「唯物論」「唯我論」の窮屈さ | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

昨日、絵本作家さんと非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやっていて、物質とは何か?という話になった。

 
物質が存在していると思っているなら、当然、肉体も存在していることになり、この世には、いろんな物や何十億もの肉体が別々に存在していることになる。
そして、私とは、その数ある肉体の中の一つの肉体、ということになる。
 
これが多くの西洋人が信じてきたマテリアリズム(唯物主義)の世界観だけど、昔、インドの人たちはそのようにはとらえていなかった。
 
マテリアル(物質)の存在を信じている人たちは、食べ物(物質)を得るためには、お金が必要なので、お金を得ようとする。
 
でも、働いてお金を得ても、食べ物を買えば、お金は減る。
そして、食べ物だって食べてしまえば、跡形もなく消えてなくなる。
 
そして、食べ物を得られなくなると、「私」だと思っている肉体も維持できなくなる。
 
だから、マテリアリズムを信じている人たちは、永遠に物質やお金が減ったり増えたりし続ける世界の中で、個人(単独)で生きていかなくてはならない、と強く思い込んでいるので、極端な話、死ぬまで心が休まる暇がない。
(日本で今、起こっている年金が足りない問題なんて、その最たるものだ)
 
でも、非二元性に目覚めると、物質など存在していないことがはっきりわかるようになり、状況は一変する。
 
生命のエネルギーは、まるで泉のように湧き出し続けているので、減ったり、不足したりすることはありえない。
 
「物質」「減る」「不足」というのは、思考上の概念としてあるだけで、実際に存在しているのは、生命エネルギーの絶え間ない充満(フルフィルメント)しかない。
 
だから、昨日のセッションでは、欠けることが絶対に起こり得ない色鮮やかでイキイキと躍動し続る生命の移ろいの素晴らしさと温かさをダイレクトに感じてもらえるよう話を進めた。
 
また、セッション中、マテリアリズムとは異なる唯我論に関する質問も出た。
「今、目の前に見えていないもの(例:自分の背後にいる猫)は、目の前に現れるまでは波動になっていて、実際には存在していない」という量子物理学者が言いそうな考えを鵜呑みにしている人もいるけど、それは唯我論であって、「非二元」とは何の関係もないことを伝えた。

唯物論。唯我論。
このどちらを信じていようが、それを信じている本人は、無自覚のうちにこのような考えを信じこんでしまっているので、自分では何が原因で窮屈な思いをしているかになかなか気づけない。

でも、これも過去の話で、非二元(ノンデュアリティ)の目覚めは、今、世界のいたるところで起きている。
 
お知らせ
独立して存在している物質もなければ、肉体もない。
つまり、何も分かれては存在しておらず、それでいて違いはある。
この非二元の感覚を直接、体験してみたい方は、ノンデュアリティのプライベート・セッションをお受けください。

 

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