恵比寿サルビア鍼灸院院長の日々雑記
  • 22Nov
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      ピアノの発表会が終わった

      昨日、私が通っているピアノ教室の発表会がありました。昨年に続き2回目の参加です。昨年はベートーベンの月光第3楽章。私の実力の数段上の選曲で見事に撃沈!(ベートーベンに申し訳ない)その反省から今年は少しレベルを落とし、かつ自分の好きな曲ということでシューベルトの即興曲90ー2に決定。私は決めたらあまり悩みません。が、昨年のベートーベンといい、今年の曲といいどうしてテンポの速い曲を選んでしまうのか、もっとゆったり弾ける曲を選べばよかったかな、なんて頭をよぎることもありましたが。それでもこの曲を選ぶきっかけになったのはクラウディオ・アラウの演奏に魅了されたから。即興曲90-2は35:02~始まります。前置きが長くなりましたね。当日は一人持ち時間5分のリハーサルがあり、ピアノに触らせてもらいます。そのリハーサルもほぼ出演者が見守る中での演奏なので緊張して指が滑らかに動かない。その後、出演前に3分間控室でピアノを弾かせてもらう。(これがすごく緊張を解くにはよかったかな。)それで本番演奏はというと、ダメ出しだらけでしたね。特にここは聴かせ所という箇所でミスしたところが数ヶ所あり、そうすると流れが途切れ、曲の世界から一挙に覚めてしまいます。終わってみて発表会で自分の音楽を奏でられるということは至難の技なのだと痛感しました。曲想を考え、指のタッチや間の取り方なども工夫していたにも関わらず、本番演奏中は何が何やらほとんど覚えていません。おそらく他の参加者の方も身体がガチガチになっていたり、指が震えていたり、自分の満足のいく演奏ができた人はほぼいらっしゃらなかったのではないかと思います。皆さん普段はもっと上手いのにって、わかりますよ。でもそれが発表会であり、舞台で人前で弾くということなんですね。発表会を終えて開放感なんてなく、何か複雑な気分です。自分の演奏ができなかった。それでも発表会に参加するのは一つの曲を自分なりの完成品にするまでのプロセスを経験できるから。また来年に向けてがんばります。

  • 10Aug
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      朝の楽しみ

      今年に入ってから毎朝歩いています。このブログでも数年前にウォーキングのことを書いているのですが、そのウォーキングも夏の暑さで挫折してしまい結局何年も歩いていなかったのです。つまり運動らしい運動をここ数年してなかったのです。(下手したら一日中外に出ないという日も)確実に脚力は弱り、赤信号になりそうな横断歩道を走って渡る時は脚に力が入らず、傍目には相当痛いおばさんの姿だったと思います。それでも数週間も歩けば足底がしっかりと地面を捉え、太ももの後ろやふくらはぎの筋肉を意識できるようになり、例の横断歩道でのシーンでも全然ヨタつかない。坂道もガシガシと歩けます。なまじスタイルだけはいかにもランニング中っていうくらいバッチリ決めているので、ヨタつくわけにはいかないのです。朝なので人はまばらですが、車の運転席からは見られているので。この朝のウォーキング、健康のためでもあるのですが、探検というか街の地理を把握するというか、そういう意味でも結構面白いです。高い塀でぐるりと囲まれた広大な敷地のその立派な門構えの隙間から除くと何やら洋館が見える、これは何だろうと後で調べてみると「服部ハウス」(時計のセイコーの創業者のお屋敷)だったり、うっそうと茂る木々が涼し気な木陰を作る日本家屋の表札を見ると「三木武夫」(知らない人は知らないか)だったり、路地に入ったところに素敵な花屋さんを見つけたり、もちろんおしゃれな雰囲気のあるビストロなんかもいろいろあってそれが楽しい。調子の良い日は走るように歩き、そうでない日は横断歩道の信号が赤になっていることにホッとするっていうこともあります。          富士山が見えるスポットを発見!この朝の1時間が私にとっては貴重な時間なのです。

  • 02Feb
    • 今、こんな曲を練習しています。

      もはやピアノは私の生活の一部になっています。昨年10月に通っているピアノ教室の発表会が終わって、今はブラームスの「6つの小品」より間奏曲作品118-2を練習しています。この曲、私は知らなかったのですが、教えていただいている先生の提案で「多分ものすごく好きだと思うし、合っていると思う。」と言われて始めた曲です。(実は発表会が終わったらショパンの幻想即興曲に食指を動かしていました。そして楽譜も購入していたのですが。)そして、ブラームスの間奏曲118-2をYou Tubeで検索し聴いてみると、何と情緒あふれる美しい曲でしょう。この曲はブラームスがシューマンの奥さんであるクララ・シューマンに送った曲です。クララの夫は大作曲家シューマンです。ブラームスにとってシューマンは雲の上の存在。尊敬する恩師です。そしてクララはその恩師の奥さんだったのです。クララも才能のあるピアニストであり作曲家でもあったのですが、当時は女性が表立って活動をすることは許されず、大音楽家のシューマンを影で支える妻という立場でした。ブラームスはクララよりも14才も年下。シューマン家に出入りするようになったブラームスはシューマンの7人の子ども達のお兄さん的な存在で、破滅的で後に精神に破綻をきたすシューマンとの生活で苦労をするクララを同情以上の感情を抱いて接していたのではないでしょうか。ブラームスとクララが恋愛関係にあったという記録は何も残っていないのですが、クララが77才で亡くなる直前まで交友関係が続き、800通あまりの往復書簡が残っています。そしてクララの後を追うようにブラームスも亡くなります。ブラームスは生涯独身を通しました。そんなブラームスのクララに対する思い、そこには恋愛感情もあったかもしれないし、音楽家として敬愛していたかもしれないし、人間として慈愛の念もあったかもしれない。つまりは深い魂のつながりを意味するようなソウルメイトとしてのクララに捧げた曲なのです。テクニック的にはそれほど難しい曲ではない(なんちゃって)と思うのですが、ものすごくその時の感情に左右されてしまう曲でもあります。レッスンでうまく弾けた日は、心が震えるような感慨に浸りながら夜道を帰ります。松本和将さん、この方の演奏が私は一番好きです。サルビア鍼灸院

  • 22Jan
    • 生き方の問題

      昨年の秋から当院に通院されている関節リウマチのKさんという女性がいらっしゃいます。リウマチと診断されたのは5年前です。最初は大学病院のリウマチ科にかかり、リウマチの薬を出され飲んだのですが、吐き気、めまいなどの激しい副作用に耐えられず、そのことを医者に訴えたところ、「我慢しなさい。ちゃんと薬を飲まないと私のようになりますよ。」と変形した手の関節を見せられたというのです。(その医者もリウマチだったのです。)また当時通っていた大学病院のリウマチ科は多くの大学病院同様、待ち時間が恐ろしくかかります。広いロビーのような待合スペースには大きめのソファーがいくつも置かれ、自分の順番を待つ衰弱した大勢のリウマチ患者がみな一様に苦しそうにソファーに横になっている光景を見て、「私はこんなふうになりたくない!」と現代医学での治療に見切りをつけたそうです。それから彼女は病気のこと、病院での標準治療のこと、薬のこと、身体のこと、免疫のこと、アレルギーのこと、食のことなど勉強されます。また病院にかからないで実際にリウマチが治癒した人の存在も大きな助けになりました。自分がネットや本で得た知識や情報に加え、代替医療の専門家の意見も参考にしつつ、食事を徹底して変えられました。添加物のない調味料を厳選し、白砂糖、小麦粉を一切使わず、農薬や肥料を使わない自然栽培の野菜を中心にした食事に切り替え、調理器具もアルミやフッ素加工は使わない、など。時にはファスティングをして身体に蓄積された有害物質、老廃物をデトックスしたり、サプリを使ったクレンズをしたり・・・。彼女のインスタグラムにはセンスの良い器に配置や彩りを考えて盛り付けされた料理や野菜そのものの写真がアップされていて、まるで雑誌の“Elle”のようです。徹底した食事療法と言っても本当はあれもこれも食べたいけれど、今は我慢しているという感じではありません。それぞれに手間暇をかけ、野菜の自然の色彩を生かしたアートのように美しい料理を工夫して、楽しんでやっているのです。そんな彼女もリウマチと診断された当初は激しい痛みに苦しみ、絶望感でどん底にまで落ちたと言います。彼女のすごいところは身体の仕組みを勉強して徹底的に生活を変えていったところです。しかも、何かを鵜呑みにしてそれをそのまま真似するのではなく、自分のフィルターに通して自分に合うもの、自分ができそうなことを自分の身体の声を聞きながら実践されてきたことです。そのためにはやはり知識が必要なのです。そうなんです。これは生き方の問題なんです。どうありたいか。どう生きたいか。たとえば、一般的に治らないと言われる病気になった時、治らない(と言われた)のだから病院で診察を受けて、薬を飲み続けるのか。あるいは治ると信じてそのためには何を止めて、何をするべきなのか。自分の今までの生き方を内省し、心のあり方を見直し、ひとつひとつ自然にかなった生活習慣を身につけ、感謝して生きる。彼女のように自然栽培の野菜を何軒かの農家さんと契約して送ってもらったり、ホルモン剤や抗生物質を使っていない肉や魚を購入するには確かに普通のスーパーよりは高いです。「そんな高いものを買えない。お金に余裕があるからできるんでしょ。」と友人から言われるそうですが、その友人たちはブランド物のバッグを買ったり、年に何回も海外旅行をしたり、ネイルやエステにお金を使っていると言います。結局何を優先するかです。リウマチは完治しないと病院では言われます。西洋医学の治療はただ痛みを和らげ、炎症を抑えるのみです。そのために一生、薬(免疫抑制剤、ステロイド)を飲み続けなければいけません。薬を飲んでいたら変形しないと錯覚しますが、飲んでいても変形する人もいます。そして身体本来の免疫を抑制する薬を飲んでいるので身体は衰弱していきます。それでも病院にかかって薬を飲むしかないと思うのか、そうではない、自分で作った病気なのだからその原因は自分の中にあると考え、それを訂正し、生き方を変えるのか。私は後者の可能性を信じています。人はなかなか変わることができません。特に痛い目にあわなければ懲りずに今までの延長線上で生きていきます。痛みも薬で楽になればなかったこととして過ごします。しかし根本的に治ったわけではないのでいつまでも自分の身体に不安を抱えたまま生きていくことになります。絶望からの再生を願い変わろうとするのか、絶望をうやむやにして問題の本質を見ないふりするのか。難病を患っていることを自分の親しい人に話すと、必ずと言っていいほど「どこそこの病院がいいよ。」とか「薬はちゃんと飲んだ方がいいよ。」あるいは「リウマチでも私の知り合いは薬のおかげで元気で普通の人と変わらないわよ。」とか・・・。あれこれ言ってくるかもしれません。おそらくほとんどの人はそういう思考になっています。でも、これは生き方の問題なのです。病院の治療が受けたいというのであれば、そういう人はそうすればいいと思います。しかし他人の生き方をどうこう言うことはできないのです。ただ病院の治療(現代医学)しかない、そうするしか方途がないと思っているとしたら、やはりいろいろ探してみるべきでしょう。彼女はまだ完治したわけではありません。今は確かに手の関節の変形や片方の膝関節の腫脹があるものの、痛みはなくなり、関節の腫脹も少しずつ小さくなっています。明らかに身体が変わっている手応えを感じています。そしてただ肉体だけではなく、精神、魂の純化が進んでいると私は感じています。私は彼女から食や様々な療法の情報を教えてもらうだけでなく、人の生き方として多くのものを受け取っています。サルビア鍼灸院

  • 05Jan
    • 新年はファスティングからの画像

      新年はファスティングから

      年があけてから数日たちましたが、あけましておめでとうございます。もうすでにお仕事が始まっている方もいらっしゃるでしょうね。今年は思うことがあって、昨年の11月頃から年末年始の休暇をファスティングに当てようと考えていました。というのも、普段の忙しさにかまけて食がなおざりになっているという自覚があったからです。2年以上前から、いわゆる昼食というものは食べないで、そのかわりに軽いおやつをしていました。たとえば、コーヒーか紅茶と小さなお饅頭とか、クッキーとか。たまにですが、ケーキを食べることがあれば、夫と半分こ。そういう生活を2年続けてきたのですが、甘いものでお腹を満たすということはやっぱりおかしいと思うようになって、食習慣を変えなければと考えていました。スイーツは砂糖だけでなく、マーガリン、ショートニング、着色料、乳化剤、ソルビトール、リン酸塩などが当たり前のように入っています。それで、今回はファスティング本来の目的であるデトックスを意識して。体重が何キロ減ったとか、体脂肪率が何%下がったとかは二の次です。ひたすら日頃溜め込んだ有害物質の排泄を目的にやってみました。ファスティング期間は3日間。本来なら準備期間として3日、そしてファスティング後も3日間かかって、徐々に普通の食事に戻していくのですが、準備期間にあてたのは1日のみ。そして元旦にファスティングをスタートしました。今回は基本にスカイハイさんのコールドプレスジュース。あとはお湯に柚子と少しの蜂蜜を入れてみたり、梅干しを入れてほぐしてみたりしたものを始終飲み、そして始終トイレに行っていました。空腹感はそれほどないのですが、初日の夜くらいから頭痛に発展しそうな目の鈍痛が出てきて、2日目は激しい頭痛とうっすら吐き気で絶不調。3日目もやはり頭痛の芯が取れず、首こり、肩こりがひどく、あまり何もやりたくない、できない。デトックスの症状ですね。そして5日目の今日はファスティング終了後の回復食期です。頭も身体もスッキリで特に味覚、嗅覚が敏感になっています。いつもファスティングをやっていて思うのですが、私たち現代人は何よりも食べることを優先しているくせに食べることが疎かになっていると感じます。つまりどういうことかと言うと、生活の中心に食べることが大きな位置を占めている、それはある意味生きるために必要なことなのですが、現代の日本で生きるために食べているという人はほぼいないと思います。もはや食べることが一時的な快楽になったり、欲求不満を満たしたり、寂しさを紛らしたり、時間つぶしだったり、退屈な日常に刺激を与えるための手段になっているように思えるのです。必要以上に食べ、必要以上に食料を備蓄し、体調が悪いのに無理に食べ・・・。本当に適切な量を感謝していただき、ああ美味しかったと満足して箸を置く。食事を正していくと暮らしが丁寧になることに気がつきました。今年は丁寧に暮らしていこうと思います。サルビア鍼灸院

  • 12Sep
    • 開業して10年経ちました

      昨日9月11日でちょうど開業して10年になりました。最初は自宅マンションの一室を治療室にしてひっそりと開業。一番最初の患者さんはマッサージと間違えてやってきた子供連れの若いお母さんでした。患者さんが増えたらちゃんと治療院専用の部屋を借りて住まいと別にすることを目標に頑張りました。そして4年後、近くに部屋を見つけて治療院を移転。ベッドを増やして2台に。しかし、2年契約の更新前の9月にマンションの管理組合から「店舗の営業は当管理組合の規約に反するので12月末までに営業を停止するように。」という内容証明の通知が来ます。こちらとしてはこの部屋の契約時に鍼灸院として使用するということを家主、不動産会社とも了承して契約していたのでまさに寝耳に水でした。後でわかったのは不動産会社が私たちの入居時に管理規約をちゃんと確認してなかったようです。(ただマンション入り口の集合ポストには個人事務所や不動産会社(店舗)の名前が結構な数、見受けられたんですがね。)不動産会社も不特定多数の人が出入りする店舗なのにどうして?とも思いましたが、結局出て行くことにしました。それまでにマンション自体の氣があまり良くないと薄っすら感じていたし、実際、私たちが借りている部屋の家主(フランス人で今はパリに住んでいる)が管理費を滞納していて、廻りに廻って賃借人である私たちに管理費の請求が来たこともあったからです。なにかとトラブルがあるここは良くない。それから近隣の部屋を探すこと一年近く。やっと今の所に決まったのが3年前。そして今に至るです。今から思えばこの10年の間に引っ越しを2回。最初の場所から2件めは想定内だったとは言え、さらに引っ越しを余儀なくされるとはもちろん予想外でした。それでも場所が変わるたびに一緒についてきてくれる患者さんには本当に感謝です。もちろん今まできてくださったすべての患者さんにも感謝です。この吹けば飛ぶような鍼灸院が曲がりなりにも10年間続けて来られたのは皆さんのおかげであり、宇宙の采配と言っては大げさですが、病気や怪我で休院することなく営々と続けて来られたことに感謝です。ありがとうございます!そしてこれからもよろしくお願いいたします。サルビア鍼灸院

    • 虚体と実体

      東洋医学では何事も虚実という観点から物事を見ます。簡単に言うと虚とは弱った、生気のない、力のない、冷えた、潤いのないなど欠乏した状態で、実とはみなぎっている、充満している、張りがある、熱があるなど過剰な状態を言います。それで一般的に人全体を大まかに虚体と実体に分けて見ます。虚体の人は体力がない疲れやすい肌のキメが細かい食が細い、食べるのが遅い外界の影響を受けやすい(敏感)ちょっとしたことで感情が揺れる寒がり冷え症トイレが近い(実際には強い尿意があるわけではないが、念のため行っておこう)優しいタッチを好む 実体の人は体力があり無理がきく食欲旺盛 食べるのが速い少々のことでは影響されない強い刺激(タッチ、味など)を好む暑がりさらに個人的に私の考える虚体の人は予約時間より早めに来院初診の予約は早めにする暗くなる前に家に帰りたい着替えるのに時間がかかる自分の症状について表現豊か、細かい(実際に時系列でメモを取っている人もいる)お灸の香りが好き温められると気持ち良いそして実体の人は予約時間きっかりか遅れ気味に来院着替えるのが速い初診時「今から空いてますか?」とその日のピンポイント時間の予約症状についてあまり話さない 「特に変化ありません。」以上!ブス-っと刺してもらいたい自分はそんなに悪いところはないと思っている(慢性病があって薬を飲んでいても)お灸をやられても熱くないとやってもらった気がしないで、当院に来られる方は圧倒的に虚のタイプの方が多いです。治療家が虚体であれば虚体の患者さんが、実体であれば実体の患者さんが自然に集まるようになっています。結局、自分がどんな治療を受けたいかというのが無意識に術者の手技に出るみたいです。まれに「ブス-っと刺してほしい」人には当院の鍼治療は物足りない感覚があるようなのですが、案外そのような人の中にも虚体の人が結構います。特に以前、別のいわゆる刺激鍼と言われる強い刺激の鍼灸院で治療を受けていて、絶大な鍼ファンを自認される方の中にもよくよくお話を聞いてみると治療後数日は寝込むとか、下痢をしたとかというお話をされます。それは虚体であったにも関わらず、強い刺激によって鍼が瀉(機能を抑制したり、排出させる)になってしまったのですが、本人的には好転反応と捉えられているようです。そして虚体の方には補法、つまり(氣を)補う治療がメインになります。一般的に“鍼は怖い”というのはおそらくその強い刺激を指してのことだと思いますが、虚体には優しいタッチと皮膚表面に接触するだけの鍼で十分と考えます。サルビア鍼灸院

  • 27Jun
    • いろいろやってたどり着いたこと

      昨年のブログでピアノを始めたことを書きましたが、https://ameblo.jp/foururu/entry-12454447869.htmlもはや私にとって、ピアノの練習は日々の日課であり、楽しみの時間です。月2回のペースでレッスンにも通っています。コロナの影響でレッスンも2ヶ月ほどお休みになりましたが、やっと今月から再開です。最初はテレビドラマの挿入曲なんかが弾けたらいいな~くらいの気持ちでしたが、やっぱりクラシックですね。昨年5月からモーツァルト ソナタK.V.331 (トルコ行進曲が入っている) → モーツァルト ファンタジアK.V.475→ シューマン 「子どもの情景」よりトロイメライ と バッハ フランス組曲 第5番のガボットそして今はベートーベン 「月光」 3楽章 ↑やっぱり凄いです。そして、バッハのフランス組曲 第5番 すべて(アルマンド、クーラント、サラバンド、ガボット、ブーレ、ルール、ジーグ)をやっています。↑フランス組曲第5番 サラバンド   震えるくらいに美しい!本当はベートーベンの「月光」の3楽章なんて高望みもいいとこなんですが、先生は「うーん、ちょっと難しいかも・・・。」なんて言わないで、「がんばってやってみましょう。」と言ってくれて、来る日も来る日も練習しています。それにしても、ピアノがこんなに楽しいものなんて!いや正確には楽しいっていう感じとは違うかも。ひたすら鍛錬する感じかな。でもその鍛錬が喜びなのです。子どもの頃、楽しいなんて思ったことなかったです。おそらく子どもの頃は今よりずっと指が動いて、曲が弾けるようになるまでの時間も速かったと思うのですが、なにせ練習が苦痛。ピアノの先生はそりゃもう、怖かった!だからそんな世界から抜け出せてその頃は清々したというのが正直な気持ちでしたが、まさか40年後にピアノをまた弾くようになるとは・・・。思えば、今まで何か面白いことないかなぁといろいろ手を出してきました。フランス語、刺繍、天然石アクセサーリー、水彩画・・・。(本当はもっといっぱいあります。)フランス語以外は趣味、いや時間潰しだったかもしれないです。そして、やっと見つけた!という感じがあります。好きな事があり、それに没頭できる。すると俄然、世界が変わります。少々大袈裟かもしれませんが、年齢を経たからこそ味わえる充実感というのでしょうか。仕事のためでも、健康のためでもない、ただただ純粋に魂が喜ぶ時間です。サルビア鍼灸院

  • 02Jun
    • 信じることと主体性

      鍼灸治療で多くの方を施術させてきていただいて、治る人と治らない人が当然のことながら出てきます。この違いは何なのかと随分前から考えています。確かに重い症状、明らかに難病で知られているような病名の方の治療はそう簡単ではありません。数年かかります。病院(現代医学)でも治らないのだから、相当な覚悟が要ります。と言うか、そもそもそのような重症の患者さんが鍼灸に完治を求めて来られることは非常に稀なのです。元々基礎疾患として膠原病や甲状腺疾患(バセドウ氏病や橋本病)、糖尿病などがあって、それらを「治したい」ではなく、腰痛や腹痛、頭痛、生理の問題を楽にしたいという主訴でいらっしゃる場合がほとんどなのです。しかし、治療者として施術させていただいているからには、やはり完治してほしいし、薬が減って最終的には薬を服用しなくてもよくなるというのが最終目標でやっています。病院で、その病気は難病で治らないので、まずは進行を食い止める、あるいは一生この病気とうまくつきあっていくことと言われているかもしれません。だから、病院に定期的に通って薬を処方してもらって一生つきあっていくしかない、と考えていらっしゃる方がほとんどでしょう。そして、病院ではそのように言われたけれど、病院以外のいわゆる代替医療と言われるものも試してみたいという人もいらっしゃって、当院にも「〇〇病なのですが、鍼灸で治りますか?」というご質問をいただくことがあります。お答えは「やってみないとわからない」としか言えません。ただ、ご質問者の「治る」のならやってもいいけど、「難しい」と言われればやらないというニュアンスが見えるのです。どんな療法であれ、治ると確約できるものはありません。もちろん、治療者は治すために全力を尽くしますが、やる前から確実に治りますと保証できないのです。たとえ同じ病名で以前に来られていて、その方が良くなったとしても、個人個人で違うのです。そこで、西洋医学を含めて、まず事前にある程度の予備知識が必要になってくると思います。それはインターネットで治療院を検索する以外に自分の病気がどんな病気なのか、今処方されている薬はどんなもので、さらには同じ病気を患っている方の治療日記のようなブログとか、あるいは世の中には西洋医学以外の代替療法と呼ばれるものが山ほどあるのでそれらをあれこれ探してみる。また治療院のホームページを見る時、どんな考え方の先生なのか、どういう方針なのか、本当にこの先生は患者さんのことを考えてくれる先生なのかということも重要です。今は西洋医学のお医者さんでも、特に個人クリニックの場合、その先生の考え方で薬の選択の仕方、また徐々に薬を減らしていくという方向性でやっている方もいらっしゃいます。また独自に勉強されていて、自由診療になりますが、西洋医学との併用で様々な療法を取り入れているお医者さんもいらっしゃいます。これらの段階でだんだん信じるという気持ちが固まってくると思います。結局何が大事かというと、「希望」が持てることなのです。そこに行ったら治るような気がするという信じる気持ちが必要なのです。つまり、難しい病気であればあるほど自分なりの主体的な戦略を持って臨む。そして信じたらその治療法に従ってみる。治療は患者と治療者の共同作業です。一方的に治療者が治すわけではありません。だから「治してもらう」という依存ではなく、主体的に自身も参加しているわけです。そして信じたからには簡単に諦めないこと。何か疑問に思ったり、このまま治療を続けていて見込みはあるのかと迷った時には正直に相談してみることです。本当に患者さんの健康を考える治療家であれば、ただ治療院の経営を優先していたずらに引っ張らないはずです。サルビア鍼灸院

  • 11Mar
    • 新型コロナウィルスについて思うこと

      我が家では家に帰ったらテレビをつけるとか、食事をしながらテレビを観るとか、必ず〇〇時のニュースを観るとか、朝ドラを観るとかという習慣はありません。なので、コロナウィルスの情報に疎かったのですが、いらっしゃる患者さんが口々にどこそこで感染者が出たとか、クルーズ船がどうたらこうたらとか、まあいろいろ教えてくれるので、だんだんその筋の情報を得るようになりました。それでニュースを時々観るようになったのですが、それはどちらかと言うとお話についていくためでした。ところで、不定愁訴や慢性的な不調を抱えている人は恐怖の多い人が多いです。恐怖が多いから身体が弱いのか、身体が弱っているから恐怖心が多いのか?確かに急性症状で激しい衰弱状態になると心も弱り、ふだんでは何でもなかったことが難しく感じたり、否定的な思いにかられてしまうというのはよくあることです。しかし、往々にして身体の弱い人は恐怖が多く、とても用心深いです。身体が弱い人というのは自分の生命力に自信がありません。ちょっとしたことに自分は大丈夫だろうか?という不安があります。それは今までいろんな疾患を患ったという経緯があるからそうなるのかもしれません。健康な人というのは根拠のない自信があります。なんだかわからないけど、自分は大丈夫って思うのです。インフルエンザワクチンを受ける人の心理は「インフルエンザになったら困る」という気持ちがベースにあると思います。つまり自分がインフルエンザになる可能性があるという前提があるのです。でも、「インフルエンザ?自分は関係ないや。」と思っている人はワクチン接種スルーです。気持ちの中ではたとえ、万が一罹ったとしても数日寝てればいいやと思えるのです。それで最近たまたま観た韓国時代ドラマ「ホジュン」の中のあるエピソードを思い出しました。ある地方で疫病が発生し、宮廷医官だったホジュン始め、医官を補助する医女たちが疫病患者の治療に駆り出されます。その中の医女の一人は自分がその一員に選ばれたことをひどく嘆き、疫病患者に薬を与える時もできるだけ近づかないで放り投げるように薬を渡し、渡すとぱっと離れるというように、あからさまに感染を恐れていました。そして、結局、医療チームの中で唯一彼女一人が感染し、亡くなってしまったのです。ホジュンや他の医官、医女たちは濃厚接触していたのに、彼らは大丈夫だったのです。意識すればするほどそれは近づく。たとえば、道を歩いていて、向こうから来る人を意識して顔を見てしまうと、お互いよけようにもよけられなくなって、立ち止まってしまうことってありませんか?相手を見れば見るほどそちらの方に吸い寄せられてしまう。なんだかそういうことって関係あるように思うのです。多くの恐怖のある人に怖がらないでも大丈夫と言っても無理です。でも結局、健康とは心の状態も含めて健康ということで、東洋医学で言う“心身一如”なんです。「なんだかわからないけれど、自分は大丈夫。」だと思える人が増えるといいですね。サルビア鍼灸院

  • 19Feb
    • 人間には自分自身であること以外の義務はありません

      人間には自分自身であること以外の義務はありませんラジオ番組『テレホン人生相談』の中での加藤諦三さんの言葉です。(おそらく海外の心理学者の文献からの引用だと思います。)人生相談には親が子供家族の相談や祖父母が孫の事を相談してくるケースが多いです。あるいは引きこもりになった子供の事で相談してくることも多いです。不仲になった息子夫婦の事を第三者である母親、ないしは父親があれこれ心配して、お嫁さんを暗に非難するようなムードを感じることがありますし、このままでは孫が可愛そうなので離婚しないで丸く収まってほしいといった願いも感じられます。また、以前はとても勉強熱心で成績も良く自慢の息子だったのに、最近、塾にも行かず、部屋にこもってゲームばっかりやっている。この先どうしたものか、私はどう接すればいいのか、といった相談とか。これらの相談から見えてくるのは、問題となっているたとえば息子夫婦のことだったり、引きこもっている息子だったりに対して相談者が必要以上に関与していることです。親だから仕方ないんじゃないの?いえいえ、親でも子供でもきょうだいでも夫婦でも自分以外の人間になり変わることはできないのです。引きこもりの息子を心配して電話をかけてきた母親は息子が塾に行くようになって、以前より勉強をがんばり、成績が上がった事を自分のことのように喜んだと言います。それが、最近は魂が抜けたように部屋に閉じこもり、声をかけても「うるせぇ!」と暴言を吐かれ、直接暴力はないものの、物を投げつけられるようになった。どうして?何が息子に起こったの?息子を救うにはどうしたら良いのか。おそらく始めは母親が喜ぶのを見てがんばっていたのだと思います。でも本当は自分の意思でも何でもなく、ただ母親を喜ばせるためだけにやっていたのでだんだん苦しくなってきた。結局、自分を生きていなかったのだと思います。そして、自分を生きていなかったのは母親も同じです。「人間には自分自身であること以外の義務はありません。」というのは逆に言えば、自分自身であることの義務があるということなのです。親である前に一人の人間として自分の人生を生きること。自分の人生を生きていれば、自分以外の人間の人生に首を突っ込む暇もエネルギーもなくなります。というか、どうでもよくなるのです。これは親子であれ夫婦であれ、親戚であれ、友人であれ、すべての人間関係において言えることです。サルビア鍼灸院

  • 03Sep
    • 更年期女性の暑がり

      だいぶん暑さも柔らいできましたが、それでも「暑い、暑い!」と顔や首回りの汗をしきりに拭いている更年期女性は多いのではないでしょうか。若い頃は寒がりで汗なんか出なかったのに、40代後半から50代のいわゆる更年期世代から暑がりになったという方が多いです。汗が出るようになったのは代謝が良くなったから?と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながらこれは加齢による現象です。東洋医学では女性は7の倍数ごとに身体の節目があると言われています。たとえば、7歳で歯が生え変わり、14歳で初潮があり、そして49歳で閉経を迎える。その他にも42歳は何かと不調が出てき始める年齢です。もちろん、個人差はありますが、おおよそ49歳頃に閉経すると女性の体内環境は一挙に変わります。卵巣の老化により卵巣から分泌されるエストロゲンやプロゲステロンの女性ホルモンが減少したことで、脳の視床下部から卵巣にホルモン分泌を促す放出ホルモンがより多く分泌されます。身体の内分泌系は本当に精妙なもので体内のホルモンの量を一定に保とうとして、少ないと脳の方から指令を出すのです。しかし、指令を出しても出ないものはしょうがない。そこで、今までのようにはいかず、視床下部は動揺するわけです。この視床下部は他にも自律神経をコントロールするところでもあり、動揺した視床下部の機能は自律神経も狂わせてしまうのです。ホットフラッシュも自律神経の乱れと言えます。東洋医学的に見るとどうかと言えば、加齢とともに五臓の中の腎(いわゆる西洋医学の腎臓と同じではないので注意!)の機能が弱ってきます。私たちは父母から先天の精といういわゆる生命力を受け継いで生まれてきます。その先天の精は腎に蔵されます。成長につれて先天の精がピークを迎え(生物として生殖できる時期をピークとして)、そして加齢に従ってだんだん衰えていきます。生まれながらに身体が弱い、つまり先天の精が弱くても飲食物から作られる後天の精によって先天の精に補充されるので、子供の頃は虚弱だったけれど、だんだん病気知らずになったということもありますし、先天の精プラス後天の精が充実していれば、老化のスピードも遅くなるということもあるわけです。いずれにしても生きとしいけるものの宿命としてピークに向けて成長し、生殖期を迎え、そして命の終わりに向かってだんだん衰えていく、その大元になるのが“腎”なのです。その腎は「水」に深く関係します。東洋医学では体内の水分のことを「津液」と言いますが、この津液は臓腑、器官、組織などを潤し、病的な水は津液が流れることによって排出させます。ちなみに新生児の水分は全体重の約90パーセント、それが老人になると50~55パーセントに減ると言われています。つまり体内の水分量は老化と共に減ることからも、加齢とともに腎が弱ることを示唆しています。「津液」は簡単に言えば水なので適度に冷やす作用もあるのですが、腎が弱ることによって体内が水不足のような状態になり、枯れて“虚熱”が発生し暑がりになり、汗の量が増えるのです。ここで“虚熱”というのは本当の熱ではなく、水不足によって生まれる熱なので代謝によって生まれる熱とは違います。暑がり以外にも口の中が乾く(唾液が減る)、肌が乾燥する、目が乾く、骨や関節がしなやかさを失い身体が固くなるなど。では経絡治療ではどうするか。更年期女性だからと言って、皆“腎虚”(腎が一番弱っていると診て補う)とは限りません。経絡治療ではその人のどの臓腑が一番虚なのかを診て補うのですが、皆一様に腎が虚なら治療は簡単です。「更年期女性だから腎を補っとけ!」とはならないのです。東洋医学では中庸を最も重視します。そしてその中庸は五臓六腑のバランスがうまく保たれることから生まれます。五臓がお互いに協調して過不足なく働くことによって腎の気も充実し、体内の水分も適度に保たれるのです。サルビア鍼灸院

  • 24Jul
    • 知らないということを知っている

      西洋医学は科学的だと多くの人が言います。確かに検査技術は進歩しています。一昔前よりは格段に初期の段階で異常が発見でき、その詳細もわかるようになりました。以前なら助からなかった病気が不治の病ではなくなっているのも事実です。だから「西洋医学は素晴らしい。」「探せばどこかに私のこの病気を治してくれるドクターがいるはずだ。これだけ医学は進歩しているのだから。」と思う人は多いはずです。“科学的”という言葉はとても便利に使われているような気がします。そして人は“科学的”という言葉に弱い。「科学的だから信用できる。」でも多くの人が本質的にその“科学的なもの”を理解していて利用しているわけではないのです。飛行機の飛ぶ原理も車が走る原理もテレビが映る原理も私はよくわかっていません。でも何の疑いもなく当たり前に利用しています。そういうものだから。つまりもうそこで思考停止になってしまっているわけなんです。病院の治療は“科学的”だからという刷り込みで思考停止になってしまっていませんか?世界にはそしてこの現代には私たちが知らない身体や心を治癒させるいろんな療法があります。知らない世界は怖いのはわかります。でも、たかだか私たちの科学的という判断基準も曖昧です。結局、人は自分の世界観の中で生きていて、そこから情報を取捨選択して取り入れるものは取り入れ、要らないものや怪しいと思ったものはスルーします。でも、自分のいる世界だけがすべてではないということ、自分の知らないこと、理解できないことも同じように存在しています。まだ自分の知らないことがいっぱいあるんだろうなぁ、ただ自分が知らないだけなんだろうなぁと何となくですが、わかっていることはとても大事だと私は思います。サルビア鍼灸院

  • 15Apr
    • 50の手習いの画像

      50の手習い

      先日、友人から電子ピアノを譲ってもらいました。実は私、4歳から中2くらいまでピアノを習っていました。最初は近所のピアノの先生のところに行ってバイエルから始め、そしてその先生が結婚で引っ越して行かれたのを機にヤマハから派遣される先生から個人レッスンを受け、中学に入ってからは本格的なレッスンを受けにわざわざ1時間かけてまた別の先生の所に通っていました。私の子どもの頃はピアノが全盛時代で大抵の女の子の家にはアップライトピアノがあり、〇〇ちゃんも〇〇ちゃんも皆ピアノを習っていました。10年近くピアノを習っていて、正直楽しかったっていう思い出はありません。今でもたまーにピアノのレッスンの日なのに何ひとつ練習をしていなくて、どうしよう!という夢を見ます。それだけプレッシャーなんだったと思います。そして先生も厳しかったですね。ピアノって習うからには上達を目指すものであって、そのためには家での練習は必須。その練習の成果を先生に見てもらい、出来ないところを直してもらい、また家で練習して見てもらって、ようやくその曲はOKとなり次の曲に移るわけです。実家を離れ、ピアノに触れる機会もないままウン十年。またピアノを弾きたいなーっていう思いさえ抱くこともなかったのですが、ある日、テレビでお笑い芸人さんが今ピアノを習っているというので“戦場のメリークリスマス”を弾いて見せてくれました。そして、その番組の中で師匠の北野武(←彼もピアノを習っているとか)からとても立派な電子ピアノをプレゼントされたのです。その時ですね。「私もまたピアノを弾いてみたい!」と思ったのは。それからすぐではありませんが、縁あって電子ピアノを譲ってもらえることになり、我が家にピアノがやってきました。久しぶりのピアノは本当に新鮮で楽しい!!実家から昔使っていた教則本を送ってもらい毎日弾いています。昔は全然楽しくなかった練習曲でさえ何度も何度も弾いています。子どもの頃はモチベーションが低かったからか、練習が嫌いでした。同じ個所を何度も何度もくり返し練習するなんてあり得なかったので、30分ほどして終わり、みたいな感じ。今は筋トレのようにちゃんと弾けるようになるまで繰り返すことが苦痛ではないのです。何なんでしょうね。楽しみで始めたはずのピアノなのにストイックに練習している。まあ性格と言えば性格ですが、上達すればするほど楽しみも広がるということがわかってきたからでしょうか。サルビア鍼灸院

  • 03Apr
    • 耳の症例 

      耳の症例です。20代女性半年ほど前からたまに左耳がこもるようになり、自分の声がこもって聞こえる。最近は頻度が多くなり、平日5日のうち会社にいる時は終日、休日は家でゆっくりしている時にはならないが、人と会っている時などに症状が出る。右耳はまったく問題ない。耳鼻科は受診していないが、ネットなどで調べて「耳管開放症」の症状に似ていると思った。子どもの頃からアトピー性皮膚炎があり、悪化するとステロイド薬を塗り、良くなると止めるという繰り返し。他に低用量ピルを5年くらい前から服用している。初診は脈診、腹診、問診などから「腎虚脾実」の証で治療しました。脈は沈、やや数、虚。2診目(その後一週間に一度の来院)「休日に症状が出たが、月~水曜日は昼食を食べると症状は消え、木、金曜日はまったくなかった。」引き続き腎虚脾実で治療。3診目 「4日間ほどまったく耳はつまらず。アトピーは痒い時があるが、眠れないほどではないので最近は薬をずっとつけていない。」4診目 「耳は一日症状が出た以外は全く問題なし。いつもある生理時の気分の落ち込みがなかった。」5診目 「一瞬、耳がつまったが30秒ほどで治る。」6診目 「まったく耳がつまることはなかった。」7診目 「ライブに行った時、耳がつまり、治るまでに15分ほどかかった。それからは一度も耳がつまることはない。」これ以降は全く耳の症状は出ていない。完全に耳の症状がなくなるまでに7回の治療を要しました。この方の場合、耳の不調に気づいたのが半年前と比較的短かったこと、常につまっているわけではなかったこと、そして片耳のみでさほど病が進行してなかったこと、そして耳鳴りなどの付随する症状が出ていなかったことから治りやすかったと言えるかもしれません。しかし、それは治った今だから言えることであって、このような場合でも人によってはもっと時間を要することがあります。というか、まったく同じ人間はいないように症状だけを取り上げて罹患している期間や随伴症状や他の症状の有無や程度など比べてみても人によって治り方は違います。お問い合わせで「〇〇病なんですが、何回で治りますか?」とか「そちらには〇〇病でいらっしゃっている方はいますか?」と聞かれることがありますが、本当にやってみないとわからないのです。鍼灸治療は西洋医学のように薬が化学的に作用して炎症を抑えたり、熱を下げたり、鎮痛させたりという体内の生理機能をコントロールする治療ではありません。人体を一つの機能的物質と考えるのであれば、薬は忠実な働きをするかもしれませんが、それは症状を抑えているだけであって、薬が治しているわけではないのです。治しているのは自分の自然治癒力であり生命力なのです。やってみないとわからないのであれば(もし治らなかった場合にお金がもったいないので)治療は受けないのか、あるいはやってみようと前向きに考えられるかはその方次第だと思いますが、どんな治療を受けようとも主体は自分であるということ。うまく言えませんが、どうしたら良くなるのか有形無形に主体である本人の関与(気づき?)が必要ではないかと思います。ちなみに上記の女性は途中から低用量ピルを止め、ステロイド軟膏も止められました。特に私が何も言わないのにです。サルビア鍼灸院

  • 09Feb
    • 「本治法」(ほんちほう)― 全身治療の意味

      今さらなんですが、誤解されている方がいらっしゃるようなので当院の行っている全身治療について書いてみます。どう誤解されているかというと、全身というのがパーツ、パーツを足したものだと考えられているようなのです。肩、腰、背中、お腹、そして足や手に症状があればそこも、耳や鼻に症状があればそこも・・・。それらにそれぞれ施術して全体だと。いえいえ、違います。全身治療というのは全体治療。つまりその人をトータルとして診るということです。たとえば、肩こりがつらくて来院されたけれど、子宮筋腫や冷えがある。お腹も弱くすぐ下痢をする。胃も時々痛い。口内炎も時々。飛蚊症もある。眠りが浅く、物音ですぐ目が覚めてしまう。そういう症状を持ったその人全体を診てその人の問題になっているところが五臓の中でどこなのか、そしてその問題のしわ寄せを受けているのがどの臓器なのか。あるいはその人の全体の傾向。体力があるのか虚弱なのか。病勢は強くて激しいのか。さほど激しくは出ないがずっと体調がすぐれないとか。その様々な症状を併せ持つ身体に対して脈診流経絡治療では「本治法」(ほんちほう)という全体に影響を及ぼす手技をします。「本治法」は病の本質を治する法で、そのためには「証」(しょう、又はあかし)を決めなければいけません。その人の全体のどこが問題なのかを診ます。それらを顔色や皮膚の感触、声やしゃべり方、姿勢や歩き方、問診票を基にお話しを伺い、腹診、脈診をして最終的に「証」(あかし)を決定するのです。「証」はそれぞれ人によって、また同じ人でも日によって異なります。もちろん、病名が同じ方でも「証」は違います。そもそも、東洋医学は病名治療でも、対症療法でもありません。当院には耳の疾患や爪の疾患で来院されている方が多いのですが、耳や爪に効く独自の治療メソッドを持っているわけではないのです。ましてや、耳の周りや爪の周辺に鍼を刺しているわけではありません。すべて「本治法」です。そして「本治法」というのはその人が持っている自然治癒力を呼び覚まし、生命力を高めるのです。この“その人の持っている自然治癒力を呼び覚まし、生命力を高める”と説明してもなかなか伝わりにくいものですが、実際に治っている人を見ていると“その人の持っている自然治癒力を呼び覚まし、生命力を高める”ということがこういうことなのかということを実感します。しかも、当院の行う脈診流経絡治療の場合、鍼は接触するだけで切皮(皮膚を切って鍼を刺入すること)することのない本当に軽い刺激なのです。こんなんで効くの?と思われるかもしれませんが、刺激は強ければ良いというものではありません。むしろ皮膚表面の浅い刺激だからこそ効くのです。本治法で良くなった場合は後戻りすることがありません。治療を受けた後は良かったけど、またぶり返してきたというのは治ったことにはならないのです。ある特定部分の痛み、痺れ、機能不全などはそこだけが悪いのではないのです。何らかの原因によって生命力が低下して自然治癒力が弱くなった結果、弱い部分に症状として出てきているのです。だから、「本治法」によって自然治癒力を呼び覚まし、生命力を高めることで症状は消えていくのです。サルビア鍼灸院

  • 06Feb
    • ぎっくり腰の症例

      40代女性この方は今までに7~8回、ぎっくり腰になられたことがあり、前回は1年半前にぎっくり腰になられたそうです。今回は朝の出勤でバスに乗っていて、降りようと座席から立ち上がったところ、ぎっくり腰になられました。その日は痛みを我慢しコルセットをして勤務。次の日、少しましになるだろうと思いきや、まったく良くならない。結局、発症して翌々日に来院されました。いらっしゃった時は腰をまっすぐに立てられず、ソロリソロリと歩かれ、横になっての施術が難しいかもしれないと思いながら、何とか仰向けにはなれました。しかし、脚を伸ばすと腰が痛いので脚は曲げたままで施術。本治法は肝の虚で脾実が見られました。気になったのは胆経の硬く細い脈の実で、それを瀉法で取り、全体の脈状も細く緊張していたのが、丸みを帯びて程よい太さになったところ、脚を伸ばしてもらっても痛くないことを確認。本治法で腰の痛みがほぼ改善しました。標治法は左足の膀胱経「崑崙」に透熱灸と下腹部を棒灸で温め、終了。腰は触りませんでした。3日後、来院された時は痛みもほとんどなくなり、腰をまっすぐ立てて歩けるとのこと。念のため、コルセットはしているが、動作も軽やかでベッド上での寝返りも問題がありません。この日はうつ伏せにもなっていただき、腰部のお灸もしました。そして、帰りはコルセットなしで帰られました。「今までギックリ腰でこんなに早く治ったのは初めてです。」とのこと。そしてその4日後、まったく普通に戻り、ぎっくり腰の片鱗はありません。もちろん、コルセットなしで日常生活も問題なく過ごされています。ご本人の希望で冷え症や生理の度に頭痛がする体質を改善したいとのことで継続してご来院されています。サルビア鍼灸院

  • 04Jan
    • あけましておめでとうございます。

      あけましておめでとうございます。ようやく今日になって恵比寿界隈も少し活気を取り戻してきました。今日から仕事始めの方もいらっしゃるのではないでしょうか。健康は体調を崩して初めてその有難さを実感します。どんなに今まで身体や精神を意識することなく当たり前のように行きたい所に行き、食べたいものを食べ、やりたいことをやれてきたか。健康そのものだけが目的ではありません。いかに自分の思いを無理なく実行できるかということが人間としての喜びであり、家族や周りの人への務めだと思います。そのための健康です。そのお手伝いをさせていただきたいと思っています。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。サルビア鍼灸院

  • 31Dec
    • 今年を振り返って

      私事ですが、今年は本当にいろいろありました。世間的に見ればあまり良いことではないことがいろいろと。人生山あり谷ありで言うと谷の方でした。「世間的には」と書きましたが、本当は起きていることは良いも悪いもないということも十分に承知しています。起こっている事実を私が良いとか悪いとか勝手に決めているだけのことです。何か変化がある時というのはそれまでの生き方ややり方や考え方ではダメだと宇宙というか神さまがお知らせしてくれているのだと思います。促されているのです。そして苦しい時、うまくいかない時にもっともっと頑張ろうとしてしまいます。これは頭で考えています。「~ねばならない。」「~すべきだ。」でもこの方向に行く限り本当の自分と分離してしまいます。本当の自分はどうしたいの?したいこととしなければいけないことの区別って難しいです。頭でしたいというのと心でしたいということとの区別はそう簡単ではないけれど、直感的にやりたいと感じたことは後先の計算なくやってみることでしょうか。私にとって困難だったと感じたこの1年、そのことがあったが故に新しく始まったことや新しい人との出会いがありました。人間何かがなければ今までのようにやってしまいます。その方が楽だから。でもそれではダメだよと揺り動かされるというのは変容するチャンスなんですね。年の瀬に妙に感傷的になっています。この一年皆さまはどんな年でしたか?良いも悪いも本当はありません。結局、そこからどうするかなのです。今年もありがとうございました。良いお年をお迎えください。サルビア鍼灸院

  • 17Dec
    • 加藤諦三先生のテレホン人生相談

      最近、ニッポン放送のラジオ番組『テレホン人生相談』 (月~金 11時~11時20分)にはまっています。そう言えば、昔からテレビや新聞の人生相談を見たり読んだりするのが大好きでした。相談者のお悩みに対して、回答者がどのように答えるのか、それがとても興味深く、その人の悩みの本質みたいなものを探るのが面白かったのです。この番組は何と!50年以上も続く長寿番組。そしてこの番組を聴くようになったきっかけは加藤諦三先生がパーソナリティーを務めていると知ったからです。(週に1回の時もあれば、もっと多い週もあります。)加藤諦三先生は心理学の大家で著書が多いので一度や二度その本を手に取った人は多いと思います。私は学生時代のある時期、何冊も読みました。でもその頃は先生のことを凄いと正直感じていなくて、いわゆるハウツー的な意味で読んでいたと思います。そしてここ1~2年、また私の中で加藤諦三ブームが起きています。久しぶりに読むと学生の頃に読んだ時とは比べ物にならないほどの深さで心に入ってきます。つまり、人生経験を積み重ねることによって自分の考え方や行動の癖、そして繰り返す失敗などの傾向からそれはこういうことだったのかと妙に納得することが多いのです。どんな両親やどんな家で生まれ、どんな育ち方をして親はどういう人でそれに対して自分はどういう態度を取り生きてきたか。そして人生の折々でつまずく原因が育てられ方によってできた心や行動の癖(歪み)からくることに気づかされるのです。番組の中で加藤先生はパーソナリティーつまり司会者なので回答者ではありません。電話をかけてきた相談者に年齢や家族状況、そして相談事を聞いた上で、日によって変わる回答者に橋渡しをされます。回答するのは加藤先生ではないのですが、番組の最後に加藤先生がズバリと言われる相談者の心理を読み解いた言葉がホントもう秀逸なのです。その言葉によって相談者がはっとする瞬間がわかります。ラジオだから見えないのに、その空気で本当にハッと気づいたというのがわかるのです。そして加藤先生は気づいたことでその問題が解決したことを「あなたの未来は明るいですよ。」とか「今日はあなたの第二の誕生日ですよ。」と励まされます。これは大げさでも何でもなく、自分の心や行動の癖、今まで認めたくなかった真実を正面から認めることによって人間は大きく変わり得るということを言っているのです。そのためにはまず気がつかなければならないのです。人生相談に相談してくる人の悩みは多種多様でかなり深刻な状況の場合もありますが、まったく他人事ではないのです。というのは状況の違いこそあれ、同じような心理状態で生きづらさを感じている人はたくさんいるからです。ただ起きていることが違っているだけなのです。それにしても何と人間は健気でそして愚かなのでしょう。相談者の相談は、誰も一笑に付すことはできないと思います。加藤先生もかなりのご高齢になられますが、この先もできる限りこの番組を続けていただきたいと思います。サルビア鍼灸院