彼女は禅寺での坐禅の経験もあり、本質を知りたいと思っていた。
また、彼女は来月から抗がん剤治療を受けることになっていて、その前に心の整理をしておきたいと思っていた。
私も、19年前に癌の告知を受けて戸惑った覚えがあるので、彼女が今、どんな精神状態に置かれているかは、なんとなく察しがついた。
彼女に会ってから、私は19年前に起こった不思議な出来事について話した。
こんな医師がこの世にいたのかと思えるような医師が目の前に現れ、私は予定されていた放射線治療を受けることなく、その医師の導きにより再発の心配から解放された。
私は中学生の頃、ある出来事をきっかけに、癌を治せる医師になろうと志したのだが、その夢は叶わなかった。
しかし、私が夢見た理想の医師は、19年前、私自身が癌になった時に、目の前に突如現れ、私を救ってくれた。
その頃の私は、肉体が存在していると、疑うことなく信じていた。
もし、私が本当に肉体であるなら、今日、会った彼女もまた、私とは別の肉体であり、私と彼女は分離して存在していることになる。
しかし、それは実在論の考えに過ぎず、私は今、分離して存在しているものなど何一つないことを知っているので、このことだけは彼女に伝えたいと思い、今日、彼女に会った。
彼女と会って握手した時、彼女の手はとても温かかった。
本当に温かかったのは、見えている二人の手の重なりではなく、「ぬくもり」そのものだった。
そのぬくもりは、二つには分かれておらず、一羽の雛鳥が現れたかのようにふんわりとしていた。
思考がどれだけ「二元性」「分離」を主張しようと、その温かさは私たちが分かれて存在していないことを言葉を介さず如実に伝えてくれていた。
思考よりも、確かに存在しているこの非二元のぬくもり。
坐禅を通じて彼女が触れたがっていた「これ」を、今日、彼女と一緒に感じ合えて本当によかった。
お知らせ
禅の公案、坐禅とは異なるアプローチ(ダイレクトパス)で、非二元性の気づきを体験してみたい方は、プライベートセッションをお受けください。