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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

さて、易の話題もしばらく横道にそれていた。

一応「ブログ」なので、
日常雑記も入れているというわけだが……
そろそろ本チャンの流れにもどしたい。

といわれても、

このブログもなにが「本チャン」なのか
よくわからなくなっている。
まあ、一応、最近のところから、

☆ ツイストペア=「日本酒とツイストペア

☆ ファーストオーダー=「同左

あたりが、流れといえば流れだろうか。

ツイストペアは各爻の陰陽が反対の関係にある大成卦のペアで、ファーストオーダーはそのツイストペア×2で構成される、いわば「ペアのペア」である。

ツイストペアやファーストオーダーは、大成卦ひとつを一個人と観た場合に、その「自己の境界」がだんだんに拡張されている過程をあらわしている。

「易システム」では、そういうふうに観ますよ、
と、そんな話だった(と思う)。

「自己の境界」の拡張はそこで終わりではない。

整理する意味もこめて、
もっとも基本になる大成卦からお話を始めよう。

   ☆

ぼくは占い師じゃない-daijouka

【大成卦のレベル。点線矢印は気づき(深化)の方向】

個人に対応する大成卦には、個人のボディ(スピリット)と個別化したソウルがむすびついている。
これをそれぞれ、ダイアード、トライアードと呼ぶのは、ゲリー・ボーネル氏で、易システムではそれぞれ、スピリット、ソウルと呼ぶ。

ボーネル氏のビジョンでユニークなのは、ソウル(トライアード)は、創造主の似姿として創られた最初の瞬間から完全なものであり、進化/深化する必要はないということである。
スピリット(ダイアード)は、物質の原基としての意識であり、こちらは「進化/深化」できるもので 、最終的にはソウル(トライアード)のレベルに到達する。

ソウル(トライアード)も、スピリット(ダイアード)の深化/進化を促進し、かつ自身も経験を積み、そのプロセスを創造主に還元する。
人間という単位は、このソウル(トライアード)とスピリット(ダイアード)の複合であり、大成卦においてはそれぞれ下卦、上卦でシンボライズされる。

大概の場合意識されていないが、人間にはあらかじめ完全な、創造主の一部分が組み込まれているのである……というより、ソウルという創造主の断片の乗り物が、この人間という装置なのだ。
大成卦ひとつを一個人とみるなら、魂と肉体の調和関係は、上卦と下卦のそれぞれの爻の、応/不応関係として読みとることもできるだろう……という話は、「にんげんばんざい 」(しかし、なんてタイトルだ)にも書いた。

一般に易の組織は「両儀→四象→八卦→六十四卦」で説明される。
この序列では、八卦→六十四卦の部分に飛躍がある。

爻の数でいえば両儀=1、四象=2、八卦=3で、六十四卦(大成卦)で6になる。八卦の次に「十六卦」=4、「三十二卦」=5という構造がくることはない。4つの爻、5つの爻でできたシンボルはレガシーにはないからである。

歴史的には、八卦が完成されたところでしばらくそのまま八卦だけで使用されていて、その後、八卦どうしを組み合わせて六十四卦が成立したのだろうというのが通説だが、「両儀→四象→八卦」の順で複雑化してきたスピリットに、お膳立てが整ったところで、あらかじめ完成されていた八卦として表現されるソウルが飛び込んできたようにも観え、興味深い。
またこの過程は個体発生が系統発生を踏襲するかたちで、妊娠~誕生時のプロセスでもくりかえされる。

ぼくは占い師じゃない-shinka

【スピリット(ダイアード)の進化と、
複雑性を獲得したダイアードを
ソウル(トライアード)が所有する様子】

つまるところ、易システムは、スピリット(ダイアード意識)の進化/深化をひもとくための言語なのである。

くりかえしなるが原初から完成されたソウルには進化/深化の必然性はなく、易システムで表現される対象にはなりえない。
大成卦の下卦として、易システム上にあらわれるソウルは、あくまで便宜であり可視次元から眺めたそのおぼろげな姿にすぎない、ということになる。

下卦=魂/上卦=肉体と観るならば、易システムにおいては、それぞれそのカテゴリは8種類(八卦)になる。易システムは結局その8×8の組みあわせで、人間という複合体を表現する。

あまりに雑駁と観るかそうでないかは各人の感覚の問題である。

8であろうといくつであろうとその数自体におそらくたいした意味はない。
易システムというフレーム(言語)を使うかぎりにおいては8になるというだけのことなのだ。

   ☆

あまり長くなってウンザリされても困るので、
今回はこのへんで。

次回以降はふりかえりも兼ねて、
ツイストペアからファーストオーダー、

そう、ファーストがあるならセカンドもサードもある……

どこまでお話できるかわからないけど、
筆者の意識レベルが低いこともあり、
たぶんコトバは少なくなっていくだろう。

ご興味のある方は
よろしくおつきあいください。

キングジムが運営する電子書籍ストア「wook」にて、「易システムハンドブック」の電子版(wook専用ビュアー版、PDF版)の公開をはじめました。
ここに登録されている各種電子書籍は、wookの専用ビュアー(無料)を使って、PCはもとより、iPhone/iPad、Android端末(スマートフォン・タブレット)から閲覧することができます。サービスの詳細についてはwookのページをご覧ください。

          ☆

「易システム」はひとことでいうなら、筆者の独自解釈版の「易」です。
「易システム」「ハンドブック」の内容については「易システム」公開ページにて、簡単ではありますが、ご説明させていただいております。

          ○

「易システムハンドブック」本体には1000円という値段をつけさせていただいてはいますが、「易システムハンドブック」のリファレンス部分(八卦、六十四卦、ツイストペアのリスト)を取り出して別冊にし、こちらは「易システムハンドブック」の「リファレンスブック」として、無料にて公開しています。

          △

ハンドブック自体は有料ですが、占い方のページまでは立ち読みできるようにしましたので、上の「リファレンスブック」とあわせてご参照いただければ、はじめての方でも占いができる……はずです。

          □

できることなら、すべてを無料公開した方がいいのでしょうが、2010年にVer2.00をリリースさせていただき、Ver2.00、Ver2.01は紙ベースで二十数名の方々に3000円~7000円という値段で頒布させていただいた経緯もあり、このような値段設定とさせていただきました。
3000円~7000円というのは実費で、一回に出力する部数によって大幅に値段が変わってしまうほか、ページ数が多いということもあり、オンデマンドのコピー本だとどうしてもそのくらいになってしまいます。

          ※

Ver2.02で「猫乃電子書店」から1050円でttz形式(T-Time(ボイジャー)というビュアー版)でリリースさせていただき、Ver2.03でPDFということになったわけですが、配布するファイル形式が変わっただけでなく、Ver2.00→01→02→03と、まちがいやモレ、数少ない読者様からの要望などにより、ちょこちょこ修正を行って現在に至っております。

そんなこんなではございますが、もし少しでもご興味があれば、ご笑覧方々、よろしくお願いもうしあげます。
○ イントロ

ウスペンスキーの「新しい宇宙像」は感想の書きにくい本である。

「銀河ツール」のホゼ・アグエイアス氏が若い頃に影響を受けた本だということで「ターシャム・オルガヌム」を読んだが、その流れで……ということで「新しい宇宙像」も読んだ。

感想が書きづらいのは、とりあげあれている話題が多岐にわたっていることと、書かれた時代が古い(1900年の初め)からだ。しかしそれらのことを考慮しても、ウスペンスキーの思想は独特で、若きホゼ氏がインパクトを受けるのも無理はない気がする。

内容は、秘教的側面からとらえたさまざまな話題のアンソロジーだが「ターシャム」からの流れでいえば、やはり、本のタイトルと同名の「新しい宇宙像」の章がどうしても目をひく。

どれだけイメージを受け取ることができたかはわからないけれど、易システムについて、いままでこのブログで書いてきたことと、これから書こうとしてしていることを交えながら「三次元(*1)より上」の「時間」について、ぼくが思うところを記録しておきたい。


○ 直線の時間

通常、ぼくらは時間を直線的なものととらえがちである。
子供の頃にならった数直線、大人になってからアタマをなやませるスケジュール、工程表。SNSではやりの「タイムライン」。
この直線上において、イベントは単なる「点」になる。

イベントは日常生活における出来事だ。
時間をあらわす直線上では単なるひとつの「点」だが、日常生活、すなわち三次元空間内で起こることなので、実際にはタテ、ヨコ、タカサ、三つの次元を持っている。

つまり「時間を直線でとらえる」ということは、三次元空間を直線上の点、0次元に落とし込むことなのである。

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時間をあらわす直線は三次元座標の原点で直交する4本目の座標軸と考えることができる。
この軸は想定することはできてもイメージすることはできない。タテ方向でもない、ヨコ方向でもない、タカサ方向でもない、4番目の方向にのびているからだ。

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つまり、時間をあらわす数直線は図としては一次元なのだが、実際は四次元軸なのである。


○ バリアント――平面の時間

易における得卦は、連続する時間のある特定の断面、イベントである。
得卦は一定期間存続する状況をあらわすが、状況にはその得卦であらわされる以外に、63種類のバリエーションがある。
易システムではヴァジム・ゼランド氏の著作から概念を借用して、これらのバリエーションを「バリアント(「易とトランサーフィン 」参照」と呼ぶ。

得卦以外の卦であらわされるイベントは、その時点で目の前にあるわけではないれども、その時実際に起きているイベントの可能性(バリアント)として背後に並行して存在する。
得卦とそのバリアントのつらなりは、それぞれに4次元軸を構成する。
現実化された時間軸と可能性として並存する時間軸。
これら4次元軸(直線)群がダイヤグラム上で平面を構成すると……一次元だった時間軸は二次元になる。

ぼくは占い師じゃない-fig156

三次元空間は一次元で表現されている時間軸上の「点」に落とし込まれているわけだから、平面とはいってもその実態は三次元プラス二次元で、平面にみえているものは実際には五次元ということになる。


○ バリアント・マトリクス――立方体の時間

ある易卦を基準として、その易卦から乗り換え易い順に、その他の易卦を配置したダイヤグラムを、易システムでは「バリアント・マトリクス」と呼ぶ。
「バリアント・マトリクス」は、各ツイストペア(「日本酒とツイストペア 」などを参照)を基準卦として描かれる。
「バリアント・マトリクス」はこのブログでは紹介していないが、たとえば、「85:地風升」と「14:天雷无妄」を基準卦としたバリアント・マトリクスは以下のようになる。

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【左右両端が基準卦】

得卦および得卦のバリアントが属する時間軸群が一列に直線的にならんで存在するのではなく、バリアント・マトリクスの配列で存在したすると、時間軸郡の断面は平面を構成していたときのように線ではなく、「面」を構成するようになる。この「面」は時間空間内おける面なので、実際には五次元である。
現実化されるかどうかにかかわらず、すべての時間軸が一定期間持続するとすると、この「面」は、四次元方向に奥行きを持つことになる。
この時間軸群のある一定部分(各易卦で示されるバリアントが持続する期間分)を取り出したカタマリは、時間空間における「タテ・ヨコ・タカサ」を有する六面体であらわすことができ、これが「時間の立方体」である。「面」に加えて奥行きを持ったので、この六面体――立方体は実際には六次元のものだということがアナロジーによって類推することができる。

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【時間の立方体】

この「時間空間」が時間全体であり、すべての点には空間全体が含まれる。


○ 永劫回帰――周期的時間

ウスペンスキーによると、六芒星は「次元の周期」の象徴であり、三つの空間次元と三つの時間次元の統合された様子をあらわすものだという。

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【六芒星。三次元空間をいったんゼロ次元に落とし込むという操作
=「ゼロポイント」がふたつの三角形をつなぐ】

6はひとつの周期なのだ。

ひとつの大成卦は六つの爻で構成される。
「バリアントの流れ」は十二消息卦のルールで構成される易卦のグループで象徴されるが、このグループはひとつの周期を形成する。

いま一度、一本の四次元の時間軸に話をもどすと、あるひとつの卦は日常生活におけるイベント、この時間軸上における点であり、十二消息卦のルールで構成される易卦のグループはこの直線が「円」を描いたものだ。

直線(一次元)は「円」になることによっても、次元をひとつ追加(二次元)する。

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つまり、周期は五次元であり、永劫回帰もこれで表現することができる。
これもまだこのブログでは紹介していないが、易システムでは十二消息卦のルールで構成される易卦の周期と、OD を基準卦としたバリアント・マトリクスから構成される周期で階層化し、これをWOL(ホイール・オブ・ライフ)およびGW(グレート・ホイール)と呼ぶ。

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【ホイール・オブ・ライフ】

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【「85:地風升」を基準としたGW】

ぼくは占い師じゃない-117
【WOLとGWの関係図】

ウスペンスキー(ニーチェ)の永劫回帰は、まったく同じバリアントが選択される無限ループだ。
そのループを想定したとき、永劫回帰というモデルを採用した者に、生きるという魂の旅をどうとらえるかその意味をせまるものだが、易システムではそのようなとらえかたはしない。

現象が無限ループするのではなく、無限ループするのは易卦であらわされる課題(テーマ)の配列である。それらの課題をこなすやり方はさまざまに選ぶことができる。

重要なのは課題をこなす具体的なやり方……現象的、三次元的、現世的ディティールではなく、課題をこなしていくことによって、この際限のないラットレースから抜け出すためのポテンシャルを得ることだ。

ぼくは占い師じゃない-161

その先、旅路はどこへつづいているのか。

無責任なようだが、それはそのときになってみないとわからない。

よくもわるくも、そういうゲームなのだろう。


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*1)「次元」。幾何学空間における座標軸の本数、ある事象におけるパラメーター数、行列の要素数、あるいは品格、程度といったレベル、このブログでは、これらの意味をすべてひっくるめた曖昧な意味で「次元」という言葉を使っている。


ぼくは占い師じゃない-ragosu

筒井作品を読んだのは何年ぶりだろうか。

朝のラジオで中島らも氏の娘さんが紹介していて、
あらすじを聞いて

「あ、これ読んでみよう」

と思ったのがきっかけ。

どれだけ共感してくれる人がいるかわからないけれど、
視覚的にはぼくは、砂漠を旅する戦士……
メビウスの「アルザック」を連想した。

本はうすいが、中につまっている「時間」は長く、重い。

主人公「ラゴス」という男の旅の話。

ひとりの男の、おそらくは30代くらいから60代の終わりくらいまでの
「時間」がまるごとつまっている。

ジャンルとしてはSF、ファンタジーになるか。
たぶん、人類が植民した別の世界だ。
高度な技術はとうに失われ、物質文明は何百年か後退しているが、
代わりに人々はちょっとした超能力を身につけている。

といってもこの本に出てくる
そういった設定やSFガジェットに
目新しいものはなにひとつとしてない。
著者が描こうとしているものの眼目はそこにはないからだ。

旅立ち、境界を越え、なにかをつかみとり、
それを持ち帰り、コミュニティに還元する。
お話は放蕩息子の元型(関連記事「わっかの話 」)そのものだが、
著者が描こうとしているものの眼目はそこでもない。

他の方のレビューにもあるとおり、
昔のちょっと「毒のある」筒井作品からすると、異質である。
大げさかもしれないが、同じ人が書いたものとは思えない。

ぼく自身は、筒井作品……とうよりも、
小説自体ほとんど読まなくなってしまっていて、
ここでも紹介することだしと思い、
ちょこちょこ著者周辺のことを調べていたら、
たまたま、筒井康隆氏は1934年(昭和9年)生まれで、
うちの親父と同じ年だということを知った。
だからどうだというわけでなけれども、
「旅のラゴス」が書かれたのが1986年で、著者が52歳のときだ。
ぼくは現在51歳なので、まあ、ほぼ一緒だ。

ぼくの親父と同じ歳の人が今のぼく位の歳に書いたものなのである。

話も主人公が40代半ばを過ぎて、筒井氏の代名詞的一人称「おれ」から、
「わたし」変わったあたりから、ぼく的にはぐっとよくなる。

共鳴した原因はどうも「男」であるということと、「歳」にありそうだ。

じゃあ「若い」「女性」が読んじゃイケナイのかい?

というと、もちろんそんなことはないけど、
でも、もうしわけないけれど、
ほんとうには「おもしろい」とは思えないんじゃなかなあ……
と、老婆心ならぬ老爺心でおじさんは思うわけである。

なんかおんなじようなこと、
おじさんだから 」でも書いたなあ。

ぼくらはふだん会う人々の三次元的な姿しか見ていない。

そのうすっぺらな印象でもって、
「アイツとは気が合う」
「アイツは気に食わない」
「アイツは別に関係ない」
等々、四の五のいっているワケだ。

でも、ほんとうの「その人」というのは、
その人と、その人が今もそのなかにいる
人生そのものなのではないだろうか。
時間は高次元的な感覚なので、
ぱっと見にはもちろんわからない。

ながながと書いてきたが、
易というコトバが通じる人には、
一言でこの本のことを伝えることができる。

言わずと知れた、
すなわち「旅」である。

オヤジには、是非読んでいただきたい。

ぼくは占い師じゃない-ryo
☆「地球のレッスン」
 北山耕平著
 太田出版
 2010年
 より。

【最大の敵と戦おう】
(あるいはしっかりと覚えて
自分の子供たちに語り継ぐべき
平和な世界実現のための呪文)

一、原子力はクリーンエネルギーじゃない。

一、原子力は安いエネルギーじゃない。

一、原子力は地球温暖化への解答じゃない。

一、原子力は安全なものじゃない。

一、ウラニウム採掘には危険がいっぱい。

一、核兵器の投げかけた脅威は終わっていない。

一、核廃棄物の問題はずっと未解決のまま。

一、核関連施設の誘致はその土地を豊かにしない。

一、ウラニウムは掘り出さないのがなにより。

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今回は最近読んだ本からつれづれに。

☆「2012年への進化」
 ステファニー・サウス著
 井元悦子訳
 柳瀬宏秀監訳
 三五館
 2009年

「銀河ツール」のホゼ・アグエイアス氏の伝記。
ホゼ氏最後の弟子が書いたもの。
そんなわけで、
美化されているところもあると思うが……
人間は好むと好まざるとにかかわらず、天才も凡人も、
その彼または彼女が生きた、「時代」と不可分である。
あたりまえかもしれないけど。
ホゼ氏は2012年を待たずして他界した。

☆「ターシャム・オルガヌム」
 P.D.ウスペンスキー著
 高橋弘泰訳
 コスモス・ライブラリー
 2001年

ホゼ氏が若い頃に影響を受けた本として、
上の伝記に書いてあったので読む。
若い頃に読んだ本はその人の基盤の、
すべてではないにしろ、
重要な一部を形成することが多い。
13月の暦をはじめとする銀河ツールでは、
「四次元の「時間」」といった表現がカギ。
この「時間」は普段感じている日常時間とはちがう。
日常時間はそれより高い次元にある「なにか」に、
ともなう感覚であり、実は錯覚である。

それって、時間は錯覚っていう、おなじみの概念?

日常時間については確かにそうだ。
でも、ほんとうの「時間/四次元の時間」
というコトバが指す「時間」は、
時間を感じる主体が何次元の存在だろうと、
無限遡及的に、常に、その主体よりも
高次元に押しやられる「なにか」
に関する感覚なのである。
その「なにか」はおそらく日常時間とは
似ても似つかない「なにか」であり、
永遠に認識することはできない。

☆「スピリチュアル・マネー」
 スチュアート・ワイルド 著
 中山 宥訳
 VOICE
 2005年

「サイレント・パワー」の、
スチュアート・ワイルドによるお金の本。

「21世紀版」になってからついたのだろうか、
「付録」の冒頭、戦後の世界情勢のふりかえりが、
陰陽のうつりかわりで読み解かれていて興味深い。

スペースシャトルの爆発事故が、
陽の極致としてとらえられていた。

故銭天牛氏がその著書の中で、全陽の乾為天を
多段式ロケットにたとえていたのを思い出す。

スチュアート・ワイルド氏が
「すぐに役立つ銭流「易経 」」
を知っているとは思えないが。

あの爆発事故は「亢龍、悔い在り」だったのだろうか。
今は長い「陰」の時代だろうか。

オカネは手段でありエネルギーである。

で、それがあったらなにがしたいのか。
なぜオカネが必要なのか。
結局、自分のこの人生での、根本的な、
やりたいこと、希望、欲望にいきつく。

それがはっきりしている人はいい。
けど、たいがい、
それが一番の問題なのではないだろうか。

口を開けていれば、
このターゲットをほうりこんでくれるような、
本、メソッド、セミナー……は、たぶんない。

☆「あなたの世界の終わり」
 アジャシャンティ著
 高木悠鼓 訳
 ナチュラルスピリット
 2012年

「悟り」=「目覚め」は、
どうもなかなか思うようにはならないものらしい。
この本のコトバを借りてひとことでいうと、
目覚め、というのは、
「感覚・気分といったものとは一線を画す、
観点の恒久的なシフト」
らしいが、
目覚めたからといって、
急にアタマの中が静かになるわけでも、
預金残高が増えるわけでも、
カイシャが休みになるわけでもないみたい。

やっぱり朝起きればかったるいし、
歯だって磨かなきゃならないし、
請求書の支払いだってしなきゃならないのである。

それだけはまちがいない。

「からっぽ!」

アンディ・ブディコム著
満園真木訳
辰巳出版(2011/11)


瞑想再開。

しばらくとおざかっていたが、
上の本を読んでまたはじめることにした。
内容的には目新しいことはとくにない。

10分の数息だ。

瞑想をこれからはじめようとする人向けに書かれている。

基本的なことばかりだが、その基本的なことこそが、
これからだろうと、何年瞑想をやっていようと、
決定的に重要なのだと改めて気づかされた。

とにかくたとえ話が豊富だ。

著者は師を求めて世界中をさまよったというが、
きっと世界のマスターたちは、
たとえ話の宝庫だったのだろう。

肝心なことを寓話の形で伝えるのは、
スーフィーの伝統などにもあるが、
ぴたりと腑に落ちれば
これほど強力なメディアもない。
ブッダもこの手の話が大変に巧かったと聞く。

   ☆

たとえどんなに忙しい生活をおくっていたとしても、
朝必ず10分座ることは不可能なことではない。

やがてそれは生活の基盤になる。

しかし実は、前提ではあるけれども、
静座が完璧に習慣として身についても、
その段階ではまだ話は半分なのである。

流れていく想念を観察し、
それに巻き込まれないでいる習慣を、
日常生活にもひろげていくのが次の段階で、
座っているときだけでなく、24時間365日に
瞑想を「浸透」させていくことが、
最終的な目標になる。

といっても、
いつもなにかにがんじがらめになる、
ということではない。

このへんのニュアンスについては本文、
とくに「野生の馬」のたとえを参照してほしい。

   ☆

もう少し、本の具体的な話。

文章は非常によみやすく感じた。

翻訳者の方の技量ということもあるのだろうが、
おそらくは原文がクリアでわかりやすく書かれているのだろう。
こみいった文章の訳はやはりこみいったものになる。

実際に瞑想をはじめるといろいろと疑問が出てくる。
瞑想者がいだくであろう疑問やつまづきやすいポイントなどについては
ほぼすべてカバーされているように思った。

著者は自分の体験をベースに、マジメに書いているのである。
それが伝わってくる。

書かれているエクササイズ(どれも短い)をきちんとやりながら、
最初から最後まで読んで理解すれば、という条件付きだが、
この本があれば特別な指導者はいらない、といえば言い過ぎか。
しかし誇張でなく、そんな気もする。

本の最後には体験者談が載っている。

だいたいこういうのは、
「この方法でこんなによくなりました!」
というサクラまがいの例が多かったりするのだが、
この本の体験談の中には
「別に変わんないや」というのもあって、
そんな例でも結果にかかわらず、
読者に資するところがあれば載せているところに、
著者の誠実さを感じるのはぼくだけだろうか。

本の帯を見ると
「イギリスで超人気アプリになった云々」
と書かれている。
探したらiPhoneアプリ(フリー)で
「Headspace(on-the-go)」というのがあった。

10分瞑想の10日間プログラムで、
著者自身が手取り足取り瞑想をガイドしてくれる。
もちろん英語。
ぼくのように英語を音としてしか聞けないような人はダメだろうが、
英語を自然に理解できる方ならためしてみる価値はあるかも。

ぼくは占い師じゃない-headspace

   ☆

この本で紹介されている瞑想にはタイマーを使う。

本にも書かれているがキッチンタイマーはNGだ。
心臓がとまりそうになる。

じゃあバイブレーションタイマーならいいかというと、
ぼくの場合はそれもダメで、
今度は心臓が縮み上がりそうになる。

iPad、iPhoneのアプリを探すと、
瞑想用のタイマーというのがあって、
こういうのを使うとよいと思う。

開始と終了の音がやさしい鐘の音になっていたりするし、
ふつうはボリューム調整がついている。

ぼくは占い師じゃない-timer
【ぼくが使っている瞑想用タイマー。
リードタイムがとれるところが秀逸だが、
0秒(リードタイムなし)、5秒、10秒の
三択になっているところがオシイ。
自由に設定できるとよかったのだが】


本の帯にも書いてあるが、ちょっと不充分なので、
最後に、10分瞑想の手順についてまとめておく。

本で解説されている考え方や説明をとりあえずは読んで、
理解した人が日々瞑想を行うときに、
手順を思い出すためのメモである。

くわしくはもちろん本を読んでほしい。


1.準備
すわる。タイマーセット。

2.イントロ
5回深呼吸。目をとじる。
身体感覚を意識。
身体をスキャン。
気分・ムードを感じる。

3.集中
息の出入りポイントを感じる。
息の感触、リズムを感じる。
息を数える。

4.しあげ
心を自由にさせる。
身体感覚を意識。
そっと目をあける。


長いこと易システムとたわむれていると、
目的を見失いそうになることがある。

陰爻と陽爻のつらなりは、
およそ思いつくもの、なんにでも観えてくるからだ。

いったい自分がなにをしようとしているのか、
わけがわからなくなる。

そこで夢にガイダンスを求めてみよう、
と思った。

分析……ではなく、夢を読み解くことと、
易卦を読み解くことはどこか似ている。
関連する以前の記事

夢を読み解くやり方については、
たとえば*1などにオーバービューな説明がある。

そこにも書かれているテクニックだが、
「質問と回答」という形式を利用するやり方もある。
(よりくわしくは、(*2)を参照してください)

おおはばにそのやり方を簡略化したやり方で、
ときどき見失ってしまいそうになる
易システムの方向性を確認してみた。



回答として返ってきた夢(*3)は
だいたい次のようなもの。

夢のパートは大きく4つに分かれる。
実際はもっとごちゃごちゃしているのだが、
他人の夢のハナシほどつまらんものもない。

で、ポイントだけ抜き出して並べた。

(1)自分で持ってきたDVDを再生して、皆で映画を観る。
(2)地階に激しく流れ込む大量の水。
(3)街を襲ういくつもの巨大な竜巻。
(4)高空から俯瞰する街。

これらはすべてシンボルである。

直接そのものを指していることは……
ないことはないが、まれだろう。

では実際にはなにを意味しているのか。

連想を働かせながら、
キーワードを書きだしてさぐってみる。


(1)映画 = 現実、あるいは日常世界。
合意的現実を映画が映写されるプロセスになぞらえるのは定番のメタファーだ。
意識によって選択される一連のバリアント

(2)水 = 感情、あるいは激情。
オーソドックスな解釈による。

(3)竜巻 = エネルギー流。
これはちょっと解釈に苦しむ。
竜巻は最近になってよくでてくるシンボルなのだが、
意味がよくわからない。
あれこれ思いをめぐらしていると、
以前に読んだ本を思い出した。
*4がその本なのだが、その中にこんな挿絵がある。

ぼくは占い師じゃない-creation
【図の説明は原著(*4)のまま】

最初にエネルギー(不可視の鋳型)ありき。
物質はその、絡み合いカイテンする流れに沿って創出される。
竜巻はまた、天と地をむすぶもの、にもみえる。

(4)街 = 世界(観)
年のはじめに知り合いのすすめで読んだ辻麻里子さんの著作に、
高いところから放射状に広がった街を俯瞰するイメージがある。
そのイメージにどこか似ていた。
もっともぼくの場合は、ずいぶんと雲に隠れていたが。


もちろんこれらは一般的な意味ではない。
ぼくの個人的な解釈だ。

というより、

夢のシンボルについては一般的な意味というのはない。
夢そのものがそもそも個人的なものだからである。

たとえ、人類共通の元型のようなメッセージがそこにあったとしても、
メッセージには個人的なバイアスがかかる。

これが、夢の解釈を他人まかせにできないこと、
そして、他人の夢のハナシを聞いてもおもしろくない理由である。

夢はまったくもってパーソナルなメッセージなのだ。



せっかくだから腑に落ちる答えを、
マンダラ にプロットしてみる。
中央セルにいれるコトバは、

「易システムとはなにか?」

という問いである。

(2)と(3)は意味が通底しているようにも思える。
これらは易システムそのものというより、
システムを駆動させる推進力であるような気がした。
それで、中央の左右、同レベルに配置。

(1)と(4)は、独立したイメージだろうか。
上の「世界観」から、下の「日常世界」へ……
という感じかな、と思い、それぞれ上と下のセルへ。

ぼくは占い師じゃない-manda1

こうして眺めてみると、
世界観という鋳型は、感情(心)と
エネルギー(物質=身体)という二つの流れによって、
具体的事物になる。
そんな感じ。

まあそれはいいけど、
中央セルの問いのコタエにはなっていない。

どうやら夢は、
直接の回答をあたえてくれているわけではなさそうだ。

マンダラは、空いている四隅のセルが答えだ、
といっているようにみえる。

それでさらに、上の「世界観」のセルと、
下の「日常世界」のセルから左右に連想してみる。
「易システムとはなにか?」と、問いながら。

日常世界のレベルでは、
占術という側面はまず外せないだろう。
易経はまずもって占いの書だったわけだから。

そうそう。

レガシーシステム、伝統的な易それ自体も、
ないがしろにするわけにはいかない。

そんなわけで、下のセル、地上レベルには、
伝統易と占術というキーワードをいれてみる。

ぼくは占い師じゃない-manda2

問題は上の隅、左右だ。

追いつめられて、
残ったマヨネーズをしぼるように出てきたのは、
まずは右側に、「言語」というキーワード。

「言語」の学術的専門的な定義は知らないし、
勉強もしたことはないが、おぼつかなく思うところ、

コトバには3つの機能があるのではないか……

などと思ったりしている。

・伝達
・情報の蓄積
・枠組み

この中で一番やりたいことはなんですか、
どれが一番ワクワクしますかと、
問われたとすると……

やっぱり「枠組み」=フレームなのである。

で、「フレーム」というキーワードを
スピンオフさせて左隅のセルを埋める。

と、 マンダラはめでたく完成する。

ぼくは占い師じゃない-manda3

コトバは、この世界をとらえるフレームを創るための道具だ。

易システムというコトバを使って、
そんなフレームのバリエーションをまたひとつ、
追加できたらいいなあ、と思った。

できれば、日常言語とはまたちがった景色がみえる窓になれば。

できれば、より希望の持てる眺めになれば、なおよい。

だれしも言語を獲得する以前はそうだったわけだが、
もし、コトバ……言語がなかったとしたら、
ヒトは自分も含むこの世界をどのようにとらえる……

もしくは、とらえていたのか。

今となっては、想い出すすべもない。

その感覚はまるで、

とらえそこなった春の夢のように、
いつまでも喉元にひっかかったままだ。


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(*1)
「自分でできる夢分析」
江夏亮 著
PHP研究所
2009/11/14

(*2)
「なりたい自分を探す夢の見かた入門―夢は答えを知っている」
ゲイル・ デラニー 著
勝俣 孝美 訳
PHP研究所
2004/02

(*3)
回答として返ってくる夢は、孵化夢と呼ばれる。
直接的に回答を返さないことも多い。
どう考えても質問の回答とは思えない内容のこともある。
そういうときはとりあえず、回答と「みなして」進めてみる。
易の場合、質問して得られた卦は回答であるということは前提になっているが、
この回答はスイングすることがある(関連する以前の記事 )。

(*4)
「自然は脈動する―ヴィクトル・シャウベルガーの驚くべき洞察」
アリック・バーソロミュー 著
野口 正雄 訳
日本教文社
2008/4


ファーストオーダー 」では、 ツイストペアのツイストペアである、ファーストオーダーという易システム(*)でのオリジナル単位についてお話しさせていただきました。

今回はその続きで、ファーストオーダーのもうひとつの観方について、お話しさせていただければ、と思います。



   ☆

ツイストペアを構成するふたつの大成卦の間で「メッセージ交換」を行うと、もうひとつのツイストペアを生じる。

このツイストペアと、先のツイストペアを合わせて「ファーストオーダー」と呼んだわけだが、最初のメッセージ交換の結果として得られたツイストペアを構成するふたつの大成卦間で、さらにメッセージ交換を行うとどうなるだろうか。

これをやると、あとに生じたツイストペアは、また最初のツイストペアに戻るのである。

たとえば、「11:乾為天」と「88:坤為地」というツイストペアの間で、この操作を連続的に行った様子を以下に示す。

ぼくは占い師じゃない-kokyuu

あるツイストペアから、別のツイストペアが生じ、その別のツイストペアから、もとのツイストペアにもどる。

一連の動きとしてながめてみると、ふたつの状態を繰り返していることがわかる。

わかりやすい例として、「11:乾為天」と「88:坤為地」というツイストペアの例を図示したが、これは他のツイストペアでも同様である。

   ☆

易卦という符号の動きからすれば、こういう運びになるのは、当たり前といえば当たり前なのだが、ある状態からはじまって、別の状態になり、またもとの状態になる……というくりかえしは、吸気と呼気からなる呼吸を連想させる。

もとのツイストペアにもどることによって、もとのふたつの大成卦はそのカタチを維持しているようにも観え、それはすなわち、6つの爻という大成卦という組織を成り立たせている境界を維持する活動でもある。

「ファーストオーダー」では、ツイストペアがツイストペアを生じるファーストオーダーの発生要因を「メッセージ交換」に求めたが、上図のように観れば、これは「呼吸」のプロセスの一部と観ることもできる。

「呼吸」。

ぜんぜん科学的、学術的な定義ではくて、まったく感覚的なハナシなのだが、生命は「呼吸」するものであるともいえそうだ。
生殖によるメッセージ交換だけでなく、この「呼吸」も生命活動の主要な一部であるように観える。
また、そう観てもいいのではないか。

   ☆

メッセージ交換を行う、ツイストペアを成すふたつの大成卦の間には、さらにいくつかのグラデーションがある。
先の「11:乾為天」と「88:坤為地」の例でいえば、「11:乾為天」と「88:坤為地」の間に、変化のさらに細かいステップとなる大成卦が入る。

「11:乾為天」と「88:坤為地」のケースだと、そのステップも含めた全体は、伝統的な易でいう12消息卦(消長卦)になる。このステップには、メッセージ交換した結果生じたツイストペアも含まれる。「11:乾為天」と「88:坤為地」の場合だと、否と泰だ。

ぼくは占い師じゃない-shuuki

こうなると呼吸というより、さらに時間的要素が加わった「周期」になる。

伝統的な易では、12消息卦は12ヶ月に割り当てられた。
12という数は十二支と容易に結びつくからだ。
消息卦はその概念をさらに拡張して、物事、事象が推移する過程と観られることもある。

全陰から全陽へ、さらに、全陽から全陰へとくりかえすプロセスはシンボルの外見的にも明白でわかりやすい。
だが易システムでは、伝統易のように「11:乾為天」と「88:坤為地」だけの間に周期を観ることはしない。

易システム的にいえば、「11:乾為天」と「88:坤為地」はツイストペアのひとつだ。

ツイストペアは、ある大成卦と、その大成卦の各爻の陰陽を反転した大成卦のペアであり、「11:乾為天」と「88:坤為地」のペア以外にも31とおり、全部で32とおりのペアがある。

それぞれが呼吸であり、それぞれに周期がある。
それぞれの周期の起点と終点、および、往路と復路の中間点にある合計4つの大成卦が、FOを構成する。

   ☆

ファーストオーダー 」で示したとおり易システムではFOとしては16とおり、呼吸/周期としては32とおりのパターンがある。

呼吸。
昼夜。
一週。
節気。
一月。
四季。
人生。
歴史。

ここで32の例をあげることはできないが、なにをどう観たてるかはそれこそケースバイケースだ。

そして、イキモノのみならず、呼吸/周期は、すべての活動の根本ではないか。

これをうまく言いあらわすのは、ちょっとむずかしいかもしれない。

すべては輪(ホイール)であり、相互に複雑に関連しあっている。

その関連も一筋縄ではいかない。

個人的なレベルでは、あなたのホイールもあるだろうし、ぼくのホイールもある。
部族のホイールだってあるだろうし、地球のホイールもあるだろう。
それらが、連なったり、接したり、入れ子になったり……しているのである。

   ☆

この宇宙全体はどうなのだろう。

宇宙……本源そのものについては「創造と破壊」なんてことがいわれたりする。

ただ「破壊」というコトバは、自己の境界が限定的である段階における存在による傍若無人なふるまいと混同されがちな気がする。

たとえば、「破壊」ではなく、次の創造のための準備という意味で……
「帰還」ということではどうだろう。

創造と帰還は、本源の呼気と吸気であり、この宇宙の最も基本的な「呼吸」なのだ。

このものの観方は、少なくともぼく個人的には、ある種の希望をもたらすものだ。
死は絶対的な終着駅でなく、呼気と吸気の間の通過ポイントに過ぎなくなるからである。

   ☆

放蕩息子は父君のもとに還ったあと、その次はどうしたのだろう。

そのまま、実家でのうのうとシアワセに暮らしたのだろうか。

……いや、そんなはずはない。

吐いて、吸って。

その一往復、それきりで終わってしまうものは、

ふつうは「呼吸」とはいわないだろうから。

息子はまたこりもせずに、
放浪の旅に出るにちがいない。



ぼくは占い師じゃない-starW
【スターホイール108番、
Creation Ovum - Resonance。
AYA氏のホームページ より】


ぼくは占い師じゃない-terekutonon
【テレクトノン。
太陽系の呼吸。
13月の暦手帳(こよみ屋 )より】


*)易システム
周易をベースにした、筆者独自の解釈による「易」を、勝手に「易システム」と呼んでいる。

健康診断の名目で仕事を休んだ。

早めに病院に入れば、
午前中いっぱいで用事は済む。

昼。

茶蕎麦と、
寒かったので熱燗を一合。

おっさん丸出しだ。

快晴。

おだやかな午後である。

シンコクに必要な書類を、
区役所に取りに行く以外、
とくに予定もない。

平日昼下がりの電車にゆられて、
麻布十番の万華鏡専門店にいった。

ぼくは占い師じゃない-furaiya-

このお店に入ったのはこれで、3回目ぐらいかなあ。

一点モノの万華鏡作家の作品をあつかっているので、
お値段はそれなりに。

もちろん、リーズナブルなものもあるけど、
いわゆる「作品」を、
自分のものにしたのは初めてだった。

買ったのは、万華鏡の一種だが、
テレイドスコープと呼ばれるものである。

上のお店のフライヤーにもあるが、
封入された具材を合わせ鏡のスリットから覗くという、
基本構造はどの万華鏡でも変わらない。

テレイドスコープは、封入された具材の代わりに、
合わせ鏡から外の景色を覗く。

先端にガラス玉がはめ込まれているので、
実際には、魚眼レンズに映ったような像が、
ぼくが買った作品の場合、
12の放射イメージに変換される。

ぼくは占い師じゃない-tereido1

ぼくは占い師じゃない-tereido2

写真ではうまく撮れないけれど、
実際の景色がもとになってるところがいい。

もちろん、万華鏡というモノ全体も、
工芸品としてのひとつの作品なので、
どんなモノを手にしてみたいかということも、
作品を楽しむ側としては、
とてもおおきなウエイトになる。

ぼくは占い師じゃない-rtereidobody

細野さんという方がつくったテレイドスコープ。

手のひらサイズ。

これを選んだのは、まあ、値段もあるけど、
おいてあった細野さんの作品の中では、
真鍮製のものはこれだけだったからだ。

だってほら、

あのタルホのお話に出てくる「謎の物体」を、
想い出させるでしょ。

胴体側面に付いているネジは、
意味ありげにみえるが、
デザイン上のアクセントである。

回したからといってミラーの角度が変わるわけでもなく、

ましてや、

ギボン!

とバクハツしたりはしない(たぶん)。

ナナメった所においても転がっていかないという、
ステキに実用的な機能もありますが。



ぜひやってみたいことがある。

晴れた日に公園の芝生に寝転がって、
このテレイドスコープで、
流れる雲をライブでおいかけること。

オイルの中を浮遊する
きらめくオブジェクトを眺めるのとは
またちがった趣があるはず。

とはいえ、
おんもはまだ寒い。

今年は花見、できるのかなあ。

日本酒とツイストペア 」では、ツイストペア(*1)の間に「見えない中心」ができて、それが自己の境界(メンブレーン)の拡大のステップになる、というお話をしました。

今回はその続きのお話をさせてください。

手前勝手な造語を乱発することになります。
ご容赦。



さて……

ツイストペアはダンスを続ける。

するとやがて、お互いがメッセージをやりとりし続けることによって、「見えない中心」は徐々にカタチをとるようになる。
だんだんと見えないものが見えるようになっていく。

最初は淡く、とらえどころのなかったものがより具体性をましていく。

なにが生み出されるのか、なにがどう具体的になっていくのか、それはそのツイストペアを何にみたてるのかによる。

たとえば、ツイストペアを夫婦とみるなら、子供がうまれる……か、あるいは、お互いの共通の目的か、スタンスのようなものがカタチをとりはじめる。

それはかならずしも言葉にはできないものかもしれない。
易システムにおいてその様子は、たとえば次の絵のようにあらわされる。

ぼくは占い師じゃない-FOnozu

AとBが互いの上下卦を交換しあってAでもBでもない新しいツイストペアC、Dを生むのである。

もちろん、A、Bから大成卦を生むパターンはこれ以外にも考えられる。
でもまあ、とりあえずは上図のパターンでお話を進めていきたい。

C=Bの下卦+Aの上卦、
D=Aの下卦+Bの上卦、

となるこのパターンは、ツイストペア・ホイールが生成されるときに純卦のツイストペアから先天大成卦が創られるパターンでもある。
これを「メッセージ交換」と呼ぶことにしよう。

日本酒とツイストペア 」でも、ツイストペア以外にもペアには任意の組み合わせがあるという話をしたが、「メッセージ交換」も、ツイストペアを構成する以外の任意の大成卦と行ってはいけないというルールはない。

ぼくは占い師じゃない-ninniFO

ともあれ、ツイストペアどうしのメッセージ交換は必ずツイストペアを生むという点において、ツイストペアどうしのメッセージ交換はやはり特殊である。

ツイストペアどうしのメッセージ交換は、メッセージ交換前のツイストペアと、メッセージ交換後のツイストペアで、「ツイストペアのツイストペア」を構成する。

この「ツイストペアのツイストペア」はひとつのグループをつくる。
このグループをファーストオーダー(FO(*5))と呼ぼう。

FOのくくりで六十四卦全体をみわたすと、マスターマトリクス(*2)とはまた別の眺めが見えてこないだろうか。

ぼくは占い師じゃない-FO1-4

ぼくは占い師じゃない-FO5-8

ぼくは占い師じゃない-FO9-12

ぼくは占い師じゃない-FO13-16

ところで、「メッセージ交換」にはモデルがある。
両親から半分づつ情報をもらって、新しい情報単位が生じる、生殖に代表される生命活動だ。

もちろん、別のものにみたててもかまわないが、FOを生命活動のパターンとみなすのなら、ひとつのFOは、ひとつの集合的な意識をあらわすことになる。

<私>の持ち分 」では、大成卦を一人の個人とみたてた。
いわば、一個の意識である。

ツイストペアになると、記号としての情報量は単なる大成卦の倍になり、自己の境界の拡大とか、共感、連帯感といった、グループ意識になる。

FOになると、記号としての情報量はさらに倍になる。
このレベルはさしずめ、民族・国家・惑星(私たちの場合は地球)意識といった集合意識に相当するだろうか。

大成卦4つ分の記号量となると、いちいち大成卦のシンボルを描いてはいられない。
たとえばいっそのこと、FOをひとつの丸であらわしてみたくなる。

ぼくは占い師じゃない-FOmaru

爻を重ねて大成卦のシンボルを描くのがメンドーだということもあるが、大成卦がツイストペアになった時点で、実はそれはもう大成卦ではない。

自己の……大成卦の境界が拡大した、なにか……別のものだ。

それでもツイストペアのように大成卦二つくらいなら、まあなんとか目で追えるかとは思うが、これがFOのように4つ、そしてこの先おそらくそれ以上になると、何か別のシンボルを持ってくるしかない。

そこで平面図形でもシンプルで美しい○……円を採ったのだが、これでFO全体をあらわすと、たとえば下の図のようになる。

ぼくは占い師じゃない-FOzentai

16のゲート、もしくは部族、人類の集合意識。

あなたのODは(*3)このどこかに属している。
たとえば、中心点の右にあるFO1~FO4はひとつのグループを形成し、全体は右回りに採番されている。
このように採番、作図していくと、中心にFO1、FO6、FO11、FO16が集まることになるが、この4つのFOはファウンデーション(*4)で構成されるFOである。

図全体の中心点を含むのは、「FO1、FO6、FO11、FO16」で示されるファウンデーションのグループだけだ。
他のFOはこのグループを介して中心点にアクセスする。

このFOの全体図はツイストペアホイールを、FOという観点で描きなおしたものということもできる。

で、中心点は……気づきの方向、「深化」の方向を示す……、と。

とまあ、だいたいここらへんで、化けの皮が剥がれてくるのである。

解説者が解説できないレベル……とでもいおうか、
システムは解説者よりもはるかにすぐれているので、解説者、ぼくの日常意識レベルを超えて、さらにその先を指し示す。

ファーストオーダーがあるなら、セカンドオーダーだって、サードオーダーだってあるのである。

それはなんというか、目の前にまで木々の迫る深い森でも、シッカリ北を指す方位磁石のようで……
方向はわかるのだが、その先に何があるか……説明する者自身、すなわち、人一倍炭酸ガスを吐き出すこのぼくという凡夫などは当然、垣間見たことさえない領域なので、なんとも語りようがないのである。
無責任にみえるかもしれないが。

それでもなんとか、 記号的なというより符号的な説明はできるかもしれないが……

長くなりそうなのでそれはまた別の機会にゆずりたいと思う。

ご参考までに、マスターマトリクス(*2)上でのFO1~FO16のならびを示すと次のようになる。

ぼくは占い師じゃない-FOonlyonMM

--------------------

*1)ツイストペア
ある大成卦と、その大成卦の各爻を反転してできるもうひとつの大成卦とのペアのこと。
伝統的な観方では、互いに裏卦の関係にある大成卦のペアのこと。

*2) マスターマトリクス
上卦、下卦を「乾兌震巽坎艮坤」の順で配列し組み合わせた大成卦の行列。
震巽は「乾兌震巽坎艮坤」の中央になるため、震為雷・巽為風はマトリクスの中央に位置する。
一応筆者独自のテーブルだが、誰でも考えつくことだし、易卦のインデックスにはよく用いられるパターンである。

ぼくは占い師じゃない-MM


*3)OD
あなたが採用している暦、およびその暦上の座標である誕生日とツイストペアホイールの関係から導かれるある特定の大成卦。「意識的に」任意の大成卦を選んでもよい。あなたが今生で乗り回す車とドライバー。オーナードリブン。「魂のテンプレートから、ただのテンプレートへ 」参照。

*4)ファウンデーション
ファウンデーションは、純卦8つ、および先天大成卦8つ、計16の大成卦から成るグループであり、ツイストペアホイールではその中核を構成し、マスターマトリクス上ではこの16の卦は対角線上に並ぶ。

*5)ファースト(セカンド、サード)オーダー
用語は以下より拝借したが、意味するレベルは異なる。

「知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか 」
ちくま学芸文庫
ウンベルト・マトゥラーナ、
フランシスコ・バレーラ著
管 啓次郎 (翻訳)