これが手に入れば、きっとハッピーになれるはず。
そう思って、手に入れようと努力し、それを手に入れたのに、その喜びが続かない。
そして、また、別の物に魅力を感じはじめ、これこそ私が欲しかったものだと、また、それを求めはじめる。
きっと、あなたにもこんな経験をしたことが、一度や二度ならず、あるのではないでしょうか?
なぜ、欲しいものを手に入れても、その喜びが長続きしないのか?
今日は、その心のカラクリについてお伝えします。
欲しい物を手に入れても、徐々にその喜びが薄れていくように感じるのは、
欲しい物=喜び
という錯覚を起こしているからです。
欲しい物が手に入ったときに嬉しくなるのは、その物が手に入ったからではありません。
もし、物=喜びであるなら、あなたの手元にその物がありつづけている限り、喜びも持続しないとおかしいからです。
では、実際のところ、なぜ、欲しい物を手に入れたときに、人は喜びを感じるのでしょうか?
答えは、欲しい物を追い求める心が、欲しい物を手に入れた瞬間になくなり、ほっと一息つけるからです。
追い求めるものがなくなった瞬間の安堵感。
これでもう何かを追い求める必要がなくなったという心の解放感。
これが喜びの正体です。
意外だったでしょうか?
この心のメカニズムを最初に発見したのは、仏陀です。
でも、多くの人は、いまだにこのメカニズムを知りませんし、私自身も40代の後半まで錯覚したままでした。
では、なぜ、このような錯覚が起るのかについて、これから説明していきたいと思います。
追い求めるものが何もない時、人は、いまの状況に満足し、満ち足りていますから、何者にも束縛されず自由でいられます。
しかし、心の内側に欠乏感を感じていると居心地が悪いので、人はその欠乏感を埋めようと、何かを求めだします。
その欠乏感がどこからくるものなのかもわからないまま、人は、その欠乏の感覚に耐え切れず、それを埋めようと、物を求め、人を求めはじめるのです。
それさえ手に入れば、きっとこの欠乏感がなくなるはずだと思いこんで。
しかし、求めていたものを手に入れても、理想のパートナーを見つけられても、しばらくするとその喜びは薄れ、再び、欠乏感、不安を感じだします。
なぜ、こうなるかというと、欠乏感とはどのような心の働きによって生みだされているのかに、無自覚だからです。
「欠乏感」「恐れ」「孤独感」といった感覚は、そもそも「分離」の錯覚から生みだされています。
「分離」とは、この世界の中に、自分というものが、個別に存在していると思い込んでいる、思考による錯覚のことです。
「自分」とは身体の内側に存在していて、外側に見える全てのものとは別個に存在している。
だから、この世界の中で生きていくには、その「自分」を自分で守っていかなくてはいけない。
これが「分離」の錯覚から生みだされる絶えざる心の緊張。
「欠乏感」「恐れ」「孤独感」が生みだされるメカニズムです。
つまり、欠乏感とは、そもそも物理的な不足からきたものではなく、世界から切り離されて「私」が存在しているという思考の錯覚から生みだされたものなのです。
でも、分離はあくまで、思考上の錯覚ですから、実際に私たちは分離していません。
分離して存在していると思い込んでいるのは、この世界でおそらく人間だけでしょう。
この世界と自分とは、いつも一つです。
一つですから、「世界」も「自分」も実はありません。
何も分離していなかった。
これを「非二元」といいますが、これに気づけるようになると、思考の錯覚による「欠乏感」は消えます。
心の緊張が解けて軽くなり、その奥にいつも「平和」「愛」「幸福」が隠れていたことに気づけるようになります。
これを覚醒といいます。
今日、私がこれを伝えたかったのは、欠乏感から生まれた私たちの行動が、この世界にさらなる欠乏をもたらし、平和から生まれた行動が、この世界に平和をもたらすからです。
出されたエネルギーの波動が分離による欠乏感からのものか?
それとも、私たちの本質である平和、愛からのものか?
出ていったものが、そのまま戻ってくる。
これが波動の法則です。
矢沢大輔
追伸
「平和」「愛」「幸福」は追い求めれるものではなく、自分がそれそのものであったことに気づけるようになるワークショップ が、12月21日(日)からはじまります
追伸2
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