モミジのたより。 華蔵院 北畠親房公墓 ~ 南朝三帝ゆかりの地【賀名生の里 歴史民俗資料館】
各地でモミジの便りが盛んになってきました。
今年はいささか紅葉が遅いようですね。
大塔村、十津川村に訪れた帰りに寄り道をしました。
南朝三帝ゆかりの地 西吉野町の「賀名生(あのう)の里 歴史民俗資料館」です。
めあては、「賀名生の里 歴史民俗資料館」の裏手の小高い丘にある「華蔵院」のモミジです。
5月に訪れた際に、ぜひともまた秋の紅葉のときに訪れたいと思っていました。
モミジの緑と紅のグラデーションがみごとでした。
華蔵院は、北畠親房(きたばたけちかふさ)公のお墓です。
公卿でありながら、劣勢の南朝を支え武将として戦ったのでした。
真紅の波がひろがるように、これからまた紅葉(こうよう)が進み、「華蔵院」の丘を、茜雲のごとく彩ることでしょうね。
■賀名生の里 歴史民俗資料館
南朝三帝ゆかりの賀名生皇居跡や、西吉野地区の歴史や文化を紹介しています。
営業時間:9時~17時
休館日:月曜日
入館料:大人300円、子供100円
↓↓↓↓↓
玉置神社の秋。台風12号の被災をふりかえり ~ (3)大塔村、十津川村におとずれました。
2011年9月。
台風12号は、四国、中国地方へ上陸。
その猛威は、近畿地方までおよびました。
吉野郡大塔村、十津川村をはじめ各地で、多大な土砂災害をひきおこしました。
速度15キロの遅いあゆみの台風は、付近に雨雲をよび、大量の雨をもたらしました。
・・・・
「(2)谷瀬の吊橋は健在でした。そして道の駅「十津川郷」」のつづきです。
道の駅「十津川郷」から玉置山への道が大きく変わっていました。
これまでは川のそばのカーブが多い道だったのですが、新しくトンネルができていたのですね。
断崖絶壁が眼前ひろがる迫力ある景色はのぞめませんが、とてもスムーズに走れました。
そして玉置山をいっきに車で駆け上がります。
玉置山もあざやかに紅葉し、目を楽しませてくれます。
そうこうしているうちに玉置山の山頂に到着です。
玉置神社の鳥居に迎えられます。
9月の台風12号の到来から、ようやく念願が叶い、訪れることができました。
玉置神社。
御祀神は、国之常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大神、神日本磐余彦命。
大峰山系の南端に位置する標高1076メートルの玉置山に鎮座する旧郷社です。
玉置神社、訪れる人を選び、拒絶されたその人に訪れることができないような運気にさらされると聞きます。
私自身、好きな神社の一つで、奈良歴史ミステリーツアーなぞ計画し、何度となく訪れていました。
この玉置神社も、台風の被害があったと伺いました。
参道をすすんでいると、ご神木である神代杉が顕れます。
太い枝が落ち、瑞垣を破壊していました。
強い風のせいか、広げていた枝がうしなわれていました。
それでも、その威容はかわりません。
ようやく玉置神社に到着です。
本殿には、これといった被害がみうけられませんでした。
社務所の屋根にはブルーシートがかけられていました。
本殿でお参りを済ませ、この旅の目的を終えました。
この日はひっきりなしに参拝者がおとずれていました。
遠方から集団でこられていた方もいました。
境内でしばしボーッとして、さて帰ろうかと思ったら、突然、霧がわきあがり、あたりを白く染めあげました。
玉置山をくだる途中に、眼下の谷や集落を霧がつつみこみ、あたかも雲海の様相です。
都市部に住むものが、たまに山岳部の十津川に訪れ、無責任にセンチメンタルを語っているとしかいいようがないのは否めません。
2011年9月。
台風12号は、四国、中国地方へ上陸。
その猛威は、近畿地方までおよびました。
吉野郡大塔村、十津川村をはじめ各地で、多大な土砂災害をひきおこしました。
速度15キロの遅いあゆみの台風は、付近に雨雲をよび、大量の雨をもたらしました。
私がこのニュースを知ったのは、関東へ仕事に出向いたすぐ後のときでした。
まるで明治22年(1889)8月の十津川大水害(熊野川大水害)のような様相に驚いたものでした。
そして168号線開通のニュースを聞き、11月23日に、十津川村に訪れました。
災害の爪跡とともに、山々の威容、風、雨と霧がおりなす表情の変貌や、四季によりうつりかわる木々の紅葉を目の当たりにしました。
不謹慎ながら、十津川の自然は美しいと思いました。
・・・
台風12号の被害にお亡くなられた方、ご冥福をお祈りします。
そして被災にあわれ不便な生活をおくられている十津川をはじめとする村々の方々には、お見舞い申し上げます。
一日、一刻も早い復興を願っております。
「大塔村、十津川村におとずれました」以上です。
みなさんは、どのように感じられましたか?
↓↓↓↓↓
2009年 吉野紀行
(1)玉置神社におとずれました。
(2)神武東征 玉置神社の由来
(3)神代杉と遭遇 玉置神社
(4)そして蒼天に月のぼる玉置神社
(5)1000年物語 大杉 そして玉置山山頂へ
奇跡のエメラルドグリーン
【動画】奇跡のエメラルドグリーン 天ノ川
天河神社
2010年 吉野紀行
天からおちる 尾合戸滝
雲海~幸運論の兆しと玉置神社
夢と祈りと願いと誓うこと~パワースポットツアー玉置神
2011年 吉野紀行
「Xperia Googlemapでいく玉置神社紀行」
喜んでもらえると僕はうれしいのです。
夜明けまで。今回も無事招かれました。
玉置神社と巨木と岩の畏敬と威光
日本の滝100選 笹の滝。根の国の森をぬけて、水と岩のラプソディ
「強い兆しとキセキと大自然の 十津川村 玉置神社ツアー」
こわれてしまいました。
ミサキ
「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り」
「玉置神社 と 十津川村の歴史」
台風12号は、四国、中国地方へ上陸。
その猛威は、近畿地方までおよびました。
吉野郡大塔村、十津川村をはじめ各地で、多大な土砂災害をひきおこしました。
速度15キロの遅いあゆみの台風は、付近に雨雲をよび、大量の雨をもたらしました。
・・・・
「(2)谷瀬の吊橋は健在でした。そして道の駅「十津川郷」」のつづきです。
道の駅「十津川郷」から玉置山への道が大きく変わっていました。
これまでは川のそばのカーブが多い道だったのですが、新しくトンネルができていたのですね。
断崖絶壁が眼前ひろがる迫力ある景色はのぞめませんが、とてもスムーズに走れました。
そして玉置山をいっきに車で駆け上がります。
玉置山もあざやかに紅葉し、目を楽しませてくれます。
そうこうしているうちに玉置山の山頂に到着です。
玉置神社の鳥居に迎えられます。
9月の台風12号の到来から、ようやく念願が叶い、訪れることができました。
玉置神社。
御祀神は、国之常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大神、神日本磐余彦命。
大峰山系の南端に位置する標高1076メートルの玉置山に鎮座する旧郷社です。
玉置神社、訪れる人を選び、拒絶されたその人に訪れることができないような運気にさらされると聞きます。
私自身、好きな神社の一つで、奈良歴史ミステリーツアーなぞ計画し、何度となく訪れていました。
この玉置神社も、台風の被害があったと伺いました。
参道をすすんでいると、ご神木である神代杉が顕れます。
太い枝が落ち、瑞垣を破壊していました。
強い風のせいか、広げていた枝がうしなわれていました。
それでも、その威容はかわりません。
ようやく玉置神社に到着です。
本殿には、これといった被害がみうけられませんでした。
社務所の屋根にはブルーシートがかけられていました。
本殿でお参りを済ませ、この旅の目的を終えました。
この日はひっきりなしに参拝者がおとずれていました。
遠方から集団でこられていた方もいました。
境内でしばしボーッとして、さて帰ろうかと思ったら、突然、霧がわきあがり、あたりを白く染めあげました。
玉置山をくだる途中に、眼下の谷や集落を霧がつつみこみ、あたかも雲海の様相です。
都市部に住むものが、たまに山岳部の十津川に訪れ、無責任にセンチメンタルを語っているとしかいいようがないのは否めません。
2011年9月。
台風12号は、四国、中国地方へ上陸。
その猛威は、近畿地方までおよびました。
吉野郡大塔村、十津川村をはじめ各地で、多大な土砂災害をひきおこしました。
速度15キロの遅いあゆみの台風は、付近に雨雲をよび、大量の雨をもたらしました。
私がこのニュースを知ったのは、関東へ仕事に出向いたすぐ後のときでした。
まるで明治22年(1889)8月の十津川大水害(熊野川大水害)のような様相に驚いたものでした。
そして168号線開通のニュースを聞き、11月23日に、十津川村に訪れました。
災害の爪跡とともに、山々の威容、風、雨と霧がおりなす表情の変貌や、四季によりうつりかわる木々の紅葉を目の当たりにしました。
不謹慎ながら、十津川の自然は美しいと思いました。
・・・
台風12号の被害にお亡くなられた方、ご冥福をお祈りします。
そして被災にあわれ不便な生活をおくられている十津川をはじめとする村々の方々には、お見舞い申し上げます。
一日、一刻も早い復興を願っております。
みなさんは、どのように感じられましたか?
↓↓↓↓↓
(1)玉置神社におとずれました。
(2)神武東征 玉置神社の由来
(3)神代杉と遭遇 玉置神社
(4)そして蒼天に月のぼる玉置神社
(5)1000年物語 大杉 そして玉置山山頂へ
奇跡のエメラルドグリーン
【動画】奇跡のエメラルドグリーン 天ノ川
天河神社
2010年 吉野紀行
天からおちる 尾合戸滝
雲海~幸運論の兆しと玉置神社
夢と祈りと願いと誓うこと~パワースポットツアー玉置神
2011年 吉野紀行
「Xperia Googlemapでいく玉置神社紀行」
喜んでもらえると僕はうれしいのです。
夜明けまで。今回も無事招かれました。
玉置神社と巨木と岩の畏敬と威光
日本の滝100選 笹の滝。根の国の森をぬけて、水と岩のラプソディ
「強い兆しとキセキと大自然の 十津川村 玉置神社ツアー」
こわれてしまいました。
ミサキ
「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り」
「玉置神社 と 十津川村の歴史」
谷瀬の吊橋は健在でした、そして道の駅「十津川郷」へ ~ (2)大塔村、十津川村におとずれました。
「(1)大塔村、十津川村におとずれました。
」のつづきです。
台風12号の被災に関するニュースで、一度もお目にかからなく、どうなったのだろうと思っていたところがあります。
それが谷瀬の吊り橋です。
十津川村は、面積だけでも日本一広い村とされておりますが、その大半は、山々が占めています。
十津川の本流から支流が深いV字渓谷をなして流れており、そのため吊り橋は、昔から生活のための重要な道となっていました。
その数は60基以上になります。
その中でも、昭和29年に架設した谷瀬の吊り橋は、生活用吊り橋として日本一の長さをほこる吊り橋です。
長さ297m、高さ54m。
当然、台風12号の被害にあい、流されてしまったのではないだろうかと思ったものです。
ところがです。
しっかり残っていましたね。
周囲のお店も健在です。
いまでもしっかりと近隣の集落の道となり、また、観光用とし機能しているとのことです。
高いところが苦手な私ですが、このように名物がのこっていて、うれしかったですね。
村営の駐車場で、管理をされている老夫婦にお話をうかがいました。
そして「雨が降ったら、気をつけなさい。雨がひどいときには道が通れなくなる場合があるよ」と教えて下さったのもこの老夫婦でした。
さて、更に車をすすめ、ようやく到着したのが、道の駅「十津川郷」です。
先日、
せんとくんがやってきて、十津川村観光誘致のためのPR映像を撮影していました。
十津川温泉をはじめ、この足湯にも訪れていましたね。
かくいう私は、早い時間についてしまったので、道の駅の名物、足湯は清掃中でした。
こちらでは、果物やあまごの甘露煮、コンニャクや民芸品など、たっぷりお土産物を購入していきました。
そして、この道の駅のすぐ裏手を覗き込むと・・・
すぐ目の前に山があり、川がながれています。
鮮やかなエメラルドグリーンのみごとな川と、紅葉ひろがる山です。
被災跡地を、都市部(生駒)からやってきていささか物見遊山的ではありますが、やはり、十津川の自然の美しさと、迫力に感激を禁じえません。
今でもこちらでは、仮設住宅での暮らしをされています。
またなくなく生まれた土地を離れ、他へ移住された方も多いとうかがいます。
日本で一番の広い村をほこる十津川ですが、人が住める場所(面積)はせまく、集落が点在しているありさまです。
集落の人数もそうそう数が多いいものではありません。
この後、賀名生の里に立ち寄った際に、賀名生のコゲ館長 さんに伺いました。
今回、被災した際、避難した人は一世帯につき一人というケースが多かったそうです。
それは生まれた土地を離れたくないとずっと一人で暮らされていた老人が多かったとのことです。
例えば10人くらい集落で、6人が他へ移住をされた場合、残った4人では集落を維持できなくなります。
結局、残りの人たちも離れざる得なくなるのですね。
今回の災害により、十津川の人口が激減するのではないかと危惧されていました。
十津川村、観光客誘致に励まれる反面、十津川村のみなさんそれぞれに、決断をせまられているのですね。
同じ奈良県民で、立たされる立場はずいぶんと違うものと思いました。
さて、最終目的地である玉置山の玉置神社へと向かいます。
つづきます。
↓↓↓↓↓
> 「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り 」
台風12号の被災に関するニュースで、一度もお目にかからなく、どうなったのだろうと思っていたところがあります。
それが谷瀬の吊り橋です。
十津川村は、面積だけでも日本一広い村とされておりますが、その大半は、山々が占めています。
十津川の本流から支流が深いV字渓谷をなして流れており、そのため吊り橋は、昔から生活のための重要な道となっていました。
その数は60基以上になります。
その中でも、昭和29年に架設した谷瀬の吊り橋は、生活用吊り橋として日本一の長さをほこる吊り橋です。
長さ297m、高さ54m。
当然、台風12号の被害にあい、流されてしまったのではないだろうかと思ったものです。
ところがです。
しっかり残っていましたね。
周囲のお店も健在です。
いまでもしっかりと近隣の集落の道となり、また、観光用とし機能しているとのことです。
高いところが苦手な私ですが、このように名物がのこっていて、うれしかったですね。
村営の駐車場で、管理をされている老夫婦にお話をうかがいました。
そして「雨が降ったら、気をつけなさい。雨がひどいときには道が通れなくなる場合があるよ」と教えて下さったのもこの老夫婦でした。
さて、更に車をすすめ、ようやく到着したのが、道の駅「十津川郷」です。
先日、
せんとくんがやってきて、十津川村観光誘致のためのPR映像を撮影していました。十津川温泉をはじめ、この足湯にも訪れていましたね。
かくいう私は、早い時間についてしまったので、道の駅の名物、足湯は清掃中でした。
こちらでは、果物やあまごの甘露煮、コンニャクや民芸品など、たっぷりお土産物を購入していきました。
そして、この道の駅のすぐ裏手を覗き込むと・・・
すぐ目の前に山があり、川がながれています。
鮮やかなエメラルドグリーンのみごとな川と、紅葉ひろがる山です。
被災跡地を、都市部(生駒)からやってきていささか物見遊山的ではありますが、やはり、十津川の自然の美しさと、迫力に感激を禁じえません。
今でもこちらでは、仮設住宅での暮らしをされています。
またなくなく生まれた土地を離れ、他へ移住された方も多いとうかがいます。
日本で一番の広い村をほこる十津川ですが、人が住める場所(面積)はせまく、集落が点在しているありさまです。
集落の人数もそうそう数が多いいものではありません。
この後、賀名生の里に立ち寄った際に、賀名生のコゲ館長 さんに伺いました。
今回、被災した際、避難した人は一世帯につき一人というケースが多かったそうです。
それは生まれた土地を離れたくないとずっと一人で暮らされていた老人が多かったとのことです。
例えば10人くらい集落で、6人が他へ移住をされた場合、残った4人では集落を維持できなくなります。
結局、残りの人たちも離れざる得なくなるのですね。
今回の災害により、十津川の人口が激減するのではないかと危惧されていました。
十津川村、観光客誘致に励まれる反面、十津川村のみなさんそれぞれに、決断をせまられているのですね。
同じ奈良県民で、立たされる立場はずいぶんと違うものと思いました。
さて、最終目的地である玉置山の玉置神社へと向かいます。
↓↓↓↓↓
> 「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り 」














