善悪について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。


夏休みをもらっています。

休みなので軽めの内容にしましょう。

インターンでヴァイオリン製作学校の生徒が来ていましたが、仕事の現場を教えるとなるといかにこの業界が汚い世界かということを教えることになります。これは日本だけではなくて、昔からずっとです。
学生も話していましたが、日本から来て驚くのはお店に売っている日用品で買ってみると全く使えない粗悪品がよくあります。工場で作っている人は一度くらい誰か試した人はいないのかと不思議に思います。
留学生は働くこともできずお金も無いので安いものを買うのですが、そうすると全く使えなくて完全に無駄な出費となります。
粗悪品が売られているのは弦楽器業界だけではありません。

缶詰すらこんな感じです。開けようとしたら取っ手が取れてしまいました。

こういう世界にいると、商品は手に取って自分で品定めしないといけないと身についていくでしょう。日本のニュースで企業不祥事があると「信頼を裏切られた」と憤慨する消費者のインタビューが流されますね。しかしそもそも信頼なんてしたらダメというのが世界の常識でしょう。日本人がブランドに異常にこだわるのは変わっています。

安物の粗悪品がダメなのはあることですが、じゃあ高いから大丈夫かというとそうでもないのが厄介です。ヨーロッパでは「デザイナー」が幅を利かせています。そういうものは高くても実用性が無いものです。
高ければ良いというのなら中国製品にロゴをつけて高い値段で売っているだけかもしれません。

弦楽器の業界は消費者を騙すことに楽器製作以上の情熱をつぎ込んできました。ありとあらゆる試みがなされたようです。何も信用できるものがありません。悪意のない人が先輩からまじめに学んでも知識がめちゃくちゃです。

しかし「善悪」について考えるのはとても難しいものです。職人からすれば手を抜いたような仕事と、見事な仕事は分かるわけです。しかし裁判所で証明するのは難しいです。ひどい仕事をされたと訴えても、相手側の弁護士は裁判で勝てば良いというわけです。職人から見れば手抜きでもそれの違法性を証明することはできません。

善悪は人によって違うことが厄介です。昔から悪行をしたら地獄に落とされると言われたものです。仏教の基準ならだれでも地獄行きです。皆多かれ少なかれ悪行をしています。それに対して宗教は人権や自由を侵していると言うこともできます。

最近は特に日本では悪いことをした人に対して「炎上」ということがあります。私個人として「言っている自分は悪行をしてないのか?」というのが気になります。悪人を責める人はなぜか自信満々で自分は一切の悪行をしていないかのようです。それはおそらく「自分のやっていることはセーフ」だという善悪の判断基準になっているのでしょう。何故か自分までがセーフになっているのです。もっと善人からすればその人も悪人です。

だから悪人を責めるような意見は聞く価値が無いなと思います。
悪人を責めるよりも自分を反省する方が善人でしょう。

しかしながら、そんなことをしていたら罪の意識にさいなまれて自殺してしまうかもしれません。精神を健康に保つためのことで意見に正当性は何もありません。まじめに聞くと聞いている方が精神を害してしまいます。

そうではなく怒る理由は自分もずるはしたいけども我慢してるんだという不満かもしれません。


「コンプライアンス」という言葉も聞くようになりました。私は20年以上前に大学で勉強しました。その時の理解では、「法令を守る事」と学びました。つまり、善悪というのは人によって違うため、そこは追及はできないのに対して、法律などには明文化されているのでそれを破るのはいけないという物でした。
法律を守っているからと言ってすべてが善意とは限りません。法律の範囲内で悪質な行為もできるでしょう。逆に法律を熟知し、証拠を残さないように気を付けるのです。
しかし、法律を違反することが「悪」であることは明白であるので、せめて法律違反はしないようにというものです。コンプライアンスというのはそんな理解です。


皆さんの求めているものは普通のものとは違う音が優れた楽器だと思います。しかし私が不憫に思うのは、そんなレベルではなく、業者に騙されてしまうことです。
値段と価値との話をずっとしてきています。なんでもない手抜きの楽器に高いお金を払っていると、私はバカバカしいと思います。普通のものよりも音が悪いものをバカ高い値段で買っているのです。
普通のものを普通の値段で買うだけでも私は大成功だと思います。業者は策を練っているので素人が値段以上のものを買うのは難しいでしょう。

私は普通以下のものと普通のものの違いを見分けることがとても重要だと考えています。それ以上の楽器の見分け方は私は分かりませんし、ブログでも追及しません。そんなものがあると思っていると業者からするとカモです。

普通のものを弾いてみて音が良いか悪いか自分で判断して普通の値段で買えば大成功です。

普通も時代によっては違うわけで、古い楽器の中で使えるものとなるととても難しくなります。私はすごく良いものを見つけるのではなくて「これだったら普通だろう」というものを見つけると貴重さに興奮します。200年以上前に普通に作られたものがあれば貴重です。

何が普通かというと、たくさん楽器を見て来て分かるようになってきたのか、いまだに音が予想と違って驚いたりして、分かっていないのかもしれません。

私はひどい粗悪品とか、あからさまな偽物など、それが分かるようになるというのが大事なことだと思っています。
頂点を見ているのではなくて、底辺を見ているのです。私がよく言うのは弦楽器というのは「ひどくなければなんでもいい」という考え方です。酷くないものなら弾けば音が出ます。それを良いと思うか悪いと思うかは主観でしかありません。

粗悪品のいけない所は、演奏上の問題があること、どこもかしこも壊れかけていることにあります。音はそれでもどう評価するかは個人の自由です。

底辺の楽器は我々なら見た瞬間にすぐわかります。物置から出て来たと持ってきても、修理代のほうが楽器の価値よりも高いと判断します。弓でも同じです。

しかしそれ以上音が良いかどうかは各自が自分で試すしかありません。それについては見分け方を知りません。楽器店としては品質で値段をつけておきます。好きなものを自由に選んでくださいと言うだけで私は音を評価しません。



私は善悪とは距離を置くようにしています。私の考え方は快楽主義です。でも酒もたばこもギャンブルもやりません。楽器作りや職人の仕事が一番楽しいのです。他のことは全然やる気がわいてきません。独立して起業するにはオールマイティーな能力が必要ですが、私の場合には職人の技能に偏り過ぎています。

ブログでも、オールド楽器のことを取り上げています。オールド楽器の価値をお金の価値として語っているわけではありません。
オールド楽器の音に何らかの快楽性を感じるかどうかです。感じる人には価値があるし、感じない人には価値が無いのです。

善悪で物事を考えていたらオールド楽器の魅力は分からないでしょう。
私が楽器を作る時は作っていて楽しいものを作りたいです。それは必ずしも消費者が求めているものと違うかもしれません。だから私は、私の楽器を買わなくてもいいので他にたくさん良いものがあるよと紹介しています。
自分が好きな楽器だけではありません。普通に作ってあれば、人によっては音が気に入る人もいるかもしれないと紹介しています。

職人がどれくらい意図して音を作れるかということは、自分で楽器を作っていないと分からないことです。そんな話はよくしています。でも他で知る機会は無いかもしれません。
神様のような職人がすべてわかりきって計算づくで音を作っていると考えているなら、とんだ勘違いです。そう思いたいという願望があるのかもしれません。そこを付け込まれて大金を失います。弦楽器の現実を知らないといけません。さほど腕の良くない職人によって適当に作られた楽器にも音が良いものがあります。それが分かってるのが詳しい人です。

職人の世界では傷や欠け、でこぼこが無くきちっとした仕事をするのが善で、いい加減で誤差が多くバラバラなのは悪です。しかし音はそれとは関係が無いというのも面白いですね。

現代の善悪とオールドの時代の善悪も違うのです。しかし、自分たちの世界の善悪を超越しないと、オールド楽器のようなものを理解することができません。

保守的な職人の世界では厳しく善悪が定まっています。やってはいけないことが決まっているのです。それが何千万円もするオールド楽器ではやってはいけないことのオンパレードです。

保守的な厳しい年長者に対して、若い職人は反発するでしょう。あらゆる言い訳を考えます。個性だのオリジナリティだの言うこともできます。しかし、だいたい未熟な職人がやることは皆似通っています。個性個性と言いながらずるさがあるので考えることは同じで、どこかで見たことがるようなものばかりです。それから比べるとオールド楽器は全く違うものがあります。だから偽造ラベルがあっても近代のものは一瞬でニセモノだと分かります。

職人の世界での善悪を超越しないと、年長者と若者が喧嘩している次元で終わってしまいます。そんなつまらないレベルの意見は興味がありません。

職人に限らず世の中全般でも、外国にいれば、日本とは違う善悪がありますし、時代が違うともっと違います。善悪も今の時代の一時的なものにすぎません。それも個人によって言うことが違います。

職人や芸術家にとっては良い作品を作ることが善という価値観を持っているものですね。しかし現実にはそういう人は少数派です。有名になってお金を稼ぐとかそんなことに夢中な人の方がはるかに多いでしょう。

製造業では情熱的な創業メンバーが魅力的な製品を作っても、会社が大きくなるほど製品がつまらなくなっていくのは常です。働いている人たちの多くは自分の会社の製品に興味が無いからです。






私は弦楽器業界でしか働いたことが無いので他の世の中がどうなっているかわかりません。何も信じられないくらいの不信感を持っているのが当たり前です。私が物を買う時は「どれくらい悪くても許せるか」と悪い前提で考えているくらいです。

音も美も善悪も似ています。
時代によっても、地域によっても、指導者によっても違います。あなたのいる世界で絶対的な価値も、他の場所に持って行けばだれも見向きもしないかもしれません。

それに対して世の中の人はよく考えずに思い込みや雰囲気や評判だけで判断しているようです。