非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -17ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

よく知られた禅の言葉に「日日是好日」という言葉があります。

「今日は良い日だったなぁ」と思えることが時々あっても、来る日も来る日も、常に良い日だとは、なかなか思えない。

なぜ、そう思えないかというと、生命(ライフ)の流れに逆らって生きているからです。

生命の流れは、日々、完璧に流れています。

春には桜が咲き、夏にはホトトギスが鳴く。
秋には落葉樹が紅に染まり、冬には雪が舞う。

この自然の流れから弾き出されて、単独で存在しているものなど、何一つありません。

生命の流れだけがあり、この流れが同じ状態のまま滞ることもありません。

見える景色、聞こえる音、漂う香り、食の味わいが変わるだけでなく、駆けめぐる考えも、感情も気分も、何もかもが留まることなく流れ続けます。

流れが、流れるがままに流れている時、全ては「順調、順調!」と感じられるようになる。

「日日是好日」となるわけです。

しかし、「こんな流れは私が望んでいる流れではない」と、エゴ的な心が抵抗しだしたなら、流れは鈍りだします。

こうなればもう、自分の思い通りに事が運んだ時にしか、「好日」とは思えなくなるわけです。

お知らせ
「日日是好日」という言葉を知り、これを頭で理解して実現しようとしても、日日是好日と感じられる日はやってきません。
なぜなら、「好ましいとは思えない思考や感情が現れなくなれば、日日是好日になる」とマインドは思い込ま、思考や感情をポジティブ、もしくはニュートラルなものに変えようとする思考が止まらなくなるからです。
日日是好日を感じれるようになるには、まず第一に、存在のあり様(完全性)に気づく必要があります。
思考ではつかめない、存在の完全性を感じてみたい方は、プライベート・セッションをお受けください。

今週末開催
エゴ的な愛とアンコンディショナル ・ラブの違いがわかると、人間関係が自然に変わりだします。
先週末は、土曜日にお金に関する講座を、日曜日には英会話に関する講座を開催しました。

「お金」と「英会話」。
この2つは表面的にまったく異なる内容の講座に見えますが、実は私がお伝えしたいと思っている本質に違いはありません。

それは、「足りない」という思い込みからの解放です。

「お金が足りない」と思い込んでいる人は、なんとかして収入を増やそうと考え続けます。

何年英語を勉強しても、英語をしゃべれるようにならない人は、しゃべれない理由を「英単語がまだ足りないからだ」と思い込み、さらに英単語を増やそうとします。

このどちらにも共通しているのは、「足りない」という思いで、足りないものがなくなれば、素晴らしい未来がいつか訪れると信じています。

でも、それは勘違いです。

問題なのは、「お金がないこと」でも、「英単語が足りていないこと」でもありません。

「足りないから増やさなければ」というこの思い込みこそが幻想であって、お金の講座では、この愚かさを、三日月と満月にたとえて話しました。

また、英会話の講座では、英単語を記憶すればするほど、なぜ、英語がスムーズに口から出てこなくなってしまうのか、日本の英語教育の皮肉さを、具体的に説明しました。

そして、お金の講座では、自ずと現れ出てくる個性と身の回りの道具を生かしきれば、収入が増えようが増えまいがどっちでもよくなるほど、自由に美しく生きられることを。

同じく、英会話の講座でも、既に知っている英単語(道具)を使いこなせるレベルに磨き上げるだけで、すぐにでも外国人と楽しい会話を楽しめるようになることをお伝えしました。

そして今回、英会話の講座には、16歳の女子高生も参加してくれて、終わってから感想を聞いてみると、「学校の勉強より面白かった」と笑ってくれました。

お知らせ
お金の講座英会話の講座、次回は5月に開催します。


6年前、不登校だった親戚の子供が小学校に戻れるようになったいきさつをブログに書きました。

あれから6年が過ぎ、今日、うれしい知らせが届きました。


それは、彼が早稲田大学に現役合格したという知らせでした。

この春から、彼は滋賀の親元を離れ、私が暮らす東京に上京してきます。

6年前にこの記事を書いた頃は、今日、こんな知らせが届くなんて、想像もしていませんでした。


世の中には、学校に通えない子供を指して「不登校児」と呼ぶ風潮があります。


しかし、「不登校児」など存在してはいません。


学校に通えない状態が一時的に起こったとしても、その状態が固定されてしまうことなどありえないからです。

これを「無常」と言います。


状態は変わり続けるもの。

だから、子供の一時的な状態、振る舞いを見ただけで、「この子はこういう子だから」と決めつけ、人を色メガネで見てはならない。


変わらないものなど何もないこと。

仏陀が悟った真実を、今日、彼からもう一度、学ばせてもらった気がします。


彼が小学5年生の時に、私とどんな会話をかわしたのをきっかけに学校に戻ることになったのか?

会話の内容を詳しく知りたい方は、私の著書「稼げる記憶術」内の「脳は、才能が拡張できる日がくるのを待っている」をお読みください。


6年前に書いたブログ記事はこちらからお知らせ

3年前まで私は英語をまったく話せませんでしたが、今はオンライン英会話を活用して、毎日、外国人との会話を楽しんでいます。

50代になってから英語の学び直しを始めた私が、英会話スクールに通うことなく、自宅でどんな学習を繰り返すことで英会話できるようになったのか?

その学習法を知りたい方は、今週末開催の「スマホで英語を話せるようになる脳をつくれる科学的学習法」にお越しください。

https://goo.gl/HcwVDk

今日は、原宿在住の女性と、カフェで非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

私のブログを読み、ピンとくるものを感じて、セッションを受けに来てくれた。

彼女の要望は「非二元の感覚を直接体験したい」ということで、ちょうど目の前に水の入ったグラスがあったので、グラスを使って数えられる物質が本当に存在しているかを確かめていった。

順を追って、実際に何が存在しているのかを調べていくと、グラスは存在しているように見えるけれど、物質ではないことが明らかになった。

「これが、色即是空ね」
そう伝えて、般若心経で語られているのは、信じなければならないものではなく、真実であることをまず認識してもらった。

しかし、「ある」と思っていた物が実は「存在していなかった」、「いる」と思っていた自分が実は「いなかった」という認識の変化は、「あるか、ないか」の二元性の片方に偏った極論であり、これは非二元ではない。

般若心経でいうなら、「私はいなかった」という認識は、「色即是空」にあたる部分だが、般若心経は、この言葉で終わっているわけではない。

しかし、「色即是空」を最終到達点、結論ととらえ、これを新たな信念としてしまったなら、「生きていることに何の意味もない」「起きていることがただ起きているだけ」という虚無感、ニヒリズムに陥り、鬱になってしまう可能性さえある。

そこで、仏陀が悟り、伝えようとしたのは、まったくそのような「無」に偏った極論ではないこと。
色即是空の後に続く言葉に、固定観念にしばられることなく現れでる「自然(じねん)」の豊かさ、素晴らしさが解かれていることをお伝えした。

そして最後に、テクノロジーやAIの進化によって、便利な世の中になるほど人間の苦悩が増す皮肉さを語り、日々、どのように過ごせば、幸せを感じながら生きられるかをお伝えし、セッションを終えた。

お知らせ
4月開催のウェイクフルネスでは、般若心経で語られている内容を掘り下げ、悟りとは何を悟ることなのかを体験いただこうと思っています。

会社員を辞めてから、早いもので、今年でちょうど10年になる。

サラリーマンを辞めた頃はどんな本を読んでいたんだろう?

そう思って、書棚にあった鈴木大拙の文庫本を久々に読み返してみると、あまりの字の小ささに文字が読めない。
当時は裸眼で読めたのに、今やハズキルーペをかけても読みづらい。

そこで、同じ本の単行本を図書館にリクエストして取り寄せ、昨日、読み直してみた。

読んでいて、驚いたのは、「非二元」という言葉が出てきたことだった。

私は今、非二元(ノンデュアリティ)についてあれこれ語っているけれど、「非二元」という言葉を、いつどこで初めて聞いたのか、記憶をたどってもまったく思い出せなかった。

しかし、鈴木大拙の本を読み返してみると、「非二元の地」という言葉が出てきて、私はこの本によって「非二元」という言葉に初めて触れたんだと思い出すことができた。

当時の私にとって「非二元」は、本の中に出てきた、たった一つと単語程度に過ぎなかった。
だから、記憶からもすっかりこの単語は消え去っていた。

しかし、記憶から単語が飛んでもなお、この本で語られていた真髄は、この10年消えることなく、私の心をとらえて離れることはなかった。

10年前の私から見れば、10年後の自分が「非二元」について語っているなんて想像さえできなかった。

しかし、10年前に鈴木大拙の本を読み、「非二元」「不二」の真髄に触れることができたからこそ、私の日常生活はこの10年で非二元的(霊性的世界と相対的世界が離れることなく一つであるということ)になり、今、私は非二元について語っている。

そう思うと、鈴木大拙が語った非二元の言葉の影響力は計り知れないものがあると、改めて感じられた。

そして今回、10年ぶりに鈴木大拙の本を読み直して、あらためて私の心に響いた「愛と力」に関する言葉をここに抜粋しておこうと思う。

力の観念は、実在の二元的解釈から必然的に生まれる。二元論が、その背後に統合する原理のあることを認めようとしない時、その生来の破壊的傾向は、奔放に、ほしいままに露呈される。
この力の誇示の最も顕著な一例が、西欧の人々の自然に対する態度にみられる。かれらは自然を征服するといって、けっして自然を友とするとはいわない。かれらは高い山に登っては、山を征服したと公言する。天のかたに向かってある種の発射物を打ち上げることに成功すると、今度は、空を征服したと主張する。なぜかれらは、いまやわれわれは自然とよりいっそう親しくなった、とは言わないのか。不幸なことに、敵対観念が世界のすみずみにまで滲透して、人々は「支配」、「征服」、「管制」等々を口にする。
力の観念は、人格とか、相互依存とか、感謝とか、その他さまざまの相互関係の心を斥ける。

ちなみに、鈴木大拙がこの文章を記したのは、少なくとも80年以上前。
この80年のうちに、われわれ日本人も、西欧の人々と同じように「征服」「支配」の力に翻弄される二元論者になってしまった。
霊性的世界(スピリチュアル)を信じてはいても、日常生活とは別次元のものという二元論の妄信にハマり、ここにある黄金の大地を見失うようになってしまった。

お知らせ
禅の公案、坐禅とは異なるアプローチ(ダイレクトパス)で、非二元性の気づきを体験してみたい方は、プライベートセッションをお受けください。

自分が相手(外国人)に伝えたいことを、言葉にして伝えられるようになると、それだけですごく楽しい。

逆に、伝えたいことがあるのに、それを言葉にして伝えられない時は、すごくもどかし〜。

だから、昨日まで、伝えられなかったことを、今日、言葉にできるようになった時の喜びは格別。

自分が2歳か、3歳の時に、日本語を初めて話せるようになった時も、きっとこんな感覚だったんだろうなと思い出せる。

昨日まで話せなかったことを、今日、話せるようになったよ。
どう言えばよかったのかがやっとわかったぞ。

やったぜ〜

と感じるこの喜び。
この喜びが原動力になって、人はどんどん言葉を話せるようになっていく。

この喜び抜きにして、言葉を話せるようには絶対にならない。

はじめに、「もどかし〜」と思える感覚がある。

こういうことを言いたいのに、口からスムーズに英語が出てこない。

「日本語なら言えるのに…」という感覚がある分、余計、もどかしさが増す。

だから、私たちは、日本語を初めて覚えた時よりも速く、外国語を身につけることができる。

なのに、日本の学校で英語を学ぶと、中学、高校で6年英語を学んでも、英語を話せるようにならない。

なぜ、話せるようにならないかというと、英語教材に掲載された想定問答の練習ばかり繰り返しているからだ。

教材は役に立つけれど、教材に頼る勉強ばかりしていても、英語を話せるようにはならない。

英語を話せるようになりたいなら、外国の先生と会話をしながら、とにかく自分が伝えたいことを間違った英語でもいいのでしゃべってみること。

そして、本当はどう言えばよかったのかを先生に教えてもらう。

英会話を身につけるのに、この繰り返しほど理にかなった方法はない。

追伸
世の中には様々な英語の学習教材が溢れていますが、自分の言いたいことを英語で話せるようになりたいのなら、高い教材を買う必要はなく、オンライン英会話を活用するのが一番リーズナブルで、私自身、毎日、オンライン英会話で英語を学んでいます。
月6000円くらいの出費で、毎日、外国人の先生と会話の練習をすることができて、3ヶ月(90日)も続ければ、自分の言いたいことを、ある程度、英語で伝えられるようになるからです。
ただし、一つ注意点があって、どのようにオンライン英会話を活用すればいいのかがわかっていないと、スクール側が用意した教材を使って授業を進められてしまうので、一年続けても、自分が伝えたいことを伝えられない状態が続いてしまいます。
オンライン英会話を受ける前にどのような準備を行い、どのようにオンライン英会話を活用すれば、より速く、リーズナブルに英語を身につけられるようになるのか。
その方法を知りたい方は、こちらの講座にご参加ください。

昨日、新宿に出かけるのに、電車に乗った。

男性と女性の間の席が空いていたので、そこに座ったのだが、男性は大きく足を開いていた。
男性の向こう側の壁との間にも少しスペースがあったのだが、男性は席をつめることなく、足も開いたままだった。

男性は岩のように動かなかった。
私と男性の体はぴったりとくっつき、初めは少し窮屈にも思えたのだが、旅の途中、大きな岩に寄りかかって一休みしているのと同じことだと気づけば、「窮屈」という思いは消え去り、新宿に到着するまで、音楽を聴きながらゆったり過ごせた。
足を開いた男性が隣に座っているということさえ、すっかり忘れ切っていた。

新宿駅に着き、席を立ってドアの方に向かっていると、足を開いて座っていた男性が私を追い抜き、引っ張っていたキャリーバッグが私の足に激しくぶつかり、私は再び、この男性のことを思い出した。

彼は、私の足にキャリーバッグをぶつけるだけでなく、追い抜かしていく女性や男性の足にも、おかまいなくキャリーバッグをぶつけながら、あっという間に視界から消えていった。

人の姿をしておれど、
座れば、岩。
動けば、暴走車。

心が我欲に縛られ、がんじがらめになると、人は本当の自由を見失い、ガチガチに固まり、ますます不自由になる。

「行雲流水」という禅の言葉を思い出させてくれる良き出来事だった。

お知らせ
ここに書いた男性もそうですが、「自由」という言葉の意味は取り違えてしまっている人は少なくないようです。
自由とは、私欲のままに好きかってに振る舞うことではありません。
欲望(エゴ)にハイジャックされた心は、欲望に縛られ、欲望に突き動かされ、ちっとも自由ではないからです。
今月23日(土)に開催する「2019年版 お金のために働きつづける欠乏サイクルからの解放」では、「自らに由る」とは本来どういうことなのかを話そうと思っています。
「好きな仕事をすればいい」といわれても、何を基準に選べばいいのか、さっぱりわからない、という方には特にオススメの講座です。

私の非二元(ノンデュアリティ)の講座に参加された医師からの紹介で、私のことを知ったという女性と、今日、初めてお会いした。

彼女は禅寺での坐禅の経験もあり、本質を知りたいと思っていた。
また、彼女は来月から抗がん剤治療を受けることになっていて、その前に心の整理をしておきたいと思っていた。

私も、19年前に癌の告知を受けて戸惑った覚えがあるので、彼女が今、どんな精神状態に置かれているかは、なんとなく察しがついた。

彼女に会ってから、私は19年前に起こった不思議な出来事について話した。

こんな医師がこの世にいたのかと思えるような医師が目の前に現れ、私は予定されていた放射線治療を受けることなく、その医師の導きにより再発の心配から解放された。

私は中学生の頃、ある出来事をきっかけに、癌を治せる医師になろうと志したのだが、その夢は叶わなかった。

しかし、私が夢見た理想の医師は、19年前、私自身が癌になった時に、目の前に突如現れ、私を救ってくれた。

その頃の私は、肉体が存在していると、疑うことなく信じていた。

もし、私が本当に肉体であるなら、今日、会った彼女もまた、私とは別の肉体であり、私と彼女は分離して存在していることになる。

しかし、それは実在論の考えに過ぎず、私は今、分離して存在しているものなど何一つないことを知っているので、このことだけは彼女に伝えたいと思い、今日、彼女に会った。

彼女と会って握手した時、彼女の手はとても温かかった。

本当に温かかったのは、見えている二人の手の重なりではなく、「ぬくもり」そのものだった。

そのぬくもりは、二つには分かれておらず、一羽の雛鳥が現れたかのようにふんわりとしていた。

思考がどれだけ「二元性」「分離」を主張しようと、その温かさは私たちが分かれて存在していないことを言葉を介さず如実に伝えてくれていた。

思考よりも、確かに存在しているこの非二元のぬくもり。
坐禅を通じて彼女が触れたがっていた「これ」を、今日、彼女と一緒に感じ合えて本当によかった。

お知らせ
禅の公案、坐禅とは異なるアプローチ(ダイレクトパス)で、非二元性の気づきを体験してみたい方は、プライベートセッションをお受けください。
昨日は、大学の先生(女性)と非二元(ノンデュアリティ)のセッションを楽しんだ。

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法などの著者、ロバート・シャインフェルドの話を聞きに行っても、「本当の自分に目覚めるのに、やれることは何もない」といわれ、それでも、気づきの感覚を深める何らかの方法があるのなら知りたい、という思いを持ってセッションを受けにきてくれた。

また、フラダンスを踊っている時に、自然な動きを邪魔する自分が出てくるので、その抵抗がなくなった時のナチュラルさを感じながら踊れるようになりたい、という願いも持っていた。

そこで、「気づき」はこれ以上高めることも深めることも不可能なほど、既に完璧に存在していて、けっして消えてなくなるものではないことを確かめてから、フラを踊っている最中に、現実を変えようとする分離の思考が浮かんで来たなら、何をすれば分離の感覚が自然に消えて、ナチュラルなフロー状態になるかを伝えてセッションを終えた。

セッション後、「今日が誕生日で、日中のスケジュールがちょうど空いていたのでセッションを申し込んだんです」と彼女は教えてくれた。
そして、「大学の先生の職を得るのは、大変だったんじゃないですか?」と訊ねると、東北の震災後、家族でしばらく台湾に移住されている最中、神社にお参りしたら、その翌日に、なんと東京大学からオファーがきて日本に戻り、現在、准教授をされていることを教えてくださった。

そして、家に帰ってから、もう一つ、驚くような奇跡が起きていたことに気づいた。

彼女からセッションの予約が入ったのは、セッションの前日(一昨日)で、さらにその前日(一昨々日)、私はある一冊の本を読んでいた。
その本の著者は、偶然にも彼女と同じ東大の准教授だった。

つまり、こんなシンクロが起きていたのだ。

彼女が台湾の神社でお参りしていると、その翌日、東大から、仕事のオファーが入った。

私が東大の准教授の本を読んでいると、その翌日、東大の准教授から、非二元のセッションのオファーが入った。

このシンクロを見ていると、現実のフロー(流れ)が、私たちの想像をはるかに超えて素晴らしいものであることがよくわかる。

お知らせ
自然の流れ(フロー)に乗ろうとすると、「自然の流れ」と「その流れに乗ろうとする私」の分離が起きて、動きがギクシャクしだします。
自然の流れ(フロー)だけがある非二元性の感覚を体験してみたい方は、ノンデュアリティ・プライベートセッションを受けてみてください。

ビリヤードを生まれて初めてやったのは、35年ほど前だった。

今日、久々に球突きをやったら、コカコーラの瓶のデザインがほぼ当時のままで、いろいろと思い出し、懐かしい気分になった。

 

 


ただ、自分の目がすっかり老眼になり、手球を見ると的球が二重にボケて見え、キュー(球を突くための棒)を振る軌道をなかなか定められず、1ゲーム目は手こずった。

 

35年前、大阪のビリヤード場に行くと、年配の人たちが何人もいて、四つ球の台で遊んでいた。

あの頃のおっちゃん、おじいちゃんたちも、今の私のように球がボケて見えながらも、ビリヤードを楽しんでいたのだろうか?

遠近両用眼鏡があった時代でもないし、どうやって軌道を定めていたのか?

それを考えていると、自ずと回答が現れた。

 

的球にうまく当てようとするから、ハズす。

自分がキューとなり、手玉になれば、自ずと手球は的球に向かう。

オイゲン・ヘリゲルが著書「弓と禅」に記した意味が、今日、球突きを介して体験できた。

 

お知らせ

目先の利益にとらわれず、仕事を通して自己の本質に目覚め、世の中から長く必要とされる仕事をしていきたい方は、こちらの講座にご参加ください。

 

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