【初心者の疑問】量産楽器の音とは? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

中高校生が200~300万円以上するヴァイオリンを使っているというのは日本くらいのものでしょう。こちらには100万円位でもそれ以上に音が良い楽器がゴロゴロあるということがわかってきました。そうなると100万円でも安いということになります。しかし普通に考えると100万円でも十分高価なものです。職人が一つ一つ手作業で作ったようなものは他にほとんど家には無いでしょう。高級車のメルセデスやフェラーリでもヴァイオリンで言えば機械で作られた量産品のレベルです。戦前には鉄板をハンマーでたたいて曲げてボディを作っていた時代もあったはずです。

これは一つにアマティ家によって4~500年前に基本的な設計がなされたためで、現代ならもっと製造しやすいものにしたはずです。単なる真四角の木箱でも十分音量は得られることでしょう。それに試行錯誤を加えれば機能的に優れたものになったかもしれません。


弦楽器では戦前より前の作者については、ごく一部の作者だけが有名になっていてオークションなどで人気が集中し高値となっています。それ以外は職人から見ても、演奏者が弾いても何の差もなくてもはるかに安いものです。むしろ高価なものよりも美しく精巧に作られていたり、音が良いと感じられることもあります。音や細工、つまり楽器の違いが分からないような人でも分かるのは「値段」と「名前」というわけです。
戦後や現役の職人では骨董品のような相場などはまだできておらず、自由経済システムの元で店が勝手に値段をつけているだけです。


それ以外の楽器については楽器の品質で値段をつけています。
高い品質のものを作るにはコストがかかるからです。しかしながら必ずしも品質が高いものが音が良いという事ではありません。何故かと言えば出てくる音は予測不能の要素が多すぎるし、音が良いということも演奏者によってもバラバラで主観でしかないからです。

職人としては手抜きをせず隅々まできちっと作ることが、全身全霊で楽器を作っていることになります。そうすると値段が高くなりすぎるというわけです。先進国ならヴァイオリンは200万円位でないと現代の普通の生活水準は得られないかもしれません。住む場所の地価によってはそれ以上です。それに対して100万円ほどの「中古品」に鳴りの良さではかなわないのですから対抗できません。職人にとって競争相手になるのは現代の同業者だけではなく、過去の職人も壁となります。過去には現代のようなハイテクな文明生活が無く、人の権利や尊厳、生命、健康、社会や環境に対する意識も低く、娯楽やレジャーも限られていたことでしょう。簡単に言えば職人の毎月の出費が製造する楽器の値段に含まれているというわけです。



夏休みを利用してこちらのヴァイオリン製作学校の生徒がインターンシップで職場体験に来ています。作業や道具の手入れなど学ぶことはたくさんあっていくら時間があっても足りませんが、作業以外の時間も使って、お店にある様々なヴァイオリンを試奏させました。
学生はなんと日本人で、本人は東京の楽器店で買ったマルクノイキルヒェン製の現代の量産楽器を使っているそうです。例によってうちの店にあるものをいろいろ弾いてみるとどれでも自分のものよりも格上の楽器ばかりだと感じたようです。この前の日本から買いに来た読者の方と同じようにどうも日本の楽器店の売っているもののレベルが怪しくなってきました。

はじめは音の強さや鳴る鳴らないということが評価の基準となっていました。パッと弾いた時に音が強く出る楽器が優れていると感じたようです。値段を言わずにいろいろな楽器を弾かせると、気に入ったのは現代のマイスター級のものではなく、むしろ値段の安い量産品でした。ミルクールのものも音が出やすく、プレスで作られたものだと教えました。プレスで音が良いなら学校で習っているヴァイオリン製作がバカみたいに思えた事でしょう。
しかし現実とはそんなものです。
これと同じように雑に作られ、同じような音のイタリア製の楽器があれば実際に試奏して音が良いと思う人はいることでしょうね。

さらにヤコブ・シュタイナーやクロッツなどオールド楽器を弾いてもらうと全く別世界であることにうっとりとしたようです。前日に量産楽器で言っていた音の良さの基準とは全く次元の違う物であり、知ってしまうと戻れないと言っていました。シュタイナーは3000万円くらいすると言うとビビっていましたが、それでもオールドでは特別高くはありません。私がこの前修理した南ドイツのものは魅力的な音が気に入ったようです。高いアーチでも音量が小さいということはなく、知識として学ぶことが実際とはかけ離れていることも経験しました。私がそのような楽器を目指して作っているということも興味がわいたようです。

同じ3000万円クラスでもJ・B・ヴィヨームを弾くと、やはり近代の楽器の音で魅惑的なオールドのものとは違います。音には鋭さがあり高音はかなりきつさがあります。ヴィヨームの名前がついているから3000万円するだけで、作ったのはヴィヨーム本人ではありません。下請けの職人が自分の名前で売ったものならせいぜい500万円位、ヴィヨームの弟子でもドイツ人のルドビヒ・ノイナーならさらに安いということも教えると目を丸くしていました。つまり3000万円すると言っても音も作りも普通の一人前のモダン作者と変わらないのです。しかし並みの人は「名前」と「値段」でしか楽器を見分けることができないので買う人がいるというわけです。
ちなみに以前所有していた人は亡くなられましたが、すでに耳が遠くなってきていたのかイタリアのオールドを買うお金があったのにこのヴィヨームを選んだそうです。持ち主が弾く演奏を聞くと我々は耳をふさがないといけませんでした。他のヴィヨームも全部同様の音かはわかりません。

他にフランスのものはありませんでしたが、この学生はオールドのようなものを好むようです。しかし、現在ではこのようなモダン楽器は音大生やプロの演奏者に求められ、ソリストや教授でも使っている人がいてむしろ主流だと教えました。

マニアックな読者の方たちには有名なヴィヨームも、学生にとってはテストに出るので覚えなくてはいけない歴史上の人物でしかありません。フランスの作者名を挙げろというテストでは全く書けなかったそうです。


たった数日間でこれだけの音の経験をしたのですが、一般の演奏者は何度か楽器を買い替え一生かかってすることかもしれません。日本にいる限りでは一生かかっても無理かもしれません。それに対して木材を決められた形に加工することは1~2週間ではどうにもなりません。それだけでも手一杯です。

修理で持ち込まれたイタリアのモダン楽器を見ても、全く美しく作ろうという気持ちのないもので、そんなのがなんで700万円もするのかと聞かれました。私が話しているような仕組みを教えました。

私が20年かかって得た経験を数日で体験します。急激に頭に入ってきて処理が追い付かないことでしょう。私はもっと教えたいところですが、許容範囲を超えてしまう事でしょう。新作楽器の製造でも学校ではニスは塗る事しか習いません。ニスを自分で作るとなると楽器製造と同じくらいかそれ以上の世界の広さがあります。修理もそうです。学ぶことが多すぎて気が遠くなると言っていました。高等専門教育を受けていてもこうですから、マニアが知った気になってもたかが知れてるわけです。


こんな様子ですから私が良い楽器と言えるようなものは条件としてはオールドでモダン楽器に遜色ないかそれ以上の性能を備えたものです。それは究極の存在ですね。

現実には限られた予算で妥協して値段に見合った楽器を買うしかありません。日本では値段以下の音のものを買っている人が少なくないわけですから弦楽器を特別なものと思い欲張るほど失敗していることになります。何かが根本的に間違っているようです。
うちではお客さんが予算を言うと、楽器をずらっと並べ、何も言わずお客さんはほったらかしにして自由に弾き比べてもらいます。その場で決めるのは難しいので予選を通過した候補をヴァイオリンなら4本ほど家に持って帰り最低1週間ほどはゆっくり試してもらいます。延長する場合は保険会社に申請が必要となります。チェロではケースと運搬の都合で一度に4本は難しく、2本ずつ交代でも良いし、勝ち抜き方式でも良いです。


このような販売法ですから、お店としては音が良い楽器を揃えないと売れないというわけです。言われれば当たり前ですが、日本では全く違う事でしょう。生産国がどうだのウンチクから始まるだけでなく、そもそも営業が教師とのパイプを作り生徒に楽器を売ってもらうように仕向けるのが営業マンの仕事となります。店頭で待っているだけではノルマや営業成績を達成できません。当然先生も仲介料を受け取るわけです。客からすれば同じ店ならだれが接客しても楽器を出してさえくれれば同じように思いますが売り上げ成績が営業マンにとっては同じではないようです。

生徒が楽器を買う場合、先生の影響はとても大きいものです。
ヨーロッパでは店を紹介することさえ禁止されている国もあります。うちではそこまで厳しくありませんが、熱心な先生であれば生徒は練習するのに適した楽器を使わせたいと思う事でしょう。しばし問題になるのは先生が自分で試奏して良かれと思って独善的に選んだ楽器を生徒に買わせ、生徒がその楽器を嫌いになってしまうことです。弓ではもっとひどいです。人によって使いやすいと感じ方が違います。骨格なども起因するのでしょうか?先生が勝手に選んで生徒が学校を卒業すると同時に弓を売りに来たことがありました。
音楽家らしいエモーションです。教師という立場もそれに輪をかけます。

理想的なのは先生はあくまで生徒の好みを尊重し、楽器選びを見守ることです。生徒が自分で弾いて選ぶわけですが、上達すればここまで出ると楽器の潜在能力を披露することが先生にはできるでしょう。

そういう教師たちに信頼されて、あの店に行けば良い楽器があると思ってもらうことがうちのお店の企業努力です。日本人は勤勉なのでそんなのんきなレベルではなく教師のもとに足しげく通いごまをすって気に入られ、仲介料を提示しパイプを築いていくのです。それができない営業マンは辞めていくことになります。こうなると音で楽器が選ばれなくなります。とにかく日本では音以外の要素が楽器選びの決め手になっているようです。このような現実は社会人の皆さんならわかっていると思いますが、日本全体でそういうものですよね。弦楽器業界だけが清廉潔白で違うということがあるでしょうか?このような営業マンが職人についてやれ天才だの一流だの語るのです。なぜ皆さんはそれを信じてしまうのか私には不思議でなりません。作者が一流かどうかは気にするのに、なぜかそれを語る日本の楽器店のレベルが世界の何流か気にする人がいません。

産地や作者の名前などの聞こえが良く、比較的手ごろなものはよく売れるでしょう。しかし手抜きのためにとんでもなく板が厚ければ後で音がどうしようもないことに気付きます。買った時に比べると雀の涙ほどの値段で売って買い替えます。その時に初めて楽器店の仕入れ値の安さに驚くことでしょう。リセールバリューだなんて知ったことを言って有名なものを買っても果たしてどんな運命になるのでしょうかね?

また無知な人がそれを買うわけです。ずっと日本に残り続け、常にお金を生み出し続けます。日本では弦楽器の歴史が浅いので誰かが輸入してこないと、楽器が入ってきません。その時の基準が日本に存在する楽器のレベルを決めるのです。こちらでは持ってこなくても初めからあります。

うちではよく売れるヴァイオリンがあります。ルーマニア製のもので機械で作られている大量生産品です。そんなにビックリするほど精巧にできてるわけでもありませんがなぜか音が価格以上なのです。同じメーカーのチェロについては音が柔らかく他の量産メーカーのものに比べて人気があり、それを指名してくる教師もいます。そこの経営者は誠実さがあり付き合いも長く、社長が自分の車を譲ったこともあります。
安価な楽器は音が小さいというよりはむしろギャーっとやかましいものだと説明しました。それについて量産品では上等な感じがします。特にスチール弦が主流のチェロでは有利に働くことになります。安いチェロに安い弦を張ると金属的な音が耳障りでしょうがないというわけです。

ルーマニアでは盛んに同様の楽器が作られていて、他のメーカーでも共通点があるので、部品ごとに下請け企業があるのかもしれません。つまり機械で表板と裏板、スクロールを荒加工する工場があり、それを各メーカーが購入して使っているということです。しかし仕上がりの品質には差があり、経営者の誠実さもあって同じ会社だけと取引が続いています。特にブランド名があるわけではありませんが、なぜか音が良くお客さんに好評で仕入れると先に売れて行くということが最大の要因です。
これがドイツの量産メーカーに比べても価格と音の両面で圧倒していますから、ドイツ製品を仕入れることはほぼなくなりました。うちではドイツ製品は中古品ばかりとなります。
うちでは中国製品はほぼ扱っていません。欧州のメーカーがどこで作っているか公開してない場合がありますが、そんな時は中国製品でしょうけども。
10万円以下のものも扱っていません。

ルーマニア製のものは世界中で売っているはずですから試してみてください。





価格は税抜きで2000ユーロ台で売っています。買う時はペグと駒と魂柱、弦、テールピース、あご当てはついておらずうちで取り付けます。指板も仕上げ直します。あご当ては試奏用に仮につけてあるだけで、あごの形状に合わせて別のものにすることができます。
その工賃や部品代も込みになっていて、別にやってもらえば10万円近くなります。だから安すぎる楽器を買うとさらにそれだけかかるということです。弦だけでも安くありません。それならレンタルの楽器を薦めています。


それに対して貴重なのは量産品でも中古品です。
しかし同じくらいの価格帯では現代の機械で作られたものよりも品質は悪く手作業で雑に作られています。1900年前後にドイツのマルクノイキルヒェンで作られたような量産品は粗悪なものです。音は枯れたような感じはあり、鳴りは強くなっていますが、高音には鋭さがあることが多いです、量産楽器のギャーッという音がさらに強いです。何を弾いても貧弱な音しかしない人には良いかもしれませんが、一般には粗悪品ということになります。今は空前のユーロ高なのでそれでも結構な値段になってしまいます。3000ユーロ~4000ユーロ出しても音の状況はさほど変わりません。マイスター級の楽器はその倍はします。

戦後の西ドイツの量産品では品質は向上していることもあります。70年代~80年代のものは鳴りがとてもよくなっています。200万円以上するクレモナの新作楽器よりもはるかによく鳴ると感じるでしょう。
ただし、音自体は量産品らしい音の印象があります。量産品として歴史がある分、これぞ量産品という感じがします。音は好みなので特に嫌な音だと思わなければ下手なものよりはいいでしょうね。

それに比べるとルーマニアのものは量産品以上の感じがあります。現時点でも鳴らないという印象はありませんが、今後さらに鳴ってくるでしょう。新作楽器と言うのは寝ぼけたような音の方がいいかもしれません。

それでも私が作ったヴァイオリンと比べると量産楽器特有の粗さを感じます。私の楽器はハンドメイドの中でも特別繊細な音がするものですから。現代の作者ではもっと荒い音のものが多いです。モダン楽器でも鳴りが強くなっている分さらに鋭くなっています。それを力強いと評価することもできます。

安い楽器は音が小さいというよりは、弓が触れたとたんにギャーと単純な音が出ます。弱い音が出しにくいというのも「発音が良くない」と言われます。耳元ではやかましく遠鳴りしない音でもあります。
上等な楽器になって来ると、音はじわっと出るようになり操る範囲があるようです。

一般論としては楽器の品質がそのような違いを生んでいるのではないかと思います。しかし〇〇であるほど良いというのではなく程度も重要です。荒々しすぎると耳障りですが、柔らかいと弱く感じます。プロの演奏者でも強い音を出すのが楽なものが喜ばれます。ですから自分の好みに合うものを選ぶ必要があります。

量産品と同じように荒く作られたイタリアの楽器の音が良いと感じられる可能性は十分にあるということです。特に量産楽器になれている人が試奏するとタイプが似ているので弾きやすいということはあるでしょうね。モダンなら値段は何十倍ですけど。


音は個体差がありますし、感じ方も個人差もあります。演奏も先生ごとに教えが違う事でしょう。大雑把なイメージとしてこのようなことは、今回ヴァイオリン製作学校の留学生が初めて知ったことです。演奏はアマチュアのレベルですがこれくらいの違いは自分ではっきりと分かります。