一応「ブログ」なので、
日常雑記も入れているというわけだが……
そろそろ本チャンの流れにもどしたい。
といわれても、
このブログもなにが「本チャン」なのか
よくわからなくなっている。
まあ、一応、最近のところから、
☆ ツイストペア=「日本酒とツイストペア 」
☆ ファーストオーダー=「同左 」
あたりが、流れといえば流れだろうか。
ツイストペアは各爻の陰陽が反対の関係にある大成卦のペアで、ファーストオーダーはそのツイストペア×2で構成される、いわば「ペアのペア」である。
ツイストペアやファーストオーダーは、大成卦ひとつを一個人と観た場合に、その「自己の境界」がだんだんに拡張されている過程をあらわしている。
「易システム」では、そういうふうに観ますよ、
と、そんな話だった(と思う)。
「自己の境界」の拡張はそこで終わりではない。
整理する意味もこめて、
もっとも基本になる大成卦からお話を始めよう。
☆
【大成卦のレベル。点線矢印は気づき(深化)の方向】
個人に対応する大成卦には、個人のボディ(スピリット)と個別化したソウルがむすびついている。
これをそれぞれ、ダイアード、トライアードと呼ぶのは、ゲリー・ボーネル氏で、易システムではそれぞれ、スピリット、ソウルと呼ぶ。
ボーネル氏のビジョンでユニークなのは、ソウル(トライアード)は、創造主の似姿として創られた最初の瞬間から完全なものであり、進化/深化する必要はないということである。
スピリット(ダイアード)は、物質の原基としての意識であり、こちらは「進化/深化」できるもので 、最終的にはソウル(トライアード)のレベルに到達する。
ソウル(トライアード)も、スピリット(ダイアード)の深化/進化を促進し、かつ自身も経験を積み、そのプロセスを創造主に還元する。
人間という単位は、このソウル(トライアード)とスピリット(ダイアード)の複合であり、大成卦においてはそれぞれ下卦、上卦でシンボライズされる。
大概の場合意識されていないが、人間にはあらかじめ完全な、創造主の一部分が組み込まれているのである……というより、ソウルという創造主の断片の乗り物が、この人間という装置なのだ。
大成卦ひとつを一個人とみるなら、魂と肉体の調和関係は、上卦と下卦のそれぞれの爻の、応/不応関係として読みとることもできるだろう……という話は、「にんげんばんざい 」(しかし、なんてタイトルだ)にも書いた。
一般に易の組織は「両儀→四象→八卦→六十四卦」で説明される。
この序列では、八卦→六十四卦の部分に飛躍がある。
爻の数でいえば両儀=1、四象=2、八卦=3で、六十四卦(大成卦)で6になる。八卦の次に「十六卦」=4、「三十二卦」=5という構造がくることはない。4つの爻、5つの爻でできたシンボルはレガシーにはないからである。
歴史的には、八卦が完成されたところでしばらくそのまま八卦だけで使用されていて、その後、八卦どうしを組み合わせて六十四卦が成立したのだろうというのが通説だが、「両儀→四象→八卦」の順で複雑化してきたスピリットに、お膳立てが整ったところで、あらかじめ完成されていた八卦として表現されるソウルが飛び込んできたようにも観え、興味深い。
またこの過程は個体発生が系統発生を踏襲するかたちで、妊娠~誕生時のプロセスでもくりかえされる。
【スピリット(ダイアード)の進化と、
複雑性を獲得したダイアードを
ソウル(トライアード)が所有する様子】
つまるところ、易システムは、スピリット(ダイアード意識)の進化/深化をひもとくための言語なのである。
くりかえしなるが原初から完成されたソウルには進化/深化の必然性はなく、易システムで表現される対象にはなりえない。
大成卦の下卦として、易システム上にあらわれるソウルは、あくまで便宜であり可視次元から眺めたそのおぼろげな姿にすぎない、ということになる。
下卦=魂/上卦=肉体と観るならば、易システムにおいては、それぞれそのカテゴリは8種類(八卦)になる。易システムは結局その8×8の組みあわせで、人間という複合体を表現する。
あまりに雑駁と観るかそうでないかは各人の感覚の問題である。
8であろうといくつであろうとその数自体におそらくたいした意味はない。
易システムというフレーム(言語)を使うかぎりにおいては8になるというだけのことなのだ。
☆
あまり長くなってウンザリされても困るので、
今回はこのへんで。
次回以降はふりかえりも兼ねて、
ツイストペアからファーストオーダー、
そう、ファーストがあるならセカンドもサードもある……
どこまでお話できるかわからないけど、
筆者の意識レベルが低いこともあり、
たぶんコトバは少なくなっていくだろう。
ご興味のある方は
よろしくおつきあいください。