「六本木クロッシング2025展」に行ってきました。予備知識はおろか、作家さんのお名前も、何にも知りません。
現代美術を見に行くのも久しぶりですし、イベント出店の時以外は、住んでいる町から出ることはまずありません。
きっかけはネットで開催期間中であることを知ったことと、じっとしてるのもよくないかな、と。
現代美術の展示会だと、写真もOKだったりするので(作品によってはダメなものもあります)、安物のコンデジも持って行きました。
作家さんには失礼な表現になるのかもしれませんが、たくさんオモチャが並んでいるようなワクワク感があります。
展示されている文章は読まないし、図録も買わないので、クレジット的説明はできませんが、あしからず【コメントは個人の感想です】。
【瞑想する手。ヘタに印を組んでいないとこがいい。よ~く見ると小指を立てて写真を撮ってる変な人が写り込んでます。はずかしいなあ】
場所は六本木の森美術館ですが、かつて通っていた会社は、銀座の方が近かったので、あまりなじみのないところです。
【これ、作品です。段ボールのような紙とペインティングでできています。ぼくが覚えている六本木のイメージはこっち】
六本木とか麻布近辺といえば、万華鏡屋さんに行ったことがあるくらいで、高速道路の下のごちゃごちゃしたところ、といったイメージしかなかったのですが、アークヒルズ方面は地下鉄から直結で、いかにもトーキョーって感じのシャレオツな空間になってました。
【これも。ぼくのコンデジで撮るといかにも昭和】
テーマは「時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」。
それってつまり、理性と魂のことだろうな、と勝手に解釈。
なんでも切り刻んでそこに嵩(カサ)としての時間を観るのは理性の方です。
永遠というのはそこに時間がないことで、魂に時間はありません。
「わたしたちは永遠(魂)」らしいので、できるだけ考えない(理性を動かさない)ようにしようとするのですが、どうしても考えてしまいます。作品を鑑賞する時ですら、魂より理性が勝つわけです。
特にこういう作品は、理性はそこに、笑う警官やサイレンの音を見たり、聴きとろうとします。
なんか仕掛けがあって、近くにいくと見えたり聴けたりするのかな、あれ、なんにもみえない、きこえないぞ、なんじゃこりゃ!(じつはそんなこと、どうだっていい)と、ついには理性はハラを立て始めます。もうちょっと静かに観られないものでしょうか。

その昔通っていた小学校では、ぼくが高学年に上がる頃、ちょうど木造校舎から鉄筋校舎へと移行する時期でした。
おそらくは、きれいな教室に先に入れて卒業させようという先生方の思いだったのでしょう、一足先にピカピカの鉄筋校舎へ移った教室の窓からはいつも、低学年の教室が残る、木造校舎の屋根瓦が隣に見えていて、窓際の席だったので、よく晴れた日には、てきめんに眠くなりました。
そんなときは、屋根瓦にモザイク状の文字が見えるような気がしました。なにが書かれていたかは、思い出せません。
その昔、テレビで、屋根瓦の上に座ったふたりが、星空を見上げながら語り合う(男の方がギターを弾く)光景を見たような気がしますが、今や周囲には、瓦屋根も星空もありません。
作品の屋根瓦の空には天空の詩(うた)が書かれていました。
現役時代には、決して味わうことのできなかった、平日午前中の甘美なひと時でした。











