筒井作品を読んだのは何年ぶりだろうか。
朝のラジオで中島らも氏の娘さんが紹介していて、
あらすじを聞いて
「あ、これ読んでみよう」
と思ったのがきっかけ。
どれだけ共感してくれる人がいるかわからないけれど、
視覚的にはぼくは、砂漠を旅する戦士……
メビウスの「アルザック」を連想した。
本はうすいが、中につまっている「時間」は長く、重い。
主人公「ラゴス」という男の旅の話。
ひとりの男の、おそらくは30代くらいから60代の終わりくらいまでの
「時間」がまるごとつまっている。
ジャンルとしてはSF、ファンタジーになるか。
たぶん、人類が植民した別の世界だ。
高度な技術はとうに失われ、物質文明は何百年か後退しているが、
代わりに人々はちょっとした超能力を身につけている。
といってもこの本に出てくる
そういった設定やSFガジェットに
目新しいものはなにひとつとしてない。
著者が描こうとしているものの眼目はそこにはないからだ。
旅立ち、境界を越え、なにかをつかみとり、
それを持ち帰り、コミュニティに還元する。
お話は放蕩息子の元型(関連記事「わっかの話 」)そのものだが、
著者が描こうとしているものの眼目はそこでもない。
他の方のレビューにもあるとおり、
昔のちょっと「毒のある」筒井作品からすると、異質である。
大げさかもしれないが、同じ人が書いたものとは思えない。
ぼく自身は、筒井作品……とうよりも、
小説自体ほとんど読まなくなってしまっていて、
ここでも紹介することだしと思い、
ちょこちょこ著者周辺のことを調べていたら、
たまたま、筒井康隆氏は1934年(昭和9年)生まれで、
うちの親父と同じ年だということを知った。
だからどうだというわけでなけれども、
「旅のラゴス」が書かれたのが1986年で、著者が52歳のときだ。
ぼくは現在51歳なので、まあ、ほぼ一緒だ。
ぼくの親父と同じ歳の人が今のぼく位の歳に書いたものなのである。
話も主人公が40代半ばを過ぎて、筒井氏の代名詞的一人称「おれ」から、
「わたし」変わったあたりから、ぼく的にはぐっとよくなる。
共鳴した原因はどうも「男」であるということと、「歳」にありそうだ。
じゃあ「若い」「女性」が読んじゃイケナイのかい?
というと、もちろんそんなことはないけど、
でも、もうしわけないけれど、
ほんとうには「おもしろい」とは思えないんじゃなかなあ……
と、老婆心ならぬ老爺心でおじさんは思うわけである。
なんかおんなじようなこと、
「おじさんだから 」でも書いたなあ。
ぼくらはふだん会う人々の三次元的な姿しか見ていない。
そのうすっぺらな印象でもって、
「アイツとは気が合う」
「アイツは気に食わない」
「アイツは別に関係ない」
等々、四の五のいっているワケだ。
でも、ほんとうの「その人」というのは、
その人と、その人が今もそのなかにいる
人生そのものなのではないだろうか。
時間は高次元的な感覚なので、
ぱっと見にはもちろんわからない。
ながながと書いてきたが、
易というコトバが通じる人には、
一言でこの本のことを伝えることができる。
言わずと知れた、
すなわち「旅」である。
オヤジには、是非読んでいただきたい。