うそついてるばあいじゃない | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。


長いこと易システムとたわむれていると、
目的を見失いそうになることがある。

陰爻と陽爻のつらなりは、
およそ思いつくもの、なんにでも観えてくるからだ。

いったい自分がなにをしようとしているのか、
わけがわからなくなる。

そこで夢にガイダンスを求めてみよう、
と思った。

分析……ではなく、夢を読み解くことと、
易卦を読み解くことはどこか似ている。
関連する以前の記事

夢を読み解くやり方については、
たとえば*1などにオーバービューな説明がある。

そこにも書かれているテクニックだが、
「質問と回答」という形式を利用するやり方もある。
(よりくわしくは、(*2)を参照してください)

おおはばにそのやり方を簡略化したやり方で、
ときどき見失ってしまいそうになる
易システムの方向性を確認してみた。



回答として返ってきた夢(*3)は
だいたい次のようなもの。

夢のパートは大きく4つに分かれる。
実際はもっとごちゃごちゃしているのだが、
他人の夢のハナシほどつまらんものもない。

で、ポイントだけ抜き出して並べた。

(1)自分で持ってきたDVDを再生して、皆で映画を観る。
(2)地階に激しく流れ込む大量の水。
(3)街を襲ういくつもの巨大な竜巻。
(4)高空から俯瞰する街。

これらはすべてシンボルである。

直接そのものを指していることは……
ないことはないが、まれだろう。

では実際にはなにを意味しているのか。

連想を働かせながら、
キーワードを書きだしてさぐってみる。


(1)映画 = 現実、あるいは日常世界。
合意的現実を映画が映写されるプロセスになぞらえるのは定番のメタファーだ。
意識によって選択される一連のバリアント

(2)水 = 感情、あるいは激情。
オーソドックスな解釈による。

(3)竜巻 = エネルギー流。
これはちょっと解釈に苦しむ。
竜巻は最近になってよくでてくるシンボルなのだが、
意味がよくわからない。
あれこれ思いをめぐらしていると、
以前に読んだ本を思い出した。
*4がその本なのだが、その中にこんな挿絵がある。

ぼくは占い師じゃない-creation
【図の説明は原著(*4)のまま】

最初にエネルギー(不可視の鋳型)ありき。
物質はその、絡み合いカイテンする流れに沿って創出される。
竜巻はまた、天と地をむすぶもの、にもみえる。

(4)街 = 世界(観)
年のはじめに知り合いのすすめで読んだ辻麻里子さんの著作に、
高いところから放射状に広がった街を俯瞰するイメージがある。
そのイメージにどこか似ていた。
もっともぼくの場合は、ずいぶんと雲に隠れていたが。


もちろんこれらは一般的な意味ではない。
ぼくの個人的な解釈だ。

というより、

夢のシンボルについては一般的な意味というのはない。
夢そのものがそもそも個人的なものだからである。

たとえ、人類共通の元型のようなメッセージがそこにあったとしても、
メッセージには個人的なバイアスがかかる。

これが、夢の解釈を他人まかせにできないこと、
そして、他人の夢のハナシを聞いてもおもしろくない理由である。

夢はまったくもってパーソナルなメッセージなのだ。



せっかくだから腑に落ちる答えを、
マンダラ にプロットしてみる。
中央セルにいれるコトバは、

「易システムとはなにか?」

という問いである。

(2)と(3)は意味が通底しているようにも思える。
これらは易システムそのものというより、
システムを駆動させる推進力であるような気がした。
それで、中央の左右、同レベルに配置。

(1)と(4)は、独立したイメージだろうか。
上の「世界観」から、下の「日常世界」へ……
という感じかな、と思い、それぞれ上と下のセルへ。

ぼくは占い師じゃない-manda1

こうして眺めてみると、
世界観という鋳型は、感情(心)と
エネルギー(物質=身体)という二つの流れによって、
具体的事物になる。
そんな感じ。

まあそれはいいけど、
中央セルの問いのコタエにはなっていない。

どうやら夢は、
直接の回答をあたえてくれているわけではなさそうだ。

マンダラは、空いている四隅のセルが答えだ、
といっているようにみえる。

それでさらに、上の「世界観」のセルと、
下の「日常世界」のセルから左右に連想してみる。
「易システムとはなにか?」と、問いながら。

日常世界のレベルでは、
占術という側面はまず外せないだろう。
易経はまずもって占いの書だったわけだから。

そうそう。

レガシーシステム、伝統的な易それ自体も、
ないがしろにするわけにはいかない。

そんなわけで、下のセル、地上レベルには、
伝統易と占術というキーワードをいれてみる。

ぼくは占い師じゃない-manda2

問題は上の隅、左右だ。

追いつめられて、
残ったマヨネーズをしぼるように出てきたのは、
まずは右側に、「言語」というキーワード。

「言語」の学術的専門的な定義は知らないし、
勉強もしたことはないが、おぼつかなく思うところ、

コトバには3つの機能があるのではないか……

などと思ったりしている。

・伝達
・情報の蓄積
・枠組み

この中で一番やりたいことはなんですか、
どれが一番ワクワクしますかと、
問われたとすると……

やっぱり「枠組み」=フレームなのである。

で、「フレーム」というキーワードを
スピンオフさせて左隅のセルを埋める。

と、 マンダラはめでたく完成する。

ぼくは占い師じゃない-manda3

コトバは、この世界をとらえるフレームを創るための道具だ。

易システムというコトバを使って、
そんなフレームのバリエーションをまたひとつ、
追加できたらいいなあ、と思った。

できれば、日常言語とはまたちがった景色がみえる窓になれば。

できれば、より希望の持てる眺めになれば、なおよい。

だれしも言語を獲得する以前はそうだったわけだが、
もし、コトバ……言語がなかったとしたら、
ヒトは自分も含むこの世界をどのようにとらえる……

もしくは、とらえていたのか。

今となっては、想い出すすべもない。

その感覚はまるで、

とらえそこなった春の夢のように、
いつまでも喉元にひっかかったままだ。


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(*1)
「自分でできる夢分析」
江夏亮 著
PHP研究所
2009/11/14

(*2)
「なりたい自分を探す夢の見かた入門―夢は答えを知っている」
ゲイル・ デラニー 著
勝俣 孝美 訳
PHP研究所
2004/02

(*3)
回答として返ってくる夢は、孵化夢と呼ばれる。
直接的に回答を返さないことも多い。
どう考えても質問の回答とは思えない内容のこともある。
そういうときはとりあえず、回答と「みなして」進めてみる。
易の場合、質問して得られた卦は回答であるということは前提になっているが、
この回答はスイングすることがある(関連する以前の記事 )。

(*4)
「自然は脈動する―ヴィクトル・シャウベルガーの驚くべき洞察」
アリック・バーソロミュー 著
野口 正雄 訳
日本教文社
2008/4