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中学3年生、息子(発達障害グレーゾーン)自由登校
小学6年生、娘(小学1年生から不登校)HSC
のシングルマザー50歳、生活保護を受けている
HSS型HSPの母です。
日々の生活、わたしの思ったことを書いていこうと思います
親目線、不登校エッセイ①~㊵まで
を書いています。お時間のある時どうぞご覧になってみてください。
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6月8日
わたしは覚悟の電話を母にかけました。
究極の選択を提示しました。
「ほののことを愛していると言ってください」「一言一句まごうことなく言ってください。」
お願いしました。これを言えないのなら、
この連日救急車の鳴り響くこの世界で明日会えるかもわからないこの世界で肉体があり
ふれあうことのできる世界でできることならば聞きたい。。。
そう思いました。
しかし言いませんでした。言い訳を始めたその時わたしは電話を切りました。
母は怒って怒鳴り散らしていました。わたしは感情を忘れたロボットのように同じことを言いました。
「お父さん、お母さん大好きだよ。愛している」
責められたと感じるでしょう。育て方が間違ったとも感じるでしょう。母が苦しく辛い思いをするのはわかっていました。
しかし我が子からの強い衝撃を加えないと本質は見えないことをわたしは知っていました。
なぜなら、母と父は自分のことを愛していないから・・・
できる我が子、理想の我が子、良い子の我が子から外れてしまって距離を置くこと、本質から目を逸らし上部だけの楽しいことで過ごしてきたしこれからもそうしていく様が
私が切った電話の後ですぐバイブ音が振動で伝えてくれました。
「こんな話ではなく楽しい話をしようよ」
わたしは狂気を感じました。しかし感情を引っ込めて「さっきのお願いの言葉を言わなければ電話を切ると言いました。すると怒り出しました。
わたしは電話を切りました。
こうして母はわたしを自分自身をコントロールし続けてきたのです。
言うことを聞く良い子のわたしを見て母は気分が良かったでしょう。メリットの方が多かったことでしょう。
しかし50になりコントロールのきかなくなった我が子に対峙しどうなるのか・・・
もしかしたら・・・最悪の出来事も頭を掠めます。
どうしたらいいのかも私は知っていますが、私が言うとさらにヒートアップする様が手に取るようにわかります。
だからここ一年で母や父に渡してきたヒントを組み立てて純白無垢なパズルのピースを一つ一つはめていってほしい、できるだけ早く
もしかしたら間に合わないかもしれない・・・
わたしは肉体を持った両親から「愛している」と言われないかもしれない・・・
心の奥底から、クリアスライムの液体が染み出すような寂しさが頬をつたっています。
言わなくてもわかっているでしょ?そんなの当たり前でしょ家族なのだから
と言っていました。
言葉にしないとわからない
そう何度も伝えました。
わたしたち人科のホモ・サピエンスは複雑な感情があります。
そして多彩な言葉があります。多種な表情や態度によって相手の気持ちを汲み取ったり、隠したり予測したりします。
しかし自分自身への愛や幸福を感じることができなければ、他に愛を感じたりましてや他に分け与えるなどできないのではないかと思っています。
愛が枯渇している時に愛を分けようとするとテクニックに走ることになり簡単に見破られてしまいます。
特に自分の体から出てきた子どもには特に見透かされていますよ。
そして「違う!」と全身全霊を込めて教えてくれているのも子どもという存在です。
きっとこの真の愛に気が付くことなく最期を迎える人もいるのではないでしょうか。
わたしたちが生きる意味を問うならばわたしは
「愛の枯渇を溢れさせるため」なのではないかと思います。
精神的欲求の所属と愛の欲求で彷徨っている人が多く存在し、羨望、妬み、恨み、人と比べることで停止していませんか?
子どもの頃はあっても良いものです。向上心ややる気「もっと良くなりたい!』モチベーションにつながりますから。近くにいる大人はそれを見守り応援することが良いのだなと感じています。
心や体、食べ物なんでもそうですがやりすぎると毒になりますね。
適度や心地よいを目安に暮らしていきたいものです。
って過集中の私に言われたくないですね
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