死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
講談社文庫 村上春樹『ノルウェイの森』上巻48ページ

『ノルウェイの森』は大ベストセラー作品である。その売れ
行きぶりに村上ファンであった私は、大いに驚き困惑した。
それがそれ以前の村上春樹の熱心な読者の共通の感想だった
ろうと思う。

なぜこんなに売れるのか?
私にはさっぱり理解できなかった。みんなこんな作品が世に
出ることを求めていたのだろう。そういって自分を納得させ
ることしかできなかった。私にとって、この作品は特別な作
品ではない。村上作品の中では避けて通ることのできない重
要な作品である。が、である。

この作品は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーラ
ンド』のあと、1987年に出版された。この次の長編は『ダン
ス・ダンス・ダンス』である。

ナイーブな人間の内面を描いた作品であり、心理学的な要素
も織り込まれている点では村上春樹的な作品であるが、どち
らかと言えば夏目漱石の『三四郎』や『こころ』に近い作品
ではないかと思っている。話の展開だけを追っていけば、そ
れは比較的理解しやすい方の部類に属するが、実はとても難
解であると思う。漱石の難解さに近いと思う。

「駄目だよ」彼は実にあっさりと言った。「ひとつだけ抜か
すってわけにはいかないんだよ。十年も毎日毎日やってるか
らさ、やり始めると、む、無意識に全部やっちゃうんだ。ひ
とつ抜かすとさ、み、み、みんな出来なくなっちゃう」
(34ページ)


ユニークなルームメイト「突撃隊」のこの言葉は、この作品
の最初の「謎かけ」だと理解している。一見コミカルな突撃
隊君の言葉は心と体の微妙なバランスについて言及している。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
(48ページ:この一文だけ太字になっている)


生はこちら側にあり、死は向こう側にある。僕はこちら側に
いて、向こう側にはいない。
しかしキズキの死んだ夜を境にして、僕にはもうそんな風に
単純に死を(そして生を)捉えることはできなくなってしま
った。死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在
の中に本来的にすでに含まれているのだし、その事実はどれ
だけ努力しても忘れ去ることができるものではないのだ。あ
の十七歳の五月の夜にキズキを捉えた死は、そのとき同時に
僕を捉えてもいたのだからだ。
(49ページ)


この死に対する考え方は、以後の村上作品に共通するもので
ある。死は生に内包された概念であり、事象である。この観
念的な死の概念は、科学的にも正しいと納得している。癌は
人間の生の力を利用して(というか共存関係を作って)は肥
大化して、転移し、人を死に至らしめる。

死を取り除くことができたなら(そんなことが出来るとも思
えないが)生もまた取り除くことになる。生の全てではなく、
その極めて重要な部分を人間は失うことになる。その先に待
っている人生とは、たとえば、太宰治の『人間失格』の主人
公・大庭葉蔵の最後の姿であろう。

「都合の良い部分だけ取り除くとすべてが駄目になる」とい
う突撃隊君の言葉は、物語の進行とともに、説得力を増して
いく。

あなたのためにシチューを作りたいのに
私には鍋がない。
あなたのためにマフラーを編みたいのに
私には毛糸がない。
あなたのために詩を書きたいのに
私にはペンがない。

「『何もない』っていう唄なの」と緑は言った。
(140ページ)


緑の自作自演の曲も象徴的な理解が出来る。心が動いている
のにものが欠乏している。そう見える。しかしそうだろうか。
鍋がなければ鍋を必要としないものを作ればいいのだ。これ
は「言い訳」ソングのように聞こえるし、「そもそも何もす
る気もない」という歌にも聞こえる。欠乏しているのは鍋で
はなく「あなた」の方かもしれない。

レイコさんは目の端のしわを深めてしばらく僕の顔を眺めた。
「あなたって何かこう不思議なしゃべり方をするわねえ」と
彼女は言った。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似をしてる
わけじゃないわよね」
「まさか」と僕は言って笑った。
レイコさんも煙草をくわえたまま笑った。「でもあなたは素
直な人よね。私、それ見てればわかるわ。私もここに七年に
ていろんな人が行ったり来たりするのを見てたからわかるの
よ。うまく心を開ける人と開けない人の違いがね。あなたは
開ける人よ。正確に言えば、開こうと思えば開ける人よね」
「開くとどうなるんですか?」
レイコさんは煙草をくわえたまま楽しそうにテーブルの上で
手をあわせた。「回復するのよ」と彼女は言った。
(184~185ページ)


レイコさんは療養施設での直子とのルームメイトで38歳の患
者兼スタッフである。「心は開けない限り回復はない」そう
言っている。直子も心を開くことが出来ない、自分の殻を固
く閉ざして開こうとしない。それがレイコさんの言葉でわか
る。直子のかつての恋人、キズキが自殺したとき、彼女はこ
ころのある部分を失ってしまったのだ。「僕」はその心が開
かれれば直子は回復することが出来ると思う。それが出来る
のは、可能性としてあるとするならば、キズキと親友で、彼
女とキズキの仲介役が出来る自分しかいないことを悟る。

「この曲聴くと私ときどきすごく哀しくなることがあるの。
どうしてだかはわからないけど、自分が深い森の中で迷って
いるような気になるの」と直子は言った。
(200ページ)


この曲とはビートルズの「ノルウェイの森」である。この曲
の原タイトルは“Norwegian Wood (This Bird Has Flown)”
であり、本来の意味は森ではなく「ノルウェイ産木材家具」
という意味である。作曲者はジョン・レノンで彼の実体験を
歌ったナンパ(逆ナンパ)ソングである。ジョージ・ハリス
ンが中古楽器屋で見つけてきたインド楽器・シタールを最初
に使用した曲で、後のサイケデリック・サウンドへの傾倒の
きっかけとなったと言われている。

「私たち二人は離れることはできない関係だったのよ。だか
らもしキズキ君が生きていたら、私たちはたぶん一緒にいて、
愛しあっていて、そして少しずつ不孝になっていったと思うわ」
「どうして?」
直子は指で何度か髪をすいた。もう髪どめを外していたので、
下を向くと髪が落ちて彼女の顔を隠した。
「たぶん私たち、世の中に借りを返さなくちゃならなかった
からよ」と直子は顔を上げて言った。「成長の辛さのような
ものをね。私たちは支払うべきときに対価を支払わなかった
から、そのつけが今まわってきているのよ。私たちは無人島
で育った裸の子供たちのようなものだったのよ。
(236ページ)


『ライ麦畑で捕まえて』のホールデンのように、無垢で生き
ていくのは罪なのか? 「イノセント」とは人を馬鹿にする
ためにある言葉なのか? そのような人間はこの世の中では
うまく生きていくことができないのか?

大庭葉蔵、ホールデン、直子、K、鼠・・・

意図せずいろいろなものが自分の中でつながっていく。

下巻については明日記事を書く。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)/村上 春樹

¥540
Amazon.co.jp

ペタしてね

読者登録してね

アメンバー募集中