職人の保守性、傷の補強、スクロールなど | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

弦楽器の価値の根本にかかわるような難しい話題が続いていました。

基本的に弦楽器は服装で言うと紳士服のスーツに似ていると思います。
上等なスーツというのはおそらくテイラー職人の間では当然決まりがあると思います。生地の質などもランクがあり、仕立ての良さや、体に合っているかなど差がはっきりあるでしょう。

ニュースなどで政治家や大企業の重役が出てくるときに、たいがいは「悪者」として出てくるわけですけども、私は自分が着ないので分かりませんが、おそらく相当高いスーツを着ているのだと思います。スーツに詳しい人は見てすぐわかるでしょうが、普通の人はニュースの内容しか興味がないはずです。

演奏者の写真や映像を見ても普通の人は人物の方に興味があるでしょう。私などはすぐ楽器の方を見ます。何なら駒の形がどうだとかそんなのです。

政治家や重役が立派なスーツを着ているのを見て「素敵だ」とか「カッコいい」と思うかとなると話は別です。俳優やモデル、スポーツ選手のように体格に恵まれているわけでも無いと高いスーツを着てもスマートに見えるわけではありません。

そもそも「悪代官」として見せられるわけですから、高いもんを着ていたら「私腹を肥やして‥」余計に印象が悪くなるものです。

当人は炎上を沈下するために、失礼の無いようにきちっとした格好をしなくてはいけないという意図があるのかもしれません。
私にはわかりませんが、ビジネスマンの方々はそういう部分で気を使っていらっしゃるのかもしれません。

プロの音楽家にとって楽器は、ビジネスマンがスーツや革靴などに対する考え方と似ているでしょう。身分が高い人ほど高価な楽器を持っています。実際にはニセモノも多くあります。職人が見れば一瞬で分かるようなものでも、高価な楽器と思い込んでしまえば音が悪いからと気付くようなものではありません。
オーケストラであまり変わったものを使っている人は見ません。芸人のような演奏者なら緑色ののヴァイオリンを使っている人を新聞で見たことがあります。


弦楽器も同じような時代のものであるし、同様の思想や社会階層のものでもあります。音楽というのはそういうものを象徴しているものです。同じ音楽を愛好する人たちは同じ価値観を共有しているというわけです。

スーツというのは1900年くらいからロンドンやニューヨークなど西洋の大都市で着られるようになったようです。当時の写真を見ると街にいる男性はほとんど全員がスーツを着ています。土木作業員から魚屋さんまでみなスーツを着ています。ニューヨークの野球場の観客も全員スーツを着ていますし、大人だけでなく公園で野球をして遊ぶ子供も膝下丈のズボンのスーツを着ています。おそらくスーツの中にも種類があったのかもしれませんが古い白黒写真では違いが分かりません。
服装の流行というのは今でもありますが、街の人が全員が着るような流行は無いです。当時は「上流階級」がすべてで、誰もがそれを真似たようです。上流階級と言っても王侯貴族に比べると一般市民で、今で言うと「セレブ」です。
日本人から見ると外国の服装だと思うかもしれませんが、ヨーロッパの地方の人にとっても、ニューヨークやロンドンで流行している外国のものです。スーツは伝統的な民族衣装ではありません。

弦楽器もその時代に普及して画一的なものです。生産数は1900年前後ころから急増しているのは中古品の数でも分かります。ストラディバリ型という決まった形で作られました。同じものであるから品質によってランクが細かく分かれていました。それが我々職人の間には伝わってきています。


今の人たちの考え方はだいぶ変わっていると思います。決まったスタイルをだれもが良しと考えるのではなく、素敵だとかカッコイイだとか個人が自由に感じることであるし、道具や機械は見た目ではなく性能によって評価されるべきだと考える人もいるでしょう。

そうなると現代の人の趣味趣向とは違うんじゃないかというのは感じています。もう一つはもっと古い王侯貴族の時代もまた違っていたと思います。1900年ごろの弦楽器に関する価値観は相対的なものではないかと思うんです。逆にそれを「クラシック」として考えるのも面白いです。1900年頃ならモダン楽器でも裸のガット弦で弾いていましたから。燕尾服に社交ダンスのような靴で蝶ネクタイして軽やかに弾いていたようなイメージがあります。

そういうことを想像するのが私は面白くて、モーツァルトの時代にどうだったかなんてのも面白いです。かつらをかぶって派手な服で、舞台にもセットが作られていたようです。


話はそれていきましたが、職人の考える楽器の良し悪しというのは100年くらい前の伝統に基づいているということですね。ユダヤの人たちやアメリカのアーミッシュという人たちが黒い服装をしたりしますが、聖書の時代の格好ではありません。19世紀後半くらいの感じですかね。
そんな感じですごく古いわけでもないですが、時間がある時に止まったのでしょう。弦楽器職人の世界もある時から止まっています。それがこの前から話している「通説」というもので時間が止まっているようです。今のヨーロッパの人たちはそんなしきたりにまじめに従う人は少なくなっています。マスクすらしないのですから。今は量産品よりも質が落ちるような素人が作ったような「ゆとり仕様」のハンドメイドの楽器がたくさんあります。

私はいつもカジュアルな作業服を着ていますから、休日でも外出でも問題ありません。ホームセンターなどに行くには最適な格好です。ビジネスや優雅な旅行客の集う空港で作業服を着ているのは私か空港の作業員くらいです。
場違いになるとすれば演奏会に出かけるくらいです。日本ではクラシックのコンサートだからと言ってスーツを着なくてはいけないなんて感じではなかったと思います。ヨーロッパでも近頃はアウトドアジャケットなどで来ている人が普通です。たまたま天気が悪かったからそれできたとかそんなものです。ただし、プラチナチケットの音楽祭などになると話は別です。今がそんな季節ですが、スーツなんて着てたら暑くてたまらないでしょうね。冷房なんて格式ある古い建物には無いですから。たとえばバイロイトですね。演奏者の汗や呼気なども表板や裏板の剥がれなどの原因となります。大きすぎるビオラも過酷を極めることでしょう。

戦前は真夏でもスーツを着ていたわけです。海岸でスーツを着てビーチチェアに寝そべっている写真もあります。それが、戦争を契機に戦闘服や作業服を経験し服装が機能的になって来たのだと思います。当然楽器にも今はそういうものが求められています。楽器を買いに来る演奏者は音にしか興味がありません。それに対して職人は今でも昔ながらの「きちんとした」フォーマルな「様式美」を重視しています。

「上等な楽器」というのが機能性に優れているというのは違います。スーツよりも現代のアウトドア用の服装の方が優れているでしょう。そういう意味では楽器製作も変わらないといけないのかもしれません。しかしながら現実世界でできることは、職人は機能性とは関係のない価値観を持ってて、過去に作られたものもそういうものではないので、楽器を買う時に機能性が優れているか自分で確かめる必要があります。そこを勘違いすると目的と違うものを買ってしまうことになります。

カーボン製のヴァイオリンも作られました。試してみると思ったほど悪い音ではありませんでした。しかし板が硬すぎると思います。もうちょっと柔軟な素材が必要です。単にカーボンだから未来的でカッコいいというのではなくて真剣に素材を開発しないと駄目でしょうね。弓の方がその点はマッチしていたようです。単に柔らかさを適切にしても木材と違って音が単純になってしまうと思います。そこで複合素材とか難しくなっていくでしょう。

伝統的な価値観から現代の価値観へと変わっていないのが弦楽器の業界ですが、そもそもクラシック音楽というのが伝統的な価値観を象徴する音楽です。音楽ファンの皆さんはカルチャーや社会階層などは関係なく純粋に音楽の魅力を楽しんでいる人が多いのではないかと思います。このためしきたりに縛られず、もっと多様性があっても良いのかなと思います。それが私の言っている「なんでも良い」ということです。

職人の仕事はいわば、工作機械のようなものです。こんなものを作れとなればその通りに作れるかどうかが職人の能力です。楽器の場合には土俵に上げるまでが仕事です。審判はユーザです。そもそも文化には勝敗は無くファンになるかどうかですから、勝っても負けてもファンがいるかどうかの方が重要でしょう。
壊れた楽器や未完成のものではステージにあげることができません。そこまでが職人の仕事です。楽器を修理する仕事でも万全な状態にするまでが私の仕事です。その結果をどう評価するかはユーザー一人一人がすべきことです。私が楽器を良いか悪いかを決めるわけではありません。基本的にそんなに変なものでなければ、一人くらいはファンが現れるものです。一人いれば十分です、二つと同じ音の楽器はありませんから。

10万円のヴァイオリンと100万円のヴァイオリンでは製造時にかけられる手間が圧倒的に違います。でも100万円のヴァイオリンと1000万円のヴァイオリンでは作る時にかけた手間は変わりません。900万円は製造時ではなく作者の死後、流通の段階で誰かの手の中に入っていくお金です。だから私はそのような値段は気にも留めません。このため10万円と100万円の間の違いを見抜く方が眼力が必要で、1000万円のヴァイオリンは鑑定書がどうかという書類の話です。

100万円のヴァイオリンにも違いがあります。
手間暇かけて作っても作者が有名でない中古品なら100万円位にしかなりません。一方東京の楽器店が新作楽器を100万円で売る場合は、仕入れ値ははるかに安いのでまじめに作っていたら職人は生活ができません。


5000万円とか1億円くらいになるとさすがに作られた時代が全然違います。そうなると製造された段階でもかなり違いがあるし、経過した年月も違います。1000万円~2000万円位じゃあ誤差の範囲内で余計に払ってもあまり意味がないという感じですね。4000万円位なら面白いものがあります。

99%の人には関係のない世界で、ストラディバリがどうだからというのと目の前の楽器がどうかとは関係がないです。
ストラディバリにも厚めの板のものがあります。アマティ派の1600年代のものはとても薄くて、ストラディバリも若い時のものは薄く1700年代を過ぎると徐々に厚いものが作られるようになっていく傾向があります。でも毎度ばらつきがかなりあるようです。
年齢とともに次第に板が厚くなっていくというのはあり得る話です。めんどくさくなっていくのもあるでしょう。薄くする方が作業量が多いからです。ストラディバリなどはかなり高齢になっていますから、晩年は仕事を手伝った息子たちでさえ60歳以上だったりします。

理屈で物を考えると、長年の研究の結果ストラディバリが理想の板の厚みを見出したと考えがちです。単に年齢とともにめんどくさくなったのかもしれません。

どっちが正しいのかというのと実際作ってみれば良いです。私は晩年の板の厚い物をそのまま作ったことがありますが、音は厳しかったです。過去に作ったヴァイオリンの中でも最低の部類でした。
音は好みですがいかにも新しい楽器のような音で「ストラディバリのコピー」として魅力的ではなかったです。現実的には板が薄いものをコピーしたほうが結果は良かったですね。お客さんの注文で作るなら、失敗する可能性が高い板の厚めのものは不安が強いです。それが正直な感情です。つまり数百年待つ経つ必要がある場合と、作ってすぐにそれなりに雰囲気が出るものがあるようです。名器と同じだから良いというのではなくコピー向きのお手本があるというわけです。

ちなみにアイザックスターンは同じモデルの2台のデルジェスを持っていました。一つは板が厚めで、もう一つは薄めでした。愛用していたのは薄めのものの方だったそうです。ですから、何が正しいというのではなくて演奏者の好みです。別の演奏者がどちらを好むかはわかりません。

そのデルジェスには『イザイ』という名前がついてますが、私はコピーを作ったことがあります。今まで作った楽器の中でも特に低音が強い物でした。スターンは板が厚い方のデルジェスをソプラノと表現し、イザイはテノールのような低音が魅力の楽器と言っていました。その前に36cmを超えるニコラ・リュポーのストラド型のコピーを作りました。それは板が薄かったのになぜか低音ばかりが強いものではなく、バランスの中庸なものでした。それより1㎝小さいイザイのコピーのほうが低音が勝ったものになりました。そういう意味では大きさと音が直結しないということが分かりました。また、スターンの言っていたこととは合っていてコピーの音がオリジナルに対して全くデタラメでもないということがあります。

このようなことはとても面白い体験で職人冥利に尽きるものです。

19世紀にはフラットなアーチで薄い板のものが作られていました。リュポーのコピーでもそうでしたが、特にネガティブな結果はありません。フラットだから板を厚くしなくてはいけないという理由は全く分かりません。むしろフラットで薄いものがあると音大生などには受けが良くよく売れて残っていません。もちろん学生に板が薄いとか教えてはいません。
アーチが平らだと板が柔軟になるのでその分厚みを増すべきだとか理屈で考えてもしょうがないです。結局弾いて気にいったものを測ってみたらどうだったというだけのことです。
私は思うに外骨格の構造なのでヴァイオリンのように小さいものは強度が十分なんだと思います。板が薄く古くなって弱ったヴァイオリンでも問題ありません。チェロとかコントラバスになると強度不足は起きると思います。私くらいの経験でももう少し深く考えることができます。現実を何も見てないのに頭で考えてもしょうがないです。研究したい人はもっと普通の楽器のことをよく知るべきです。普通の楽器は全然ダメだという決めつけは科学的ではないですよね。

でも逆に意外とこんなに厚くても鳴るんだなということもあるかもしれません。実際店頭で音量が大きく感じるものはあります。弦楽器に関しては規則性が通用せず意外なことはいつでもあるんです。まだ結論は決めていません。

まとめるとこれまでは「正しい楽器」というのが職人の間で信じられてきました。

職人は「正しい楽器を作ったからプレイヤーは私の楽器を買うべきで、それに見合った報酬が得られるべきだ」と偉そうに言っていたらみなさんはどう思うでしょうか?それで楽器が売れず「最近の若者は礼儀作法を軽んじ社会道徳がなっていない」と嘆いても状況は変わらないでしょう。
お客さんを魅了するようなものを作らないといけないと思いませんか?正しいかどうかは忘れて弾いたとたんに思わず笑みが出るようなものを作ったほうが良いと思います。古い楽器も発想が現代と全く違うので分かると面白いです。


南ドイツのオールドヴァイオリンです。

割れ傷が無数にあり、補強をするのでも気が遠くなります。過去の修理では補強のための木片が取り付けられ、なぜかその後の修理で取り除かれていました。
割れが多すぎて埒が明かないと思ったのでしょうか?
しかし一つ一つ丁寧に補強していきました。
このようにフレームに固定した状態で木片を取り付けると木片が歪みを与えません。

割れが多いのでいくつかの割れをまとめて補強しました。昔の修理では一つ一つの割れごとに補強していたので木片が膨大な数になっていたことでしょう。それをそのあとの人が取り除いて羊皮紙をセロテープのように貼っていました。修理前はこのようでした。

羊皮紙は太鼓の皮にも使われています。水分を吸収し、伸びたり縮んだりします。接着するときに接着剤の水分で伸びて乾燥して縮みます。この時傷を締め付ける効果があるわけですが、板に変なストレスをかけることになります。それが原因で表板が割れてしまったものも見たことがあります。特に日本のように湿度の変化が大きい国では季節によって変化が起きるので、あまり用いないほうが良いかもしれません。和紙のほうが良いかもしれませんが、こちらでは入手が難しいです。
羊皮紙はごく薄いものを使うべきです。厚い物では縮む時の力が強いからです。

いくつかの傷をまとめて補強することでシンプルになりました。できるだけシンプルな方法で効果が得られるのが職人の仕事としては最良です。補強も強すぎるとそのすぐ横がウィークポイントになります。
特に古い傷が開いていた部分を重点的に補強しています。それ以外は補強しすぎないように気をつけました。

木片を取り付けるとフレームを外しても表板の歪みは小さくなりました。タッピングで叩いてみても響きが豊かになったようです。それでも製作中の楽器の表板に比べるとボワンとにぶい音がして心もとない地味なものです。それがオールド楽器です。こんなことからもヴァイオリンは強度が十分なので板が風化して強度が落ちても問題がないのでしょう。アーチを平らにしても板を厚くする必要がないのもあり得ることです。



裏板や横板にも割れがありますので補強します。

ラベルは偽造です。普通は偽造ラベルは古さをサバ読んで楽器よりも古い年号にするものです。
日本の楽器店で古い楽器を買った人の話を聞くとサバを読んで実際よりも古く言うのが当たり前のようです。楽器店で説明を受けた場合それよりもずっと新しいことが多いでしょう。コーナーブロックのないヴァイオリンの質問を受けましたが、そのようなものは1900年前後に多いものです。

日本の楽器店の営業マンがなぜサバを読んで年代を古く言うのかですが、厳しい営業ノルマや営業成績が求められることも背景にはあるでしょう。このようなことは弦楽器だけではなく日本で「社会人」と呼ばれるものなのかもしれません。前回の話では200万円の予算でヴァイオリンを探していたお客さんが100万円以下のものを気に入って買うことになりました。日本の営業マンなら200万円の予算なら250万円以上のものを売らないと社長に怒られるかもしれません。しかしうちは社長が接客してましたから・・・のん気なものです。

食品業界でラベルの偽造があれば大きなスキャンダルになるでしょうが、ヴィオリンでは西洋でも古くから当たり前のように行われたきた「商慣行」と思ったほうが良いでしょう。誰もが知っているような大手の楽器店でも初めからそのようなラベルが貼られたものなら「自分の手を汚さず」に楽器を売ることができます。だから彼らが興味を持つのは「良い偽造ラベルが貼られた楽器」なのです。またノーラベルで作者も年代も不明となるとサバを読んで売られていると考えたほうが良いでしょう。


しかしこの楽器はラベルの年号よりも古いと思います。ラベルの作者は、ガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッターでドイツではいち早くストラディバリを模してヴァイオリンを作った人です。この楽器はいわゆるシュタイナー型なので全く違います。ブッフシュテッターも若い頃はシュタイナー型の楽器を作っていたかもしれませんが、年代が違います。ラベルの紙質も形も違います。今メンテナンスのために本物のブッフシュテッターがあるので見比べてみましょう。
このようなものは日本で違いが分かる人が少ないでしょう。ブッフシュテッターの偽造ラベルがついたものを日本の店頭で見たことがあります。

このような偽造ラベルが貼られるということは、シュタイナー型のオールド楽器が「良くないもの」と考えられてきたということを表しています。
この辺の考え方もそろそろ見直してもいいのではないかと思います。近代の思想では近代の楽器のほうがオールド楽器よりも優れているということになります。

19世紀の人たちには時代遅れに思われたオールド楽器も今となってははるかに貴重なものとなりました。近代以降の楽器のほうがありふれてしまったのです。

電車でも新しい車両が出るとカッコいいと思うかもしれませんが、やがてほとんどが置き換わって見慣れてしまい、古い車両が最後の一台になったときにファンが別れを惜しみます。そんなことが弦楽器でも起きて来たと思います。シュタイナー型の楽器は私も含め現代の職人には作ることができず今では珍しいものです。1900年頃に作られたシュタイナー型の量産品は全く違います。


駒の脚のところのヘコミも写真でも分からないくらいに直りました。しかし楽器全体としての変形があり、アーチが三角形になっていてきれいな丸みまでは戻せませんでした。しかし駒の脚のところがへこんでいると駒が不安定になり転倒などの危険も高まります。接地の確実性や音の面でも違いがあると思います。

基本的にオールド楽器が変形しているのは当たり前のことで、必ずしも音が悪くなるというわけではありません。酷く変形して見るからに無残なものでも、意外と音はオールド特有の心地の良い音がしています。どちらかというと柔らかい音になるのかもしれません。元気よく強い音は失われているかもしれません。

表板をあてがってみて指板の角度や向きを確認します。

指板を先に接着してから表板をつけます。

ペグの穴はすべて埋めました。新しいペグを取り付けると使い勝手も向上することでしょう。ペグの材質は黒檀にします。特に日本のような気候の厳しい所では密度が高い黒檀のほうが優れているでしょう。オールド楽器には明るい茶色のツゲのものをつけることが多くありますが、これだけニスの色が濃いと似合わないように思います。シンプルで機能的なのが通好みです。プロの演奏者でもそのほうが良いでしょう。年々入手が難しくなっている黒檀のほうが高級木材となるでしょう。

新作楽器の製作です。

小型のヴァイオリンですがネック部分はほぼ同じです。

ホームセンターに売っている手動のノコギリでも十分に切れます。

ペグの穴はボール盤で開けておくと一番狂いが少ないものです。

ペグの穴は貫通していませんが十分な深さまで開けてあります。外側の加工が終ると幅を狭めていきます。

穴が出てきました。

両サイドができるとペグボックスの中を彫ります。

この時ペグの穴があるとどれだけ深く彫るべきか分かりやすいです。ペグとペグボックスの底との間に弦が収まるスペースが必要になります。弦が挟まるとスムーズに動きません。職人に必要なのはそのような気配りです。

前面と背面も彫っていきます。


白木は写真に撮るのが難しいです。




ピエトロ・グァルネリもスクロールはそんなに正確ではありません。毎度毎度全く同じではなくばらつきがあります。アマティの名残があり、ストラディバリとはだいぶ違います。



ヴァイオリン製作学校の生徒が夏休みの実習に来ることになりました。ピエトロ・グァルネリなんて言っても「?」くらいのものです。まずグァルネリが5人いることを暗記しないといけません。初代がアンドレアでアマティの弟子です。息子が二人いてピエトロとジュゼッペです。ジュゼッペには息子が二人いてピエトロとジュゼッペです。…ややこしいですね。
決められた寸法に正確に木材を加工することが非常に難しく、今は悪戦苦闘していることでしょう。それを多少でも楽にできるようにテクニックを教えたいと思いますが、それをマスターしないままプロの職人としてやっている人も多くいるはずです。

保守的な職人でも楽器を預けたりするにはまだ安心です。説教するようなら頭が固すぎるかもしれません。



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