非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -14ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

昨日は淡路島の女性と、今日は鎌倉の女性と、電話で非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

 
今日のセッションでは、「グレッグ・グッドのダイレクトバスの本を読んだけど、本に書いてある通りに光景が見えない。だから、まだ私は真実をわかっていないので、わかるようになりたい」という要望を受けた。
 
彼女は、「わからないことがわかるようになったら、自分がホーム(我が家)に戻れる」「ダイレクトバスの本に書いてある通りに物事が見えるようになったら、完全な私になれる」と信じていた。
 
そこで、セッションでは、今、完全でない自分が、何かを知ることによって、将来、完全になれると信じているなら、100%そのようなことは起きえないことをまず伝えだ。
 
そして、もっともシンプルなダイレクト・パスの手法を使って、彼女が長年探し求めてきた「自己の真相」がどこかに隠れているのではなく、今、露になっていることを直接経験してもらい、彼女の誤解を解いていった。
 
そして、セッションの終盤、彼女から、こんな質問を受けた。
 
YouTube で、非二元について語っている人が、「エゴにとらわれている相手なんて、切り捨ててしまえばいい」と言っていたんだけど、この発言についてどう思いますか?と。
 
「エゴを切り捨てる」という「考え」にとらわれると、そのとらわれから「エゴがある」という思い込みが強まり、さらにエゴを切り捨てようとすればするほど、自分の中にも、相手の中にも(内、外に関わらず)、本当にエゴが実在しているかのように感じられるようになるので、この点に注意が必要なことをお伝えして、セッションを終えた。
 
お知らせ

今日は、京都の女性が、非二元(ノンデュアリティ)のセッションを受けに東京まで来てくれました。

 
はるばる東京まで来た動機を聞いてみると、「スピリチュアル・エゴがいるので、それをなくしたい」と、彼女は願っていました。
 
そこで、エゴというものは存在しておらず、存在していないものをなくそうと努力すればするほど、どうなるか?を彼女自身が確かめられるようにセッションを進めていきました。
 
また、彼女は、ダイレクト・パスを経験してみたいと思っていたので、今、起きていることをあるがままに経験していると、求めていた安らぎは、一時的に経験できるものではなく、常に現存(プレゼンス)していることを体験的に確認できるようにセッションを進めました。
 
そして、セッションが終わってから、来月、京都にオープンする彼女の町屋カフェの2階の和室をお借りして、10月から非二元の講座をやらせてもらうことになりました。
私が3歳まで過ごした京都で、いつかお茶を飲みながら、非二元のことを話せる場ができればいいなと思っていたのですが、今日、彼女と出会えたことで、その願いがなんの努力もなく、すんなり実現していく、この聖なる現実(ホーリー・リアリティ)のすばらしさにびっくりしています。
 
追伸
昨夜、「アナザースカイ」を見ていたら、香港の武術の先生が、武術の極意について聞かれ、「一緒にお茶を飲むことだ」と答えていました。
お茶があれば、争いは起きず、武術を使う必要もない。
ブルース・リーが育った香港の人たちが愛する「飲茶」とは、そういうものだったのかと、初めて知りました。
その香港で今、暴動が起きています。
真の平和は、暴動(争い)からはもたらされない。
お茶を飲みながら、話し合える日が来るのを願っています。

先週末、「非二元ファシリテーター養成コース」を終えた。

 
写真前方の二人の男性は、元コピーライター。
二人揃って、今は広告業界から離れ、Hさん(メガネをかけた男性)は全国に店舗を持つ和菓子会社の経営者となり、私(赤いTシャツ)は非二元(ノンデュアリティ)のことを伝えている。
 
講座が終わってからの二次会では、台湾料理を食べに行き、その後、カラオケに行った。
 
カラオケでは、Sさん(犬を抱いた女性)から「スナック非二元」を開店して、日替わりで、ファシリテーターがカウンターの中に立つ、坊主バーみたいな店ができたらいいね、という話が出た。
Tさん(Sさんの隣の女性)は、なんでも歌える島津亜矢級の歌唱力をもっていて、洋楽から松任谷由実、美空ひばり、尾崎豊の名曲まで、私たちがリクエストした曲を次々に熱唱してくれた。
そして、Mさんは、「スナック非二元」のテーマソングを替え歌によって熱唱してくれた。
 
気がついたら、最後はもう、みんなで踊り狂っていて、この日の講座のキーワードであった「ナチュラルフロー」「アンコンディショナル ・フリーダム」を満喫しきっていた。
 
「ほんとにスナック非二元を開店できたら、メチャクチャ楽しいだろうな」という思いはあっても、「いつまでにどこでスナックを開店させなくては」という目標、制約から、私たちは完全に自由でいる。
 
今いる場所が、カラオケ店であろうと、他の場所であろうと、私たちがいるその場所がすかさず「スナック非二元」に早変わりしてしまう。
 
どこに行こうと、このジョイフルな「スナック非二元(意識)」から脱出することは不可能。
 
それをみんなで体験しあえて、最高に気持ちよかった。
 
お知らせ
非二元ファシリテーター養成コースに参加された方の感想をウェブサイトにアップしました。
興味のある方は、下記のページをご覧ください。
 

昨日は東京在住の男性とカフェで非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

 
彼は学生の頃から、あまり社会に馴染めず、うつ病になったこともあり、気分のアップダウンをなんとか抑えられるようになりたいと願っていた。
そして、そのために、メンタル面だけでなく、フィジカル面でも強くなれるよう、これまでにいろんな試みをしてきていた。
 
そこで、セッションでは、「気分のアップダウンを抑えたい」というその思いこそが、苦しみを和らげるどころか、逆に苦しみをいつまでも引き延ばす原因となっていることがわかるよう、話を進めていった。
 
また、メンタルやフィジカルの両面を強化すれば解決に至るという考えは、あくまでマインドによる考えであり、たとえ、それによって一時的に気分のアップダウンを抑えることに成功したとしても、再び気分のアップダウンを経験すると、「自分のどこかがおかしいに違いない」と思い始め、また落ち込むことになり、悪循環からいつまでも抜け出せなくなることを指摘した。
 
そして、彼が求めていた心の平安が、メンタルを鍛えた後(未来)にもたらされるのではなく、今、ここにあることを体験してもらった。
そして、何をすれば、ここにある平安が崩れ、再び平和を求める活動が起こり、落ち着けなくなるのか?仏陀が発見した人間の苦しみのメカニズムを説明した。
 
そして、多くの人が「苦しみの原因は欲望を持つからだ」と仏陀が語ったかのように誤解しているけれど、欲望にも大きく分けて「エゴ的な欲望」と「健全な欲望」の2種類があること。
人間関係のトラブルを生むのは前者であり、社会でパワハラ問題が後を絶たないのは、多くの人がこの2つの欲望の違いを理解していないからであることを伝え、その違いを詳しく説明してセッションを終えた。
 
お知らせ
人間の悩みは、人によりそれぞれ違っているので、非二元のプライベートセッションでは具体的に悩んでいる内容、困っている内容を伺いながら、解放に導くお手伝いをしています。
仏陀がこの時代に生きていたら、おそらくこんな風にセッションを進め、解放に導いていたのではないか、そんな思いを持って、毎日セッションをやっています。
生きづらさを感じていたり、頭で考えてもなかなか突破口が開けず、行き詰まりを感じている方は、一度、プライベートセッションを受けてみてください。
 

私は今、56歳だが、55歳の誕生日の時点では、挨拶を交わす程度しか英語を話せなかった。

 
でも、今は、文法的に間違うことはあっても、自分が伝えたいことを、辞書なしで英語で表現できる。
 
なぜ、話せるようになったかというと、多くの日本人が信じている、ある制限的な考えを信じていなかったからだ。
 
その考えとは、「英語を話せるようになるには、できるだけ早い時期、できれば幼児期に英語の音に触れる必要がある」というものだ。
 
私がこの考えを信じていなかったのは、親戚に、何ヶ国語も話せる人がいたからだ。
 
彼は、十代の頃、比叡山の延暦寺で小僧として過ごし、大学に入ってから、インドに残っている仏教などの古い経典を研究するために、サンスクリット語を学び始めた。
その後、彼は、ドイツの大学に留学したので、ドイツ語も話せるし、フランス語も話せる。
 
そして、彼は今、京都の仏教系の大学で、教授をやっている。
 
さらに彼の息子は、小学生の頃、学校に通えずフリースクールに通っていたのに、今年の春、早稲田大学に現役合格し、今、大学でフランス語を学んでいる。
 
そして、私の息子も、中学まで区立の中学で普通に英語の授業を受け、高校に進学してから英語を話せるようになり、今、オーストラリアに留学している。
 
私の周りには、こんなふうに中学になってから学校で普通に英語を学び始め、その後、英語を話せるようになった人たちがいたので、私は「英語を話せるようになるには、幼児期からの学習が重要」という考えをまったく信じていなかった。
 
事実、東京には、大人になってからでも、たった2日間の合宿に参加するだけで、誰もが英語を話し出せるようになるスクールが存在する。
 
私は、その合宿に参加したことはないのだが、そこでどんなトレーニングが行われているのかを知り、オンライン英会話を使って、同じトレーニングを行ってみると、これがやみつきになるほど面白くて、毎日、25分のレッスンだけで、あれよあれよと言う間に、私も英語を話せるようになった。
 
そして、今も毎日レッスンを受け続けているのだが、やればやるほど思い出すのは、1歳か2歳の頃、それまでまったく言葉を発せなかった自分が、日に日に言葉を話せるようになってきたときに感じていた、あの嬉しい感覚だ。
 
新しい言葉を学び出すのに、「遅すぎる」ということはあり得ない。
 
「しゃべれるようになりたい」
そう思った時がその人にとってのベストタイミングだと私は思う。
 
追伸
そうは言っても、いきなりオンライン英会話を受けるには、ハードルが高すぎる。
抵抗を感じる。
そう感じている方は、オンライン英会話を受ける前段階として、スマホのアプリを使って英会話に必要な基礎的なフレーズを使いこなせるようになる下記の講座に参加してみてください。
 

私たちが神聖なる存在に直接アクセスできる唯一の道は、「私は存在している」という疑いようのない感覚から、「私とは何なのか?」を探っていくことです。

 
「あなたは存在していますか?」
 
こう問われれば、どの国の人たちも、たとえ信じている神の名前(宗教)が違っていても、全ての人が「はい」と答えるでしょう。
 
なぜなら、人は、「常にある自己」の存在に気づいているからです。
 
「私とは何なのか?」はよくわかっていなくても、誰もが、私が存在していることに気づいています。
 
ですから、20世紀にインドで非二元(ノンデュアリティ)の体験的理解を説いていたラマナ・マハルシは「Who am I?」と問いかけ、ニサルガダッタ・マハラジはウパニシャッド(仏教以前からあった経典)の言葉を引用し「I am That」と語りました。
また、この教えをヨーロッパに広めたジャン・クラインは「I AM」と語り、「私はある」という確かな感覚から、宗教を問わず、誰もが神聖なる存在であることを説きました。
 
詩人のルーミーが「I searched for myself and found only God; I searched God and found only myself」と語ったように。
 
英語では、「I 」と「God 」は、共に大文字で綴られます。
それは存在そのものを指し示す神聖な言葉だからです。
 
しかし、日本では、どういうわけか、「私はいない」という存在を否定する考えが一部に広まりつつあります。
 
この考えを信じれば、20世紀にマハルシやマハラジらによって広く公開され、その後、ジャン・クラインやフランシス・ルシールらによってヨーロッパやアメリカへと広められた、自己の確かな存在感を頼りに非二元性の気づきに至れる体験的理解の道(ダイレクト・パス)が閉ざされてしまいます。
 
なぜ、今日、こんなことを書いたかというと、「私はいない」という誤った認識を非二元の教えだと勘違いし、私にその意味を訊ねてくる人が後を絶たないからです。
(これは私の推測にすぎませんが、このような誤解が日本に広まった原因は、「I am nothing」という英文を読んだ誰かが、nothingの意味が「物(thing)ではない」という意味で語られているのに、それを「存在していない」と誤って解釈したからではないかと考えられます)
 
すべての人が、自分の存在に自ら気づいているわけですから、「私」の存在を疑う必要など、まったくありません。

ただ、見過ごしてはいけないのは、その「私とは、何なのか?」という問いへの答えです。
 
この問いをきっかけに「私とは個別の体でも、脳でも、マインドでもない」ことがわかったとき、国籍、性別、宗教を問わず、なぜ、すべての人たちが、自分のことを「私」と呼んでいるのか?
この共通の名前が神聖なる唯一の存在を表すホーリーネームであることに、誰もが気づけるようになります。
 
お知らせ
「私は存在している」という確かな感覚を掘り下げていくと、私とは衰えゆく体でも、自分が思っていたような制限された存在でもないことがわかるようになります。
興味のある方は、一度、ノンデュアリティのプライベートセッションをお受けください。
 

昨日は、愛媛の女性と電話で非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

 
彼女は、自分が何十年たっても、好きなことをして、お金を稼げるようにならないことに失望感を感じていた。
 
そこでセッションでは、「好きなことをしてお金を稼がなくてはいけない」というこの条件づけ(縛り)の不自由さ。
 
さらには、「好きなことをして、いまだにお金を稼げないでいる、ダメな自分が本当に存在しているかどうか」を明らかにしていった。
 
彼女が信じていた考えは、二元性のマインドがつくりだした考えであり、それを信じてしまうと、自分と世界を分ける分離が起き、「不完全な私」が本当に存在しているように思えてきて、その架空の私が、外側の世界に完全性を求めて動き出す活動が起きること、それが苦しみの原因であることを紐解いていった。
 
そして、彼女が求めていた「非二元」とはなんなのか?
非二元性を知っているのは、マインドではなく、意識そのものであり、その意識は今も完全に目覚めていることを自覚できるようにガイドしていった。
 
彼女は、自分が、限界だらけのマインドでもなければ、体でもないことに気づきだすと、最初は戸惑いを見えた。
しかし、自分が意識以外の何者でもないことが徐々にわかりだすと、「不完全な私がいる」という考えさえ、現れることを許されていたことに気づきだし、本当の自分の受容力の大きさに目覚め、穏やかさと自由さを取り戻していった。
 
お知らせ
人は、幸せ、歓びを覆い隠す二元的な考えにいつの間にかとらわれ、「日日是好日」とは到底思えない毎日を過ごしていたりします。
しかし、分離の思い込みが消えれば、毎日が「日日是好日」となります。
興味のある方は、一度、ノンデュアリティのプライベートセッションをお受けください。
 

一昨日のウェイクフルネスでは、唯物論、唯脳論を信じて、「自分」のことを肉体、もしくは脳だと思い込むと、必然的に分離感、不完全さを感じるようになり、幸福、愛、平和を探し求める窮屈で重苦しい人生が続くこと。

 
たとえ望んでいたものが手に入っても、満たされた感覚は数日で消え失せ、また、足りないものを方々に探し求める人生が繰り返されることを伝えた。
 
なぜ、このような活動が繰り返されることになるのか?
 
そのメカニズムを図解しながら説明し、「では、何がシフトすれば、求めていた幸福、愛、平和が、未来にではなく、いま、経験できるようになるのか」を紐解いていった。
 
存在しているのは、物質か?意識か?
 
「物質だ」と信じているなら、その信念のとおりに世界は反応し、すべての人、物がバラバラに存在している分離の世界、不足の世界を経験するようになること。
 
「意識だ」と理解しているなら、世界は直ちに反応し、幸福、愛、平和を経験するようになること。
 
人生に「変容」が起こるなら、これ以外の選択肢はないことを最後に伝えて、講座を終えた。
 
お知らせ
次回のウェイクフルネスは、9月23日(祝)に開催します。

私たち日本人は、知らず知らずのうちに、「この世」と「あの世」の二つがある、という二元性の宗教観を信じています。

 
二元性の宗教を信じている人に、
 
「安らげるのは、いつか?」
と問うたなら、その人たちは、二元性を信じているわけだから、必然的に「あの世」「天国にいってから」と考えるようになります。

「仏や神は、どこに存在しているか?」
 と問うたなら、天空(近くではなく遠方)を指差すようになります。
 
これが「二元性の信仰(宗教)」です。

知らず知らずのうちに、二元性信仰にハマっている日本人は、二元性のフィルターを通して世界を見ていることに、なかなか気づけません。
 
しかし、インドには、二元性がないこと(非二元)を見抜けるように記された経典があったため、インドには古くから多くの覚者が存在していました。

そして、経典の内容や覚者が語った内容は、英語でも読めるように翻訳され、いまや多くの欧米人も、存在の非二元性に気づけるようになりました。
 
経典の内容を知ると、視点のシフトが起こり、こちらとあちらを隔てていた境界線が消えてなくなります。
 
境界線が消えると、美が現れ、探していた楽園が「ここ」にあったことに気づけるようになります。
 
お知らせ
ノンデュアリティのプライベート・セッションでは、非二元に関する経典や本ををまったく読んだことのない人でも、非二元性を直接実感できるよう、矢沢大輔がわかりやすくガイドしています。

 

関連記事:インドの経典に記された錬金術

インドの古い経典の中に、錬金術について記されたものがある。

 
ゴールドは、指輪にもなれば、ネックレスにもなれば、ブレスレットにもなる。
 
ゴールドの形が変わると、名前が変わる。
指輪と名づけられたり、ネックレスと名づけられたり、ブレスレットと名づけられたりする。
 
形によって呼ばれる名前は変わるけど、すべてゴールドであることに変わりはない。
 
すべてはゴールドからできている。
 
いろんなもの(形)があるように見えるけど、存在しているのは、ゴールドだけ。
 
ゴールドが、いろんな形になって現れている。
 
これが、錬金術。
 
インド古代の非二元(ノンデュアリティ)の教え。
 
肝心なのは、ここでゴールドにたてえられているものは何なのか?
 
アドヴァイタのグルなら、「意識」というだろう。
仏教の禅師なら、「空」というだろう。
 
そして、ゴールドではなく、紙幣や電子マネーが行き交うようになった現代社会を見ている私なら、迷うことなく「歓び」という。
 
でも、多くの日本人は、錬金術の非二元性に気づかず、金銭を追い求め、苦しい思いばかりしている。
 
お知らせ
来週末開催の「ウェイクフルネス」はおかげさまで満席となりました。
次回は、9月23日(祝)に開催します。