読書日記(月と六ペンス、イン・ザ・プール、キャパの十字架)
人生が充実していない→ブログ更新多めです。体のかゆみは相変わらず浅香唯です。すなわち「朝、頭皮がかゆい」のですが調べてみてもよくわからなくて、、、そして僕は途方に暮れる(by大沢誉志幸)。読書日記・サマセットモーム「月と六ペンス」40歳の男が仕事、家庭など全てを捨てて失踪する。探し出して理由を聞いてみると「俺は画家になる」。当然のことながらまわりの人々は冷笑的。「今に根をあげて帰ってくるさ」と。そんな男のその後の生涯を描いた小説が「月と六ペンス」です。ちなみに「月」というのは理想、「六ペンス」というのはちっぽけな現実、を意味していると言われています。この主人公の男は、社会的評価をまったく欲してない。絵を描くこと自体が目的で、描き終わった絵はすぐに燃やしても構わないと思ってる。最初は「ほんとにそんな人いるのかな?」なんて思いましたが、正気と狂気のはざまで情熱を燃やして生きる人間の生き様を読み進めるうちに、主人公に対して違和感をおぼえていない、それどころか共感している自分に気づきました。彼にとって絵をかくことは「やらざるを得ないこと」。その結果、とてつもない貧乏暮らしを強いられ病気にもなる。それでも絵を描き続ける。たった一度の短い人生。「かくあるべし」という姿を見た気がしました。後半は男が死んだ数年後に彼の周りの人から話(エピソード)を聞くという構成をとってます。これってちょっと黒澤明の「生きる」に構成が似てますよね。もちろん、「月と六ペンス」の方が先なので黒澤が影響を受けたのかも、と邪推しました。・奥田英朗「インザプール」伊良部というトンデモ精神科医のもとに様々な症状(神経疾患)の人たちが集まってくる、という連作短編集です。一番印象に残ったのが強迫神経症の確認行為でなかなか外出ができなかったり数時間かけて外出できてもずっと家の火事が気になっている男の話。「タバコの不始末で火事になるんじゃないか」と心配するところから始まって漏電火災も気になり、やがては自分の部屋だけでなくマンションの共用部分から火が出る心配もしなければならなくなってあれやこれやと「奮闘」していくくだりは僕も身に覚えがあるだけに心臓バクバクで読みました。この短編集のキモは神経疾患を抱えている患者が常識外れの医者と接することで自分を客観視し、やがて「正常」を取り戻していくところです。僕のような精神疾患を抱えている患者からすると結末部分はやや現実離れしている気はしますがそれでも「よい小説」と思えるのは作品全体にユーモアが漂っていることと、病気になってしまう人間性の描写に説得力あるからではないか、と感じました。・沢木耕太郎「キャパの十字架」キャパというのは伝説の戦場カメラマンであるロバートキャパです。この本は(ネタバレした言い方をしてしまうと)、「実は、自分ではない別の人が撮った一枚の写真によって、世界的に有名な戦場カメラマンにまつり上げられてしまった男」の物語です。富と名声に飢えた無名の若者に対して、正直に、「この写真は横にいた私の恋人が撮ったものです」と言え、というのは無理な注文なのかな。しかもその一枚というのは本当の戦いの場面ではなく単なる演習風景を写しただけのものだったのです。それがピカソの「ゲルニカ」と並んでスペイン戦争を象徴する伝説の一枚になってしまった。だから、「あの一枚を超える写真をとらなければならない」というプレッシャーは想像を絶するものだったのではないでしょうか。実際、有名になってしまって以降のキャパは、無理をしてでも、命をかけてでも、という強引ともいえる姿勢で戦場に向かいます。第二次世界大戦におけるノルマンディー上陸作戦では危険をおかして、敵に背を向けて、敵に向かって前進する味方兵士を正面からとったりもしています。しかしちろん社会的評価としては「あの一枚」を超える写真はとれずに40歳の時に戦地で地雷を踏んで死んでしまいます。けれども、ノルマンディーにおける血みどろの戦いを撮った写真は、演習なんかではなく本物の戦いを写したものであり、しかもまぎれもなくキャパ本人が撮った写真でした。それはひょっとしたらキャパに個人的な納得を与える物だったかもしれません。「月と六ペンス」の主人公の画家と同じように。