非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -8ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

先日、近所のショッピングモールがリニューアルオープンした。

改装された成城石井のデザート売場に行くと、80代くらいのおばあさんが、2人の若い店員さんに何かを訴えかけていた。

デザートを選びながら、おばあさんが話している内容に耳を傾けていると、成城石井の向かいに新規出店した魚屋さんの魚の値段が、夜の8時を過ぎても値引きされていないことに立腹していることがわかった。

魚屋さんの値段を決めるのは、あくまで魚屋さんであり、他店の店員さんにこんなことを訴えかけて、このおばあさんはどうするつもりなんだろうと思いながら様子を見ていると、なんとおばあさんは、2人の店員さんに「あなたたちの方からあっちの店の人にちゃんと伝えておいてね」と言い残し、成城石井で何も買うことなく立ち去っていった。

こんな理不尽なことを言われても、成城石井の2人の店員さんは嫌な顔ひとつ見せずに、おばあさんの訴えに耳を傾け、彼女が立ち去った後、「私たちに言われてもね」と半ばあきれながら、デザートに値引きのシールを貼る仕事に戻っていった。

今日、どうしてこの話を紹介したかと言うと、「目覚めることなく、催眠にかかったままの状態」とはどういうもので、催眠にハマっている本人は自分が催眠にハマっていることに気づけない例として、とてもわかりやすい事例になると思えたからだ。

催眠状態にかかっている人は、このおばあさんのように、自分が信じている内容(午後8時を過ぎたら魚の値段は値下げになるはず)について全く疑う余地なく「正しい」と信じこんでいる。

だから、自分の信じ込んでいる内容と、現実との間に不一致が起こると、自分の考えに問題があるとはまったく思わず、現実(魚屋の値段)の方が間違っていると思い、現実を変えようと動き出すことになる。

自分の思い通りに、現実の方が変われば、自分の気分が落ち着き、平和が訪れると思い込んでいるからだ。

でも、実際には、見ず知らずの魚屋さんがその日、いくらで魚を売ろうと、おばあさんの幸福、平和とは、一切何の関係もない。

でも、気の毒なことだが、おばあさんは、このことに気づけない。

だから、たまたま近所にできた魚屋さんの値段を見ただけで、心が落ち着かなくなり、現実が自分の思い通りに変わるまで、おばあさんは途方もないエネルギーと時間を費やし続けることになる。

「おばあさ〜ん、目を覚まして!」
「こんなことにエネルギーと時間を費やし続ける徒労さ、バカバカしさに早く気づいて!」

こんなつぶやきの声が自分の内側に浮かんできたのだが、この考えに気づいた瞬間、「自分の考えではなく、変わるべきはおばあさんの方だと言っているこの考えもまた、催眠を誘発する言葉だと気がつき、私は20%オフになったばかりのフルーツあんみつを手に取り、レジに向かった。

お知らせ
12月オンライン開催のウェイクフルネスのテーマは、「幸福・自由・愛」です。
インドのヴェーダーンタ学派(非二元・ノンデュアリティを説いた主流学派)では、存在しているのは、サット・チット・アーナンダだと説いている。

「サット」とは、日本語で言うと「存在」で、目の前にあるものは常に変わり続けるけれど、いつでもここに「私がいる=存在している」感覚が確かにあることを語っている。

「チット」とは、「意識」のことで、見えているもの、聞こえている音だけでなく、考えていることや感情などにも気づいている「意識・気づき」のことを指している。

「アーナンダ」とは「至福」のこと。

そして、重要なのは、サット・チット・アーナンダの3つは、それぞれ別々に存在しているのではなく、同じ一つの「存在」の異なる側面であることが語られている。

つまり、「自分の存在」を認識できているなら、同時に「至福」を感じていることになる。

でも、多くの人は、自分の存在を認識できているにもかかわらず、至福を感じるどころか、常にイライラしていたり、自分の人生について思い悩んでいたりする。

サット・チット・アーナンダは一つのものであるはずなのに、なぜ、サットとチットを認識できていても、アーナンダ(至福)を感じられないのか?

その理由は単純で、自分ではないものを自分だと錯覚し続けているからだ。

これは一種の催眠であり、至福を感じられない多くの人は、自分が催眠術にかかり、「自分ではないものを自分だ」と思い込んでいることに、気がついていない。

「あなたは、鶏だ」という催眠術にかかった人が、催眠にかかっている間は、鶏だと思い込み、自分が人間であることにまったく気づけないように。

また、既に催眠状態にある人は、「私はいない」というサット(存在)を否定するような言葉を、疑うことなく鵜呑みにしてしまい、催眠術師の言いなりになっていることにも気づけない。

では、どうすれば、至福を感じられるようになるのか?

催眠から目覚めれば、その場で、ありもしない幻想は消え、現実に戻れる。

催眠にかかっている間、私には何かが足りなくて(たとえば、お金、学歴、職歴、賞罰、賞賛、自信、パートナー、フォロワーなど)、それが手に入れば私は幸せになれると信じ、必死に努力してきたけれど、その催眠から目覚めれば、これまでに努力してきたことが、どれほど無益なものであったかがわかるようになる。

催眠にかかっている間は、何かがプラスされれば、自分は幸せになれると思い込んでしまっているけれど、真実はその逆で、自分ではないものを自分だと勘違いしてしまっているその誤信、錯覚が脱落すると、サット・チット・アーナンダだけが存在していることが認識できるようになる。

お知らせ
今年最後のオンライン講座、ウェイクフルネスのお申し込み受付を開始しました。
二元性のマインドは、物事を「快適か/不快か」の二つに分け、片側の「不快」を排除することに成功すれば、それ以降、日々、快適な人生を過ごせるようになるはずだと信じ込んでいる。

だから、不快感をもたらすような思考や感情を嫌い、それが出てこないように締め出そうとする。

心の扉を固く閉ざし、安全と思える自分の部屋(エゴ)の中に閉じこもってしまえば、「快適」な日々を過ごせるようになると勘違いして。

しかし、片側を締め出し、もう片側だけを得ようとする、このような試みを実行すればするほど、二元性の思考はますます強化され、思考が止まるどころか、二元性の思考の中に閉じこもるようになり、逆効果となる。

「燃え盛る火を消しとめようとして、水ではなく、油(エネルギー)を注ぎ込んでいるような愚かさ」と表現した方がわかりやすいだろうか。

ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、思考や感情を止めようと試みるほど、ぐるぐる回り続ける二元性のマインドに燃料を注ぎ込むようなもので、走っても走ってもどこにもたどりつかない、廻り車の中を走り続けるモルモットのような状態になる。

多くの人が求めているリアルチェンジは、特定の結果を求める努力によってもたらされることはない。

努力によってもたらされるのは、せいぜい行動や見た目の変化であり、神の王国への扉が開くようなリアルチェンジは起こらない。

それを起こせるのは、二元性の判断を伴わない「非二元性の気づき」だけで、この気づきをコントロールできるものは存在せず、気づきだけが存在し、リアリティを変えられる。

追伸
非二元(ノンデュアリティ )のファシリテーターになった美波さんと私のインタビュー記事をwebにアップしました。

矢沢大輔の講座とセッション

目覚めた禅師が、日々、至福を感じながら生きていた。

日々、起こる出来事の内容は変わるが、出来事や周りの状況に全く左右されることなく、禅師は日々幸せだった。

だから「日日是好日」と言った。

その禅師を見て、ある人物が「私もそんな風に生きられたらいいなぁ」と思い、禅師の日々の行動を眺めて、坐禅をしていることを知り、自分も同じように座ってみることにした。

しかし、何日座り続けたところで、この人物は日日是好日と思えるようには全くならなかった。

日によって、気分が良くなることもあれば、嫌な気分になり憤慨することもあった。
要するに、座り始める前と、心の中の状況は何ら変わりなかった。

なぜ、禅師と同じ行いをしていたのに、何も変わらなかったのか?

その人物は、外側(目に見える部分)だけを見て、禅師のマネごとをしていたからだ。

例えるなら、帽子だけをかぶり変えて、頭の中は何も変わっていなかったからだ。
これがイミテーション。
マネごとの浅はかさ。

外見だけを見て、坐禅のポーズだけをマネし、何年座り続けたところで、目覚めは起きない。

自分の頭の中で動き続けている、どんな思い込みが、日日、至福であることを拒み続けているのか?
その思い込み、プログラミングを、明確に見通せる日が来るまで、思い込みによる「眠り」は続く。

お知らせ
今週末のオンラインでの「非二元入門」では、どのような思い込み(幻想)が至福の邪魔をして、自分のみならず他人をも苦しめているのかいるか?そんな話をしてみようと思います。


今日は北海道の男性と電話を通じてノンデュアリティ(非二元)のセッションを行った。


男性の悩みは、誰かの言動や行動が引き金になって怒りの感情が込みあがり、それを我慢すればするほど、どこかで感情が爆発してしまい、自分の口から相手を責めるような言葉が出て、人間関係をこじらせてしまうことだった。

そこで冒頭、近年のスピリチュアル・ティーチャーが教えているネオ・アドヴァイタと呼ばれる方法で、即席の目覚めやワンネス体験が起きたとしても、その後、なんらかの出来事が起きて、不快な感情が引き起こされると、あっという間に安定感は失われ、「安定」と「不安定」を行ったり来たりする振り子状態が続いてしまうこと。
だから、近年のノンデュアリティでは不十分であることを伝えてから、実際にどうすれば、振り子状態から抜け出て、永遠にここにある深い安定感を感じながら毎日を過ごせるようになるのか、その具体的な方法を伝え、ワークを通して実際にいつでもアクセス可能な深い安定感を体験してもらった。

ワークを終えると、男性から「これはいいですね〜」「これを知ってるか知らないかで、人生大違いですね」という言葉が出てきたので、最後に、「この後、誰かの言動や行動が引き金になって、不快な感情がこみあがってくることがあったら、まさにその人こそ、最高の先生になる」ことを伝え、セッションを終えた。

お知らせ
マスクをつけたままとなりますが、対面での非二元のセッションを再開しました。

昨日の非二元(ノンデュアリティ)ファシリテーター養成講座で、不眠症で苦しんでいる人に対して、どうファシリテートすればよいのか、という質問が出た。

夜、眠れなくて困っている人は、「眠れないこと」が苦しみの原因だと思い込んでいる。

でも、それは思考による理解であり、真の原因はそこではないことを、まず第一にクライアント自身が気づく必要があること。

これがファシリテートする上で重要なポイントになることを伝えた。

なぜなら、苦しみの原因がどこからやってきているのかを本人がちゃんと認識できない限り、睡眠導入剤などに頼る(依存する)生活が続いてしまうからだ。

また、夜、眠れない人は、眠れないまま夜が明けてしまうと、寝不足のまま仕事に行くことになるので、明日(未来)の仕事に悪影響が出てしまう、という強迫観念にもとらわれてしまっている。

こういった不安を生み出している考えや感情も含めて、どうファシリテートすれば、その場で不眠からの解放を起こせるかを伝えて、ファシリテーター養成講座を終えた。

お知らせ
非二元入門(2020年版)のお申し込み受付を開始しました。

今日は、兵庫県の男性と電話で非二元(ノンデュアリティ )のセッションを行った。

ライフ(生命)がひとりでに展開している事実を一緒に確認していると、男性からこんな疑問が出てきた。

「運命は予め決まっている、といわれていることと、どう違うんでしょうか?」

この質問から、彼がどのような考えにとらわれているかがわかったので、「運命は予め決まっている」という考えにとらわれると、窮屈さや不自由さを感じるようになることを本人に確かめてもらってから、どうすれば、そのとらわれからフリー(自由)になれるのかを伝えた。

また、彼は、「どうしても他人と自分とを比較してしまう」と悩んでいたので、他人と自分とを比較する考えが浮かんでくること自体、なんの問題もなく、その比較を「やめよう」と試みるマインドの動きこそ、苦悩の原因そのものであることがわかるよう、セッションを進めた。

また、スピリチュアルの探究者の中には、「物事の良し悪しをジャッジ(判断)してはいけない」と言い、マインドの機能そのものを否定する人もいるけれど、これも思考によってでっち上げられたトラップ(罠)の一例であり、このような運命論(考え)を鵜呑みにしたなら、この瞬間に起きている生命の輝きがたちまち色褪せ、生命の輝きを未来に探し求める思考による夢物語がいつまでも続いてしまうことを伝えて、セッションを終えた。

お知らせ
新型コロナ感染者数が再び増えてきたため、ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションは、しばらくの間、電話またはLINE通話でのみ行っています。


7月2日から8月3日までの1ヶ月間、東京を離れ、大阪の実家で過ごし、美味いものを食べ歩いた。


その間にオーストラリアに留学していた次男が、学校を卒業して東京に戻ってきた。

帰国した次男が「和食を食べたい。特に鰻が・・・」と言ったので、私も東京に戻り、今日、広尾の割烹店でお祝いをした。

シャンパン、新政No.6、写楽を呑みながら、9品の和食を楽しんだ。

新政を初めて飲んだ次男は、「これ梨の香りがする」と言った。

「そうなんだよ。米だけでつくった日本酒なのに、この酒、梨ジュースでつくったワインのような味と香りがするんだよね」と返答しながら、私はこう思った。

「これは酒飲みになるな」

そして、お目当ての鰻料理(鰻の蒲焼とトリュフとおこわの組み合わせ)が出てくると、息子は料理を口に運んだ瞬間、しばし目を閉じ、久々に口にした日本の味覚を堪能し切っていた。

この表情を見れただけで、「今日、この店を選んで本当によかったな」と思いつつ、この選択を含め、すべてがひとりでに起こっているライフの素晴らしさを満喫しきれた。

追伸
ちょうど、このブログを書いている最中、昨日、電話でプライベートセッションを行った女性から、セッション後に起きた出来事を伝えてくれるメールが届きました。
ノンデュアリティ(非二元)のセッションを受けると、どのような解放が瞬時に起こり得るのかがわかる面白い感想だったので、ご本人の許可を得て下記ページ内の「プライベートセッションを受けた方の声」に掲載させていただきました。








お知らせ
新型コロナ感染者数が再び増えてきたため、ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションは、しばらくの間、電話またはLINE通話でのみ行っています。
両親が暮らす大阪の実家(マンション)には、敷地内にプールがある。

去年までなら、この時期、プールは子供たちで賑わっていた。

しかし、今年は、夏休みが短縮され、子供たちは学校に通っているため、プールはガラ空き状態。

二羽の鴨が、マンション脇の運河からプールに移動してきて、水浴びをしていた。


プールを泳ぐ鴨を見たのは生まれて初めてで、10分ほど様子を眺めてから、実家に戻り、2時から電話で非二元(ノンデュアリティ )のセッションをやった。

今日、セッションをやった女性は、怒りの感情に苦しみ、過去に怒りが湧い時に、自分が相手に言ってしまった言葉を後悔し、罪悪感を感じていた。

怒りの感情をコントロールできるようになれば、相手を傷つけることも自分が罪悪感を感じることもなくなると彼女は信じていた。

そこで、その誤った信念から自由になれるようセッションを進めた。

そして、セッションが終わってから時計を見ると、ちょうど近所の立ち飲み屋の開店時間になっていたので、外に出てプールの脇を通り過ぎると、もう鴨の姿はなく、その代わりにランドセルを背負って学校から帰宅してきた二人の小学生とすれ違った。

お知らせ
新型コロナ感染者数が再び増えてきたため、ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションは、しばらくの間、電話またはLINE通話でのみ行っています。

世界と分離した自己(偽の自己=エゴ)は、ここ以外のどこかに楽園があると信じ込み、ここをさけて、あちらこちらを彷徨い続ける。

世界と分離した自己は、今ではない未来に幸福が訪れると信じ込み、今、見えている現実を見過ごし、思考の中を彷徨い続ける。

「幸福を求めるエゴの動きが止まれば、今ここにある楽園(幸福)が見えるようになる。だから、エゴを殺そう」という試みもまた、エゴの動きそのものであり、こうしてエゴは延命を図ろうとする。

もし、楽園(幸福)がここ以外のどこかにあるなら、今ではない未来にあるなら、「私は今、不幸」ということになる。

この私こそが、偽の自己、つまりエゴだ。

あなたは今、椅子か床の上に座って、この文章を読んでいる。

あなたは、ここから未来に触れることができるだろうか?

これまでに未来に触れたことが一度でもあるだろうか?

私たちが触れられるもの、経験できるものは、いつも、今、あるものだけだ。

だから、もし、本当に幸福が未来にあるなら、私たちは、一生、幸福にタッチできないことになる。

この事実に気づくだけで、「分離した自己」も、「私と世界が別々に存在している」という認識も、思考がつくり出したフィクション(作り話)だとわかる。

実際に存在しているのは、今、ここにある生のきらめき=現実。


写真は、今日、散歩中に現れた光景

お知らせ
都内の新型コロナ感染者数が再び増えてきたため、ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションは、しばらくの間、電話またはLINE通話でのみ行っています。