昔話するなんて | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

松本隆さんによれば、昔話をするのは気の弱い証拠だそうですが(*)、気が弱いのは今に始まったことではないので、昔話をします。

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昭和のオカルト・ブームには一次と二次があるそうです。
ぼくはといえば、一次の頃は小学生~中学生で、二次の頃は「中年の危機」の最中で、オウム事件の頃は結婚したばかりでした。

一次ブームの中学のころ、初めてタロット・カードというもの知りました。

きっかけはその頃、二見書房から出ていた「タロット占いの秘密」という本でした。

余談ですが、易を知ったのは、やはり二見書房から出ていた「筮竹占いの秘密」という本です。「秘密」シリーズでは最近、「狐狗狸さんの秘密」が復刻されました(カバー裏に文字盤があります。巻末には文字盤(PDF)へのリンク(QRコード)も。昔は折り込み別紙でした)。当時の雰囲気を知りたい方は一読されるのも一興かと思います。

話を戻しますと、成績も並で運動神経も鈍いのび太くんのような田舎の中学生は、「タロット占いの秘密」を読んで(ていうか、使って)、自分でもそんな占いカードを作ってみたくなりました。

母親は空き箱を大量にため込んでいましたが、勝手に使うと怒られるので、頼んで分けてもらった牛乳石鹸の空き箱を切り抜いて、花札くらいの大きさの「カード」を作りました。枚数は忘れましたが、その貴重な一箱から作れる分だけだったと思います。

そのカードの、ちょうど箱の裏側だったグレーのボール紙そのままの面に、ボールペンで稚拙な絵を描きました。キーワードや絵は思いつきのオリジナルだったと思います。何を描いたかはもう覚えていません。お金も技術もない田舎の少年のやることですから、今思い出しても、涙が出るくらいショボイものです。

しばらくその(とても「デッキ」とはいえない)カードの束を持ち歩いていました。

しかし、友だちに馬鹿にされたせいもありますが(発見即糾弾。子供は容赦しません。別に悪いことはしてませんでしたが)、すぐ飽きて放り出してしまいました。その後、その「オリジナル・デッキ」がどうなったかは覚えていません。

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ここのところずっとZenPadというオラクル・ブックを作っています。

(ZenPadについては、こちら→

こうしてフト、昔のことを思い出しますと、なんだか結局、その頃と同じことをやっているような気もします。

歳を取りましたので、少年の頃よりは、多少は知識も経験も増えたでしょう。個人でできる製本や印刷の技術は、当時からは夢想だにできないほど高度に発展しています。

ただ、絵を描くことにはずっとコンプレックスがあって、これは少年の頃からあんまり変わっていないような気もします。現在は、基本的に周囲は大人ばかりですから、作品をあからさまにけなすのは、かみさんくらいなものです。

絵を描くことなどは、学校以外でマトモに習ったことはありませんし、人物などはとても描けません。昨今はAIがやってくれたりもしますが、それでは「自分が描いた」とはいえないでしょう。

このコンプレックスのせいで、一定のやり方を踏めば絵心がなくても描けるゼンタングルに走ったようなところもあるのですが、具体物が描けないから、いきおい抽象画のようになって……オラクル・ブックの絵としては、まあ、かえっていいような気もします。

(ゼンタングルについては、こちら→

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ZenPadは00~99までのメッセージと、ゼンタングル(ZIA)で構成されたオラクル・ブックですが、現在のところ、なんとか87番まで漕ぎ着けました。



【#87 Drupe:楽しむことこそ、最大の成果である】

わりと苦労せず描けたのは半分くらいまでの話で、そこからは、ぐうっとペースが落ちています。一枚描く時間は、CD一枚分~長くて3時間ぐらいですが、いつアイディアが出てくるかわかりません。

アイディアが出ても、描いてみようというレベルまでに「内圧」が高まらないと、描き出せません。なので、単純計算で完成の時期を見積もることもできないわけです。

 

もちろん完成したら、またここで告知させていただきます。

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なんとかかんとか一枚描き終わると、いつもあの、切り刻まれた牛乳石鹸の箱が脳裏を横切ります。

♪ 牛乳石鹸 良い石鹸

モ~

(*)大滝詠一「雨のウエンズデイ」(作詞:松本隆)

 

青春は、こまわり君とエコエコアザラクで終わった白橋升