弦楽器の音と評価 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

一週間休んで元気が戻ってきました。
休みと言っても作っているヴァイオリンのニスを塗っていました。休みでも仕事です。

時々コメントをいただきますが、現実で出会った人には共感できる話を見つけていくものです。私の話を聞きたくて会っているのであれば間違いを正しても、「良い話を聞いた」となるでしょう。

ブログでせっかくコメントをしてもらったのに、返事に困ることが多くあります。書いていることを理解していなくて、その日に書いている事すら分かっていないこともありますね。
記事を読んでも「世の中には馬鹿な人がいるもんだ」と自分のことが言われていると考えないのかもしれませんね。そうなると書いても意味がありません。それで私と意見が食い違って争いになっても私は何の得もありません。私が教えなくてもすでに分かっていらっしゃるなら、私が意見を言う必要がありません。やめようかとも思います。


また何か書いてみましょうか?
どうせ読んでも深刻に受け止めないでしょうけども。

ヴァイオリンなど弦楽器は
①音は好き嫌いが大きい
②なぜかわからないが皆音が違う
③誰にでも作ることができる


①音は好き嫌いが大きい
「なにが良い音か」「音が良いとはどういうことか」というのは決まりがありません。だから音の良し悪しを客観的に評価することができません。

これを何度も言っているのに、真剣に受け止めず、何か作者の評価のようなものがあると思っている人がいます。

店頭で毎日のようにお客さんが来てみな楽器を弾いています。人によって音が違います。同じ人が弾けばどの楽器でも同じような音になります。楽器の差よりも弾く人の差の方がはるかに大きいです。

自分の音の性格と逆の音のものを選べば「平均的な音」に近づくでしょう。何を弾いても強い音を出せる人なら、楽器自体に音の強さは必要なく繊細な音のものが使えます。逆に何を弾いても柔らかい音が出るか弱い音しか出ない人は鋭い音の楽器でも耳障りな音にならないので使えます。こうなると評価は全く逆になります。


でも平均的であることが良いという決まりもありません。

演奏者の音と同じ性格のものが選ばれることもあるでしょう。それが好きな音だったり、不快だと思わないからです。感性が繊細で繊細な演奏をする人もいるし、強烈な強い音を出しても耳障りだと思わない人もいます。音大教授でもソリストとして強大な音を出す人もいるし、超絶技巧に凝っている人もいるし、バロックや古典派の音楽に精通し音量にこだわっていない人もいます。常連のコンサートマスターが不十分として手放した楽器を今では音大の先生が愛用しています。どちらも上級者ですが評価が異なっています。楽器にも相性があるのです。
音の調整をするときも、かなり個性的な音が出ていても、その人が満足しているのなら私たちは文句は言いません。本人は自分の音が変わっているとは気づいていないでしょうから。

これは音色の話をしているとは限りません。
ある人には音を出すのが難しいと言われた楽器があって、別の演奏者が試したときにその話をすると、「いや、まったく問題が無い」と言われたこともあります。うまく音が出せるか弾く人によって違いが出ます。わからないでしょうか?言葉でそのニュアンスを伝えるのが難しいですね。同じ楽器でも試奏した人の感想は様々です。

弾く人が自分の好みで判断するのが普通でしょうね。

「音が良い楽器」と言った時に具体的に音のどの面について評価しているのかわかりません。具体性がありません。
このため音についてその人がしっくりくるものを自分の基準で選ぶということを好き嫌いと言っています。

今私が話した具体的な音の話はどうでも良いのです。
とにかく同じ楽器でも音についての評価は弾く人によって違うということが話の主題です。


②なぜかわからないが皆音が違う
弦楽器は同じように作られていても個体差のような音の違いがあります。一つ一つの楽器の音がみな違うのです。それにははっきりとした理由は分かりませんし、作者が意図したとは限りません。むしろ意図して作るのは大変に難しいものです。たまたま自分が知っている作り方で作ったらそんな音になったというだけです。もしくは自分の方を騙して、出てくる音を自分の意図したものと思い込む人もいるでしょう。
職人としては師匠の楽器の音に近いことを誇りに思うのかもしれません。

実際に多いのは思い込みの激しい人で、何か工夫をしたりすると音が良くなったと思い込む人が多いでしょうね。

ともかく、なぜかわからないけども楽器の音はみな違います。演奏者の好む音もさっきの話で人によってバラバラです。ですから自分の好む音のものを見つけるしかないということです。このため客観的な評価などはあり得ないのです。


③誰にでも作ることができる
ヴァイオリンはまじめに勉強してまじめに働けば誰にでも作ることができます。才能は必要ありません。

誰にでもヴァイオリンを作ることができ、なぜかわからないけど音はバラバラです。演奏者の好む音も人によって違うので、どこの誰が作ったものに気に入る音のものがあるかはわかりません。目の前にある楽器を弾いてどれが気に入るかという事しかありません。目の前に楽器が無いのに、理屈で考えて自分の求める楽器を探しても意味がありません。

誰にでもヴァイオリンは作れるので、これまで通算で作った職人の数は数えきれないほどになるでしょう。一人一人について評価などはされておらず、同じ作者の楽器にもう一度出会う機会もそうありません。このため目の前にある楽器を自分にとってどうか評価するしかありません。


ミュシュランの星がついたレストランだけがおいしくてそれ以外の店はすべてまずいでしょうか?

ミュシュランの星がついた店の料理をおいしくないと思っていはいけないのでしょうか?

ミュシュランが調べた店の数は少ないでしょうし、高級店としてのふるい分けがありますよね。調べてない店がたくさんあることになります。調べたところでミュシュランの趣味であってすべての国の人がそれに従わなくてはいけないでしょうか?
そういう評価をしてる組織が弦楽器であるでしょうか?私のところに調べに来た人はいません。


音が良いということが人によってバラバラであるわけです。それに対して趣味趣向ではなく、誰にとっても望ましい音は全く無いのでしょうか?

基本的に「鳴る」ということをマイナスに評価する人は少ないでしょう。こうなると鳴るということは、誰にとっても「音が良い」ということになるかもしれません。この前、日本から楽器を買いに来た読者の話をしました。その人が日本で買ったイタリアの新作楽器に比べるとうちの店にあったものはたいていずっとよく鳴っていました。特別有名でも高価でも何でもないものでもそうでした。私は、それくらいは普通だと思っていたので特別に鳴るとは思っていませんでした。それに対してまれにものすごくよく鳴る楽器があります。私が鳴るというのはそのレベルの話です。このような鳴る楽器は作者が有名でないことがよくあります。つまりとんでも無くよく鳴る楽器なのに、作者が有名になっていないのです。もし作者について評価が網羅されているのならこのような作者が評価から漏れていてはいけません。でも実際には無名な作者の楽器によく鳴るものがあります。評価なんてのはザルですよね。

これだけ言ってるのに、私の書いていることをスルーして頭に何も入って行かないのでしょうね。

何時間もかけて記事を書くのがバカみたいです。


職人の腕が良いということは音には直結しないということを言っています。何故かというとどうやって作ったら音がよくなるか分からないからです。理想が分かっていて、とても高い工作精度でないとそれが作れないというのなら職人の腕の良さが音の良さに直結することになりますが、実際には何が理想かもわかりません。このため何も考えずに適当に作ってある楽器でも音が良いことが有り得ます。作者の技術や意図と関係ないという事でもあります。
そもそも音が良いということがバラバラなのですから考えても意味がないですね。

職人として言えることは楽器が正確にきれいに作られているかという事です。見た目に限っても形や風合いの個性などは評価することはできません。職人にも一人一人好みがあり、それを良い好みと悪い好みに分けることができません。私が評価しても私の好みを言っているだけになってしまうからです。変わった形をしていてもそれを良いとも悪いとも言えません。仕事が綺麗で正確であるかを言えるだけです。


コストを下げるために雑に作られたものかや一人前のレベルになっていない職人はわかります。未熟な職人の作るものは似ていますし、コスト削減の方法も思いつくことが同じです。
このため品質によって値段をつけることができます。

しかし一人前の職人が作ったものについてはその中でどれが良いかは職人の中の趣味趣向としか言えません。

形を変わったものにしても楽器作りの基本が現代の職人を覆すものでないなら、見た印象は現代的な楽器に見えます。それほど個性的にも革新的にも感じません。

一人前の職人がまじめに作ったものは見分けがつきます。しかし音は弾いてみないといけません。それより雑に作られたからと言って音が必ず悪いというわけでもありません。その上、音は好みですから。


値段についてはこのように生産者側の都合で考えることができます。作るのにどれだけコストがかかったかという考え方です。手抜きをして雑に作られた楽器が安いのはそのためです。しかし音は悪くないかもしれません。

それに対して、市場の需要と供給で値段を決める方法があります。オークションなどが典型です。日本人はどうもこの値段の決まり方が大好きなようです。商人の考え方なので、日本人は商人気質と言えるでしょう。

一方ヨーロッパではギルドなど昔から職人の組織があり、製造コストで値段を考えてきました。これは職人気質ですね。職人の技能は学習し訓練することで身に着きます。同じ技術を身につければ誰でも同じ値段ということになります。このような考え方が理解できないなら商人気質です。


アマチュアの職人のヴァイオリン




これはアマチュアの職人が販売したものです。その人によるとバチカン図書館でストラディバリのニスの秘密が見つかったそうです。工場で作られた量産楽器に自作のニスを塗って音が良いととんでもない高い値段で売られていたものです。
この人はプロのオーケストラのヴァイオリン奏者で呪術師でヴァイオリン職人だった人です。呪術師が入っているのが怪しいですね。
スマホの小さな画面ではわからないかもしれませんが、よく見てください表板のニスが汚らしいですね。

染みになっていて汚いです。こんなニスのストラディバリは見たことがありません。でも本人によるとストラディバリのニスの秘密だそうです。このように汚くなってしまうのはDIYなどで家具を作るとほとんどの人がやってしまいます。プロの職人に教わらないとこうなっちゃうのです。ストラディバリはこのような失敗をしていません。
でもなぜか既存のプロの職人よりも優れたものが作れたと思っていたようです。

裏板も汚らしく染みができていて、上に塗らているニスもまだらになっています。

ニスがまだらになっていますが、はげ落ちて無くなっている箇所があります。作られて20年ほどでこんなにニスが剥げてしまうのはおかしいです。これでストラディバリのと同じニスなのでしょうか?
工業製品としての品質もありません。

ナットと指板の先端が斜めになっているのが分かるでしょうか?これだと左側のG線と右のE線と長さが違ってしまいます。プロの演奏者がこれで良しとしてるのならプロの職人の方が間違っているのかもしれません。

掃除をするために弦を緩めて外すと魂柱が倒れてしまいました。普通は魂柱がしっかりと入っていれば弦を緩めても倒れません。皆さんが弦を交換するときはすべての弦を外さずに一本ずつか、ペグのところが窮屈なら2本ずつ変えることをおすすめします。駒の位置がずれることが無く、圧力がかかったままなので魂柱が倒れません。しかしそれで倒れるようなら魂柱は合っていません。交換が必要です。

それに対して魂柱を見ると面がボコボコです。倒れた魂柱を入れてみると全く表板と裏板の内側の面と。合っていませんでした。私たちが初めて魂柱を入れる仕事を習う時に、表板と裏板の面にピッタリ合うように加工していれるように習います。先日インターンの学生に教えたばかりです。

しかしこのアマチュアの職人は表板と裏板の間につっかえ棒が入っていればよく、面を合わせようという気が無いようでした。私には思いつかない発想でありビックリしました。合っていない魂柱は表板や裏板にヘコミを作ってしまいます。力が一点にかかると衝撃で割れやすくなってしまいます。割れなくても表板や裏板の内側がボコボコの穴だらけになっているとそこにピッタリと魂柱を合わせることができなくなり、魂柱パッチという修理が必要になります。

一方アマチュアの職人には魂柱を表板と裏板にピッタリ合わせるという発想が思いつかなかったことでしょう。
教わらないと分からないことがあります。面を合わせる気が無いのならヘコミができても関係ありませんね。

しかしなぜか、自分はストラディバリのニスの秘密を知っていて、既存の職人よりも優れていると思っていたようです。
プロのヴァイオリン奏者であるため、レッスンをする教え子などもいた事でしょう。先生が音が良いと言って購入を薦めれば信じることでしょう。


白木の量産品にストラディバリの秘密のニスを塗ってプロの演奏者が音が良いとべらぼうな値段で売っていた楽器です。皆さんは買うでしょうか?プロの演奏者が言うなら信じてしまうかもしれませんね。

しかし知っておくべきことは最初に言った三つのことです。理屈ではなく、実際に試して買わなければいけないのです。相手がどんな人が語っても「音が良い理由」を信じてはいけません。

プロの職人に見せれば品質が売りのものになるレベルではないことが分かります。
音は知りません、好き好きとしか言えません。

ネックは薄く平たいものでギターのような感じです。量産楽器ではこのようなものがありますが、プロの演奏者でも気にならないのでしょうかね?

アマチュアの場合にはどうしても自分が興味がある事しか頭になく、指導者に指摘されないと頭からすっぽり抜けていて気づかないことがあるのです。


量産楽器に自作のニスを塗っただけですから、プロの職人が作ったものよりも高い値段で売られていたら私は高すぎると思います。うちで中古品を売ることもしません。売り物になるレベルではないからです

ニスが剥げているからと言って補修することもできません。この人の理屈を尊重するなら私が別のニスを上から塗ったら音が悪くなってしまうことになります。そんな面倒なことはしません。

普通以上の音?



この前紹介したチューンナップ指板のチェロの話でしたが、続報があります。私は休みだったのでいませんでしたが、受け取りに来たプロオケのチェロ奏者は大変に気に入って帰ったそうです。もうちょっと弾きこんでから不具合があれば再び微調整をしましょうという話だったそうです。

仕上がった後、同僚が弾くとすごく鳴るという感じはしませんでした。これで大丈夫なのかなと心配でした。しかし、本人が修理前よりも音が良くなったと言っているのでそれで良いです。
私たちは全体の中でその楽器がどんな音かということは分かります。それに対して持ち主は、これまでと比べてどうかということになります。だから私たちが感じる音とは違います。

いずれにしても、チェロを普通の状態にしただけです。普通よりも音が良くなると理屈をこねて強引に秘密の改造修理を迫ったわけではありません。

普通の楽器なら、演奏技術を身に着けて弾けばちゃんと音が出るはずです。その中でも音はバラバラなので好きな音のものを選ばないといけません。それ以上を求めると、それ以下のものを手にすることになるのかもしれません。普通よりも音が良いと言って楽器を売っている人には気を付けてください。

音以上に気に入ったのは指板の形状です。弦を抑えるのがやりやすいということです。これも基本に忠実にしただけです。


さっきのアマチュアの職人のヴァイオリンでは指板の表面に裂けて割れた跡があります。これは、指板の質が悪いと起きやすいもので、安い指板ほど問題が起きます。
私が指板を削り直すと、特に難しい材質ではありませんでした。カンナがちゃんと調整できていません、それも興味が無いのでしょうね。


裏側は極端に削ってあり薄くなっています。あのチェロの指板と同じ感じですね。
なぜか同じ事に興味を持つタイプの人がいるようです。

指板を極限まで薄くするよりもネックの角度を正しくする方が音への影響が大きいと思われます。物事の因果関係や重要性の考え方が「呪術師」のような人はおかしいですね。

一人前の職人によって作られた普通の楽器かどうかは職人が見ればすぐにわかります。一般の人は分からないので粗悪品を避けようとすれば値段で判断するしかないようですね。

高いから一人前の職人が作っただろうと思うかもしれません。それすらデタラメなのです。


自分では音を判断する自信がないという人が日本人には多いのでしょうね。西洋の人では「自分が気に入ること」をとても重視します。この考え方の違いだけでも、日本で音が良いと評価された楽器がこちらでは通用しないかもしれません。

自分一人ならそれでもいいかもしれませんが、全員が自分で音を評価することを放棄すると、楽器を販売する業者は好きなようにできます。業者にとっては良い鴨というわけです。