主にわたしのつぶやきインスピレーションです。あわよくば詩・エッセイに。気軽に覗いてくださいね。ルールやマナーを守っていただける方なら無言フォロー歓迎です!
自分でしゃべって自分で笑う人っているけど、自分の中で全てが完結してしまうのだろうか。 習慣化した笑いのフォームを繰り返しているのだろうか? ※ フォームを繰り返していると本当に楽しくなってくる… ? 顔の筋肉が笑う形をとるだけで脳が勘違いして本当に…というあれか… そこに、無自覚に気づいているのかは謎。 ※ お酒に酔うと、笑うの前提で話す、みたいなところが出てくる気はする… ※ フライング笑い、というか、そんなのしそうなくらい笑いを前提にしていたら、すでに楽しくなることが起こる準備が整ってしまっている。 そういう人・もの・ことと会う日を迎えた証だ。 ※ よく笑う人って、もうはじめから笑いたいんだろうな。スタート地点から違う人だ。 ※ その人の笑い方が好きなら、その人を好きになる可能性も大きんじゃ… ※ かなり久しぶりに思い出し笑いしてしまった。 なつかしいくらいだな、こういう笑い方。 いいことならなんでもいいのに、長い間、過去のいいこと思わずにいたのかな。 ※ 「笑い」って人にとって重要なんだろう…一日を振り返ったとき、「笑い」はあったか。 どんな「笑い」だったか。で、何に対して「笑っ」たか… 検証してけば、その時のその人が、どんな人間性だったのかもわかる。 良くも悪くも、「笑い」が人らしい人をつくるからだ。 ※ 同級生と十数年ぶりに会った。 容貌がかなり変わっていたので、はじめ誰なのかわからなかった。けれど、笑った表情を見たら誰かを思い出した。 笑い方は変わらないんだなぁと思った。 あと、身振り仕草や歩き方とか”癖”は変わらないみたいだ。 ※ そういえば、漫画に描かれる個性の強い登場人物は、笑いも個性的だなと。 今、頭に思い浮かべているのは、『ワンピース』の黒ひげと白ひげの笑い方だけど。 (ゼハハハ~とかグラララ~とか普段は聞かない個性的なもの) あれは強い個性(=癖)を表現しようとした時、自然要請されて出てきたものっぽい? ※ 人々がゴッホを笑い、 ゴッホが人々を笑う。 ある天才とある人々にあった関係 10人中9人がよいと言ったらそれは真の芸術か? そんなわけはない。真の芸術は民主主義ではない。 ゴッホが教えてくれたことだ。 ※ ダ・ヴィンチは、数ある笑いの中から「微笑み」を選んだわけだけど。 パブリックスペースで、長時間、開示される笑いとしては、「微笑み」が一番受け入れられるんでしょうね。 他の笑いは、ネガティブで醜い印象もあるから、美を追求する場合、審美眼やその本質の考察から気にする画家も多くいたので…… もしくは、あえて描くか。 各「笑い」が、どこからやってくるのか。一般の人でも、考えるだけでおもしろいんじゃないかと。芸術って、専門家だけが、愉しむものじゃないと思うし。名画の中には、不変の真理が入っているはず。 「笑い」について考えながら、美術鑑賞しても愉しそう。 ※ お笑い根性という発想はあまりなかったのでそういう発想をしてみたりする。 ※ 逆に言えば、何かかにか壊れていないと/壊していかないと、心の底から楽しくならないということも。笑い、自体そういう運動であり反射であり反応であるのでは。 ※ あんまり笑っていると、自分の中で何かが壊れた~という感覚にならないだろうか?笑いによって壊れたものがネガティブなものならよきこと。少し乱暴な言い方をすれば、笑いは、一つの破壊ツール、いや破壊そのものなのかも? ※ この人と笑いあえたっていう……関係が一歩進んだような喜びはふりかえればありますね。 気になる人だったりしたら、その人と一緒に自然になれた…、本来の自分にお互いなれた…、という一体感からなのか、うれしいもんです。(おわり)
日向と日陰の配合が丁度よくそよ風に動くものと動かないもの自然の中に人の手による作用があり人の美意識はあくまで自然の摂理を邪魔しない気づき自体に出会っている感じがあり庭への意図が愛着へと昇華していくのは人の道への導きにも思えて――ある庭への所感 建仁寺にて
心(の形)は、ひとつと思われがちです。ところが、… ・自己幻想 ・対幻想 ・共同幻想 吉本隆明『共同幻想論』 三つの心の領域がある、という説があります。わたしもかじっただけですが、ほんの表面の知識だけを、羅列していきます。 ① 自己幻想; 一人でいるときの心の形。 ② 対幻想; 自分以外の誰か一人といるときの心の形。 ③ 共同幻想; 三人以上でいるときの心の形。 ここでの「幻想」は、”思い込み”くらいの意味でしょうか。心の中における思考などの精神営為は、所詮、人の思い込みにすぎないよ、と… 簡単に、詳細を。 ① 特にものごとを深く考えたり、自己反省するときには、一人になる必要があります。 ② 恋愛は二人だけの世界観を構築させ昇華させています。ただし恋愛に限らず、単純に誰かと二人でいる場合がこれにあたります。 ③ 核家族・三人以上の友だちグループ、同族意識、伝統精神、地元愛、国民感情、人類皆兄弟など。集団でシェアする心の形。 このように、ひとの心には、三つの領域がある、という説です。 これらの心の領域がお互いにバランスをとって社会生活に応対しています。 その場の状況に合わせて心の領域を入れ替えることは、精神を健全な状態に保つための自然な行いです。 これは精神が崩壊しないためでもあります。 ところが、ひとは容易く、この三つの幻想のバランスを崩してしまう。 例)①と③の錯誤ケース1 ある人が何かの政治デモに参加しています。皆と一緒になって、何かを必死に叫んでいますが、その思想が本当に自分の思想なのか確かめてみたのでしょうか。ケース2 普段、蚊も殺せない性格の人が、軍隊という共同幻想の一員になると躊躇せずに人を殺せるようになってしまう。 (集団思想は自己のもつ共同幻想と勘違いされやすいので気を付ける必要があります。)①と③の錯誤 パターン2ケース3 外国人の一人が国内で犯罪を犯すと、その国の人全てを悪いと決めつけてしまう。 (個人の問題→集団の問題)②と①③の衝突ケース4 恋人関係(対幻想)を優先させるあまり、二人以外の他者への愛をおろそかにしてしまう。愛への理解で自己矛盾してしまう。 恋愛とは、利己主義が二倍になったものに過ぎない。 エーリッヒ・フロム『愛するということ』①と②の錯誤ケース5 片思いの恋愛感情(自己幻想)が、相思相愛という妄想に差し換えられ暴走。ストーカー化。性犯罪に至る。 ニュースなどでよくみる現代病でしょうか。 人の精神(状態)パターンを様々な状況内で説明するとき、心を一つとすると論理的に整合性を保てなくなります。 しかし、人の心はこれらの三つの領域にカテゴライズされて其々に住み分けがなされているとすれば、すっと理解できそうです。 要は、①②③をごっちゃにしないよう警鐘を鳴らすことができる、というわけです。 いや、…ちゃう。そうではなくて… さて、今回、書きたかったことは、『共同幻想論』の簡単な説明などではなく、ひょっとしたら、この三つの心の領域の他に、神仏と接したときの心の領域なるものがあるのでは…?ということでした。(自然発生的な疑問というか…)それは、建仁寺の敷地内を徘徊しているあいだ感じていたことでした。よっつ目の心的幻想とでも言えばよいのか。仏を隣においたときに、現れる心の領域があるとしたら…と。ひとではなく、実体もなく、人智を超えた存在である仏と一緒につくる心のかたちです。煩悩や輪廻、浄土、悟りなどの仏教観を背景にしている環境に囲まれると…先人の方々が積み上げてきた信仰(信じる心)をその身で受け取ります。経験上、これはたしかにあるんじゃないかと。お寺に出かけたとき誰もが自然に感じることではないでしょうか。仏の教えを介して得られる幻想(心のかたちなの)かもしれません。 いや…そもそも、 たえず、 ひとは相対するものによって心の状態を変えているのでしょう。 ペットなどの犬や猫と一緒にいるときは、人や仏と接するのとはまた違う心の状態になっている… それどころか、家庭菜園しているナスやキュウリなどの野菜にさえ…独特の心の状態が形成されている!? (まぁ、それって結局、自己幻想だよね、とは言うことなかれ…神や仏の場合、いるいないの話になってくる… そういえば、イマニュエル・カント(ドイツの有名な哲学者)も、神がいるかを証明することはできないが、それでもそういう存在がいることを要請している方が、よりよく生きることができる、とはっきり言っていた…心のさらに細かな分化であり機微な変化の観察とでもしておきます。) いろいろなものと代わる代わる接していると、心の領域が変化していき、少域であっても爽快さやカタルシス(浄化効果)が生まれているのかもしれません。 万物は流転する。 ヘラクレイトスですが、心もまたトランスフォーマーであると。
詩バージョン夏(インプレッション) 夏は巨大な曲がり角 先など見えない暑いかたまりがまっしぐらにぶつかってくるもの 熱風を潜(くぐ)り抜け真っ青な空と群青の海を一直線に飛び越えてゆくもの見えないままにはじまり人はその中に疾走する影 何度も打ちつける明暗の高波 世間を崖から落とし遠い波しぶきへまっさらにまじりあうことを省みない泡 それを超えるごとに人は青い風景の発露とつながる 太陽を裸にし日射のもとでさらしあった記憶へと 再び迎えるとき思い出の濃淡は心の器に色濃く捌けて さざめく夏の響きを またもう一度耳元に思い出しているもの ※昔書いた詩を少しだけ散文よりにアレンジ。原詩が下今、思うと完全に印象詩。抽象的、観念的。
旅は新しい遠近法。近くにあったものが遠くに。遠くにあったものが近くに。小さかったものが大きくなり。大きかったものが小さくなる。あったものが消えて。なかったものが現れる。Photo by myself in Blackfriars, London.
『ひとは、なぜ 他人を 許せないのか?』中野信子 購入正義中毒考える人は「使えない人」?リベラル脳と保守脳など興味惹かれれるワードが並ぶ脳科学で検証。たまに順番を気にせず読める本が読みたくなることがあります。読了。中村文則の小説『教団X』で、引用されていたドストエフスキーの言葉、「一度、思想に捕らわれたものは、理論に理論をぶつけても変わることはない。変えることができるのは(強烈な実体験による)感情だけ(概略)」の部分を思い出しながら読みました。様々な実験と検証を踏まえた最新脳科学でこれを論証したらどうなるだろう、と。 読み取った趣旨は、・現代人の悪しき習性(SNSやテレビでの芸能人バッシング等含む)を脳科学的に説明。・今一度、立ち止まり、自分自身をメタ認知させることで、正義中毒を防止する。さすがに頭のよい方なので、専門的にではなく、分析したものを誰にでもわかりやすい文章で説明してくれています。🔷ここからはわたしの主観にもとづいた感想というか、随想になります。世界の様相; 人種・文化・民族・宗教などで分断。しかし、思想というものでも分断する。そして、この思想は思った以上に強固な性格を持つ。特に政治思想は、リベラルだの、グローバルだの、保守だの、保護主義(自国ファースト)だの世界レベルで分断を起こす。ともすると人種・文化・伝統・社会哲学を超えて、思想が第一に立ち回る。一方、逆に(反対視点で)考えれば、…人種や民族が異なっても、思想を同じくすれば、地球レベルで共感できる。共闘もできる。リベラル派は他の国のリベラル派と意気投合し、保守派についても同じ。(同様)たとえ、憎みあう隣国でも、思想を同じくする人とは、友人になれる。 (余談)jたとえば、保守派については、関税導入・自国生産など意見が合致すれば、たとえ別の国の政策でも首肯できる。その場合、自他ともに国の伝統、個性を尊重しあうことが条件。(国家間条約・協定は、ウィンウィンの条件が望ましい)金融・グローバル派は同じグループ同士、結びつきやすい。(利権の原理)国家優先主義は、個人のみならず国家社会の重要性を強調することで同調。(個人の権利の行使は、(成熟した)国家があって初めてなされる。故にまず国家を整備することが優先―ルソー的発想) ※思想には肯定面と否定面という二面性がある。兎角、水と油の思想というものがあって、世界を二分するのは、共産主義と資本主義。(大雑把だけれど、社会主義と個人主義。全体主義と自由主義なども。最近は、超監視社会主義(ディストピア)と自由放任主義orプライバシー尊重主義?) (問題)ともすれば、頑固な考え方がすぎることによる社会の偏りが懸念される。思想が絶対性を帯びると、宗教色が濃くなってしまう。しかし、この著書にあるように、 人間自身が本当は一貫していないという現実がある。p.156 (一貫性の原理)人間の脳は現実に接した場合、一貫したままの思想を維持できない。(現実がそれを拒む)(修正を余儀なくされる)一貫性を求めすぎると逆に矛盾やダブルスタンダードにはまる傾向があるようです。本来、人間が考えることなどたかが知れていて、永遠に一貫などしていられない。必ず無理が生じる。それを無理やり矛盾する考えとバランスを取りながら、そのときそのときの世相にある難局を乗り越え、やりくりしていくのが政治。(そのためか、政治政策にはいつも苦肉のあとがある)そもそも、これが人間の脳の限界なので、むしろブレる方が、脳科学的には自然なこと。故に、やはりどこかで妥協、柔軟性が必要になるときがくるのでしょう。実際は、柔軟性は必要に迫られて実行されるのかもしれませんが。要は、舵取りなので、今はどの思想(政策)に舵をとる方がよいのか。「今」を見極めることが大切…※紹介させていただいた本は、あくまで脳の陥りやすい傾向について書かれた本です。政治系の本ではありません。あしからず。(珍しく、思想・政治系の話がしたくなったのでした…)(おわり)
(ひとりごと)夏って次の季節に持ち越せないものが多い気がする。それもその年の夏にしか存在しないものだってありそう…夏を振り返ると何か忘れ物をしたような感覚になる。でも、はじめから何もなかったようでもあり、不思議。どちらにしても、何か騙されたような心理になるのだろうか。夏のお化け? ※夏はアウトドアのイメージだけれど、エアコンの効いた屋内で読書に耽るのも好き。読後、夏の魔法にかけられたような不思議な気持ちになる。 ※夏の寿命が短い予感がすると、夏を愛おしく思えてしまう。 ※夏の予定がたたないのはツライ。 ※近年、一番好きだった夏だが、熱中症になってもう無理。 ※夏なんて半分夢(みたいなもの)。 ※かっこいいお気に入りのTシャツを手に入れれば、この夏を上機嫌に過ごせるのでは。 ※生物が繁茂する季節であり、故に夥しい死も発生する。夏は、生と死のコントラストがもっとも強い。(毎回、道路に虫が死んでいるのを見るとき、ふとそう思う)お盆だとか、お墓参りだとか、とかく死と結びついた行事があるのも頷ける気がする。あとは、終戦のイメージが大きいのだが…。死や霊魂を生の対照として連想してしまう。 ※入道雲があると、あの下には、まだ冒険がのこっているのでは…と妄想してしまう。少年の抱く夏イメージみたいなものが、まだ大人の心のどこかにものこっているのだろう。 ※季節の中で、夏が一番、時間というものに限りがあることを感じさせる。 ※夏の心は無法地帯になりやすいので気を付ける。 ※熱中症さえなければ、夏は好きだ。(おわり)
近況(コロナ感染か)四日くらい風邪みたいな症状が続いていたから、ついにコロナに罹った!と病苦に疲弊しながら嘆いていました。PCR検査もしてもらえなくて。(周りにコロナ感染者がいたり、自らが三密場所へ行った濃厚接触者だとみてもらえる。症状による。地域ごとの医療体制のキャパにもよる。CT検査で肺に異常がわかる。重症化したらみてもらえるなど。基準を満たさないとみてもらえません。)それで、思い込んでいたから、もう色々考えてしまって。しかし、血清検査をしたら、新型コロナどころか感染症ですらなかった。(白血球や炎症反応でわかるみたいです。そもそもこの値の変化が異常ならば、保険センターにPCR検査するよう説得できるかもしれない、という医師の助言から受けたものでしたが。結果、感染症自体に罹っていなかった)床に伏している間、ただの風邪であってくれ、と願っていたのですが、三日四日五日…と全く症状が変わらないと、日を追うごとに、「コロナだ」と思うようになります。それも風邪とはまた違う症状であることが自覚できて、いやな感じなのです。重症化したらどうしようとか、職場や家族に多大な迷惑をかける、とか考えてほんとドン底気分になりました。このまま7~10日休んで軽快したら何食わぬ顔で職場に戻ってやろか、などという発想も頭を過ります。思い込むと本当にそういう症状になってきたりする。頭痛くなってきたり、倦怠感がやってきたり。ネットで情報を見るのもよくない(最悪のケースを見ちゃったりする)。心と体が一体であることを痛感しました。結局、何だったのか。熱中症?症状が似ているらしい。そこに、コロナだ、という思い込みが重なったかも。ということで、本人は絶対コロナだ、と信じてきっていたので、リアルなコロナ感染状況下での心理体験をしたわけです。因みに症状は、体温は平熱咳はなし味覚・臭覚あり食欲は普通喉の痛み(腫れ)頭痛強い倦怠感ごくたまに息苦しい(これらの症状には波がある)平熱で咳がなかったので、何でだろう、とは思っていました。発熱と咳はコロナの初期症状で一番多い例ですから。症状が収まらず、5日6日床に臥せることが続くだけで、相当辛いです。(薬や治療法がないという状況は心理的にいってもキツイ。医者にもらった薬はすべて効きませんでした。まぁ、熱中症ならば、身体を冷やして、スポーツドリンクで水分・塩分補給したりするわけですから、感染系の薬なんかが効くわけありません。なので自力で耐えるのみです。ずっと外に出ずまいなので精神的にも圧迫される)これが(本物のコロナの場合)10日くらい続く人とか、ここからさらに重症化する人、又、それが長引く人、症状がずっと残る人、2週間隔離される濃厚接触者など、本当辛いのがわかる。症状がずっと長引くので、本当に治るのかな、という不安が半端ないです。あと職場が消毒されるんだろうな、とか。周りの人がPCR検査等強要されたり、両親が高齢なこと等、病苦の間、考えてしまう。(これが辛い)結果、総合的に見て、コロナ感染は、本当に恐ろしい。神様に騙されたような体験でしたが、変なリアル感をもって体験したという話でした。※血清検査は、白血球と炎症反応の異常がわかっても、新型コロナ感染とははっきりとわかりません。別の感染症かもしれないからです。ただし、この変化した値がそれほど異常を示さないのであれば、仮に新型コロナウイルスによるものであったとしても、重症化しにくい傾向があるそうです(絶対ではない)。それがわかるだけでも、気持ちの面で相当、楽になれるのでPCR検査ができないのであれば(簡単な血液採取でできる)、やってみる価値はあるな、と思いました。(おわり)
よこはまこころは 蛍のよう 横浜の シーサイドへ 集まりなさる しっぽり 濡れてもいい いつまでも いつまでも お見送りしましょう 港の足下に こころは 呼び止められます 浜のこころは ここまで届きます あぁ、 きれいでございます あの よこはま 本当に あっ カモメが一羽 大きな夜景から 飛び出した 夏夜に生まれた 夜風に パラダイスはあそこだよと 蛍はいそぐ 幻聴まじえて 耳打ちされたのは 桜木町の近くの 山下公園の手前 どこかの水面(みなも)に ひかりの裾がのびている 甘さなど 夜に解けてしまったのだろうか? まばゆい視線の先に たじろいでも こころは 小さく翅を動かしなさる
仮に、目の前に死神が現れ、余命三日を宣告されたとしたらそのものの残り三日は、どのように生きるのかもどのように死ぬのかも同じ意味合いになるのだろうか?photo by myself in Ritsurin Garden Park,Takamatsu City, Kagawa.
『ペスト』カミュ 購入。 この地上で、もっとも恐ろしい感染症の一つペスト。 ヨーロッパ人にとっては悪夢を思い起こす病名だろう。 アフリカ、アルジェリア(当時、仏領)の港町オランを舞台に、ペストの流行を再現体感する。 ただ全然、進まない。二度中断。なんとか読み終える。 オランにいる様々な職業の人たちを通して、ペスト禍での人々のリアルな心情や感染推移を描写。極めて、冷静な筆致に努める文体。 医者 リウー(主人公) 神父 パヌルー 作家志望 グラン ジャーナリスト ランベール 判事 オトン 犯罪者 コタール よそ者 タル― などそれぞれがどんな考えをするようになるのか。文学的な読み処はそんなところか。――現在の新型コロナウイルス感染の状況と照合する読みなら、行政の対応や人々の反応など類似部分をたのしむのかな。(朝日新聞や毎日新聞が注目というところは、上記のような意味合いでだろう) この小説を読んでいて思ったこと。 (疑問A) 客観だけになったら文学と言えるか? 主観を凡て排除した文学を想像できるか? という命題―――観察記録みたいな形式をとっているだけに読んでいる最中、こんな疑問が頭に浮かんだ。 極力、観察に徹した書き方をしているので、逆に人々の感情の現われを正確に捉えられるかもしれない。 小説はもっとも客観的な文学であるという定義はあるが、あくまで文学という主観軸上での客観の極地になる。『ペスト』はどのくらいの位置にあるだろうか。この主観軸を振り切るか切らないかの微妙なライン? ペスト禍での人々の心理を記録したら、それは文学になるのか。心理学と何が違うのか。(わたしごときにはまとめられない) (疑問B) 悲劇について 悲劇とは人間の内的意志や自由の要請に基づいて起こる。悲劇は人間が進んで望んだ事件であって、人間が外的に強制された事件ではない。これは、どんなに妙に聞こえようとそういうものであって、凡ての悲劇の傑作が、これを証している。 『武蔵野夫人』小林秀雄 文学批評からの引用 批評家・小林秀雄が書いていることにも賛否はあるだろう。が、とりあえず、この引用文から『ペスト』を考えてみるとどうなるか。(あくまで文学上での悲劇の意味) 人のやることには何かにつけいろいろ予期せぬものを、知らぬまに巻き込んでいる、ことがあるので、その因果のうちの一つ二つが悲劇につながってしまうことは実際によくある。行為のスケールが大きくなり、悲劇の規模が大きくなればなるほど、(全体のうねりである)ストーリーもまたドラマチックな様相を見せる。 例でいうと(思いついたものが、古典戯曲になってしまったが)、『オデュッセイヤ』や『オイディプス王』、『ロミオとジュリエット』など。日本文学でいうと、『平家物語』、『蜘蛛の糸』などか。 思わず、人間という存在のちっぽけさを嘆いてしまう。 一方、カミュの『ペスト』は、この引用とは異なる悲劇だと言える。自らの内的意志の要請で道を進んだわけではなく、ペストという感染症(外的要因)に襲われた結果の悲劇になっている。これは謂わば、自然災害や交通事故のようなもので、自らの自由意志が招いた悲劇ではない。 悲劇の原因が、事前に自ら踏み込んでいったことに起因しないので、切っかけ自体が悲劇性や運命性を帯びてこない。 人間の恣意的行為が招いた知らぬまの領域からの結果という悲劇ではない。 ただ、別の引用で、 命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。『モォツアルト』小林秀雄 ということがある。しかし、さすがに、舞台は20世紀半ばで。科学的知識が常識となった時代では、感染症(外的偶然)を宗教的に結びつけることは稀だと言える。 むしろ医者リウーの態度がそう示すように無神論的アプローチとなる。(これは当時のカミュのライバル、無神論者で実存主義の標榜者サルトルやボーヴォワールの顔をどこか思い浮かべることができる) この小説は、人々が運命や神に翻弄される話ではなく、むしろ、(たとえ微力でも)意志や決意によって運命論に挑む姿勢を描いた話ではないかと思う。(その意味で、古代戯曲のような個人が運命に翻弄、呑み込まれる悲劇ではない。近代の夜明けを感じさせる小説のひとつ。 ただし(個人的に)リウーと対照的な神父パヌルーのペストと対峙する際の神への忠誠(精神)には興味がわく。 (感染病が蔓延していくリアルな進行過程で) ペストに打ちのめされて、生きようとも死のうとも、どのような精神態度でいたかをリアル感をもって知らせることが、この小説の最大の存在価値であり、文学たらしめん~~うんぬんより注目されることではないかと思う。 (疑問C) 読んでいて、二度も中断してしまったのは何故だろうか。 おそらくの推測… この作品には、「感覚」がたくさんあるが、「直感」が少ないのではないだろうか。特に強烈な閃き(第六感)と結びつく言葉がないため、読むのに疲れてしまう(もしかしたら、退屈してしまうのかもしれない…)。「感情」や「思考」も精緻な文章技術で書かれているが、極端に、「直感」だけが欠落している。垂直的に降りてくる言葉がない。 カミュの処女作『異邦人』もそうだったけれど、その時々の「感覚」が進行しているだけの印象。(映画的?という見方もできるかも) 夢分析で有名な心理学者カール・グスタフ・ユングのタイプ論では、”感覚”と”直感”は同一線上の対極の関係にあり、また”思考”と”感情”も同一線上の対極の関係にあるという。ユング的に分析したら、カミュはどんなタイプになるのだろう。と少し変な興味を抱きながら、想像してみたり…(うまく書けたかちょっと自信ないけどとりあえず)おわり。
パブリックの目に耐えられる詩をもっと読みたい。poetry "People You Love" by Robert Montgomery 何気にBBCで現代アート特集を観ていたのですが、取り上げられていた何人かの(現代アーティスト達の)中に、ロバート・モンゴメリーというテキスト・アーティストがいました。 さまざまな文字を公共の場でアート作品として展示しています。(これは多くの詩人にとって涎が出るほどうらやましい…を通り越して羨望に値することだと思います) 材料・方法も、電光(ネオン)・火炎(フレーム)・貼り紙・ビルボード式など多種多様で、飽きることがありません。(マテリアルとしての意味も作品に敷衍させています)。 外国の詩は、政治性、社会性に結び付くものも多くパブリック・スペースと相性がいいのかもしれません。 英国人ですので、当然、英語で書かれたポエムですが、作品群へのリンクです。 すべて公共のストリートで表現されたもの。(視覚情報とコンセプトを思うだけでもおもしろいと思いますが、なんとなくの感じはわかるかと思います)モンゴメリー作品(英語) 写真はこちら(ふつうにググれば、さまざまな作品が見れてしまうので、いくつか貼り付けてみます) 考えてみれば、街中で見かける文字は(標識を除けば)ほとんどがビルボードであって、ほぼほぼ資本主義・商業主義と結びついています。商業主義=お金儲け・企業利益主義ですね。 なかなか気の利いた文字だな、とかユーモアのある文字、心温まる文字、一家言的な文字、いろいろありますが…どれも完璧に文字の意味だけで独立しておらず、キャピタリズムに支配されているアドバータイズメント(広告)、と気づけば少し、げんなりとしてしまうかもしれません。 これもリアリティということでしょう。このアーティストはそこをジョークと皮肉でアート化して、乗り超えていこうという側面を見せています。 彼自身文字アートを収入にしていることがまた皮肉なのですが、それを含めた巨視的な目で気づかせる、というところまでが彼のアート哲学なのでしょう…ふつうにロゴ入りのTシャツを販売しているし…(最終的には彼の作業はアートに集約されているということで街中にあるビルボードと差別化できます。町や都市にいつもと違う意識を持たせる文字があると新鮮でいいなと思います) 皮肉とジョークを表現形式にするのは英国人らしい(正確にはスコットランド生まれ)。かっこよくぴりっと刺激的でウィットに富んだ皮肉はかの国では評価されますね。 ―”People You Love"に出てくるghostについて― 英国映画『フォー・ウェディング(Four Weddings and a Funeral)』にも、”ghost”という暗喩が出てきたことを思い出しました。そこでの意味は、別れた元カノたちの比喩でした。 ここではもっと広い意味合いで使っていて、番組を観る限り、芸大時代に、交通事故で亡くなった友人への思いが発端だったようです。当時、死んでしまってもどうしても死んだとは思えなかった(夢で見たり、魂がまだいるような気がした)…そんな友人を心の中の”ゴースト”として肯定的に扱ったことでできたポエムのようです。(いまだ”ゴーストとして”存在していると) また、ある人は、昔、戦争で亡くなった人を、別の人は、別れた恋人を、または最近、なくなった親戚と新たに生まれた赤ちゃんのことを…(作品の解釈は作者の事情から離されていくところがありますね)今回、観たBBCプログラム(2:40~3:16)→BBC現代アート(ロバート・モンゴメリー)YouTubewww.youtube.com 余談ですが、韓国人のラッパーが無許可で作品をパクッているとも 本人は、笑っていますが。 (動画によると) 彼の(このパブリック・)ポエムを、自分の腕やお腹にタトゥーしてしまった人たちまででてきたようです。 ある意味、詩人にとって、最高の賛辞・栄誉と言えるのかもしれません… (モンゴメリーは、見ず知らずの他人に感動を与え、何かの一助になればアートの本懐とも…まぁ、出来過ぎた答えですね(笑)) 心に刻む、とはよく聞きますが、自分の体に刻む…、となると、本当に心に残ったように思えてきます…(もちろん、タトゥーについての見方は文化によって違いがあります) ただ詩集を買わせるのではなく、タトゥーさせてしまう詩人…こんな詩人がいるんだなと。感心したところで 今回はおわりです。
雨降りの日はいつもは気づいていないものを気づかせてくれる気がする?しっとりとした雨をしばらく眺めていたあとで君に会ったら…いつもと違う君に気づいてしまう――?photo; free material by Luke, Ma
詩の言葉は残酷であっても繊細であれこの繊細さが読み手の憐憫さに訴える憐憫なリアリズムである
知らない町の雨を5分も眺めていられるならもうその人は詩人でしょうphoto; weathernewsより
雨は静けさを演奏する音楽photo; free material
世界は姿勢を変えたいや寝返りを打っただけかまだ夢でも見ているのだろうかいつになったら目を覚ますのだ題名は、「平和ボケ」くらいか…
(補足と訂正) 数学の問題のように補助線を引くと、すんなり解けるようになる歴史観というのは、たのしいものです。 今回の場合、古代史(7世紀の日本国内の政情)に「グローバル派(親中派)vsナショナリズム派」という視点を持ち込むことが、補助線を引くことになります。 とは言え、この視点は、かなり個人的な見解を盛り込んだものなので、そこは素人のif。ifの範疇は抜け切れていません… 歴史の細かい流れも省いて、特に後半は(ものすごく)ざっくりとしたディテールでしか書いていません。 しかし、白村江の戦いの後、唐との関係をどうするか激しく議論されたことは想像に難くありません。これは間違いないことでしょう(天智天皇は唐の侵攻に備えて九州に防人などをつくっています)。 高句麗を滅ぼした後、半島では、新羅と唐の間で争いが起こります。ごたごたした後、新羅がなんとか半島を統一します。とはいえ旧高句麗の北半分は、渤海や唐が奪い、新羅も唐に対して、朝貢・冊封の態度を継続したので、疲弊した両国はこのあたりを落としどころにしたのでしょう。 ですので、高句麗を滅ぼした後、新羅は、最低限の領土を確保するため、唐と戦争をしています。ここで新羅が、踏みとどまった事実はあります。(ここらへんが前の文章では省かれていたので、印象として正確に伝わらなかったことを反省しています。新羅に抗戦はあったということです。元高句麗の残党を支援したり…) 最終的に紆余曲折して、中華思想の冊封体制に組み込まれていくのですが… 言い方は悪いのですが、新羅が頑張ったおかげで、日本の盾(緩衝地帯)となり、日本は大国唐を隣にすることなく、安全を確保し、自国の文化を保護・発展させることができた面があります。(あるいは、外国勢力がすべて疲弊するところまで読んでいたのかもしれません) 唐と新羅が戦争をする際、大友皇子は唐サイドに近づき、大海人皇子はこれに反対したという説があります…大海人皇子は、唐を恐れ、むしろ新羅が生き残って日本の緩衝地帯になってくれることを望んだのかもしれない。新羅派だったという説もあります。そこらへんも謎ですね。
「日本」という国名や国家意識がはじめてこの国に生まれた経緯。 「天皇」という称号がなぜ使われるようになったのか。 ここらへんをつらつらと書いてみようと思います。 今回書くのは、ある角度から見た歴史観です。 (知っている人はふつうに知っている話なので、そういう方には申し訳ない内容になってしまいます) ここで言う「日本」とは日本という国名と高度な政治制度を持った国家体制のこと。 (7世紀の日本と周辺事情) 7世紀の東アジアの勢力図は、中国に大帝国、唐、朝鮮半島に高句麗・百済・新羅の三国が三つ巴で争っている様が見てとれます。一方、日本では、大化の改新を終えた中大兄皇子(のちの天智天皇)が新しい政府をつくろうとしています。 唐が新羅と組み、百済を攻め滅ぼしました。これは、(強敵)高句麗を倒したかったからです。隋の時代から倒せなかった高句麗を倒すには、まず背後の百済を滅ぼし挟み撃ちすればよかったからです。(ちなみに高句麗は朝鮮民族ではなく、北方民族。おそらく女真族系。のちに渤海・金・清などの強国をつくった民族(のちの満州人)。この後もこの地域の歴史にずっと出てくる重要民族です) 当時、百済と日本には密接な関係があったらしく(高麗の正史(『三国史記』という歴史書)には、百済は倭人との連合国家とまで書いてあるそうです(ただし半島の人はこれを無視しています)。たしかに仏教の伝来も百済からでした。半島最南西部に前方後円墳もいくつか発見されています(日本のものの方が古い)。また日本の皇族と血縁関係があったのではないかという推測もあります。謎が多いところですが、日本と関係が深かったのは間違いないようです。 中国の「隋書」にも「新羅と百済は倭国を文化大国として敬仰している」と書いてあるそうです。(詳しくはググって…) その百済が滅ぼされた時、たくさんの王族や人々が日本へ逃げてきたそうです。 この時、天智天皇は、当時の日本の人口としては空前絶後の2万五千という軍勢を率い、唐・新羅の連合軍と戦うことを決めます。当時の日本全体の人口からすると相当の規模の兵力だったようです。まさに国力のすべてを賭けて戦いに挑んだ。国の命運をかけた戦い。なぜそこまでして?と思うのですが。非常に興味深い歴史の謎です。それほど当時の日本にとって、朝鮮半島(特に南部)は、重要な地域だったのでしょうか。 この古代史における重要な(歴史的)戦いを白村江の戦と言います。この大きな戦いで、日本軍は全滅しました。完膚なきまでに打ちのめされたわけです。それ以来、古代日本は朝鮮半島への政治介入を一切やめることになります。 その後、唐・新羅連合軍は、高句麗を滅ぼし、新羅が朝鮮半島を統一します。(ただし、大国唐と(唐頼りで統一を果たした)新羅とでは対等の条件で条約を結べるわけもなく、新羅は中国に臣下として扱われることになります。(新羅はおろか後につづく高麗、李氏朝鮮…朝鮮半島に生まれた王権はすべて新羅と同じ運命を歩むことになります) さて、その後、日本では何が起こったのでしょうか。あきらかに、国内に動揺があったでしょう。国力が何倍もある大帝国唐に対して、戦いを挑み、これでもかというほどの壊滅的打撃を受け完敗してしまった。国内は、親中派とナショナリズムの両勢力が対立することになります。いわゆる天智天皇の子、大友皇子と天智天皇の弟、大海人皇子(のちの天武天皇)が継承権争いをする壬申の乱がおこります。これは、教科書には、単に継承権争いとしか書いていないようですが、実際は、当時のグローバル派or親中派(大友皇子)と国粋主義者(大海人皇子)の対立と見て間違いないでしょう。 結果、大海人皇子である天武天皇が勝利します。 この時、急激に「日本」という国家意識がつくられるようになりました。 二回目の遣唐使の際、書状に、はじめて「日本」という言葉が使われます。これは、あきらかに7世紀はじめ、聖徳太子が遣隋使を通して当時の中国皇帝(隋の)「煬帝」に贈った書状に書かれた「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に~」に見られるような含意を込めた国名です。 そして、はじめて「天皇」という称号を使用します。それまでは、「大君(おおきみ」とか「大王」でしたが、わざわざ変えたのです。そして、「古事記」「日本書紀」の編纂。(いろいろなものがかなり乱暴なやり方で統合されていきました。それも歴史の事実でしょう) それまでぼんやりとしていた各豪族の連合という世界観にいた日本人にはじめて統一された国家という共有意識が形成されていきます。 「天皇」がなぜ天皇なのか。それは、明らかに、中国皇帝に対して、日本は独立した国になりますよ、というメッセージです。 当時の東アジア世界は、中華思想という世界(宇宙?)観が幅を利かせていました。(というか今だに中国はこの意識で周辺国を扱うところがあります)宇宙の中心は中華(漢字を使う地域)であって、中国皇帝こそその中心に座するという思想です。近隣諸国は、中国皇帝に「朝貢」という形で貢物をします。そうすることで中国に(準)服従・臣下の礼をとることになります。これを受け皇帝は、朝貢した者をその国の正式な王と認め庇護下に置きます。これを冊封と言います。中国皇帝は、朝貢された2倍も3倍ものお返をします。時に、その地域・王国へ軍隊を派遣し助けてあげることもします。これにより、東アジアの治安のバランスは保たれるという塩梅です。 日本も、それまでずっと中国の冊封を受けてきました。邪馬台国も魏に朝貢し、「親魏倭王」の称号と金印に加え、多くの銅鏡をもらいました。そしてよろこびました。 しかし、聖徳太子から天武天皇にかけて、日本は、中国の中華思想から外れ自立しようとしていた流れがあるわけです。もう、中国には頭を下げませんよ。朝貢もしませんよ。もう学ぶことはありません。遣唐使もしばらくしたらやめます。中国皇帝と日本の天皇は対等ですよというメッセージを送ったわけです。 それ以来、日本は、中国に朝貢をしていません。(例外として室町幕府三代将軍、足利義光だけが、経済的理由から売国的政策をしました…) これは東アジア全体では、異例で、中国のほとんどの周辺諸国はその後もずっと中国に朝貢をし続けています。 もちろん、これは中国皇帝からしたら大変失礼なこととして受け止められるでしょう。 中国の各王朝が、怒って日本に軍隊を派遣しなかったのは、ひとえに地理的条件からの理由でしょう。日本に至るまで、女真族の勢力(渤海)や朝鮮半島があり、しかも海という厄介な自然の障害物があったので、わざわざ攻めにいこうとするモチベーションまでには至らなかったようです。お互いある程度の距離があるので、差し当たっての脅威にはなりにくかったからでしょう。中国自体が(内紛や北方民族の侵攻など)それどころではなくなるという運のいい場合もあります。(大軍を編成し動かすにも莫大なお金がかかる。たびたび大帝国は軍事費が払えずに滅んでいく) ただ、新羅をはじめ、その後の朝鮮王朝である高麗、李氏朝鮮は、王国であって統治する者は「王」です。圧倒的実力差のある中国皇帝に対して、へりくだってしか生き残る術がなかった。その歴史的苦労は相当なものだったでしょう(三跪九叩頭の礼)。海に囲まれている日本人には決してわからない苦悩です。それなのに、自分たちより下位と思っている日本が、中国皇帝と対等の「天皇」の称号を勝手に名乗り、地理的条件から中国や北方民族の脅威をそんなに感じずに国を運営している。彼らからしたらこれが許せないのです。だから、今でも韓国の政治家やマスコミは、「天皇」陛下のことを「日王」と読んだりしています。皇帝なんておこがましい。東アジアに皇帝はただひとり。中華皇帝のみであるという隠れた心理構造があるわけです。ですので皇帝を含意する天皇ではなく、その下位である「王」を名乗るのが筋だという論調です。(おわり)
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