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中学2年生、息子(発達障害グレーゾーン)自由登校

小学5年生、娘(小学1年生から不登校)HSC

 

のシングルマザー50歳、生活保護を受けている

HSS型HSPの母です。

 

日々の生活、わたしの思ったことを書いていこうと思います

 

親目線、不登校エッセイ①~㊵まで

 

を書いています。お時間のある時どうぞご覧になってみてください。

 

初めての方はこちら⬇

 

 

前回記事⬇

 

  

 

 

  

 

 

 

お前の行動も考えも認めない!

関わり合いたくない!

 

今朝、両親に伝えられました。

 

去年から確執をとかしていけるよう努力はしていましたが、もう限界かもしれません。

 

わたしを産み育ててくれた愛する両親から、そう宣告されたわたしは

 

存在を否定されたと感じました。

 

これは同時に両親も自身の存在を否定しているのです。

 

人に発した言葉は自分が一番よく聞いていますから。

 

両家で代々「存在否定」が続いてきたのです。

 

わたしの代で終わりにします。

 

こんな悲しい現実は終わりです。

 

「日本人の存在否定」は明治維新から燻り始め戦後から一気に燃え盛ったのではないかと思います。

 

電話越しに聞こえる両親の声は、何も見たくない、何も聞きたくない、何も感じたくない

そう聴こえました。

 

つい先日父が大腸検診に行ったとき腸が閉じていたので水を流してもらったが苦しかったと話していました。

 

腸は、第二の脳と言われています。わたしは腸は「気持ち」や「感情」を司っているのではないかと思っています。

 

それが閉じていた・・・コロワクチゃンとの関連性を疑わずにはいられません。

 

「わたしがやりたいからやっていたこと」には変わりないのですが、それは戦国時代の鎧のように強固で頑丈で隙間からの刃を通さないのだと思っています。

 

しかしわたしは望みを捨てたわけではありません。

ふと向こうから手のひら返しできても拒否してやろうという考えが浮かびましたが、すぐに消え去り、わたしが成功した先の未来を感じています。

 

皆が隣に寄り添いはんなり笑顔で和を保つ様です。

 

きっとうまくいく。そう信じています。

 

 

ダウン④「お母さんとの確執をとかしていく」

 

 電話で話しました。

 

寂しい

構ってよ

わたしはあなたに必要ないって言うの!

家族なんだからなんでも言って欲しい

失敗が怖い

失敗したら死だ

言葉の端々からこんな風に感じ取れました。

 

わたしは、見張っている人がいるのか児相に通報されてしまうので引越しするのですが、

 

以前の電話で

なんの相談もなしに決めた。

わたしたちは手伝いたくないと思っている。

なんで話してくれないの?

と以前の電話で言われました。

 

「嫌だったら手伝わなくても良いよ」

嫌なことしなくても大丈夫だよ

と伝えました。

 

聞かれなかったから言わなかった。

困った時は相談している。

 

息をしているお父さんとお母さんがいるだけで幸せで感謝している。

 

と伝えました。

 

 

なんでも相談してほしい・・・そう願う母ですが、わたしは相談して傷つくのが怖いっていう感情が先立って話さない。言うとおりにしておけば波風立たないを選択していました。

 

でも今回は違う選択をしました。

 

母は手伝わないと言うことでわたしに泣きついてきてほしい

やっぱりお母さんがいないとダメなわたしを望んでいたのだと思います。

わたしに取って役に立つ自分でいたい

と感じていたのだと思います。

 

 

これは母は息を吸って吐くように今までしてきたことなので、良いこととして捉えていると思います。

わたしが産まれてからずっとですね。

 

生活保護を勧めてきたのも母でした。悩んでいるわたしをどうにかしようとしていたのだと思います。

そのさきに見える「死」の恐怖からの行動です。

 

今でも母は、わたしが生活保護を勧めた。だからあんたとその子供はは生きてる。わたしのおかげだけど生活保護を早く抜けてほしい、みっともなくて嫌だから仕事して早く自立してほしい、資格あるんだからと言われました。

 

 

もっと考えて良い選択をしたいわたしに、

いつまで考えているの?一人になったあんたに女に何ができるの?子供を育てていかなきゃなんないのよ!早く決断しなさい!と

選択を迫ってきました。

 

わたしの言うことは正しい、間違っていない、言うこと聞きなさい、失敗させたくない、死んでほしくない

 

お願いのオンパレードです。

 

すごく恩着せがましいです。

 

なんと上から目線でしょうか。

わたしの立場で話が進んでいないのがわかりますか?

わたしの問題を母が解決しようとしています。

 

わたしはどう見ても尊重されていません。一人の人間として認めていないことにさえ氣づかないほどなんです。

 

これは母が今まで聞いたり、経験してきたことなんです。

 

母の思うことなんです。

 

わたしは経験する前なのでわかりません。不安です。

これを不登校のお子さんに例えると、中学や高校、大学、就職を経験していないので不安でたまらない状況と同じです。

 

わたしはわかっていないからダメなんだ・・・と考えるのをやめました。

 

人は誰かの役に立つことを幸せに感じます。

 

わたしが作った料理を美味しそうに笑顔で食べてくれた。

わたしが干したばかりの布団で気持ちよさそうに眠る我が子

わたしが決めてきたからあなたは幸せに笑ってられる。

 

最大のメリットは母が幸せにいられていると言うことです。

 

子供は母、父の笑顔が大好きでそのためなら無理な願いも叶えようとします。

 

母、父のために無理をする子ども、機嫌を取る子ども、機嫌を伺うこどもの出来上がりです。

 

過保護、過干渉とは日常に潜む、心配という愛情

そして自身の幸せのために子どもが犠牲になっている。

 

これを認めないと前に進めないのです。

 

時に、誰かの役に立っている自分というのは、家族間で起こりやすく、歪みが起こっている家庭に多く見られるのではないかと考えます。

 

「誰のために飯が食えると思っているんだ!」

「お前に何ができる」

 

「わたしがいないと何やらしてもダメなんだから」

「いつもわたしを困らせるんだから」

これは役に立っている自分をアピールしているから出る言葉です。頭の中で思っていても一緒です。

 

常に自分に矢印を向ける。「わたしは一体どうしたいの?」そう問いかけることが、向き合うことであり

こんなこと言いたくないのに言ってしまう自分を変えることができるのです。

 

母で言えば、「引っ越しのことを少しも相談しないなんて・・・前はしてくれていたのに、なぜ?役に立っていなくて悲しい。わたしは役に立たない人間ではない。もう一度戻ってほしい。手伝わないって言ったら戻ってくる相談してくれる」こう自動的に思っているんですね。

 

矢印が自分ではなくわたしです。

 

わたしの役に立つことで存在確認しているんです。

 

存在確認、愛を確かめるために子どもたちはなんでもします。大人になったあなたなら自分の存在確認をできるようになりました。

きっと大丈夫。あなたもわたしもできます。

 

 

わたしの身を切って伝えた生きている言葉が必要な人に届きますように。

 

 

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