職人と演奏家の葛藤など | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

職人と演奏家はプロでもそれぞれ全く別の職業です。両者のコラボレーションで弦楽器の音が醸し出されるわけです。職人側の論理と演奏家の求めるものが全く合っていないことが普通でそれが葛藤になっています。成功している職人は演奏家の求めることに応えられているということになります。ただ演奏家も色々いますからニーズも様々です。一方で古い職業なので職人は自分本位の考え方をしている人が多いでしょう。お客さんよりも師匠の顔色のほうが重要なのです。職人の論理で物を考えお客様本位で物を考えるなんてことはなかなか無いでしょう。マーケティングなどという現代の論理的な概念を理解できる人というのは少ないでしょう。



通常、店頭で起きることというのは、演奏家は楽器自体には無頓着で興味もありません。職人からチクチクと説教を受けてムカッとくるものです。

典型的なケースでは、いろいろな店を回ってたくさんの楽器を試奏して最高の一台を買ってメンテナンスために持ってきます。職人からすると「なんでこんなヴァイオリンを選んだんだ?」と思うことがしばしばです。職人が学んだ良い楽器の知識とかけ離れているところを指摘すると「でも音が良いのです」と演奏者は反論します。
つまり職人の論理で良い楽器というのと音楽家の求める良い楽器が全く違うのです。

先日もお客さんが200万円以下くらいでヴァイオリンを選んでいました。例によってセールストークや説明は一切なく、ただただ予算内の楽器をずらっと並べ値段や作者名は見ずに弾き比べます。なぜそのようなやりかたをするかといえばそれが最も公正な楽器の選び方だと考えるからです。日本人には理解できないかもしれませんが理にかなっていると思いませんか?これが西洋人のものの考え方です。

私は直接応対はしておらず後で、師匠がそのお客さんは「奇妙な好み」を持っていると言っていました。職人が良いと思うものはことごとく除外されて、良くないと思うような楽器ばかりを選んでいたそうです。結局100万円もしないものを選びました。こうなると、音が良い楽器の条件とは「なんでも良い」としか言いようがないです。

そんなことは日常茶飯事なので、職人の間で信じられてきた「通説」なんてのは理屈の世界のもので、現実世界では全く通用しないし、はっきり言って信じるには値しないものです。私は職人側の論理が間違っているのではないかと反省をしています。


一応ブログを読んでいる人はユーザーを想定しています。もちろん同業者の人やアマチュアで楽器を作っている人もいるでしょう。まだ演奏はしたことが無いけども興味がある人もいるでしょう。

普通はユーザーである演奏者は楽器のことについては無頓着であまり興味が無いので以上のような感じです。しかしどうも読者の中には全く逆で、職人の側の論理を信じている人がいるようです。私は職人なのにそれを否定しようと一生懸命分かりやすい説明を考えています。なのに全く分かってくれません。なんで職人が職人の論理を一生懸命否定しないといけないのでしょうか?


もう一つは、演奏家は音に強く興味があり、職人は当然そのことを理解しているはずだという前提で考えている人がいます。つまり「専門家なのだから音のことを誰よりも分かっているはずだ」と考えているのです。しかし実際には今の説明のように、職人は職人の間で伝えられてきた「通説」を信じているだけで音の仕組みは分かっていません。それを反省してどうにかしないといけないなと私は気付いたところなのです。しかし取り組むほどこれは難しいものです。だから、今の段階で音が良い楽器の見分け方として言えることは次のようなものです。

音が良い楽器とは、弾いて良い音がするもの

当たり前だと思うかもしれませんが、これ以上でもないしこれ以下でもありません。弾いて音が良ければ作りや構造、値段や製造地などはどうでも良いのです。これが分かったら十分です。
むしろそれは音楽家側の楽器の見方であり、職人や楽器店の論理がまちがっていることです。難しいけどもできるだけ音楽家の側に立ってものを考えるように心がけるのが課題です。理屈やカテゴリーで区切って考えると良い音の楽器をたくさん見落とすことになります。そのようなものはオークションなどでコレクターには注目されず値段は安いのです。それと音楽の現場で道具として求められてる楽器は全く違います。

この時職人が言えるのは、弦の長さやネックの長さなどが間違っていると演奏しにくいということです。ペグが古くなっているとスムーズに調弦できないので修理が必要だということ、駒や指板のカーブがおかしいと弦を抑えにくかったり、弓がほかの弦を触ってしまうなどそのような基本的な事だけです。それとて演奏家の好みに応じてカスタマイズが可能です。
古い楽器なら状態も重要です。国立劇場のコントラバス奏者がひどいがらくたのようなものを次々と持ってくるので論争になります。何百万円という修理に税金を投入して良いものなのでしょうか?

楽器の値段を決める場合には音は関係ありません。全体のほんのわずかな「有名な作者」の古い楽器ではオークションなどの相場で値段が決まるので、楽器が本物か偽物か重要になります。明らかな偽物は職人には見分けられます。本物かもしれないとなると鑑定に出すことを薦めます。しかし音の良し悪しは真贋とは関係ありません。

そうでないものは楽器の品質で値段を決めます。しかし音は品質に比例しません。職人は品質の良いものを作るように教育を受けるため職人が良いと思うものが音にしか興味がない演奏者には的外れなのです。

こんな状況だということを分かってもらいたいのに、なぜか「職人は音のことを知り尽くしているはずだ」という前提で考えている人が後を絶たないのです。音の仕組みを理解することがいかに難しいかということをずっと説明していますが、全く聞いてくれません。名器でも表板を開けてみれば何も入っていません。普通の楽器と何も変わりません。普通の楽器なら音が出るので好きなものを選ぶだけですよ。

私が分かるのはたくさんの楽器の音を聞いているのでその音が世の中にある楽器の中でどういう傾向かということです。演奏者は自分の楽器しか知らないため、慣れてそれが普通になっているのでそういうのは分かりません。でも自分の楽器の音についてはとても細かい違いが分かります。それは私には分からないので説明をしないと分かってはもらえません。
しかし楽器製作の時に自由自在に音を作り分けることはできないし、音を聞かず作りだけを見て音を予測することはできません。

学生さんが工房を訪れ勉強のためにいろいろな楽器を試奏していました。私は仕事をしていたので何を弾いているかは見ていません。仕事をしながら音だけを聞いていてそれが数千万円のものなのか数百万円のものなのかもわかりません。どこの産地の時代もいつのものかもわかりません。量産品でも分からないでしょう。
私は楽器を見ればたちまちそれがどんなものなのか分かってしまうので、見てしまうと偏見を持たずに音だけを評価することができません。


しいて言えばコミュニケーションに長けていると「音を分かっている」という体裁を演じることができます。また、自信満々で先生のように説教してカリスマ性を発揮して宗教の教祖みたいな職人を求めているのかもしれません。しかし残念ながら人間が神様ではないように、職人も神様ではありません。職人からすれば「カリスマ職人」というのは嘘でしかないです。それを信じるから騙されるわけです。

思い込みの激しい職人は訳の分からない自論を持っていて、相手の楽器がなんであるかに関わらず、謎の調整法や改造を提案をしてきます。そんな楽器はダメだと買い替えを促すかもしれません。本来なら楽器や演奏者の希望によってやり方を変えるべきですが、このタイプは自信満々に語るので説得力があるのです。しばらくは洗脳されていますが、いつか気付くときが来るかもしれません。

私を含めそのような職人に騙されないようにするために、公正な方法で楽器を選ぶのです。
職人の私が職人の論理に騙されないように注意を喚起して文章の大半を占めているのにそれが頭に全く入って行かないのは不思議です。

分かる人はうんざりしてるかもしれません。

職人が音のしくみをどうして理解できないか具体的に説明すればするほど、説明するために持ち出した例の些細な所に興味を持って好きな所だけ読んで勘違いをどんどん深めていきます。私は人間だから間違っていることはいっぱいあるし、説明不足になることがいくらでもあります。そもそも私もわかっていないし、職人にも全然わからないと言っています。
分からないと言っているのに「いやそれは嘘だ、職人は分かっているはずだ」と思われてもどうしようもありません。
説明不足が無いように何度も見返すと一回記事を書くだけで5時間も6時間もかかってしまいます。だから話の主題を読んで欲しいです。

理解できている人を優先して、ついてこれない人は置いていきましょうか?
読めば読むほど勘違いを深めていくことでしょうが、そちらの国語力の問題で私の国語力ではどうにもできません。バブル時代のころから間違った考えが広まってきましたが、今度は私がその原因になるのかもしれません。だから私の言うことが信じられないなら読まないでください。
反論を認めないのはおかしいと思うかもしれません。でも私は良いものはこういうものだけだと狭めるのではなくて「何でも良い」と言ってるのですから、あなたが良いと選んだならならそれを尊重します。好みの問題です。


私が職人の論理を否定して演奏家側の考えを教えるという、現実世界とは逆の葛藤があるのがおかしいですね。笑ってしまいます。

ブログも最初のころは弦楽器について誤った理解が広まっていくことをオカルトに例えていました。UFOについてアメリカ政府が否定するほど「政府は隠しているに違いない」という考えを強めていきます。だめだこりゃ・・・・。

インチキの理屈で「画期的に音が良いヴァイオリンの製法を発明した!」とか「ストラディバリの理屈を解明した!」とかいう業者にどうぞ騙されてください。助ける義理なんてありません。彼らはそのような消費者のニーズにこたえているのだから報酬を受けることができるのは理にかなっています。


今紹介しているオールドヴァイオリンでも私は絶賛しているわけではありません。私が理想的であると思うならコピーを作るでしょう。理想的でない部分があったとしても古さというアドバンテージがあります。この程度のものでも1900年以降のものに比べると欲しいと思った時にいつでも買えるわけじゃありません。基本的に弦楽器は同じもの、同じ音のものに2度と出会うことができません。これをスルーしたら次いつ出会えるか分からないのでもったいないなと思いました。モダン楽器でも19世紀のものになると少なくなりますが、オールドはずっと少ないです。20世紀の「通説」に基づてい作られた様なものはたくさんあります。音は好みですからそれで満足な人はそれで良いですよ。
ハンドメイドに限ってもオールド楽器なら1900年以降のものの1/10も無いでしょう。その上作り方がバラバラで個体差が多く「室内楽用」と呼ばれるようなものがかなりあります。状態も品質も様々です。それに比べると優秀なものが揃っているのが近代や現代の楽器です。皆理由もなく微妙に音が違うので試奏して好みのものを選ぶことができます。それでも常識の枠の中の話になってしまいます。100万円のものでも1000万円のものでも職人からすると大した違いは無いように思います。1000万円するこれはすごい楽器だと紹介されて、弾いてみてもピンとこなかったとしても自分の耳が悪いのではなくて、あり得ることです。野菜や果物で形が整っていないと価値が10分の1になるかもしれません。メロンなんてT字型のヘタがついていないと価値が激減するそうです。そんなの日本だけでしょう。
楽器の売買の場合には形の違いは売っている人も見分けられないのでついている名前によって値段の差が出るものだと思ってください。商業上の価値はそれくらい危ういものです。

これに限らずたいしたことが無いようなものでもちゃんと向き合うと一人の職人の人生があるんです。それをないがしろにはできません。

ヤコブ・シュタイナーと見比べてみると基本的な形はよく似ています。明らかにシュタイナーをお手本にしています。でも仕事のクオリティはシュタイナーよりは落ちます。しかし、もっとひどいものはたくさんあります。ただ音について言うと、ちょっとルーズなくらいの方が経験的に良さそうな感じもします。イタリアのものはもっとルーズなものがたくさんあって、適当に作ってあるのに音が良くて驚くことがあります。デルジェスなんて言うなればアマティを適当にしたものですから。デルジェズは凡人だと思います。アマティのように凝って作る方が変人です。
お金があれば良いけども、音楽家が買えるような値段かという問題です。

偏見が全くなかった場合に本当に値段によって音が違うのか分かりません。
ヤコブ・シュタイナーが2000万円以上して、今修理しているシュタイナーモデルのものが200万円ほど。お金で言わると圧倒的に違うように思うかもしれませんが、職人からすると音響的に差になるような作りの差があるとは思えません。
作者の癖というか個体差のような音の違いはあるでしょう。シュタイナーの実物があるので仕上がったら比較してみましょう。楽しみです。マルクノイキルヒェンの近代のものの方が圧倒的によく鳴るかもしれません。

何千万円もするからオールド楽器はありがたく思われて、そうでないとだれも見向きもしないのかもしれませんね。オールドでそんなに安いのはどこかおかしいのではないかと疑っている人もいるかもしれませんが、おかしくないものを私が見抜いてまじめに修理もしてます。骨董品としてシュタイナーが美しいのは間違いなく王侯貴族が家宝としてきたのは分かります。ドイツ語圏のオールドでこれを超えてくるものは皆無です。アマティと比べると癖があって意識が行きわたり細部に凝り過ぎている感じがします。シュタイナーの方が日本庭園のように隅々まで意識が行き届いてきっちりしています。イタリアでもアマティやストラディバリだけが美しくて他のものはいい加減です。これが近代以降になると、無名な作者でも細工が優れたものがいくらでもあります。じゃあアマティのほうがシュタイナーよりもバランス感覚が優れているかというとそれも違います。アマティはアマティで独特です。単にコンパスを多用したのかもしれませんが、丸みに対して異常にこだわりがあり不自然さがあるように見えます。近代や現代の作者のほうが紙の上で「デザイン」をしダイナミックで調和の完全なものを作っています。ストラディバリはアマティよりもちょっと力が抜けています。デルジェスは抜け過ぎです。
アマティやシュタイナーのようなオールド楽器は今の人からすると「なんでこんなものを作ったの」と思うような無駄があります。何か製造上の制約があったのだと思います。私がオールドと言う時は時代が単に古いという意味ではなくてアマティやシュタイナーの楽器製作のスタイルをイメージしています。ベルゴンツィとかG.B.グァダニーニくらいになるとオールドらしさはかなり少なくなっています。

イタリアのものの方が仕事はルーズでいい加減、その方が音が良いならこのようなシュタイナーよりも質が劣る南ドイツの楽器も音が良いかもしれないということです。粗雑に作られたオールド楽器は今で言うと量産楽器のようなものだったことでしょう。それが今ではイタリアのものならシュタイナーと同じくらいの値段がします。職人が感じる「物の価値」と値段はかけ離れています。音についてもそうです。

後は実際に音がどうなるかが楽しみですね。


南ドイツのオールドヴァイオリンですが、AとGだけペグの穴が大きくなっていたので埋め直していましたが、位置がおかしいのでD線のペグも埋め直す必要が見つかりました。右から二番目の穴ですが、ペグボックスの背面に近すぎます。このためペグボックスの中で十分なスペースが無く弦が挟まってしまいます。底を深く彫ると穴が開きそうなのでできません。そのため埋め直すことにしました。そうなるとE線の穴もついでに埋めましょう。すべて同じ太さのペグを入れることができます。細めのペグのほうが弦を巻き取るスピードがゆっくりになるので微妙な調弦がしやすくなります。しかしあまり細いとペグが曲がり軸が狂いやすくなるかもしれません。特に日本の気候では気を付けたほうが良いかもしれません。

バスバーのところには割れがあります。特に駒の付近では力が集中するので補強の必要があります。しかしバスバーがあると邪魔なので木片などをつけることができません。
そこで板をくりぬいて新しい木材を埋め込みます。この時くりぬいた表板が薄くなるので押してあげると駒の圧力でへこんだ部分を戻せます。さらに新しい木材埋め込むのでヘコミが戻るわけです。
表板の方は過去に修理がされているのでやる必要はありませんが、過去の修理ではヘコミは直されていないのでせっかくなのでバスバー側だけじゃなくて魂柱側も同様の修理をしましょう。


バスバーのところにはいくつも割れ傷があります。これをパッチを埋め込んで補強すれば駒の力がダイレクトにかかる所ですから音にも影響があるでしょう。

新しい木材が入ることも音に影響があるはずです。場所が場所だからです。基本的には明るく健康的な音になるはずです。暗い音がオールド楽器の魅力ですが、弱ったような音ではいけません。日本人には決めつけからドイツの楽器だからこもった音だとか言われてしまいます。
もちろん多少音が変わるという意味であって、まるっきり別の楽器の音になるわけではありません。新作のような明るい音になると理解してどういうことだ、おかしいじゃないかと考えないようにしてください。

パッチの面をピッタリ合うように加工します。大きいほど面積が大きくて大変ですが、小さいとカーブが急になるのでそれもまた難しいです。

しっかりと接着します。

前回とった型を当ててしっかりと押し付けます。それでアーチのヘコミが直るわけです。

もう一つも同様に付けます。

削って元の厚みにします。へこんだのが膨らんだ分多少以前よりも厚くなるでしょう。

すっかり凹凸が無くなりました。

木目は表板の木目に対して多少斜めにすると再び割れるのを防ぐことができます。

凹凸が無くなったところにバスバーをつけます。フレームに固定すると表板を平らに伸ばした状態でバスバーを取り付けられます。曲がったところにつけると表板を接着するときに割れなどの原因になります。

両端がちょっと空くようにします。多少は表板を押す力があり、それもヘコミを下から押し上げることになります。

接着します。

以前はもっと太いバスバーがついていました。7mmありましたが5.5mmにしました。表板の割れを補強する意味があったのかもしれませんが、今回はパッチを入れているので補強されています。以前はバスバーに柔軟性がなさ過ぎたのかもしれません。高いアーチなので難しいですが、多少なりとも太く豊かな音になれば良いです。
あとは割れに木片をつけて補強します。


新作楽器です。板目板ですが木目の模様がすごいですね。ちょっと目立ちすぎます。


自作のステインで着色するとこのようになります。木目の線のところは密度が高いため液体を吸い込みにくいです。このためステインが入り込まずに他のところに色がつくので木目がそれほど目立たなくなったというわけです。いかにも板目板の雰囲気が出てきました。これは乾燥状態ですから透明の樹脂が入ると濡れ色となり奥行というか深さが出るようになります。
こんなのも経験のなせる業で昨日今日できるものではありません。

アーチも柔らかくふんわりとしたカーブが出ています。

表板は着色することはできません。何故かというと場所によって液体を吸い込む量が違うからです。いろいろなテクニックを研究したことありますが、何もしないほうがきれいにできます。表板はアンティーク塗装で汚れをたくさんつけるので良いでしょう。
表板で染めに失敗すると取り返しがつきません。染み込んだ色は抜けないからです。
例えばプレッセンダなどは表板に色が入ってしまい大惨事なっています。あんなひどい失敗はしたくないので着色しない方法を取ります。

どちらもまだまだ続きます。
本当のオールド楽器と自分の作ったもので音が比較されるというのも面白い経験ですね。普通は新作とオールド楽器は価格帯が違うため比較されることは無いので職人は偉そうにしていられるわけです。



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