つまりこの物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かった
のに、それでも不幸な人が出てしまったのである。

新潮文庫 太宰治『お伽草紙』226~227ページ

私はこの『お伽草紙』をもって、太宰治の芸術的完成を見る
のである。何も解説を書かれている奥野建男さんのご意見を
パクっているのではない。多くの評論書がこれを公に認めて
いるし、私もそのように確信している。

私も自称「太宰フリーク」として、それぐらいのことはせめ
て言わせていただきたいのである。そうじゃなきゃ、一年間
このブログをやって来た意味がないというもんである。

何を隠そう、太宰作品に「無慈悲なる鉄槌」を加え続けたか
の三島由紀夫ですら、この作品を前に沈黙するしかなかった
という逸話が残っているくらいである。これは本物の芸術作
品である。

太宰治は三鷹で空襲に遭いながら、この作品を書き続けた。
奥野氏が解説で指摘しているように、多くの作家(徴兵され
なかった作家)が不自由な環境の中で、創作活動の中断を余
儀なくされるか、国威発揚を主題にした国策作品を書かざる
を得なかったのとは異なり、太宰の筆は戦中ますます勢いを
増すのである。

『お伽草紙』は1945年(昭和20年)3月から執筆され、戦後出版
された。この執筆期間中に何度も空襲にあったが、太宰はこ
の原稿を命のように大事に抱えて、防空壕に逃げ込んだ。太
宰の戦前の借家は甚大な被害を受けており、太宰がこの原稿
を壕に持ち込んでいなかったら、この作品は世に出ることは
なかったのではあるまいか。そう考えると、改めて運命と、
太宰の行為そのものに感謝したい気持ちになる。

私は改めてこの作品を読み、引用箇所をつぶさにチェックし、
付箋を付けておいたが、今あらためて読み返すと、これらの
箇所を引用することが無意味であることに気がついた。一部
を切りとってしまうと、この作品の中のその一片は死んでし
まうのである。

冒頭の引用文はあえてそれを確かめるために切りとって書い
たが、これではこの作品の面白さも、芸術性も、パロディ性
も、風潮批判も、太宰自身の人生の苦悩も何ひとつ伝わらな
い。それこそが、まさに冒頭に書いたこの作品の芸術性の高
さを証明しているのである。これをばらして説明するのが不
可能なほど、この作品は繊細で壊れやすく、貴重で崇高なの
である。

作中で太宰自身が物語を読んできかせる5歳の女の子は、津島
園子さんで、衆議院議員で自民党税制調査会長というあまり
目立たないが、自民党の中では極めて重要なポストを歴任し
た津島雄二さんの奥様である。園子さんもまた絵画をよくす
る芸術家である。

私はこの作品を太宰を読み始めようとするすべての人に薦め
ようと思う。以前『走れメロス』の記事で書いたけれど、
『走れメロス』から太宰治作品に入るよりこの作品から入っ
たほうがいいのではないかと思うからだ。

この作品は『走れメロス』と『人間失格』という、太宰作品
の対極をなす、その両方向をつなげるブリッジの役割を果た
す作品だと見ている。この作品から入れば、『走れメロス』
だけでなく、『富嶽百景』『女生徒』『畜犬談』などのヒュ
ーマニティーあふれる作品にも行けるし、『人間失格』『ヴ
ィヨンの妻』『斜陽』など後期の作品や『Human Lost』『晩
年』などの初期の作品などに見られる、太宰治のダークで皮
肉的な作品群にも抵抗なく進むことができるだろう。

この作品はとにかく面白いの一言でも充分である。理屈は何
ひとつ必要ない。「芸術性」と書いたけれど、そんなことを
意識する必要など無いのだ。ただ読んで、笑ってくれればい
い。本当に面白い。太宰ファンでこの作品を読んだことのな
い人はまずいないと思うが、これから太宰ファンになるんだ
という人は、この面白さを痛感していただきたいのである。
そしてその根底に流れる人間への深い洞察と、寂しさと悲し
みを感じ取ってくれれば幸いなのだ。

太宰さん! この作品は本当に面白いですよ。あまりに面白
すぎるから、笑いが止まらなくて、涙も止まらなくなってし
まいます! 困ります! 困ります!


お伽草紙 (新潮文庫)/太宰 治

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