに例えていました。UFOについてアメリカ政府が否定するほど「政府は隠しているに違いない」という考えを強めていきます。だめだこりゃ・・・・。

インチキの理屈で「画期的に音が良いヴァイオリンの製法を発明した!」とか「ストラディバリの理屈を解明した!」とかいう業者にどうぞ騙されてください。助ける義理なんてありません。彼らはそのような消費者のニーズにこたえているのだから報酬を受けることができるのは理にかなっています。


今紹介しているオールドヴァイオリンでも私は絶賛しているわけではありません。私が理想的であると思うならコピーを作るでしょう。理想的でない部分があったとしても古さというアドバンテージがあります。この程度のものでも1900年以降のものに比べると欲しいと思った時にいつでも買えるわけじゃありません。基本的に弦楽器は同じもの、同じ音のものに2度と出会うことができません。これをスルーしたら次いつ出会えるか分からないのでもったいないなと思いました。モダン楽器でも19世紀のものになると少なくなりますが、オールドはずっと少ないです。20世紀の「通説」に基づてい作られた様なものはたくさんあります。音は好みですからそれで満足な人はそれで良いですよ。
ハンドメイドに限ってもオールド楽器なら1900年以降のものの1/10も無いでしょう。その上作り方がバラバラで個体差が多く「室内楽用」と呼ばれるようなものがかなりあります。状態も品質も様々です。それに比べると優秀なものが揃っているのが近代や現代の楽器です。皆理由もなく微妙に音が違うので試奏して好みのものを選ぶことができます。それでも常識の枠の中の話になってしまいます。100万円のものでも1000万円のものでも職人からすると大した違いは無いように思います。1000万円するこれはすごい楽器だと紹介されて、弾いてみてもピンとこなかったとしても自分の耳が悪いのではなくて、あり得ることです。野菜や果物で形が整っていないと価値が10分の1になるかもしれません。メロンなんてT字型のヘタがついていないと価値が激減するそうです。そんなの日本だけでしょう。
楽器の売買の場合には形の違いは売っている人も見分けられないのでついている名前によって値段の差が出るものだと思ってください。商業上の価値はそれくらい危ういものです。

これに限らずたいしたことが無いようなものでもちゃんと向き合うと一人の職人の人生があるんです。それをないがしろにはできません。

ヤコブ・シュタイナーと見比べてみると基本的な形はよく似ています。明らかにシュタイナーをお手本にしています。でも仕事のクオリティはシュタイナーよりは落ちます。しかし、もっとひどいものはたくさんあります。ただ音について言うと、ちょっとルーズなくらいの方が経験的に良さそうな感じもします。イタリアのものはもっとルーズなものがたくさんあって、適当に作ってあるのに音が良くて驚くことがあります。デルジェスなんて言うなればアマティを適当にしたものですから。デルジェズは凡人だと思います。アマティのように凝って作る方が変人です。
お金があれば良いけども、音楽家が買えるような値段かという問題です。

偏見が全くなかった場合に本当に値段によって音が違うのか分かりません。
ヤコブ・シュタイナーが2000万円以上して、今修理しているシュタイナーモデルのものが200万円ほど。お金で言わると圧倒的に違うように思うかもしれませんが、職人からすると音響的に差になるような作りの差があるとは思えません。
作者の癖というか個体差のような音の違いはあるでしょう。シュタイナーの実物があるので仕上がったら比較してみましょう。楽しみです。マルクノイキルヒェンの近代のものの方が圧倒的によく鳴るかもしれません。

何千万円もするからオールド楽器はありがたく思われて、そうでないとだれも見向きもしないのかもしれませんね。オールドでそんなに安いのはどこかおかしいのではないかと疑っている人もいるかもしれませんが、おかしくないものを私が見抜いてまじめに修理もしてます。骨董品としてシュタイナーが美しいのは間違いなく王侯貴族が家宝としてきたのは分かります。ドイツ語圏のオールドでこれを超えてくるものは皆無です。アマティと比べると癖があって意識が行きわたり細部に凝り過ぎている感じがします。シュタイナーの方が日本庭園のように隅々まで意識が行き届いてきっちりしています。イタリアでもアマティやストラディバリだけが美しくて他のものはいい加減です。これが近代以降になると、無名な作者でも細工が優れたものがいくらでもあります。じゃあアマティのほうがシュタイナーよりもバランス感覚が優れているかというとそれも違います。アマティはアマティで独特です。単にコンパスを多用したのかもしれませんが、丸みに対して異常にこだわりがあり不自然さがあるように見えます。近代や現代の作者のほうが紙の上で「デザイン」をしダイナミックで調和の完全なものを作っています。ストラディバリはアマティよりもちょっと力が抜けています。デルジェスは抜け過ぎです。
アマティやシュタイナーのようなオールド楽器は今の人からすると「なんでこんなものを作ったの」と思うような無駄があります。何か製造上の制約があったのだと思います。私がオールドと言う時は時代が単に古いという意味ではなくてアマティやシュタイナーの楽器製作のスタイルをイメージしています。ベルゴンツィとかG.B.グァダニーニくらいになるとオールドらしさはかなり少なくなっています。

イタリアのものの方が仕事はルーズでいい加減、その方が音が良いならこのようなシュタイナーよりも質が劣る南ドイツの楽器も音が良いかもしれないということです。粗雑に作られたオールド楽器は今で言うと量産楽器のようなものだったことでしょう。それが今ではイタリアのものならシュタイナーと同じくらいの値段がします。職人が感じる「物の価値」と値段はかけ離れています。音についてもそうです。

後は実際に音がどうなるかが楽しみですね。


南ドイツのオールドヴァイオリンですが、AとGだけペグの穴が大きくなっていたので埋め直していましたが、位置がおかしいのでD線のペグも埋め直す必要が見つかりました。右から二番目の穴ですが、ペグボックスの背面に近すぎます。このためペグボックスの中で十分なスペースが無く弦が挟まってしまいます。底を深く彫ると穴が開きそうなのでできません。そのため埋め直すことにしました。そうなるとE線の穴もついでに埋めましょう。すべて同じ太さのペグを入れることができます。細めのペグのほうが弦を巻き取るスピードがゆっくりになるので微妙な調弦がしやすくなります。しかしあまり細いとペグが曲がり軸が狂いやすくなるかもしれません。特に日本の気候では気を付けたほうが良いかもしれません。

バスバーのところには割れがあります。特に駒の付近では力が集中するので補強の必要があります。しかしバスバーがあると邪魔なので木片などをつけることができません。
そこで板をくりぬいて新しい木材を埋め込みます。この時くりぬいた表板が薄くなるので押してあげると駒の圧力でへこんだ部分を戻せます。さらに新しい木材埋め込むのでヘコミが戻るわけです。
表板の方は過去に修理がされているのでやる必要はありませんが、過去の修理ではヘコミは直されていないのでせっかくなのでバスバー側だけじゃなくて魂柱側も同様の修理をしましょう。


バスバーのところにはいくつも割れ傷があります。これをパッチを埋め込んで補強すれば駒の力がダイレクトにかかる所ですから音にも影響があるでしょう。

新しい木材が入ることも音に影響があるはずです。場所が場所だからです。基本的には明るく健康的な音になるはずです。暗い音がオールド楽器の魅力ですが、弱ったような音ではいけません。日本人には決めつけからドイツの楽器だからこもった音だとか言われてしまいます。
もちろん多少音が変わるという意味であって、まるっきり別の楽器の音になるわけではありません。新作のような明るい音になると理解してどういうことだ、おかしいじゃないかと考えないようにしてください。

パッチの面をピッタリ合うように加工します。大きいほど面積が大きくて大変ですが、小さいとカーブが急になるのでそれもまた難しいです。

しっかりと接着します。

前回とった型を当ててしっかりと押し付けます。それでアーチのヘコミが直るわけです。

もう一つも同様に付けます。

削って元の厚みにします。へこんだのが膨らんだ分多少以前よりも厚くなるでしょう。

すっかり凹凸が無くなりました。

木目は表板の木目に対して多少斜めにすると再び割れるのを防ぐことができます。

凹凸が無くなったところにバスバーをつけます。フレームに固定すると表板を平らに伸ばした状態でバスバーを取り付けられます。曲がったところにつけると表板を接着するときに割れなどの原因になります。

両端がちょっと空くようにします。多少は表板を押す力があり、それもヘコミを下から押し上げることになります。

接着します。

以前はもっと太いバスバーがついていました。7mmありましたが5.5mmにしました。表板の割れを補強する意味があったのかもしれませんが、今回はパッチを入れているので補強されています。以前はバスバーに柔軟性がなさ過ぎたのかもしれません。高いアーチなので難しいですが、多少なりとも太く豊かな音になれば良いです。
あとは割れに木片をつけて補強します。


新作楽器です。板目板ですが木目の模様がすごいですね。ちょっと目立ちすぎます。


自作のステインで着色するとこのようになります。木目の線のところは密度が高いため液体を吸い込みにくいです。このためステインが入り込まずに他のところに色がつくので木目がそれほど目立たなくなったというわけです。いかにも板目板の雰囲気が出てきました。これは乾燥状態ですから透明の樹脂が入ると濡れ色となり奥行というか深さが出るようになります。
こんなのも経験のなせる業で昨日今日できるものではありません。

アーチも柔らかくふんわりとしたカーブが出ています。

表板は着色することはできません。何故かというと場所によって液体を吸い込む量が違うからです。いろいろなテクニックを研究したことありますが、何もしないほうがきれいにできます。表板はアンティーク塗装で汚れをたくさんつけるので良いでしょう。
表板で染めに失敗すると取り返しがつきません。染み込んだ色は抜けないからです。
例えばプレッセンダなどは表板に色が入ってしまい大惨事なっています。あんなひどい失敗はしたくないので着色しない方法を取ります。

どちらもまだまだ続きます。
本当のオールド楽器と自分の作ったもので音が比較されるというのも面白い経験ですね。普通は新作とオールド楽器は価格帯が違うため比較されることは無いので職人は偉そうにしていられるわけです。



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南ドイツのオールド楽器の続報から。

近代や現代にはヴァイオリン製作のセオリーがあって私も修行を始めて初めに学びました。「通説」と信じられているものです。初心者が学ぶ知識のほうが確からしく見えます。深く取り組んでいくほど分からないことが多いことに気付きます。通説を学んで「自分は分かっている」と思って一生を終えればそれはそれで幸せでしょう。私よりも確かな知識があるのなら、これ以上私のブログを読む必要もありません。読む人が少なくなればより深いことが書けるようになっていきます。

まじめに通説通りに作られた楽器は比較的たくさんあり、いつでも買うことができます。それで満足している人はそれで良いですよ。なにも否定しません。まじめに作ってあれば良い楽器だと思います。中古品では新品よりもよく鳴るようになっていて値段も多くの場合には新品よりも安いです。それ以上にはるかに粗悪品が多いものですから立派なものです。定説も勉強せず自己流であれば一生プロのレベルには到達しないでしょう。

ただし、セオリー通り作っていると現代の楽器の常識を超えた違う音のものが作れません。
違う音が必ず優れているという意味ではありません。しかし音にキャラクターがあれば好きか嫌いかの感情を持つこともできるでしょう。


現代の通説では良くないとされているような楽器に興味を持つと面白いかもしれませんよと紹介しています。何故かというと現代の通説通り作られた楽器と違う音がするからです。それでいて場合によっては値段も安いのです。
紹介しないほうが良いかもしれませんね。欲しくなっても数が少ないので全員の分はありませんから。

私も職人として初心者の時に現代のセオリーを学びました。しかし実際にいろいろな楽器を目の当たりにするともっとセオリーから外れても大丈夫だということを経験しました。
オールド楽器やモダン楽器では現代のセオリーから外れたものがたくさんあり、必ずしも現代の楽器よりも音が悪いということはありません。それどころか魅力的な音のものもたくさんありました。私が個人的にどう思うかというだけではなくお客さんの反応も見ています。こちらでは、何の予備知識もなくただただ試奏して楽器を選んでいます。現代のセオリーで作られた楽器が音で選ばれて人気が集中しているという感じはしません。…言いにくいことではありますが、どちらかというと売れ残っている感じです。職人から見ると正しく作られた良い楽器だと思うのですが。音の好みが変わってきたと師匠も言っていますが楽器の選び方が変わったのもあります。かつては職人を尊敬して言い分を聞き楽器を作ってもらうという感じでした。今はとにかく試奏して音が良い楽器を選ぶというふうに変わってきました。
そのような新作楽器を作ってもなかなか売れないのでどうしたものかという感じです。うちでもかつてはそういうものをコンスタントに作って売れていましたが年々人気が無くなってきています。それでも音は好みなので好きな人もいるし、日本人の好む音なのかもしれません。

セオリーが間違っているというよりも正解が狭すぎるように思います。もっとめちゃくちゃでも大丈夫だと思います。ニコロ・アマティは理屈上正しいはずの現代の楽器とは全然音が違って濃厚なコクがありました。「こう作ると音が良い」というはっきりしたマニュアルがなくもっとアバウトなのが本当のところでしょう。そのアバウトな理解の仕方が職人としては経験とか熟練です。一般に仕事のマニュアルは意味が分かっていない新人にもパートタイムの労働者にも同じ仕事をさせるのに役立ちますが、精通した人にとっては浅はかなものです。誰も意味が分かっている人がおらずマニュアルだけが受け継がれ、意味の分からないしきたりが職場にはあるものです。

現代のセオリーは現代の一時的な考え方であって未来には変わるかもしれないし過去には違っていました。その知識は今という時代に制約されているのです。いうなれば確かさを求めるほど「時代の奴隷」になっています。そこから自由になるともっと弦楽器は面白いですよ。頭が固い人には無理でしょう。お客さんの反応からするともはや現在ですらないような感じもします。21世紀になって20年も経っているのです。


オールド楽器の場合にはケチをつけていくと全く買うことができません。ここが良くないとかそういう点を見つけて否定していくと何も買うことができません。究極の楽器を探して一生買う日が来ません。その数十年の間、宝くじを買い続けるよりも不完全なものでも弾いて楽しんだ方が建設的な人生です。文句を言ってるうちに他の人に楽しみを取られてしまいます。
師匠はかつて韓国の人とやり取りがあり韓国の人が完璧さを求めることを言っていました。「そんなものはあるわけない」と言っていました。矛盾した要求をしていれば夢がかなう日は来ません。寛容さが必要です。そして楽しみを得るためには世間を出し抜く狡猾さも必要です。
先生や年配の人では昨今の楽器や弓の値段の値上がりを知らないことでしょう。
良いものだけでなくそれにつられて何でもないものまで高くなっています。
かつてはバカにされていたものでも頭を切り替えて、お金ではなく楽器としての魅力を見直してみるのも他人を出し抜くテクニックです。・・・それこそ教えるべきではなかったかもしれません。


最近はアナログレコードの生産が伸びていると聞いたことがあるかもしれません。それと同じようなことでオールド楽器というのは独特の世界があります。しかし資金が数千万円ないと踏み込むことさえできないのでは99%以上のユーザーには楽しむことはできません。
しかしながらアナログレコードで音楽を聴くことは主流ではないでしょう。あくまで趣味趣向の話をしています。新しいものが出てくると古いものは主流ではなくなります。でも根強いファンがいたり、新しい世代には新鮮に感じられることもあるでしょう。

このブログも毎日数百回見られているようですが、その全員がオールド楽器の世界に踏み込む必要はありません。通説通り作られた現代の楽器が好きならこれ以上読む必要もないです。

普通は数千万円するオールド楽器が場合によっては100万円もしないものもあるし新作と同程度のものもあります。弦楽器に興味があるならそのようなことはとても面白いことだと思います。そのようなズルい道があることを許せない人もいるのかもしれませんね。

今の時点で割れが開いているわけではありませんが、傷が黒い線になっているのでやり直せばもう少しきれいになるかもしれません。

接着をし直すとだいぶましにはなりました。ニスがはがれていますが、もともとニスが無い所ですからニスの補修でさらに何とかしましょう。こうやって手をかけると職人としてはお宝感が出てきます。

内側には新しい木材を張り付けて補強します。

周辺の割れを接着するとこのように板に押し付けて伸ばすことができるようになります。割れがあると開いてしまうからです。古文書でも板に挟んで重しをして伸ばすなんて聞いたことがあります。江戸時代の楽器ですからやってることが同じですね。

駒の脚が来る部分を中心にアーチがへこんでいます。必ずしもこれで音が悪くなるわけではありませんが、直せたらアーチの丸みが出て作られた当初のような玉のような美しさになることでしょう。

プラスチック板をあてがうとこんなにへこんでいます。

型取りをします。表面に付着しないようにするために錫箔で覆います。

取った型を削ってヘコミを修正します。そこに表板を押し付けるわけですが、また次回です。


外からは分かりませんでしたが下のブロックが割れていました。ちょっとしたことなのにどうにもならないので交換することにしました。これは結構難しいものです。形が変わってしまうと表板の形と合わなくなってしまいます。新作楽器なら裏板と同じ形のはずです。しかしオールド楽器ではそうではありません。


エンドピンの穴も埋めて開け直しました。過去の穴の位置は楽器のセンターから少し外れていました。オリジナリティという点では元の位置に穴をあけたほうが良いのかもしれませんが、このほうがテールピースのおさまりが良いです。

穴の位置がブロックの中心からは外れています。過去のブロックもオリジナルではなく横板の損傷を補強するために大きなものにしてありました。このため穴が中心に来ていません。しかし楽器の中心線に来るようにしました。

こうやって大事に大事に修理していくと愛着がわいてしまい、客観的には見ることはできません。こうなると私には音を第三者として評価することもできません。

職人の興味関心はへこんだ表板をどうやって直すかということです。私には面白いことでも音楽とは全く違う種類のものです。

ちょうどグランチーノが来てましたが、測っていませんがサイズ的には同じくらいかもっと小さい感じです。値段は10倍以上違いますが、職人の感覚だとそこまで違いがあるようには思えません。音は頭ではなく耳で評価するしかありません。
グランチーノのほうが仕事は雑です。ミラノ派は庶民向けの楽器を作っていたようです。ちなみにミラノもクレモナもオーストリアの配下になります。


自作のヴァイオリン

現代のセオリーを一つ一つ見直して本当にそうでなくてはいけないのかということを実験してきました。極端に言えば近代のヴァイオリン製作ではストラディバリだけが正しいヴァイオリンということになります。このため「当時の人の目に写った」ストラディバリの特徴をルールとしてまとめ、ストラド型のヴァイオリンの作り方が近代以降のヴァイオリン製作法となりました。それだけだと飽きるのでデルジェス型も作られるようになりました。しかしオリジナルに忠実というよりも多くは、ストラド型の作り方で形だけを変えたものです。「ストラド型=普通のヴァイオリン」で作っているのにそう見えないものはたくさんあります。

作る人によって音が違うということを言っています。同じストラド型でも人によって音が違います。ストラド型で作っても別の人が作ればバラバラの音になるのならストラド型にこだわる必要が無いように思います。

しかしあまりにもストラド型のヴァイオリンが普通であるため他のものを作るのが難しいです。現代の職人はストラド型とガルネリ型以外のものを知らないのです。
だからコピーではなくて、自分でデザインしても基本としてストラド型の特徴が残ってしまうのです。形だけを別にしても楽器の作りの根本がストラド型の近代や現代のものと変わらなければ真正面から見たときの形が違うだけで音にもさほど違いは出ないでしょう。

ストラディバリやデルジェスと違うものとして私はアマティやマントヴァのピエトロ・グァルネリのモデルで作ってきました。それでもすごく狭い範囲の話ですね。同じ流派としての共通基礎があるはずです。その基礎を理解すると、ストラディバリやデルジェスのことも単純化され理屈にされ伝言ゲームのように伝わって来た「通説」よりも深く理解できるのではないでしょうか?

アマティのモデルは近代以降イタリアやチェコのプラハなどで作られてきました。しかし、完全にオリジナルというよりは近代風に手直しされています。つまりストラド型の作り方の影響を受けているのです。職人の感覚からするとストラド型のようになっていないと「おかしい」と感じるからです。

ピエトロ・グァルネリはぷくっと膨らんだアーチで形も丸みを帯びています。玉のような楽器です。こういうのも1600年代のオールド的です。真似て作ってみると音も普通の現代の楽器とはだいぶ違います。私が現代のセオリーで作ったら出ない音じゃないかなと思います。音はちゃんと出るので好きか嫌いかの問題です。オリジナルのアマティよりは薄い味ですが、典型的な現代のものよりは味があります。

音量が出ないので高いアーチの楽器自体を作るべきではないというのが「通説」ですが、実際に作ってみたら音量にはっきりした違いは出ませんでした。むしろ演奏者には手ごたえが感じられます。遠鳴りはフラットでも板が厚めのものよりは優れているでしょう。一方通説通り作ってもそんなに音量は出ません。だったら好きな音だと思う人がいればそれで良いと思います。

実際そのような要求があって、その人のためだけに一生懸命できる限りベストを尽くして作っています。他の人が気にいらなくても全く問題ありません。

通説が本当に正しいのか誰か検証した人がいるのでしょうか?
作ってはいけないと信じられているものを私の周りではほとんど誰も作ったことが無いです。これでは本当に通説が正しいのかもわかりません。


これ以下は日記的な感じで書いていくだけなので興味ない人は読まなくて良いです。一人の人のためだけに楽器を作っているのですから。

板の厚みの話をこの前しましたが、次はf字孔です。
f字孔はそれ自体が音がどうとかいうものではありません。少なくとも形を変えたら音がどう変わるか法則性は見出すことができないので「音を作る」という事には利用できません。実験のしようがないのです。f字孔の実験だけで収入を得るのは難しいです。

f字孔はとにかく難しい仕事で、ちょっとしたミスで大惨事になります。ミスすると後でニスを塗るときにずっと後悔します。でも逆に言えば完璧ではない楽器が多いという事でもあります。ストラド型を作った後にアマティ型のf字孔を開けようとすると形が違うので気持ち悪いです。慣れの問題でしょう。

オールドの時代には適当で、穴の丸の位置を決めて頼りない型紙があるだけでほとんどフリーハンドで開けていたようです。だから古い楽器では左右の形も全然違います。近代では当然テンプレートの型があってそれを左右反転させています。それでも目の錯覚で全く同じには見えません。ストラディバリのf字孔が左右傾きが違うのは有名です。本人には左右対称に見えていたのかもしれません。そういう本当に微妙な世界です。

もう一つ難しいのはアマティ派はf字孔が細かったです。魂柱も今よりもずっと細かったはずです。しかし現在では6mm以上の魂柱を入れないといけません。f字孔の幅を広げるとオリジナルとは全く違ってしまいます。それで大惨事になってしまいます。
また本やポスターなど平面の写真から型を起こすと立体になると形が違ってしまいます。特に高いアーチではどうしようもないです。それがピエトロ・グァルネリ型で作る時の問題です。厳密に言えばストラドモデルでも問題は同じです。

フリーハンドでやったらどうなるかわかりません。完成度が高い型がある方がはるかにリスクが低いです。デザインを決める時には紙をアーチにあてがって描くと後で誤差が出ないでしょう。

こんな感じで見比べながらやっていきますが線になるとよくわからないですね。大きさも全然違うように見えます。しかし後で完成したものの上端から下端を測ってみるとほぼ同じでした。もちろん遠近感があって作図は手前にあります。カメラのレンズが強調したのでしょうか?ピエトロの他の楽器を見るとf字孔はかなりばらつきがあります。本人でさえ同じものを二つ作れなかったのかもしれません。

アマティや弟子で父親のアンドレア・グァルネリともストラディバリとも違う独特のものです。丸い所の直径が大きい感じがします。ストップの位置などもオリジナルとは変えています。オリジナルは長すぎるストップでこれは短めにしていますから全然位置が違います。私はストップの位置が違うと見た瞬間にわかります。長すぎると売り物にならないので瞬時に気付きます。

ノコギリで切っていきます。ナイフで広げるのが簡単なので正確に切る必要はありません。

出来上がってみるとなんとなく雰囲気があるように思います。大惨事にならなかっただけでも良しです。20年以上やってきてようやくこの程度です。

f字孔の幅を現代のように広げるとおかしくなってしまいます。オールド楽器ではf字孔周辺の表板が何度も魂柱を入れ直し、時には強引にぐりぐりと押し込んだ作業で傷つき摩耗して広がっています。表板の変形によっても隙間が広がっています。クレモナ市の所有するジュゼッペ・グァルネリ・フィリウスアンドレアでは後の時代の人がf字孔を広げたのでしょう、ひどい大惨事になっています。観光用などの資料などを持っていたら見てください。本来はとても細いものだったと思われます。そういう高価な楽器の修理をしたのは一流の店かもしれませんがそれでも緊張したらやりかねません。そういう怖いものです。
右の方が若干広くなっていますが6mmの魂柱が入るギリギリです。ピエトロの特徴はfの横線に当たるノッチと呼ばれる「刻み」が大きいです。ここに魂柱がはまると少し余裕があります。
当初の作図とは切り抜く過程で多少変わりました。しかしアドリブでやるのはとても危険です。f字孔のところにちょうど荒い木目が入っています。とても硬くガタガタにならないように加工するのはとても難しいです。このような年輪のイレギュラーな感じは整い過ぎたものとは違うアクセントになることでしょう。

音がどうとかそういう話ではありませんが楽器の顔になるパーツですね。


バスバーを取り付ければ表板は一つの部品として完成です。

f字孔の左右の間隔もバスバーの取り付ける位置に影響してきます。アマティではとても狭いのに対してピエトロは大丈夫です。


現代とは違う時代に作られた楽器は現代の通説からは外れている要素がよくあります。当たり前ですね、時代によって考え方が違うからです。
現代の考え方から外れている楽器の音が必ず悪いということはありません。高価な楽器だけではなく何でもないような楽器も試してみるべきです。いろいろな発見があると思います。

現代のセオリーも間違っているとまでは言えません。しかし弦楽器の作り方にはもっと幅広い可能性があるように思います。現代の人が忘れてしまった可能性もあるかもしれません。少なくともそれを探求していくことが私の目指していることです。私は考え方がかなり変わっているところがあるでしょう。しかし頭を柔らかくして常識にとらわれないクリエイティブさもモノづくりでは重要な要素ではないでしょうか?




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こんにちはガリッポです。

ここのところ板の厚みの話をしてますが、板が厚い楽器がどれくらいの割合であるのか調べてみたいと思います。厚みを5段階に評価して数えていきます。

たまたま中古の量産楽器を整備する仕事が続いていました。何気なく厚みを測ってみるとどれもこれも厚いので「またか」という感じで驚きでした。ちょっとした発見です。中古の量産楽器の板が厚すぎることはよくあります。音が出やすい方がよく売れるのでできれば薄く改造するのがベストですが、コストが掛かるので仕方ないと断念していることがほとんどです。そういうわけで量産楽器の多くが板が厚いということは知っていましたが、はっきりとは語って来なかったもしれません。

つまり私が言ってる楽器の良し悪しというのはまじめに作ってあるか、手抜きをしているかその程度の話です。ちゃんと勉強した人がまじめに作ったものならその時点で良い楽器です。値段が100万円だろうが1000万円だろうが私には関係ありません。

それでも音はみな微妙に違うので購入する場合には試奏して好きなものを選ばないといけません。また手抜きをしたり雑に作られた楽器でも、一か八かであって絶対に音が悪いということは言えません。音は主観的な評価しかできません。まじめに作られたものでも音が好みでないこともあるだろうし、雑に作られたものでもたまたま音が気に入ることもあるでしょう。

20年以上やっていても私には作者が「天才」だとかそんなのは分かりません。分かるのは一人前の職人がまじめに作っているかどうかだけです。手先の器用さとか造形センスは分かりますが音とは直接関係ありません。

作者が天才かどうか私には見分けられませんが、量産品かハンドメイドのものかはだいたい見分けられます。それでも分からないものがあります。ハンドメイドの楽器だと思っていたものが、故障で表板を開けると機械で作った形跡が見つかってビックリすることもあります。見た目ではわからず匂いを嗅いで始めてニスがラッカーだと気づくこともあります。音大教授でも音で量産品とハンドメイドの聞き分けはできません。偽造ラベルが貼られた量産品を「良いね」なんて言って弾いていますから。

個人の職人では量産品っぽく見えてしまったら失敗です。ちょっとの油断で量産品っぽくなります。アンティーク塗装のノウハウなどは個人のほうが未熟な人が多いです。加工も機械よりも甘ければすぐに量産楽器に見えてしまいます。
日本でそんなイタリア製の新作ビオラを見せてもらったことがあります。値段を聞くと「こんなのがそんなにするの?」って感想になります。楽器だけ見せられ価値を査定するなら偽造ラベルの量産品だと判断してしまうかもしれません。もしかしたら実際に・・・。

普通は量産品は量産品を作るうえで技術が完成され同じようなものがたくさんあるのですぐに製造上の特徴や見た目の雰囲気で分かります。しかし中にはヴァイオリン製作学校を出てすぐくらいの未熟な職人のハンドメイドレベルのものがあります。
実際プロの職人としてやっていてもヴァイオリン製作学校以下の品質の作者がいるということは前にも紹介しました。それくらいのもので雑に作られていると量産品なのかハンドメイドなのか本当にわからないものです。モダンイタリアの偽造ラベルが貼ってあったりもします。
偽造ラベルが貼られたもののうち、量産品の産地の特徴が分からないものはややこしいものです。どこで誰が作ったか全くわかりません。工場なのか家でひっそりと作っていたのかもわかりません。ジュゼッペ・オルナーティの焼き印まで作ったニセモノを何度か見たことがあります。当然良からぬことに利用されるわけです。



専門家でも量産品かハンドメイドかさえなかなか見分けられないのに、天才を語るなんておかしくありませんか?
天才かどうかわからないのは私に才能が無いからかもしれません。それではなぜ営業マンには語ることができるのでしょうか?「天才だと言われています」という謎の出どころ不明の情報です。不確かな情報に大金を投入すべきでしょうか?

楽器の形もまじめな人は現代ではストラド型かガルネリ型になってしまいますが、変わった形の楽器を作る人も必ずどこの国にでもいます。変わった形についてそれが素晴らしい個性なのか、へんてこなおかしなものなのかどうやって評価することができるでしょうか?これも主観でしかありません。現実には値段が高い楽器の個性は素晴らしい個性で、安い楽器の個性は邪道だとかへんてこだとかみなされていないでしょうか?高い楽器なら何でも称賛されて、安い楽器はバカにされるというのはおかしな話です。


天才の定義は何なんでしょう?
弦楽器店にとって望ましいのは安く仕入れられ高く売れることです。すごい速さで楽器を作ることができて、そこそこのものが作れる人が天才ということになるでしょう。
消費者からすれば、慌てないでじっくりと作ってもらったもののほうが良いですよね。
この定義だと、戦前のチェコのボヘミアの作者などは天才ぞろいです。でもなぜか楽器店はそうは言いません。高く売れないと天才じゃないようです。つまり値段が高い作者が天才という謎の定義です。まちがっても天才だから値段が高いのではないのです。値段の高さはストラディバリやデルジェスとの関連性と考えると大きく外れていません。楽器の作りではなく、生産国などそのレベルのことです。ストラディバリやデルジェスに次いで高価な楽器は苗字が同じ家族のものです。そして同じ流派、同じ産地、同じ国となっていくわけです。


もう一つは、エンジニアリングのように音を作るのが難しいということです。板の厚みを薄めや厚めにすることで音は違ってきます。しかし漠然としています。厚すぎると全く鳴りませんが、厚すぎないという範囲で言うと私の経験では薄めの板のほうが低音が出やすくなります。でも薄くしているのになぜか低音ばかりが強いのではなくもっと高い響きも加わる場合もあります。厚みがあるのに高い音が抑えられて低音が強くなることもあります。
それすら曖昧ですが、どの線のどの音がどんな音だとか、音の出方とか発音がどうだとかそんなレベルではないです。音のキャラクターのうち厚みとは関係ないことがあります。

板の厚みは響く音域が楽器の音程の範囲に入ってくるかということです。
チェロで板が厚いと一番高い音のA線しか鳴らないのが、板を徐々に薄くしていくとG線が豊かに響き始め、さらに薄くするとC線も響くようになっていくわけです。この時C線が豊かになった代わりにA線は弱くなっています。もっと薄くするとA線はさらに弱くなっていくことでしょう。胴体が響く音域がチェロの音域から外れてしまいます。ただし物理的にその音域の音が響くことと演奏者が感じる音の強さは必ずしも一致しません。

このような話は私が実験して分かったことで、一般には知られておらず書かれている本などもありません。こういう技術的に考える発想自体が珍しいでしょう。

これを意識して職人たちが作っているわけではなく、板の厚さについては謎の設計方法がいろいろあるはずです。大概は理屈先行で実証をしていない机上の空論であることが多いものです。理路整然とした設計法がもっともらしく見えてしまいます。ダーウィンのような人でない限り、それを学んだり考案した時点で満足しています。受験生が参考書を買って満足するようなものです。職人はそんなレベルですよ。世の中なんでも結果を厳格に審査することなんて無く、実行する前のアイデアの段階で保守派と流行りもの好きが大喧嘩してますよね。終いにはアラ探しです。

私はその理論が正しいかどうかは興味がなく、それで厚めになっているか薄めになっているかとして受け止めます。理論によってはまじめに作っても厚すぎるものができる可能性があります。職人は「正しい作り方」を知っているということを誇りに思っているので「厚い板が本物だ」という都合のいい理論で自分を慰めます。私はプライドは捨てて結果に謙虚になるべきだと思います。




量産楽器の音が悪い理由としてこれまで「板が厚すぎるから」という説明は受けてこなかったでしょう。

それに対して言われてきたのはこのようなことだと思います。
量産楽器は何人もの人が分業で部品ごとに作っているので、「作者の意図」がないためだとそんなようなことです。
つまり天才の作者が意図して音が良いものが作り出せるということの裏返しです。


それに対して私の考え方を言います。
私は、板が厚すぎなければ多数の人が分業で作っても音は出ると思います。音を客観的に評価することができないので、主観でしかありません。分業で作ってもその音を気に入る人がいれば「良い音」です。

ハンドメイドでも同様で、厚すぎないように作れば、どこの誰が作ったものでも音は出ると思います。その音が良いか悪いかは主観でしかありません。ヴァイオリンが作れる程度の才能があってまじめに作れば条件はクリアーしています。

このような私の考え方の方が実際と合致しているように思います。お店や知人の楽器などをいろいろ試してみてください。


80年代くらいにウンチクが出来上がって行ったとすればその頃量産品は西ドイツ製か日本製くらいだったでしょう。それが今では旧共産国の国を中心に作られるようになりました。下克上です。
前回はドイツの量産楽器では厚い板のものが作られてきたという話でした。しかし中には薄い板のものもあります。日本で輸入されてきたものがどんなものなのかは私は分かりません。日本で名前を聞くようなメーカーのものがこちらではほとんど見ることが無いからです。

先日は教師と生徒がチェロを探していました。100万円以下くらいのクラスですが、先生は二つのチェロを気に入ったようです。一つは20年くらい前に作られたドイツ製の中古品で、もう一つは新品のルーマニア製のものです。
聞いているとルーマニア製のものの方が低音が豊かでスケールが大きな鳴り方をしています。ドイツ製のほうが明るくてこじんまりとした音です。しかし弾いている人には20年間弾きこまれた分手ごたえはあるようです。それでその二つが良い勝負だと感じたようです。ルーマニアのものは全くの新品で日ごとに音が出やすくなってくるでしょうから、ドイツ製を上回るのは時間の問題でしょう。

生産国を気にする日本ではドイツ製のものはもっと高価でルーマニアのものよりも各上だと考えられているかもしれません。実際はそんなもんです。今は機械で加工できるので、板を薄くする方がコストがかかるわけではありません。製造法が進化しているのに、ウンチクが30年も変化せずとどまっているのはおかしいです。変わって行かないならそれはもはや「信仰」です。

ハンドメイドのヴァイオリンでも現代ではストラディバリやデルジェスの型で、アーチの高さや板の厚さに「常識」があり極端に変わったものが作られません。設計の選択肢が無いのにどうやって作者の意図する音を作り分けることができるのでしょうか?

それに対して同じ設計でも、なぜかわからないけど作る人によって音が違います。音を評価する方も感じ方が人によって違います。
先代の師匠は楽器選びを結婚に例えます。私は独身なので分からない世界ですが、運命や相性みたいなものでしょう。成り行きかもしれませんね。

戦前よりも前の作者の場合にはオークションなどで国際的な相場ができています。決して音を審査して値段が決まっているわけではありません。音を評価して格付けを行うような国際機関は存在しません。現代や新品のものは普通の工業製品と同じです。同じ作者名でも音は違いますし、古いものでは状態が様々です。

それを勝手に値段が高いほど音が良いと勘違いしている人がいます。良い音とはどんな音かと言えば「高い楽器の音」と考えていることでしょう。それじゃあ値札の数字を増やせば、良い音になりますね。日本は自由経済の国なので値段をいくらにつけても犯罪ではありません。条例で飲食店の「ボッタクリ」を規制している地域があるくらいです。勝手に勘違いしている人は業者からすればカモです。


ちょっと考えればおかしなことだと分かるでしょう。
それで祖父母が孫のために不動産を売ったりしているのですから笑えません。


もちろん200年以上前にまともに作られたものは数が少ないです。そのような音が好みなら国際的な相場の時点で高価なので多額の資金が必要になり、もはや「音楽家」の買えるものではなくなっています。それでも忘れられたような流派であればチャンスがあるんです。私はそのような「玄人好み」のものを目ざとく探しています。それに気づいている消費者が少ないので日本のお店では売れ残ってるかもしれません。
それとてニセモノがあり、品質や修理の状態も様々で購入するのもイージーではありません。もちろん私が自分で作ることも職人として可能性を追求できることです。

南ドイツのオールドヴァイオリンの続報



掃除をしたらだいぶきれいになりました。写真ではわかりにくいですが真っ黒なニスもよく見ると赤茶色い感じも見えてきました。しかしどれがオリジナルでどれが補修で塗られたものなのかもわかりません。汚れもあるでしょう、昔はランプなどを明かりに使っていたので煤などもあったでしょうから。

ペグの穴がA線とG線が大きくなっているので埋め直します。ヘッド部のニスは透明度が胴体と違います。顔料の感じがします。つまり絵の具ようなものです。
スクロールがオリジナルなのかそうでないのかもよくわかりません。継ネックはしてあって古い感じはします。明らかにおかしいというほどではありません。

いわゆる「ネックの下がり」が見られます。指板と弦の隙間を正しくすると駒を極端に低くしないといけません。
新しい指板にするだけでも厚みを増すことで駒の高さはなんとかなりそうでした。駒が低すぎると修理済みとして売るわけにはいかないので最低限ならそれでもいいのですが、ネックの角度がかなり斜めになります。アーチの高い楽器ではあまり表板に強い押し付ける力をかけたくはありません。一つは表板の変形もありますし音が細くなるのではないかと思います。スムーズで豊かな音にするにはネックの角度はやや水平に近い方が望ましいでしょう。しかしあまりにも寝かすと弦の張力に対抗できずすぐにネックが下がってしまいます。何をやっても間違いになってしまうのが高いアーチのネックの角度です。ヴァイオリン製作学校では新作のための現代の標準しか教わりませんからはるかに難しいわけです。

継ネックをやり直すほどネックに問題が無いので指板を新しくするとともにネックに板を張り付けて微調整すれば演奏上も音響上も理想的な状態にできるでしょう。


表板を開けてみるとびっくりです。過去にも何度も何度も修理された形跡があり歴史を物語っています。古い修理は仕事自体もひどく雑ではありません。
よく分からないのは比較的最近の修理で補強の木片が外されています。羊皮紙のようなものをセロテープのように張ってあります。その方がシンプルで傷が開くのを防げると考えたのでしょうか。

板の厚さは詳しく示しますが、さっと測った感じではオールドにしては厚い方です。場所によっては1.5mmのところもあるのでさすがにという感じです。持った感じはとても軽く化学的にも何か変化があるかもしれません。タッピングでトントン叩いてみるとボヤッとしたようなにぶい音です。私が作っている新作のほうが張りがあります。しかしオールドの板は不思議なことに胴体に貼り付けるとよく響くようになります。だから楽器を作る時に叩いても意味が無いのです。どうやって細く窮屈にならず豊かに鳴らすかですね。力で鳴らすというよりは力を抜いて響かせる感じです。

高いアーチの楽器なので深いですね。
私もこの前自作の楽器でやりました。

顎が当たる部分に板が張り付けてありましたがそれも割れています。
隙間が結構ある感じでしたが丁寧に接着するとかなりよくなりました。放置された傷は隙間が広がってきてしまいます。これが今回必須の修理箇所でした。

バスバーもどうかということですね。そんなに古いものではないのですが太いですね。表板との接着面が7mm程度あり上に行くほど狭くなるようにはなっています。普通は6mm以下だと思います。表板の割れがあって補強する意味もあったのかもしれませんがどうでしょうね?
この小ぶりの楽器には硬すぎて柔軟性が無いような感じがします。G線は豊かに鳴っている感じではなかったです。

先日はヴァイオリンのお客さんが他の工房で魂柱の実験をしたそうです。今はヴァイオリンの魂柱は6.0~6.2mmです。皆太目のものを使いたがります。実験では6.5mmを入れたそうです。小型のビオラ用です。耳障りなやかましい音は抑えられたそうですが、何となく覇気が無くなったような感じだそうです。そこで同僚が6.2mmの魂柱に交換すると大変喜んでいました。それも本当に直径の差だけなのかはわかりません。

同じことがどうかは分かりませんが発想としては似ています。1900年頃の楽器でオリジナルのバスバーは5mmくらいです。それが今では6mmくらいは普通です。7mmはさすがにビオラ用です。

私は自動車のタイヤをイメージします。レースカーなどは太いタイヤがついていてグリップ力がありそうです。しかしラリーレースの雪用のタイヤでは逆に細くなっています。車の荷重が集中するので雪を押しつぶすんでしょうね。
駒からの力が表板を強く押すのは細い方じゃないかなと思います。と言ってももちろんタイヤと同じなはずは無く机上の空論です。しかし太いほど良いという考えが出てくる現代人の発想に疑問を持ちます。

いつも通りやればネック角度の調整とともに方向性としては小型の高いアーチの楽器をソリスト的な方向に持って行けるのではないかと思います。

気が遠くなりそうな感じですが、一つ一つやっていくしかありません。



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こんにちはガリッポです。

弦楽器がどういうものなのか知ってもらいたいということでやっています。自分で楽器を作っているので細かいことを考えています。普段の暮らしの中で思っていることを日記のように書いて、楽器職人の一人が例えばそんなことを考えているんだなと思ってもらえると良いなと思っていました。

しかし前提となる理解が無いといきなり細かいことが頭に入ってきてしまいます。細かいことの方が確かなように感じやすいものです。私が語ったことが楽器の良し悪しを決める決定的な要素として理解されるとまた新たなウンチクが生まれてしまいます。意外と真剣に読んでしまう人も多いようなのでそうなると当たり障りのない内容にせざるをえません。国語のテストなら「著者の言いたいことは何ですか?」と問われるのですが、ネットでは普段から興味のあることだと自分の考えが先にありますから自分の興味のあるようにつまみ食いで読んでいきます。ネット上の意見というのはそんな感じですね。自分の意見があってそれに都合のいい記事をネットで見つけていくという感じです。

私の経験や思っていることがいっぱいあっても記事にできることは恵まれた条件を満たしたものだけということです。たわいもないことを言いたいところですが残念です。

たわいもないことも書いてみましょうか?
この前はアメリカ人で演奏活動や教師をしているヴァイオリン奏者の男性が来ていました。異音がするというので調べてみると表板に剥がれているところがありました。それはともかく、音の出し方が独特でギュッと押さえつけた様な感じで息がつまりそうです。アメリカではクラシック以外にもアイルランドなどを起原にするようなフォーク音楽がありますが、そちらの方が演奏者人口が多いかもしれません。楽器はマルクノイキルヒェンのオールドで、それも窮屈さに影響しているかもしれません。アメリカの人は古いヨーロッパのものには特別な思いがあるらしく、観光客でも工房を訪れれば「ビューティフル!!」と大騒ぎしています。ニューヨークの弦楽器店にドイツの古い楽器を持って行けば即座に買い取ってもらえると聞いたことがあります。そうなると旅費が浮きますね。そういう意味ではなんでもポジティブに楽器を評価してきたのがアメリカですね。それが日本に伝わるときにまた勘違いがあることでしょう。

修理を終えるともう少し普通の弾き方になったようです。楽器の調子が戻ったからなのか、私の耳が慣れたからなのかわかりません。


次は韓国出身の女性で市営のオーケストラの人の話です。
表板のエッジが割れてかけてしまったので急遽来店されました。外国で知らない工房に行くのもおっくうなのかメンテナンスもしてない感じでした。
私が接着してニスを補修して直すと、仕事ぶりに満足してくれたのか、お子様のための初心者用のヴァイオリンを買うためにたびたび足を運んでいます。

韓国でも楽器についての考え方は日本と似ていると思います。もっと極端かもしれません。さすがにプロなので試奏のために難曲を次々と弾いていくわけですが、音はキリッとした強さのある音です。甘い音というよりはピリッと辛口の音です。韓国だからというと偏見になるかもしれません。そのため、楽器自体が強い音を持っている必要は無く、鳴りの強さは必要が無い感じでした。本人も「値段と音は関係が無い」ということを初めて実感して驚いたようです。韓国のお店ではうちのような扱いを受けたことが無いのでしょう。うちでは予算で買える楽器をずらっと並べて放置です。セールストークも何も言いません。
それから古さも関係ないと言っていました。新品の楽器を候補に選んでいました。私は古い方が鳴りやすくて有利だと考えていますが、十分な腕前になるとそれも関係が無く楽器の質が重要です。


最後は現地の人です。
若い女性で職業は分かりませんが、コンチェルトの難曲を次々と弾いていました。とても優雅でエレガントな弾き方をしていました。それこそウィーンのオールド楽器を弾かせてみたいものです。


今回のようなことはたまたまその人がそんな弾き方をしているだけなのか、その人の先生がたまたまそういう弾き方だったのかわかりません。私はヴァイオリン教育の専門家ではないからです。残念ながら私が語るような話ではありません。演奏のプロでも客観的に他の先生の演奏法などを調べている人はいるのでしょうか?

大人なら先生の弾く音に惚れ込んで生徒になるのもいいかもしれません。
その場合には音の出し方について聞いてみてください。


いずれにしても人によって音の出し方も様々です。自分では個性的とは思っていないことでしょう。むしろ弦楽器店の我々の方が違いを感じてるのかもしれません。


ノイナー&ホルンシュタイナーのヴァイオリン



ノイナー&ホルンシュタイナー社のヴァイオリンです。ドイツの量産メーカーでは最も有名なメーカーですがそんなにしょっちゅう見るものでもありません。オールドの時代からミッテンバルトで続くノイナー家とホルンシュタイナー家の合弁会社ですが、パリのヴィヨームの下で修行したルドビヒ・ノイナーがミッテンバルトに戻ってフランス式の楽器製作を持ち帰りました。

18の8のところを上から9にしています。1901年製ということになります。

量産品にしてはきれいにできていると思いますが、それだけでなくヴィヨームの影響があります。ヴィヨームはパガニーニが使っていたデルジェスのコピーを作っていますが、そのようなスタイルが感じられます。それでいて近代的な均整の取れた美しさがあり、デルジェスをうまくモダン楽器へ落とし込んでいると言えるでしょう。デルジェスはオールド的なアバウトさがありますから、近代のようなきちっとした楽器とは全然違います。
そもそもストラド型の楽器を作るための手法が近代の楽器作りなのです。そのためデルジェスは合わないのです。

同様に現在でも「ガルネリモデル」を作るのは難しさがあります。オールド楽器を詳しく研究している人の方が少ないでしょうから、自分が教わったストラド型の作り方でガルネリ型も作るので、私から見るとおかしい所がいっぱいあるわけです。職人でも大半が分からないからそうなっているわけで一般の人には分からない話です。

f字孔がやたら尖って大きいのもデルジェスの晩年の特徴です。スクロールもそのタイプの形のバランスになっています。しかし仕事はきれいで丸みも繊細になっています。量産品のほうがオリジナルよりも綺麗というわけです。

このようなものが典型的な「ガルネリモデル」として広まっていきました。私はもう少し前の時代のものを元に作ってきましたので、スクロールはお父さんのジュゼッペが作ったものでアマティ的な感じがあるものですし、f字孔もここまで尖っていません。

アーチも平らでこの前のウィーンの楽器のような南ドイツの特徴は何一つ残っていないようです。このため1900年にもなると地域による独特の楽器なんてのは無くなってくるわけです

オールド時代からの数少ない特徴は横板のロワーバウツのところが継ぎ目が無く一枚でできていることです。これは裏板も一枚板ですが、それとは関係なくミッテンバルトの特徴です。オールドの時代にはシュタイナーを始め広く南ドイツの特徴でした。このようなものはアマティ派でもありました。現代では真ん中に継ぎ目があることがほとんどです。ミッテンバルトでももう失われた特徴でしょう。

職人の楽器の見方は演奏者とは全く違うことに気付いたでしょうか?
製造法や品質、製造技術に興味があるということです。
ミッテンバルトは外枠ではなく内枠で作られていたようです。

ニスはラッカーでいかにも量産品という感じがします。作りが綺麗なので残念な所ではあります。

値段は3,000~12,000ユーロと量産品の中ではかなり高いです。ミルクールのものに近いものです。この楽器はどれくらいでしょうかね?中級品くらいでしょうか?とても見事な3/4のヴァイオリンを見たことがあります。もちろんルドビヒ・ノイナー本人作のものは300万円くらいしてヴィヨームにそっくりです。ヴィヨームが300万円なら安いですが。

しかしこの楽器でニス以上に残念なのは板が厚すぎることです。外見を綺麗に作っても厚みを出す作業でおろそかになっています。ミッテンバルトでは分業による生産方式で各部分を別々の人が作っていました。そのこと自体が問題ではありませんが、板の厚みについて品質が管理されていなかったです。
したがって有名なメーカーであることに何の意味もありません。弦楽器はそんなものです。厚みにこだわっているのは私だけで、板の厚みで知名度が決まっているわけではないからです。

ブーベンロイトの量産品

同じ西ドイツでもブーベンロイトはマルクノイキルヒェンやチェコのシェーンバッハ(現在のルビー)などから終戦直後に人々が移ってきてできた産地です。流派としては違います。

戦後の楽器です。工芸品のようなものではありませんが、工業製品としてみると綺麗さがあります。
時代は状態が良いと新しく見えて、使い込まれると古く見えるのでよくわかりません。しかし、かつて日本でもかなり輸入されていた典型的なドイツの量産品です。

西ドイツの工業力を示すように、仕事の粗い粗悪品には見えません。

したがって中国製の安価なものに比べるとランクが上のように思えるかもしれません。しかし、残念なことに板が厚くてチェロのようです。

もう一つブーベンロイトのヴァイオリンです。
さらにきれいですね。

裏板の木材も上等なものを使っています。これなら値段も量産品としては高価な方で50万円くらいするんじゃないでしょうか?

ラベルには1982年と書いてあります。
日本でもバブルの頃高価な舶来品を買うことが流行して、イタリアの楽器の値段が高騰しましたが、それ以前なら50万円のヴァイオリンというのは相当高価なものだったはずです。

しかしこのヴァイオリンには残念なところがあります。・・・・そうです、板が厚すぎるのです。またかよという感じです。

スクロールは渦巻きを専門に作る職人がいて胴体とは合っていません。

中国製のビオラと・・・



中国製の安価なビオラです。ケバケバしい赤色で西ドイツ製よりも形も調和がとれていないように見えます。


これは最近のもので同様のものを日本でもよく見かけることでしょう。
見た目は大事ではないという方もいるでしょう。しかしこのビオラにも残念なところがあります。板が厚すぎます。チェロの厚さです。ビオラについてはよく理解されていないこともあって、薄めのものを見つけるのは至難の業です。


こちらもドイツ製のものと比べると形が整っていません。「手作り感」のある素朴な感じがします。

このビオラには鑑定がはっきりしたものがないのですが、ラベルではビチェンツォ・サニーノの1906年製となっています。本当かどうかは分かりませんが、ミルクールやザクセンなど量産楽器の流派では全くないものです。それどころかフランス的なモダン楽器の品質には程遠いものです。
サニーノはナポリの流派で、ナポリでは近代の楽器製作が伝わらなかったのでモダン楽器のような品質が無いことはあり得ます。本物かどうかは私にはわかりませんが、マルクノイキルヒェンなどの偽造ラベルが貼られたものではないことは確かです。それらでももっと普通の形をしています。これだけ近代の教育を受けてないとなるとイタリアの楽器っぽく見えます。

中国のものよりもさらに荒い感じがします。

この楽器で残念なのは・・・
・・・板が薄すぎることです。
裏板はポプラで作られています。ポプラはカエデよりも密度が低く柔らかい材料です。その上板目取りになっているのでかなり柔らかいはずです。
ペグの穴がいくつもいくつも埋めてあるのは柔らかすぎてすぐに穴が大きくなってしまうからでしょう。

すでに裏板がまったぷたつになり修理はしました。しかし板が薄くて素材が弱いのでまた割れてしまうかもしれません。

もう一つややこしいのはチェロタイプのペグボックスであることです。チェロの場合には全く問題がありませんが、ビオラの場合このような形状のペグボックスは人差し指の根元が角に触れてしまいます。ペグボックスの角が邪魔になるのです。この楽器では継ネックを指板の先端の位置をずらすことで多少ましにしています。このためナットが複雑な構造になっています。これがヴァイオリンのような形であれば何の問題もありません。オールドの時代でもチェロタイプのペグボックスは大型のビオラに用いられることが多かったです。現在のヴァイオリン製作コンクールではサイズも大型でこのようなものが多くあります、立派に見えるからです。しかし弾く人のことは考えていません。


これが本物なのか偽物なのかは専門家の鑑定が必要です。職人が言えるのは見事に作られているか、素人が作ったものか、粗雑に作られたものかという点だけです。それで言うと「素人が雑に作ったようなもの」に見えます。
ナポリではガリアーノ以来オールドの伝統があり、近代的な楽器作りが導入されなかったのも特徴ではあります。しかしクレモナ出身のアレサンドロやその息子たち、またアマティの特徴も全くありません。仕事が粗いというくらいです。

鑑定書があれば1000万円になるかもしれません。しかし職人は決して「見事な楽器」とは思いません。このような楽器を1000万円で買っても、メンテナンスなどで職人のところに持って行けば「こんなものに1000万円も出してバカじゃないの」と思われています。でもそういうものだと理解してください。音だけじゃなく工芸品としても魂がこもったものが欲しいという方はお気を付けください。値段は鑑定書の紙があるかどうかだけです。

値段が音とは関係ないという話でしたが、仕事の質もめちゃくちゃです。
アマティやストラディバリはこのようなものとは全く違います。

古物として見た場合にもこのようなものより、ウイーンのオールド楽器のほうが歴史があります。

ミルクールのヴァイオリン

最後はミルクールです。

見た瞬間にミルクールのものだと分かるものです。分かるでしょうか?
職人の目なら一瞬で見分けられますが、演奏家が音で聞き分けられるでしょうか?


エッジの仕事などは分かりやすい特徴ですが…。分かりますか?

スクロールも量産品ですから別段美しいものではありませんが、ミルクール的な特徴はあります。

正面から見るとスクロールの周囲がハの字になっていますが直線的です。ストラディバリの特徴でアマティではカーブしています。

ラベルはストラディバリのモデルだというものとベルナーデルのものが貼ってあります。ベルナーデル家であればフランスの有力な家で一流の職人を輩出しました。楽器商ならこれをベルナーデルの楽器として数百万円で売るかもしれませんが、職人が見ればミルクールの量産品です。工場製のストラディバリのラベルの上にf字孔の隙間から入れて貼った様な感じです。パリのベルナーデルの店で販売したミルクールの量産品という事でしょう。こんなのは騙されやすい典型です。

板の厚みはどうでしょうか?
フランスの一流の作者の楽器なら表板はどこも2.5mmくらいだという話でしたが、これは3.5mmくらいありました。
というわけでフランス製ということに何の意味もないことになります。
それで薄く改造しようということになりましたが、削ってみるとどうもおかしいです。繊維の向きが普通と違うのです。
表板は間違いなく「プレス」で作られたものです。
裏板も怪しいです。
だいたいどこも3.5mmくらいでセンターが2.5mmくらいになっています。

アーチはフランスの楽器にしては高さがあります。

しっかりと立体的なアーチになっています。これもプレスで作れたのだということに驚きです。
それはそれですごい技術ですが、ドイツの量産品は同じ作業を繰り返し熟練することでただただ早く作るだけなのに対して、ミルクールは技術的に安く作る方法を研究していたようです。

こうなると板を薄く改造するならドイツの古い量産品のほうが良いのではないかと思うくらいです。手抜きで板が厚いだけなら薄くできますから。

プレスなのでどうしたものかと思いましたが板を薄くしてバスバーを新しくしました。上と下のブロックとの接着部分は過去の修理で木材が足されていました。プレスなので接着面が合ってなかったのです。開けてみるとプレスだとすぐにわかる特徴です。なんとなく平らの板を曲げてあることが分かるでしょうか?カーブが緩やかすぎます。


ニスがはげた部分があります。緑っぽい灰色ですね。これも典型的なミルクールの着色です。それにオレンジのニスが塗ってあります。19世紀後半の量産品の典型です。したがってベルナーデルのラベルがあっても量産品です。職人はそういう所を見ています。

日本の楽器店ならベルナーデルの楽器で200万円以上で売りそうなものです。本当にベルナーデルの中でも有名な作者のものなら500万円以上すると思います。200万円もしたら量産品とは思わないでしょう、勝手に量産品ではないと考えて買ってしまうかもしれません。しかし本当のベルナーデルはそんな値段では買えないでしょう。


裏板も真ん中以外は薄くしてみました。
結果的にはかなり薄めの楽器となったことでしょう。プレスでも薄くして大丈夫なのか気になります。

値段はパッと見た感じではすごい安い物とは思いませんでしたが、それでもプレスです。ハンドメイドのものとは全く違います。それでもフランス製ということで5000ユーロはするでしょう。日本なら正直な店でもその倍かもしれませんが。

気になる音は?


弦を張って調弦する段階でもよく鳴ることは気付きます。持った感じも明らかに軽いものです。

音を出してみてもよく鳴っています。たまにあるよく鳴る楽器です。高音も私が修理したせいか鋭さはさほど感じないかもしれません。高音は本人はわりと分からないもので、鋭くないと思っていても聞いている人は耳が痛くなっていることもしばしばです。
低音はいわゆるビオラのような暗く深みのある音です。

それに対してブーベンロイトの二つを比べてみました。
後で紹介したちょっと高めのものでも、全然鳴りません。本当によくあるような典型的な量産品の音です。明るい音さえ鳴っていません。
もう一つの方も同様ですが少し明るさがあります。

このようなものなら明るい音でも音が出る方がまだましで、現代的なハンドメイドの厚めの板の楽器でもこれよりははるかにましです。イタリアの新作楽器でも普通のレベルで作ってあれば西ドイツのこのようなものよりもずっと良かったのでしょうね。ステファノ・コニアでもずっとましです。それを大げさに巨匠だの天才だの言ってきたのでしょうか?日本人の作ったものでも同じレベルです。

それに比べたら今回改造したミルクールの楽器のほうがはるかに上です。

今のルーマニアのものでも西ドイツのものよりはずっと良いです。中古のドイツ製のものを高い値段で買う意味がありません。

それに対してミルクールのものはプレスでもそれほどマイナスではないようです。チェロではさすがに難しいと思いますが、ヴァイオリンでは問題なさそうです。厚すぎる板は曲げられないのでチェロの裏板としては厚みが不足します。しかしミルクールのものは古いので修理が必要で修理によっても音が違ってくるでしょう。

今回も板の厚みついての話となりました。たまたま手をかけた楽器のほとんどが板が厚すぎるものでした。8割方の楽器は板が厚すぎるようです。それは製造時の品質管理の甘さゆえのもので、コスト削減のしわ寄せでもあります。

弦楽器店は仕入れの原価が安い楽器を求めます。このため流通ルートに乗るためにはぎりぎりまでコストを下げないとやっていけないということです。楽器店が力を持っていてメーカーは買いたたかれれてきたわけです。

それでまともに作ってあるだけでも「巨匠」「天才」とか言われたのでしょうか?


それに対してこちらでは各町に何軒もヴァイオリン職人がいてそこから選んで買うこともできます。食品でも銀座のデパートに並ばなくても地元だけでやってる名店があるわけです。しかし新作はそれでも鳴らないということで今は古い楽器が求められています。100万円以下でも今回のミルクールの楽器のようによく鳴るものがあればすぐに売れて行きます。



ウィーンのヴァイオリンが面白いというのも、一つは生産地=消費地であるという事でした。それも裕福で音楽が盛んな所でしたからひどい手抜きがされていないということです。地産地消ですよ。

世の中でヴァイオリンの音の良し悪しなんて、8割以上のヴァイオリンが板がチェロのような厚さでそのレベルと比べて音が良いとか悪いとかそんなんなんですね。
私は「10年に一つ」のようなものが印象に残っているので世間とはずれているのかもしれません。それらも一長一短で特定の要素が極端に優れているだけですべてを備えたものは空想のものでしかありません。

こちらでは戦前の古い量産品が多いので、板は厚くても賑やかなやかましい音はするのです。腹の底から響くような音ではなく、賑やかなやかましい音がします。それが私の量産品の音のイメージですし、いわゆる遠鳴りしない音です。しかし演奏者本人には強い音と感じられ上級者でも評価する人がいます。きちんと作ってもその点では新作ではかないません。

ブーベンロイトのものは80~90年代に多く輸入されて今回のようなものを「ドイツの音」と考えていたのでしょうか?日本は中国に近いですから最近は中国のものが多いでしょう。日本の職人に聞くとやはり中国のものは「開けるとひどい」そうです。


ヴァイオリンというのは職人が研究に研究を重ね、全身全霊を注いで作られたもの同士で、音の良し悪しを競い合っているのではなく、楽器店に買ってもらえる条件を満たすことを考えて作られているものばかりが流通ベースに乗って皆さんの手元に届いているということです。条件に納得しない職人はそんな商売には関わりません。

たまたまた最近扱った楽器では、厚めが良いとか薄めが良いとかその範疇に入る楽器が一つもありませんでした。
チェロのような厚さのヴァイオリンがどれくらいの割合であるのかこれからも調べていきたいと思います。

最後に板の厚みについてたまに日本であるのが、f字孔のところを見て厚みを言うことです。これではちゃんとした厚みは分かりません。おそらく楽器店などではそれくらいのいい加減さで厚さについて語ってきたと思われます。f字孔から板の厚みを見るのはこちらでは聞いたことがありません。


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こんにちはガリッポです。

板の厚みについてはこれまでも多く語ってきました。むしろ私は板の厚さを他の要素に比べて気にしすぎているきらいがあるかもしれません。それは、楽器があれば常に計測しているからです。ヴァイオリンを買い取ったりするときに、音が出せない状態であっても、外見だけで判断するよりも板の厚みも測ったほうが楽器を評価するための情報量が増します。というのは外見はきれいに作っても厚みを出す作業で手を抜くことが多いからです。見た目はきれいでもチェロのような厚みのヴァイオリンは買うのはやめておいたほうが良いです。逆に問題が無ければどんな音になるかわからなくても、音には個性があり、それを好む人が現れるかもしれません。普通に作ってあれば極端に変な音ということはまずありません。ヴァイオリンのようなものを作るとなぜかヴァイオリンのような音がします。変な音のものを作れと言われても作り方は知られていません。楽器には理由もなく微妙な音の違いがあり、ユーザーも感じ方がや弾き方によって一人一人求める音が違ってきます。違う音のものを店頭に揃えて置けば買いに来た人は自分の求めるものを見つけることができるというわけです。

しかし板の厚みを測るには高価な専用の器具や楽器を開けることが必要です。業者でも多くの人はメーカーや産地の名前、値段の数字などを気にするでしょう。もう少し詳しい人はアーチの高さを見るかもしれません。板の厚みは軽視されがちです。


音に関係がありそうな要素のうち板の厚さが他と違うのは、計測して数字で表せること、同じ条件で比較ができることにあります。例えば輪郭の形の「モデル」とかアーチなどは作ってしまうと変更ができません。それに対して板は出来上がっている楽器をさらに削って薄くすることができます。その前と後で音が変わったか試すことができます。全く同じように二つの楽器を作っても音は多少違ってしまいます。アーチの異なる楽器を二つ作って比較してもそれがアーチのせいなのか、たまたま音が違うのかわかりません。それに対して初め厚かった時の音と薄くした後の音を比べるとはっきりと違いが分かるというわけです。ニスでも塗り替えて音の違いを試すことはできるでしょう。しかしニスを塗るのは労力がかかり過ぎます。

以前こんなことがありました。お客さんが来ると楽器を試奏して気に入ったものを選ぶわけですが、「これは無い」といっつも弾かれてしまうヴァイオリンがありました。そこで調べてみると板がとても厚かったです。それで板を薄く改造してみました。それで音の違いも試すことができますが、結果としても無事売れて行きました。
また、親戚から譲り受けたヴァイオリンを使っていた音大生が、先生から楽器が音が悪いからどうにかしろと言われたそうです。調べてみると板が極端に厚い物でした。薄くなるように改造すると問題は解決したというわけです。

板が厚すぎる楽器が時々あるので板を薄くする改造を行うことが年に何回もあります。

このように板の厚さは数字で表すことができるので他の要素よりもわかりやすいということが言えます。しかしながら分かりやすいことばかりに注目していてはすべてを理解することにはなりません。板の厚み以外にも音に影響があることを忘れてはいけません。

板の厚みの基礎

ヴァイオリンの作りについて書かれた本などを読むと板の厚みは中心が厚く周辺に行くにしたがって薄くなっていると書かれています。それはその本を書いた時代の常識に基づいて書かれたもので、必ずしもずっとそのように作られてきたわけではありません。


もっと基礎的な話をします。弦楽器は一般的な木工製品に比べて薄い板の厚みで作られています。コントラバスのような大きなものでは普通はもっと厚い板を使います。それが高級品であるほど厚い板で作ります。
四角い箱に比べて弦楽器の胴体は弦の強い力に耐えられる構造になっているので薄い板の厚さでも何百年という驚異的な耐久性を持っています。

つまり基本的に板が薄いのが弦楽器ということです。

薄く作った場合に壊れたり変形したりする危険があります。特に薄くし過ぎると危険な所とそうではない所があります。裏板の中央、つまり魂柱が来るところは一点に力が集中するため薄すぎると耐えられません。また周辺よりも厚ければ力が周辺に分散していくことでしょう。そうなると裏板の中央だけは厚くないといけなくてそれ以外は薄くても良いということになります。もう一つチェロの場合には表板の中央も強い力がかかるので薄すぎると陥没のリスクが高くなると思われます。

実際に修理の経験で裏板の中央が薄すぎてトラブルが起きている楽器を目の当たりにすると「理屈」ではなくて実際に理解できるわけです。

このため裏板の中央は板が厚くないといけないというわけですが、それ以外は薄くても良いということになります。例えばヴィヨール族の楽器の場合、裏板にアーチが無く平らな板のものがあります。この場合には梁として魂柱が来るところに角材が貼りつけられていて、そこに魂柱を立てるようになっています。コントラバスでは実際にあります。
この場合は中央が厚くてもそこだけ厚くて大丈夫だということです。

表板に関しては、フランスの19世紀のヴァイオリンではすべて同じ厚さで作られていることが多くあります。ヴィヨームなどはだいたい測ってみればどこもかしこも2.5mmくらいでグラデーションはありません。それでソリストにも愛用者がいる楽器になっています。実際に音量に優れたものがたくさんありますし、100~200年経っても元気に音を出しています。

さらにグァルネリ・デルジェスについての資料によると表板の中央のほうが薄く周辺のほうが厚くなっているものがあります。私はミラノのオールド楽器のランドルフィを測ってみたらそのようになっていました。これは面白いということで私はコピーを作ってみました。音大教授に称賛されて音大生がお買い上げになりました。

つまり本には「ヴァイオリンの板は中央が厚く、周辺に行くにしたがって薄くなっている」と書いてありましたが、そうでなくてはいけないということは実際には無いようです。

耐久性さえ確保できれば音は好き好きでしかありません。

日本だけの謎の理論?

弦楽器について興味のある方なら板の厚みついて「厚い板のものが本物だ、薄い板のものは安易に鳴るようにしたもので、初めは鳴ってもしばらくすると鳴らなくなる」という謎の理屈を聞いたことがあるかもしれません。

それに対して古い楽器は板が薄く作られていて厚い板の現代の楽器よりもよく鳴っているものが多くあります。そうなるとおかしいですよね?
これに対してよく分からない言い訳が考えられていきます。

矛盾しているということは間違っていると考えたらどうでしょう?
職人というものは論理的にものを考えることができないのでしょうか?

私は実際に薄い板の楽器を作ったことがありますが期待したほどは鳴っていません。それが何年か弾きこまれると最初の時よりも鳴るようになってきました。全く言ってることがデタラメですよね。薄い板の楽器でも出来立てよりも年数が経って行ったものの方が鳴るのです。

安易に鳴るようなものが作れるならぜひ作るべきですが、残念ながら薄く作っても初めはそんなに鳴りません。

私が15年前に作ったものも今でも音が弱くはなっていませんし、80年代に作られた板の薄いものでもよく鳴っています。100年くらい前に作られたものも200年前に作られたものもよく鳴っています。いつになったら「はじめのうち」が終るのでしょうか?少なくとも生きている間にはダメにはならないので楽器を購入する人は考慮する必要はありません。

このような理屈はこちらでは一度も聞いたことがありません。他の国がどうなのかは知りませんが、日本だけで語られていることかもしれません。

日本に特殊な事情があるとすれば、気候です。高温多湿な時には楽器が変形などのトラブルが起きるかもしれません。それに対して板が薄いと心配にはなります。板を厚く作った方がお客さんには迷惑をかけないかもしれないと考えることはできます。お客さんを騙してでもトラブルを避けようという所から始まったかもしれませんがそのことと、音に関することは飛躍しています。

それについては私は日本で働いていないので経験は不足しています。
古い楽器では変形はすでに起きて安定した形で固まっているので新しい楽器のほうがトラブルが起きやすいことはあるかもしれません。しかし新作楽器とモダン楽器を持っている人がネックがひどく下がるというトラブルが起きたときにモダン楽器のほうがひどかったです。それもわからないですね。

板が厚めの楽器自体は20世紀にはヨーロッパのどこでも主流になっています。しかし薄い楽器は、はじめは…の謎の理論は聞いたことがありません。

私の方がみなさんよりもウンチクを知らないのかもしれませんね。



音について


木工技術を身に着け本棚のようなものを作れば本を収納でき、桶のようなものを作ると水をくむことができ、タンスのようなものを作れば衣類を収納することができます。同じように弦楽器のようなものを作るとなぜか弦楽器のような音がします。そしてなぜかわからないけどもみな少しずつ違う音がします。

一方で音の感じ方は個人によって大きく違います。日ごろからたくさんのお客さんと接していれば分かります。先生や教授なども人によって全然違いますから。

この前も二組の家族がヴァイオリンを購入するためにやってきました。ちょうど同じ価格帯です。10本以上ずらりと並べて試奏して好きなものを選んでもらいました。もし同じ楽器を両者が選ぶと大変ですよね。しかし大丈夫でした。全く違うものを選んでいました。音の評価は人によって違うものです、

楽器はこうやって選べばいいので、それ以上知る必要はありません。私も音について語るのはもうやめたほうが良いかもしれません。

私が言いたいことは、音は人によって感じ方が違うので自分の責任で楽器を選ばないといけないということです。前回の話では新作楽器の予算でも買えるオールド楽器があり、これも考慮に入れると選択の幅が広がります。試しに弾くだけでも自分の求める音について経験になることでしょう。

これのほうが音が良いから買いなさいと言っているわけではありません。

これまで業界では「高い楽器の音が良い」という風潮で語られてきたと思います。
感じ方はその人次第です。値段と自分の感じ方が一致しないことは十分にあり得るので「値段と(自分の求める)音は関係ない」としっかり認識することが画期的な進歩だと思います。値段の高い安いだけで楽器の良し悪しを判断するのは浅すぎると思います。

値段については音楽や楽器よりも「商業」について勉強してみてください。

板を彫る作業


板を彫っていくにはいろいろな方法があるかもしれません。

私は中央から彫っていきます。ノミで削る時だいたい一度で0.6mm削れるとすれば3回削ると2mmほど薄くなります。順番に削って行けば良いです。アーチの一番高い所は18mmくらいあるので最後5mm以下にするには結構ほじくって行かないといけません。これは高いアーチほど深くえぐらないといけないのではっきり違いが感じられます。私は写真に写っているようにスプーンのようにカーブしたノミを使っています。高いアーチの場合にはまっすぐなものでは難しいです。手元が狂って抑えが効かずエッジのところまで削ってしまうのが怖いのです。それに対して0.6mm以上多く削れて穴が開いてしまう心配は少ないです。何故かというと厚く削ると抵抗が大きくなって手に感触として伝わってくるからです。

それに対して豆カンナでは0.1mm以下です。0.07mmだとすれば2mm削るためには28回は削らないといけません。当然メチャクチャ時間がかかって嫌になってきます。これが厚すぎる楽器が作られる原因の一つです。
一度やれば分かると思います。職人の志がどうだとかそんなのは工房ではなく飲み屋で話す机上の空論です。

このため板の厚みを出す作業をするときは、何となく始めるのではなく、始める前に完成時の厚みを決めておくほうが良いです。

それに対して削りながら、板を叩いてみて音を決めようなんて思っていたら、めんどくさくなってまあいいやってなってしまいます。

電車でGO!というゲームがありましたが、電車を運転して駅に正しく停車するゲームです。途中の区間は速度を出して駅に近づくと減速して停止位置にピッタリに電車を止めるのです。
これと同じでのみでザクザク行って、設計した厚みに近くなったらカンナに持ち替えて最終的な厚みにするのです。この時駅から遠いのに減速してしまうと駅のはるか手前で止まってしまいます。板が厚くなりすぎるのはこれと同じです。一方で減速が遅れればホームを通り過ぎてしまいます。板には穴が開いてしまうでしょう。

どちらかと言うと行き過ぎてしまう方が怖いです。薄すぎる楽器よりも厚すぎる楽器のほうが作られることが多いでしょう。精度が低い楽器のほうが一か八かというわけです。

世代を重ねるごとに板が少しずつ厚くなっていくのはあり得ることです。楽器製作を弟子などに教える時は削りすぎて寸法を下回ってしまわないように「安全なディスタンス」を確保するように言います。私が直径6.2mmの魂柱を作る時は初めに6.5mmの正四角柱を作ります。それを8角柱にし16角柱にして・・・最後に角を仕上げると円柱ができます。この時0.3mmのディスタンスを確保すると研磨したときにちょうど良いというわけです。しかし初めて作る人には7mmで作るように指示するかもしれません。大概はちゃんと正四角柱が作れないうちに7mmを下回ってしまうからです。もっと言うと初めにチェロの魂柱を作らせて、失敗したらビオラ用にして、それも失敗したらヴァイオリン用にするのが良いかもしれません。
いずれにしても初心者には6.5mmにするようにとは指示しません。そこから手直しをすると寸法を下回ってしまうからです。
つまり弟子に指示するときは失敗して削りすぎてしまわないように大き目の寸法を言うものです。弟子は寸法を下回ると師匠に怒られると学習するので薄くなりすぎないようにという態度が身についていきます。結果としての音について言うなら板の厚みに関しては失敗して削りすぎるくらいの方が音が良いと思います。

魂柱も昔は標準が6mmだったものが6.2mmになっています。寸法を下回ることには抵抗感が大きく、ちょっと大きめにすることには抵抗感が少ないようです。
オールド楽器や19世紀のモダン楽器ではf字孔の幅が5.5mmくらいしかありません。魂柱もそれ以下だったはずです。



でもあらかじめ板の厚みを決めて作業を始めれば減速のタイミングが変わるだけなので一人前の職人ならオールドのような厚さのものを作ることができます。昔の職人が優れていたわけでもありません。オールド楽器では厚みにむらがあったり厳密には作られていません。

私は結構ギリギリなところまでノミで行きます。それでもオールドに比べると精密すぎます。アーチが高いと相当ほじくらないといけませんし、板も薄いですからザクザク行かないと終わりません。
理想はこれをカンナでざっとならしてスクレーパーで仕上げた瞬間に完成としたいところですが、それでも減速が慎重すぎたのでカンナでチョコチョコと厚すぎる所を削っていきました。


最終的には光が透けるほど薄くなります。普通の神経の人は怖さを感じるのではないでしょうか?

なぜ厚い楽器が作られるかの一つは、やはり「怖さ」でしょうね。もう一つは戦前のドイツの大量生産では、各家庭で内職として部品を作り、工場で組み立てていました。現在の自動車や電気製品でも、部品メーカーが別々に作った部品を工場では組み立てるだけです。
このように手作業で板の厚みを削る仕事だけを担当すると、単価は安いのでまともな収入を得るためにはできるだけ手間を少なくしてたくさん作りたいわけです。初め厚い板を削って薄くするので、薄くするほど作業の量が多くなります。経営者の方はコストを安くすることを何よりも重視するので、品質管理は寛容です。きっちり寸法通り作っていると怒られるくらいでしょう。

もともと工場のマイスターが現代の思想を勉強し、厚めの設計を信じていたら品質管理を甘くすると、それよりもさらに厚くなってしまいます。戦前の量産品では外見の方が音よりも重視されています。音のほうがよく分からず見た目のほうがはっきりと違いが分かるからです。このため板の厚みを測ってみるとチェロのような厚みのヴァイオリンがよくあります。厚い方が本物だというのなら「本物のマルクノイキルヒェンの量産品」を弾いていてください。
もう一つはチェックポイントを中央の一番厚い所と周辺の薄い所の二か所で測っている場合、その間をおろそかにしているものがよくあります。一番薄い所と厚い所だけまじめに作って後は適当というものです。修理で薄く削り直すためには、表板のバスバーが邪魔になりますのでこれも新しくしないといけません。裏板は指板があると作業できないので外さないといけません。指板を外す時に指板が裂けてしまうことがあります。そうなると指板も新しくしないといけません。作る時に薄くした方がコストが安いでしょう。このため厚すぎる板の楽器はとても残念に思います。

これが現代の量産品ではコンピュータ制御の機械で作っているのではるかに改善されています。安いものでは古い方が音が良いとも言えないのです。しかし周辺部分に機械が入らない削り残しがあります。相対的に小さな楽器ほど苦手で、チェロやバスなど大きな楽器ほど機械で作られたものはコストパフォーマンスに優れたものになります。

現代のクレモナの楽器でも東京での「末端価格」に対して職人が得る収入ははるかに安いものです。商業では安く仕入れたものを高く売ることが成功となるからです。輸出のための楽器製作だけで暮らしていくためにはクレモナの職人もできるだけ速く楽器を作らないといけません。こうなるとマルクノイキルヒェンと状況は変わりません。

見るからにクレモナの現代の楽器のようなものがありました。鑑定してもらうとマリオ・ガッダ工房のものだと言われました。おそらくクレモナで修行した職人が働いて作ったのでしょう。これは板がとても厚い物でした。ガリアーノ家の初代アレサンドロ・ガリアーノを使っているコンサートマスターの人が弾くと「振動しているのは弦だけ」と言っていました。読者の方でもマリオ・ガッダを80年代に買って音が良くないので日本人の職人に板を薄くしてもらったという人がいました。80年代にはイタリアの新作楽器は60~80万円くらいだったそうです。それならかなり急いで作らないといけません。そのような楽器を売るために営業マンはセールス文句が必要でした。その後のバブル期を経て日本独特のウンチクが固まっていたことでしょう。私の世代でも時代遅れの古臭い考え方に思えます。30年時間が止まっています。

板の厚みは音の性格に直結します。厚めや薄めは好みの問題です。しかし極端に厚すぎると鳴りにくく「弦だけが振動している」というものになってしまいます。クレモナで作られてもマルクノイキルヒェンで作られても同じです。産地の名前が問題なのではなく楽器そのものがどうであるかが重要です。

板が厚すぎる場合には板を薄くする以外の方法では問題は解決しません。弦を換えても魂柱を動かしても頭の中であれこれ理屈をこねくり回しても音は変わりません。

現在製作中のヴァイオリンです。さっきの写真では2.5mm以下くらいになってくると光が透けていました。この図を見ると中央が厚く周辺が薄くなっています。しかし数字の変化を見ると均等になっていません。例えば中央が4.2mmありその周囲は3.5mmくらいになっていて1mm差があります。それに対してコーナーよりも上の部分は広い範囲が2mm強になっています。つまり中心だけが厚くそれ以外はごっそりと薄くなっているのです。さすがに段差をつけると変形のリスクがあるのでなだらかにしているだけです。表板もは魂柱のところが3.1mmあり、f字孔の間が厚めになっていますが、それ以外はだいたい2.5mm前後です。このような厚みは1600年代のクレモナのオールド楽器では典型的なものです。表板の魂柱のところだけ厚くするのは魂柱でヘコミができるからです。何かの修理の時に水分を与えるとヘコミが多少戻ります。さらに表面を軽く削るとヘコミが無くなります。表板や裏板の魂柱のところにヘコミがあると魂柱をピッタリに合わせることが難しくなります。合っていない魂柱や傾いた魂柱のまま弦の力がかかっているとさらにヘコミができボコボコになります。
音も不安定になり魂柱をわずかに動かしただけで音が激変するかもしれません。
もちろん昔の人はそんなことは考えていませんでした。

表板では現代の楽器では0.5mmくらい厚いものが普通でしょう。0.5mmというとわずかだと思うかもしれませんが、3mmと2.5mmでは20%近く厚みが違います。一方4.5mmと5mmでは10%しか違いません。薄くなるほどわずかな差が大きな差になるでしょう。木材の強度の差はそれ以上かもしれません。板の厚みを周辺に行くにしたがって規則的に薄くして行ったら中間部分では1mm以上厚くなることでしょう。

板の厚みを出す仕事を教わる時、削って与えられた寸法通りに加工できたか師匠にチェックしてもらいます。そうすると師匠はトントン叩いたり、持って曲げてみたりして何やら考え込んでいます。「ちょっと硬いなあ、もうちょっとここを薄くしろ」などと指示します。自分がその立場になると、よくわからずに当てずっぽうで言ってるだけだと分かります。曲げたときの硬さはアーチの形状と関係してきます。今回のようなぷっくらとした高いアーチでは板を薄くしても硬さがあります。このようなものはいくら薄くしても柔らかくなりません。表板ではそれ以上力を入れたら割れてしまいます。異なるアーチを作ったことがある師匠も少ないわけですから、そのチェックの仕方は意味が無いですね。
量産楽器でとても硬い板のものがあって修理を終えると耳が痛くなるような鋭い音になりました。しかし私が硬い板の楽器を作ってもそんな音になりません。だから何のチェックにもなりません。

高いアーチのものでも板が薄いものは局所的には柔らかさがあります。指で押してみるとゴムタイヤのようにブニュっとした感触があります。アーチ全体としては強度があっても、クッション性があります。このようなことをどうやって説明するのか困ります。スピーカーの振動板では「内部損失」と言います。

板の厚み

とても薄い板で300年経っても壊れずに音を出しているものがあります。当然薄い方が華奢で壊れやすいでしょう。しかし意外と厚い板の楽器でも故障はあります。弾力が無くて竹のように割れてしまうことがあります。それ以上丈夫にしたら壊れにくいかもしれません。一般に高級な木工品では板が厚く重厚な作りになっていて薄い板のものは安物というわけです。弦楽器職人もプロであるのは音楽家ではなく「木工家」です。作るものが弦楽器というだけです。

板の厚みによって音に違いが出ることは間違いありません。しかしどのような厚みが良いかは音楽家が自分の感覚で選ぶべきものです。画家が絵の具を選ぶようにです。
聞く人にどう聞こえるかを意識するなら、楽器を評価する時には広いホールで別の演奏者とともに試す必要があります。楽器店が自らコンサートホールを持っていることはまれでしょうから、楽器を貸し出すなどの対応をするのが真摯な態度だと思います。

私が板を薄く改造するのは、大量生産品か自分の作った楽器に限ります。なぜなら修理では作者の考えを尊重することが大事だからです。私の考えは私の考えにすぎません。他の職人にはほかの職人の考えがあり私はそれを尊重しなくてはいけません。正解かどうかは音楽家、さらに未来の音楽家が決めることです。



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