谷瀬の吊橋は健在でした、そして道の駅「十津川郷」へ ~ (2)大塔村、十津川村におとずれました。
「(1)大塔村、十津川村におとずれました。
」のつづきです。
台風12号の被災に関するニュースで、一度もお目にかからなく、どうなったのだろうと思っていたところがあります。
それが谷瀬の吊り橋です。
十津川村は、面積だけでも日本一広い村とされておりますが、その大半は、山々が占めています。
十津川の本流から支流が深いV字渓谷をなして流れており、そのため吊り橋は、昔から生活のための重要な道となっていました。
その数は60基以上になります。
その中でも、昭和29年に架設した谷瀬の吊り橋は、生活用吊り橋として日本一の長さをほこる吊り橋です。
長さ297m、高さ54m。
当然、台風12号の被害にあい、流されてしまったのではないだろうかと思ったものです。
ところがです。
しっかり残っていましたね。
周囲のお店も健在です。
いまでもしっかりと近隣の集落の道となり、また、観光用とし機能しているとのことです。
高いところが苦手な私ですが、このように名物がのこっていて、うれしかったですね。
村営の駐車場で、管理をされている老夫婦にお話をうかがいました。
そして「雨が降ったら、気をつけなさい。雨がひどいときには道が通れなくなる場合があるよ」と教えて下さったのもこの老夫婦でした。
さて、更に車をすすめ、ようやく到着したのが、道の駅「十津川郷」です。
先日、
せんとくんがやってきて、十津川村観光誘致のためのPR映像を撮影していました。
十津川温泉をはじめ、この足湯にも訪れていましたね。
かくいう私は、早い時間についてしまったので、道の駅の名物、足湯は清掃中でした。
こちらでは、果物やあまごの甘露煮、コンニャクや民芸品など、たっぷりお土産物を購入していきました。
そして、この道の駅のすぐ裏手を覗き込むと・・・
すぐ目の前に山があり、川がながれています。
鮮やかなエメラルドグリーンのみごとな川と、紅葉ひろがる山です。
被災跡地を、都市部(生駒)からやってきていささか物見遊山的ではありますが、やはり、十津川の自然の美しさと、迫力に感激を禁じえません。
今でもこちらでは、仮設住宅での暮らしをされています。
またなくなく生まれた土地を離れ、他へ移住された方も多いとうかがいます。
日本で一番の広い村をほこる十津川ですが、人が住める場所(面積)はせまく、集落が点在しているありさまです。
集落の人数もそうそう数が多いいものではありません。
この後、賀名生の里に立ち寄った際に、賀名生のコゲ館長 さんに伺いました。
今回、被災した際、避難した人は一世帯につき一人というケースが多かったそうです。
それは生まれた土地を離れたくないとずっと一人で暮らされていた老人が多かったとのことです。
例えば10人くらい集落で、6人が他へ移住をされた場合、残った4人では集落を維持できなくなります。
結局、残りの人たちも離れざる得なくなるのですね。
今回の災害により、十津川の人口が激減するのではないかと危惧されていました。
十津川村、観光客誘致に励まれる反面、十津川村のみなさんそれぞれに、決断をせまられているのですね。
同じ奈良県民で、立たされる立場はずいぶんと違うものと思いました。
さて、最終目的地である玉置山の玉置神社へと向かいます。
つづきます。
↓↓↓↓↓
> 「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り 」
台風12号の被災に関するニュースで、一度もお目にかからなく、どうなったのだろうと思っていたところがあります。
それが谷瀬の吊り橋です。
十津川村は、面積だけでも日本一広い村とされておりますが、その大半は、山々が占めています。
十津川の本流から支流が深いV字渓谷をなして流れており、そのため吊り橋は、昔から生活のための重要な道となっていました。
その数は60基以上になります。
その中でも、昭和29年に架設した谷瀬の吊り橋は、生活用吊り橋として日本一の長さをほこる吊り橋です。
長さ297m、高さ54m。
当然、台風12号の被害にあい、流されてしまったのではないだろうかと思ったものです。
ところがです。
しっかり残っていましたね。
周囲のお店も健在です。
いまでもしっかりと近隣の集落の道となり、また、観光用とし機能しているとのことです。
高いところが苦手な私ですが、このように名物がのこっていて、うれしかったですね。
村営の駐車場で、管理をされている老夫婦にお話をうかがいました。
そして「雨が降ったら、気をつけなさい。雨がひどいときには道が通れなくなる場合があるよ」と教えて下さったのもこの老夫婦でした。
さて、更に車をすすめ、ようやく到着したのが、道の駅「十津川郷」です。
先日、
せんとくんがやってきて、十津川村観光誘致のためのPR映像を撮影していました。十津川温泉をはじめ、この足湯にも訪れていましたね。
かくいう私は、早い時間についてしまったので、道の駅の名物、足湯は清掃中でした。
こちらでは、果物やあまごの甘露煮、コンニャクや民芸品など、たっぷりお土産物を購入していきました。
そして、この道の駅のすぐ裏手を覗き込むと・・・
すぐ目の前に山があり、川がながれています。
鮮やかなエメラルドグリーンのみごとな川と、紅葉ひろがる山です。
被災跡地を、都市部(生駒)からやってきていささか物見遊山的ではありますが、やはり、十津川の自然の美しさと、迫力に感激を禁じえません。
今でもこちらでは、仮設住宅での暮らしをされています。
またなくなく生まれた土地を離れ、他へ移住された方も多いとうかがいます。
日本で一番の広い村をほこる十津川ですが、人が住める場所(面積)はせまく、集落が点在しているありさまです。
集落の人数もそうそう数が多いいものではありません。
この後、賀名生の里に立ち寄った際に、賀名生のコゲ館長 さんに伺いました。
今回、被災した際、避難した人は一世帯につき一人というケースが多かったそうです。
それは生まれた土地を離れたくないとずっと一人で暮らされていた老人が多かったとのことです。
例えば10人くらい集落で、6人が他へ移住をされた場合、残った4人では集落を維持できなくなります。
結局、残りの人たちも離れざる得なくなるのですね。
今回の災害により、十津川の人口が激減するのではないかと危惧されていました。
十津川村、観光客誘致に励まれる反面、十津川村のみなさんそれぞれに、決断をせまられているのですね。
同じ奈良県民で、立たされる立場はずいぶんと違うものと思いました。
さて、最終目的地である玉置山の玉置神社へと向かいます。
↓↓↓↓↓
> 「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り 」



