神武東征 玉置神社の由来~奈良吉野紀行(2)  奈良 十津川村 | 奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ

神武東征 玉置神社の由来~奈良吉野紀行(2)  奈良 十津川村

(2009年10月の記事の再掲載です。)

日本で最初の天皇(大王(おおきみ))をご存知ですか?

神武(じんむ)天皇といわれていますね。

またの名を、神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと)。
(以下、イワレヒコと記しますね)

天照大神の命を受けて、葦原中国(地上)を平定するため天孫降臨したニニギの孫です。
都に適した土地を求め、
古代日本は、日向国の高千穂(九州は宮崎県日向市美々津※)から兄のイツセと船で東へと出兵しました。

いわゆる、神武東征です。

北九州、そして瀬戸内海の各地を平定し、一行は、大阪は、難波の地・白肩津(シロカタノツ)に上陸します。
そこで、ナガスネビコという強敵の抵抗にあいます。

ナガスネビコは、イツセの軍に、雨のように矢をふらせます。
たけるイツセに対し、呪いをこめたナガスネビコの矢が放たれます。
矢は、イツセの腕を貫きます。
イツセの負傷により、イワレビコの軍は大敗を喫します。
海上へ逃げ延びた一行でしたが、イツセは衰弱し、やがて亡くなります。
悲嘆にくれたイワレビコでありましたが、

「日の神の御子でありながら、日に向かい戦ったことが敗因であろう」

そう言い残したイツセの言葉に従い、一行の船を和歌山は、熊野へとむけました。
ここから日を背に戦う旅となります。
深山幽谷、熊野の山々という難攻の地をイワレビコの軍は進みます。

そこで、おそろしい敵と遭遇します。
突如、熊野の地でイワレビコをはじめとする兵たちが気をうしないます。
それは熊野のあらぶる神の妖力でした。

昏倒としたイワレビコ。
夢の中で、タカクラジと出会います。
そこで天照大神から授かった太刀・霊剣「布都御霊」※を受け取ります。
夢から覚めたイワレビコ。
手には、夢の中で受け取った太刀がありました。
それは、怪しい霊力を断ち切る力をもっていました。
イワレビコは、それをもって、単身、熊野の神を倒したのでした。

話がかわりますが・・・
サッカーワールドカップの日本代表のシンボルになっていた三本脚のカラス、ご存知ですか?
苦難をしいられるイワレビコ一行の前に、
道案内に現れたのが、この三本脚のカラス、
ヤタガラス(八咫烏)です。

ヤタガラスの案内で、一行はなんとか吉野入りを果たします。
そのとき、兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」の玉を置いて、武運を祈願されたのが、
後の、この玉置神社でした。


奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-玉置山 玉置神社


またこの山深い地を案内したヤタガラスは、出雲の神オオクニヌシの息子、ツノミともいわれており、十津川村の人々のご先祖と言い伝えられているそうです。

さて、神武天皇の神武東征は、先の大戦(太平洋戦争)では、
戦意高揚の一環として取り上げられるという悲しい時代がありました。
確かに、目線を返せば、九州の豪族イワレビコが、神の名のもと、他の地を平定しにやってきた・・・
土地の者にとっては、侵略者以外、なにものでもありませんね。

それはさておき、艱難辛苦をのりこえ、奈良は大和の地に都を築く旅は、物語としてオモシロイのです。

・・・神武天皇・イワレビコの旅は、まだまだ続きます。
この旅は、【奈良・大和王国縁起】 で紹介していきます。
乞うご期待。(ただ今、構想中 m(__)m)


※宮崎県日向市美々津
 今では神武東征の船出した場所と言い伝えられており、
 日本海軍発祥の地として石碑がたてられています。

※「布都御霊」
 この霊剣、のち出雲より先に大和に降臨したにニギハヤヒが受け取り、
 子孫の物部氏が石上神宮で祀っていました。
 今では、禁足地の地中に眠っているとされています。
 そんな石上神宮のパワースポットを巡るツアーがこれです。
 「奈良パワースポット巡り 決まりました。11月8日 天理市の石上神宮と桜井市の大神神社