高い楽器は本当に音が良いか、音について分かっているという事、クロッツ家のチェロなど | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

以前ハミッヒのチェロについて紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12807150974.html
700万円くらいするチェロです。モダンチェロとしては特別高いわけではありません。しかし常識的に考えれば高価なものです。
板が厚くて鳴りにくいという印象がありました。
常連のアマチュアのチェロ奏者が試奏しました。
この人は父親が放送楽団でヴァイオリンを弾いていて、幼少からずっとチェロを弾いています。元医者で退職していますがチェロを弾くことを老後の楽しみとしています。
ハミッヒのチェロを試すと、やはり底から鳴らしきることはできず、表面的な音について鼻にかかったような鋭さがあることを気に入らない様子でした。
アマチュアにはかなり難しいという感じです。やはりフラットで板が厚いこのチェロは弾き手を選ぶようです。桁違いの力量を持った演奏者ならどうかは分かりません。しかしプロでも仕事は楽にできるほうが良いと鳴らしやすい楽器を好む人が少なくありません。

職業は聞いていませんが、かなりの腕前のアメリカ人が弾くと特別音が小さいという感じはしませんでしたが、他のチェロよりも音量があるという感じもしません。小型のクロッツ家のチェロのほうが音量がありました。フラットで大型のモダンチェロのほうが小型で高いアーチのオールドチェロよりも音量が無いのです。アーチがフラットなほど音量があるという理屈は現実ではありません。フラットなアーチで鳴らない楽器はたくさんあり、高いアーチでも鳴れば音量が出ます。鳴るか鳴らないかの違いがどうして生まれるかはわかりません。板の厚みが要因になることはありそうです。

700万円するからと言って必ずしも音が良いチェロと言えるものではありません。

つまり値段は一つ一つの楽器の音で決めているわけではなく、作者の名前で決まっています。作者の評価なんて本当にいい加減なものです。特にチェロが有名なハミッヒでこの有様です。職人の感覚すると作者の評価というのは本当に雑です。楽器を褒める時はいくらおおざっぱでも責められません。職人なら0.1mmの正確さを求められます。今回のように評価が間違っていても誰も責められません。普通の人は物事を厳密に考えないみたいです。作者を評価する仕組みみたいなものは無くて、何となくうわさで広まって人気が出てくるようなことです。幽霊が出るというくらいの信ぴょう性です。

もしかしたら弾きこなせる人が現れるかもしれませんが、こういう楽器は「マニアのコレクター向け」または「資産化」の線が濃厚ですね。でも高いから音が良いと思って買ってしまう軽率な人がいるでしょう。700万円位なら安いと品定めせずに買う人もいるかもしれません。



このように値段が高いからと言って必ず音が良いわけではないということを言っています。ほかにも700万円位のチェロがたくさんあれば、値段に見合ったものもあるでしょう。したがって全くメチャクチャということもないかもしれません。しかしチェロは作られた数が少ないので好きなものを選べるというのは難しいです。
ヴァイオリンであれば同じ値段で同じくらいの格のもの、つまり200~300万円位のものはたくさんあることでしょう。200万円以下となるともっと多くなります、かえって安い方が掘り出し物もあるかもしれません。

ちなみにクロッツ家のチェロは900万円位でしょうか。高いだけのことはあります。小型なのに低音が豊かで深みがあります。鳴るだけでなく音に味わい深さ、柔らかさ、心地良さ、伸びやかさがあります。さすがにオールドは違うという感じがしますがオールドにしてはかなり安いです。

ともかく必ずしも値段と音が一致するわけではないので必ず試して購入する必要があるということです。有名な作者ほど、値段がけた違いに上がりますが、音はそこまでではありません。場合によっては並以下ということもあります。本当に音が良い楽器が欲しいなら、はるかに安い楽器も試すべきです。有名ではないけども職人から見ると十分一人前の職人のものがあります。


このようなことは音楽家も真剣には考えてこなかったでしょう。今は値上がりが甚だしいので楽器の値段を考えるとお金が紙くずのようです。
普通は地位が高くなり高収入になると高い楽器を持っているものです。それに対してアジアの人たちは先に高い楽器を買って、地位を上げようというわけです。発想が逆ですが、本当にそうなるでしょうか?業者はそこに付け込んで商売をしてきました。

「値段が高い楽器が本当に音が良いのか?」
こんな事は真剣に考えられてこなかったことです。
このようなことを真剣に考えないのが普通の人のようです。私は実際に多くの楽器を経験することで疑問に思うようになりました。職人の中でも変わっている方でしょうね。頑固な職人の中の職人というわけです。

弦楽器について言われてきた知識についても同様です。
例えばラッカーのニスについては「ラッカーは硬いため振動を妨げて音が悪い」と教わりました。「柔らかいニスは振動を妨げないため音が良い」ということです。このような知識を学んだ職人は「私は音について理解している」と考えてしまいます。柔らかいニスを塗ったので「私の楽器は音が良い」と考えます。しかし知識で考えてわかっていると思い込んでいるだけで、実際に硬さを変えて音を実験したことがありません。

私は「本当にラッカーは音が悪いのか?」と疑問を持っています。ラッカーで塗られた楽器でも音が良いものが実際にあったからです。
そもそもラッカーに限らず硬いニスの楽器が音が悪いということは全く見当違いです。修理の仕事をしていると、硬いニスの楽器はメンテナンスの時にダメージが少ないのですぐにわかります。そのような楽器でもよく鳴るものがあります。

音が良いという事にはいろいろあって、音量があるということもあるし、柔らかい音というのもあります。少なくとも硬いニスの楽器では音の強さという点では優れているのではないかと思うほどです。洗濯機など騒音があります。私は学生時代にゴムを洗濯機の脚の下に挟んで騒音を軽減した経験があります。ゴムのような柔らかいものが振動を妨げているのですよ。このようなことは様々な分野で使われていると思います。理屈の時点で現実とかけ離れています。

「ラッカーは鋭い音で音量が強く感じられますが時には耳障りな音がする」と結論付けて良いのでしょうか?ラッカーの楽器でも柔らかい優しい音がする楽器もありました。つまりニス自体は音についてそれほど決定的な影響を与えるわけではないということが分かったにすぎません。つまりニスが何だからと言ってどんな音がするかはわからないということです。20年以上の経験で私が分かったことはニスがなんであるかによって音がどうなのかは分からないということです。

「ラッカーは硬いので振動を妨げ音が悪い」という知識を学んだ職人は「自分は音について理解している」と自負することができます。しかしそれを検証していくと「音については分からない」となっていきます。よく分かっている人ほど「分からない」ということになります。

一般論として言えば、ラッカーが塗られているのは安価な量産品です。それも古い時代です。今ではアクリルのほうが主流でしょう。戦前のザクセンなどの量産楽器の場合にはラッカーが普及した時代と一致します。雑に作られて粗悪なものがたくさんあります。それにラッカーが塗られていて、安価な楽器の音になっているわけです。「ラッカーが塗られているような楽器の音」として私がイメージするのは耳障りでやかましい下品な音です。それはラッカーのせいというよりは楽器の作りの粗さにあるでしょう。ラッカー自体が音が悪いというのではなく、ラッカーが塗られているような楽器は値段が安いものだということです。ラッカーを用いたのもコストを安くするためです。「ラッカー=安物」というのはあっています。しかし丁寧に作られた楽器にラッカーを塗っても必ずしも音が悪くなるということは無いでしょう。せっかく手間暇かけて作られた楽器にラッカーを塗ると安物の印象になってしまいます。商品としてはもったいないですね。一方ラッカーでもきれいにニスを塗ればラッカーかどうか見分けはつきません。私は臭いで判断することがあります。見た目よりも臭いのほうが確かです。逆に言うと見た目ではわからないことがあります。もちろん音でニスがラッカーかどうか聞き分けられる人はいないでしょう。

一方でニスを塗り直したこともあります。
ラッカーはあまりありませんが、現代の量産楽器のアクリルを溶かして剥がし、天然樹脂のアルコールニスで塗ったことがあります。また、量産メーカーにニスを塗る前の楽器を売ってもらって、自前でニスを塗ったことがあります。完成品と比べると、天然樹脂のアルコールニスのほうが柔らかい音がしました。やはり硬いニスのほうが耳障りな音がするようです。しかしニスの違いよりも楽器そのものの違いの方が大きいようです。10年以上前に量産メーカーの白木のチェロにアルコールニスで塗ったことがあります。そのチェロはニスを塗っただけでそれ以外は改造などはせず、工場製と同じものです。しかし現在、別の量産メーカーの完成品のほうが柔らかい音がします。当然アクリルのニスが塗られていますが、音は私がアルコールニスを塗ったものよりも柔らかいのです。
アクリルのニスでも、配合成分を変えるで硬さを変えることが可能なはずです。アクリルでも柔らかすぎてケースの跡がついてしまうものもあります。ラッカーでもかつて硬さの違うものがあったはずです。一般にラッカーの耐用年数は数十年で、乾燥が進むと細かく割れてきます。こうなるとボロボロと剥げて来て修理は難しいです。ラッカーの薄め液(シンナー)で濡らしてあげると溶けてひびが埋まります。しかし乾くとまた割れてくるでしょう。それに対して戦前のザクセンの量産品に塗られていたラッカーは今でもきれいな状態を維持しています。ラッカーの中でも奇跡的なものです。ミルクールのものでも長持ちしています。それに対して戦後に塗られたようなラッカーのニスのほうが傷んでいます。安い楽器ですから手間をかけると楽器の値段を超えてしまうため修理のしようがないです。

ギターの世界ではこのような昔のようなラッカーが高級品と考えられているほどです。


このように一つ一つのことに深く検証していくと本当に何が音が良いのか音が悪いのかよくわからなくなってきます。「ラッカーが塗られているようなものは安物である」というのがおおざっぱな知識です。でも本当に音が悪いわけではありません。

このため職人が音について分かっていると自負していても本当に理解しているのかというのも疑問です。工房を訪ねると音についていろいろな説明を受けます。一般の人はそうかと話を聞くわけです。私が同じ説明を聞くと「つじつまがあっておらず、言っていることが滅茶苦茶」と感じます。
私が音について分からないというのはこのようなことです。

値段が高いからと言って音が良いとは限らない
安い楽器だからと言って音が悪いとは限らない


じゃあ、何なんでしょうか?
「弾いてみないと音は分からない」という当たり前の結論が導かれます。


私は硬いニスのほうが音が鋭く、柔らかいニスのほうがマイルドな音になると考えています。しかしニスよりも楽器本体の音の方が重要で、本体との相性だと思います。
戦前のドイツでも安物のラッカーが塗られた量産品に対して、マイスター作の楽器ではオイルニスが塗られました。これはとても柔らかいニスです。ハンブルクのヴィンターリングなどは典型的な柔らかいニスで、100年ほど経った今でも固まっていません。これは差別化というものです。イギリスの楽器でも同様のニスを見たことがあります。このあたりのことが現在でも常識として残っているわけです。100年前の常識が今でも信じられているのが弦楽器の知識なのです。

柔らかくて分厚いニスを私の楽器に塗れば、音が弱くてマイルドすぎるでしょう。しかし100年くらい経った楽器では全く問題がないくらいによく鳴るようになっています。したがってニスは何でも良いということになります。


オイルニスを使っている職人が、アルコールニスやラッカーのような揮発性のニスに対して嫌悪感を示すとします。「これは速乾性のニスだからダメなんだよ」と嫌そうな顔をします。そうすると一般の人は「そういうものなんだ」と思ってしまうでしょう。でも実際には音についてよくわかりません。こういう専門家の態度というのはとても無責任だと思います。ましてや営業マンのレベルでこんなことを言ってるとしたらとんでもないですね。

私も自作の楽器にはオイルニスを使っています。しかしだから音が良いと言うと嘘になるでしょう。オイルニスは塗るのが楽しいです。揮発性のニスはすでに塗った層を溶かすので作業がやりにくく私も嫌いです。だからオイルニスを使います。もしかしたら私の楽器にはラッカーのほうが音が良いかもしれません。ラッカーはシンナーの匂いも嫌で健康にも悪いでしょう。
ニスの硬さは樹脂の成分によって決まるのでオイルニスのほうがアルコールニスよりも柔らかいと決まっていません。むしろ硬い樹脂はアルコールには溶けないのでアルコールニスで特に硬いニスは作れません。しかし、硬い樹脂というのはガラスのように割れやすくなってしまい、脆くバリバリと割れてはがれてしまい丈夫とも言えません。これはオイルニスでもアルコールニスでも同じです。アクリルやラッカーのニスはこのあたりで次元が違う丈夫さがあります。自動車など一般的な塗装用に開発されてきたからです。

職人は自分が作りたいように楽器を作っているので、その音を気に入る人がいれば買えば良いというだけです。楽器がそうでなくてはいけない合理的な理由は無いでしょう。アマティやシュタイナーもみな自分が作りたいものを作っていただけです。

前回は職人の保守性の話をしました。
保守的な立場では物事になんか後付けでそれが最も優れているというような理屈を考えるものです。保守的な考えというのは長年にわたって集めて来た強い理屈が洗練されているので説得力があります。保守的な人に理屈を聞いた時点で勝ち目はありません。それはただの理屈です。言葉を言っているだけです。その物語はフィクションの文学作品です。

それに対して「先見性」が著しく欠けています。
物事が良いか悪いか、よく分からないという立場に身を置くといろいろな可能性が出てきます。理屈も一つ一つ検証してみるとまるでデタラメです。

音が良いとか悪いとかはっきりと区別するのは難しいです。実際にいくつかの楽器を弾き比べてみてください。音が違うのは分かります。でも良いか悪いかをどんな基準で判断すれば良いか分からないです。
私はこういう音が好きとか、こういうのは嫌いだとかをはっきり前提として言えば、このような楽器はどうかと薦めることはできます。ただしその前にいろいろな楽器を試さないと本当にそれが求めている音なのかもわかりません。

言葉で表したり、分類したりすることが難しい微妙な音の違いがあります。ましてや点数なんてつけようがないです。そうなると「なんでも良い」としか言えません。こういう音を求めているということを指定しない限り、このようなタイプの楽器が優れていると言うこともできないのです。トラックとレーシングカーのどちらが優れているか?というようなものです。つまり趣味趣向の方向性がジャンルとして明確に分かれておらず「値段」という一つの物差しだけがあるのです。
先ほどの例のようにフラットで大型の楽器がソリスト用、高いアーチで小型の楽器が室内楽用と分類しても、実際は音量でも小型の高いアーチの楽器が勝っていたりします。

私のブログでは私が自分の好きな音についてのみ探求し、私の好きな音の楽器ばかりを取り上げ、私の目指している楽器作りだけ紹介することもできます。私と同じ音の好みの人だけが読むブログにすることもできます。私が作ってみたらこういう音になったということは言えますが、そこで得られた規則性はこの世にあるすべての楽器でも通用するとは言えません。他にたくさんこのような情報があるなら私がやらなくても良いでしょうけども。


イタリアのオールドの名器が適当に作ってあると書いています。これは一人前の職人であればだれでも分かることです。しかし消費者が情報として聞くことは無いでしょう。楽器店は何千万円もするようなものを適当に作ってあるとは言わないからです。営業マンは実際に作ったことが無いと適当に作ってあるという事さえもわかりません。適当に作ってあるから音が悪いかと言うとそうでもないのです。適当に作られている楽器で音が良いものはあります。弦楽器というのはそんなものなんです。これがとても重要なことだと思います。それも他で学ぶ機会があるでしょうか?
適当に作るのも難しいもので、ヴァイオリン製作学校のような仕組みでは教えることは難しいです。マニュアル化された通説を勉強して決められた寸法に正確に加工することで売り物になる楽器ができます。昔は子供のころから家業を手伝わされて学んでいったのでしょう。先生の中にはそのようなことに気付く人もいるかもしれませんが改革までするのは難しいでしょう。
世の中には陰謀論者のように物事はすべて誰かによって計算されていると思いたい人が一定数います。どう見ても無造作に作られたオールド楽器を、すべて計算しつくしてそのように作ってあると考える人がいます。私の手には負えません、そういう職人を教祖として信者になってください。天地や生命を誰かが計算づくで作り出したと考えるのと似ています。

やっつけ仕事で作られているイタリアのモダンヴァイオリンが700万円くらいするとします。一人前の職人が見ればたいていの人にはやっつけ仕事で作ってあると分かります。でもお店では700万円のヴァイオリンを「これはやっつけ仕事で作られています」とは紹介しないでしょう。楽器の質で言えば量産楽器と変わらず、音も量産楽器と似ているかもしれません。量産楽器ならそれを「やかましい耳障りな下品な音」と評価し、700万円のものなら「さすが巨匠、力強く輝かしい音」と評価するかもしれません。私からすれば同じような音です。でもそれが好みの音であるなら私は文句ありません。実際に起きている問題は高いから音が良いだろうと思って音を確かめず後で気に入らなくなることです。その音は良い音か悪い音か言うことはできません。好みの問題としか言えません。量産楽器のような音が好きだということはあり得ます。分かりやすくはっきりした音ということがあります。700万円ほどの予算で自分の好きな音の楽器を買った結果、量産品のような音だったということはあるでしょうね。それは好きな音の楽器でお気に入りですから良いと思います。
しかし弦楽器マニアがオールドの名工の弟子の子孫の弟子とかいう「情報」を有り難がってオールド楽器と似ても似つかないものを買っていると笑ってしまいます。頭で楽器を選んでいますが、師弟の情報には例によって嘘が含まれれているのです。師弟関係が本当でも1世代で全く作風やクオリティが変わってしまうことの方が多いです。現代の「通説」のようなマニュアルが無く適当にやっていましたから教育が難しいのです。普通の音楽家が耳だけで選んだ方がまだましです。



まあ、こういう話を聞く機会はなかなかないと思うんですよ。私も修行を始める前に考えていたイメージと実際が大きく違いました。それは音の好みが違えども多くの人の役に立つことでしょう。そうなると「なんでも良い」としか言えなくなります。

私は食べ物に執着が無いのでよくわかりませんが、ラーメン屋をやるのにスープを研究して自分の味を作り出して、それで勝負して店が繁盛するとかそんなことがあるのかもしれません。しかしヴァイオリンは現代の日本人が作り出したものではないですから。他の趣味などで得たものの考え方を当てはめるのは危険です。ニスでも作業性、品質、色などが製品として売り物にできるレベルにするだけでとても難しいものです。楽器店に卸すなら職人は買いたたかれるのでコストの安さが最重要ですから、作業効率が良くそれなりに見栄えがするということが最も重要です。
現代でも工業製品では画期的なアイデア商品のようなものができると他社もそっくりのものを作るのが普通です。ましてやギルドのような職業組合の時代には独創性なんて考えていなかったかもしれません。
自分の思いたいように思っていると事実は理解できません。何でも野球で考える人もいますね。運がよくボールが落ちてヒットになることもあるでしょうが、昔の野球解説者は執念によってヒットが生まれたと言っていました。楽器の音もそうだろうと考えると野球なんて知らないほうが良いです。

偶然で成り立っているのは生物の進化ですね。それが一番近いかなと思いますが、「何のために進化した」みたいな考えをする人が未だにいるでしょう。人類がここにいるのもただの偶然です。偶然ってすごいですよね。

思っているよりも、弦楽器と音についてはルールや秩序、法則性などは無い乱世の下克上です。それが弦楽器のおもしろさだと思います。

先ほど話したクロッツ家のチェロです。

丸みが綺麗で丁寧に作られているのが分かります。オールドのチェロでこのように状態が良いものは珍しいです。クロッツ家はミッテンヴァルトなので木材の産地で表板の木目が細かい「上等な」ものが手に入ったのも特徴です。
サイズは小型で7/8くらいしかないので駒を刻みより下げてプロのオケ奏者に使用されていました。その方が亡くなられて兄弟の方が売りに出したいと持ち込まれました。鑑定がどうだの、修理やセッティングがどうだのまだ話がついていません。6万ユーロくらいだとは言っています。

ミッテンヴァルトの作者はそんなにシュタイナーに忠実というよりはそれぞれが好きなように作っていたようです。ちょうどクレモナの人たちがアマティと似てたり似て無かったりするようなものです。一人一人の作者について見て行けばかなり個性的なようです。しかし商業的な注目度が無いために資料すらほとんどありません。私はウィーンのものの方がシュタイナーに忠実でミッテンヴァルトのほうが個性的なように思います。

スクロールは独特で南ドイツのスタイルがはっきり分かります。シュタイナーの特徴をさらにオーバーにしたものです。

アーチはそれほど高くなくこの楽器の時代では典型的なシュタイナー型ではなくなっています。1700年代も終わりころのものでしょう。アーチのふくらみは滑らかで変な癖も無くモダン楽器へ向けて作風が変化していました。しかし現代のフラットなものと違ってエレガントなカーブになっています。チェロの大きさでこれができるということは相当な美的なセンスがあったはずです。
ストラディバリを研究するのはすでにドイツでも行われていましたが、伝統を基礎としながらも新しい流れを取り入れていたのでしょう。昔は刻一刻と楽器も変わっていったようです。それが20世紀になると時間が止まります。クラシック音楽もそうですね。ハイドンが子供の時と晩年では音楽ががらりと変わっているはずです。それが20世紀になると止まっているようです。100年以上前の曲が現代曲です。


プロのオケ奏者が自分の楽器の修理のために来ていましたが、このチェロにはにんまりです。これまでも短い弦長にできないか試行錯誤していたくらいですからピッタリです。自分の楽器を修理するよりも音は良いでしょうが、それでも安くはありません。


仕事と関係なくこんなチェロで無伴奏ソナタを弾いていれば良いでしょうね。しかし、このチェロは音を鋭くする方向で調整がされてきたようです。オケで仕事となると舞台上でもはっきり聞こえるとかもっと実用的な要素が求められるようになってくるのかもしれません。多くのチェロはもっと無神経な刺激的な音がします。すべては一長一短です。


こちらも南ドイツのヴァイオリンです。表板の修理が終わり接着しました。ラベルはブッフシュテッターと書いてありましたが、シュタイナー型なので全く違います。右に写っているのが本物のブッフシュテッターのです。
ストラディバリの1690年代のものをお手本として作られていました。アーチもずっと平らです。実際のストラディバリは現代の職人の常識からすると必ずしもフラットではありませんが当時の人の印象ではそう見えたのでしょう。

駒の脚のところのヘコミもきれいに直っています。
あとはニスだけです。ニスも修理したては綺麗すぎて古い楽器の感じがしません。しかし一度やっておかないと毎年毎年補修が必要になります。数十年すれば落ち着いてよく見るような古い楽器のようになるでしょう。今後のメンテナンスは部分的な補修だけで済むはずです。ブッフシュテッターの方も過去にそのような修理が行われたはずです。

ニスもきれいに磨き上げると汚れの下に隠れていた板の割れを発見することにもつながります。ニスを磨き上げる作業をすると楽器をくまなく観察することになります。いくら注意しても見るだけでは気づかないことが多くあります。修理の時も表板を開ける前に掃除したほうが良いかもしれません。楽器の健康状態を確認する上でも重要です。

穴を埋めたので新たに穴を開けます、かなり理想的なポジションに持って来れるでしょう。



ペグはオーソドックスなタイプで手に馴染み最も使い勝手の良いものです。スイスモデルと言います。このようなものは入手がとても難しくなってきました。ストックがなくなったらもう手に入らないかもしれません。
ツゲに装飾がついたものはいくらでも売っていますが、このようなタイプの質の良い物には、メーカーや商社は関心が低いようです。
うちではかつて安価な量産楽器にも取り付けていました。今では値段が高騰してとんでもないです。昔売った量産楽器を下取りすると摩耗したペグを交換し、元のものは軸を削り直して格上の楽器に移植しています。これは新品です。
黒檀のシンプルなタイプで良いものは希少です。このペグの良さが分かる人はかなりの玄人です。

ニスをできるだけ乾かして音は週明けに出ることでしょう。楽しみです。


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