(1)大塔村、十津川村におとずれました。
2011年9月。
三重、和歌山、奈良を襲った台風12号。
土砂が家屋を流し、五條市(奈良)から新宮市(和歌山)をつなぐ国道168号線を寸断しました。
11月初旬。
わずか3ヶ月で、168号線は復旧したニュースを聞きました。
一般車両も、五條市から朝7時から夜22時までの時間限定で、通行が可能となりました。
(※雨天時には、通行止めになる場合があります。)
先日、テレビのニュースで、十津川村へ観光客誘致するために、
せんとくんが十津川郷へおとずれ、PR用のビデオを撮影していました。
私も、23日の勤労感謝の日を利用し、大塔村、十津川村をおとずれました。
五條市から大塔村へ入ると、工事車両が頻繁に行き来していました。
大塔村の道の駅です。
大塔村民俗資料館の前には仮設住宅がならんでいます。
大塔村から、十津川村へとむかう途中にある風屋のダムの近くです。
川の水はにごり、岸辺にむき出しになった岩礁が、川の水位の変動を物語っていました。
それにしても、当然の営みとして山々は、紅葉し美しい色合いを目の当たりにしてくれました。
車で走っていると、時折、表面を引きはいだような山が伺えました。
大雨で、山の斜面が崩れたものです。
開通した168号線は、ところによって川の上を右、左へとジグザグにわたるところもありました。
場所によっては、こんなトンネルがあったのか、こんな橋があったのかと、おもわせるところがありました。
以前より、168号線の拡張工事をしていたところを繋ぎ、開通を早めることができたとのことです。
要所要所にパトロールがおり、比較的安心して通ることができましたね。
つづきます。
↓↓↓↓↓
> 「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り 」
三重、和歌山、奈良を襲った台風12号。
土砂が家屋を流し、五條市(奈良)から新宮市(和歌山)をつなぐ国道168号線を寸断しました。
11月初旬。
わずか3ヶ月で、168号線は復旧したニュースを聞きました。
一般車両も、五條市から朝7時から夜22時までの時間限定で、通行が可能となりました。
(※雨天時には、通行止めになる場合があります。)
先日、テレビのニュースで、十津川村へ観光客誘致するために、
せんとくんが十津川郷へおとずれ、PR用のビデオを撮影していました。私も、23日の勤労感謝の日を利用し、大塔村、十津川村をおとずれました。
五條市から大塔村へ入ると、工事車両が頻繁に行き来していました。
大塔村の道の駅です。
大塔村民俗資料館の前には仮設住宅がならんでいます。
大塔村から、十津川村へとむかう途中にある風屋のダムの近くです。
川の水はにごり、岸辺にむき出しになった岩礁が、川の水位の変動を物語っていました。
それにしても、当然の営みとして山々は、紅葉し美しい色合いを目の当たりにしてくれました。
車で走っていると、時折、表面を引きはいだような山が伺えました。
大雨で、山の斜面が崩れたものです。
開通した168号線は、ところによって川の上を右、左へとジグザグにわたるところもありました。
場所によっては、こんなトンネルがあったのか、こんな橋があったのかと、おもわせるところがありました。
以前より、168号線の拡張工事をしていたところを繋ぎ、開通を早めることができたとのことです。
要所要所にパトロールがおり、比較的安心して通ることができましたね。
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> 「うつくしき吉野~台風12号の受難から復興への祈り 」
大根のおすそわけ。(=⌒▽⌒=) 源九郎稲荷神社へおとずれました。 【大和郡山】
都祁の畑でいただいた大根と、カブ、小松菜をもって、源九郎稲荷神社へおとずれました。
社務所で中川さんが、私たちを迎え入れてくださいました。
ふと見ると社務所の入口に、誰かが大根をおいていました。
(=⌒▽⌒=)
かもすさんかな?
それとも近所の人かな?
ところで、源九郎稲荷神社の彼が、
小学館の雑誌「和楽」に紹介されることになりました。
12月に発売されるこの雑誌の1月号に掲載されるそうです。
そう。
彼です。
「源九郎狐 白狐お守り人形」です。
一年前は廃墟に近かった神社が、めざましい復興を経て、さらなる発展を遂げようとしています。
ところで、来る時はけっこう激しい雨でした。
社務所で中川さんと話しているうちに、晴れました。
外に出て、境内の皇帝ダリアをみせていただきました。
すごい丈の高さです。
3~4メートルはありそうですね。
中川さんの奥さんが育てられました。
この神社では奥さんが育てられた花が、いつの季節、どこかで咲いています。
もし源九郎稲荷神社に訪れましたら、お参りの後に、心おちつけてグルリと境内を見回してみてください。
どこかで素敵な花が咲いていますよ。
源九郎稲荷神社、
思わぬ展開をみせてくださいます。
このまま良い方向に向かうことを祈るばかりです。
↓↓↓↓↓
源九郎稲荷神社のホームページ
http://www.genkurou-inari.com/
>大和郡山 洞泉寺町 源九郎稲荷神社 社伝
「神仏おそれぬ羽柴秀長、 白狐源九郎に折伏される」
社務所で中川さんが、私たちを迎え入れてくださいました。
ふと見ると社務所の入口に、誰かが大根をおいていました。
(=⌒▽⌒=)
かもすさんかな?
それとも近所の人かな?
ところで、源九郎稲荷神社の彼が、
小学館の雑誌「和楽」に紹介されることになりました。
- 和樂 2011年 11月号 [雑誌]/著者不明

- ¥1,300
- Amazon.co.jp
12月に発売されるこの雑誌の1月号に掲載されるそうです。
そう。
彼です。
「源九郎狐 白狐お守り人形」です。
一年前は廃墟に近かった神社が、めざましい復興を経て、さらなる発展を遂げようとしています。
ところで、来る時はけっこう激しい雨でした。
社務所で中川さんと話しているうちに、晴れました。
外に出て、境内の皇帝ダリアをみせていただきました。
すごい丈の高さです。
3~4メートルはありそうですね。
中川さんの奥さんが育てられました。
この神社では奥さんが育てられた花が、いつの季節、どこかで咲いています。
もし源九郎稲荷神社に訪れましたら、お参りの後に、心おちつけてグルリと境内を見回してみてください。
どこかで素敵な花が咲いていますよ。
源九郎稲荷神社、
思わぬ展開をみせてくださいます。
このまま良い方向に向かうことを祈るばかりです。
↓↓↓↓↓
源九郎稲荷神社のホームページhttp://www.genkurou-inari.com/
>大和郡山 洞泉寺町 源九郎稲荷神社 社伝
「神仏おそれぬ羽柴秀長、 白狐源九郎に折伏される」
闇に蠢くものたち。 若宮遷宮 ~ 春日大社 若宮おん祭りの起源(3)
保延元年 (1135)。
長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、世の中に疫病が蔓延しました。
鳥羽上皇は、この危機をむかえ関白 藤原忠通を呼びつけました。
「比売神様の託宣の通り、世の中は乱れておる。
若宮の御霊威にすがり、災いを討ち払わねばならん。
しかし若宮の御殿が仮住まいのままでは、お粗末すぎる。
早急になんとかならんのか。」
こうして立派な御殿を造るようにと命じたのでした。
藤原忠通は、春日の正預の中臣祐房(なかとみすけふさ)に、この旨を相談しました。
祐房も同意しますが、なかなか適当な場所が見つかりません。
二人して弱り果てました。
そこで、祐房は神様の御指図を仰ぐため、神前に籠りました。
祈りをささげつづけ、七日間経った夜です。
気がつくと祐房は、真っ暗闇の中にたたずんでいました。
あれっと、首をめぐらせます。
風がふき、足元がジャリっとなります。
「ここは―」
突然、闇の奥、
どーん、どーん
太鼓が打ち鳴らされます。
はっと音の方を凝視します。
やがて、大勢の人間があるく足音が聞こえてきました。
ザク、ザク、ザク・・・
どんどんと迫ってきます。
祐房は、凍りついたように、その場を動くことができません。
目がなれてきても、その姿は影でしかみえません。
沢山の烏帽子が影となり揺れてみえます。
人影の列が、祐房の前を通り過ぎていきます。
長いながい列です。
静かな行列ですが、まるで空気が熱をおびたように祐房を圧迫します。
どれだけ経ったのでしょうか。
ようやく列がとぎれます。
祐房は、ようやく体の自由を得たように、人びとの後を追いました。
「ここは―」
春日の本社から一丁ほどはなれた場所です。
そこへ、人びとが吸い込まれるように次々と消えて行きました。
夢から覚めた祐房は、このことを忠道に申し上げました。
そして、その地を訪れました。
「ここに神殿をたてよという神託であろう。」
忠道も祐房の夢が若宮の神託であると確信したのでした。
こうして現在の若宮の社地に神殿が造営されたのでした。
保延二年 (1135)。
若宮の神殿が建ち上がった翌年です。
万民救済の為、若宮の御霊威にすがり、御神霊を盛大にお迎えする祭礼を行いました。
これが春日若宮おん祭の始まりです。
祭りは、その後毎年、現在も絶えることなく執り行われています。
春日大社 若宮おん祭りの起源
(1)若宮 天押雲根命の誕生
(2)来るべき災い。母神・比売神の怒り
(3)闇に蠢くものたち。若宮遷宮
今年も、もうすぐ若宮おん祭がはじまりますね。
(‐^▽^‐)
↓↓↓↓↓
長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、世の中に疫病が蔓延しました。
鳥羽上皇は、この危機をむかえ関白 藤原忠通を呼びつけました。
「比売神様の託宣の通り、世の中は乱れておる。
若宮の御霊威にすがり、災いを討ち払わねばならん。
しかし若宮の御殿が仮住まいのままでは、お粗末すぎる。
早急になんとかならんのか。」
こうして立派な御殿を造るようにと命じたのでした。
藤原忠通は、春日の正預の中臣祐房(なかとみすけふさ)に、この旨を相談しました。
祐房も同意しますが、なかなか適当な場所が見つかりません。
二人して弱り果てました。
そこで、祐房は神様の御指図を仰ぐため、神前に籠りました。
祈りをささげつづけ、七日間経った夜です。
気がつくと祐房は、真っ暗闇の中にたたずんでいました。
あれっと、首をめぐらせます。
風がふき、足元がジャリっとなります。
「ここは―」
突然、闇の奥、
どーん、どーん
太鼓が打ち鳴らされます。
はっと音の方を凝視します。
やがて、大勢の人間があるく足音が聞こえてきました。
ザク、ザク、ザク・・・
どんどんと迫ってきます。
祐房は、凍りついたように、その場を動くことができません。
目がなれてきても、その姿は影でしかみえません。
沢山の烏帽子が影となり揺れてみえます。
人影の列が、祐房の前を通り過ぎていきます。
長いながい列です。
静かな行列ですが、まるで空気が熱をおびたように祐房を圧迫します。
どれだけ経ったのでしょうか。
ようやく列がとぎれます。
祐房は、ようやく体の自由を得たように、人びとの後を追いました。
「ここは―」
春日の本社から一丁ほどはなれた場所です。
そこへ、人びとが吸い込まれるように次々と消えて行きました。
夢から覚めた祐房は、このことを忠道に申し上げました。
そして、その地を訪れました。
「ここに神殿をたてよという神託であろう。」
忠道も祐房の夢が若宮の神託であると確信したのでした。
こうして現在の若宮の社地に神殿が造営されたのでした。
保延二年 (1135)。
若宮の神殿が建ち上がった翌年です。
万民救済の為、若宮の御霊威にすがり、御神霊を盛大にお迎えする祭礼を行いました。
これが春日若宮おん祭の始まりです。
祭りは、その後毎年、現在も絶えることなく執り行われています。
春日大社 若宮おん祭りの起源
(1)若宮 天押雲根命の誕生
(2)来るべき災い。母神・比売神の怒り
(3)闇に蠢くものたち。若宮遷宮
今年も、もうすぐ若宮おん祭がはじまりますね。
(‐^▽^‐)
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