もっとお金を稼げれば、そのお金と引き換えになんでも買えるようになる。
それこそが幸福な人生。
こんな考えにとらわれ、より多くのお金を求めて働くようになると、たとえ、一時的に収入の額が増えても、その代償として、大切な時間を失うことになる。
そもそも、なぜ、私たちはお金を手に入れたがるのか?
私たちは家族や自分の命の働きを維持するために、時に働き、生活に必要なお金を稼ぐ。
そして、稼いだお金を使って、他の人がつくった生産物を買って、日々暮らしている。
稼ぐ。買う。売る。
このような言葉を使って、物や労働力がお金を介して取り引きされる「貨幣化した社会」の中にいながら、そもそも私たちは、「稼ぐ」「買う」「売る」という魔法のような行為がどのようにして成り立っているのかをよく知らない。
それを知らないまま、自分たちが働いてつくった物を、見ず知らずの人たちに商品として「売り」、お金を「稼ぎ」、見ず知らずの人たちが働いてつくった物(商品)をお金で「買い」、身近な家族や自分の命を支えようと苦心している。
そして、この人間社会で、お金が持つ魔力に飲み込まれたなら、お金はまさに魔物と化し、私たちは「生きるために働く人間」ではなく、「働くために生きる奴隷」のような生活へと容易に転落してしまう。
不幸とは、その名の通り、幸福がないこと。
幸福を見失った者だけが、幸福を求めて、お金さえあれば人生がバラ色になると勘違いして、自分を見失ったまま、幸福を見失ったまま、労働で人生を埋め尽くそうとする。
幸福は、つくりあげるものでも、努力して手に入れられるものでもない。
それは、今も身近にある。
あまりに身近すぎるものだから、人はうっかりそれを見過ごす。
そして、ここにある幸福を享受することなく、その幸福な時間を自らぶっつぶそうとする。
他人は、あなたの幸福を破壊することなどできない。
幸福を破壊できるものが存在するとするなら、それは自分以外にはあり得ない。
本来の自己を見失い、自己欺瞞に陥った偽の自己だけが、幸福を破壊し得る。
それでも、幸福はどこかに行ったりしない。
自分が自分らしくある時、私たちは満ち足りている。
欲しいものが手に入ったから満たされたのではなく、自分として自分らしく生きている時、生命の輝きとして、私たちは幸福に満たされている。
お知らせ
6月22日(日)オンライン開催の講座の受付を開始しました。
