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IGS-report

未来の為になる取材やイベント活動を行うメディアを目指して活動しております。

令和5年8月12日(土) 

 

会議室2を使用!!

今回は、『区民祭り』に向け軽作業を手伝って下さる方が来られたので、一緒に作業をやって頂いた。

(私がお願いした作業なので、私の方が枚数が多いのだが、何故か『残骸』はメンバーの方が多い:奥あせる


アクティさんのお菓子(今回は人数が少ないので、これを割って差し出す・・・)

 

個包装のお菓子。

配布をする時に便利

こういう時期だし

何人来るか?解からない事と

余ったら取っておいて、次に又出せる!!

話しながら作業をしていると、

なんだか『一体感』が生まれる。

(より)本音で恰好付けず話せる。

昔の出版社時代、数百枚のDMを発送する仕事を社長が頂いてきた時、皆で残業をして折りながら封筒詰めをしつつ「ちっ、この前、社長がさ~」な~んて、サラリーマンごっこ的な罵詈雑言(笑)を言いながら、笑い合いつつ、普段オフィスに居る人達の様々なエピソードを聞きながら「交流」を深めていた事を思い出す。

(当時は終わったら「あ~喉乾いたー」とか言うが居て「じゃ、行くか!!?」って呑みに行く

 

でも今回は手伝って頂く『枚数を決めていた』ので、(もっとやりたそうだったけれど)頼むに頼めなくもっと話したかったが・・・、「次の予定もある」という事で御多忙な中いらして頂いた為、ここからは1人で・・・

そして枚数をこなしていると、なんだか紙の原料である木への感謝の気持ちが湧いてきた。

 

時間が余ったらExcel「関数」の勉強をしようと図書館で借りてきたのだが、意外に時間が無かった・・・。

夜の部も予約をしておいたら車椅子の子のお母さんが『迎えに来る時間』になっていたのかなぁ?

(でも、まだ始めたばかりだし、今の時期は良いが、真冬とか、私が帰るのがツラいモノなー、自分が倒れたらよくないし、今年は無理をせず様子見で少しづつだなー)

う~もっとここに居たい・・・

PCもTVも本も(これ以上)作業をする事も何も無い『静寂』とした部屋・・・

帰宅すれば作業が山の様に溜まっている。

切り替える場所は大切!!ってことか・・・

 

『換気の仕方』

 

レバーを上げての引き戸の窓

 

緊急時のベランダでも換気が出来るようだ。

 

でも、危ないから普段は開けない様にしよう、三障碍おられるから何があるか?解からない。

(これは「施設側」に言っておこう)

 

大量に出たゴミは袋にマトメて、他の階の燃えるゴミのゴミ箱へ、燃えるゴミの中身だけ。

(環境の仕事もしていたし、こんなご時世、袋は又別に使おう・・・)

午後に借りると、意外に午前中使っていた団体さんの机のズレ等もあるので、使っていない机だけれど直さないとならない事もあるので、そこも『要』注意だ!!

(やっぱり皆が使う部屋だから、キレイに使いたいし、後腐れなく部屋を使いたい)

 

ふー、もっとゆっくりしたかったが、結構作業がはかどったと思う。

 

話しながら同じ軽作業をするのは愉しいという事を再確認出来たので、夜早速、今日来れなかった(この作業の『主任的人物』←「来いよ~」と思うが『強制』は出来ないので・・・)メンバーにこの事を報連相をし

毎月第2土曜でなくても、今月又何処かで皆が揃える時間で部屋が空いていたらやろうか?って相談をしたら

「是非やろう!!」という事になった。

成程、毎月第2土曜だけではなく、もっと柔軟に部屋を使って皆で何かをしてもいいのだよなーって、今これを書いていて、そういえば他の団体さんも、『柔軟に体育館とか』を利用している団体さんも居るよな・・・

 

ああいう風に使えばいいのか・・・

 

イッチョ今度やってみるか???

 

あと、今回結構作業をしたワリには凄く心身ともにラクだった。

自宅を出る前夜そんなに緊張もせず

※少し慣れてきたのかもしれない。

最初は(昔ファミコンでやった「光栄」の)「大航海時代」みたいに、

指針も無く大海原へ漕ぎ出した中型舟(←「船」の文字なんて使えない)の様に、座礁したり、水が無くなったり、沈没をしない様に、そっとそっと、ソロソロと水の流れも観ながら、流され過ぎない様に、でも、少しづつ前進する様に舵を殆ど動かさず、ほぼ停滞をしていたが、少し身体や心身ともにラクになったという事は、自身の中で何か変化があったのかもしれない。

(常に、みんなを守ろうと、ピリピリしていたものが少しほぐれてきた印象・・・最初の頭の中で想像をしていた大海原の距離感がホンの少しだけ狭まった様な・・・そんな印象)

でも、慣れてきた頃が1番事故が起こり易いという、ここらでもう1度兜の緒を締めようと思うし、もっと会運営や居場所作りのプロフェッショナルを目指そうと思う。

もっと上手くなろうって気持ちを捨てたら終わりだ・・・

 

これを書いていて、そうすると、これは『航海日誌』みたいだと・・・

 

 

 

令和5年7月23日(日) 

 

会議室1を使い、今回、実験的に日曜日に開催をした場合どうなるのか?を試してみた。

 

さて、どうやって車椅子の子の居場所を確保するか・・・

というより、あまり動かすと夕方になって閉める時、片付けが大変になる。

(初回みたいに焦るのは嫌だ!!)

  

やはり後しかないよなー、

・なるべく左右の机を動かさず←片付けの事を考え。

・でも車椅子が通れる導線の幅を開ける。

・そして一気に前に机を前に押し上げ、後ろの場所を確保する。

今回は、我々もボードゲームをするのでスペースが必要だった。

 

『人生ゲームをしてみる』

以前、うちでサロン的な事や区民祭りの慰労会をする時に、人生ゲームを買ってきてしまった人が居て、

その人の顔を立てる為にも、今回はやってみた。

以前から買ってきて下さった方に「絶対やろうぜ!!」と公言をしてきたので約束を果たせた。

武士に、二言はないワケで。俺は「やる」と言ったらやる!!

(にしても、最近の人生ゲームは難しい!!あせる汗これを6歳が本当に出来るのか???)

『BGMはいつも』

 

カフェ音楽的にボサノバ(Aカルロス・ジョビン)

もう1枚目か2枚目は違う音楽を試しているが(この時はインナー・サークルで優しめのレゲエ)

カール・ジェンキンスのプロジェクト『アディエマス』とかヒーリング・プログレミュージックとか

ミッフィーの童謡クラシック(「きよしこの夜」とか)なら合うのだが・・・

本当はスティーブ・ヴァイやヌーノ・ベッテンコートとかデビット・ギルモア、エリック・クラプトン在籍時の「ブルースブレイカーズ」やレッド・ツェッペリンとか、せめて米国に傾倒する前のロッド・スチュワートとか「ジェフベックグループ」とか、ロックをかけたいが、何故か合わないんだよね・・

これを書いている時点で、ボサノバが1番合うという事が解かり、まぁ、代表がやりたい事をやっていたら組織が混乱をするので、上に行く程「やりたい事」が出来ない!!って社会でずっと教わってきたから、「居場所作りでのBGMはボサノバでいこうと思う」とメンバーに諮って(はかって)みると「それでいいと思う」との事。

今のところはBGMをカフェみたいな、ボサノバをメインにしする事に決定!!

(ま、聴きたい音楽があればWi-Fiがあるので、それで聴いてくれって感じで)

 

この日も片づけをキチンと終えて・・・

ピシっと、左右上下の間隔を揃える。

 

月2回目の開催となったが、日曜日に開催をしてみて、この日は意外に良かったのだが、翌日から曜日の感覚がズレてしまったというか、やはり人間は、長年7日のうち土日が休みで月曜から始めるルーティンというモノは身体に沁み付いているようだ。

日曜日に稼働をしたので月曜を休んだのだが・・・

何日経っても、火曜が月曜日で、水曜が火曜日な感覚が抜けなかった・・・

 

不思議なモノだな・・・。

 

 ※あと収穫として、ある1人のメンバーが人生ゲームにも何にも参加せず、1人で折り紙を折ってハンドメイドで何かを作っていたのだが、これが本来目指す姿なんだよなーって感じた。

 

気を遣う必要もないし、特別な事は何も要らないんだ。

 

 

 

 

令和5年7月8日(偶然:メンバーの1人の誕生日)土曜日。

場所は会議室2

 

成程、白版にその日に何処の会議室をどの団体が使うのか?書かれていたのね。。。

(因みに、下の管理室で訊いたら、早ければ15時頃とかに翌日の予定に書き換える事があるとのこと・・・)

 前回(初回)(前日のカルタを盛り上げようと頑張り過ぎ~利用者の方々は喜んだ声しか聞こえなかったが、ワリに成果として出ない事がショックだった事と)&ここ数日痛みで上手く眠れなくて体調不良と共に、緊張をしていて気付かなかった!!

 

『少し早く行って鍵を開ける練習』

 

この鍵を開ける所が難しく、

皆を待たせたくないし、

帰る時時間が足りないと、こんな所で戸惑いたくないから、

手早く出来る様に練習を(数回)繰り返し、あらかた開けられるようになってから

  

会議室2へ入り、電気を点ける。

お~中々良い感じ、前回の広い部屋と比べて、狭い方がエアコンの効きが良いな・・・

 

『看板がある・・・』

マジックも持ってきていないし、どうしよう・・・と最初は仕方なくリーフレットを貼っていたが、

(ダサいけど、PR方法としては、ありっちゃありでしょ?、ダサいけど・・・)

そしたら冒頭のホワイトボードの所にマジックがあったので、借りて

 

「Green」と書く

なんでグリーンと片仮名表記にしなかったのだろう・・・

恰好付けてGreenとか

急いでいる時は焦る・・・

区民祭りでは他の団体さん、ほぼみんな『片仮名』なんだよねー

かといってリーフレットをGreenの表記にしてきてしまったモノなー

  

居場所作りと書いておくか。

とりあえず机を寄せて車椅子が入る導線を作る。よし、こんなものだろう・・・

 

ビニールシートも広くて良いが、ヨガマットも便利!!

 

16時半になったら帰りの片付けの準備を始める(キチンと机を直して・・・。)

※前回(初回)、気付いたら17時2分前で、凄まじく焦りに焦ったので、キチンと時計を確認しながら

16時半を過ぎたらピシャっと片付けを開始し、皆に意識して頂く。

 

2回目は、

『絵本(ミッフィーシリーズの「うさこちゃんと、たれみみくん」たれみみの『ダーン』という雄ウサギは障碍を表しているの読み聞かせ』をしたり、

(少人数だが)障碍者同士の交流もあったり、

身体の動かない子の今まで観た事が無い、本当に素敵で満足そうな表情を観られたり

非常~にホノボノとした居場所作りになった。

 

こんな(自由な)感じが理想!!

 

 

 

Greenのリーフレット活動と並行をし、令和3年から居場所作りの為、障害保健福祉センター・みなと社協・家族・利用者の方々の『助言』を訊きながら、団体や居場所(サロン)の規則や会則・決まり事をコツコツと作ってきた。

どうやったら障碍者が少しでも無理なく・快適に過ごせるか?・続けられるか?・利用者を守れるか?、3年間で11回ぐらい校正をして頂き(そんなに何度も必要は無かったのだが・・・)、その規則が完成をしたので、

今度は令和4年の12月ぐらいから、本格的にその会則を見せながら、会員集めをし、紆余曲折あったが、13名の方が御協力下さり、令和5年4月13日からセンターの審査後→区に申請手続きをし、令和5年4月24日申請認可が下り(5月9日にセンターから申請許可の連絡)、

これで晴れて正式な行政の認可団体として登録
 
6月10日(土)、障害保健福祉センターの「竹芝小記念ホール」を午後から借り、休日の障碍者の居場所を開催。

(部屋を使う時のルールや、借りた備品等・・・ラジカセと延長コードだけだったが・・・ラジカセは直前に使用していた団体が返却をするまで、1Fに受け取りにいかなかった)

 
前日の金曜センターのカルタ大会を数ヶ月かけ、職員と練りに練ってきたサロンを手伝った為、

(ここではA3の色紙にB4の紙を貼った)、
 
かなり体力が疲弊をしていた事と
気圧の関係で冒頭の血管障碍に影響し、この週は睡眠が極度に足りなくボロボロだったが、
居場所作りが出来て「今まで休日にこんな居場所に居られた事なんてなかった、良かったね〜」とヘルパーさんが身体が不自由な障碍のある子に話かけているのを観て、多分、時代とか、世の中が必要としていたから、ここまで、センターの人々は勿論、他の施設や、コミュニティハウスの人達、行政も含め、『皆で』出来たのだろうなーって。

 

とりあえずは、、やって良かったと感じた。
(狐に包まれた様な感じだが、そういう手応えだけはあった・・・やって良かったんだ。)
 

私も今後、体調やスケジュールを管理・改善し、
副作用と闘いながら、
オペで負荷が掛かった消化器を少しでも回復させ、

居場所作りも、(私の身体の事情もあるので)毎週は出来ないが、ここからもっと改善しまくって、もっと自由で、更に平和でユルいけど、シメる所はシメる、安全第一の場所を、多くの人と作りたいと考えるに至った。

(入室時と終了後、使った場所のアルコール消毒と、1時間に1回の換気orドアを開けていても・・・)

 

(初回は、来た人の名簿を書き←次回から『表』だけ書けばいいらしい)

今回は『坊主めくり』で、緊張、を和らげる。

 

帰宅をした後で解かったのだが、お菓子が多かった。

昼食後なので、1人1個でいいようだ(←それでも多いぐらい・・・)

前日のカルタ大会の気持ち的、疲れもあり、副作用の件で睡眠も連日少なかった為、帰宅をしてから、倒れる様に寝てしまい、色々大切な事をし忘れ、浅い睡眠のまま12時間→翌日全身至る所、激痛で昏倒し、1時間起き上がれなかったが、昼過ぎには(なんとか)回復し、いつもの週のペースに戻す為、街中へ。

(とくに特別な事をした訳ではないんだ)

 

 

『課題』

 

実は、上手く行き過ぎて、課題が見付からない区民祭りの時よりも、課題が見付かった方が、後々良いのかもしれない!!と、様々な業界、社会の中で観てきた気がする・・・。

 

今回の課題点として

1時間ゲームをして←(どちらが先でも)→1時間話して

話し合いの時に、やりたい事を出してもらう。

 

(アラームでもかけ)16:30には片付けを始める。

片付けの机が大変なので先にそこを考える!!

私も(又は個人個人が)シートを持っていく。

延長コードは沢山あった方がいいので、又一応、持っていく。

新たに入りたいという人が増えたので名簿の増やし方を訊く。

菓子は1人1程度(量)で、作業所のお菓子を購入し社会貢献を反映させれば良かった!!

緻密さが足りなかったかもしれない。

(先を見過ぎ、今を見ず)粛々とに偏り過ぎたり、男らしさが足りなかったかも。

 

たとえ今、全てが上手くいっていなくても成功への過程と捉える。

 (今までも、そうやって粛々と遂行してきたじゃないか!!)

(もっと人数が増え、任せられる人も現れたら)毎月開催をするなら他の場所も可能(=「似た人間で固める組織や、1つの場所に依存し過ぎると危ない」という言葉もある)。

課題を探し続ける。

 

音量はあのぐらいで『丁度』良かった。

やはりカフェ音楽が良いのかも。。。

 

もっと個別に自由を謳歌してもいい気もするし、本来最終目的として、個別に、自由にしていてもいいので、もっと自由に!!

(3年ぐらいを想定し、たとえユックリでも改良と経験値を重ねながら、手探りな時もあるが、居場所を作っていく・・・!!)

 

 

 

令和5年5月27日(土) 東京都千代田区神保町『すずらん通り』

 

今月はGreenの団体登録も行政から下り(といってもNPOでも大きな団体でもなく、会計も無い=とにかくお金が関わるとモメるから金のかからない事をしようと・・・)

更に、作業所のお菓子を取材したリーフレットの作成~発行も終わったので、頑張った自分にご褒美と、身体を休める事・気分転換を兼ね、昔出版社だった頃のデザイナーがOPENさせたブックカフェで働いて(というか壁紙張り~友情というオ駄賃手伝って?)いた店の思い出がある神保町へ『気晴らし』に行った。

当時労働?に行っていたので(完全に遊びに行っていた訳でもない為)、そんなに詳しくは無いのだが・・・その後、折角知り合った神保町の町なら学んでみようと、偶に歩いている。

 

 『仙臺』で「カツカレー」を食べた後(「牛スジ」と迷ったが・・・)、『南海』『二郎』の行列でも観に行こうかなと、すずらん通りへ行くとなにやらお祭りをやっている

あれれ?今日「すずらんまつり」だったんだ?

  

 反対側の『さくら通り』はやっていなかったから、最初解からなかった。

昔は『ボンディ』チキンが美味しいと思うが)のある側の『さくら通り』も露店が出ていた気がするけれど、あれは「さくら祭り」だったのかな?コロナ以降どこの町も縮小傾向にはあるようだ、再開発で歴史あるお店や書店の取り壊しも増えたし。

(なんだ、このユルキャラは?神保町にユルキャラなんて居たのか・・・)

 

で、食べ物屋とかも観ていると・・・(今、食べたばかりなので入らない)

 

 AEDや協立女子大学・明治大学・法政大学等、近隣の大学がお店の先にブースが軒を連ねており、道端でボッチャをやっているではないか!!!

私も、他の支援施設でボッチャを学び、それを他の支援施設に提案をし→法政大学がある飯田橋の「セントラルプラザ(ラムラ)」の中にある東京都障害者スポーツ協会でボッチャのボールを借りてきて頂き、3日間プレゼンをし、その後私の後を引き継いで下さった利用者さんが居り、その施設側がボッチャのボールを購入して下さった経緯があるので、ボッチャに対しては(自分は施設であまり上手な方では無いのだが)特に応援をしたいキモチになってくる!!

 

 私が初めてボッチャを体験したのは(施設の体育館が偶々使えず)会議室で体験をしたのだが、

その会議室よりスペースが無く一体どうやるのだろうか?と最初観ていると・・・

どうやら、

広めのビニールシートの中央を投げる人の所まで区切り

白いジャックボールは初めから中央に置いて

1v1で対戦をするルールで行っていた。

巷には『様々なルール』もあり、その場所・その場所のやり方でアレンジをしている事は知ってはいたのだが=下手をすると世の中には円になって360度からそれぞれが投げる方式もある)

なるほど、こういうやり方もあったか!!!

(少しデコボコした道でビニールシートの上でも結構順調に転がるが=「結構高価だった」というボールも使い易いボールを使用していたし、寧ろ路上で転がり過ぎない事が逆にスペースが取れない事でボールがスベって飛び出てしまう事を防いでいる

 

 暑い中、声を張り上げボッチャを宣伝する若い人達が、障碍者だけではなく「子供から~お年寄りまで誰もが出来る」「皆で出来ますよね」という本質をキチンと理解されていた所が凄く嬉しかったし、パラスポーツやパラリンピック以降に拡がっていった、障碍者だけのスポーツという偏見垣根よりもボッチャの皆で出来る事の楽しさと『本質』を理解しているところに、世の中や未来を託せると感じた。是非、この炎天下で主催し、様々な人々にボッチャを体験して頂いた人々の楽しそうな笑顔をいつまでも忘れず今後の人生の糧へとしていかれて欲しい。

 

 その横では、明治大学が『レモネードスタンド』を立て、レモネードを販売しており

売り上げは全額「JCCG」等の小児癌団体へ寄付をするとの事。

水で割るVer.

炭酸で割るVer. ← こっちにした。

を択べた!!

(結構炎天下だったし、美味しかったなー、あまり酸っぱ過ぎず、甘過ぎず丁度良かった!!)

  

米国で始まったレモネードスタンドと社会貢献活動の歴史についての説明。

最初は子供達がお小遣い稼ぎに始め

小児癌の少女が自宅の庭でレモネードスタンドを開設し、寄付をしたところから始まって、

それをメディアが紹介をし世の中へ普及をしていったとの事で、『レモネード普及協会』というのもあるのだなーと知る。

(あ、そうだ、国産檸檬で出来たら尚良いかもな)

 ステージでは私が診た時は『指笛』をやっていたが、フラメンコジャズ等、様々な演目もあったようだが、司会進行の方が「炎天下なので皆様、御観覧の時は小まめな水分補給等、ご注意下さい」と合間・合間でアナウンスをして下さっていた事が印象に残った。

(PC画面だと写真:右のパイプ椅子を並べたり、催し物によっては一斉に直ぐ撤去をする作業は大変だし、この催しが多くの人々のチカラで成り立っている事も感じる!!)

 

 このすずらん祭りで何か買うと抽選券をくれるので、時間を区切って上記・指笛をしていたステージの所が抽選所へ早変わりし、4列で割りばしの先端に色を塗って順次引かせる『方式』を採用。

1本づつドキドキしながら引いていると、炎天下後ろで並んでいる人がツラいので私は一気に3本引いたら1本当たって「すずらんまつり」の手ぬぐいを頂いた。

 

 他にも、様々なブースや、周辺各店舗が出店みたいに出しており、絵手紙なんかもあった。

(先日、外国人が武道館で100回記念公演をいち早く行ったエリック・クラプトンのブルーレイもCD付きで、もう発売をされていた=製品化が早っ!!=6回公演を行ったので6種類あるらしいがDVDだったら・・・神保町は珈琲が多い喫茶店の町なのだが紅茶の名店『TAKANO』が茶葉をg単位で量り売りをしていたが、100gがどのぐらいなのだろう?)

 

喫茶店の町らしく、コーヒーの『ぶらじる』で出たコーヒーカスで作られた消臭剤のワークショップもあったり、コーヒー豆の消臭剤って良いんだよね、私も知り合いの就労B型作業所『ローズマリー』で消臭剤を頂いたら香りも含め凄く良かった記憶がある!!

絵手紙もあり、、以前「かんがり」という社協が全国の高齢者等に誰が書いたか解からない絵手紙を送るという社会貢献活動が行われていたが、昨今の個人情報流出による凶悪な事件等で『法改正』が即行われ、とりあえずは中止になってしまった地域もある。

(左の凄く香りの良いコーヒー豆の消臭剤と、かくいう私も「かんがり」を又したくて絵手紙を再開したばかりだったのでガッカリ・・・)他に本の町として絵本の読み聞かせもあった。

  

 何周かお祭りを回っていると、法政大学のボッチャのブースの先で「カルタ」もやっていて、

丁度私も他の支援施設でスタッフさん達とカルタ作りをしている為(最初、職員んさんと雑談で「巨大百人一首を作って体育館でやれたら楽しいだろうね」と話していたのだが、心優しい利用者の方が「【三障碍】全員が居て巨大百人一首をゼロから作る事は厳しいのでは?=賢い障碍者の方=」と御忠告下さり、昔話した事がある違う『課』の支援担当の方のアドバイスを思い出し、地域&施設カルタに変り、何故だか私の持ち込み企画になっていた・・・一応最悪も想定し、もし失敗で初めて来た人がガッカリしない様に先手は打ったが←それを説得する事が大変で(『大小問わず、何処の組織でも外の人より内部に理解をして貰う事の方が大変』)、その場に居た職員さんが私の意図を理解し、ご助力下さったが、まだ蓋を開けてみないとどうか?という懸案は拭い切れていない・・・

『想定出来る問題は問題ではない!!』という言葉もあるのだから。

 

 そんな理由で、大学生さん達に話を訊くと(疲れ切っていて自身が何者か?説明をしていなかったので、挙動不審で怪しかったでしょ?、休息の為に行った神保町だから発行をしている媒体を持ち歩いていなかった為、自信無くて、後ろ盾も無いって大変なのよ・・・)

防災をテーマにした『防災カルタ』

生活に関係する防災の札は黄色、気を付ける海とかの水難の札は青色とか、各項目4色に分かれている。

絵札に文字を書かなかった理由は、文字で手札を取ってしまうと防災が身に付かない!!という所まで計算をし尽くされたカルタだった。

(流石、法政大学!!)

 

 その他、共立女子大学協力監修で作ったキーマカレーやシチューを配布していたり、

(ラッキー!!。帰宅をしてQRコードからアンケートやレシピへアクセスをする紙と共に配布をされたのだが私の「IT格差」事情によりQRコードが読み取れなくて・・・)

 

 とりあえず翌日、各大学の学生さん達と神保町の町・そして昔知り合い神保町を教えてくれた出版社時代から経た人達に感謝を込め、これを書きながら食べた。

(パッケージの絵に)

ハンバーグのソースにする方法や、

器に入れ冷凍パイシートをかぶせて焼く方法もイラストに描かれていたが、

なにせ時間が無かったのでハヤシライス方式で(シチュー単体としても味わえるし・・・)。

近年の「ボンカレー」みたいに箱ごと温められるレトルトにしては霧島豚の肉が沢山入っていて、調理師として味わうと、野菜の甘味もあり、特に舌に優し気な味だった。

(山口県の企業と共に開発をしたらしいが、私自身よく大手町にある山口物産館「おいでませ山口館」は数年前の豪雨以降~今でも行くので確かに山口県の味と共通する部分もある・・・)

コクはキチンとあるのに、スッキリとした透明感のある味で喉ごしも良かった。

 

 本当に偶然で半日だけの出来事だったけれど、こうしてまとめてみると、学ぶ事が沢山あったり、社会貢献をテーマにしている学生さん達の催し物に未来への希望の『一迅の光』みたいなモノも感じる事が出来た。

そこには社会貢献というモノの温かさや温度を『根底』に感じる事が出来た。

(ボッチャは障碍者だけが行うスポーツではない、勿論以前、港区で90人ボッチャ大会が開催をされた時や五輪とかの大会とかだったらある程度のカテゴリー分けは必要だが、

皆が出来る皆でやると楽しいスポーツなんだ。

「ボッチャはスポーツじゃない」なんて心無い意見を言う人も居るが、法政大学の学生さんが言う様に「誰もが出来るスポーツ」に感じるし、実際にやってみると凄く『戦略的』なんだ・・・その上で競技を通じて更に人と人が理解し合えるという社会貢献への『温かみ』あるなんて、こんな素晴らしい事は無いではないか、こんな優しさのある競技を考え付いた人類って絶対スゴイ!!!)

 

 今、これを書いていて、『この日の光景』を思い出すと、親御さんがお子さんと一緒に体験をする事で、次世代が、弱者(障碍者に限らず)・人の個性への『理解』や教育へも繋がっていたんだなーとも考えさせられた。

(私も、この日の経験を伝えられる限り口頭で伝えていこう)

 

 『追記』

 実は、この数ヶ月~半年ぐらい、世の中には色々な人々達が居るので、かき回され中々まとまらず苦しんだGreenの団体許可申請が下りた事で、あまりにも疲れ(他の問題も何件か片付けたので)、燃え尽き症候群みたいになっていた、それでもなんとか歯を喰いしばり、多くの方々の御助力もあり今月発行の媒体も刊行を出来たが、もうフラフラだった。

でも今回、大学生さん達の行動を観て、もう1度立ち上がってみよう!!頑張ってみよう、『今やれる事をやってみよう』、精一杯やれる事を、初心に戻って取材と記事書きを繰り返そう!!

その先に、やり切った先に何があるか?解からない・・・

でも、動かないと・・・(壊された身体や人生は)何も進まないから・・・

私に出来る事はこれだけだ。

 

 

 

2022年 12月3日(土)は国際障碍者デーだった。

(因みに、12月3日~12月9日が障碍者週間

 

港区スポーツセンターがある「みなとパークしばうら」のリーブラホールで、第41回目の「ともに生きるみんなの集い」という障碍者週間記念事業が行われた。

午後1時~午後4時(会場午後0時30分~)とワリと長丁場に感じるが、各部の間に休憩時間もシッカリと取ってあるし、イベントに緩急があって、不思議と長く感じなかった。

式が始まる前に、「みなとパークしばうら」のホール前のロビーでは、各作業所が様々なブースを出して、販売をされていた。

アクティさんや、ラピールさん、はーとカフェさん等、よく目にして知っている作業所もいつもの様に出ていた。

 

式が始まる前に、区長~関係者の方々の御挨拶があったが、

全員が挨拶していると後のプログラムの時間が無くなるので、後半は名前だけのご紹介というカタチを取っていた事

・この会場では手話付きで行われる事は勿論、スクリーンに話している事が映し出される。

という事が良かった。

 

『公募区民』というカテゴリーがあったり、

多くの人の力で、この会は成り立っているようだ・・・それが伝わってきた!

(因みに「あいはーと・みなと」さんは次の世代の人間をこのイベントへ送り込んでいた、流石先を観ているし、早いな・・・って感じた・・・)

 

 第1部の記念式典では

 

障碍に対する事業で貢献をされた企業や企業兼作業所の感謝状贈呈と、『区役所』や『みなとパークしばうら』で展示をされていた障碍者月間のポスター原画入賞者の表彰が行われ、社協の研修で講演をしていた企業や、障碍者月間のポスター原画の入賞者である小っさな子供『達』が前に出てきて次々に表彰状を受け取っていた。


因みにポスター原画の最優秀の方が特別な事情で来れなかったが、それも障碍者のイベントではアリだなって。

(障碍と同じで)人には、それぞれ事情があるモノな。

ただ、うちの団体メンバーの優秀な同行者が「子供達に表彰状を渡す時にプロジェクターで作品を出してもいいのになー」と言った時は、この同行者はなんて優秀なのだろうーって。

いつも(私より)オチャラけているけれど(←超良い大学出ているし)、やっぱ視点も良く本質を見抜き前へ進めるチカラがあるなーって。

賞状を渡される子供達を見ながら、その視点での言葉をノートに記しておいた事を今ここに記しておこう。

 

 第2部は午後2時から~啓発プログラムとして、高次脳機能障害の実際の当事者の方々が登壇をされて、成人の高次脳機能障害をテーマに話されていた。

ここでの出演協力は、高次脳機能障がい者の未来を紡ぐ会「みなと高次脳」さんが、この「ともに生きるみんな集い」のイベントへご助力下さった。

 

最初に話された方は、

12年前に負ったバイクを運転中に横からワゴン車に突っ込まれるという事故にお遭いしてからの高次脳機能障害である

・疲れ易さ

・思考が止まる

・脳がグッタリすると1週間ぐらい回復しない。

・読める文章と読めない文章がある事。

・ユックリの対応等の症状を話しつつ、

現在は、

・今セラピーへ通っている事

・散歩でのリフレッシュ

・港区内の就労B型で短時間の労働と回復訓練

をされている事を話され、

 

御自身が港区の高次脳機能障害の方々の事も背負われる様に、今後の要望や現状の問題として、

・障碍保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)でパソコン教室とかがある事は知っているが、どんなサロンがあるのか解からないのでHPを作って欲しい。私達の団体(というか私)が余力があれば作るか???

(ペラ1枚の掲示板程度なら・・・他の事もあるので運営を継続していく事が難しいが・・・)

・「引っ越しをするよう」に言われ、生活保護専門の不動産業者さんにお願いをしたが、風呂や洗濯置き場が無かったり今、都営の新規建設の予定が無いので、小さなアパートを増やすとかしてくれたら需要があると思う。

という事を言われていた。

 

10分間という制約の中、(前後で色々と個人的に訊いた所)かなり以前から原稿を練りに練って、要点をまとめておられたご様子で、ユックリと落ち着いて原稿を見ながら話される姿と共に、凄く『伝えたい事がまとまっている印象』を感じた。

 

 次に話された高次脳機能障害の方は11歳の時に小学校で脳出血を起こし失語症という症状と共に右手・右足の麻痺になられた方で(←高次脳機能障害には何パターンもある)

小学校で倒れた時の経過→救急車→右半身麻痺を起こしていたが、最初は医師から「てんかん」と言われたが、その後高次脳機能障害が判明をされた方のお話だった。

 

最初に話されていた方も言われていたが、失語症は勿論、内部障碍は観えないという事だった。

(勿論、高次脳機能障害の方と共に、臓器や血管等の内部障碍の方や精神の方も外からは観えない、因みに高次脳機能障害は首から上という事で、精神障碍のカテゴリーに区分されているが・・・物理的障碍と首から上という事で、身体と精神の丁度中間的な要素もあるように個人的に感じる・・・どっちもツラく、一見一目見て理解をして貰えないから、どっちがツラいとかそういう事ではないのだが・・・)

 

この方は言葉の構造を作れないとの事で、当時、「お母さん」と呼びたいのに「アー」となってしまう。

と言われた事例が凄く衝撃的だったな・・・。

又、病気を理解すると心がラクになる、無理はしない・させないという事の大切さも伝わってきた気がした。

(高次脳機能障害の方って何人かと交流を持ったことがあるが、私が出会った多くの方は伝える力が上手なんだなーという事も感じている)

 

 詳しくは他のブログページで取材をした高次脳機能障害のセミナー研修の記事にもまとめておいたが、高次脳機能障害の事自体を知らない人々も多いから解からないのでは?との事もあるだろう。

 

2部の最後に、質疑応答があったので、

まぁ、誰かが先陣を切って質問をしないと、後に質問が続かず、呼び水にならないなと、

最近、私は様々な講習や研修会の小さな会場で質問をする練習をしているので、

・こんな広い会場で挙手をして質問をする事は多少の恥ずかしさはあったし、

・高次脳機能障害について、私も最近知ったばかりで詳しくは知らないし

大丈夫かなぁ?と思ったけれど、

以前のシャイで恥ずかしがり屋な私よりは、なんだかここ最近練習に練習を重ねてきた事が1つ壁を越えられたのか、えぇい、いいや、自分の価値観で自分が訊きたい事を質問しようと、1番に挙手をして質問をし、自身が質問の呼び水になればと・・・

 

「高次脳機能障碍は多くは後天的に負われた障碍だと思いますが、障碍を負ってから、プラスに変えられた体験又は経験って、ございましたでしょうか?、(前向きな意味での)変化というか?」と質問をしてみた。

(勿論、ノートに下書きをしてから、それを読み上げるカタチを試してみた←ノート要らなかったかな、魂ぶつけていけばよかったかも)

 

司会の方(高次脳機能障がい者の未来を紡ぐ会「みなと高次脳」の方?)が「少々お待ち下さい」と←私もあまりの広い会場でややガチガチになっていた口調だったので、高次脳機能障碍の方に思考する時間を置き、少し、思考されたのち、

お2人の高次脳機能障碍の当事者の方々は、

・「(脳の損傷の為=とにかく以前よりキチンとしないとならないので)1人で生活をする力得た!!

・「家族が出来ましたし、家族の為に、子供達の為に、強くなれました!!

というお言葉を頂き

私は「お2人の強くなれましたというそのお言葉に、こちら側も勇気を頂きました」と質問の回答をして下さった方の目だけを、あの広い会場で観て応じる事が出来た。

(勿論、高次脳機能障害の方に応じた私の言葉はノートに書いたモノでもなく、自然に高次脳機能障害の方々の真摯なお言葉・ご回答に引っ張られたカタチで自然に出てきた言葉だった・・・)

ご回答された方の目をキラキラとされておられた様に私には感じましたし、

司会の高次脳機能障がい者の未来を紡ぐ会「みなと高次脳」の方?もニッコリとされた笑顔をされておられたので、あ、とりあえず稚拙な質問だったかもしれないけれど、最初に先陣を切って質問をするミッション(使命)は果たしたな!と、あの広い会場で震えながら質問をした事への僅かながらの手応えも感じて静かに腰を下ろした。

 

 その後、あれだけの障碍者団体の方や代表の方・スタッフさんが来場されておられるのだから、他の質問が出るかな?期待をしていたのだが、私以外出なかった事は、世の中意外で、

しかも質問が出ない事も高次脳機能障がい者の未来を紡ぐ会「みなと高次脳」の方は想定をしておられて、高次脳機能障害について更に紹介をし、場を流れる様に繋ぎ自然に終わらせる手法には目を見張るモノを観させて頂いた。(あまりにも自然に流れる様だったので、上手に記憶に留められなかったが)ああいうやり方もあるんだ~?って、とにかく驚いて『瞠目』させられた事だけは鮮明に残っている。

(この「無理をしない」「自然な流れ」こそが、高次脳機能障害の会の1つの特徴なのだなーって、ここ数回高次脳機能障害の研修等に出ていて感じた雰囲気と同じ感じの『優しさ』というものだった)

 

 第3部は午後3時から~パフォーマンスとして

・フラダンス教室「ハーラウ・ケオラクーラナキラ」による男性のフラダンス

・芝浜小学校合唱団・芝浦小学校合唱団「歌花隊」による子供達の合唱

 

最初、男性のフラダンス???と思っていたら、フラダンスの経験もある連れの同行者が「男性のもあるよー」と歴史が古い事を教えて下さり、

「フラは笑顔でなければならない」とか色々と解説をしながら教えて下さった。

ステージでは75歳以上の高齢者のフラダンスだったが(←87歳でも若いらしい)、楽しませようとする姿はカッコイイと感じた。

 

合唱についても、

『芝浜小学校』は、歌だけではなく、1人1人が様々な台詞を次々と紡ぎ合っていく形態って凄く堂々としていて、お、良いなー、コレって感じたし、

校歌が地に足が付いた様に落ち着いていて優しいコード進行に港区に関係する歌詞が乗り、凄く温かくヒューマンでアットホームな感じを受けた。

演奏のピアノも子供達の為って感じの音色が伝わってきて、優しい気持ちになれた。

 

『芝浦小学校』の方は小学校の規模が違うらしく、大人数であり、美しいって感じのもう「作品」になっているという感じと、一体感が凄かった。

「ヤー」で全員が手を上げるのが良かった。)

 

そして最後は、芝浜小学校と芝浦小学校の混合で同じ人数に揃え、学校が違う同士が敢えて合唱をする人同士の化学変化を観る事ができ、あまりにも素晴らしく、同行者が泣いた。

 

これがLIVEだ・LIVEのチカラだな・・・

私はその凄さにB‘zや氷室京介・ブライアンアダムスのLIVEへ行った時の様な衝撃と同じモノをそこに感じた。

ジャンルや規模は違うけれど、私が感じた衝撃はそこへ匹敵るするかのような、子供達の真剣さや、真っ直ぐにその物事だけを追求するという事への、迫力があった!!

 

合唱ってのも良いモノだなー

 

泣いた同行者がおしゃべりだったので、この「ともに生きるみんなの集い」の最中、「大切なモノって何?」と訊いてきたので、最初「志」と紙に書いて渡したのだが、

少しサイコパスとも揶揄される同行者は「そういう抽象的なモノじゃなくて」と否定するので

私は「仲間」と書いて観せた。

・その事と、

・この同行者の涙

・そしてこの両校の合唱を観た時、

何故か私の中に「絆」という文字が浮かんできて皆とのキズナを感じた。

(偶然なのだが、周りを観たら、いつもの知った顔ばかりだったし・・・本当に本当の偶然

「いつか俺達も向こう側へ行くぞ!、行ってやるぜ!」と同行者に希望見せた(それが今の私の役目かな、と・・・)。

 

次回42回期待をしたい!!

 

 

 

令和4年10月30日(日)、東京都港区にある障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)で

3年ぶりの「ヒューマンぷらざ祭り」が行われた。

 

3年ぶりという事もあり、当時を知るスタッフ職員さんも少なく、みなと区民祭り等を参考にしたり、

 

様々に試行錯誤をされていたようだ。

 

区民祭りの事で頭がイッパイだった私は、ここでボランティアをする事にした。

 

担当はステージ係、

パソコンでスクリーンに聴覚障害の方向けに言葉を流す係と

カメラ係に分かれ(私は午前中はカメラ係で、午後は休憩室係)

朝ステージのある体育室へ行くと職員さんがボランティアさん向けに既に椅子を並べて下さっていた。

(ボランティアなんだもの、自分達で並べすよー、というか立ったままで説明でいいよ、どうせ後でかかり毎にチーム分けで分かれるのだから・・・!!

 

数日前から、若い職員さんが「祭りだ~」って意気込んでいたので、

「障害保健福祉センターで行う意味を常に意識をしていないと、ブーメランで『永久にあの年のあのあの祭りはこうだった』と口コミで裏で語り継がれる事になるよ?・先ずは安全第一を意識してね!」と、前回の記事にも書いた区民祭りの経験から伝え続けてきた。

 

”予測出来る範囲は事故ではない”

 

 というのも私は、関東・北陸だけでも50ヶ所近くの現場を持つ企業の、安全を統括する部署で労災事故の集計の仕事をしていて1年半で1番の古株になったのだから、

安全が、純利や納期に優先され、おざなりにされる姿を散々観てきたし現場第一主義がおざなりにされ過ぎ、事故が起き過ぎてハード過ぎて道端で何度も倒れるぐらい身に染みており、ある日、天からスカーンっと頭の上に振ってくるように

(おざなりにされるからこそ)安全第一という言葉がある意味が身を持って解かった瞬間に出会ってから、又何か1つ、見え方が変わった瞬間がある。

(組織を出る時、最後の挨拶でそれを伝えたら、支社長が両手で握手をしてくれた瞬間があった)

(モルタルが目に入ったとか・6月の熱中症とか色々あるが、どんな小さな事故が起きても本社に報告するルールだったのをしない課だったので、それでも事務方の納期は間に合わせろとやられてきて、流石に限度がきて「事故が起きたら本社に知らせるルールなのだから、キチンと知らせましょうよ、本社に報告をしないから、上は事故が起きていないモノだと思って事務屋が仕事を作って、事故で混乱をしている支社にアンケートとかの仕事をおろしてきて、それが更に事故を呼んでいるんですどうせ労災を使えば分かるんだし、こんな狭い世界隠しと押せる事じゃない」と限度がきて2年近く経って言ったら、当然契約社員だから全員からサンドバッグにされ又道で倒れさせられたが、その8分後支社長が来て「又、事故起こしたのかー!!、直ぐ本社に報告をしろー、なんでしてねーんだ!!」って偶然、俺と同じ事を言ってキレてくれてこれこそ、リーダーのあるべき姿だよなって実施で学んだ事がある・・・←勿論、恥をかかされたと、そこでも俺は報復を受け、倒れさせられたが・・・でも、俺は間違った事は言っていない・・・それは支社長が両手を掴んでくれた事が物語っている←中間に居ると本質が解かんなくなっちゃうんだよな・・・意外に下から観る景色と、一番上から観る景色って、使命にシンプルだから似ているという事が・・・)

午後は何故か私だけ休憩室担当だったので、知り合いの団体さんの担当の予定でボランティア登録をしたのだが、その知り合いの時間の担当の所が休憩時間と被っていてえ?、メシ喰う時間半分しかねーじゃん!!って。。。

(どうも午前中で帰ってしまうボランティアさんが多かったとの事で、そうなったらしいが・・・何故、俺?)

仕方がないから、ステージ係の説明を聞いたら、急いで即休憩係の説明を聞きにいき、僅かな準備時間の間に全ての休憩所の場所確認を走って行う。

こういう時に事故が起きるんだよなー、だから(職員さんに迷惑を掛けないよう)意識して気を付けた!!

(外と、食堂)

 

7階、とにかく駆けに駆けた。

エレベーターを待っていると、いくら待っても来ないんだもの(お客様優先だし)。

面白かったのが、ステージの音響と、ステージ後方の音量の調整イラストで職員さんが指示を出していた事!!

(これは考えたなー・・・)この方法は、何処でも応用出来るよな・・・

メモ・メモ←こういう経験は逃さないで、何処か世に出た時、ここでの経験を他の場所で応用し、その場所に居る異業種の人々に(媒介者となって)伝えるんだ!!

三国志とか武田信玄の狼煙みたい!

 

スタッフの腕章

 

社協さんや関連団体・自主グループも出展されていた。

 

食事をリスみたいに口に詰め込んで、忙しい合間をぬって、取材も兼ねた

 

高次脳機能障害の団体さんは美しい小物を。

 

ミッ〇ーになっている飾り付け・・・こういうのも発想だよな・・・

 

急いだ食事、ボランティアさんには食券が配られた。兎に角急いで詰め込む。

ゴミ箱の位置は凄く解かり易かった!!

 

センターの奥に店舗が出せるスペースがある事は知らなかったなー

 

福引は1Fで、こういう福引の機器って何処で借りてくるのだろう?買うのかな?

(なんか装飾が『手作り感』があってセンターらしいよね・・・こういうのも手伝いたかったなー

 

景品の数々。

 

各部屋の入り口出口はコロナの時期という事もあり、

 

出入り口が分かれている仕組み

これは人と人がぶつからなくて、ステキなアイデアだなと・・・)

 

兎に角駆けに駆け抜けた、この時、丁度知り合いとすれ違い「素敵な汗をかかれていて輝いていた!!」と後日おっしゃって頂けた!!

 

華道グループやパソコングループ

 

その他パソコン講座や自由開放・様々な訓練室の作品

障碍保健福祉センターの主旨から逸れていない事が表現をされていて、伝わってきた。

 

訓練室の作品は素晴らしい。

 

これ、『レゴブロック』だぜ!!、今のレゴって凄いんだな。

(舌まである・・・)

 

因みに首輪も手作りとの事!!。超リアル・・・~

 

「じゃぁ、最後に機能訓練室の合言は~?」って聞かれて・・・「え?」って、ポカーンっとしてしまったが・・・一応、何か言わないとと、IWGPみたいに(長瀬の池袋ウェストサイドゲートパークのノリで・・・)

「機能訓練室サイコー!!!」ってデカイ声で・・・←悪い学校行ってプロレス漬けにされた事が咄嗟の時に活きるんだよ、コレが・・・何故か・・・

その後、休憩室は特にする事が無かったので、ステージ係へ戻って、最後のステージの呼び込みを下の階まで階段を降りながら声を出して、呼び込み。

 

三田にある慶応大学の音楽部の演奏が最後だったので、片付けの時、色々聞き、コントラバスを触らせて頂いた。

かなりの高額(100万だったかな)、(値段を訊かずに持たせて頂いた時)そんなに重くは無かった。

丁度、昨年ベースを手に入れたので、弦を弾かせて頂いた時、結構楽しかった。

 

そして反省会を終え、

(反省会で、「入口の所で来場者がどうしても交差してぶつかりそうになる」私が立って誘導していた事を伝えたが、他のボランティアさんは何も言われなかったもっと意見が活発に出てもよかったのになーって・・・課題が無いのは問題なんだよ?って、俺は完璧主義の優秀な後輩達に教えてきたのだが・・・)

片付け、こういう事が大切なんだよな、裏側を見れるからボランティアでもいいから中に入って観る事も大切。

  

この後、横断幕とか降ろして職員さん同士で打ち上げをするんだろうなー、いいなー

と、1人障碍保健福祉センターを後にする、、、

やるべきことはやった。

身体に障碍のあられる方知的の障碍があられる方1人では遠くまで移動出来ない方を送り迎えするバスが・・・

 

お祭り・お祭り~で終わるのではなく、これが障碍保健福祉センターの使命で、あるべき姿なんだよなー。

お祭りってフィーバーした部分や「利益」ばかりが注目されがちだけれど、

そのテーマ・テーマに沿っているか?、そこが大事な気がして・・・

 

 この日は額から流れる汗を拭いながら、色々観てきたけれど、今回の「ヒューマンぷらざ祭り」は障碍保健福祉センターという役目・使命をまっとうし、路線から娯楽へズレていなかった1本スジが通っていたモノが表れていたと私には感じられた!!

 

一見、区民祭りや、縁日と比べ、大人しいようだけれど、障碍保健福祉センターなんだもの、これでいいんだ!!

(口を酸っぱくして言ってきたもの・・・)

 

私は確信にも似た、そんな感覚をこの身で感じ・額に汗をし薄氷を踏み抜く様に足を突っ込み、肌身で学んだ!!

 

今日の日の事は忘れない!!

(特に、この最後のバスの光景は違って観えた!!どんなに賑やかしでも、これこそが福祉の本質の1つなのだなと・・・)

 

 出来る事なら次はボランティアをしながら、団体として、もしくは出展側として出てみたいな。

ただ、俺だけ午前・午後で違うグループとか、知り合いの団体の時にメシの時間にするのはヤメてね、休憩無くなるからマジで:笑

(誰が決めたんだ?担当の人達ではない事は解かったが・・・)

 

 

 

 令和4年10月8日(土)~9日(日)、東京都港区芝増上寺横の黒門をくぐった福祉ゾーン2カ所で港区民祭りの福祉部会が出展をしていたところへ、

 

 今年ある方から「出てみたら?」と薦められ、数日後とりあえず資料を観てみると、あと5日しかなくてもう無理かなーと思っていたら、あれよあれよという間にトントン拍子に話が進んでいき、出展が決まったので、この半年ぐらいの間、スポーツセンターで行われた区民祭り総会から始まり~福祉部会の会議を区役所で何度も重ね、出展をする事になった。

(夜18:30から区役所の裏側から入り、エレベーターで9Fへ行き、そこで会議)

 

 出展とはいっても何かを売るワケでも無かったが、

(調理師で超有名な大食いタレントさんとかにも料理を作ってきた事があるので・・・やれば出来なくはないのだが・・・本気でやったら恐らくとんでもない事になる飲食のプロが作る料理も出せなくはないのだけれど・・・保健所の許可や電圧の経費、何か販売をするとテントブース料がかかる為、初出展だし、私の中での福祉ゾーンは、ただ祭りや利益というより福祉理解への啓蒙こそ本質に感じるので、食や物販だけが目的ではないよなと・・・勿論、実績作りが目的でもない)

 

 その為、この1年間、障碍者と健常者の溝を埋める理解を促進させられたらと思って、障碍者も健常者も広く浅く楽しめる毒にも薬にもならない媒体を目指して季刊紙としてリーフレットを発行し、現在都内6カ所(1か所減りそうなので開拓したいと・・・)へ置いて頂いているので、それを印刷し配布をして啓蒙活動をしよう!!と、申し込みの目途が立った時点からリーフレットの配布啓蒙活動をイメージしていた為、今まで発行してきた媒体の出来栄えから何部づつ刷るか?直感的に計算し(自分で作ったので他人からは解からなくても、出来不出来が如実に自身の心の中では解かってしまうので全部を同数にはせず)、印刷会社さんで両面印刷を行う。

 

うわっ、両面だから相当な金額がいってしまった・・・各業界を徹底的に渡り歩き飲食業で独立をしようと貯めていて(先天的なモノと、オペ後の不具合と、薬剤での副作用で←ワクチンではない別の薬の副作用な)貯金を切り崩しているからキツいな・・・

  

それを区民祭り当日のBGMにする音楽を択びながら150枚折っていく。

まぁ、出版社の時はDMを1人数百枚折っていたし(皆と上司の事を言いながらだから意外に楽しいのよ)、記者営業で他の経営者さんをご紹介頂く代わりのバイトで3日間で数人で8千枚ぐらい折った経験があるので、そこまで大変では無かった。

(家だから休憩時間も自由に出来るし、ただ他の職場と違って同僚が居ない中で作業するのは結構な孤独感が・・・でもまぁ、それも実家の飲食店で同僚が居ない中、仕込みから帰ってきて店の準備をし、鍋をかけながら、何年もROCKをかけつつ、毎日何百本と串刺しを1人で刺していたので、このぐらいの量で、このぐらいの日数なら1人で作業をする孤独は、そんなに苦でも無かった)

  

 ただリーフレットが4種類では寂しいので、障害保健福祉センターのパソコン講座やパソコン自由開放で作成をしたお金をかけない紙の工作作品が大量にストックされていたので、よし!!、これを飾ったり、自分の作品だけではなく障碍者の作品を展示しよう!

但し、人様のモノをお預かりして、もし天変地異や盗難も含め何かあってもいい様に、壊れてもいいモノだけを預かろうと決め・・・それでも皆さんの作品は私が作った作品に比べ、一級品の作品ばかりなのだが

(朝行くと空のテントがあったので→飾り付けを)

   

紙の作品なら持ち運びが軽いので搬出・搬入が尋常ではなくラクなハズ!!

(過去に幕張で行われた日本最大の食の祭典「FOODEX」で8ブースの施工業者さんとの打ち合わせから~撤収までの責任者や、「健康生活関係の展示会」で又8ブースの責任者、他ミニ展示会・昔銀座にあった福家書店でのブース販売出展の経験から恐らく1番ツラい『事』は搬出・搬入の片付けだ・・・クタクタの中で片付ける事は心身が疲弊するし、イベントが終わり気が緩んでいる為、思わぬところで事故へも繋がる区民祭りの後も人生は続くのだし、この区民祭りで全てが終わりではないから、無理をしない範囲で粛々とやろう俺が冷静でいないと・・・)

※初出展だし当日、きっともっと他に気を配る事はあるハズで、自己表現や自己実現だけに目を向けるのではなく

先ず、お手伝い下さる方々や来場者の安全を第一に考え、

来場者の方がどう楽しんで下さるか?を念頭におき、

祭り後も続く自身の体力の配分

に気を配ってみた。

※最悪1人でもやり切れる規模にしておく事も想定し、代表としての腹をくくった!!!

(ブースの装飾が『概ね』終わったら出展者用の手首に巻くリストバンド「福祉部会本部」へ人数分貰いにいき、ゴミ箱の場所の確認や)

運良く(シールが剥がれる)リストバンドがうちの団体名Greenと同じ緑色(←迷信や運なんて信じないけれど、「追い風」を感じる!!)。

 

(増上寺会館の中とか、知っている工房ラピールさんや工房アミさんが展示ブースを出されている屋内等の、近いトイレの場所を確認し、急いで自分のブースに戻ってリストバンドを全員に付けて頂き円陣を組んで「え~、誰も怪我をする事無く、安全第一で先ずは今日を乗り切りましょう!それじゃっ、宜しくお願いしまーす!!!」みたいな事を声を張り上げ、全員で気合を入れる!!何年も出展をし続けている他の団体では無い新鮮さだと思う!!=料理でもなんでも慣れた頃が1番事故が起きたりして危ない=、←だからこそ、このフレッシュさをいつまでも忘れたくはない!!)

  

さ、始めるぞ!!

 

 1日目だし、うちは物販をしないから、始まる前後はそこまで人は来ないだろうし、

先ずは手伝って下さる方々に慣れて貰う必要もあるので、手伝って下さる方々が早朝からブースの装飾も終え、(キチンと)少し休憩させる事も必要だったので、お菓子と飲み物で栄養補給をして頂いている、自身の展示ブースが落ち着いた事を確認してから私自身は他の団体さんへの『ご挨拶』と「取材」へ。

(うちはあくまでもメディア活動を基本にし「主旨」がブレないようにしよう・・・)

 

でも、皆さん忙しそうで、知り合いが居なかった事もあって取材という感じにもならなく・・・

偶に知り合いの代表さんや職員さんが居たら御挨拶をする程度だった。

(正直、初参加の私は、知り合いの団体さん以外には何者なのだろう?とまだ懐疑的に観られていても仕方が無い為・・・1歩1歩コツコツと皆様にご迷惑をお掛けしないよう、粛々とやるべき事を行っていこう・・・)

 因みに、朝「あいはーと・みなと」さんの代表とお会いしたので少し話し、とりあえず私のモットーである「(展示ブース参加者と来場者の)安全第一で!!」という事で意見が一致!!

 

安全第一についてはゼネコンで安全と環境を統括する部署で約1年半でその課部署の最古参になったという事もあるが、数か月前の「どんぐり公園」での工房ラピールさんとみなと工房さんの取材の時にも話した事だったので、もうその頃から安全第一にすると決心を心掛けていた。

そのまま増上寺会館の中の

 

 工房アミさんをお手伝いするというカタチで、障害保健福祉センターの施設長『ヒューマンぷらざ祭り』担当の方が視察に来られていた為、ご挨拶と取材。

(自身のブースも気になっていたので、取材というか、駆け足のご挨拶程度になったが・・・)

工房ラピールさんも横で出されていたので、そのままご挨拶。知っている所が並んでいて少し助かった。

 

挨拶を兼ねた駆け足での取材を終え1度ブースに戻ってみると、うちはスターボウのワークショップをする予定だったので(私がもうスターボウ職人として講師から認められ、他の施設でも教えられたので)戻ってみると、うちのスターボウ担当が来場者に教える過程で何か戸惑っている事が遠目にも明らかに見て取れ、アブねー、本当に良い時に私が戻ってきて良かったーと、内心はドキドキしながら「どれどれ~、先生が代わって教えようかー?」と明るく努め、来場者さんから観て超不自然な講師交代を行ない、代わりに来場者へ作ってあげた後、もう1度スターボウの担当者にマスターをして頂く為、再び一緒に作って工程の伝授

(無償で手伝って下さっているし、財力的にも私に足りない物や、他の作品も出して下さったので今回はMVP級の活躍感謝!!

 

 その後、知り合いのバイオリニストが来て下さって「弾いていいですか?」というので、

”いいよ、やっちゃえ!(何か言われたら)俺が責任を持つ=←事前に許可を得たラジカセのBGMと一緒だ”と、もう勢いでブース内で何曲も弾いて頂いた。

 後日、区の反省会の時、行政の若い方から「あのバイオリンの音色は素晴らしかった、あの優しい音色が会場の隅々にまで届いて、凄く良かったです」と感謝の言葉を頂けたので、そのまま彼に感謝と共にその行政の若い方の言葉をお伝えしておいた。

(彼自身は「いえ、まだまだです」と謙遜もされていたが、いいんだよ、それで♪、LIVEと同じでオーディエンスが楽しめれば!!♪)

 

 初日は手伝って下さる方に慣れて頂く事を念頭に置いていたので、よりやり易く出来ないか?お菓子でも食べつつラジカセで、好きな音楽(←といっても福祉部なのでハード・ロックやパンク・ロックという訳にはいかないが)をかけながら、こうかな?ああかな?皆で楽しく思考錯誤。

(自分達も「ある程度は」楽しまないと、来場者だって楽しくないはず!!それが来場者や、しいては福祉ゾーン「全体」へ伝わればいいと考えていた!!)

 

 午後はうちのスターボウ担当の肝入りで百人一首を。

(2ヶ月かけて百人一首も手作りをしたが、絵と読み札のラミネートを間違え、結局、一応もしもの為に用意をしておいた普通の札でやる事に・・・)

  

 因みに福祉部の部会の時に、まだどういう机配置にするか?観てみないと初出展では解からなかったので、一応まだ決めてはいないのですが、ピクニックで使うブルーシートみたいな敷物を敷いて、そこへお客様に上がって頂く事は出来ませんか?」と質問し、

「ブルーシートですか?、今までそういう事をされた団体さんは居ませんが(←マジか~・・・あまり奇抜な事をするとヤッカミで叩かれるからな~と内心迷い保留にしておいた)、でも大丈夫だと思いますよ!!」と事前に報連相をしておいた為、早速シートを敷いて百人一首を準備。

 百人一首に参加をする来場者さん達が集まったはいいものの、読む人が「眼鏡が見付からない!!」と言うので、あ~もう!!・・・っと、急遽私が広報の意味を含め、デカイ声で百首を読むはめに(笑)

(私の声、意外に通るんよ・・・←読み手は外に向けて読むといい)

でも75首目でそろそろ声が枯れてきたが代わりの人が居ない為に頑張るしかない。

 その時、障害保健福祉センターの方達がうちのGreenのブースへ視察に訪れて下さったので、「ね、読んでいかない?」と誘ったが「いやいや途中からじゃ悪いから、私は・・・」って(←いやいや助けろよ:笑、75首目で声枯れてきてんだ~って)、結局最後まで百首1人で読み切って酸欠状態。

(これは明日無理だぞ・・・絶対他の人に読んで貰おう、ダメなら他の企画だ!!と心に誓う)

因みに

1日目は学校でカルタ倶楽部に所属をしているスーパー小学生が優勝。

因みに2日目は「最近、百首全部を覚えた!!」というスーパー女子大学生が優勝。

(うちからはバイオリニストが強かったけれど、勿論、百人一首を専門にされている来場者さん達の1人勝ち・・・←やはり、そういう方々は強かった、来年は第二回大会と銘打つか・・・?)

 

 その後、お手伝いや作品展示の方々数名が、フラリと到着をし、敢えて初日はリーフレットをあまり配布せず、初出展なので様子見と、自分も含め手伝って下さる方が区民祭りの出展側に慣れて貰う事で「こういう時は、こう」と各自が区民祭りを楽しみながら率先して己の判断で動ける様になる様に終始した。

(1日目の撤収の時、他の団体さんはテントの『前ダレ』で盗難防止の生地を賃貸していたが、私は解からなかったので、うちの裏で既に撤収を終えられていた=←うちは遊んでいたので遅かった=「あいはーとさん」を観ると、特にうちと同じで『前ダレ』はやっておらず、キレイに片付け、さっさと撤収をされていたから、ま、うちは特に盗難にあっても紙の工作ばかりだし・・・本当に大事な作品や主旨としている配布物は私が1度持って帰るし、ブルーシートをかけておけばいいか!!と・・・うちはあくまでも【普及啓蒙】が目的すべき事が明確だったから!!!)

 翌日は飾り付けが無い為、開始が1時間早いが、又、本部にリストバンドを貰いに行き、時間があるうちに、手伝って下さる方の人数分の記念バッジと抽選券を受け取りに行く。

(1人1人貰いに行っていたのでは時間や人員のロスになるし。勿論ステージを観ている暇なんて俺にはない・・・)

 

そのまま抽選券を持って(再度、繰り返すが、それぞれがバラバラと持ち場を離れると穴が空くので1人で全員分を引いてしまう

 

次回は抽選会場が増上寺会館の奥になる可能性も・・・「それを来場者側の導線へ出来ればと区役所の上の方に頼んでみる」との事。

 

 この日は社協の方とかが視察へいらして下さったり、障害保健福祉センターの又別の担当の方が来て下さり来場者と共に一緒にババ抜きをして下さったり、昨日いらしたヒューマンぷらざ祭り担当の方が又来て下さって労って下さったし、ラピールさんも代表の方々が2人ともいらして下さった。

(知り合いのあいはーとさんが裏だったから来てくれるかな~って期待もしていたのだが・・・「人は行動で語る」と俺は私から仕事を流している人や後輩に伝えてきたが、う~ん・・・団体同士が協力をしないと健常者との壁どころか三障碍の壁だってブチ壊して越えられない!!!)

  

(↑このキャベツにつられ、ホットドッグを買ったりブースでお客になったのに涙、因みにあいはーと祭りの時のウインナーとも又違っていた。)

 

この日は、本来の目的であるリーフレット配布を行ったり、少し私がブースに居られる時間が増えたので、手伝って下さる方々に区民祭りを楽しんで頂こうと代わる・代わる祭り会場を堪能してきて頂く。

 ※※※この日、リーフレットを配布していて、大体多くの方々は快く受け取って頂けたが、

本当に30人に1人ぐらいの割合で、「あ、障碍者はちょっと・・・」とか「障碍じゃいいや」とか、ガチで露骨に肌で感じた温度差もあったり、

(福祉ゾーンでこうなのだから他のゾーンだったらもっと・・・辛辣でもご意見を頂く機会や温度差に出会えたのかもしれない)

 で、実際そういう方達ともお話をする事で(←「障碍はいいわ」と言う人の方が話して下さる)、何が問題か?どういう所で健常者の方と障碍者の違いに対し「驚き」や「問題の理解」へと至っていないのか?自身で配布をしながら、自分の手と肌で痛みや温度差を感じる事によって表面化されにくい、目に映らない部分の・・・、

(障碍を持つ人に慣れてしまうと、ボッチャとかトランプをしてみれば解かるが「楽しい事は楽し」いし、「悲しい事は悲しい」と、左程変わらないのだけれど・・・)、

理想だけではない『差異』を認識した。

  

私が自腹を切って印刷したものは1つも出なくて余った・・・

※ワークショップのスターボウは1パーツづつまとめておくといいし、今後は1個作り方を教えてあげて後は私達が折ったモノを糊で組み合わせて頂く事で、子供達の『飽き』を防ぐ事が出来ると次回への「課題」が見付かった・・・←「課題が見付かる事は幸せなんだ」と私は職場で、私より能力が全然ある若いからこそ完璧主義の後輩達を励ましてきた、勿論、それも度が過ぎれば良く無いから人にもよるが・・・あと男が択ぶ模様よりもきキャラモノの方が女の子供達が択ぶのでワークショップは女の子の方が断然多い、男の子は・・・う~ん・・・

(ま、福祉部ゾーンだからな、親御さんが連れてくるか?どうか?もあるのかも) 

あと私の中に『教育』というモノもテーマがあるので、忙しい中で3日間・深夜3時までかかって作った「惑星探査サンプルリターン双六」はコダワリ過ぎて、区民祭り期間中は結局やらなかった、社協さんの人とかが「ちょっとやってみたい」と言って下さったが・・・

実際、一般の方とか、手伝って下さる方にはマニアック過ぎる双六となってしまった←飲食業で言うところの「客が観えてねーんだよっ!!」と、怒鳴られる状態と同じだった事も強く反省をし、今後「万事が万事」受け止めていきたいとも思う・・・。

簡単だと思っていたサイコロも上手に作れなかったし・・・)

 

 (最後、撤収の目途も付き=←うちはほぼ紙なので早い=、手伝って下さった方々と感謝の円陣を作って最後の声を振り絞り「今回2日間、安全第一で乗り越えられて、本当に皆様に感謝をしております!!、ありがとうございましたっ、それでは一本締めで締めたいと思います!!。ヨー~っと・・・」とデカい声で最後を締められた事は、障碍や『個性』の違いを超え、皆が又1歩1つになれた瞬間の1回でもあったのかなという光景だった・・・後ろのみなと工房さん=あいはーとの所長さん、煩くてゴメンナサイ、いつかパンク・ロックかけますので、いやでも福祉ゾーンでパンクって訳にもいかないか・・・いつか私が他の施設で開催をしていた「ラジカセ1個の音楽会」をやってみたいなーって個人的に密かな『目標』も・・・でも個人のやりたい事をやってしまったら、それは『主旨』が変わってきてしまうか・・・自身がしたい事は我慢をするのが代表なので受け入れよう!!!!!

 

 来年、又この様な機会を持った時、今度は手伝って下さった方々にもリーフレットを1人当たり例えば5部~15部でもいいから配布して頂いて世間との温度差や差異も肌で経験して頂こう。

だって、未来にも関わる事だし、健常な人だって人間はいつどうなるか?解からないのだもの。

 

 僕達は実験台でも、見世物でも無い!! 叩かれれば同じ様に痛いんだ。

辛いモノは辛いと感じ、甘いものは甘いと感じ嬉しくて、美味しいモノは美味しいと感じる!!

まして道具ではない!!

(数日後の福祉部会の反省会で提出をするアンケート用紙にも色々、先ずこの度ご協力下さった行政の方へのお礼と、色々気付いた事、私達が今回の事を糧にした、未来への展望を書いた)

 

 この反省会で「何か今回の反省会で言いたい事・気付いた事は?」と意見を求めれた時、

ちょっと他の施設で色々あって、心身ともにボロッボロで舌ったらずになってしまったけれど、

(スゲー悲しい事があって・・・←まぁ、でもいつもの事なんで傷なんて舐めてれば治る)

 

それでも1番に挙手をして「うちは物販をしませんでしたが・・・」と、

代表としての心構えが学べた事や、

私が倒れたら終わると数日前から食べ物さえも気を付け、

調理師としてどういうモノを食べたら疲労が回復をするのだろうか?という視点からも考察出来た事等、

様々な学んだ事と共に、上記※※※印の部分についても発言をしてみた。

 

だってこれだけの障碍者・福祉団体が集まっているのだもの。

勿論、販売をしてB型作業所の工賃を創り出す事『も』利用者にとっては大事だけれど、2日限りの区民祭り以外の時でも売れる為の(=更に福祉ゾーンに来て頂く為の)、障碍者の次の時代へ繋がる為の事を話し合ってもいいのではないだろうか?としたが、

この日、あまりにも疲れ、凄く悲しい事があって心がボロボロだったので、元来シャイで口下手だし、上手く伝えられなかったけれど、私というあまり器用には生きられない人間や、私の意見を知っている、あいはーとさんや、アクティさんの心の何処かには届いたと思うし、流石に行政側や行政側の長の方はピンっときた!!事が、私やこちら側にも伝わり・・・

その事についてキチンと触れて下さったが、あまりにもその日の日中、色々あり過ぎた為、

行政の方のアシストに上手に返せなかった為、反省会の会場ではスルーとなり、場所・売れ行きの議題ばかりになってしまった。

(議題として、個々の団体の問題点だけではなく、

もっと福祉ゾーンに来て貰うにはとか、

三障碍とその御家族への理解促進をこれだけの団体さんが一堂に会しているのだから理解普及啓蒙活動をするには

等、質問を反省会で行政側に投げかけてもよかったのかも?な・・・自分の感じた事だけを話さず自身の手で配布した事から得た事があまりにもエキサイティングだったので、つい自身の感想だけを話してしまった、そこが今回の私の1番の課題かな・・・と)。

 

辛うじて『あいはーと』さんが、私の意見を汲み取りなぞられた感じで(すみません生意気で)

「こういう『機会』を作って頂いて」という様に行政への感謝の言葉から入り『機会』についての指摘と誘導もして下さっていたが・・・。

(あの時、確か「4つの言いたい事」という感じで箇条書き”にされ話されていたので、成程、ああいう発言の仕方もあるのだなと・・・、今回私が恐らく1番若く「いの一番」の挙手だったので、発言の方法も解からなかったが、1つ発言の方法として実施で勉強になった!!成程ね、ああやるのか・・・)

 

 願わくば、各団体さんや来場者さん達の心の中に、Greenのブースで弾いて下さったバイオリニストの協力をして下さろうとする善意の音色がいつまでも鳴り響き渡り、反省会等だけでなく世の中で、障碍や、様々な表面化されない苦しんでいる人々について、理解啓蒙の普及活動をもっとするにはどうするか?という意見がもっと活発になり、各団体だけでなく多くの人「そういう手もあったか!」と学べるよう、いつか開花をする事を願って已(や)まない。

 

 今回、行政・施設・様々な団体・労って下さった関係者の方々・そして(なんといっても)協力をして下さった皆様へ、、、感謝!!!

(うちは「来る」って言った人は全員来たし、来られなかった方も声援を送って下さった、

本当は休日出勤で1日しか来ない人も2日間来て下さった。

うちは1人たりとも取りこぼさねーぜ?!!!

 

 障碍者もだけれど、人間、大好き!色々あるけれど、(誰しもたった1度しかない人生で)、それ人生のエッセンスだよ!!

 

 追伸:1

後で今回の区民祭りに来られなかった人と話をしていて「物販をしないのに来場者を楽しませられた事は素晴らしいと思う」と仰って下さり、それって『真実』の1つに感じた。

 

※※会期中も「完全な民間団体でこれだけのことをしたところはない」と、とある尊敬をする方が私に仰って下さったり・・・親に褒められた事がまずないので、どうしていいか解からなかったが・・・。

 とにかく反省会の会場でも行政の方々へも伝えたとおり「今回の事をし、僕等は生きていきます。本当にありがとうございました!!!」と、お礼を伝えた事に嘘偽りも無い。

 

 代表として過ごすのか(団体の中で1番の年下だから、年長者を立てたいから、厳しくし年長者の面子を潰す訳にもいかない為、昔の出版社の頃のお客様と付き合う時もそうだが、そこが難しいのよ・・・)、いつもどおりアンポンタンに過ごすのか?、そこが迷うところだが・・・

勿論、年下の事は相手が誰だろうと年長者側が『違っていたら』絶対に護る!!逆もしかりだが(←譲れない事はそこだけでいい・・・)。

やはり額に汗をかけばいいか!!。

 

 まだ12月に最後の総会があるし、←結局ペーパー総会になって懇親会も無し。

(総会の日に冊子が送られてきた、右は今回出席した福祉会の団体名)

 

きっと、もっと後で色々な事を思い出し、それが今後の課題修正点になっていくのだろう『今は』とりあえず、次に進める事が差し迫っているので、あの会場でより明確に浮き彫りになった事だけ、次回、修正と応用が出来るように『備忘録』としても、ここへ記しておこう。

(ああ、なんか『大航海時代』の船長の航海日誌みたい・・・今、そんな気分・・・)

 

チャレンジする事はGreenなんだ!!(=チャレンジ出来る事は未熟で碧い、だからまだまだいける!)って言葉が、今、これを校正していて浮かんできた!!

 

(後ろに次の区民祭りの是非の承認書とアンケート欄が付いていて、メール又はFAXで???)

 

(FAXが無いので、仕方ないアンケートを書いたらPDFへスキャンし)

 

PDFをデスクトップに置いて、メールでご担当者様に送ろう!!)

 

これで『全部完了』かな・・・!!(ワリに全作業は緻密だった・・・)

 

 追伸:2

 

更に後日、とある方が先ず、『特殊学級』の子達が「一般の学校へ通っていた時期の方が心が落ち着けた・楽しかった」とか、そういう例を挙げた上で・・・

「区民祭りで、何で一般ゾーンと福祉ゾーンが別れているんですか?、一般のラーメンとか綿菓子の間に手話のフランクフルト屋さんがあっても良い!!、手話でオーダーすると10円引きとかがあったら、大人だけではなく子供達に取ったら凄く良いと思う、(今、世の中は)遅れているのでは?!!」という「先進的」な意見を短時間の間に聞く事が出来た!!!!!!!

世の中は広いなぁ〜と感じたし、

(出来れば何かの機会で、それを、又、アホのフリして1番に挙手をし、笑、池に小石を放り込み『波紋』を拡げる様に、”この人の代わりに伝えたい”と感じた!!)

 せめて、何故?、福祉部ゾーンと一般ゾーンが分かれているのか?、『差別』や『区別』とかそういう理由ではなく、純粋になんか未来を作る足掛かりとして、その理由も根本的な所から解明をしてみたい。

 

 勿論それを、更に他の人へ伝えた時、

収益の集計や管理し易いとか、

「例えば酔ったり、ラリったり、心無い人が『障碍者なんて邪魔だよー』等の暴言を吐くとかから区別をする様にする為の措置では?」と言う人も居たが、知っている限りでは(内部障碍・外部障害)を問わず何らかの障碍を抱えているうちのGreenと、当事者の数人が手伝っている団体さんは別として、支援をしている団体さんの多くは健常な方が主になって運営をされているから、もしかしたら多少はそういう事態もあるのかもしれないが

現実にそういう個性がある人達が溶け込む光景を作れる社会にしていけたら『一緒だけれど、出来ない所は出来ないから、出来る人がやってあげる』そんな温かい世の中が作れたらなと、その後日に、又、様々な事を考えさせられた。

 

 今後も、そうやって、学び、考え、進化をしていく事が、『共生』だけではなく人類の進化なのだろうなって。

 

(共生のその先を垣間見たというか、そこに触れられた気がした!!。)

 

 

 

令和4年10月5日(水)~10月7日(金) 東京ビッグサイトで、来年50周年を迎える(49回目の)国際福祉機器展(HCR)が行われた。

  

自分にとっては本当に久しぶりの展示会で、最初凄く戸惑っていた。

 

というのは出版社の頃は記者営業として必ず広告に繋げるというある程度のゴールが見えていた、勿論その先の新しい事を取材して自身の見識を深める・媒体を読んで下さった方が何か1つでも今後の人生に活かして下さるような得るモノが見付かればとか時代を進める目的もあった。

    

でも今は違う

出版社の頃の仕事を踏襲してメディアとは何か?(IGS-Report時代からこれは不偏のテーマなのだが)

ボランティア的に取材をする事の止めてくれる人が居ない事の自身への危険さと恐怖

あの頃とは違い体力の衰えと、身体の状況

これらが、記者営業の頃のリズムを何かビミョーにだがズラしていた。

(観ていない所での事故を防ぐ「見守り」ITソリューソンも多く看護・介護系のプロの人向けなのかな、最初少し戸惑ったが・・・それが最近の潮流なのだなという事も解かった)

 

営業的にする事は、やれば出来てしまうのだが、その先が無い・・・その戸惑いがホンの数ミリの遅れとなって→相手に伝わる・・・ホンのちょっとの事なのだが、プロとして、その企業でここまで営業をやった人は「10年近く居なかった」・「創業以来4人目」と同僚に言われ、社長の掌の上で天狗にもなっていた自身の後ろ盾の無さ・怖さが、お客様との距離感の数ミリのズレなのだ・・・

(三菱だったか車輪を回す事で筋肉を鍛える器具は障碍者施設や高齢者施設だけでなくジムでも導入されており、電子で効果的なトレーニングが出来ているか?測定を出来るとの事。人間は93歳でも筋肉が向上する様に出来ており、

ADL=筋肉等身体能力の指標と

QOL=生活の質

の「両方のバランスを上げていく事が大切」との事)

  

これは相手にも伝わり、

「コイツは一体何をしたいんだ?」

「金を稼ぎに営業をしたいのか?でも違う様だ?」

「何か意図があるのか?」

(いや・・・逆に意図が無さ過ぎて・・・私が困っているんです:涙)

当然先方をも困惑させる事になる為これはイカンと・・・急遽、大学生や新入社員の頃の様にノートとペンを取り出し、『学ぶ』という姿勢に特化をしてみることにした。

  

すると、以前の記者営業のリズムが回復し始め(完全にとはいかないが、それは過去身体に染み付いた経験が自然に自分の背中を後押ししてくれる感じになり)、相手の説明をする事がスイスイと入ってきた。

(介護用のお風呂は漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で出てきた様な、少し大き目の洗濯機みたいな大きさに小さなスペースでも洗える入浴設備:1台辺り500万円~550万円ぐらいらしいが、今は100床ぐらいの大きい施設で3台~5台ぐらいは納入をして頂いているので、もっと広がれば安くもなっていくし、今後、人類が宇宙へ出ていく時、こういう入浴設備がきっと活躍をしていくのかもな?と・・・)

 

これだ!!、これが俺の新しいやり方だ!!

これで時代を変え(いや少しでも進め)、この10年オペや処置ミスで4回壊され(小さいのを含めると6回・内2回は人間の急所)等の傷病で、その都度全てを失い数ヶ月~数年起き上がれなくなるまで倒れて、停滞をしてきた自分が進化と前進をする為の精一杯、今僕に出来る事なのだと・・・

(手摺専門のマツ六株式会社さんは、手摺が途中で途切れる事が利用者にとって実はもの凄い恐怖なので、ジョイント部がどんな角度でも曲がる様に設計をされているらしいし、バリアフリーを考えた公園とかでは錆びにくい材質に変更をしているとの事)

 

(以前だったら、オフィスで制作をしている仲間達の為、俺が若い奴等を食わしてやる!!という気持ちで営業をしていたのだが・・・今はそれが無いけど)こんな身体になって、新たに立ち上がらせてくれた人々に、(取材相手に集中をしたいので)心の隅で感謝をしつつ、自身の中に無かった事を学ぶという姿勢に切り替えて次々とブースを学び、

(写真:TOTOさんの右の福祉器具の使用の仕方をデジタルサイネージの漫画仕立てで紹介をする方法は会場の中でも異彩を放っていたし、何よりも観易かった、こんな方式があったとは・・・)

 

「訊きたい事があったら真っ先に訊け・言いたい事があったら最後に言えっ!!」と記者時代に何処かで見付けた言葉を基本に次々とブースを回っていった。

 

数日後に出展をする区民祭りの準備もあるので、何処まで身体がもつのか?、身体の不具合がいつ始まるのか?その恐怖を拭う様に・・・

 

そうすると今まで狭かった視野・視点が拡がって行き、気付かなかった部分にも気付き出した。

セキスさんのブースは、来場者に車椅子の方も居るので、キチンとバリアフリーを想定したブースの造りになっていた。)

 

パナソニックさんでは、ちょっと明らかに技術者っぽいお人で、(最初上手に話を訊けるかなーって瞬間戸惑ったが)でも、その記者経験が遺憾なく発揮出来始め、ほぼ完璧に戻ったーっ!!!と・・・

凄く教えて下さった事にもの凄く感謝!!(無駄にはしません)

(取られてしまった臓器は戻らないし、処置で壊されてしまった身体は戻っていないけれど・・・)
 

このお風呂用の椅子「ユクリア」は、

入浴用具というジャンルはやはり防カビ等の汚れ問題が多く寄せられる事から、EVAという素材を使う事で防カビの効果が高いという。

又、何故オレンジ色なのか?H2Aロケットや宇宙服みたいに「液体燃料から守る為の断熱材」とか「(宇宙空間で)見付け易い」とか科学的根拠が何かあるのだろうか?と思って訊いてみると・・・

「介護福祉器具業界」は、各社によって色が決まってきていて、パナソニックさんだとオレンジが大体基本になっているとの事(それだけだと寂しいので、その他水色とブラウンを少し)。

なので、オレンジ色をみたら、大体が、あー、パナソニックだーっと1発で解かる様にとか各社してあるとの事。

(他社の事も、キチンと貶さず言えるという事に自信の程を感じるよね・・・)

うわっ、すっげー勉強になる、業界の深さに触れる、これこそが業界紙の楽しみとか魅力だよな・・・そうだ、そうだ、段々と業界という浴槽に片足づつ踏み入れていく様なこの感覚。

勿論、企業や業界内の事情的な事だけではなく、浴室って白が多いから白内障の方の判別の為にという理由から始まったという事もあるらしい。

あ、出版社さんが出ている。やはりその業界・業界には必ず、専属の出版社があるんだよなー。

シルバー新報さんかー、成程、障碍者だけではなく、高齢者も介護を必要としているからこういう業界紙がある事は当然だよな・・・

色々話を訊くと元々半世紀以上発行を続けられている四ツ谷の環境新聞社さんという所が本体の大元で、

その枝分け事業として創刊35周年を迎えるシルバー新報さん(と「月間ケアマネジメント」)が出展記念的に紙面のページ数を増やして配布をしていた(成程、展示会ではページ数を増やす手もあったのか、私も出版社時代に幕張メッセのFOODEXで8ブースの責任者をした時にそこまでは気付かなかったー、・・・広告も結構入っているし、お客様と良いお付き合いが出来ている証拠だろう・・・羨!!)。

ここで

①「障碍者と高齢者の線引き的な部分についてどうお考えですか?」と、

障碍者施設に出入りしている者として、先天的の方とかは別とし、高齢者=障碍という場面に出くわす事も無くも無いので、

いつも施設で

・「高齢者として接した方がいいのか?」

・「障碍者として接した方がいいのか」

やや戸惑う時があったので、そういう違いに1番接していて詳しいのが業界紙の出版社の方々だろうなと、シルバー新報さんと、シルバー新報さんの裏側にブースを出されていたシルバー産業新聞社さんにも、同じ質問の切り口で双方に訊いてみると(←正直、自身の知見や質問の幅が狭くイッパイ・イッパイだったという事もあり、同じ質問しか出来なかったのだが・・・その分、深く私の中に入ってきた)

両者ともに、介護保険の事について口を揃えて連続で言われたので、よくよく話を咀嚼し考えてみると、

高齢になると介護保険が適用になり、それが良くも悪くも障碍者の方にとっては(特に先天的に補助が必要な方にとっては)今までの生活の質を維持出来なくなったり問題も多いという、介護保険という行政の抜け落ちた欠落の部分が明確に浮き彫りになってきた事と、

 

②又、先天的な方もおられる障碍者の介護用品は、高齢者のそれよりも、障碍を背負われている1人1人のニーズにあったカタチでないと生活の質を維持出来ない為よりニッチになっているが、高齢者では後天的で画一的な部分もあるという違いが解かり、

その事から、私はカーレースのF1が即思い浮かんだ。確かF1は技術の粋を集めた最高峰の実演の場であり、その研究開発結果が民間の市場車へ反映され普及されていく。

どんなに淘汰をしても人類には必ず1/4の障害者が現れるという柳澤桂子さんという生物学者の1/4理論という研究結果があり、障碍者が居ないと人類は発展が無く維持も出来ないという、その1/4理論と絡めると、障碍者から高齢者市場に技術が流れるF1のような仕組みと共に、双方の理論が強く立証されていくようにも感じ介護保険の問題喚起と共に、この1年近く自閉症に特化したNPO法人「虹色の風」さんから教えて頂いた1/4理論にこの展示会で出版社さん達のお話をお聞きし、何か【得心】のいったモノがあった。

全国の社協さんを取りまとめる全国社会福祉協議会の出版部も出展をされていて、ケアマネ用の出版物を割引で販売をしており、

「昔は多かったが、今、障碍者用の出版物は近年減ってきている」という

というのも、やはり高齢者社会になって、売れ行きの絶対数の裾野が高齢者業界の方が末広がりに広いからのようだ。

上記のF1の様な障碍者→高齢者へ技術が転用される1/4理論を鑑みると「折角、昨年のパラリンピックで盛り上がったのだから今、勿体ないな~」と感じたが・・・売れ行きというモノもあるらしいので今は高齢化社会だし仕方がないのか。。。

その他、とある場所で何故、この展示会の関西、大阪の企業が多いのか?展示者側の方の個人的な推測に則った理由もお聞きする事が出来た。

(少し、業界の本当に初歩の初歩部分に触れられ始めた様な・・・)

 

障碍は個性とよく言われる様に、やはり人間1人1人症状や先天的な抵抗力や筋肉量・壊れた箇所がetc・・・がそれぞれ違うので、市販のモノだけでは個人に対応出来ない為、福祉器具の改良や製作等の相談場所や企業もあり、OT(作業療法士)さん的な、ここのゾーンの福祉用具相談の場所では、ワリと障碍の方に必要な感じて生活に即した器具の展示体験を出来、現実に自分の身体で学ぶ事が出来る。

 

レバーを倒す事で、テコの原理を使い、片手で布巾を絞る道具、結構強く絞れるんだ。 
 

他にも日常生活で使えるモノとか身近なモノの方が比較し易く、障碍の不便な状況がまだまだ先の若い人達には理解をし易いようだった。

(介護や看護の学校なのか、結構学生さん達っぽい方が学びに来ていた様な気も・・・そういう若い人達が介護に触れるって、道徳とか倫理の授業が減りデジタルで0か1に落ちり易い現代、優しさを育む感じで、相手を労わる想像力を促し、良い事なのかもと感じた)

 

この、写真右の器を3つも同じ高さに置ける器具など、イギリスのアフタヌーンティーの3段のケーキスタンドに応用出来るのではないか?と、中高生の頃イギリス料理に憧れ料理を始めた身としては、ウズウズと胸熱なモノがあった。

 

リウマチの方も確かに手が痛いけれど、チョットした時切りたい物もあるよな

 

成程、確かに趣味や娯楽ですらも、身体が不自由だと楽しめないが、補助具があれば一時でもツラい時とか、悲しむ事から、張り詰めている気持ちの息抜きにもなるよな・・・WHOが言う様に「心身ともに健康で~」こそだモノな・・・

 

笛も片手や指の力が不足をしていたら不自由だったりする。

手先と直結すると脳の訓練にもなるし。

 

これは片手で蓋を開ける道具、これを観た時に人間って凄い!!と思った。

特殊なロボット等を使わず、知恵だけでこういう事を思い付いてしまうのだ、

それは不便だからこそ発想が生まれるという事、まさに1/4理論を、具現化している根本的な物事ではないだろうか?と感じた!!

(人間の知恵の凄さを知った!!、別に金かけて大掛かりで特殊な器具でなくていいだと・・・)

 

これは『片手でのラップ切り』、元々飲食業でまだやや諦めきれない自分としては、戦争の様な厨房で片手でフライパンを握っている時、片手で出来る物を観ると何か厨房で使えないか?常に戦争の様な厨房の風景を想像してしまう。

修行が足りねーなー。

 

これも「アフタヌーンティー」に何か使えそう、やっちゃおうかな。

凄いなー、こんな大規模でなくてもいいから、私も福祉の展示会をしてみたい!!

  

東ゾーンに移動をするとワリと大物が多かったく

キャタピラとか真近で観たの多分初めて、火星探査とかでも使えそうだよね・・・

  

杖コーナーも。

 

流石に福祉機器の展示会・・・

 

杖の展示会でもある。

 

海援隊ではなく介援隊だって。大きい物というより日常的な介護用品の総合カタログが配布されたのでお世話になっている施設に持っていってみよう。確かに高齢になると誤飲性肺炎とかも多いから写真右みたいに食事にトロミも大切だよね。

(中華のトロミは冷まさない様にというのもあるが、食べ易さという所からも来ているのかな???)

 

ベッドや吊る器具。早く攻殻機動隊みたいな時代がくれば、後天的に介護が必要になった方も含め、

先天的な障碍を負っている方も同じように(いや、それ以上に)動けたりツラい痛みから解放される人生を取り戻す事が出来る!!

(電脳硬化症やハッキングは怖いけれど、身体の不具合で、いつ殺されるかも解からない針のムシロ状態からも解放され、

又、昔みたいに動ける・・・その為なら当事者にとって義体化=サイボーグ化=も厭わないだろう・・・)

 

この前後左右に動く電動の乗り物が凄くて、キャタピラの車椅子は大手も出しているけれど、横にも動ける機種はあまり無いとのことで、理由は、もし階段とか道の進行方向の途中にゴミが落ちていたら、前に進むしか出来ないキャタピラって、その落ちているゴミがあると止まってしまう事があったり、前進出来ない事があるとの事。

「都会なら誰かにゴミをどかして貰えるけれど、地方だと人が通らず、炎天下や極寒の中、ずっと待っている訳にいかない」

そんな時、ちょっと横に動いてゴミを避けられれば前進が出来るとの事。

まさに昔、障害の「がい」は”道に石があって当事者が前に進めないという意味の「碍」だった”という事象に通じる事ではないだろうか?

 戦後、GHQや東大とかの知識人達によって害虫の「害」にされてしまったとの事を福祉に詳しい方に教えて頂いてから、

この1年を過ごしてきたのだが、この文字の問題を精神・知的・身体の三障碍を問わず当事者やご家族・福祉現場の人々にも問うた所、やっぱり当事者の多くが「害虫の害は嫌だ!!」という人が絶対的に多かった!!。

障碍者団体の方々や官公庁・役所にも今からでもここは変えて欲しい部分でもあるが・・・アナタはどう感じるか?

 

スロープも大事だし、車椅子が整然と並ぶ構図もこの展示会をよく表している様で、この右側の写真だけは(カメラの基本とか、よく解からないけれど)構図にこだわってみた。

今度、こういう時のカメラの構図を勉強してみようとこうしてマトメていて改めて思わされた。

 

株式会社アクションジャパンさんのこの「アクションパッド」という材質が褥瘡(床ずれ)を普通の布団よりも結構防ぐ材質との事。

碁盤みたいな(「キュービックアクション」)と2種類あるのね。

 

膝を付くとグニュっとへこみ、超柔軟性特殊素材「ラテックスフリー」=天然ゴムを使用していないからアレルギーの人にも対応という意)傷付いて破れてもゼリーが出て来ない材質なので、その部分だけを代えれば良い

 

病院で長時間を要するオペの時でも使えるとの事。

広い会場の休憩所では被災地支援コーナーもあった。

ま、今回は介護・福祉の展示会なので絶対的に優しさというモノが普遍的に通じるテーマの1つなのかもしれない。

 

株式会社インタージェットさんのコンフォート3輪やトライウォーカーは3輪にする事で小回りが効くという、

凄い!!、そんな基本的な事も私は知らなかった・・・やっぱり当事者の立場にならないと苦しさが解からないんだよなー・・・!!

 

コンパクトに折り畳みも出来、ちょっと休める椅子が無い方が当然軽く(といってもそこまで椅子がある方が重い素材ではないように感じた)、椅子の代わりにチャック付きのバッグが付いており、薬とか必要な日用品を収納出来るとの事。

(結構大き目なバッグだった。)

 

生れてきた誰もが命や人生は1つしかなく、

人生は有限である、だからこそ、余計、一生懸命に生きたいと思うし、人類の誰もが未来に向け、より良い世の中を創造していくには、障碍や、先天的・後天的を問わず(敢えて)不便さの中から、ああしたらいいんじゃないか?こうしたらいいんじゃないか?と工夫し、実際に開発をしてみて、F1の様に新しい技術が市場へ流れる事と同じで、次々と人類の知恵と探求心(生活や人生への好奇心)は尽きない。

 

しかもそれが安全第一を考慮された上で市場に出回っているという事こそ、真実の、本当の優しさも感じる。

大切な事だから繰り返すが、だって人の命や人生は1つしかないのだもの。

 

私は何度も身体を壊されてしまったけれど、壊されなかったらここまでは解からなかった、でも、QOLを上げて健常・障碍を問わず出会ってきたみんなと、(又、もしかしたらこれから出会う人達と)1度でいいから幸せになりたい。

(多くは望まないが、、)

 いや1度なんて1つの狭い視野でしか物事を観ていないから、(文中の)障碍の「碍」の文字ではないが道に置かれている石を乗り越えられなくて前進が出来ないのかな?

 

 

 

2022年9月 9月13日~9月19日まで(「六本木アートナイト」に先駆けて)、六本木ヒルズの『ヒルズカフェ』で、

以前、増上寺の障碍者のアート展(←リンク)を監修されたNPO法人「虹色の風」さんのご案内で障碍のあるお子さん達の作品と、愛知県豊橋市出身で拠点をフランスに置いた画家、松井守男氏(1942年7月25日ー2022年5月30日)が「アールブリュット」をテーマに

コラボレーションをする展示イベント「NO BORDERSー画家松井守男とアートな仲間たちー」が2019年の好評を得て、今年再び開催をされた。

 

『アールブリュットとは?』

「流行りや既存の美術潮流に流されない表現」

「正規の美術教育を受けていない人による芸術」

英訳として「アウトサイダー・アート」その概念が米国へ

と表わされる事が多いが、

こと、日本のおいては「障碍者の表現」としてアールブリュットが提唱・推進をされているという。

 

元々、精神障碍者の画を収集していたフランス人画家のジャン・デュビッフェが1945年頃にこの「アールブリュット」という言葉を提唱し、1970年にロジャー・カーディナルというイギリス人が「アウトサイダーアート」英訳、日本では障碍者アートは元々福祉・教育の一環として捉えられていたが、徐々に「アールブリュット」として拡がっていき、2020年→2021年に変更になった東京五輪に向け、国として「アールブリュットを推進する」事が発表されたが、その事で逆に人によって意味の解釈が変ってくるアールブリュット幅広さ「障碍者限定は狭小された意味になる!」という、折角、『障碍者アート』という何か硬くて特異な感じの言葉から飛び出し、本来幅広い解釈であるはずのアールブリュットやアウトサイダーアートの枠組みの中に入る事へ更に再び障碍者のアートは別!!と区別する事へ戻ってしまう少し哀しくなる様な指摘もこの世の中にはあるとの事。

 

(なんか数行だったけれど、書いていて凄い勉強になった・・・)

 

両側の壁に展示されていたがプリズムーコラボレーション」という作品は、壁一面を覆うような松井守男氏の巨大な(敢えて)未完成の画に、障碍のある子供達の画を重ねていくというスタイルでの『コラボレーション展示』の方法。

  

キャンパスや布の絵のパネルを、画に貼り付けていく展示方法や、布の画を貼り付ける展示の方法もある!!

  

「NO BORDERS」の意味が、グッと心の奥の方に入ってくる様なキーワードとして純粋に「感動する心は」軽々と多くの境界線を~という一節に観た気がした!!

  

松井守男さんと子供達の画が飾られている反対側は、床の色が2色(通り道が白)となっており、

 

今回の展示をご紹介頂いた特定非営利活動法人「虹色の風」さんの画や

  

特定非営利活動法人「自然性クラブ」さん・社会福祉法人「アトリエAUTOS」さん

 

特定非営利活動法人「たいらか」さん等の作品『13点』が今回展示されているとの事。

  

作品群に作品名・キャプチャー又は、
  

説明書きが・・・(↓「マカロン」だって、なんて夢のある温かさ!!)

  

こっちにも絵に絵を貼り付けた作品が「恐竜」との事だが、今こうして編集をしていると、より「恐竜らしさ」が確かに解かる、成程、この角度か!!

絵とは見る側の角度によっても変わる・・・

 

絵を際立たせる天井の光は、松井守男氏が「光の画家」と言われた事を彷彿させる。

 

これらの作品群等当にジャン・デュビッフェの提唱する「アールブリュット(アウトサイダーアート)」な感じが・・・

 

絵の壁面の裏側はカフェと繋がった通路になっており、

 

これまでの「六本木アートナイトの歴史」を振り返られる。

 
玄関口には何やら不思議な現代的なアート作品があったが、これはきっと今回の展示とは違うのかもな。

 

この日、台風が来ていて、六本木ヒルズの吹き抜けラウンジ階は雨が凄いかな???と心配だったけれど「ヒルズカフェ」の入り口の上は雨除けになっており、入り口で雨傘を折り畳んでも濡れず助かった。

 

アトリエを構えた長崎の「五島市ふるさと大使」でもあった画家の『弔い』の意味でも、直近では(1つの)節目ともなる大変貴重な展示イベントをご紹介頂きましてありがとうございました!!

もう1度、故 松井守男さん・特定非営利活動法人「虹色の風」さんや、様々な福祉団体さん、そして心温かく・「温もり」すら感じられつつも「深さ」もある作品群を制作して下さった子供達に感謝!!

(今回、又1つ勉強をする事が出来ました)

 

9月18日は、台風の悪天候だったけれど、かなり盛況な賑わいでした!!

(若い方達が多かった)