花やっこ
  • 16Nov
    • 山茶花

      山茶花を   雀のこぼす 日和かな      正岡子規  山茶花の   花や葉の上に 散り映えり   高浜虚子 

  • 15Nov
    • 「君たちはどう生きるか」 その4  おわり

      「君たちはどう生きるか」 その4  おじさんのノートから まとめ  “僕たち人間は、自分で自分を決定する力を持っている。だから誤りを犯すこともある。しかし、僕たち人間は、自分で自分を決定する力を持っている。だから、誤りから立ち直ることもできるのだ” ☆ 人間の人生は「過ち」と「悩み」に満ちていると言っても過言ではありません。 しかし、そもそも「過ち」とは一体なになのでしょうか。 そして、そもそも「悩み」とは一体なになのでしょうか。 コペル君は、友達が上級生に殴られるのを黙ってみているだけで、助けることができませんでした。 コペル君は、自分のしたことを「過ち」として悔やみ、苦しみました。 しかし、コペル君がその事を「過ち」であると認識し、苦しみ、悩んだことは、 裏を返せば、コペル君という人間にとっての「真実」や「正しさ」というものが、一体どこにあるのか、ということを結果的に指し示しています。「過ち」を後悔する気持ち、悲しい事、つらいこと、苦しいことに出会うという事は、 裏を返せば、人間とはどういうものであるか、という事を結果的に指し示してくれます。「過ち」を後悔し苦しむ事、悩みを抱え苦しむ事、 そのような事は誰であっても人生を通じて避けることの出来ない事です。 しかし、それらは、人間だからこそ感じ取る事ができる感情です。 その事実は、裏を返せば、そうした感情にこそ、その人の人間らしさという「真実」が隠れているわけであり、苦しみに埋没するのではなく、 その苦しみをもとに、自分にとっての「真実」とは何かを感じ取ろうとする能力。   これは人間だけに与えられた高い知性です。 素晴らしい特権であります。 我悩む ゆえに我あり。

  • 14Nov
    • 君たちはどう生きるか/その3/ナポレオンとベートーベン

      君たちはどう生きるか/その3/ナポレオンとベートーベン 第5章「ナポレオンと四人の少年」で、主人公・コペル君の友人・水谷君のお姉さんである「かつ子さん」がナポレオンを絶賛する。 「おじさん」は晩年のナポレオンを批判するが、皇帝に即位してからしばらくの間のナポレオンに対する高評価は改めていない。   さて、ベートーヴェンは第3交響曲「エロイカ(英雄)」を当初ナポレオンに献呈しようと考えていたが、ナポレオンの皇帝即位を聞いて激怒し、献呈の文字をスコアから消した上にその頁を破り捨てたというエピソードがある。   「皇帝即位後のナポレオンは悪」という固定観念がある。 「かつ子さん」は本書では最後まで「善玉」として描かれているし、ネット検索で調べても、ナポレオンの伝記を読んでみたくなったという反応が結構あるから、著者のナポレオンに対する意外な高評価には大きなとまどいをかんずる。 ベートーヴェン研究家の間でも意見が分かれていて、たとえば武川寛海(1914-1992, ゴダイゴのタケカワユキヒデの父)はベートーヴェンは終生ナポレオンを尊敬していたとしていたらしいが、手元にある青木やよひ(1927-2009)の『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー)では従来の定説である「ナポレオンの皇帝即位に激怒した」説を採っている。 青木は、ベートーヴェンがナポレオンへの献呈を破棄した場面は、リースとリヒノフスキー伯爵が目撃したと書き(前掲書124頁)、続いて下記のように論評している。 このエピソードが語る意味は重い。ナポレオンはベートーヴェンにとって、単なる戦略の天才でも豪胆な司令官でもなかった。身命を投げ打って革命の精神を人類にもたらすプロメテウス、それが彼のナポレオン像だった。けっして皇帝(シーザー)になってはならなかったのだ。だが、裏切られたと一時激怒したものの、この曲を、革命の大義のために勇敢に戦って死んだ多くの人々の追悼のために、そして英雄的な一時代の記念碑とするために、表題を「シンフォニア・エロイカ」(英雄的交響曲)としたに違いない。(青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー,2018)125頁)  有名な逸話によれば、ベートーヴェンは、ナポレオンがセントヘレナ島で死んだというニュースを聞いて、「私は彼の行く末を、すでに音楽で予言していた」と言ったらしい。で、これは普通、第2楽章の葬送行進曲のことだ、と考えられている。しかし、アーノンクール、ブリュッヘン、ガーディナーなどの演奏を聴けば、そうでないことは明らかだ。 第1楽章コーダで「英雄ナポレオン」は突撃の最中に射たれて落馬・戦死する(=Tpの中断)。だが、その屍を乗り越えて「フランス国民軍」は進撃するのである。「英雄の出現は歴史的事件のきっかけにはなるが、英雄だけで歴史を語ることはできない」という真理をベートーヴェンは見事に描いたのである。(ここで「戦死」を描き、それを承けての第2楽章・葬送行進曲となるわけである。「凱旋」に続く「葬送」では筋がつながらない。) ベートーヴェンは、初めナポレオンに捧げるためにこの曲を書きあげ、ナポレオン戴冠の知らせを受けてそれをやめたにしろ、改めて「ある英雄の思い出に捧げるシンフォニア・エロイカ」と標題をつけている。 ベートーベンは本当の「英雄」とは、人類の歴史の踏み台になることだと言っているのではなかろうか。  ベートーヴェンは、ナポレオンがセントヘレナ島で死んだというニュースを聞いて、「私は彼の行く末を、すでに音楽で予言していた」と言ったらしい。これは、第2楽章の葬送行進曲のことだ 「おじさん」もメッセージの形で皇帝即位後のナポレオンの批判をしている。以下引用する。(前略)ナポレオンは、封建時代につづく新しい時代のために役立ち、また、その進歩に乗じて、輝かしい成功をつぎつぎにおさめていったのだが、やがて皇帝になると共に、ようやく権力のための権力をふるうようになって来た。そして自分の権勢を際限なく強めてゆこうとして、次第に世の中の多くの人にとってありがたくない人間になっていった。(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫,1982)180頁)「権力」とは何か・・・現在の安倍政権も含めて、世界の指導者の日々を学びたい。

  • 13Nov
    • 「君たちはどう生きるか」その2

      「君たちはどう生きるか」その2人との関わりとは 今日の物語は、コペル君が自宅の粉ミルクを見て、それがどこからどんな人たちが関わることで今目の前にあるのかを考えるお話です。 牛、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人、工場で粉ミルクにする人、かんにつめる人、かんを荷造りする人、それをトラックかなんかで鉄道にはこぶ人、汽車に積みこむ人、汽車を動かす人(以下略) コペル君はいかに自分の生活や人生に多くの人々が関わっているのか極めて詳細に想像をめぐらせます。 コペル君のその発見におじさんは、それは「学者たちが「生産関係」と呼んでいるもの」と答えます。 コペル君が発見した「生産関係」。子供たちに自分の考えをめぐらせて世界とのつながりを感じてもらえること重要です。 おじさんは語ります。 その時代には、自分たちの食べたり着たりする物ができあがるのに、どういう人が骨を折ってくれたか、すっかり見通すことができた。 家族、村、街、国、さらに世界へと、歴史とともにヒトとヒトとの関わりの規模が拡大し複雑化した結果、現代では様々なモノがお金を介せば手に入りやすくなった一方、眼前にあるモノとコト(≒ヒト)との関わりが感じづらってきている。 もうこの頃になると、協同や分業も大規模となり、その関係が複雑になって、自分たちの食べる物や着る物を見たって、いったい誰と誰がこのために働いたんだか、いちいち知るわけにはいかない。 作る方だって、自分の作ったものを、誰が食べたり着たりするんだか、見当はつかない。 溢れるモノ達に囲まれてもどこか感じる寂しさや孤独感。それはひとつひとつのモノの持つストーリーが人間に伝わりづらくなっているから、そして「生産関係」の拡大や合理化と引き換えに人間同士の関わりにおいて情緒が希薄になっているからなのだと考えられます。 子供たちがもし孤独感に苛まれることがあれば、その由縁のひとつが社会構造にもあることを知ってほしい。そう考えることが、少しでも自分の未来を大切に想うための一助になれば。 宮崎駿監督がこの原作をテーマにした新作を制作中らしいです。 すごく楽しみです。戦後の日本 西洋の文明 価値観に大きな影響を受けています。 その価値観とはきわめて物質的なものであると思います。 日本の精神は、本来自然とともにはぐまれてきた、「目に見えない世界」を大事にするものです。 この輝く精神を忘れてはいけないと思います。

  • 12Nov
    • 君たちはどう生きるか 1

      君たちはどう生きるか吉野源三郎著その1この本は昭和14年の発行以来100万部を売っているベストセラーです。中学生のために書かれた本のようですが、大人が読んでも深く考えさせられる哲学書です。一部を引用しながら、紹介していきます。主人公はコペル君という中学1年男子です。父親は亡くなっていますが、叔父さんがいます。この思慮深い叔父さんとコペル君のやり取りが内容です。コペル君とは「コペルニクス」から叔父さんが考えたあだ名です。コペルニクスが天動説に疑問を持って、地動説を思いついたように、コペル君もいろいろなことに疑問を持ち、考える少年だからです。最初のテーマは「いじめ」と「正義」です。自分の感情をごまかしてはいけない  コペル君のクラスには、いつもいじめられている「浦川君」という子がいました。お弁当のおかずが毎日「油揚げ」だけだったので、浦川君はいじめっ子の「山口君」たちから、陰で「あぶらあげ」と呼ばれていました。  あるとき、そんな山口君のことを許せないと思った、コペル君と仲のいい「北見君」は、山口君につかみかかり、取っ組み合いの喧嘩になります。思わぬ事態の展開に戸惑う浦川君でしたが、意を決して北見君をからだで制止し、「山口君を許してやってほしい」と頼みます。  コペル君は、その体験について思いを巡らせます。いつも弱々しい様子だった浦川君に秘められた心の強さや美しさから、さまざまな気づきを得るのです。その話を聞いたおじさんは、コペル君にこんなメッセージを伝えます。 だから、こういうことについてまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。 いろいろな経験を積みながら、いつでも自分の本心の声を聞こうと努めなさい、ということなんだ。(中略)何が君をあんなに感動させたのか。なぜ、北見君の抗議が、あんなに君を感動させたのか。山口君をやっつけている北見君を、浦川君が一生懸命とめているのを見て、どうして君が、あんなに心を動かされたのか。小さな経験の意味を考える「油揚事件」のことを根に持った山口君は、自分の兄に、北見君に仕返しをするよう頼みます。 それを知った北見君は、上級生たちがいつか自分を殴りにくるだろうと、コペル君や浦川君に告げます。コペル君は、もし本当にそうなったら「自分が壁になる」「みんなで北見君を守ろう」と仲間と固く約束します。 しかしコペル君は、仲間を裏切ってしまいます。ある雪の日、雪合戦で遊んでいる途中で言いがかりをつけられた北見君が、山口君の兄を含む上級生たちに暴行されるという事件が起こります。 コペル君はその時、何もできず、それどころか仲間であることを隠そうとします。 コペル君は、そんな卑怯な行動をとった自分を責め、孤独を感じ、苦しみます。そして現実から目を背けようとします。「おじさんはいつもやさしくコペル君と接してきましたが、その時初めてコペル君に、『それじゃあいけない』と、強い口調で叱責します。 そして おかあさんの話がいいのです。 女学校の生徒だったお母さんは、石段を苦労して登っていくおばあさんと一緒になりましたが、荷物を持ってあげようと声をかけたいのに機を逸して、声をかけそびれたまま階段を登り切ってしまいました。この時を振り返って、お母さんはこんな話をしています。「あの石段の思い出がなかったら、お母さんは、自分の心の中のよいものやきれいなものを、今ほども生かして来ることが出来なかったでしょう。人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度と繰りかえすことはないのだということも、ーーだから、その時、その時に、自分の中のきれいな心をしっかりと生かしてゆかなければいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあとまで、気づかないでしまったかも知れないんです。」(p.246-247) 次こそ、同じことを繰り返さないようにしよう。今度こそ、自分が本当にしたい行動をとろう。そう思う出来事は、きっと幼い頃だけでなく、大人になってからもたくさん経験することです。 逃げないで、ほんとうに良いことをしたいですね・・☆ 人間にとって最も大切なことの一つが「正義」ですね。 しかしこの正義に活きるということが如何にむずかしいことか・・ 我々は日々の経験で感じること多いのです。 兵庫県の教員の「いじめ」も、他の教師が「正義」をもって行動していれば、起きなかったことでしょう。 他の一般の職場でも、見てみないふりをしている自分がいることを発見するのではないでしょうか。 また、国際政治の場面を見ていても、不条理なことが、正義に負けてしまっている場面ばかりです。 白馬の王子のような「正義のみかた」はいないのでしょうか。 トランプ大統領はどうなのでしょうか・・ たくさんのことを考え、強く正しく明るく生きなければと思います。ある人にとっての正義は 他の人にとっては正義ではない場合がありますある国にとっての正義は 他の国にとっては正義ではないことが多いのです万人 万国に 共通する正義とは「他の人の幸福を願うこと」でしょうか・・

  • 11Nov
    • 菊の香

      菊の香は昨日の夢の風はこぶ 和の誓いこそ響き清らか近所の奥さんの育てている菊です

  • 10Nov
    • 奉祝

      君が 笑えば 世界は 輝く 誰かの 幸せが 時代(とき)を 照らす――。嵐の歌 素晴らしかったです🌱新時代の平和を思わせてくれました🎈 奉祝曲は、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」や「ひよっこ」の脚本家、岡田惠和氏が作詞し、作曲は東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」を手がけた菅野よう子氏。両陛下の長女愛子さまは嵐や、特にメンバーの相葉雅紀(36)を応援しているそうなんです🌱おしのびで参加されたそうです🌱

  • 09Nov
    • ゲーテ

      ゲーテの詩からですファウストとワグネルと    ファウスト春の恵ある、物呼び醒ます目に見られて、大河にも細流にも、もう氷はなくなった。谷間には希望の幸福が緑色に燃えている。冬は老いて衰え、荒々しい山奥へ引っ込む。そして逃げながら、そこから粒立った氷の一しぶきを、青み掛かる野へ、段だらに痕の附くように蒔まいている。しかし日は、白い物が残っているのを許さないで、何物にも色彩を施そうとする。そこにもここにも製作と努力とがかいま見える。それでもこの界隈にはまだ花が咲いていない。その代りに、日は晴衣を着た人を照し出している。まあ、跡へ戻っておいで。この高みから町の方を振り返って見ようじゃないか!空洞うつろで暗い里の門から、色々な書物を持った人の群れが出て来る。今日は誰もかれも、日向ぼっこがしたいのだ。あれは皆、主の復活の日を祝っている。自分達も復活して、低い家の鬱陶しい間から出たり、手職や商売の平生の群を離れたり、頭の上を押さえている屋根や搏風の下を遁れたり、肩の摩れ合うような狭い巷こうじや礼拝堂の尊い闇から出たりして、外の明あかりを浴びているのだから、無理は無い。あれを見給え。大勢が活溌に田畑の上へ散らばって行く。川には後先になったり並んだりして、面白げに騒ぐ人を載せた舟が通っている。あの一番跡の舟なんぞは、沈みそうな程、人を沢山に乗せて出て行くところだ。あの山の半腹の遠い岨道、側道にさえ色々な衣裳の彩色が光って見える。もう村の方からどよめきが聞こえて来る。大勢の者にとってはここが真の天国なのだね。「ここでは己も人間だ!。人間らしく振舞っても好いのだ」と、老若ともに満足して叫んでいるのだね。(http://www.aozora.gr.jp/cards/001025/files/50909_49238.html905-940)画像はメトロポリタン美術館コレクションより16世紀ドイツのガラス工芸ですメトロポリタン美術館のコレクションは掲載自由です40万点 全部素晴らしいです

  • 08Nov
    • 朝焼けに祈る

      今朝の朝焼け荘厳でした思わず祈りました私の愛するすべての人がさいわいでありますように感動の朝でした

  • 07Nov
    • 秋の色

      ここ町田でも銀杏が黄金色に輝きました

  • 06Nov
    • 馬場あき子さん

      馬場あき子さん今年の文化功労賞の受賞者のお一人である馬場あき子さんの短歌は素晴らしいと思います。2句だけご紹介いたしますさくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり馬場あき子『桜花伝承』年々の巡りに出会うたびに、ああ去年見た桜は、などと歳の経るのを感じさせますね。そして今年もまた見ることができた。来年はどうだろう。 桜はしみじみと己の齢を感じさせるものですね。 馬場あき子はそんな桜を見つつ、己が身は「幾春かけて老い」ゆくのだろうと詠います。自らの心の中を流れてゆく水流の音さえ聞こえるようだというのです。 老いを詠いながら、若々しい身体から発する輝きを感じます。いみしんのあやふき会話もしなくなり老いたりや言葉は言葉だけの意味馬場あき子『あかゑあをゑ』 ここでは、老いは不思議な静かさの世界となっているのでしょうか。 なんの構えもない自然なる世界ですね。

  • 05Nov
    • 隠逸

      隠逸正岡子規「書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」の中で引用されている言葉です。隠逸とは「世俗から離れて、隠れ住む」の意味です。隠遁も同じです。「獺祭」とは、カワウソ(獺)には捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これがまるで先祖に供物を捧げて祭っているように見えたことに由来する言葉で、今ではお酒の名前で有名ですね。「獺祭書屋俳話」は正岡子規が新聞「日本」に掲載したエッセイです。■菊は別名として「隠逸花(いんいつか)」と呼ばれているようで、その意は「暗闇でも、その清らかな香りでそこに菊があることが分かる」。その名の出典ですが、中国の北宋の時代、周敦頤(しゅうとんい)という高名な思想家が著した「愛蓮説」の中に、「予謂菊花之隠逸者也」という一説があり、読み下せば「予は謂へらく、菊花はこれ、隠逸なる者なり」でしょう。意味としては「私は、菊とは俗世間から逃れた者、つまり隠逸者の花であると思う」といったところでしょうか。隠れたところいても、輝きを見せている人のことでしょうか。野に咲く小菊の如き・・■「隠逸の花」は千利休のエピソードにも現れてきます。利休の師に、大徳寺の古渓宗陳(こけいそうちん)という禅僧がいました。当時まだ千宗易(そうえき)と名乗っていた茶道の大成者が、豊臣秀吉の計らいで正親町(おおぎまち)天皇より「利休居士」の名を賜った際、師である古渓宗陳はこれを大いに慶び、「隠遁の花」を利休に例えて詠った詩をおくりました。この詩は今でもお茶会の席で、書として飾られるそうです。庚老神通老作家飢来喫飯遇茶々心空及第等閑看 風露新香隱逸花庚老は神通の作家飢え来れば飯を喫し、茶に遇うては茶心空及第して等閑に看る風露新たに香る隠逸の花「庚老(ほうろう)」とは「庚居士」として、神通力さえ持つといわれた唐の禅僧で、その境地に利休居士も達していると称えている詩です。その中で千利休を「隠逸の花」に喩えています。■その姿は清楚な菊の花ですが、香り立つ存在に人は「畏敬」の念さえも湧きあがらせたのでしょうか。 あきらかに菊を見るとき、こころ落ち着きますね。穏やかな空気を感じますね。 不思議な香りがしますね。 皆さまも菊の香をお楽しみください

  • 04Nov
    • 七五三詣り

      近所の菅原神社 七五三のお祝いの参拝の皆様が多いです。 七五三には深い意味があるのですね。 平安時代においては、3歳の男女がおこなう、それまで剃っていた髪を伸ばし始める「髪置きの儀(かみおきのぎ)」、そして5~7歳になると初めて袴を身につける「袴着の儀(はかまぎのぎ)」あるいは「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」という儀式がありました。また、鎌倉時代には、着物を着る際に紐ではなく帯を結ぶようになることをお祝いする「帯解の儀(おびときのぎ)」という儀式が執り行われていました。 江戸時代になると、髪置きの儀が男女における3歳のお祝いとなり、袴着の儀が男の子のみの風習として制定されました。 なお、帯解の儀は室町時代では男女ともに9歳で行われていましたが、江戸時代末期から男の子は5歳、女の子は7歳になるとおこなうように変わりました。 このような室町時代からおこなわれていた儀式が江戸時代になると、武家や裕福な商人たちの間でおこなわれるようになり、明治時代にはこれらの3つの儀式をまとめて「七五三」と呼ぶようになりました。 11月15日に七五三のお祝いをするようになったのは、徳川家光が自身の子供である、後の徳川綱吉の健康のお祈りをした日にちが関係しているようです。現代のように、医療が発達していなかった時代では幼い子の死亡率がとても高く、「7歳までは神の子」と言われていました。このことからも分かるように、当時は7歳まで元気に成長することが当たり前ではありませんでした。言葉を理解し始める3歳頃から乳歯の生えかわりがある7歳頃までは、成長に伴って、特に病気になりやすい年齢であると考えられていたため、子供の健やかな成長をお祈りするための行事として七五三の儀式がおこなわれていたのです。その名残りとして現代でも七五三の儀式があります。七五三は、子供が無事に育っていることへの感謝を伝え、また、これからの成長を願う意味があると言えるでしょう。七五三では男の子と女の子で、お祝いをする年齢が異なります。3歳では男女ともにお祝いをおこないますが、5歳では男の子だけ、7歳では女の子だけがお祝いをおこなうと決められています。この年齢は、平安時代において、男女ともに髪を伸ばし始める時期の髪置きの儀式、男の衣服である袴を着始める袴着の儀式に加え、女の子が初めて本格的な着物の帯を締め始める帯解の儀式が関係しています。3歳では同じお祝いですが、5歳と7歳の時にはそれぞれ男の子と女の子の伝統的な儀式がおこなわれていたため、現代でもその儀式に沿った年齢によって、それぞれお祝いがおこなわれているのです。素敵な七五三をお迎えくださいね。ところで、最近は「金太郎飴」をぶらさげて持たないですね・・

  • 03Nov
    • 祈りの菊

      七五三参拝家族照らす菊 子らのさいわい祈りの声が

  • 02Nov
    • 山茶花 1

      白光で我らを照らす山茶花の 想いに寄せる調和の祈り近所の菅原神社の山茶花です今日からお掃除の仕事をさせていただきます聖なるお仕事です

  • 01Nov
  • 31Oct
    • 菊の花を追いかけて

      近所の農園で毎年咲く菊美しいのです昨日は久しぶりに10時間睡眠いい気分です・・

  • 30Oct
  • 29Oct
    • 白き菊

      白菊の聖なる響きに耳澄ませ

  • 28Oct