胤栄 と 猿沢池 と 摩利支石 宝蔵院の槍伝説 興福寺
その昔、奈良国立博物館 の西あたりの興福寺の一院に、宝蔵院という寺がありました。
ここに、槍術が大好きな胤栄(いんえい)という法師がいました。
胤栄法師は四十人の武士と試合をして、自分の力を示そうとしましたが。
果たすことができませんでした。
しかし槍術を極めたいという夢をあきらめることができません。
ある年のこと、胤栄法師の夢枕に春日明神が立ち、後に宝蔵院竜槍術の特色となった、磬(けい)と鎌槍(かまやり)、地蔵仏を授けられました。
それを励みとし胤栄法師は、その後、猿沢池にうつる月影を相手に、毎夜、けいこを続けました。
果たして彼は、宝蔵院流の槍術を開眼したと伝えられます。
さて・・・
興福寺、南円堂 と三重塔の傍らに、おおきな岩があります。
これは「摩利支石」とよばれています。
かつて胤栄は、宝蔵院にあったこの大石に摩利支天をまつっていました。
武道の上達と槍術成就を祈念し稽古にうちこんだのでした。
猿沢池にかかわるもうひとつの伝説でした。
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ここに、槍術が大好きな胤栄(いんえい)という法師がいました。
胤栄法師は四十人の武士と試合をして、自分の力を示そうとしましたが。
果たすことができませんでした。
しかし槍術を極めたいという夢をあきらめることができません。
ある年のこと、胤栄法師の夢枕に春日明神が立ち、後に宝蔵院竜槍術の特色となった、磬(けい)と鎌槍(かまやり)、地蔵仏を授けられました。
それを励みとし胤栄法師は、その後、猿沢池にうつる月影を相手に、毎夜、けいこを続けました。
果たして彼は、宝蔵院流の槍術を開眼したと伝えられます。
さて・・・
興福寺、南円堂 と三重塔の傍らに、おおきな岩があります。
これは「摩利支石」とよばれています。
かつて胤栄は、宝蔵院にあったこの大石に摩利支天をまつっていました。
武道の上達と槍術成就を祈念し稽古にうちこんだのでした。
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釆女の伝説。 采女神社(うねめじんじゃ) ~奈良公園・猿沢池の伝説 (1) 【再編成】
話題としては季節外れですが、中秋の名月の時、奈良では、毎年、猿沢池で采女祭りを開催されます。
JR奈良駅から、猿沢池まで花扇奉納行列が向かいます。
采女神社で花扇奉納神事が執り行われます。
最後に、管絃船の儀として猿沢池で船をうかべ篝火にてらされて池をめぐります。
満月の夜、采女祭りの人々は時代がかった色鮮やかな衣装をまとい鮮やかに幻想的に繰り広げられます。
采女とは、後宮で帝の食事の世話などに従事した女官のことです。
采女祭りの起源は、采女が帝の寵愛が失ったことを嘆き、この猿沢池に入水したとのことでした。
その霊を慰めるために、毎年中秋の名月の夜に催されるようになったのです。
采女神社は、春日大社の末社となります。
しかし、その社(やしろ)の背面に、鳥居が建っている珍しい神社です 。
どうやら日本全国でも、ここだけがそのようなスタイルをとっているようです。
それにも伝説があります。
采女の霊があらわれ、自分が身を投げた池を毎日見るのは忍びないと訴えかけるのでした。
采女の願いが聞き入れられて、社を後ろ向きにしたそうです。
釆女伝説にはつづきがあります。
それは、次回、(2)「猿沢池の竜伝説
」へ。
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