我が家では家に帰ったらテレビをつけるとか、食事をしながらテレビを観るとか、必ず〇〇時のニュースを観るとか、朝ドラを観るとかという習慣はありません。
なので、コロナウィルスの情報に疎かったのですが、いらっしゃる患者さんが口々にどこそこで感染者が出たとか、クルーズ船がどうたらこうたらとか、まあいろいろ教えてくれるので、だんだんその筋の情報を得るようになりました。
それでニュースを時々観るようになったのですが、それはどちらかと言うとお話についていくためでした。
ところで、不定愁訴や慢性的な不調を抱えている人は恐怖の多い人が多いです。
恐怖が多いから身体が弱いのか、身体が弱っているから恐怖心が多いのか?
確かに急性症状で激しい衰弱状態になると心も弱り、ふだんでは何でもなかったことが難しく感じたり、否定的な思いにかられてしまうというのはよくあることです。
しかし、往々にして身体の弱い人は恐怖が多く、とても用心深いです。
身体が弱い人というのは自分の生命力に自信がありません。
ちょっとしたことに自分は大丈夫だろうか?という不安があります。
それは今までいろんな疾患を患ったという経緯があるからそうなるのかもしれません。
健康な人というのは根拠のない自信があります。
なんだかわからないけど、自分は大丈夫って思うのです。
インフルエンザワクチンを受ける人の心理は「インフルエンザになったら困る」という気持ちがベースにあると思います。
つまり自分がインフルエンザになる可能性があるという前提があるのです。
でも、「インフルエンザ?自分は関係ないや。」と思っている人はワクチン接種スルーです。
気持ちの中ではたとえ、万が一罹ったとしても数日寝てればいいやと思えるのです。
それで最近たまたま観た韓国時代ドラマ「ホジュン」の中のあるエピソードを思い出しました。
ある地方で疫病が発生し、宮廷医官だったホジュン始め、医官を補助する医女たちが疫病患者の治療に駆り出されます。
その中の医女の一人は自分がその一員に選ばれたことをひどく嘆き、疫病患者に薬を与える時もできるだけ近づかないで放り投げるように薬を渡し、渡すとぱっと離れるというように、あからさまに感染を恐れていました。
そして、結局、医療チームの中で唯一彼女一人が感染し、亡くなってしまったのです。
ホジュンや他の医官、医女たちは濃厚接触していたのに、彼らは大丈夫だったのです。
意識すればするほどそれは近づく。
たとえば、道を歩いていて、向こうから来る人を意識して顔を見てしまうと、お互いよけようにもよけられなくなって、立ち止まってしまうことってありませんか?
相手を見れば見るほどそちらの方に吸い寄せられてしまう。
なんだかそういうことって関係あるように思うのです。
多くの恐怖のある人に怖がらないでも大丈夫と言っても無理です。
でも結局、健康とは心の状態も含めて健康ということで、東洋医学で言う“心身一如”なんです。
「なんだかわからないけれど、自分は大丈夫。」だと思える人が増えるといいですね。