令和4年10月8日(土)~9日(日)、東京都港区芝増上寺横の黒門をくぐった福祉ゾーン2カ所で港区民祭りの福祉部会が出展をしていたところへ、
今年ある方から「出てみたら?」と薦められ、数日後とりあえず資料を観てみると、あと5日しかなくて、もう無理かなーと思っていたら、あれよあれよという間にトントン拍子に話が進んでいき、出展が決まったので、この半年ぐらいの間、スポーツセンターで行われた区民祭り総会から始まり~福祉部会の会議を区役所で何度も重ね、出展をする事になった。
(夜18:30から区役所の裏側から入り、エレベーターで9Fへ行き、そこで会議)
出展とはいっても何かを売るワケでも無かったが、
(調理師で超有名な大食いタレントさんとかにも料理を作ってきた事があるので・・・やれば出来なくはないのだが・・・本気でやったら恐らくとんでもない事になる飲食のプロが作る料理も出せなくはないのだけれど・・・保健所の許可や電圧の経費、何か販売をするとテントブース料がかかる為、初出展だし、私の中での福祉ゾーンは、ただ祭りや利益というより福祉理解への啓蒙こそ本質に感じるので、食や物販だけが目的ではないよなと・・・勿論、実績作りが目的でもない)
その為、この1年間、障碍者と健常者の溝を埋める理解を促進させられたらと思って、障碍者も健常者も広く浅く楽しめる毒にも薬にもならない媒体を目指して季刊紙としてリーフレットを発行し、現在都内6カ所(1か所減りそうなので開拓したいと・・・)へ置いて頂いているので、それを印刷し配布をして啓蒙活動をしよう!!と、申し込みの目途が立った時点からリーフレットの配布啓蒙活動をイメージしていた為、今まで発行してきた媒体の出来栄えから何部づつ刷るか?直感的に計算し(自分で作ったので他人からは解からなくても、出来不出来が如実に自身の心の中では解かってしまうので全部を同数にはせず)、印刷会社さんで両面印刷を行う。
うわっ、両面だから相当な金額がいってしまった・・・各業界を徹底的に渡り歩き飲食業で独立をしようと貯めていて(先天的なモノと、オペ後の不具合と、薬剤での副作用で←ワクチンではない別の薬の副作用な)貯金を切り崩しているからキツいな・・・
それを区民祭り当日のBGMにする音楽を択びながら150枚折っていく。
まぁ、出版社の時はDMを1人数百枚折っていたし(←皆と上司の事を言いながらだから意外に楽しいのよ)、記者営業で他の経営者さんをご紹介頂く代わりのバイトで3日間で数人で8千枚ぐらい折った経験があるので、そこまで大変では無かった。
(家だから休憩時間も自由に出来るし、ただ他の職場と違って同僚が居ない中で作業するのは結構な孤独感が・・・でもまぁ、それも実家の飲食店で同僚が居ない中、仕込みから帰ってきて店の準備をし、鍋をかけながら、何年もROCKをかけつつ、毎日何百本と串刺しを1人で刺していたので、このぐらいの量で、このぐらいの日数なら1人で作業をする孤独は、そんなに苦でも無かった)
ただリーフレットが4種類では寂しいので、障害保健福祉センターのパソコン講座やパソコン自由開放で作成をしたお金をかけない紙の工作作品が大量にストックされていたので、よし!!、これを飾ったり、自分の作品だけではなく障碍者の作品を展示しよう!
・但し、人様のモノをお預かりして、もし天変地異や盗難も含め何かあってもいい様に、壊れてもいいモノだけを預かろうと決め・・・それでも皆さんの作品は私が作った作品に比べ、一級品の作品ばかりなのだが
(朝行くと空のテントがあったので→飾り付けを)
・紙の作品なら持ち運びが軽いので搬出・搬入が尋常ではなくラクなハズ!!
(過去に幕張で行われた日本最大の食の祭典「FOODEX」で8ブースの施工業者さんとの打ち合わせから~撤収までの責任者や、「健康生活関係の展示会」で又8ブースの責任者、他ミニ展示会・昔銀座にあった福家書店でのブース販売出展の経験から恐らく1番ツラい『事』は搬出・搬入の片付けだ・・・クタクタの中で片付ける事は心身が疲弊するし、イベントが終わり気が緩んでいる為、思わぬところで事故へも繋がる。区民祭りの後も人生は続くのだし、この区民祭りで全てが終わりではないから、無理をしない範囲で粛々とやろう、俺が冷静でいないと・・・)
※初出展だし、当日、きっともっと他に気を配る事はあるハズで、自己表現や自己実現だけに目を向けるのではなく
・先ず、お手伝い下さる方々や来場者の安全を第一に考え、
・来場者の方がどう楽しんで下さるか?を念頭におき、
・祭り後も続く自身の体力の配分。
に気を配ってみた。
※最悪1人でもやり切れる規模にしておく事も想定し、代表としての腹をくくった!!!
(ブースの装飾が『概ね』終わったら出展者用の手首に巻くリストバンドを「福祉部会本部」へ人数分貰いにいき、ゴミ箱の場所の確認や)
運良く(シールが剥がれる)リストバンドがうちの団体名Greenと同じ緑色(←迷信や運なんて信じないけれど、「追い風」を感じる!!)。
(増上寺会館の中とか、知っている工房ラピールさんや工房アミさんが展示ブースを出されている屋内等の、近いトイレの場所を確認し、急いで自分のブースに戻ってリストバンドを全員に付けて頂き、円陣を組んで「え~、誰も怪我をする事無く、安全第一で、先ずは今日を乗り切りましょう!、それじゃっ、宜しくお願いしまーす!!!」みたいな事を声を張り上げ、全員で気合を入れる!!←何年も出展をし続けている他の団体では無い新鮮さだと思う!!=←料理でもなんでも慣れた頃が1番事故が起きたりして危ない=、←だからこそ、このフレッシュさをいつまでも忘れたくはない!!)
さ、始めるぞ!!
1日目だし、うちは物販をしないから、始まる前後はそこまで人は来ないだろうし、
先ずは手伝って下さる方々に慣れて貰う必要もあるので、手伝って下さる方々が早朝からブースの装飾も終え、(キチンと)少し休憩させる事も必要だったので、お菓子と飲み物で栄養補給をして頂いている間、自身の展示ブースが落ち着いた事を確認してから、私自身は他の団体さんへの『ご挨拶』と「取材」へ。
(うちはあくまでもメディア活動を基本にし「主旨」がブレないようにしよう・・・)
でも、皆さん忙しそうで、知り合いが居なかった事もあって取材という感じにもならなく・・・
偶に知り合いの代表さんや職員さんが居たら御挨拶をする程度だった。
(正直、初参加の私は、知り合いの団体さん以外には何者なのだろう?とまだ懐疑的に観られていても仕方が無い為・・・1歩1歩コツコツと皆様にご迷惑をお掛けしないよう、粛々とやるべき事を行っていこう・・・)
因みに、朝「あいはーと・みなと」さんの代表とお会いしたので少し話し、とりあえず私のモットーである「(展示ブース参加者と来場者の)安全第一で!!」という事で意見が一致!!
安全第一についてはゼネコンで安全と環境を統括する部署で約1年半でその課部署の最古参になったという事もあるが、数か月前の「どんぐり公園」での工房ラピールさんとみなと工房さんの取材の時にも話した事だったので、もうその頃から安全第一にすると決心を心掛けていた。
そのまま増上寺会館の中の
工房アミさんをお手伝いするというカタチで、障害保健福祉センターの施設長と『ヒューマンぷらざ祭り』担当の方が視察に来られていた為、ご挨拶と取材。
(自身のブースも気になっていたので、取材というか、駆け足のご挨拶程度になったが・・・)
工房ラピールさんも横で出されていたので、そのままご挨拶。知っている所が並んでいて少し助かった。
挨拶を兼ねた駆け足での取材を終え1度ブースに戻ってみると、うちはスターボウのワークショップをする予定だったので(私がもうスターボウ職人として講師から認められ、他の施設でも教えられたので)戻ってみると、うちのスターボウ担当が来場者に教える過程で何か戸惑っている事が遠目にも明らかに見て取れ、アブねー、本当に良い時に私が戻ってきて良かったーと、内心はドキドキしながら「どれどれ~、先生が代わって教えようかー?」と明るく努め、来場者さんから観て超不自然な講師交代を行ない、代わりに来場者へ作ってあげた後、もう1度スターボウの担当者にマスターをして頂く為、再び一緒に作って工程の伝授。
(無償で手伝って下さっているし、財力的にも私に足りない物や、他の作品も出して下さったので今回はMVP級の活躍で感謝!!)
その後、知り合いのバイオリニストが来て下さって「弾いていいですか?」というので、
”いいよ、やっちゃえ!(何か言われたら)俺が責任を持つ=←事前に許可を得たラジカセのBGMと一緒だ”と、もう勢いでブース内で何曲も弾いて頂いた。
後日、区の反省会の時、行政の若い方から「あのバイオリンの音色は素晴らしかった、あの優しい音色が会場の隅々にまで届いて、凄く良かったです」と感謝の言葉を頂けたので、そのまま彼に感謝と共にその行政の若い方の言葉をお伝えしておいた。
(彼自身は「いえ、まだまだです」と謙遜もされていたが、いいんだよ、それで♪、LIVEと同じでオーディエンスが楽しめれば!!♪)
初日は手伝って下さる方に慣れて頂く事を念頭に置いていたので、よりやり易く出来ないか?お菓子でも食べつつラジカセで、好きな音楽(←といっても福祉部なのでハード・ロックやパンク・ロックという訳にはいかないが)をかけながら、こうかな?ああかな?と皆で楽しく思考錯誤。
(自分達も「ある程度は」楽しまないと、来場者だって楽しくないはず!!それが来場者や、しいては福祉ゾーン「全体」へ伝わればいいと考えていた!!)
午後はうちのスターボウ担当の肝入りで百人一首を。
(2ヶ月かけて百人一首も手作りをしたが、絵と読み札のラミネートを間違え、結局、一応もしもの為に用意をしておいた普通の札でやる事に・・・)
※因みに福祉部の部会の時に、まだどういう机配置にするか?観てみないと初出展では解からなかったので、一応「まだ決めてはいないのですが、ピクニックで使うブルーシートみたいな敷物を敷いて、そこへお客様に上がって頂く事は出来ませんか?」と質問し、
「ブルーシートですか?、今までそういう事をされた団体さんは居ませんが(←マジか~・・・あまり奇抜な事をするとヤッカミで叩かれるからな~と内心迷い保留にしておいた)、でも大丈夫だと思いますよ!!」と事前に報連相をしておいた為、早速シートを敷いて百人一首を準備。
百人一首に参加をする来場者さん達が集まったはいいものの、読む人が「眼鏡が見付からない!!」と言うので、あ~もう!!・・・っと、急遽私が広報の意味を含め、デカイ声で百首を読むはめに(笑)
(私の声、意外に通るんよ・・・←読み手は外に向けて読むといい)
↓
でも75首目でそろそろ声が枯れてきたが代わりの人が居ない為に頑張るしかない。
その時、障害保健福祉センターの方達がうちのGreenのブースへ視察に訪れて下さったので、「ね、読んでいかない?」と誘ったが「いやいや途中からじゃ悪いから、私は・・・」って(←いやいや助けろよ:笑、75首目で声枯れてきてんだ~って)、結局最後まで百首1人で読み切って酸欠状態。
(これは明日無理だぞ・・・絶対他の人に読んで貰おう、ダメなら他の企画だ!!と心に誓う)
因みに
・1日目は学校でカルタ倶楽部に所属をしているスーパー小学生が優勝。
・因みに2日目は「最近、百首全部を覚えた!!」というスーパー女子大学生が優勝。
(うちからはバイオリニストが強かったけれど、勿論、百人一首を専門にされている来場者さん達の1人勝ち・・・←やはり、そういう方々は強かった、来年は第二回大会と銘打つか・・・?)
その後、お手伝いや作品展示の方々数名が、フラリと到着をし、敢えて初日はリーフレットをあまり配布せず、初出展なので様子見と、自分も含め手伝って下さる方が区民祭りの出展側に慣れて貰う事で「こういう時は、こう」と各自が区民祭りを楽しみながら率先して己の判断で動ける様になる様に終始した。
(1日目の撤収の時、他の団体さんはテントの『前ダレ』で盗難防止の生地を賃貸していたが、私は解からなかったので、うちの裏で既に撤収を終えられていた=←うちは遊んでいたので遅かった=「あいはーとさん」を観ると、特にうちと同じで『前ダレ』はやっておらず、キレイに片付け、さっさと撤収をされていたから、ま、うちは特に盗難にあっても紙の工作ばかりだし・・・本当に大事な作品や主旨としている配布物は私が1度持って帰るし、ブルーシートをかけておけばいいか!!と・・・うちはあくまでも【普及啓蒙】が目的とすべき事が明確だったから!!!)
翌日は飾り付けが無い為、開始が1時間早いが、又、本部にリストバンドを貰いに行き、時間があるうちに、手伝って下さる方の人数分の記念バッジと抽選券を受け取りに行く。
(1人1人貰いに行っていたのでは時間や人員のロスになるし。勿論ステージを観ている暇なんて俺にはない・・・)
そのまま抽選券を持って(再度、繰り返すが、それぞれがバラバラと持ち場を離れると穴が空くので)1人で全員分を引いてしまう。
次回は抽選会場が増上寺会館の奥になる可能性も・・・「それを来場者側の導線へ出来ればと区役所の上の方に頼んでみる」との事。
この日は社協の方とかが視察へいらして下さったり、障害保健福祉センターの又別の担当の方が来て下さり来場者と共に一緒にババ抜きをして下さったり、昨日いらしたヒューマンぷらざ祭り担当の方が又来て下さって労って下さったし、ラピールさんも代表の方々が2人ともいらして下さった。
(知り合いのあいはーとさんが裏だったから来てくれるかな~って期待もしていたのだが・・・「人は行動で語る」と俺は私から仕事を流している人や後輩に伝えてきたが、う~ん・・・団体同士が協力をしないと健常者との壁どころか三障碍の壁だってブチ壊して越えられない!!!)
(↑このキャベツにつられ、ホットドッグを買ったりブースでお客になったのに涙、因みにあいはーと祭りの時のウインナーとも又違っていた。)
この日は、本来の目的であるリーフレット配布を行ったり、少し私がブースに居られる時間が増えたので、手伝って下さる方々に区民祭りを楽しんで頂こうと代わる・代わる祭り会場を堪能してきて頂く。
※※※この日、リーフレットを配布していて、大体多くの方々は快く受け取って頂けたが、
本当に30人に1人ぐらいの割合で、「あ、障碍者はちょっと・・・」とか「障碍じゃいいや」とか、ガチで露骨に肌で感じた温度差もあったり、
(福祉ゾーンでこうなのだから他のゾーンだったらもっと・・・辛辣でもご意見を頂く機会や温度差に出会えたのかもしれない)
↓
で、実際そういう方達ともお話をする事で(←「障碍はいいわ」と言う人の方が話して下さる)、何が問題か?どういう所で健常者の方と障碍者の違いに対し「驚き」や「問題の理解」へと至っていないのか?、自身で配布をしながら、自分の手と肌で痛みや温度差を感じる事によって表面化されにくい、目に映らない部分の・・・、
(障碍を持つ人に慣れてしまうと、ボッチャとかトランプをしてみれば解かるが「楽しい事は楽し」いし、「悲しい事は悲しい」と、左程変わらないのだけれど・・・)、
理想だけではない『差異』を認識した。
・私が自腹を切って印刷したものは1つも出なくて余った・・・
(※ワークショップのスターボウは1パーツづつまとめておくといいし、今後は1個作り方を教えてあげて、後は私達が折ったモノを糊で組み合わせて頂く事で、子供達の『飽き』を防ぐ事が出来ると次回への「課題」が見付かった・・・←「課題が見付かる事は幸せなんだ」と私は職場で、私より能力が全然ある若いからこそ完璧主義の後輩達を励ましてきた、勿論、それも度が過ぎれば良く無いから人にもよるが・・・※あと男が択ぶ模様よりもきキャラモノの方が女の子供達が択ぶので←ワークショップは女の子の方が断然多い、男の子は・・・う~ん・・・
(ま、福祉部ゾーンだからな、親御さんが連れてくるか?どうか?もあるのかも)
・あと私の中に『教育』というモノもテーマがあるので、忙しい中で3日間・深夜3時までかかって作った「惑星探査サンプルリターン双六」はコダワリ過ぎて、区民祭り期間中は結局やらなかった、社協さんの人とかが「ちょっとやってみたい」と言って下さったが・・・
実際、一般の方とか、手伝って下さる方にはマニアック過ぎる双六となってしまった←飲食業で言うところの「客が観えてねーんだよっ!!」と、怒鳴られる状態と同じだった事も強く反省をし、今後「万事が万事」受け止めていきたいとも思う・・・。
・簡単だと思っていたサイコロも上手に作れなかったし・・・)
(最後、撤収の目途も付き=←うちはほぼ紙なので早い=、手伝って下さった方々と感謝の円陣を作って、最後の声を振り絞り「今回2日間、安全第一で乗り越えられて、本当に皆様に感謝をしております!!、ありがとうございましたっ、それでは一本締めで締めたいと思います!!。ヨー~っと・・・」とデカい声で最後を締められた事は、障碍や『個性』の違いを超え、皆が又1歩1つになれた瞬間の1回でもあったのかなという光景だった・・・←後ろのみなと工房さん=あいはーとの所長さん、煩くてゴメンナサイ、いつかパンク・ロックかけますので、いやでも福祉ゾーンでパンクって訳にもいかないか・・・いつか私が他の施設で開催をしていた「ラジカセ1個の音楽会」をやってみたいなーって個人的に密かな『目標』も・・・でも個人のやりたい事をやってしまったら、それは『主旨』が変わってきてしまうか・・・自身がしたい事は我慢をするのが代表なので受け入れよう!!!!!)
来年、又この様な機会を持った時、今度は手伝って下さった方々にもリーフレットを1人当たり例えば5部~15部でもいいから配布して頂いて、世間との温度差や差異も肌で経験して頂こう。
だって、未来にも関わる事だし、健常な人だって人間はいつどうなるか?解からないのだもの。
僕達は実験台でも、見世物でも無い!! 叩かれれば同じ様に痛いんだ。
辛いモノは辛いと感じ、甘いものは甘いと感じ嬉しくて、美味しいモノは美味しいと感じる!!
まして道具ではない!!
(数日後の福祉部会の反省会で提出をするアンケート用紙にも色々、先ずこの度ご協力下さった行政の方へのお礼と、色々気付いた事、私達が今回の事を糧にした、未来への展望を書いた)
この反省会で「何か今回の反省会で言いたい事・気付いた事は?」と意見を求めれた時、
ちょっと他の施設で色々あって、心身ともにボロッボロで舌ったらずになってしまったけれど、
(スゲー悲しい事があって・・・←まぁ、でもいつもの事なんで傷なんて舐めてれば治る)
それでも1番に挙手をして「うちは物販をしませんでしたが・・・」と、
・代表としての心構えが学べた事や、
・私が倒れたら終わると数日前から食べ物さえも気を付け、
・調理師としてもどういうモノを食べたら疲労が回復をするのだろうか?という視点からも考察出来た事等、
様々な学んだ事と共に、上記※※※印の部分についても発言をしてみた。
だってこれだけの障碍者・福祉団体が集まっているのだもの。
勿論、販売をしてB型作業所の工賃を創り出す事『も』利用者にとっては大事だけれど、2日限りの区民祭り以外の時でも売れる為の(=更に福祉ゾーンに来て頂く為の)、障碍者の次の時代へ繋がる為の事を話し合ってもいいのではないだろうか?としたが、
↓
この日、あまりにも疲れ、凄く悲しい事があって心がボロボロだったので、元来シャイで口下手だし、上手く伝えられなかったけれど、私というあまり器用には生きられない人間や、私の意見を知っている、あいはーとさんや、アクティさんの心の何処かには届いたと思うし、流石に行政側や行政側の長の方はピンっときた!!事が、私やこちら側にも伝わり・・・
その事についてキチンと触れて下さったが、あまりにもその日の日中、色々あり過ぎた為、
行政の方のアシストに上手に返せなかった為、反省会の会場ではスルーとなり、場所・売れ行きの議題ばかりになってしまった。
(議題として、個々の団体の問題点だけではなく、
・もっと福祉ゾーンに来て貰うには?とか、
・三障碍とその御家族への理解促進をこれだけの団体さんが一堂に会しているのだから理解・普及啓蒙活動をするには?
等、質問を反省会で行政側に投げかけてもよかったのかも?な・・・自分の感じた事だけを話さず(←自身の手で配布した事から得た事があまりにもエキサイティングだったので、つい自身の感想だけを話してしまった、そこが今回の私の1番の課題かな・・・と)。
辛うじて『あいはーと』さんが、私の意見を汲み取りなぞられた感じで(←すみません生意気で)
「こういう『機会』を作って頂いて」という様に行政への感謝の言葉から入り『機会』についての指摘と誘導もして下さっていたが・・・。
(あの時、確か「4つの言いたい事」という感じで”箇条書き”にされ話されていたので、成程、ああいう発言の仕方もあるのだなと・・・、今回私が恐らく1番若く「いの一番」の挙手だったので、発言の方法も解からなかったが、1つ発言の方法として実施で勉強になった!!成程ね、ああやるのか・・・)
願わくば、各団体さんや来場者さん達の心の中に、Greenのブースで弾いて下さったバイオリニストの協力をして下さろうとする善意の音色がいつまでも鳴り響き渡り、反省会等だけでなく世の中で、障碍や、様々な表面化されない苦しんでいる人々について、理解啓蒙の普及活動をもっとするにはどうするか?という意見がもっと活発になり、各団体だけでなく多くの人が「そういう手もあったか!」と学べるよう、いつか開花をする事を願って已(や)まない。
今回、行政・施設・様々な団体・労って下さった関係者の方々・そして(なんといっても)協力をして下さった皆様へ、、、感謝!!!
(うちは「来る」って言った人は全員来たし、来られなかった方も声援を送って下さった、
本当は休日出勤で1日しか来ない人も2日間来て下さった。
うちは1人たりとも取りこぼさねーぜ?!!!)
障碍者もだけれど、人間、大好き!・色々あるけれど、(誰しもたった1度しかない人生で)、それも人生のエッセンスだよ!!
追伸:1
※後で今回の区民祭りに来られなかった人と話をしていて「物販をしないのに来場者を楽しませられた事は素晴らしいと思う」と仰って下さり、それって『真実』の1つに感じた。
※※会期中も「完全な民間団体でこれだけのことをしたところはない」と、とある尊敬をする方が私に仰って下さったり・・・←親に褒められた事がまずないので、どうしていいか解からなかったが・・・。
とにかく反省会の会場でも行政の方々へも伝えたとおり「今回の事を糧にし、僕等は生きていきます。本当にありがとうございました!!!」と、お礼を伝えた事に嘘偽りも無い。
代表として過ごすのか(団体の中で1番の年下だから、年長者を立てたいから、厳しくし年長者の面子を潰す訳にもいかない為、昔の出版社の頃のお客様と付き合う時もそうだが、そこが難しいのよ・・・)、いつもどおりアンポンタンに過ごすのか?、そこが迷うところだが・・・
勿論、年下の事は相手が誰だろうと年長者側が『違っていたら』絶対に護る!!逆もしかりだが(←譲れない事はそこだけでいい・・・)。
やはり額に汗をかけばいいか!!。
まだ12月に最後の総会があるし、←結局ペーパー総会になって懇親会も無し。
(総会の日に冊子が送られてきた、右は今回出席した福祉会の全団体名)
きっと、もっと後で色々な事を思い出し、それが今後の糧や課題・修正点になっていくのだろう、『今は』とりあえず、次に進める事が差し迫っているので、あの会場でより明確に浮き彫りになった事だけ、次回、修正と応用が出来るように『備忘録』としても、ここへ記しておこう。
(ああ、なんか『大航海時代』の船長の航海日誌みたい・・・今、そんな気分・・・)
チャレンジする事はGreenなんだ!!(=チャレンジ出来る事は未熟で碧い、だからまだまだいける!)って言葉が、今、これを校正していて浮かんできた!!
(後ろに次の区民祭りの是非の承認書とアンケート欄が付いていて、メール又はFAXで???)
(FAXが無いので、仕方ないアンケートを書いたらPDFへスキャンし)
(PDFをデスクトップに置いて、メールでご担当者様に送ろう!!)
これで『全部完了』かな・・・!!(ワリに全作業は緻密だった・・・)
追伸:2
更に後日、とある方が先ず、『特殊学級』の子達が「一般の学校へ通っていた時期の方が心が落ち着けた・楽しかった」とか、そういう例を挙げた上で・・・、
↓
「区民祭りで、何で一般ゾーンと福祉ゾーンが別れているんですか?、一般のラーメンとか綿菓子の間に手話のフランクフルト屋さんがあっても良い!!、手話でオーダーすると10円引きとかがあったら、大人だけではなく子供達に取ったら凄く良いと思う、(今、世の中は)遅れているのでは?!!」という「先進的」な意見を短時間の間に聞く事が出来た!!!!!!!
世の中は広いなぁ〜と感じたし、
(出来れば何かの機会で、それを、又、アホのフリして1番に挙手をし、笑、池に小石を放り込み『波紋』を拡げる様に、”この人の代わりに伝えたい”と感じた!!)
せめて、何故?、福祉部ゾーンと一般ゾーンが分かれているのか?、『差別』や『区別』とかそういう理由ではなく、純粋になんか未来を作る足掛かりとして、その理由も根本的な所から解明をしてみたい。
勿論それを、更に他の人へ伝えた時、
・収益の集計や管理し易いとか、
・「例えば酔ったり、ラリったり、心無い人が『障碍者なんて邪魔だよー』等の暴言を吐くとかから区別をする様にする為の措置では?」と言う人も居たが、知っている限りでは(内部障碍・外部障害)を問わず何らかの障碍を抱えているうちのGreenと、当事者の数人が手伝っている団体さんは別として、支援をしている団体さんの多くは健常な方が主になって運営をされているから、もしかしたら多少はそういう事態もあるのかもしれないが、
現実にそういう個性がある人達が溶け込む光景を作れる社会にしていけたら、『一緒だけれど、出来ない所は出来ないから、出来る人がやってあげる』、そんな温かい世の中が作れたらなと、その後日に、又、様々な事を考えさせられた。
今後も、そうやって、学び、考え、進化をしていく事が、『共生』だけではなく、人類の進化なのだろうなって。
(共生のその先を垣間見たというか、そこに触れられた気がした!!。)