日本から読者の方が来ました | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

チェロについて続報があります。
ハミッヒのチェロは板が厚くアマチュアには鳴らすのは難しいという話でした。

今度は男子音大生が試奏をしました。
ハミッヒのチェロを弾くと「弾きやすい」と好印象を持ったようでした。若くエネルギッシュな彼ならもしかしたら弾きこなせるかもしれないと私も思いました。その後、クロッツ家のチェロを弾くとパフォーマンスははるかにそれを上回るものでした。
演奏技量が高くなれば鳴りにくい楽器でも問題がなくなるかもしれないと考えていましたが、その逆で差はさらに開いたようです。


木材についても質問がありました。
ミッテンヴァルトではとても目の細かい木材が好まれました。成長速度が遅く密度が高いものです。同じ種類の木は平地にも生えていますが、成長速度が速いため年輪の間隔が広くなります。成長速度が遅いもので、チェロほどの大きさとなると樹齢が相当必要になります。必ずしも音が良いとか悪いとかではありませんが、特に表板でミッテンヴァルトの楽器の分かりやすい特徴です。
黄金期のストラディバリの裏板は横じま模様の杢が深いだけでなく、密度も高いものが使われています。ヴァイオリンの一枚板の裏板でチェロの半分と同じくらいの樹齢が必要ですが、今では入手は難しいです。
紳士服で言うと生地がどうだのこうだのいう話で、音は関係ないので楽器としてはそれほど気にする必要はありません。チェロだとそれ自体が貴重なので木材を選べるほど選択肢がありません。ハミッヒのほうが現代的には上等な木材に見えますが音は出にくいです。
一方でイタリアも含めてオールドの時代には低質な木材が使われることも多くありました。また均一で整っていないものの方がコピーを作ったときにオールドっぽさが出ると私はわざとそのようなものを探しています。

「年輪年代学」という学術研究があり、表板の年輪の特徴を分析しデータベース化する試みがなされています。素性が分からないシュタイナー型のオールドヴァイオリンを調べると、同じような木材の特徴が、ウィーン、ミュンヘン、ニュルンベルクの楽器と近かったそうです。このようにアルプスの木材は当時から木材商を通じて流通しており、特定の産地の楽器だけに使われていたのではないようです。表板は植林によって豊富にあり薪として燃やされるほどで、裏板は枯渇して来ているようです。

日本との格差


ブログを始めて随分となりますが、私もとても勉強になったことが多くあると思います。常にユーザーの視点を意識するようになったことです。職人には職人の世界の論理があります。日ごろから現地のお客さんの声にも耳を傾けるようになりましたが、読者の方との交流も思いがけない経験となります。特に日本とこちらの差について得ることが多くあります。

日本から楽器を買いに来るというのはとても珍しくて20年近く前にうちで買って行った人がいます。短い時間でしたが今年はコロナ対策も終わって久々にやってきて顔を見せてくれました。でもそんなことはとても珍しいことです。

主にオーケストラで仕事をしているという日本人のヴァイオリン奏者の方が、以前からブログを読んでいただいていて良い楽器があったら欲しいということで連絡をいただいていました。私は、わざわざ日本から来るほどの価値のある楽器がないと思っていたので当初は冷たい返答でした。そんな中急に南ドイツのオールドヴァイオリンが持ち込まれて、かつて記事でも紹介したオランダのヴァイオリンが安くなるということで急遽渡欧されることになりました。

ご自身は高校生の時にイタリアのモダン楽器を買ってもらって使っていたそうですが、音に不満があり見てもらうと素人が作ったような楽器で板の厚みがチェロのようだと言われたそうです。そこで5年ほど前に新作のクレモナのヴァイオリンを買ったそうですが、音量に不満があったそうです。そのヴァイオリンを持参してうちの店で楽器を探すことになりました。

長旅にもかかわらず着いてすぐに試奏を始めました。
本命はオランダのオールド、ヘンドリック・ヤコブスです。

しかし音量のことを言っていたので、とりあえずボヘミアのマティアス・ハイニケのヴァイオリンを弾いてもらいました。ご自身のクレモナのヴァオリンに比べてはるかによく鳴ることに驚いていました。

私は50年以上経っている楽器がこれくらい鳴るのは普通だと思っていたので日本から来る価値のあるほどの楽器だとは思っていませんでした。マルクノイキルヒェンのパウル・クノールやカールスルーエのパーデヴェットなどどれを弾いてもクレモナの新作楽器よりははるかに鳴るようです。私の作った楽器でもクレモナのものよりは鳴り、ミルクールの量産品でもよく鳴りました。

私は、チェコやドイツの楽器でもイタリアの楽器と決して遜色はないですよと、ブログでも書いてきました。しかし実際はそれどころではなく、その日店にあった楽器の中ではクレモナの新作楽器が最低レベルでした。名のあるものだけでなくあご当てを試すためにそこら辺にあった安い楽器を弾くとそれもよく鳴ってビックリしました。

そんなに差があるものだとは私も思っていませんでした。
もちろんクレモナの現代の楽器もいろいろあるでしょうが、うちの店に来ることが全くと言っていいほど無いので実力が未知でした。


ちょうど寿司と反対です。
こちらでは新鮮な魚が流通していないので、日本から来たどんなに腕が良い職人でも作れる寿司のレベルが低いです。こちらの高級店の寿司よりも、日本のスーパーマーケットの寿司のほうがレベルが高いです。こちらで高いお金を払って寿司屋に行くよりも、帰国してスーパーで買った方がずっとおいしいのです。
それと同じような感じです。こちらではなんでもない普通の楽器と思われているものが、日本で売られているクレモナの楽器に比べてはるかによく鳴るのです。

クレモナの楽器の厚みを測ってみるとかなり厚い物でした。外観は悪くないのに何故か板の厚みはかなり厚かったです。20世紀にはどこでも厚い楽器が多くクレモナの楽器のほうが薄いのではないかと期待していましたが変わらないですね。
その他にはネックはとても太い物でした。クレモナの楽器でも職人によっていろいろ違いますが、クレモナの学校の教科書通りに作ると太いネックになります。クレモナにはヴァイオリン職人のほうがヴァイオリン奏者よりも多いんじゃないかと思うほど、演奏者と職人の接点がありません。職人たちの論理がまかり通っているのです。偉いマエストロの言ったことの方がお客さんの言う事よりも重要なのでしょう。
仕事も新作楽器の製造しかないので、日本やアメリカの業者が安い値段でしか買い取ってくれないとしてもそれしか生計を立てる方法がありません。いかに安上りに作ってそれなり見栄えがするかということを流派全体として経験値を蓄積してきました。このため他の国の楽器とは見た目は違う独特な雰囲気があるでしょう。中国人も真似ているでしょうが「本物のイタリア製」だからと言って音が良いということはありません。

フランスでは1800年代にモダン楽器の製造が盛んになり、それが伝わったドイツでは1800年代の後半にドイツ的なモダン楽器の作風が確立し広まりました。ドイツの北から南の端まで作風はそっくりで1900年頃には多く作られるようになり、チェコのボヘミアでも独自の楽器が作られるようになりました。このような楽器はたくさんあり値段は200万円もしないようなものがほとんどです。作者名が不明だったり、無名な作者なら1万ユーロもしません。これらは何でもクレモナの新作楽器よりもよく鳴るのです。このようなマイスター作の楽器は日本にはほとんど輸入されず存在すら演奏者には知らされていません。

私はその中でもまれにすごくよく鳴る楽器があって、そのレベルを鳴ると考えていたので驚きです。このため私も自分の楽器は鳴らないと考えていました。

「鳴れば良いというものではない」と考えるかもしれませんが、そのクレモナの新作楽器に鳴る以上の魅力があるとも思えません。それに対してオールドや初期のモダン楽器を試してみると音色(おんしょく)が全く違いました。彼にとってはその違いはとても重要で20本くらいある19世紀終わりから20世紀前半の楽器の試奏はそれ以上しませんでした。


最初の印象ですぐに、飛行機代を払って楽器を買いに来る価値があると分かりました。どれでも自分の楽器よりは音が良いのです。100万円位のヴァイオリンを30万円の旅費をかけて買っても新作のイタリアの楽器よりははるかに安いのですから。中高生などはそれで練習したほうがずっと良いですね。彼も言っていましたが、当時は楽器が鳴らないのは自分の演奏が未熟だからだと考えていたそうです。そうではなくて楽器が鳴らなかったのです。日本の中高生はハンディキャップを背負っていることになります。

私がイタリアの楽器を悪く言うと、日本人の「ねたみ」ということになります。
そうなると客観的な技術者としての意見ではありません。しかし少なくともイタリア製の楽器がはるかに格上で、他の国のものはどうしようもなく劣っているという考えは改めたほうが良いと思います。
最近指摘しているように、国際的な流通ルートに乗るためにはイタリアの職人も安く楽器を作らなければいけないということですね。
20年ほど前に買って行った人も今でも自分の楽器を溺愛しているようで、そこまで愛情を持っているのが謎でしたが、日本で売られている楽器と比べれば納得です。

今回のようにプロの演奏者になると本当に音が良いかどうかが分かるようになります。例によってセールストークは無く、今回は3日間、営業中は何時間でも好きなだけ邪魔をせずに弾いてもらいました。それだけ弾かせてもらえることは日本ではないと言っていました。じっくり弾かれたら何か都合が悪いんでしょうかね?

楽器選びの次の段階


しかし、古い楽器限定で探すとなると急に状況は難しくなります。
なぜなら数が急に少なくなり、作風も品質もバラバラです。
ヤコブ・シュタイナーとJ.B.ヴィヨームも予算オーバーではありますが試してもらいました。またニセモノではないブッフシュテッターも売り物ではありませんがめったに手に取る機会はないので試してもらいました。


まずは弓から。
航空会社によって楽器の扱いが違うため今回は弓を持ってくることは断念しました。もちろんうちには売るほどありますから何でも好きなもので試すことができます。彼が選んだのはこの弓で十分に弾きやすいと言っていました。

フロッグの材質が変わっていますが、牛の角でしょうか?ホースト・シッカーという戦後の西ドイツ・ブーベンロイトの作者のマイスター弓です。

この弓は今の為替相場で27万円くらいになりますが、平年の相場で考えると22万円位になるでしょう。マイスターの弓としては最低ランクです。それはまだ新しすぎて骨董品としての相場ができていないためです。つまり新品の弓に骨董品のように値段がつくのはおかしいということです。メーカーや店が自由経済の下で勝手に好きな値段で売っているだけです。
他に100万円を超えるような弓もたくさんありますが、これで十分使いやすいと言っていました。かつてブログでもそのような記事を書いていましたがその通りであることを実感していただいたようです。
これは日本よりもずっと高い消費税が込みになった値段です。

今回の目的の一つとして私が修理してきた南ドイツのヴァイオリンです。


ピカピカに仕上がりました。

音は私も意外な感じで優雅で上品なものとは全く違いました。ダイレクトではっきりと強い音のするものでした。当然新作楽器よりもよく鳴ります。
私の予想は完全に外れました。こもったようなモヤモヤした音はありません。
19世紀のモダン楽器でも尖った暗い音で強い音がするものがありますが、それは高音がそれ以上に鋭いです。それとは違い高音は柔らかさがあります。音色は現代の楽器とは全く違います。

アーチはそれなりに高さがあります。表板の横方向の断面では三角になっています。そのあたりが柔らかい豊かな響きが抑えられているのではないかと思います。はっきりと特徴のある音で、強く鳴ります。
これは彼の好みではなかったようです。

大本命のヘンドリック・ヤコブスです。詳しくはリンクを参照してください。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12673287974.html?frm=theme




こちらはフワッと繊細な響きがあり、全体的に柔らかさがあります。アクセルが急に全開になるのではなくてじわっと音が出る感じですかね。弱い音がうまく出ることは言っていました。
音自体は好きなようでしたが、大きな音を出すのはちょっと労力がいるようです。それでも自分の楽器よりは上ですから買い替える意味はあります。

弦楽器の音は下克上だと言っていますが、思わぬ伏兵が現れました。

楽器庫の一番奥にあった謎の古そうな楽器です。

仕事も雑でかなりいびつです。
どこの誰が作ったのか全く分からない楽器です。量産品のような特徴も無いので手作り感があります。しかしどこの流派なのかも全く分かりません。普通はこのような楽器に偽造ラベルを貼って売るものですが、それならニセモノと判断されるものです。しかしノーラベルでなんだかわかりません。

アーチも平らでペタッとしたものです。

普通に考えればただの安物で1万ユーロもすることは無いです。クオリティだけで言えば5000ユーロもどうかと思うくらいです。古さをどう評価するかです。
ただし、仕事の雑さになんとなく雰囲気があります。まず無いとは思いますが、もしかしたら高価な楽器かもしれません。古い楽器は作者や流派によって値段が決まるのでそれが判明しないと値段のつけようがありません。値段がつけられないと売ることはできません。

ここまで粗雑に作られた楽器は名器を集めたような本には出てきません。本を作る時には美しい傑作を写真に収めようとするからです。

しかし音はよく鳴って豊かさと強さがあります。
彼が何度も何度も試奏を繰り返した結果この楽器を一番気に入りました。しかし社長も売り物として考えていなかったので困ったものです。私が変な楽器を楽器庫から見つけてしまったばっかりに厄介なことになってしまいました。粘り強く交渉するとこの後で鑑定士に見てもらうことになりました。
今回は予定通り自分の楽器だけを持って帰り私が次に帰国するときに楽器を届けるという予定です。謎の楽器が買えないようならヤコブスになります。
ヤコブスは最大で8万ユーロの相場となっています。今なら1000万円を超えます。謎の楽器は値段が不明です。普通なら1万ユーロもしないはずですが、念のため鑑定士の意見を聞きたいと思います。


鑑定士はなんて言うでしょうか?

古い楽器らしい音色があり、鳴りが良くて楽に音が出るということを高く評価していました。このような楽器を買わずに、なぜ苦労してわざわざ音が出にくい楽器を弾かなければいけないのかということです。

私の見た感じではオールドではないと思います。アーチが平ら過ぎるし大概のものはアマティやシュタイナー譲りの丸みがあります。ストラドモデルを適当に作った様な感じがあります。フランス風のモダン楽器をよく理解しないで自己流で作った様な感じがします。オールドとモダンの境目の時期なのかもしれません。
モダン楽器で有名な作者でこのようなものは見たことが無いのですごく高価ということは無いでしょう。それでももしイタリアの人が作ったならそれだけで最低でも3万ユーロはすることでしょう。
他にパターンがあるとすれば、有名な職人の息子がとんでもなく不器用なケースです。苗字が有名なら最低の評価でもそれなりにするでしょう。

このような楽器は職人には怒られるタイプのものです。「こんなひどい楽器をなんで選ぶんだ?」と。それに対して「でも音は良いんです」と反論しなくてはいけません。

修理は私が表板を開けてフルレストアしてあります。しかし私も覚えておらず、たいした楽器ではないという認識だったようです。それ以来売り物として出されることもなかったようです。その時に張られたオブリガートの弦も5年以上前のものですが新品のようです。

最後にあご当てを選んで、古い在庫についていたものがしっくり来たようです。金具が酸化して粉を吹いていましたが、未使用だったようです。磨いたらきれいになりました。昔のあご当てでメーカーも分かりません。

肩当を使わない場合にはこのような真ん中につけるものを使う人がいます。


とても面白い体験


読者の方が来るというのも初めてでしたが楽しい数日間となりました。

出どころ不明の謎の楽器を気に入ることになりました。私が言って来たとおり、弦楽器というのは弾いてみないと分からないということですし、どこの誰が作ったものに音が良いものがあるかもわかりません。
木材もチープなものです。

鑑定士は夏休みで休業しているので来月に鑑定に出します。結果が楽しみですね。私は鑑定士ごとに言うことが違うのではないかと思います。でも、鑑定士も分からないと言うのではないかと思いますけどね。どうでしょう。


どちらかのヴァイオリンと私が自分で作っているヴァイオリンの二つを持って帰るため他のものは次回の帰国では持って帰れません。ご了承ください。


鳴りにくい楽器を学生に使わせるのは酷です。仕事の道具としても使いやすいことが重要なのではないでしょうか?日本の楽器の流通には大きな問題があるようです。消費者の意識が大事だと思います。何でもない楽器をバカにせずちゃんと音を評価することが重要です。

冒頭のチェロの話も無視できなくなってきます。
ハミッヒのチェロは板が厚くて鳴りにくいという話でしたが、同じような厚さで新品だった場合はそれよりも鳴らない可能性が高いでしょう。あのハミッヒのチェロでさえ日本で売られているものよりもはるかに鳴るという可能性も出てきます。怖いので考えるのはよしたほうが良いかもしれません。

日本国内であれば他の生徒も同じようなものを使っているので競争においてはハンディキャップにはならないでしょう。しかし世界で一番高価な楽器を使っている日本人の学生が一番鳴らない楽器を使っているのではないかと思われます。留学生などを見ると心当たりがあります。

少なくとも留学する前に楽器を買っていくのはやめたほうが良いと思います。