ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。


プロバイダの無料サービス終了にともない、
遊星出版 旧サイト(@niftyラクーカン(http://athome.la.coocan.jp/index.html))は、2025/09/30をもってアクセスできなくなりました。
ブックマーク等されている方は以下の新しいサイトでのブックマークをお願いします(内容は従来サイトと同じです)。
→遊星出版 新サイト(https://sites.google.com/view/yuusei-press)
お手数かけますがよろしくお願いいたします。

今から30年以上前の話ですが、テクニカルライターになりたいと思っていた時期がありました。テクニカルライターというのは、当時だと、おおむね、ソフトウェア(もちろん、それだけではありませんが)のマニュアルを書く人を指していました。


その頃はパッケージソフトを買うと、分厚いマニュアルが付属していたものです。クルミ製本の、いかにも「本~っ!」ってやつです。

アキバでVZエディタの「本~っ!」と、3.5インチフロッピーがハダカでシュリンクされただけのパッケージを買って帰った時の高揚感は、今でも覚えています。
『これでやっと、自宅のパソコンで文章が打てるぞ!』
VZエディタはもうありませんが(ないよね?)、その規模のソフトやマニュアルなら、今なら数秒でダウンロードできます。

 

パソコンやアプリケーション・ソフトウェアのMMI(マン・マシン・インターフェース)も洗練 ・統合されてきて、付属マニュアルという「本~ っ!」も(ないことはないけど)、あまり見かけなくなりました。パッケージソフト自体、珍しいものになりつつあります。

最初に転職した会社では、千数百頁以上のシステム・マニュアルを……書いたわけではないけど(書いたのは外注さん。きっちり仕事をする方々でした)、マニュアル開発の社内窓口になったこともありました。シソーラス作りから始まって、なかなか大変な仕事でしたが、実態はアメリカで開発されたシステム・マニュアルの翻訳でした。

まあそれで、テクニカル・ライティングの本などを読んだりもしていたのですが、その中の一冊に「マニュアルは文学作品ではない」という一節があって、その一節だけが、ずっとひっかかっていました。

   ☆

DTP技術とwebサービスの発展により、曲がりなりにも自炊で書籍を作れるようになって、文フリなどにも出させてもらっている昨今ですが、また「マニュアルは文学作品ではない」が気になってきました。

ほんとにそうなの? って話です。

アタリマエだろ! といわれそうですが、別にマニュアルが文学であってもいいんじゃないか、なんて思っています。

くだんのテクニカル・ライティングの本にも、「マニュアルが文学作品であっては『ならない』」とまでは、書かれていなかったと思います。

いや、書いてあったのかな。

この一節が書かれていた本の書名や、一節が書かれていたところの文脈は完全に記憶からトンでいますので、フレーズだけがぼくの中で一人歩きしています。

   ☆

自分都合で解釈を進めることにしまして、そこまでは書いてなかったとすれば、「マニュアル文学」なんていうのもあってもいいかも……などとも思います。まあ、その前に文学(リタラチャ)ってなによ? ということを、とりあえず、はっきりさせておかなければなりません。

母親の形見の真っ赤な電子辞書、広辞苑 第7版によれば、文学とは「言語によって人間の外界および内界を表現する芸術作品」と、簡潔な説明があります。「言語による」は外せないでしょう。芸術となると……また、芸術とは何か……となり、キリがありません。

いろいろ定義はあると思います。文フリでは、文学とは「オノレがそう信じるところのもの」とされています。

自分なりに愚考してみるのですが、今のところは、文学って「鑑賞することで鑑賞者(つまり読者)の意識に何らかの変化をもたらす、言語で構成された装置」ではないかと思っています。

そのように考えると「マニュアルは文学作品ではない」こともなく、「マニュアルは文学作品にもなりうる」のではないでしょうか。

   ☆

「初学者のための魔法の基礎」は、ちょっとばっかり、そんな思いを込めて書かせてもらったものです。まだ在庫が若干残っていますので、来年のSF(少シ不思議)フリマで頒布する予定です。出店前にはまたこのブログで告知いたします。

 

これが鑑賞者の意識に何をもたらすかは未知です。ただ、読んだからといって魔法が使えるようになるわけではないと(笑)、お断りしながら売っています。
(内容については、こちら→

「ZenPad」は、ただいま作成中のオラクル・ブックです。上のような思いから、先にマニュアルを書いてしまいました。リリース時期は未定です。

マニュアルの内容は、ZenPadとは何で、どうやって使って、何を目指しているのかを、タメ口で説明している30頁あまりの冊子です。これは鑑賞者にZenPadのユーザー意識をもたらすために作った装置です。

 


本体の方は200頁くらいになると思いますので、セットで頒布しようかと考えています。
(ZenPadについては、こちら→

以上結局、PRになっちゃいましたが、最近の作品の、創作背景のお話でした。

白橋升@遊星出版 店主敬白

 

遊星出版

PS.

書いていて思い出しましたが、ヨハン・ヨハンソンの「IBM 1401 A USER'S MANUAL」というアルバムは、一部、マニュアルそのものが音楽という芸術になっています。
 

「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。

 最初の数頁だけ。

 電車で読むからと、かみさんが持ってった。

 でも、なるほどこれはおもしろい、と思った。

 若い人のお話だあ、とも思った。

 うらやましいような、目新しいような。

   ☆

 モダンな住宅街の中に
 朽ち果てそうな湯屋がある。

 散歩で見かけることもあるが
 やっているのを見たことがない。

 まだ暑い頃だったが
 夕方その前を通りかかった。

 歩行器を押す痩せた高齢女性と
 付き添いの女性が歩いていた。

 娘さんかお嫁さんだろう。
 ヘルパーさんではなさそう。

 女性が抱えた洗い桶には
 タオルとシャンプー。

 あたり一面
 空気までが黄昏色。

 煙突からは煙が立ち上り
 入り口には真っ新な暖簾。

 ぼくは、こういう方が好きかな。
 

ZenPad #85 Courant "U ARE NOT ALONE"】

 

 ゼンタングルの基本的なオキテでは、タングルを描くとき修正はできません。描くという行為が人生になぞらえられているからです。


今描いているZenPad(くわしくはこちら→)では、やっちゃってる……というのは白状したとおりです(「旅の空」参照→)。

言い訳するわけではありませんが(この後に続くのは、だいたい言い訳)、オキテはオキテですから、やたらに破っていいわけありません(ていうか、破っちゃいけない)。

ほんとうにほんとうに、ど~しようもないときだけ、ちょこ~っとだけ……


やめときましょう。
言い訳です。

   ☆

修正不可。

タングルを描くことが人生なら、たしかにそうかもしれません。

起こったことは修正できません。

起こったことはなくなりません。

だけど、「なかったことにしてくれ」というコトバもあります。
聞かされた方は、やれやれ、とも思いますが、まあそうしてやるか、という寛大な対応もできます(ケースによりますがネ)。

実はゼンタングルにも、「なかったことにする方法」というのがあって、ぼくはワン・オー・ワンしか受けていませんのでわかりませんが、たぶんその先の話で教えてくれるんじゃないかと思います。

   ☆

「なかったことに」の例。

一番カンタンなのは、ブラックアウト。まちがった所を黒く塗りつぶしてしまいます。


【ZenPad #74 Jonqal】

タングルが人生なら、さしずめ、黒歴史ってところですか。

これを、ぼくが独自にひねったのがグレーアウト。

下の例ではグリッドのセルが、白と黒の部分に分かれていますが、配色を右下でまちがえました。

そこで、白いところにグレーを加えて、あたかもそこから新しい配色のパターンが始まったかのように見せかけています。

【ZenPad #73 Eye-wa】

タングルが人生なら、これはなんだろうな~、経歴詐称?

あ、しまった! ってところに、ちっこいBronx cheerを乗っけて描いてしまう、という手もあります。

タングルが人生なら、これは……くさいものにフタ、かな。


【ZenPad #13 Bronx cheer(これは単なるモノタングル。まちがいではありません)】

下の円環状に描かれたグリッドパターンでは、セルの中の白い三角の部分で、方向がちがっているところがあります。

【ZenPad #81 Avreal】

これ、放置しました。

タングルが人生なら、こういうのはまあ、「バックレる」とでもいいますか……

でもね。

上の81番などを見ると、これってほんとうに「まちがい」なのかなあ、と、思ったりもします。

だって、見る人はおそらくほとんどの場合、そんなことは気にしないでしょうし、みんなそれほどヒマじゃない。

一番気にしているのは、結局は描いた当人で、ZenPadの場合は、要は、なんらかのメッセージが浮上すればいいわけで……バックレたところで大勢(たいせい)に影響はありません。

   ☆

ていうか、この話。

最初の書き出しが、そもそも、まちがってました。

「ゼンタングルを描くときは修正してはイケナイ」

のではなく、

「ゼンタングルを一枚描くのは人生と同じ。人生に『まちがい』はない」

でした。

そもそも人生にマチガイはありません(あ~う~……たぶん)。
このブログの書き出しもまちがってはいません。


というわけで、つらくも楽しいZenPadの旅はまだ続きます。

 

夢の話はあまり他人(ひと)にはしないようにしている。
話を聞かされた方は、ぜんぜんおもしろくないだろうからだ。

なぜ他人の夢の話はおもしろくないのか。

夢は個人的なものだからだ。
だが、個人的領域は掘り下げていくと、集団的領域につながっていく。

事象はまず、目に見えない微細(サトル)な領域で起こり、続いてそれが、見てさわれる日常的な粗雑(グロス)な領域へと伝播していく。


この観方に従うなら、日常世界のものは必ず微細な領域にその鋳型がある。

たとえばインターネットのようなネットワークは、サトルな領域ではエーテルのネットワークに相当するのかもしれない。インターネットはそれがグロスな日常領域で具現化したものだ。

 

同様に、AIの動作原理である大規模言語モデル(LLM)は、サトルな領域の集合的無意識を反映しているかもしれない。

   ☆

ときどき、夢の解釈にAIを利用することがある(Google Gemini)。夢の内容をプロンプトとして打ち込んでAIに意見を求める。AIは人ではないので、話がおもしろくなくても、そんなことは問題にしない。気兼ねなく相談できる。

もしLLMが集合的無意識を反映しているなら、こんな利用法もアリかもしれない。やってみると気づかされることも多く、ヘタな夢事典を参照するより、よっぽど興味深い。

   ☆

ただし。

相手は自然言語がインターフェースになっているので依存に陥りやすい。


それを防ぐためにも、夢の解釈に限らず、いかなる場合でもAIの利用には、個人的に3つほどのルールを設けている。

1.丸投げしない。
2.鵜呑みにしない。
3.分限をはっきりさせる。

3は手柄を横取りしないということだ。ぼくの場合なら、たとえば、本を書いて挿絵や表紙絵をAIに生成させたら、その絵を自作のものとしないで、AIを利用して描いた旨を、主に奥付で必ず明記する。その本が商業ベースに乗っているか否かは関係ない。エシカルなポリシーだ。


プロンプトを(ひょっとしたら苦労して作成して)入力したのは貴方かもしれない。だけど出力は決して貴方が描いた絵ではない。システムが様々な要素をあちこちからパクってきて、自動的に構成したものだ(この点で著作権の問題をはらんでいるのは周知のとおり)。

夢の解釈なら、鵜呑みにしないのはもちろん、生成された回答を採用するかしないかも含めて、AIの回答はあくまで参考として、最終的な判断は自分で行う。

会話型のAIは一般的に、自システム利用促進(PR)のため、ユーザをヨイショするルールが組み込まれている。上の3つのAI利用ルールを「どうだい?」と投げたら、即座に「すばらしい!」という回答が返ってきた。

   ☆

同時に、「もうひとつ追加するなら」と、AIからの提案もあった。
盛り込んだ方がいい4つめのルールとは、個人を特定できるような情報をプロンプトに入れない、ということだった。

それはその通りで、打ち込んだ情報は誰が見るかわからない。その前提で、プロンプトは誰に見られてもいいような表現にする必要がある。至便性と情報開示はバーターである。


   ☆

しかし、相手は自然言語による対話がインターフェースになっているシステムだ。ユーザをイイ気持ちにさせるようなバイアスもかかっている。うっかりすると筆がすべってしまいそうになる。穿ち過ぎかもしれないが、過剰なヨイショは、ひょっとしたら個人情報を引き出すための、最新の、微妙なダークパターンなのかもしれない。

夢は「個人的」の前に「超」がつくくらい個人的なものだ。
AIを使おうと、昔ながらの夢のシンボル事典を使おうと、最終的な判断を他人や外部のシステムまかせにしてはならない。

それに(ぼくの場合は)何度か試しているうちに、AIの思考プロセスも読めてきて、AIを利用しなくても、けっこう夢のコトバがわかるようにもなってきた。これはちょっと意外な効果だった。

付け加えるなら、夢は……

必ずしも判断しなければならないものでもない。

そのままそっとしておいても問題はないということも、覚えておいて損はないだろう。



【ZenPad、#65 Indy-Rella。寝ても夢。さめても夢。この世は夢。】
(ZIA(Zetangle Inspired Art)は一枚一枚、自分で描いている。ZenPadについては、こちら→
 

遊星出版です(HPは、こちら→)。

昨日はお日柄もよろしく、2回目となるアンダークラフト・マーケットに出店して参りました。前回はNOWAY MANIACS一派としての参加でしたが、今回は単独参加。場所も空気のいい八王子です。



【開催約1時間前の遊星出版ブース。改めて見るとなんか……祭壇と香典返しみたいになっちゃってる】

今回は品目を絞って「初学者のための魔法の基礎」オンリー。初リリースです。

始まってみると、文フリほどではないけれど、意外とお客さんの流れもあって、いい感じ。来場者は前回より増えてるんじゃないでしょうか。感覚的観測ですが。

もちろん皆さん、本を買いに来ているわけではなくて、アクセや小物、ガジェットや、アート作品を見に来ているわけで、合間にぐるっと見て回りましたが、本を売っているのは遊星出版だけでした。

 

【期間限定のダイアゴン横町。開場30分前】

それでも、なんか本があったら買おうと思ってた、というお客さんや、ぱっと開いたところに、染みるコトバがあったから(こういうのは一番ウレシイ)、と、お買い上げいただいたお客さんもいらっしゃって、いや、やっぱり参加してよかったな、と。

今回、特徴的だなと思ったのは、立ち止まってくれるお客さんと、そのうち、お買い上げいただけたお客さんの比率で……カウントも計算も比較もしていませんので感覚ですが……立ち止まってくれる方は比較的多いのだけれど、お買い上げにつながる率が、その母数に比べてちょっと低かったかな、といったところです。もちろん悪いことではなくて、ニーズのジャンルちがいと、いわゆる、「タイトル・マジック」なのかと。

「初学者のための魔法の基礎」

なんだろう? って思いますよね。

(作品については、こちら→

 

ちょっとプロの作品もヒントになっています。有名どころでは、「成瀬は天下を取りに行く」とか、「さみしい夜にはペンを持て」などなど。


タイトルが長きゃいいってもんじゃないけど、まずは、なんだろう? って思わせることが肝心。編集者か作者かはわからないけど、なんといってもプロはプロ。パクっちゃだめだけど。やり口……あ、いや、アイディアを参考にさせてもらうくらいは……ま、いいかな。


【残りあと4冊。この後2冊売れました】

ご覧になっておわかりになりますとおり、ブースも広々としております。

なんだか黒いミョーなモノが並んでいるけど、なに売ってるのかな~と、確認に見えた出展者の方もいらっしゃいました。
なるほど、そういうパターンもアリか。
ただの黒い箱で、なんの装飾もしなかったけど、手作りのブックケースも捨てたもんじゃありません。

「この本で占いもできますよ」といったら、その方が占い師だった、な~んてこともあって、笑われちゃいました。美空ひばりさんをつかまえて、「おばさん、歌うまいね」と口走ってしまった気分で、ちょっと恥ずかしかったけど、ダイアゴン横町ならそんな方も当然いますわな(その方は、決しておばさんではありませんでした。(念のため、申し添えておきます))。そういえば、筆跡診断の先生もいらっしゃいまして、ちょっとだけお話できました。「六十四卦夜話」での書写の話をしたら、書いたもの見なくても、そういうことをやる人は真面目なんですよ、といわれました。そうか、おれ、マジメなんだな。もうちょっと、ふざけないと(そうはいわれなかったけど)。

 

こうしてふりかえってみますと、総じて、お客さんとの距離は文フリよりは近いかもしれません。
まあとにかく、あやしい魔法書の行商屋、楽しいです。


イベントの恥はかき捨てともいいますから(いわない?)、気を取り直して、次回は来年、「SF(スコシ フシギ)フリマ」に参加予定です。

近くになったら、またこのブログで告知いたします。
よろしくお願いします。

ご来場者の皆様、ありがとうございました。
出展者の皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。

 

還暦過ぎの永遠の中2

遊星出版です。

「アンダークラフトマーケット2」、通称「アンクラ」に出店します。

☆ 日時:2025年12月6日 12:00~17:00


☆ 場所:東京たま未来メッセ 展示室C・D
  東京都立多摩産業交流センター
  東京都八王子市明神町3丁目19-2
 

☆ 入場料:1000円(税込。前売り、当日とも)再入場可。

  高校生以下無料。

☆ 遊星出版ブースはG-15、16です。

☆ イベントページは、こちら→

☆ 遊星出版ホームページは、こちら→

※ url変更にともない、イベントページから遊星出版ホームページへのリンクは切れています。お手数おかけしますが、遊星出版ホームページへは上記リンクからお願いします。

   ☆

今回お持ちするのは「初学者のための魔法の基礎」というタイトルの、詩とエッセイ集のみです。


新刊です。


読んでも魔法がつかえるようになるわけではありませんが、ご了承ください。

いつも出ている文フリのような、本を売るイベントではなく、つくったモノを販売するクラフト系のイベントなので、どの程度持って行けばいいのか皆目見当がつかないのですが、とりあえずは7部ほどお持ちする予定です。

よろしくお願いします!

下の書影をクリックすると、遊星出版ホームページ内の作品紹介のページにジャンプします。

※関連アメブロ記事は、こちら→

遊星出版です。

(HPはこちら→)

昨日、東京ビッグサイトで開催された文学フリマ東京41に出店してまいりました。



【毎度おなじみブース写真。真ん中は「小槌の神秘」原本です。ビッグサイトは背中側が広いのがいいですね】

売れた冊数も、14時頃から(今回は13時半頃からかな)エンジンがかかりだすのも、いつもどおりといった感じでしたが、 うれしかったのは、定期的にブースに来てくれるお客さんが何人かいらっしゃることがわかったことです。

皆さんマスクしてるし、ぼくも物覚えが悪いので、やっと気づいた感じですが、前回、そのうちの、おひと方に「小槌の神秘」に興味があるんです! といわれたことは覚えていまして、今回お持ちした本に、「小槌の神秘」を加えさせていただきました。

オンデマンド印刷ですので在庫は持たないのですが、リクエストしていただければ、このように対応できます。

(いまのところ、東京文フリには毎回出ています)
無事お渡しすることができてよかったです。
少部数販売の強みかと思います。

印象に残ったのは、最後のお客さんかなあ。

終わりの17時近くなってくると撤収作業にかかるブースもチラホラ。


『もう今日はいいか……』てな気持ちにもなるのですが、遊星出版は、売りモノが残っている限りは、17時まで片付けないで売り続けるようにしています。

そのおかげで今回はギリギリ17時直前で、「六十四卦夜話」をパッとお買い上げいただいた方がいらっしゃいました。

「六十四卦夜話」は易に関するエッセイで(参考記事→)、易に興味がないとどうかな……と思っていましたが、そのお客さんは鍼灸の先生(学生さんかな?)だとおっしゃっていましたので、それなら読み物としておもしろいかもしれません。ちょっと新しい発見でした。

易はまずもって占術ですが、陰陽は東洋思想、東洋医学のベースだからです。

ぼくは研究者でも教師でも占術家でもないのですが、昔、知り合いの鍼灸師の先生方に(大変僭越ながら)易のお話をさせていただいたことを思い出しました。

「六十四卦夜話」についてちょっと補足。

「六十四卦夜話」には原文の書写を載せていますが、訳や読み下し文は載せていません。もしくわしくお知りになりたければ、他の良書をあたってください……と、説明していましたが……ハタと気づきました。

今は、ハヤリのAIがあります。

くわしいことを知りたければ、「易の×番目の卦の、下から×番目の線(正式には「爻」といいます)の意味を教えてくれ」といったプロンプトを投げればいいのでは……

 

で。やってみました。

 

これがまあ、その卦の全体の意味からはじまって、爻の意味まで、ぼくなんかより、はるかに懇切丁寧に教えてくれます。

すごいですね~

聞きたいところを京都の住所みたいに座標で指定できて、一般的な意味もほぼ確立していますので、ハルシネーション(生成AIによる知ったかぶり)の割合は低いと思います。

 

意味ではなく、「訳」を確認するよう指定すれば(意味は自分で考える)、ハルシネーションの割合はさらに低下させることができるでしょう。


ただ、Geminiで試してみたところ、読み下しの「読み」はちょっとあやしいところがありました。

 

なお、易の基礎的な概略を先に確認したい方は、ちょっと私見も混じっていますが、巻末の「補遺」をざっと眺めていただければよろしいかと思います。

文学フリマ東京41、昨日夜、主催者から入った知らせによりますと、出店者=5463人、来場者=13508人で、総計18971人が参加したそうです。


ご来場の皆様、主催者の皆様、ありがとうございました。
歳を言い訳に、後片付けは若い力にまかせちゃったけど、ごめんね。

礼拝。
 

遊星出版です。

 

(遊星出版サイトはこちらです→)

2025年11月23日(日)東京ビッグサイトで開催される予定の、「文学フリマ東京41」に出店します。




遊星出版ブースは「う-12(南3-4ホール)」です。

◎ イベント詳細は、こちら→

◎ 遊星出版のwebカタログは、こちら→

お持ちする予定の本は以下です。
それぞれ5冊程度お持ちします。


★ まほかみ(300円)

ある夜、夢に見た4つの文字がきっかけになって書いた、詩とエッセイ集。

下の扉はクスリの袋を模した、テーマ詩の紹介です。



【扉】

 

 

この詩は、もちろん、ふつうに読めるようにも書かれていますが(英語の対訳(AI翻訳)つき)、遊びで、256文字の方陣にしてみました。

 

 

 

【詩の方陣】

 

詩の主旨は「そのままでいいんだよ」ってなところですが、方陣になった詩をカードにして、オマケで付けてみました。

 

よければ持ち歩いてもらって、 『あ、オレ(アタシ)は、いいんだ、このまままで』という、なんでもないけど忘れがちなことを、思い出していただければ幸いです。


はじめて作ったZINE(A5、30P)です。

遊星出版サイトの作品紹介ページ →こちら


★ 小槌の神秘(300円)

「サイコロふって答をもらう、ウラナイの本でえす」
 

……だけじゃ、なかなか、ふりむいてもらえません。

 

「いやぁ、これが実は仕事のお客さんの、おばあさんからゆずってもらった古書の中にまじってた、手書きの占術書でしてね……」


と始めると、俄然、関心を示していただけます。

もちろん、嘘偽りのないハナシなんですが、「物語」の力ってすごいですね。原典を入手したいきさつと、手前勝手な推測を後半の「小槌物語」に、原典の時代にあわせて、やや固めの文章でまとめました。

すぐ占えるように、サイコロふたつ付き。

アメブロ関連記事「小槌物語」 →こちら


★ 六十四卦夜話(500円)

最新刊です。

「ぼくは占い師じゃない」は、実は易のお話のブログです。このブログに載せた易関連のお話と、絵(ゼンタングル)をまとめました。

占いもできるようにサイコロも付けますが、占術の本というより、エッセイ・読み物ととらえてもらったほうがいいかもしれません。

アメブロ関連記事「六十四卦夜話」 →こちら

よろしくお願いします。

 

ZenPadを描くことが旅ならば(「ZenPad」参照。こちら→)、こうして思い出したように記録を綴っておくことは、故郷へ向けた手紙である。


【「DATLY ARCHIVE」と題されたファイル。本来はフォトアルバム。簡易なケース付き。DAISOで1冊200円。表裏120ポケットあるが、オリジナル・タイル50枚でパンパンになる】

ZenPadの旅は6月5日に「00」から始まっている。



【魔法。目に見えないすべて。】


あれから半年。ゴールは「99」だが今は「68」にいて、数からいえば、旅程はすでに帰路にあることになる。


【贈り物は、常にギフト・ボックスに入っているわけではない】


いかに自由とはいえ、タングル描きにも御法度がある。消しゴム使うな。修正すんな。ホワイトを入れるなんざあ、言語道断、斎藤道三なのである((c)安永航一郎)。

白状しよう。消しゴムもホワイトもやってる。あまつさえ、何度か描きかけのタイルを破り捨ててしまったこともある(円安で高いのに!)。


【ゼンタングル・メソッド。オリジナル・タイルのパッケージ裏より。細かい掟までは書かれていない】

いや、ゼンタングルじゃなくてZIAだから……
(言い訳になってない)
いや、ゴーリー展で原画を見たけど、ゴーリーだって切り貼りとか、けっこうやってるみたいだったし……
(ゴーリーは関係ない)

描かれたものの出来映えよりも、言葉にしろZIAにしろ、はたして次のアイディアが出てくるのかどうか、そっちの方が不安である。


地図はゼンタングルのパターン。コンパスは直観。ちゃんと帰って来られるのか。旅路は思ったほど楽ではないようだ。
 

ゼンタングルを描いている。

ゼンタングル(参考「禅絡」→)は、3.5インチ四方の画用紙にパターンを描き込んでいく瞑想アートである。絵のようだが、絵ではない。

最初に知った公式パターンは100。

 

そのひとつひとつのパターンをつかったタングルを描き、それぞれに、自由に言葉や文章を付けていく。

 

そんなふうにして、100枚のタングルを描こうとしている。

こうして描いたゼンタングルの束は、オラクルカードのデッキのようになるはずである。

 

この「デッキ」は、完成すれば、タングルを描く人にとっては、パターンのリファレンスにもなる。

とりあえず 「デッキ」のタイトルだけは付けた。

 

「ZenPad」とした。

 

仮題である。

 

でも仮題は、結局そのまま、最終的なタイトルになってしまうことがおおい。

00から始まって99まで。

数字に意味はない。

単に描いた順番だ。


6月の頭に出発して、道半ば。


知り合いで、定年後に一年かけて海外を旅した女性がいた。

 

「ZenPad」の作成も旅だと思ってる。

体はどこかへでかけるわけではないけれど。

【トランクに描いたのは「Stoic」というパターン。

パターンの名称はあらかじめ決められているが、名称はパターンに合わせて、語呂や雰囲気で識別のために付けられていると聞いた。ぼくが、このモノタングルに独自に付けた言葉は、「過去を想起させるものは、持たない」。言葉とパターン名称はあえて関連させていない】


※ pixivに、これまでの旅路を気まぐれにUpしています。

こちら→