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IGS-report

未来の為になる取材やイベント活動を行うメディアを目指して活動しております。

令和7年10月11日(土)・12日(日) 芝公園 

 

もう4回目の区民祭りか、

昨年(コダワッテしまう方々の「この高度な方法は小学生や万人が出来ないね」と)ワーク・ショップは壮絶に上手くいかなかったので、、

一昨年も別の企画をカタチ作る為に、多くの人々の手を煩わせたし、人や自分に負担を掛けてまですることじゃないな・・って感じていて、一応今年は穏やかになった知力のある精神の人に相談し「そうだ!ワークショップが足枷だ。ヤメヨウ!」となり・・

ヨシ!辞める事は間違っていないな、と・・・ワークショップ類は、アタマから辞める事にした!!

(・「アレがない・コレが足りなかった・コレは必要かな?・『旅慣れている人は、荷物を1gでも軽くする』の言葉どおり必要無いのでは?」と4回目でも1年も経てば忘れていて最終的に3日もかかった準備を終わらせた時、来年以降の為、正月辺り、1度持って行く荷物のリストを作った方が良いな、、と感じた。)

(再開発での引っ越しで無くした高校時代から使っている30年来のバッグを、上野のアメ横で買い替え、傘袋を付けたり少しでも進化を。)

 

今回は代表移行に私が関与した(40年以上続くと前会長にお聞きした)『太陽の会』(←アポロの会と読む)とコラボレーション

予定では・・・、お互い手数が助かるし、

太陽の会の代表にはうちのメンバーもなっているので、よく打ち合わせをし、

「いきなりアレもコレもという感じではなく、今回初めてなので様子見でいきましょう!!先ずは見て下さい」と話しておいて、実質「太陽の会」の事務作業等は私だが(^_^;)、

 太陽の会の事は太陽の会でして頂く事でブースを作る事の大変さを1から経験して頂く。

(ワークショップはやらないと決めても、カルタを手作りしないとならなかった、私はソッチまでは手が回らないから・・・)

 ※しかも1日目は雨・2日目は秋晴れの2つの天気の中での運営の仕方も『今回は』経験。

・昨年から横のテントをいつも(昨年隣の霊友会さんに教わり、【自力で!!】テントを)外して折ってきたが2日目は本部の方が内側に折るやり方で、テントをマトメて下さった←この方法があったのか・・・ただ台が無いと背が届かないな、

(来年もやって貰えるかな?)

 椅子に登ればいいが、今回(本来なら両)足の痛みを抱えていたので(薬を倍にし、杖を持たず活動昇降の度に、本来の障碍である心臓がドキッとなり、ヤベーかな、と思った 最近口が悪くなってしまって、障害保健福祉センターの担当職員から「ソレだけツラいって事ですよ」と・・まぁ、そう、なのかな・・・(^_^;)人間ってそうなのかもしれないな。。。)


内側に装飾物を置いて

雨で落ちた銀杏を今回(あまりにも毎年区への連絡無しでのドタキャンが多く←日本人というか人ってコンナにいい加減だっけ?そんな教育をしてきてしまったんだなぁ、と・・・)、もう区がKissポート財団に頼んだうちの、慣れておられる1人のボランティアさんが、多分本部だと思うが何処からか?ホウキとチリトリを借りてきて下さって掃除をして頂いていて、多忙と『安全』を気にし、私に気持の余裕が無く、御礼が伝えられなかった。

(もう1方は午前中までで、看護実習生の方だったが、丁度うちに看護実習生さんを知り合いに持つ人が居たので少し話して頂いた。その看護実習生さんが来ておられたら、より『何か』が起きたかもしれないが・・・午後の方はいらっしゃられなかった、保健福祉課から「午後も学生さん」と聞いていただけに残念。年長者からもだが若者から学ぶ事は沢山ある!!

 

「戦いは小事を務めたモノが勝つ(負けるには負ける理由があるからだ)」

 

そんな武田信玄の言葉どおり、

今回、

・体調が不十分な分、事前準備の時間を長く取り、

・再開発で引っ越しと、

・『他施設での』暴行隠蔽の後処理(←よく区長と前区長の耳に入らないな)と、人が観ていない所での『報復』に対処をしながらも(←だからその施設が区役所から「先ず利用者の事を考えろ!」って叱られ所長と主任がヒアリングを受けるんだ=前所長の全責任にすげ替えるってのも、俺の感覚では『?』ま、港区の利用者が大田区の利用者に10数年前後も苦しめられてきた事が終わったのだし、今は沖縄出身の仲間外れにしない年長者が若い人々を引っ張って行って下さっている←去年の夏「俺等が悪者をやるから、新しく入ってくる人々や若者達の事をお願いね!」とSメールで話しておいたんだ=

・全職員も前所長派の人達以外、区が言った「先ず利用者の事を考えろ!」のヒアリングを受けて欲しいが(何が『正義か?』『福祉か?』って)・・・どんな世界でも闇は『深い』

・コレから福祉を目指す若者や

・次世代の福祉を担う人達には

良い事ばかりじゃないよ?と、

この件は『一例』だが後世に伝えておきたいコレでもかなり抑えて書いているので 様々な業界に居た俺が本気で書いたら多少は世の中を揺らせるが港区の福祉にも多少なりともダメージを与えてしまうので書かない・・・(高輪警察や区役所・区議会議員や衆議院議員の秘書だって騙されていたのだから・・・)区側からは私の「立場を明確にして欲しい団体には本当の事を渡し伝えていい」というお墨付きは得ているのだが、その時間が中々・・・)という事で、激動に様に変化する多忙な中、半年近く準備に時間をかけてきた。

 なにせ最近気付いたけれど、、DIY団体だから・・・冗談抜きに、金でも自分の利益でも無いし、いや、厚労省の出先機関に居た時も感じたが、『本気』以外に何がある?

 

ワークショップはコダワリ過ぎる人が年によってでてきてしまうので止めたが、街歩きのガイド・ボランティアをしている『太陽の会』の代表の案で「百人一首は大変だから『芝公園カルタ』を作ったらどう?」となり、

(区民祭りが行われる芝公園内の名所をカルタにして、何度か?話し合い【教育】をテーマにしたカルタという事でテーマはまとまり、←うちは『教育』をテーマにもしていたので、沿っているかな・・と・・・)

 ↓

「いいね!・いいね!」となり

 ↓

結局、俺が障害保健福祉センターのPCの先生に『ワードアート』を聞きながら。画面上で雛形を作り、

夜な夜な少しづつ、読み札と40数枚をコツコツ作ってはいたが・・・

(1枚だけ知的の子に作り方を教え、コレだけ大変なんだよ?と教え、←本人はアマリにカルタ作りが面倒だと、自分で1枚作ってみて理解をしたので、俺が教えた神保町のカルタ専門店で、自分が旅行で使うカルタを購入。地図や店舗情報は俺が作ってあげたが1人で店に何度か電話をし『解からない事を訊いて』1人で行って買ってきたというエピソードも。←過程が大事!!

※大変だったのは、街歩きのガイド・ボランティアをしている太陽の会の代表と違って、私には芝公園の名所に関する知識が無い!!→だから説明文ともなる、由来や説明を1ヶ所・1か所をネットで探して、小学生でも解かる様な文言に変換をしていく作業に辟易をした。

 職員や皆が「言い出しっぺの、太陽の会の代表に作って貰ったら?」と言っていたが、そういう人でも無いので。

(初めてのコラボだし、元々理念が違いのだから、喧嘩は避けたかった)

多忙なのに、安易に乗ってしまった自身の『甘さ』を痛感。←やるなら1年前から準備を始めれば良かった・・・

(※1度=集まれる人だけで(^_^;)=集まって、イメージを説明!!)

  

あと、昨年の区民祭りで戸板女子短期大学のボランティアの学生さん達が

「金杉橋にある障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)の場所が解からない。リーフレットの内側に一筆箋の様な大きさでセンターの地図と共に挟み込むと、もうタイムリーの記事ではないリーフレットが無駄にならないのでは?ないか?」

 というアイデアを出して下さった!!

(当時、説明も上手く出来た気がしたが、なんて出来る子達だろう・・・と感じた!!)

ただ、当時は、

予算の事(うちはビジネスではなく、今まで全部、俺の自腹だし。)

・手間の事、コレだけの量に対し、全部裁断をして、挟み込む作業を1人でやるのか?

(うちは雇っている訳ではないので、しかも年長者に「ヤレよ!」とも言えない、来てくれるだけで、約束を守ってくれる事だけで、それだけでもスゴい場合もあるので)

だから当時は、安易に「YES」とは言わず「凄く良い案だと思うが(↑上記の理由もキチンと腹を割って話し)必ず出来るとは今直ぐは言えない・区民祭りが終わったら又、各方面から気付く事もあるから、それも考慮した上で考えてみるよ」と保留にしておいたが、

 

前14号の6月22日のメンバーのお母さんの音楽イベントの時にセンターの地図を入れたリーフレットとチラシを作成したので=記事なんて所詮、記事広告やチラシだという事を出版社やメディアで嫌という程グレーな事を仕事にしてきたので=

(因みに、サロン・カレンダーのセンターの地図はセンター側から「著作権ガー」という事で使わせて頂けなかったのでExcelで急遽作ったモノ。 ← 俺達の『税金』でもあるだろうに!!

その時(4月~5月だったかな)、コレはイケル!と、戸板女子短期大学の学生ボランティアさん達の『アイデア』を具現化。

(実はこの14号に地図を入れた時点で、学生ボランティアさん達との約束を守れる!!って確信があった。)

 

 丁度、謎に1ヵ月遅れにされた『ヒューマンぷらざ祭り』のお知らせと、次世代の福祉を担う私の担当と協議の上でグリーンの活動を下に『少し』載せ、

何故か上手くいく時はスーッといくのな・・・勿論努力は必要だが・・・

三つ折りのリーフレットの三カ所に同じ内容のモノをコピペし、、

印刷屋さんに相談の上三分割に裁断をし、結局、新作の15号も入れた780枚の在庫に対し、760÷3=260枚の印刷。

 

 しかも「この枚数だと裁断をした方がお得」という事で、裁断だけして頂き、

(ただ、前14号の6/22の『音楽会』の雛形をそのまま使ってしまったので、15時を15時半にしてしまっていた為、

職員に「片付けの時間も入れて~」って事で「許してよ」って伝えたけれど「ダメ~」って事で=最初シカトしてやっちまおうか?とも思ったが=結局260枚÷3=の780枚を全部斜線を引いて直し、その上で780枚全部に約3日間、帰宅をしてから数時間かけて挟み込んだ。)

 これで1年前の学生さん達との『約束』が守れる!!

  

なんとかこんな感じかなぁ・・・(780枚挟むのが大変だ。皆でヤレば早いのだが障碍が違うと、

それぞれ目的も違うので、

・1つになり過ぎても良くないが、

・協力して出来ないのも何んかなぁ(そういえば私が参加した第1回目の時センターで恐らく1番古い方が「最悪1人で出来る様にしておけ!」と言われていたなぁ~※だから手広く拡げないのよ。良くも悪くもビジネスでやっている所とは違うし!)

臓器の内部障害なんか何処にも所属出来ない事がある!!

  

(謎に1ヵ月遅れの11月30日にされた『ヒューマンぷらざ祭り』も、PCの先生の御協力で、超?巨大ガーランドにして吊りメッセージ性を出す!・コレを観て謎に1ヵ月遅れにした行政側は胸が痛まないかい?、キース・リチャーズが言う様に「BLUESが無ければ・・・」という事だと思う・・・「優しさ」、だな、・・・)

よし、準備は万端だ!!!

(武田信玄的に言うと、=恐らくだが=、この戦、勝てるぞ!)・コレと上野のアメ横で買った超巨大バッグ(←ホボ、なんでも入る)。

 

あと芝公園カルタの宣伝。

掲げるのは百人一首でも良かったかな。

(ヒューマンぷらざに出入りをしているとある大人の方との、大切な雑談の中で「いずれ百人一首に戻るだろう」と予測。当にその通りに・・・)

 

さてリーフレットと共に、謎に1ヵ月遅れに行政から11月30日にされた『ヒューマンぷらざ祭り』のチラシ配布だが、

(どんな圧力だよ・・・?港区の福祉は、今、オカシイ!、区役所の何処の課の『誰が』『誰の指示で』こんな事を・・・)

障碍保健福祉センター側には【ヒューマンぷらざ祭り】のチラシを100部センターに要求をしたので・・・、

(うちの実力だったら150枚は堅かったが、急遽出た足の痛みが怖かったので50部減らして100枚にしたが、結果的には足りなかったので、職員からは「足りなければ施設長が手伝う工房アミか、他のセンター関係の所へ貰いに行けばいい」と言われていたのだが、足りなくなって工房アミさんへ、忙しい中、何度か足を運んだが貰えず、施設長にも会えず「そんな話は聞いていない」との事で、アクティさんへ行き理由を説明し、お菓子を買う事とバータ状態で、チラシを20部ぐらいGe‘t!←そんなんじゃ足りなかったが・・・)

 謎に1ヵ月遅らせたのは区政側だから、区の本部に置いておいても良かったのかもしれないと今、コレを書いていて感じた!!

(メンバーのヘルパーさんが配布する時に”ペラ1枚だと雨に濡れてしまうので、リーフレットと同じ大きさに折って下さるアイデアを下さった!!”←凄いこの気の遣いよう。←私達は多くの人々の案や『チカラ』によって、私達や『福祉』は成り立っているのだと改めて、今回この素晴らしい方が御手伝いをして下さった事へも、ヘルパーに入っている麻痺の『子』にも感謝!!←コレが無かったら多分、(雨に濡れ)配布し切れ無くてリーフレットだけに『路線変更』をせざるを得なかったと思う。)

 だって今回は役員に就任をしたし。

「2日目」

もう、

・人々が入り易い様に、

『お休み処として』

前面にあった机を横に寄せ、人が(前面から)出入りし易い様にした!!

 それにしても1日目は水がブルーシートの上の入口の部分まで入ってきてドロドロだったので、端を持ち上げる新聞紙でも丸めたモノを置いてもオモシロかったのではないか?とも今、思う。

朝、拭いて下さった方々には感謝。

 

(実際のPLAYにもだが、見た目にも結構評判が良く、アイデアを見て頂く為にボランティアさんかな?誰かが『上手に』並べて下さった・・・雨が上がったから前面に出して出来る事でもあった・・)

 

後は大体、『例年通り』だし、創作物もそんなにはコダワリがうちは無いというか

(今、振り返って考えると、コダワリが無い人が集まっているので・・・大人、なのかもな、そこでは勝負しない!というか。

今回、初めて参加して下さった方に

・先ずは『飾り付け』をお願いしてみた(←飾り付けという作業は楽しい気がするから・・・)

・あとリーフレットの配布体験、自分の殻をブチ破るには、サイコーの体験になる=やる方も、周りも、新たな発見に繋がったりもする。

(クラプトンが農場で働いて復帰した様に額に汗する事の大切さにも通じたり・・・)

※1回目の出展の時に、当時の計画相談の支援担当の人に配布体験をして貰いたかったな・・・きっとイロイロ変わるぜ?

・今回4回目にして今まで絶対配布しなかった人が数枚だが配布をしたり(←「どうした?(^_^;)急に?」と訊いたら「私は何も役に立っていないから」と・・・「大丈夫だよ~!!『にぎやかし』という重大な役目があるから」と伝えたが・・・『飛信隊』みたいだなとちょっと思った・・・)

自己肯定感が低いのが、こういう方の特徴の1つでもあると他の施設の利用者と話している。区民祭り3回目まで配布を「絶対ヤダ」とやらなかったのはワーク・ショップというシャレたモノがあったからだと前々から感じていた・・・区民祭りは規模が違うんだ・・・

ただ、1日目の寒さの中、動かない事で『低体温』になるんじゃないか?ソレが心配だったが、俺より身体が屈強なので。

 

2日目の装飾は、(雨に濡れて困る様なモノはクーラー・ボックスに閉まっておいたのだが)、装飾が前日よりもコダワっていなかった様な・・・(^_^;)

 結局、作った側の自己満足って言ってしまえば身も蓋も無いが、自己満足なんだが、もっと作品について、皆で話し合う時間があっても良かったかも。。。!!

 

まぁ、(休憩をして)ユックリお菓子でも食べようか・・・

来年は『休憩処』と付けても良いかな?・・・←絶対忘れてそう(^_^;)

(前面を開けていた分、菓子喰ってノンビリとしている姿が目立ってしまっていたが・・・目が合った人を呼び込んで一緒に食べて遊んでも良かったかも???・次回はソレに挑戦をしたい!出来るかな??)

※余った分は、第2土曜日に使わせて頂きます!!

一応(手作りの)『芝公園カルタ』もやったが、

・難しく長い文言を飛ばしながら読めるのは、作った俺だけ

・百人一首が難しかった子には「芝公園カルタが楽しかった、又したい(←え?アレを??)」と言って下さった方も居た。

※百人一首が本当に全部あるのか?それを心配しながら読んだ(5秒経ったら外してもいいかも)。

※毎年、『奇跡』の様に、百人一首好きが来るのよ(←奇跡を願っている様じゃダメよ)・・・でも、いつの日か、グリーン主催で、その方達だけを集めた選手権をやったら又、オモシロソウ!!!

※百人一首は区民祭り出展第1回目は、あいはーとに都から天下りで来ている人がモノ珍しくて見に来たが・・・昨年からは『例の』事件が・・・うちは全然悪くないのよ、もし俺が『行政訴訟』でもしたら(証拠沢山コピーをしているし)・・・港区の福祉、障碍者福祉は・・・少なくとも向こうの所長は(←裁定に区民として納得がいかず第三者込みで面談をしているし、障碍者福祉課の課長はどう思っているのか?→その結果が区民祭り後の『区長懇談会』は障団連だけで聴講も無しらしい・・クローズで、風通しもよくない傾向だね・・・何も言う大人は誰もコノ世の中にいないのだろうか)。

 

(あと、いつまで俺が百首読めるのだろうか・・声がいつまで出るのだろうか?、配布と共に他のブースの90才近い高齢者のお話を聞いて「世代交代」を感じた。

・昔、『障がい者福祉事業団』でパン屋さんの呼び込みをしていた人で、

・現在、障害保健福祉センターで清掃事業に従事されている人の足腰~下半身の強さは、

『若さ?』もあるが、それよりも日常、普段からの活動・従事の賜物だなと、驚かされ、その子のお母さんにも伝え、

後日、事業団の局長にも『連れトイレ』(←今の時代連れシ〇ンとか書くとウッサイ時代だし)で、キチンと良いトコロは良いと伝えておいた!!。

 御本人は気付いておられないようだが、私の年齢になると、そこの差が如実に表れてくる。

 ※大体47才と50才近くでは、それだけでも全く違うからね。。。(←マジで)

その子が私の年齢になった時、そこに気付くか?どうか?は解からないが・・・)

 

(百人一首なりカルタの時間は『呼び込んだ方が早い!』、「今やりますか?」とか、又は「何時にね~」ってのは20分~30分ぐらい前でいいのかも。↓作ってもあまり『例年』意味が無かった、一応の目安にはなるがな・・・

『帰りについて』。

例年は、

他の団体や来場者と帰宅が被る事が嫌で(集団でゾロゾロ遅々として前へ進まない事とかが嫌で)、

更に車両運搬の出入りや、人と人がぶつかっての事故等や、

ゴミの分別について焦ったり(←場所を教える方が面倒な場所にある気がするので・・・←マジ、福祉部会で何度も教わる私がいつも捨てに行くのだが・・・汗)。

それが嫌なので、

 

今までは『 意図的』に片付けを遅らせノンビリしながら混雑を避けていたが、

(俺はドッチでもいいんだが・・・なんとなく競う必要はない!と・・・)

今回は、早く帰りたい人達や、他のブースへまだ回りたい人が、急そいで片付けたので

・1日目は暗くなってきたので視覚障碍の人を先に帰らせ(少し薬が多くて朦朧としている方も、視覚障碍の方に一緒に連れて行って頂く)・・残った人というか、俺を主に雨の中、片付けたがソレは障碍によるので仕方がない・・・←逆に暗くなって、転倒や事故等に繋がって欲しくない!

だから人と片付ける時間を競わず、ノンビリとやっていたが・・・、

(ソレでも帰宅すると『今までは』クーラーボックスの中はグチャグチャよ・・・・)

今回は早かったので、帰宅してから片付けを簡単に終わらせられる事が出来た・・・

(ただ、クーラーボックスを引っ張る台に固定する紐は別に用意をしておけば良かったな・・・ソコは俺ダケの反省点。)

その日の内に(家での)片付けを終わらせられた事は初めて!!

 それだけ1日目にリーフレットを配布し切ったという事だろうし、多くの方のチカラで肉体も少しラクだった?のかも。

(そっか、それで1日目ぶっ倒れる様に疲れ切って眠り続けたのか・・・区民祭りの少し前に引っ越してから右足の痛みも出て

令和3年のステロイドの副作用に関わりたくない医者達が、無かった事にするので、原因解明をしてくれず増薬しただけで=俺の身体で実験しないで!!!=その薬の影響もあったが、翌日出来るか?不安だったぐらい・・・眠り続け、その週もリズムを回復するまで中々・・区民祭り翌々日から障害保健福祉センターでPC講座→サロン→他の施設での演劇部があったのでキツい・キツい・・・)

帰宅をしてから全員に「お疲れ~」のメールを1人1人に。そろそろLINEか。。。いや1人・1人が違う『感想』だし・・・

 

今回、

・理由あって来られなかった方にお菓子を持って帰って頂ければ良かったな、そこまで気が回らなくて・・・

・区民祭り少し前、偶々工事現場に、写真上右の文言が見えて、建設関係の関東北陸全現場と事務所50数か所近くの安全を統括する部署の最古参になって数ヶ月下から課を差配し、毎月の仕事も本社から内密に「ほぼ2年間君が全国1(の速度)だよ」と言われた(=但し、この時は速度を求められる仕事ではなく、正確性を求められる仕事だったがただフツーにフツーの事をしていた、、、あ、、そうか2行目の当たり前のことを徹底的に行うがソレなのね・・・その職場は事故が起こると上から下まで決裁が一切止まるのに俺達「事務の納期は間に合わせろ!」という無茶ゲーだったので、事前に事故が起きても良い様に事前に・事前に、他の仕事をしながら、水面下で動いていた。)

新潟の現場から出来る上司が来て直ぐ、アレだけ起きていた事故が瞬時にゼロになったが、

まだその上司が赴任前のある日、急にアタマにズカンっと「純利や納期に追いやられ後回しにされる『安全第一』という言葉が何故?世の中にあるのか?解かった気がした・・・」

事故(特に死亡事故)が怒ると、その事故に遭った被災者だけでなく、周囲の御家族・知人・友人・恋人や親しい人、全ての人々の人生まで変わってしまう。

 誰しもが1回しかない人生はお金では買えないモノなんだ・・・

 

でも、今でもこうやって違う建設会社の看板を見て、『安全』に対し、反応して考える機会がある。

(多分、区民祭りの運営にも『安全に対する意識は』活きているだろうし←自分が医療事故数回で壊されまくっているのにな・・・自分と同じ様に・・

ステロイドの副作用により

20才前後で下半身麻痺になってしまった子や、

昔のお客様で調理人だったのに同じくステロイドの副作用で杖の生活になり2度と調理人が出来なくなってしまった経営者の方が、俺の変色した足の写真を観て「全く同じだ!」って。なのに何が「どうせ箪笥にでもぶつけたんだろ!!?」だよ・・・

家族は区民祭りで手伝って下さったけれど、”勉強してきた者だけが正しい”と診察室でなってしまっているし・・・そんな世の中ってどう思いますか?

医師達・医療人達にはステロイド推進の圧力が加わるし・・・俺も、『医療人』だっただけに・・・)

 

 無駄じゃない!!

 

因みに皆の『配布成果』は・・・、

 

謎に11月30日にされた『ヒューマンぷらざ祭りのチラシ100部』(←アクティさんに足りなくなって貰いにいったチラシを足しすと100部以上と『太陽の会』への配布分の余り数枚・・・コレなら150部は軽くいけたな・・・↑↑

11月30日にされた『ヒューマンぷらざ祭りの案内を入れた、障碍に関するリーフレット』を740枚

(本当は昨年からの余りで780枚持って行ったが、このままだとヒューマンぷらざ祭りでの配布分も無くなりそうだったので2日目の途中で止めさせた。)

 の、

計840枚以上。

(とある偉い立場の人が「そんなにっ!!?」と驚いていた!!!)

 

まぁ、3回目の区民祭りの時も、メディア出身の人と、昔の仕事がらヤハリ止まらなくなってしまったので重版しにいったから何部か?は解からないが、過去最高に近い配布量だったのではないだろうか?

 ま、量だけが問題では無いがな・・・ただ宣伝しなければ拡がらない、それも事実だ、だから広告代理店やメディアは右から左に商品を流すだけで何も生み出さないのにズルいからこそ、正義と公平性を求められ、行政・立法・司法を監視する第4権力であると、実際に中で体験をしてきた後組織からキチンと外へ出て外からも観てみて、更に自身で金を出して、そこからの景色も見たり、胸に手を当て、自身の正義に照らし合わせ、正義であれと言う。

(結局、出版社の頃のイベントの責任者を任された頃と同じことをやってるなぁーって。)

 

・あと雨の日の経験も出来た!

(カルタも含め、大いに経験値を積めた区民祭りではなかっただろうか。)