成瀬シリーズはほんとうにおもしろいのか。 | ぼくは占い師じゃない

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易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press


「読んではいけない(こちら→)」でも書いたが、原則、他人(ひと)様の作品にはあまりふれないようにしている。

かみさんが読みたいというので、話題の「成瀬は天下を取りにいく」と「成瀬は信じた道をいく」と、「成瀬は都を駆け抜ける」を買ってきたら、あっという間に読んだというので、話だけ聞かせてもらった。


話を聞いて、ぼくも成瀬のように生きたかったなあ、と思ったけれど、成瀬はきっと、成瀬のように生きたいと思って成瀬しているわけではなさそうなので、そう思っているうちはダメなのだろう。

 

ぼくのような凡人は、200歳まで生きようと思う前に、セーセキをなんとかするためにドリョクをしなきゃと思ってしまう。いいガッコーに進学して、いいカイシャに入るためである。結果としては、あんまり実りはなかった。

 

   ☆


NHKだったと思うが「ギフテッド」という番組があった。努力しなくても、最初からできる人達のことだ。話を聞く限り、成瀬もそういう人のひとりなのではないかと思った。


「えらい兄貴になりたくて奮闘努力((c)寅さん)」している身からすればうらやましい限りだが、こういう人たちの最大の悩みは、努力してできるようになるということ自体、理解できないこと……なんだそうである。

 

   ☆


昔、「達人のサイエンス」をという本を読んだ。


特定のスキルを身につけるために練習を始める。

いわゆる努力だ。そうすると、少しできるようになる。

そのあと、スキルアップはしばらく頭打ちになる。

 

続けていると、またちょっとできるようになる。

そしてまたスキルアップは頭打ちになる。

「達人のサイエンス」では、頭打ちの期間を「プラトー(平原)」と呼んでいたと思うが、これがどのくらいの長さになるかは身につけようとしているスキルの種類による。

基本的にはプラトーと漸進するスキルレベルの繰り返しなのだが、達人と凡人のちがいは、このプラトーの期間をどう過ごすかによる。簡単にいえば、プラトーの長さに耐えきれずに、途中で投げ出してしまうのが凡人で、継続できた人が達人になる。

プラトーの後のスキルアップは、難しいスキルであればあるほど微々たるものだが、結局は、その微々たるスキルアップの集積が達人と凡人とのちがいを生むというわけだ。

【ZenPad#35 Ⅸ(Nine) 次の段階へと進むサイン】

 

それをもってして全人的評価とされてしまっては、こちらとしては甚だ迷惑だが、ガッコーのセーセキも特定のスキルの評価である。

 

凡人は続けるしかなさそうだ。

「継続は力なり」。

むか~しっからいわれているけど、本当だったんだ……と、いまさらながら思う。

 

だからぼくは凡人なのだろう。

 

そっか……だからぼくの書いた話はおもしろくないんだな。

出てくるのは、なにもしないでブラブラしてるか、なにかというとすぐ旅に出たくなったり、すぐ死にたくなったりする人たちばっかりだ。

 

ついでにいうなら、フントー努力をしなくてもできてしまうことが、果たして幸せなことなのかどうかも……よくわからない。

 

凡人なので。