『ひとは、なぜ

 他人を

 許せないのか?』中野信子 購入

 

 

正義中毒

考える人は「使えない人」?

リベラル脳と保守脳

など

興味惹かれれるワードが並ぶ

 

脳科学で検証。

 

 

たまに順番を気にせず読める本が読みたくなることがあります。

 

読了。

 

 

中村文則の小説『教団X』で、引用されていたドストエフスキーの言葉、

「一度、思想に捕らわれたものは、理論に理論をぶつけても変わることはない。変えることができるのは(強烈な実体験による)感情だけ(概略)」

の部分を思い出しながら読みました。

 

様々な実験と検証を踏まえた最新脳科学でこれを論証したらどうなるだろう、と。 

 

 

読み取った趣旨は、

・現代人の悪しき習性(SNSやテレビでの芸能人バッシング等含む)を脳科学的に説明。

・今一度、立ち止まり、自分自身をメタ認知させることで、正義中毒を防止する。

 

 

さすがに頭のよい方なので、専門的にではなく、分析したものを誰にでもわかりやすい文章で説明してくれています。

 

 

 

🔷ここからはわたしの主観にもとづいた感想というか、随想になります。

 

 

世界の様相; 人種・文化・民族・宗教などで分断。

しかし、思想というものでも分断する。

そして、この思想は思った以上に強固な性格を持つ。

特に政治思想は、リベラルだの、グローバルだの、保守だの、保護主義(自国ファースト)だの世界レベルで分断を起こす。

ともすると人種・文化・伝統・社会哲学を超えて、思想が第一に立ち回る。

 

 

一方、逆に(反対視点で)考えれば、…

 

人種や民族が異なっても、思想を同じくすれば、地球レベルで共感できる。共闘もできる。

リベラル派は他の国のリベラル派と意気投合し、保守派についても同じ。(同様)

たとえ、憎みあう隣国でも、思想を同じくする人とは、友人になれる。

 

 

 (余談)

jたとえば、保守派については、関税導入・自国生産など意見が合致すれば、たとえ別の国の政策でも首肯できる。その場合、自他ともに国の伝統、個性を尊重しあうことが条件。(国家間条約・協定は、ウィンウィンの条件が望ましい)

金融・グローバル派は同じグループ同士、結びつきやすい。(利権の原理)

国家優先主義は、個人のみならず国家社会の重要性を強調することで同調。(個人の権利の行使は、(成熟した)国家があって初めてなされる。故にまず国家を整備することが優先―ルソー的発想)

 

 

  ※

 

思想には肯定面と否定面という二面性がある。

 

兎角、水と油の思想というものがあって、世界を二分するのは、共産主義と資本主義。(大雑把だけれど、社会主義と個人主義。全体主義と自由主義なども。最近は、超監視社会主義(ディストピア)と自由放任主義orプライバシー尊重主義?)

 

 

 (問題)

ともすれば、頑固な考え方がすぎることによる社会の偏りが懸念される。

思想が絶対性を帯びると、宗教色が濃くなってしまう。

 

 

しかし、

この著書にあるように、

 

人間自身が本当は一貫していないという現実がある。p.156

(一貫性の原理)

 

人間の脳は現実に接した場合、一貫したままの思想を維持できない。(現実がそれを拒む)(修正を余儀なくされる)

一貫性を求めすぎると逆に矛盾やダブルスタンダードにはまる傾向があるようです。

 

 

本来、人間が考えることなどたかが知れていて、永遠に一貫などしていられない。必ず無理が生じる。

それを無理やり矛盾する考えとバランスを取りながら、そのときそのときの世相にある難局を乗り越え、やりくりしていくのが政治。(そのためか、政治政策にはいつも苦肉のあとがある)

 

 

そもそも、これが人間の脳の限界なので、むしろブレる方が、脳科学的には自然なこと。

故に、やはりどこかで妥協、柔軟性が必要になるときがくるのでしょう。

 

実際は、柔軟性は必要に迫られて実行されるのかもしれませんが。

 

 

要は、舵取りなので、今はどの思想(政策)に舵をとる方がよいのか。

「今」を見極めることが大切…

 

 

※紹介させていただいた本は、あくまで脳の陥りやすい傾向について書かれた本です。政治系の本ではありません。あしからず。

 

(珍しく、思想・政治系の話がしたくなったのでした…)

 

(おわり)