こんにちわ、皆さん。ご機嫌いかがですか?コーネリアスです。前々回、前回に続き神と悪魔シリーズ第三弾目です。今回のメインはイエスキリストです。神と悪魔の系譜という観点から見て、イエスキリストというのはどういう存在であったのかをお話して行きたいと思います。その前に時系列的にイエスキリストに行き着く迄の事を大雑把にですが述べてみたいと思います。

 ノアの大洪水の後、人類は絶滅を辛うじて免れその後再び地に満ちて行きました。当然ですが、皆が善人というわけではありませんでした。というのも、ルシファーはじめとした悪魔たちは大洪水で命を失ってはいなかったからです。消し去られた人々は、悪魔に魂を占領され悪人と化した人間たちであったからです。と言う訳で悪人もコレまた善人同様、地に満ちる事となるわけです。こうして長い月日が流れ、神はある一人の人物に目を止められます。それがアブラハムと言う人でした。理由は分かりません。分かりませんが、神はこのアブラハムという人を一方的にお選びになりました。そして、アブラハムもまたこの神の呼びかけに実に素直に応答しました。この点がアブラハムが信仰の祖と言われる所以です。ここから再度神の系譜が正式に進む事となりました。そして、この事は聖書に、新約聖書マタイによる福音書にハッキリと記載があります。マタイによる福音書の第1章1節は、『イエスキリストの系図』と呼ばれるものです。ちょっと気が遠くなりますが、ほぼほぼ1ページ分がアブラハムからイエス迄の系図が文字で書かれています。要約すると、アブラハム〜ダビデ(14代)、ダビデ〜バビロン捕囚(14代)、バビロン捕囚〜イエスキリスト(14代)となっています。全部で42代です。

信仰の祖と呼ばれるアブラハム

 

 さて、時代は一気に飛んで、イエスキリストの時代です。アブラハムから脈々と継続された神の系譜もイエスキリストまでやって来ました。ですが、やはりこの時代も悪魔側が大勢を占めていました。きっと神はこうお思いになった事でしょう…『全くもってルシファーは狡猾だ。快楽や楽しみ、様々な娯楽を人間たちに上手に与え、見事なまでに彼等を堕落させ、私から引き離している。やはり、彼等(人間)に「自由意思」を与えたのが間違いだったかもしれない…でも、何とかイエスには頑張って貰って彼の後継者を作って貰わねば…そうしないとアブラハムから続いて来たわしの系譜が絶えてしまう。そうなったら、もう人類に希望は無くなる。彼等(人間)は悪魔たちの奴隷に成り下がってしまう…』と。ここでこの神の系譜を存続させる為には、どうしてもイエスキリストという方、神であり人である方を受け入れなければならなかったのです。それが唯一の神の系譜存続の方法であり、絶対条件でした…

 この点は当初は上手く進行していました。イエスキリストは一人また一人と御自分の弟子を作って行かれました。で、最終ペテロ、ヨハネ等の12人の中心的弟子たちが集う事となりました。いわゆる『イエス教団』的な組織が出来上がったわけです。実際にはこの12人以外にも多くの人々がイエスのもとに集っていました。当初は順風満帆な船出であったわけです。その後もイエスの説教や奇跡の業に遭遇した人々が次々とイエスのもとに集まり、イエス教団は非常に大きな教団、集団となって行きました。イエスの教えは当時としては斬新なものでした。当然ですがイエスをはじめとしたこの教団の人々は皆今で言うユダヤ教徒でした。ただ、イエスのそれはそれまでの保守的なユダヤ教とは一線を画するものでありました。いわゆる新しい聖書(旧約聖書)解釈です。そう考えると、イエス教団というのは今で言うところの新興宗教的教団であったと言えるでしょう。こうなると面白くないのは、従来の保守的ユダヤ教徒たちです。特に既得権に絡むファリサイ派の人々、律法学者たち、そしてユダヤの祭司たちは事あるごとにイエスと対立しました。イエスが聖書の旧来からの解釈と違う解釈をするからです。そして、この対立の激化からイエスは反対派の人々から捕らえられる事となってしまいました。このイエスの逮捕に12人の弟子うちの1人が絡んでいました。有名な、イスカリオテのユダです。いわゆるイエス教団の裏切者です。金に目が眩んだ彼はイエスの隠れ家を反対派に密告したわけです。残念ですが、ここでもルシファー一味がユダに入り込みました。可哀想な彼は後にこの件を悔やみ自殺しています。その後裁判が開かれるのですが、これがまたお粗末というか、全く形だけのもの。そもそも罪状は『神を冒涜せし者』なのだとか。この辺福音書を読むと分かるのですが、この罪、冤罪もいいところです。普通に読んでも当然イエスには何の落ち度も無く罪など冒していないのですが、ごく小さな事を論い、殆ど無理矢理デッチ上げて罪人化しています。酷いものです。この裁判の公判でも紆余曲折ありましたが、結局イエスは反対派勢力のユダヤ人たちの汚いやり口で、死刑判決を下されてしまいます。で、問題はここなんです。それもとても大きな大問題が発生してしまいました。判決が下された途端に残りの11人の弟子たちは全員逃亡してしまったのです。誰一人として、例えば武装してイエス様を助けるぞ!とか、俺はイエス様と死を共にするといった者はおらず、全員逃亡なんです。コレ例えば日本なら、自分の仕えた主君と共に自分の命を捧げるなんて例結構あったように思えるのですが、武士の生き様としてね。ま、当時のイスラエルにはなかったんでしょう、そういう思想は。コレは神が最も恐れていた事態なんですよ。だってここで系譜が途切れてしまいます。後継者不在状態なんですよ。このままイエスに死なれたら、脈々と継続されてきた系譜が後継者に継ぐ事無しで終わるんです。で、刑の執行の日が来てしまいました。万事休すです。人類の絶望が目前に迫っていました…がしかし、この時に真の奇跡が起きました。それは、イエスが十字架につけられた直後の事でした。この時十字架刑には、イエス以外にも2人の別の罪人も十字架に架けられていました。真ん中にイエス、そしてその両隣にです。ルカによる福音書23章39節…

十字架にかけられていた犯罪人の一人がイエスをののしった。『お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。』すると、もう一人の方がたしなめた。『お前は神を恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は、何も悪いことをしていない。』そして、『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。』と言った。するとイエスは、『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われた。

ハレルヤ!まさに奇跡的です。実はこの名も無き罪人のこの告白、この一言が何と人類を救いました。神学上ね…彼は死ぬ前にイエスをそれも心から受け入れているのです。イエスの全ての関係者が逃げ出したり、散り散りになったのと対照的に、自分ももう死ぬという直前にしっかりとイエスを受け入れたのです。イエスの系譜は引き継がれました。また、おそらくこの光景を目にしていた群衆の一人一人の心の中にも…こうして神の系譜はまたしてもですが、首の皮一枚で継承され、現在に至っているのです。アーメン…

イエスキリストの十字架刑…この時奇跡が…