令和4年10月30日(日)、東京都港区にある障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)で
3年ぶりの「ヒューマンぷらざ祭り」が行われた。
3年ぶりという事もあり、当時を知るスタッフ職員さんも少なく、みなと区民祭り等を参考にしたり、
様々に試行錯誤をされていたようだ。
区民祭りの事で頭がイッパイだった私は、ここでボランティアをする事にした。
担当はステージ係、
・パソコンでスクリーンに聴覚障害の方向けに言葉を流す係と
・カメラ係に分かれ(私は午前中はカメラ係で、午後は休憩室係)
朝ステージのある体育室へ行くと職員さんがボランティアさん向けに既に椅子を並べて下さっていた。
(ボランティアなんだもの、自分達で並べすよー、というか立ったままで説明でいいよ、どうせ後でかかり毎にチーム分けで分かれるのだから・・・!!)
数日前から、若い職員さんが「祭りだ~」って意気込んでいたので、
「障害保健福祉センターで行う意味を常に意識をしていないと、ブーメランで『永久にあの年のあのあの祭りはこうだった』と口コミで裏で語り継がれる事になるよ?・先ずは安全第一を意識してね!」と、前回の記事にも書いた区民祭りの経験から伝え続けてきた。
”予測出来る範囲は事故ではない”
というのも私は、関東・北陸だけでも50ヶ所近くの現場を持つ企業の、安全を統括する部署で労災事故の集計の仕事をしていて、1年半で1番の古株になったのだから、
安全が、純利や納期に優先され、おざなりにされる姿を散々観てきたし、現場第一主義がおざなりにされ過ぎ、事故が起き過ぎてハード過ぎて道端で何度も倒れるぐらい身に染みており、ある日、天からスカーンっと頭の上に振ってくるように
(おざなりにされるからこそ)安全第一という言葉がある意味が身を持って解かった瞬間に出会ってから、又何か1つ、見え方が変わった瞬間がある。
(組織を出る時、最後の挨拶でそれを伝えたら、支社長が両手で握手をしてくれた瞬間があった)
(モルタルが目に入ったとか・6月の熱中症とか色々あるが、どんな小さな事故が起きても本社に報告するルールだったのをしない課だったので、それでも事務方の納期は間に合わせろとやられてきて、流石に限度がきて「事故が起きたら本社に知らせるルールなのだから、キチンと知らせましょうよ、本社に報告をしないから、上は事故が起きていないモノだと思って事務屋が仕事を作って、事故で混乱をしている支社にアンケートとかの仕事をおろしてきて、それが更に事故を呼んでいるんです、どうせ労災を使えば分かるんだし、こんな狭い世界隠しと押せる事じゃない」と限度がきて2年近く経って言ったら、当然契約社員だから全員からサンドバッグにされ又道で倒れさせられたが、その8分後支社長が来て「又、事故起こしたのかー!!、直ぐ本社に報告をしろー、なんでしてねーんだ!!」って偶然、俺と同じ事を言ってキレてくれて、これこそ、リーダーのあるべき姿だよなって実施で学んだ事がある・・・←勿論、恥をかかされたと、そこでも俺は報復を受け、倒れさせられたが・・・でも、俺は間違った事は言っていない・・・それは支社長が両手を掴んでくれた事が物語っている←中間に居ると本質が解かんなくなっちゃうんだよな・・・意外に下から観る景色と、一番上から観る景色って、使命にシンプルだから似ているという事が・・・)
午後は何故か私だけ休憩室担当だったので、知り合いの団体さんの担当の予定でボランティア登録をしたのだが、その知り合いの時間の担当の所が休憩時間と被っていて、え?、メシ喰う時間半分しかねーじゃん!!って。。。
(どうも午前中で帰ってしまうボランティアさんが多かったとの事で、そうなったらしいが・・・何故、俺?)
仕方がないから、ステージ係の説明を聞いたら、急いで即休憩係の説明を聞きにいき、僅かな準備時間の間に全ての休憩所の場所確認を走って行う。
※こういう時に事故が起きるんだよなー、だから(職員さんに迷惑を掛けないよう)意識して気を付けた!!
(外と、食堂)
7階、とにかく駆けに駆けた。
エレベーターを待っていると、いくら待っても来ないんだもの(お客様優先だし)。
面白かったのが、ステージの音響と、ステージ後方の音量の調整をイラストで職員さんが指示を出していた事!!
(これは考えたなー・・・)この方法は、何処でも応用出来るよな・・・
メモ・メモ←こういう経験は逃さないで、何処か世に出た時、ここでの経験を他の場所で応用し、その場所に居る異業種の人々に(媒介者となって)伝えるんだ!!
三国志とか武田信玄の狼煙みたい!
スタッフの腕章
社協さんや関連団体・自主グループも出展されていた。
食事をリスみたいに口に詰め込んで、忙しい合間をぬって、取材も兼ねた
高次脳機能障害の団体さんは美しい小物を。
ミッ〇ーになっている飾り付け・・・こういうのも発想だよな・・・
急いだ食事、ボランティアさんには食券が配られた。兎に角急いで詰め込む。
ゴミ箱の位置は凄く解かり易かった!!
センターの奥に店舗が出せるスペースがある事は知らなかったなー
福引は1Fで、こういう福引の機器って何処で借りてくるのだろう?買うのかな?
(なんか装飾が『手作り感』があってセンターらしいよね・・・こういうのも手伝いたかったなー)
景品の数々。
各部屋の入り口と出口はコロナの時期という事もあり、
出入り口が分かれている仕組み
(※これは人と人がぶつからなくて、ステキなアイデアだなと・・・)
兎に角駆けに駆け抜けた、この時、丁度知り合いとすれ違い「素敵な汗をかかれていて輝いていた!!」と後日おっしゃって頂けた!!
華道グループやパソコングループ
その他パソコン講座や自由開放・様々な訓練室の作品
障碍保健福祉センターの主旨から逸れていない事が表現をされていて、伝わってきた。
訓練室の作品は素晴らしい。
これ、『レゴブロック』だぜ!!、今のレゴって凄いんだな。
(舌まである・・・)
因みに首輪も手作りとの事!!。超リアル・・・~
「じゃぁ、最後に機能訓練室の合言は~?」って聞かれて・・・「え?」って、ポカーンっとしてしまったが・・・一応、何か言わないとと、IWGPみたいに(長瀬の池袋ウェストサイドゲートパークのノリで・・・)
「機能訓練室サイコー!!!」ってデカイ声で・・・←悪い学校行ってプロレス漬けにされた事が咄嗟の時に活きるんだよ、コレが・・・何故か・・・
その後、休憩室は特にする事が無かったので、ステージ係へ戻って、最後のステージの呼び込みを下の階まで階段を降りながら声を出して、呼び込み。
三田にある慶応大学の音楽部の演奏が最後だったので、片付けの時、色々聞き、コントラバスを触らせて頂いた。
かなりの高額(100万だったかな)、(値段を訊かずに持たせて頂いた時)そんなに重くは無かった。
丁度、昨年ベースを手に入れたので、弦を弾かせて頂いた時、結構楽しかった。
そして反省会を終え、
(反省会で、「入口の所で来場者がどうしても交差してぶつかりそうになる」と私が立って誘導していた事を伝えたが、他のボランティアさんは何も言われなかった、もっと意見が活発に出てもよかったのになーって・・・課題が無いのは問題なんだよ?って、俺は完璧主義の優秀な後輩達に教えてきたのだが・・・)
片付け、こういう事が大切なんだよな、裏側を見れるからボランティアでもいいから中に入って観る事も大切。
この後、横断幕とか降ろして職員さん同士で打ち上げをするんだろうなー、いいなー
と、1人障碍保健福祉センターを後にする、、、
やるべきことはやった。
身体に障碍のあられる方・知的の障碍があられる方・1人では遠くまで移動出来ない方を送り迎えするバスが・・・
お祭り・お祭り~で終わるのではなく、これが障碍保健福祉センターの使命で、あるべき姿なんだよなー。
お祭りってフィーバーした部分や「利益」ばかりが注目されがちだけれど、
そのテーマ・テーマに沿っているか?、そこが大事な気がして・・・
この日は額から流れる汗を拭いながら、色々観てきたけれど、今回の「ヒューマンぷらざ祭り」は障碍保健福祉センターという役目・使命をまっとうし、路線から娯楽へズレていなかった、1本スジが通っていたモノが表れていたと私には感じられた!!
一見、区民祭りや、縁日と比べ、大人しいようだけれど、障碍保健福祉センターなんだもの、これでいいんだ!!
(口を酸っぱくして言ってきたもの・・・)
私は確信にも似た、そんな感覚をこの身で感じ・額に汗をし薄氷を踏み抜く様に足を突っ込み、肌身で学んだ!!
今日の日の事は忘れない!!
(特に、この最後のバスの光景は違って観えた!!←どんなに賑やかしでも、これこそが福祉の本質の1つなのだなと・・・)
出来る事なら次はボランティアをしながら、団体として、もしくは出展側として出てみたいな。
※ただ、俺だけ午前・午後で違うグループとか、知り合いの団体の時にメシの時間にするのはヤメてね、休憩無くなるからマジで:笑
(誰が決めたんだ?担当の人達ではない事は解かったが・・・)