ぼくは占い師じゃない -23ページ目

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

ミケ様。
お元気ですか。
にゃんこ先生です。
ちょっと「号外」が入りました。
また本チャンの説明の流れに戻ります。

   ☆

「ホロン」は「holon」とつづります。造語です。
単語の前半部分はギリシャ語のHolosから来ていて「全体」の意味です。後半部分の「on(*1)」は「部分」の意味です。日本語では「全体子」と訳されます。「子」は「部分」の意味ですがなんだかヘンな語感ですね。

ホロンは「全体」と「部分」あわせもつヤヌス(ローマ神話の神)のような単位です。ヤヌスには顔がふたつあって出入口(ゲート)にいて内と外をみはるそうです。

モジュール型の階層ではモジュールそのものが「レベル」ということになりますが、ホロンという単位で観たときのレベルは、おそらくそれとはちょっとズレていて、モジュールとモジュールの境界をあたりになると思います。境界。ゲートですね。


【fig070 「全体子」】

ホロンはレベルの「上」に対しては構成「部分(要素)」という顔を持っていて、レベルの「下」に対しては、自身を構成する要素の「全体」という顔を持っています。

階層をホロンとしてとらえるとモジュールのように「上下にある別々のもの」ではなくて、縦の連鎖、横の関連という関係性でとらえることができるようになります。その関係性の中でホロンは動的にあらわれたり消えたりします。

   ☆

たとえば水分子。

水分子は水素と酸素の原子からできていますから、水素と酸素の原子側からすると、ひとつの水分子は「全体」として観えます。これが水分子ホロンの「下」の顔です。上の絵でハッチングした部分ですね。

水分子は単体でなければ何かの部分になっています。たとえばその水分子がある氷の結晶になっていたとすると、その水分子はその氷の結晶の「部分」です。これがこの水分子ホロンの「上」の顔です。

水分子ホロンといってますが例のホロンの概念としては、物理的な水分子と、氷の結晶、双方の橋渡しになっています。物理構造とは一対一にリンクしていません。概念単位です。

以下いちいちことわらないけど、そういうもんだと思ってください。そして従来のモジュール構造は、いったん忘れてください(*2)。

  ☆

氷の結晶=雪は固められて雪のブロックをつくっていたとしましょう。

この場合、氷の結晶ホロンは「上」に対しては、雪のブロックの部分という顔があることになります。「下」は水分子側からみたと全体という顔をしています。

雪のブロックは積み上げられてかまくらをつくっていたとしましょう。

雪ブロック・ホロンは、「上」に対してかまくらの部分という顔があり、「下」には氷の結晶からみた全体という顔をしています。

便宜的に「上」「下」、「上位ホロン」「下位ホロン」という言葉も使いますが序列ではありません。
包含関係になると思います。

この包含関係は重なり連なり、ホロンの連鎖は「上」にも「下」にも無限に開かれている……
含み、含まれ、無限に連なる……

とまあそんなふうにこの宇宙をとらえたらどうかという話です。

   ☆

ところで、かまくらの「上」のホロンはなんでしょうか。かんたんに言えば、かまくらが集まってできるもの、ということです。

たとえば、かまくらを前提とした「かまくら祭り」のようなイベントを上位ホロンとして、かまくらをその「下」の顔としてもいいかもしれません(*2)。

水分子からはじまったたとえは、わかりやすいように物理的な側面にしぼった説明でしたが、祭りとか、楽しむことといったカタチのない側面もホロンとしてとらえることができます。


【fig075 ホロン階層】

有形無形を問わず、この宇宙に在るありとあらゆるものは、ホロンとしてとらえることができます。
もちろん人間も例外ではありません。

すべてがホロンであるなら、宇宙というホロンを持続させたければ、宇宙を構成する下位ホロンを維持する必要があります。

ホロンの維持にはなにが必要かというと、やっぱり、つりあいが大事なんですね。
その話はまた次回に。

じゃ、また。


★コトバ
ホロン、holon

(*1)「-on」
エレクトロン、プロトン、キセノン……原子や素粒子はモノの「部分」を構成するから、オシリが「-on」になることが多いです。

(*2)「従来のモジュール構造はいったん忘れて」
易の会でホロンの話が伝わりにくかったのは、そもそもにゃんこ先生の説明が悪いこともありますが、序列型の階層は物理構造と対応がとりやすいことや(なにせ私たちはモノこそすべてと思っていますので)、序列型の階層をあらゆるものにあてはめるというものの観方が、想像以上に強く私たちの中に刻み込まれていることもその理由だと思います。言い換えれば支配され慣れているわけです(序列だから仕方ない、そういうふうにできている、等々)。もっと言えば隷属しやすい性分ということですが……ここまでいうと極論、民族性、国民性、歴史的背景も考慮しなければならないでしょう。

(*3)「『かまくら祭り』ホロン」
もちろんかまくら祭りは物理的なかまくらだけでできているわけではありません。
参加する人たちだって、屋台の焼きそば屋だって、その下位ホロンを形成します。
例では説明をすっきりさせるために、かまくら祭りホロンを構成するかまくらホロン以外のホロンは省略しています。


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ミケ様

またちょっとコマーシャルです。

「大きな樫の樹の下に」の続編を書きました。
 

「ミネリの銘板」というタイトルです。

ほんとうは続きを書く予定はなかったのですが、1年くらい前からちょこちょこ書いていたら、お話にまとまりました。

よろしければご笑覧いただければと思います。

以下、遊星出版からのリンクページに載せた紹介文です。

   ☆
 

本作「ミネリの銘板」は、「大きな樫の樹の下に(旧題「ホノワール・オモタ氏のほんとうのこと、または、でたらめのお話」)」の続編です。

この二冊の間には「ほんとうのこと、または、でたらめの書」という本があります。この本は、お話ではなく「大きな樫の樹の下に」に登場する占いの本を再現したものです。これは実は易の本で、実際に使っていただけるように書かせていただきました。

「大きな樫の樹の下に」を書いたときには、続編など書くつもりはまったくありませんでした。この作品ははそれだけで完結した大人の童話のつもりだったのです。読んでいただいた数少ない読者の方のひとりに「で、続きは?」と言われたことがありました。

もうずいぶん昔のことです。

ずっとその言葉がひっかかっていました。
コロナ禍で時間ができたこともあり、ひっかかっていた言葉がだんだんカタチになって、できあがったのがこのお話です。

「大きな樫の樹の下に」の世界では「カタドウリ」と「カタ」という二つの国がお互い不可視の関係で対になって存在しています。このふたつの国をむすぶのは「エーテル」の流れで、「エーテル」が滞りなく循環することで、このふたつの国は存在しています。主人公は「カタドウリ」に住む技術者で、彼がある日偶然に、彼にとっての異界である「カタ」にいってしまい、そしてこれも偶然に、ふたたび「カタドウリ」に帰ってくるお話でした。

今作、「ミネリの銘板」では主人公は「カタ」の若者(といってももう三〇歳)で、舞台も「カタ」を出ることはありません。ほぼ彼自身のお話といってもいいと思いますが、この彼……ミオ君はフリーターみたいな感じで、自分の天職は占い師だと信じてはいるのですが、それ以外はカラッポという、まあ……変わり者ですね。

ミオがトラブルに合いそうになり、そこを自分の叔母ほどの年上の女性に助けられ、この女性と知り合ったあたりから、話はちょっと奇妙な方向に流れていきます。
この女性は自分は魔女で、ミオに自分の弟子にならないかと誘うのです。彼女が「ミネリ」というわけですが、ミオはどうなるのか、ミネリの正体や如何に……?
といったところは……お読みになってみてください、ということで。

この続編でも「カタドウリ」と「カタ」のバランス、そして「ほんとうのこと、または、でたらめの書」という本そのものが、カギになっています。
世界や自分というものがいったいなんなのか、といったことも重要なテーマです。
もちろんこの小著で、そのような遠大な問いに答えることなど到底できませんが、そういったことに思いをはせるよすがくらいにはなるかもしれません。

本作「ミネリの銘板」は「大きな樫の樹の下に」の続編ですが、いちおう本作単独でもお読みいただけるよう配慮はしたつもりです。

もしご興味とお時間があれば、よろしくお願いいたします。
 

ミケ様

にゃんこ先生です。

長いこと続けてまいりました「ミケさんへのメール」のテーマですが、終盤を迎えつつあります(まだ終わりじゃないですよ(笑))。

最後に「ホロン」と「自分の境界」のお話をさせていただいて終わろうかと思っております。

まあでも、1回じゃとても終わりませんが。

   ☆

ホロンの話をします。

駒込の(学芸大学だったかな)易の会でも、大昔にホロンの話をして「風と羅針盤」の中でも説明してはいるんですが……

イマイチ伝わった感がなかったこの話。

にゃんこ先生の理解が足りないことと説明が悪い(ヘタ)ことが原因です。

そのようなわけですので、今回もウマく説明できるかどうかわかりません。

しかしながら易システムにとっては重要な概念なので、ポイントだけ説明します。

   ☆

ホロンはアーサー・ケストラーが「機械の中の幽霊」で提唱した「単位」です。

じつはにゃんこ先生はこの本は読んでいなくて、ケン・ウイルバーの著書で知りました。

ウイルバーはケストラーのホロンの考え方を掘り下げて、さらにそれを拡張しています。

ケストラーでもウイルバーでも基本はおなじことで「階層」を成り立たせている「単位」をどのようにとらえるか、というお話になります。

「階層」。

にゃんこ先生は大大昔、コンピューター屋だったから昔のプログラムのたとえになりますが「階層」といえば、下のような感じになります。


【fig069 一般的な階層概念(古い概念)】

ABCはソフトウエアのモジュールです。

Aの中でBとCの機能を呼び出して、Aは自分のやりたいことを実現している、そんな図です。

「使う」方が「使われる」方より、レベル(階層)が高いとみなされます。

「ああベンスン。お客様にお茶を」
「かしこまりました旦那様」

召使いより主人の方がエライ。
主人は召使いを使役するからです。

絵でいえば「レベル2」(呼び出す方)の方が「レベル1」(呼び出される方)方より「上」なわけです。

これはこれで上とか下とかがすぐにわかるという点では都合がいい。

自分がどのレベルにいるか(どのモジュールなのか)それさえはっきりしていれば、ヤツがオレより上か下か、もっと簡単にいえばエライかそうでないかがすぐにわかります。

古い会社とか軍隊とか警察とか身分とか封建制度とか教会支配型の家父長制度とかそういった組織の構造ですね。

序列といってもいいかもしれません。
とくにオトコはすぐにそういう序列の中でものをとらえがちです。だからすぐケンカします。

少しでも上にいくことが正しい(有利)と思ってるからです。性分ですね。

   ☆

そのような階層のとらえかたは階層そのものに動きがありません。構成員が上にいったり下にいったりはありますが。

静的(スタティック)っていうか、ものの観方としてちょっと硬直的です。

「支配」したい人たちにとっては都合がいいと思います。支配する側としては枠組みが柔軟(フレキシブル)ではやりづらいでしょう。

でも、自然の階層はフレキシブルです(*)。
人為的なコントロールとは対極にあります。

生命の階層とか、進化とか、内的成長とか、あるいはそれらが一見、退化、後退、瓦解するように観える動きとか、単位間コミュニケーションとか(そしておそらく時間もこの中で発生する)。

そういったもろもろの、動きのある実際の宇宙の「階層」。これを「階層」といっていいのかわかりませんが、これらの様子をとらえるやり方としては序列モジュールは、あんまり適当とはいえなさそうです。

実態としては、序列モジュールではとらえられない、もっとフレキシブルで、もっと変化に富んだ動きもそこにはあるはずです。

それをとらえるやり方として、どうして従来のモジュール形式の階層のとらえ方が適さないのかというと……

それはつまり「階層」をとらえる基本になる「単位」のとらえ方が適切じゃなかったからかもしれない……
そこのところが、ホロンというものが登場する背景だったんじゃないでしょうか。

じゃ、より「自然(実態)に即した」構成単位のとらえ方とは、いかなるものか?

それはまた次回から。

ではまた。


★注釈

*
じゃあ「食物連鎖」は自然の「序列」ではないのか?
あのたぐいはどちらかというと、旧式の階層の概念を自然のごく一部の側面に無理に当てはめたものの観方のような気がします。


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ミケ様

花粉が飛び始めました。

お元気ですか。
にゃんこ先生です。

   ☆

さて、前回の絵です。

【fig068 ベゼルとしての13月の暦(再掲)】

上の絵は銀河ツールのウエイブスペルのデザインになぞらえて描いたものです。

一方、ハンドブックに載せてあるのはオリジナルのデザインです。

【fig067 「13月の暦」というベゼル 易システムハンドブック P400 図11.11より】

見かけがちがうだけで同じものです。

オリジナルデザインの方は、四季(最近あやしいけど)が追加されて、それぞれの四季の間をつなぐ「土用」ライクな期間が、設定されております。

これら季節をつなぐグルー(糊)としての期間には銀河ツールで言うところの「根源的な4つの力」である、乾、坤、既済、未済を割り当てました。

乾、坤、既済、未済は、それ以上、互卦(互体・約象)をとれない卦です。

互卦のくわしい説明ははぶきますが、簡単にいえば、もとになる大成卦の中核部分を取り出して新しい大成卦をつくることを「互卦をとる」といいます。

銀河ツールでは「エッセンス(本質)を取り出す」という意味にとらえられているのでしょう、「還元(もとにもどす)コドン」と呼ばれます。
「コドン」は銀河ツールの文脈では大成卦のことです。

乾、坤、既済、未済は、それ以上「還元」できなくなった(おおもとにもどせなくなった)大成卦です。

これらの卦の互卦をとると、その結果は、自分自身もどるか(乾、坤)、既済、未済の場合は、互いが相手を還元した結果になります。

この4つの大成卦の互卦をとっても、この4つの大成卦以外の他の大成卦に遷移することはありません。
それ以上変わりようがないということで、「根源的」と呼ばれたのでしょう。

このあたりのくわしい説明は「風と羅針盤」の「結合力のマトリクス」の章を参照してください。

   ☆

月の名前には、「地の月」「創始の月」「上昇の月」……と、オリジナルな名称をつけています。

これは十二消長卦の各大成卦それぞれの意味を独自に拡張した名称です。銀河ツールとは直接関係ありません。

レイアウトは、銀河っぽく渦を巻いているけど、基本的には、渦の外周を左回りに追っていきます。

「地の月」はG暦7/26から始まって、左回りにぐるっと回り、「変容の月」がG暦翌年の6/26で終わったところで、「見わたす月」は中心のオレンジの玉になります。

「見わたす月」の大成卦の割り当ては起点の「地の月」と同じだから省略しています(前回記事参照)。

いったん真ん中に落ち込んだ時間の流れはそこから周囲をぐるっと「見渡して」、時間をはずした日を経て、再び「翌年の」「地の月」へ浮上していきます……

日常時間の流れということではそういうストーリーなんだけど、もとはTPW(ツイストペア・ホイール)だということを思い出してください。

ツイストペアどうしがかならず向かい合っている。

年の前半にまいた種を年の後半に刈り取る構造になっていて、それが、暦の左右に「入力」→「出力」と描いた意味です。

一年を通じた日記をつけて、自分の生活をもってして、その構造を「検証」してみようとしたこともあるけど、早々に挫折しました。

根気がないということもあるけど、なんだかあんまり意味がないうような気がしてやめてしまいました。

「検証」とか「証明」は、原則、物理次元ですべてを説明する、という暗黙のスタンスがあるわけで……

そういうこっちゃ、ないんじゃないか。

まいた種を刈り取るってのは、目に見える現象よりも精妙なレベルの動作原理の話であって、それを、卑近な日常生活の細々とした出来事に照らし合わせることが、ナンセンスに思えてきまして。

で、やめちったのね。

左下隅の大成卦の絵はその「入力」→「出力」の関係を、大成卦になぞらえて、週の前半・後半に持ち込んだものものです。

あきらかにこれはやりすぎ。

もし、なんかのマチガイでこの暦が日の目を見ることになったとしたら……ま、カットですね。

反省をこめまして……

今回はこんなところで。

ではまた。


★コトバ
互卦、約象、互体


★LINKS

→ツイストペア・ホイールについては「ans005_027 TPW、創造の方向」あたりを参照してください。

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ミケ様

お元気ですか。
にゃんこ先生です。

13月の暦は銀河ツールの一部です。

銀河ツールは日常的に感じる時間よりも、より深い時間を啓発・啓蒙することを目的とした教育ツールで、複数システムの複合です。

13月の暦はその中でもわかりやすい万年暦の部分で、どうしてわかりやすいかというと、ぼくらが普段使っているグレゴリオ暦との対応が明確で構造がシンプルだからだと思います。

とまあ、ミケ様に説明するのは釈迦に説法だということは、重々承知しております。

なんといってもテレクトノンもドリームスペルも、ミケ様から譲ってもらったのみならず、レクチャーまでしていただきました。

むかしむかしの話ですがありがとうございました。

   ☆

13月の暦は1年を13ヶ月で構成した万年暦です。

ひと月は7×4=28日で、どの月も一定です。

28日×13ヶ月だと、364日になって、365日に1日足りません。

そこで、その1日を「時間をはずした日」という記念日にして、暦から除外しました。
13月の暦でいう、その「前の年」の最後の日、グレゴリオ暦の7月25日が、「時間をはずした日」です。

起点はグレゴリオ暦の7月26日です。

   ☆

前回お話したとおり、TPW(ツイストペア・ホイール)にベゼルをはめ込むルールは至って単純です。


【fig059 ツイストペア・ホイール(再掲)】

起点をTPW上7時頃に位置する「地雷復」に定め、そこから始めて右回りに、48のリム卦(ツイストペア・ホイール円周上に配置された大成卦)を均等割りで「任意の1周期」に当てはめればいいだけです。

暦であれば通常、1周期=1年となるでしょう。
つまり1年を48のセグメントに分けることになります。

13月暦の場合、起点はグレゴリオ暦の7月26日に明確に定められています(*)。

たとえば、1週間にひとつのリム卦をあてはめるとすると、4×12で48、12ヶ月ですべてのリム卦があてはまります。

帳尻合わせにはなりますが、最後の13月のリム卦の割り当ては、1月の割り当てと同じ、とします。

言い換えれば、13月の暦上では1月と13月のリム卦の割り当てをだぶらせるわけです。

このお話をウエイブスペルになぞらえて描いてみました。


【fig068 ベゼルとしての13月の暦】

13月の暦は13ヶ月あるわけですから、12消長卦であらわそうとすると1月足りない……とするのではなくて、坤から始まって、坤にもどるというプロセスだと観ます。

坤をだぶらせます。

そうして12を13にするわけです。
このやり方は、銀河ツールのひとつ、「20の銘板」のやり方を踏襲したつもりです。

1月の坤と13月の坤は、リム卦の配当は同じだけれど、月の名称は変えてあります。

1月は「地の月」で、大地、土台、基盤ということで、なにもかもが始まる月だけど、13月は「見わたす月」としました。
周期の最後であり、その年一年をふりかえるという意味合いです。

坤は坤で同じだけど、1月より13月の方がより深みを増したスパイラルになっているということを表現したつもりです。

   ☆

今回は13月の暦をベゼルとしてあてはめた例の構造的なお話がメインでした。

次回は同じベゼルでもうちょっと、意味的なお話をする予定です。

ではまた。


★注釈

(*)なぜ13月の暦の起点がグレゴリオ暦の7月26日なのか?
これについては、諸説ありってとこでしょうか。
一番まちがいない説明は「ホゼ氏がそう決めたから」でしょう。


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ミケ様

立春すぎても寒いです。
寒くても「ベゼル」の話をします。

お元気ですか。
にゃんこ先生です。

   ☆

最近は「ベゼル」というと、スマホやパソコンのディスプレイのフチのことだったりします。
もともとは時計の文字盤のガラスをはめ込む「枠」のことです。

易システムでは、TPW(ツイストペア・ホイール)の外側にはめ込まれるオプション的なリングのことを「ベゼル」と呼んでいます。

TPWの説明のところでTPWの最外縁はリムといって日常時間はリムを右回りに流れると想定してます、ってな話をしました。

【fig058 TPW総論(再掲)】


【fig059 ツイストペア・ホイール(再掲)】

リム卦の並びというのは「日常時間の鋳型」です。

日常時間というのは各個人によって異なります。
時間という「ものの観方」を創出するのは、各人の、個人的意識だからです。

したがって人によって「時間のカタチ」は異なる。

「時間のカタチ」というのは……まあ、「暦」のことになろうかと思います。雑駁な引き合わせに思えるかもしれませんが、まあ、そういうことにしましょう、ここでは。

   ☆

世界共通の暦は、一応、グレゴリオ暦。
とはいえ、自分の好きな暦をつかっても処罰されることはありません。
そこでベゼルという概念がでてきました。

各人固有の「時間のカタチ」はベゼルというオーダーメイドにして、リムの外側にはめ込むことでTPWと対応をとってはどうか、という提案です。

リム卦は各人固有の「時間のカタチ」を規定するものではありません。

そこにあるのは「起点」と、48等分に分節されて右回りに流れる任意の1周期です。


【fig066 ベゼル】

TPWが規定するのは起点とそれから任意の1周期だけ。

「任意の」1周期です。

一日でも半日でも一時間でも、それこそ一瞬でもいい。

起点はTPWの7時頃の位置にある「地雷復」という大成卦で、十二消長卦のひとつです。

「地雷復」は十二消長卦(つまりは一年カレンダー)として観た場合冬至にあたりますが、だからといって、必ず冬至にしなければならないということはないでしょう……と、易システムでは考えます。

要はそこが起点でありさえすればいい。

あとは自由にベゼルを考えてください!

そんなやり方で「ハンドブック」には「ベゼル」の設定例をいくつか載せています。

   ☆

易システムはなんでもござれっていうか、全体としてそんなふうにけっこうユルいです。
すくなくとも易システムの方から「こうあらねばならない」と規定するようなことはできるだけ避けたいなあ……とは思っています。

さて次回は、上記のユルいルールで13月の暦をベゼルとしてあてはめた例のお話をいたします。

それではまた。


★コトバ
ベゼル


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ミケ様

お元気でお過ごしのことと思います。
にゃんこ先生です。

「号外」の回は、いつもの、ご質問にお答えする易がらみの本筋の流れとは、ちょっとだけ外れてる、でもまあ、そのタイミングでお話してもいいかな、という雑談をします。

前にも一回ありましたな。

   ☆

凍てつく夜に救急車が走っていきます。

心配なことはいろいろあります。
仕事のことや将来のことです。

気に病むこともいろいろあります。
生きている限り、不安や心配が消えてなくなることはありません。

カギは「自分の境界」にあります。

すべてのカギは自分というものがどこからどこまでなのか、その範囲を常に感じていることにあるのではないでしょうか。

すべてはそこから立ち現れます。

「境界」を拡張をするということは「ハートを開く」といわれていることと、おそらく同じことか、あるいは通底するものがあると思います。

「境界」は狭くなると、マインドとかエゴとか呼ばれるのでしょう。

こう呼ばれるときの「境界」は、肉体をおおう皮膚で区切られた内側と外側の間……皮膚の前後あたりにあります。自分=肉体という状態です。

「境界」は一定しません。

振動しているといってもいいかもしれません。常にゆらいでいます。

ですから、今まで自分とされていた範囲より小さくなることもありえます。

そんなときたとえば人はこう思います。
『なんでこんな時に腹が痛くなるんだ!いったい何やってるんだこの腸は!』
このとき、あなたの下腹部は「境界」の外にあります。「腸」はもうすでに自分ではなく、切り捨てたいくらいの厄介者なのです。

「腸」にとってはこんなに理不尽な話はありません。今まで肉体に取り込まれたものを忠実に分解・吸収してきました。それなのにちょっとした異常を知らせるためにご主人様にワーニングをあげただけで敵対者扱いです。

   ☆

逆の方向へ、皮膚から外へ「境界」が拡張されると「境界」はマインドでなくハートと呼ばれるようになります。

「境界」は拡張して、となりに座っている人を包み込みます。
こうして、たとえば恋人の痛みはもはや他人のそれではなく、あなたの痛みになります。
もし恋人が腹痛で倒れたとしたらあなたはそれこそ必死であらゆる手を打とうとすることでしょう。

家族、チーム、職場、村、町、市、県、国家……物理的にそれと判るものも、そうでないものも含めて「境界」はあらゆる所へと広がっていく可能性を持っています。

「境界の拡張」とはすなわち「ハートを開くこと」といわれていることにあたるのではないでしょうか。

「境界」が無限に拡張してこの宇宙と等しくなると、そこにはもはや「境界」はないことになります――「自己」の出現です。

「境界」がないため、そこにあるのは中心=純粋な自覚とその周囲の出来事のみです。

中心は不動であり、ですので「玉座」とも呼ばれます。常にただそこにあり、周囲を観察しています。

自分の「境界」を意識するということは、すなわち自分のハートを意識するということに他ならなのではないかと思います。

すべてのカギは自分というものがどこからどこまでなのか、その範囲を常に実感していることにあるのです。

すべてはそこから立ち現れます。

どこまで[共時性|シンクロニシティ]を認識できるか?は自分の「境界」のその大きさによります。

自分の「境界」が拡張すれば、惑星も、ころがして出たサイコロの目も、自分の「外」にあるものでないことがわかります。

偶然出たサイコロの目や、使い慣れたデッキからひかれたカードの絵柄がなぜ自分に関係するのか?

何億キロもの彼方にある惑星の動きがなぜ自分に関係するのか?

広大な三次元時空と、その中にぽつねんと存在する自分というモデルでは、決して理解することはできません。

なぜならそのモデルを利用するとき、星もサイコロの目も自分の「外」にあるからです。

自分の「外」にあるものとは、すなわち「敵」か、または、せいぜい「無関係」なものということになりましょう。

自分というものの「境界」が拡張されたとき、それらが自分の一部になるという理屈自体は、それほど想像するに難くないと思います。

「境界」が拡張しているとき、サイコロの目や惑星は、自分とは関係のない偶然性の産物でもなければ、はるか彼方にある岩石やガスの塊でもありません。

それらはシンボルであり、あなたという自分の界面を構成する意識を参照するための、ディレクトリであり、構造であり、足がかりなのです。いってみれば意識の地図なのです。

凍てつく夜に救急車が走っていきます。

心配なことはいろいろあります。
気に病むこともいろいろあります。

生きている限り不安や心配が消えてなくなることはありません。

しかしその度合いは「境界」の大きさと連動しています。


【太陽系のそと】
リビングワルード

ミケ様

お元気ですか。
にゃんこ先生です。

   ☆

物語は記憶の鋳型です。

伝統的な易には64の大成卦に1番から64番までの順番があります。

これもひとつの物語だと思います。

十翼には序卦伝という文書がありますが、これは後世に付加された、大成卦の順に関する(ぼくのみるところ)やや牽強付会的な説明です。

とはいえ序卦伝そのものもひとつの「物語」だと思います。
ところで大成卦の並び順は序卦伝を根拠にして決まったわけではありません。

大成卦の順は、古来からあのようにしてあったのだと思います。
エラーも混じっているとは思いますが、順番の根拠は定かではありません。

序卦伝はもともとあった順番をトレースし、後付けで意味を付けたものでしょう。
序卦伝は従来の大成卦の並びという物語を基にした「物語」というわけです。

この大成卦の並び順に「異界への往還」という鋳型があるのかどうかは判りませんが(易システム的にはあることになっているのですが)、そもそもの大成卦の並び順は、分析したり、解析したり、判断したり、理解したりするものでもないような気もします。

それはそのままそのように「在る」わけで、こういうのを「神聖」というのかなあ、と今では、ぼんやりそんなふうに思っています。

以下は遊星出版という架空の版元から出しております拙作「ほんとうのこと、または、でたらめの書」からの図です。


【fig065_3 「大時間」。「ほんとうのこと、または、でたらめの書(遊星出版)」より】

この絵で(1)〜(64)とあるのがもともとの大成卦の並びです。

(1)(2)は乾坤、(63)(64)は既済と未済です。

(1)(2)は父母という創造原理、(63)(64)は秩序と混沌であり、この、先頭と末尾は、ウロボロスの頭と尻尾のようでもあり、他の大成卦の並びと比較して、その意味合いがきわだって特殊に見えます。

そこでこの4つの大成卦を周期から除外し、他の60卦を円形に並べました。

このようにすると爻の数は全部で60×6=360となり、ひとつの爻が円周上の1度に対応することになり、この図自体はそれ以上の意味を持ちませんが、たとえば「地球暦」などと対応をとることができます。

「ほんとうのこと、または、でたらめの書」は、物語の中に出てくる本を再現したものですが、実は易の本そのものです。実際に使っていただくこともできると思います。

よろしければ、立ち読み版だけでも「遊星出版」よりご笑覧ください。

   ☆

コマーシャルはさておき、前回はすべての物語に「異界への往還」というそもそもの鋳型があるんじゃないの?という話でした。

「異界への往還」自体ひとつの物語ですが、その他多くの物語すべての母体でもある。

「異界への往還」は易システムでは、「旅の先天図」であらわされます。「旅の先天図」はトロイド循環を基盤にしています。

さて一方、易システムにはリング循環を基盤にした絵もあります。

「聖婚のダイヤグラム」です。


【fig065_2 聖婚のダイヤグラム (「MAP13」 P42より)】

物語が紡がれるのはおもに日常世界です。

日常世界ですから、そこには日常的な時間が流れています。

昨日、今日、明日。
先月、今月、来月。
春、夏、秋。

十二消長卦のルールで先天図上の八卦をたどっていくと、右回りの流れがあらわれます。
9時と3時の位置にある離と坎はこの流れには含まれません。

流れから外れている離と坎を、中心に落とし込んでできた図が「聖婚のダイヤグラム」です。


【fig065 聖婚のダイヤグラムの成り立ち】

   ☆

聖婚のダイヤグラムは錬金術的な観方からきています。

時間の流れに加わらない離と坎をそれぞれ、男性原理(火、硫黄)、女性原理(水、水銀)として物語が醸成されるエッセンスと観立てています。

周囲をめぐる日常的時間、つまりは「物語」=「記憶の鋳型」は硫黄と水銀を入れた器であり、季節の移り変わり(=「物語」の進行)が、器に施される火加減をはじめとした操作ということになりましょう。

目標はもちろん適切な操作(大いなる作業)により、エッセンスの変容を促して「賢者の石」を得ることです。

「賢者の石」はあらゆる卑金属を黄金にかえる力をもつ「ナニカ」です。

   ☆

実際の物質を使って本気で取り組んでいる方々もいるとは聞きますが、易システム的にはこういったことはすべてメタファーです。

「物語」は私たちひとりひとりの内奥にあるエッセンスを醸成するメソッドです。言い換えれば「ひとつのもの」が最も欲している、個々の存在のレーゾンデートルである「『個別の』経験」という「データ」のデータ・フォームなのです。

「変容」するのは、結果的には個々の存在ではなく、「物語」を取り込み、その無数の「物語」を全体にチャージし続ける「ひとつのもの」そのものです。

あたかも個々の存在がそれぞれ「変容」していくように見えるのは「変容」の初期段階でしょう。

くりかえしますが、変容するのは「ひとつのもの」です。「あなた」「ぼく」という個ではありません。
個のレベルでは「比べること」が生じます。
あいつよりオレの方が「変容して(悟って)」いる・いない、といった、ものの観方が生まれます。

段階が進めば、個々を分けていた(そして成り立たせていた)「境界」も変化を余儀なくされます。

「境界」が変化するということは、「個」の定義・意味もその変化につれて見直さざるをえなくなるということです。

   ☆

リング循環とトロイド循環。

いずれも易システム独自の先天図の観方です。

この影響はTPW最外縁の「リム」にまで及びます。
先天図はTPWの駆動軸だからです。

では、TPWはリムで終わりなのでしょうか。

いいえ。

リムのさらに外に、付け替え可能な見えないリングがあります。

これを「ベゼル(Bezel)」といいます。

つづく。


★コトバ

<伝統>
序卦伝
<易システム>
聖婚のダイヤグラム、ベゼル(次回)

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ミケ様

お元気ですか。
にゃんこ先生です。

   ☆

「家」というのは平衡状態です。
そこにいる限りは平和と安定が約束されています。

ですが。

いつまでもじっとしてることなどできません。
娘(または息子)たちが、旅に出る理由はそこにあります。

「かわいい子には旅をさせよ」などと誰かに言われるまでもなく、娘・息子たちは動き出します。

これはもちろんたとえ話で、「ひとつのもの」に生じた「原初の衝動」・「初期微動」のことをいっているわけです。

「原初の衝動」・「初期微動」という娘・息子たちは、「ひとつのもの」という「家」を出て、やがてそれぞれに差異という、旅、物語を紡ぎ始めます。

その様子を描いたのが「旅の先天図」です。


【fig064_3 旅の先天図と「異界」(MAP13 P40より)】

娘・息子たちの旅というのは、「異界への往還(いってかえること)」です。

もう少し詳しくお話しすると「原初の衝動」・「初期微動」とは、のべたんの「ひとつのもの」という海に生じた、「ひとつのもの」が「ひとつのもの」自体を認識しようとする最初の「差」です。

そこから始まるところの、「差」どうしが互いの「差異」を認識するプロセスが「旅」です。

「ひとつのもの」はどう転んでも、どう逆立ちしても「ひとつのもの」しかないので、何かして遊ぼうとすれば、自分で自分の中に差を創りだして楽しむ・遊ぶほかありません。

ある「差」から別の「差」を眺めた場合の「差異」はもとの「差」から観れば異界以外のなにものでもありません。

易ではこれを陰陽、または「両儀」とよびます。
それは根源的な陰陽、すなわち「天地」のことです。

神話的には「異界への往還」は娘・息子という英雄の旅ということになります。

易システムは「異界への往還」はすべて物語の元型・ベースととらえています。

すべての物語は「異界への往還」そのものであるか、あるいはその一部であると観ているわけです。

もちろん物語にはそれこそ無限といっていいほどのパターンがあります。

たとえば。

そもそも最初から出立<しゅったつ>などしない英雄もいるでしょう。

「よろこび、はなれて、ふるいたち(前回記事参照)……すべって、ころんで、ハイおわり」ってな物語もあるでしょう。

異界へいったまま帰ってこない英雄もいるでしょう。

いかなる物語であれ「異界への往還」という大きな輪の一部に乗っている……と、そのように観るわけです。

「異界への往還」のプロセスをすべて踏襲する物語もあります。元型的な神話やそれを模倣したファンタジーなどですね。

こういうのは黙っていてもオモシロイ(*1)。
パターン(*2)が意識の奥底にふれるからです。

   ☆

パターンが意識の底にふれて快く感じるのは、パターンが「記憶の鋳型」だからです。

あらゆる事象は「物語」すなわち「異界への往還」なのです。

昼と夜で一日が成り立っていることも。

毎日床について夢を見ることも。

今ここで今生を生きていることも。

さて次回は……もうちょっと「物語」の話を。

ではまた。


★コトバ

異界への往還、鋳型、記憶の鋳型(「物語」)


★注釈

(*1)
「異界への往還」というパターンを意図的に踏襲して大ヒットした物語で有名なのは「スターウォーズ」のエピソード4でしょう。ルークは家を焼かれて、異界に行きっぱなしですが。
ほかにも「指輪物語」、日本のアニメでは「バケモノの子」などがあります。
たぶんこれからもたくさん作られ続けるでしょう。
パターンは不滅です。

(*2)
パターンといえば水戸黄門。
ところで黄門様は、諸国漫遊という異界への往還に
出たんじゃなかったっけ?
黄門様からみれば、下々の暮らすところはまさに異界。
でも毎回、印籠をさらして、黄門様は旅の空にいながらにして「家」にもどる。
各回ごとにも「往還」が成立しているわけです。


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ミケ様
にゃんこ先生です。

寒くなっていやだにゃ。
ご自愛ください。

   ☆

さて、前回のお話の続きです。

間に「号外」がありましたので、「号外」をカウントするなら前々回になりますが。

またこの絵からいきましょう。


【fig062 駆動軸(再掲)】

先天図上の「リング循環」が「易システム」でいう時間の元型です、というのが前回のお話でした。

今回は真ん中のトロイド循環のお話をします。

トロイドとは環状体のことです。

環状体は平面図形をある軸を中心に回転させるとできる立体です。
たとえば円をこの方法で回転させると、トーラスになります。

先天図上の八卦を先天数の順番にたどっていく道筋は、トロイドの表面を、回転させる中心点を経由してたどる経路に似ています。

そんなところから先天数順の流れを「トロイド循環」と呼ぶことにしたんだと思います。

「と思います」っていうのは、今となっては命名の根拠の記憶が定かでなく……

歳ですね。
ヤキがまわってます。

【fig063 トロイド】

   ☆

と、とにかく「易システム」でトロイド循環と言えば先天図上で、先天数順に八卦をたどっていくとできる流れのことです。

流れとしては、最初に左回りに行きかけて、中心点であるvoid(無;万有の無)を経て、その流れの向きを右回りに反転させるところがミソ。

なんとなくイザナギ、イザナミのクニづくりの冒頭を彷彿とさせます。

この反転により向かい合った八卦どうしは八卦版のツイストペアの関係になります。

さてこの流れ……

乾から始まって坤に終わるように見えます。

乾は父で、坤は母ですから、これはつまり、家から出て、また家に帰るという、あらゆる物語の元型なんではないか、と「易システム」ではそういう観方をします。


【fig064 Away from home(MAP13 P38より)】

上の絵はそういう意味合いでトロイド循環をとらえたものです。

よろこび、はなれて、ふるいたち……

どどいつ風になってますが、これすべて、伝統的な八卦の象意そのままです。

昨今はそうじゃない場合も多いと思いますが、一応、父も母も一つ屋根の下にいるということにして、先天図の上下の乾坤(父母)を中心の「家」に落とし込んでできたのが「旅の先天図」です。

易システム独自用語、独自ダイヤグラムです。


【fig064_2 旅の先天図(MAP13 P39より)】

家から出て、家に帰る。

ここで想定している「家」というのは「ホーム」であって、故郷であって、できれば永遠に、そこに安穏としていたい場所、ということです。

決して、現実の、いたくもない家、いさかいのたえない家庭、殺伐とした家、のことではありません。

え、ちがう?

ウチはもっと平和よ。

それはそれで結構なことです。

でももし、そうじゃない家庭にいたとしたら、そこはほんとうの家じゃない、と思いたくなることでしょう。

『ここじゃない』と。

それほどではないにしても、生まれてきた時からある種の、漠然とした違和感を持ち続けている人も多いかと思います。

どこか別に「ほんとうの家」がある。

ここでいっているのはその「ほんとうの家」のことです。

「ほんとうの家」というのは、そこにじっとしてれば、苦労も悲しみもない。

そういう、安定した場所の象徴なわけです。

ではどうして、息子(または娘)は動き出したのでしょうか。

息子(または娘)が動き出すというのは、どういうことなのでしょうか。

……てなギモンを残しつつ、

次回につづきます。


★ コトバ
トロイド循環、旅の先天図

 


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