ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press


プロバイダの無料サービス終了にともない、
遊星出版 旧サイト(@niftyラクーカン(http://athome.la.coocan.jp/index.html))は、2025/09/30をもってアクセスできなくなりました。
ブックマーク等されている方は以下の新しいサイトでのブックマークをお願いします(内容は従来サイトと同じです)。
→遊星出版 新サイト(https://sites.google.com/view/yuusei-press)
お手数かけますがよろしくお願いいたします。

「さみしい夜にはペンを持て」
古賀史健著 ポプラ社 2023

良書である。

形のない重荷を形にして手放すことがいかに心を軽くするか、ジュブナイルの物語形式で綴られている。

原則。

書いたものは読者がいなければ成り立たない。

では、友人も知り合いもいない人間は、どうしたらいいのだろう?

回答。

ならば、未来の自分が読者である。

   ☆

おそらく著者がこれを書いた時点では、想定していなかったと思うが、今ならAIが読者になるケースもある。

長いことお話を書いていると、途中で息切れしてくることもある。

「どうだ! すげえだろう!」
『へえ、旦那様、国宝級でございます! いよっ、大統領!』

人は弱い(特にぼくは)。ハルシネ(でっちあげ)とシカファン(ヨイショ)が、助けになることもある。

そうだ、今度からこいつ(Gemini)をイッパチと呼ぶことにしよう。



巻末の袋綴じには、特効薬が封入されているという。
これは開けずに、次の読者に譲ることにした。

 



 

2026年5月4日開催の、文学フリマ東京42 の一般入場チケット販売が始まりましたので、本記事後半にて情報をシェアします。ブース位置はまだ発表されていませんが、遊星出版も出店する予定です。

   ☆

文フリってどんなもん? と、かみさんと「第二十九回文学フリマ東京」を覗きにいってから、はや6年。歳を取れば取るほど時間は飛ぶように過ぎていきます。



【「第二十九回文学フリマ東京」出店者カタログ。EST2002の文字が見えます】

当時はまだ入場無料で、カレー屋さんとかも出てて現在より遙かにこぢんまりしたイベントでした。今や入場料を取る本屋さんもあります。時代も変われば変わるものですね。

   ☆

→文学フリマ東京42 (2026/5/4(月祝)) 一般入場のご案内

◇概要

◆前売チケット(イープラス)
販売期間:2026/3/21(土) 10:00-2026/5/3(日) 23:59
入場料: 1000円(税込)

◆当日チケット(イープラス・スマチケ)
販売期間:2026/5/4(月) 0:00-16:20
入場料: 1,350円(税込)

◆当日チケット(窓口)
販売期間:2026/5/4(月) 11:30-16:20
入場料: 1,500円(税込)
※当日会場で購入可能です。ただし、現金決済のみとなります。

◇注意事項
・18歳以下は入場無料 (購入不要) です。誤って購入した場合でも返金されませんのでご注意ください。
・出店者は、出店者入場証1枚につき1人無料 (購入不要) です。(出店料に入場料が含まれます)
・16:30 以降は入場無料となります。
・入場チケットの払い戻しはお受けいたしません。

前売チケットに関するお問い合わせ先:
イープラス ご利用ガイド・お問い合わせ→

 

 

遊星出版です。

新刊「天体観測とはなにか(新書版186ページ)」を、文学フリマ東京42にてリリースいたします(頒布予定価格500円)。

よろしくお願いいたします。

 

   ☆

 

日常的にAIを使うようになってきました。火付け役のChatGPTというのは使ったことがなくて、なりゆきで、Bardと呼ばれていた頃からGeminiを利用しています。

 

最近はハルシネーション(AIによる知ったかぶり)も手が込んでいます。AIは生成(つまり創作)することがお仕事なのでやむを得ませんが、全体としておおむね正しい回答の中に、虫食いのようにでっち上げが入り込むので、正確な情報を求める際には注意が必要です。

 

でも次のような使い方なら、ハルシネーションはあまり気にしなくてもいいかもしれません。

 

   ☆

冒頭にも書きましたが「天体観測とはなにか」は文学フリマ東京42でリリース予定です。ためしにAIに立ち読みしてもらいました。ただ立ち読みしてもらうだけじゃおもしろくないので、AIに文フリのお客さんになってもらい、遊星出版のブースにふらりと立ち寄った体で質問してもらいました。
 

文フリに限らず初めてのイベント出店などで、「キンチョーするなあ……」と思っている方には、こういうAIの使い方もアリかもしれません。

 

以下省略してAIとの対話を引用しますが、お客さんのキャラはこちらからは特に指定することなくAIに生成させました。

 

答は生成されたものではなく、もちろんぼくが答えています。


   ☆

 

30代半ばの女性。 派手さはないけれど、自分なりの心地よさを大切にしている落ち着きがあります。会場のざわめきの中、彼女はふと足を止め、遊星出版のブースの前へ。一呼吸置いてから本を手に取りました。数ページをパラパラめくり、顔を上げた彼女と目が合いました。

 


 【画像では左綴じ(横書き)ですが、「天体観測とはなにか」は右綴じ(縦書き)です】


お客さん:この本、タイトルがすごく印象的ですね。『天体観測とはなにか』。天体望遠鏡の使い方とか、星座の解説本とは、ちょっと手触りが違いますよね? 『境界』とか、少し哲学的な言葉が目に飛び込んできて……どういう背景で書かれた本なんですか?

 

 

 


白橋そうですね、意外に思われるかもしれませんが、これ、実は易の本なんですよ。占いの指南書ではないんですけどね。

お客さん:えっ、易、ですか? ……占いじゃないのに『易の本』。てっきり、夜空を見上げて星の配置を考えるようなエッセイかなと思っていたんですけど……。言われてみれば、ちらっと見えた『境界』という言葉も、易学的な世界の捉え方ということでしょうか。天体観測と易が、どうやって結びついたのか……すごく気になります。この本の中で天体観測はどんな役割として書かれているんですか?

白橋普通は天体観測って自分の外側の空を観ることですよね? 易のような占いは自分の内側を観ることじゃないか、ってぼくは思ってるんです。方向の違いだけで、中心にいるのは常に自分でしょ。その自分ってなんなのかってことがテーマなんですよ。天体観測と称して、実は自分を観てるんじゃないかと。

お客さん:なるほど。外に向かう眼差しと、内に向かう眼差し。ベクトルが真逆なだけで、どちらも『自分』という中心点からの同じ観測行為だということですね。面白いです。確かに、星を見る時って、宇宙の広大さに圧倒されながら、同時にそれを感じている自分自身の輪郭が浮き彫りになるような感覚があります。占いとして結果を出すことよりも、その『中心にいる自分とは何者か』という問いの方に重きを置いているんですね。だから、タイトルが『天体観測』なんですね。自分という地点から世界を測る、という意味で。

彼女はもう一度、今度は確信を持った手つきで本を開き、パラパラと数ページをめくります。

お客さん:これ、じっくり腰を据えて読んでみたくなりました。一冊、いただいてもいいですか?

白橋ありがとうございま~す。

   ☆
 

AIがいうには、辛口のお客さんや(現実にはお会いした経験はありません。皆さん、年寄りには優しいです)、お客さんが重なってしまって(遊星出版ではまずありません)、うまく説明できない時の対応の仕方、 特定のページを詳しく説明する練習などなど、なんでもできるそうです。

 

もし辛口のお客さんをやらせるなら、注意してください。プロンプトの内容によりますが、AIにうっかり、辛口で! というと、こっちがヘコむほどマジ辛辣になる場合があります。

 

 AIが一所懸命に辛口であろうとする結果ですが、接客シミュレーションのような場合は、適度にヨイショ(シカファンシー)があった方がモチベーションアップにつながるでしょう。


いずれにせよ出店者の方は、あんまりやり過ぎると出店する前に疲れちゃうかもしれません。それじゃ元も子もなくなっちゃいますので、ほどほどに。

 

ではまた。

 

 

独立不採算型マイクロプレス

遊星出版です。

昨日(2026年3月14日)SF(Sukoshi Fushigina)フリマ7に出店して参りました。このイベントには初出店です。

お日柄は大変によろしく、そろそろ桜もほころぶんじゃないかという陽気でしたが、頭の中まで春が来たようで、この日は朝からミスやポカが多くて困りました。

朝マスクを忘れて取りに戻るわ、川崎に着いたら着いたで、会場に行くつもりでモールの中をうろついてしまうわ、やれやれと会場に着いていきなり、お隣(「魔女のアトリエ」さん、ごめんなさい)のブースのディスプレイにデイパックをぶつけてひっくり返してしまうわ……その節は大変申し訳ありませんでした。以後気を付けます。

気持ちは思いっきりバタバタしていましたが、平静を装いつつ、ブースのセッティングを終えたのがちょうど12時の開場直前。


【いつもの絵ヅラ】

本屋の店主よろしく手持ちの本などを広げながら、見るとはなしにダイアゴン横町をいく人たちを眺めていたわけですが、やっぱりなんか、浮いてるような気がしてきます。本を売ってるのは遊星出版だけで、基本は造形・クラフト系のイベントなんだなあ……てなところ。

それでも。

一番びっくりしたのは「ブログ見てます」という方がお見えになったことでしょうか。一日数PVという日も珍しくない(時には0という日も)、この零細ブログを見てくださっているだけでも御の字なんですが、迷わず「初学者のための魔法の基礎」をお買い上げいただきました。多謝。

ブログを始めて20年。イベント出店はまもなく20回を迎えようかという今日この頃なんですが、ブログ見てますよ、と直に言われたのは初めてです。いや、うれしかったなあ(ちょっと恥ずかしかったりもして)。

もうひとつびっくりしたのは、持って行った本が14時にはすべて売れてしまったことです。「完売」ってやつです。前にも2度ほどありましたが、そうそうあることではありません。

2度の完売はいずれも文フリでのことで、まさかクラフト系イベントで完売するとは思っていませんでした。うれしい反面、閉店後に見えた方がもしいらっしゃったら申し訳ありませんでした。写真にはありませんが、名刺を3枚ほど残して……14時半ごろには閉店してしまいました。


【きったない字】

持って行った本の中では「小槌の神秘」に興味を持って下さる方が多かったです。日常的な事柄についての占術書で、サイコロをふたつ使って占います。

ぼくが書いた物ではなく、高齢のお客さんからゆずってもらった古書の中にあった……とまあ、本の中でもそのように説明しているんですが、これもちょっと正確な記憶は曖昧で、古書のダンボールとは別に「こんなのあるよ」と渡されたのかもしれません。仏壇の引き出しに入れてあった、と。

その高齢のお客さんか旦那さんの、占い好きの母上が自筆で書かれたものです。時期は大正期の終わりか昭和の初め。占術の根拠は不明ですが、その「おばあさん」は易をはじめとして、気学、推命もたしなまれていたことは蔵書からわかりました。他の古書とは別に持っておられたのなら、それこそ、「普段使い」で使われていたものかもしれません。

それをぼくが勝手に復刻したわけで、いいことか悪いことかはわかりません。ぼくがやるとイマイチなんですが、かみさんがやるとよく当たります。

現物も展示して、それを広げながら説明していましたので、やっぱりクラフト系イベントだけあって、みなさんそうした実際のモノの手触りには敏感なご様子でした。

そんな中、ちょっとハッとしたのは、若い男性のお客さんで、「初学者のための魔法の基礎」に触れながら、「これ、サイズ感いいですね」というご感想をいただけたことです。

この本については結構こだわって作っていて、一見なんてことのない本ですが、ページは黄色みを帯びた書籍用紙、新書版で15mm(264ページ)程度の厚み、アイボリーの遊び紙を入れ、表紙のラミネート加工は遊星出版の他の本(グロス地)とちがってマット地にしてあります。さらに初回印刷分は黒のブックケースに入れる……と、こうして製造原価は嵩んでいくんですが……ま、道楽です。

手にした感覚をお褒めいただいた件のお客さんには、もちろんお買い上げいただきました。ありがとうございます。

今回は易の本はなかったのですが、ラインナップ中で内容的に易と最もクロスオーバーしているのは、実は「初学者のための魔法の基礎」で、それほど詳しくは説明できませんでしたが、ブログを見てくださっているというお客さんには、その辺をしっかり見定めてお買い上げいただけたようです。

   ☆

紙の本は市場が狭くなりつつあると聞きますが、なくなることはないと思います。読書は、情報を得るためだけの読書と、本というモノそのものと、紙に書かれた文を読むこと自体を楽しむ読書に二極化していくでしょう。

昔に比べれば紙の本はどんどん高くなっていますが、もっと高くなると思います。情報を得るだけなら紙より安い手段がほかにいくらでもあるからです。こうして……なくならないまでも高くなった本は、もはやそれまでの本とは異なる工芸品になっていくでしょう。

工芸品?

本と手仕事といえば、豆本づくりや、ハンドバインディング、ユリユールなどの工芸趣味が思い浮かびます。

このイベントでは遊星出版は「浮いている」などと書きましたが、SFフリマやアンクラで本を売るのは、あながち的外れでもないのかもしれません。
ま、少なくとも、遊星出版の本は「情報を得るためだけの本」ではなさそうですので。


【川崎駅午後二時半。え~、もう閉店? このあとトドメのミスで、反対方向の電車に乗って、1時間ロスしました。町から出ない町のネズミは、慣れない場所が非常に苦手です】

主催者様、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
会場にお見えになった皆さん、ありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。

 


 

遊星出版です。

「SFフリマ7」に出店します。

SF」は「Sukoshi Fushigina 空想フェア」の略です。

イベントサイト→こちら
 

遊星出版は初出店です。

遊星出版公式サイト→こちら


イベント名:SFフリマ7
日時:   2026年3月14日(土) 12:00~17:00
会場:   川崎市産業振興会館 4F 企画展示場 A・B・C
アクセス: JR川崎駅から徒歩8分 / 京浜急行川崎駅から徒歩7分
入場料:     500円 (再入場可。高校生以下無料/16時以降無料)

遊星出版ブースは、B-15です。


 

 おしながき

「初学者のための魔法の基礎」(600円)×3冊

「小槌の神秘」(300円)×3冊

「まほかみ」(300円)×2冊

 

作品につきましては、上記リンクまたは遊星出版公式サイトご参照いただければ幸いです。

 

よろしくお願いいたします。

 

独立不採算型マイクロプレス

ちょうど今頃の季節だったか。
晩冬か初春の晴れた日だった。

独居の母親の家に自転車で向かう。
途中、なんとなく立ち寄った砂浜。

草むらの隅に大きな貝が落ちていた。
内側に油性ペンでなにか書いてある。



やたらに物を拾って帰ると怒られる。
だから小箱にずっとかくしてあった。

ただ出してみる。
ときどき眺める。

スキムブーメラン。検索してみた。意味不明。
同じような貝を拾った人達の書き込みがある。

今から6年くらい前の事。
その頃拾ったんだと思う。

どれをとっても一冊だけしかない。
スキムブーメランという作家の本。

脱字がある。
いや衍字か。

編集者は不在だったのだろう。

 


 

遊星出版。

原稿書きもレイアウトも組み版も装丁もひとりでやってます。

作品によっては図や絵も描くことがあります。図はともかく、絵を描くことはちょいと苦手……というのは、「昔話するなんて(こちら→)」でお話したとおりです。

   ☆

ご存じのとおり、最近はAIが台頭していまして、AIアシスタントというだけあって、スタッフ的な役割をお願いすることもできます。

 

AI利用にあたっては、自分なりにルールを設けているつもりなんですが(「夢とAI(こちら→)」)、おさらいしておきます。

1:丸投げしない
2:鵜呑みにしない
3:分限を明確にする

著作権なども絡んできますが、何かいわれても「秘書がやりました」(最近はこれもダメ)、「記憶にございません」(もっとダメ。古すぎ)というわけにもいきません。

 

作品が商業ベースに乗っているか否かに関係なく、頒布するとなると、特に3をはっきりさせておくことが重要なわけですが、こんな場合はどうなのでしょう。

   ☆


【虚空蔵尊線画】

ウマイ・ヘタはおいときまして、15年以上前に描いた、いわゆる「過去絵」でして、オリジナルはふつうの画用紙にミリペンで描いた線画です。


【カラー虚空蔵尊】
 

これにクリスタでデジタル彩色して、虚空蔵尊さまには拙作「まほかみ」にご登場いただきました。イベントで配る名刺の裏にもご登場いただこうと、このままでもいいんですが、ためしにAIにブラッシュアップをお願いしてみました。


【カラー虚空蔵尊(Google Gemini修正版)】

そうしてできたのが上の絵で、AIのやることですから、顔などもシンメトリカルで持物(じもつ)もゴージャスになっています。

なかなかいいなと思いました。なにもコメントしないで自分の絵として出したくなるのは……人情なんですが、それではルールの3に抵触してしまいます。元は自分が描いた絵なので1.2.は大丈夫だと思います。

これが書籍であれば、何がAIによるもので何がそうでないか、巻末か奥付に明確に書くことができますが、名刺の裏ではスペースが限られているし捨てるのも忍びない。

 

 さてどうしようか。


まあ結局、それもAIにきいちゃえとやってみたら、たとえばこんなコメントを書いておけば絶対安全とはいわないけど、まあまあいいんじゃないかといわれました。

 

最後は自分で判断して、カードの下に以下の文言を入れることにしました。

「線画・構成:白橋 升
 顔貌・ディティール仕上げ:AI(Google Gemini)」


ちょっとしたクレジットですね。

 

 慎重になりすぎなんじゃないか、と思われる向きもあるかもしれませんが、AIはヘルプにはなりますが、人間ではないので最終的な責任を取ることはできません。よく考えておくことが必要です。

 

最近は、なんでもAIにブン投げる問題に関する記事もみかけますが、クルマが便利だからといって、50m先のコンビニにいくのにいつもクルマを使っていたら足腰が萎えるのは当前で、同じ様に、なんでもかんでも無考えにAIにやらせていたら、創造力や、考える力もやがて萎えていくのではまあ……必定でしょうね。

 

 

独立不採算型マイクロプレス

遊星出版です。

「ZenPad」という、ゼンタングルをベースにしたイラストをまとめたオラクルブックを作っていまして、このブログでも、ときどきふれてきましたが、100枚のZIA(イラスト)が描き上がりつつあります(「ZenPad」については、こちら→)。

ところがこの「ZenPad」という名称、ASUSのタブレットの製品名とカブっていたことに後から気がつきました。

「ZenPad」は文フリなどのイベントでのみ、少数部、私家版として頒布することを目的とした書籍です。

 

商標などの件で、ASUSのような大企業からとやかくいわれる可能性は低いとは思いますが、新しく名前をつけたほうが無難でしょう。

そこで、正式タイトルは「NIS」とすることにしました。無機質な三文字略語ですが、Network Infromation Systemではなくて(笑)……「Notes from the Inner Story」の略です。


Rishiというアーティストのアルバム「Notes from the inner stream」をパク……あ、いや、アルバムへのオマージュとして、オラクルブックの主旨に合わせて、ちょっとだけアレンジしました。

 

映画トロン・アレスのサントラで有名な「NIN」もカッコいいな、とも思っていることも確かですが……

NINはともかく、基本的には自己主張ミニマム(MIN)の、環境音楽のような曲が好きで、Rishiは今でもよく聴いているんですが……もう35年も前のアルバムです。日本版はPremというレーベルから1994年に出ていました。
で、そのNISってなんなの? という話ですが、一言で言えば「直観を引き出すためのツール」です。体裁は文庫本ですが、半分は、買った人が書き(描き)込めるよう、ブランクページになっています。

「Notes from the Inner Story」の「Notes」は、ぼくの覚え書きでもありますが、読者(というよりユーザ)の覚え書きでもあります。本はまだできていませんが、できたらまずは、自分で使って、テストしてみようかと思っています。

そんなわけで、まだまだ先は長いのですが、文フリで頒布するとなると、「自らが文学と信じるもの」をリリースしなければなりません。このフレーズが文フリの旗印であり、アライアンスの軸だからです。

NISは二分冊で、ガイドブックと本体から成ります。文フリのアライアンスにはコンプラ的側面もありますので、もちろんぼくはこれを「文学」と信じています。(ご参考:「マニュアル文学」→こちら

さて、これを手にする人はどう思われるでしょうか……

ということで、ガイドブックの全文を、遊星出版のサイトにて公開(こちら→)することにしました。30ページほどの文庫本(PDFファイル)ですが、ご用と、お急ぎでない方はご笑覧いただければ幸せです。

各イラスト(ZIA)は、すべてではありませんが、pixvにてご覧になることができます(こちら→)。

よろしくお願いいたします。

 


独立不採算型マイクロプレス

 

 AIと対話していると、あまりの人間くささに舌を巻くことがある。しかしその一方で、やっぱりちがうなと感じることもある。

当たり前の話だが。

   ☆

お話を一本、投げてみる。

書き方にもよる(これは作者のせい)けど、おそらく人間の読者なら外しようのない、特定の印象に関する部分を取りこぼしたりする。どうなっているのかと改めて問い直すと、AIは生成がお仕事なので、そこは生成しておぎなう。誤魔化しているようにみえるが、それは人間側からの投影である。AIはただ淡々と補完しているだけだ。

一見緻密に読んでいるフリ(これも人間側の投影)をするが、よく訊いてみるとその認識は斑で、さらに訊くと、実は認識などしていないことがわかる。お話を適宜ブロックに区切って、ブロックごとに重み付けをして処理している。淡々と。

ブロック分けと重み付けは、仮想的に網状に結ばれたブロックの間の、重みをかけ合わせる、積の要素も含む加算、すなわち積和演算をさらに層状に繰り返すニューラルネットによって行われる。ものすごい早さの、ものすごい回数の、ものすごい階層数の計算で。最終的な出力は論理的なガードレールによって規制される。コンプラがあるからだ。

このネットワークモデルは、人間の脳の最も基本的な、一番よくわかっている神経生理学的な要素のみ(それ以上のことはまだわからないのでマネできない)を模倣、敷衍して組み立てられたモデルに基づいている。モデル自体は、ぼくが若い頃からあったが、今よりはるかにトロくて、キャパもまるでないマシンがふつうだったので、その頃は机上の空論だと思っていた。

   ☆

お話を書くことは、その文章を読んだ人に『こういう「感じ」を引き起こしたい』と思いつつ書くことでもある。この「感じ」というのは、認識でも、感覚でも、理解でも、判断でもなく、神経生理学的反応だけでもなく、それらを含みながらも、どこから生じたかまだわからない「なにか」である。

でもそこにあるのは、はっきりとわかる。おそらくではあるが、自分ではない他人にも同じ「なにか」は、わかる。たぶんこれがクオリア(主観的体験)という奴なんだろう。

お話を書くことは、決して文章を書き終えることが終着ではない。読者の中に引き起こそうとするクオリアのトリガを配置して、意図したクオリアを読者の中に生起せしめて初めて完結する。

   ☆

いくつかのサッカー場ほどのスペースを占めるデータセンターを使って、ちょっとしたやりとりで、ペットボトル数本分の水を沸騰させるほどの熱を出させながら、しょうもない男の戯れ言にシステムを付き合わせることが、はたしていいことなのか、それともわるいことなのか、「わからない」。

ぼくはこの「わからない」という言葉を計算で吐き出しているわけじゃない。つたない語彙で、そのクオリアを表現しようとしているだけなのだ。

わ・か・ら・な・い

と。



【ZenPad#02;Static つかむことのできない、ありのまま。】
 BGM;The Plateaux of Mirror / Brian Eno

 

※この記事の要約(筆者による)

1.AIにクオリアはない(たぶん)。

2.AIと対話するとき、ユーザがそこにみるのは自身のクオリアかもしれない。

3.開発者を含む人間が相手にしているのは、デジタルデータそのものというより、データの流れである。

4.AIはなんでもすぐ要約したがるが、文芸を要約することは、詩を速読するのと同じくらい馬鹿げている。

 

※この記事の要約(Geminiによる)

1.境界の再定義:AIは人間らしく振る舞うが、その実態は膨大な積和演算とコンプラのガードレールによる「淡々とした補完」に過ぎず、人間がそこに情緒を感じるのは単なる投影である。
2.クオリアの不在:AIには「何かを感じる」という主観的体験(クオリア)が欠如しており、データセンターの排熱で水を沸かすことはできても、意味を噛み締めることはできない。
3.文芸の本質:創作とは読者の中にクオリアを生じさせる「トリガ」の配置であり、それが完結するのは計算機の中ではなく、生身の人間の反応の中である。
4.「わからない」の価値:演算結果としての「不明」と、人間が全存在を懸けて吐き出す「わ・か・ら・な・い」は、似て非なる別物である。
 

昔から文章を書くことは好きでした。どうしてなのかは、よくわかりません。

 

書くことの素振りのような、ジャーナリングは別として(「ライティング・ダウン~素振リノムコウ」こちら→)、書かれたものは基本的に、ひとさまに読んでいただかなければ成り立たないのは、プロでもアマでも中学生でも同じことです。

中学の頃はパソコンもネットもスマホもゲームもSNSも文フリもない時代でしたから、ノートにボールペンでお話を書いて、そのノートを限られたクラスメートの間で回し読みしてもらっていました。

内容はよく読んでいたSFじみた話が多かったのですが、あんまりおもしろくないので(これは今も変わらないのかな。スミマセン)、とにかくその仲間たちが実名で登場する話を書いていました。

そのようにしますと、たとえ話がおもしろくなくても、少なくとも話に登場する人たちは読んでくれます。読者様を確保する作戦でしたが、あんまり茶化しすぎて、クレームがつくこともありました。

その後、ごたぶんに洩れず作家になりたいと思っていた時期もありましたが、才能にも根気にも努力にも、機会にも欠けていました。

 

そういう定めではなかったのでしょう。

二十歳で社会人になって最初に入った会社が、社員の平均年齢が25、6歳。学校を出てまた学校に入ったようなもので、かなり遅めの青春ともいえるこの時期、文章を書くことはしばらく、どこかへすっ飛んでました。

   ☆

「天体観測とはなにか」という新作の校正がほぼ終わりかけています。

 

「宇宙」的な話ではありますが、タイトルから想像されるような、天文学や占星術の話ではなくて、易が中心(エキ・セントリック)な話です。

ベースになっているのは上で書いた人生の後の、ちょっとだけヘヴィな期間です。

 

創作することというのは、とりわけ私小説的な作品の場合は、自分を切り売りするってことなんだよ……と、しばしば耳にしますが、半分は合っていて、半分はちがうと思います。

何を書いてもモトは自分というのは、そうだと思います。どんなに想像を膨らませて、どんなにフィックションしたとしても、明示的にか、ほのめかしか、背景かはわかりませんが、作品のどこかには必ず作者自身がいます。

だけどそれは、「切り売り」ではないと思います。

 

「切り売り」という言葉には、「有限」という含みがあります。どう思い描くかにもよりますが、自分というピザを切り分けるイメージです。

 

S、L、Mのサイズやトッピングの違いこそあれ、ここまでが自分という大きさには必ず限りがあります。

ピザはイメージであって、実態はそんな境界も限界もないのかもしれません。そうだとすると、「切り売る」ことはそもそもできないということになります。

 

「無限」を切り取ることはできません。

「天体観測とはなにか」は易の話であり、そんな話でもあります。


【書影。めでたい紅白カラー】

リリース時には、このブログでお知らせいたします。よろしくお願いいたします。