鎌倉殿の13人…第14話 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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第14話 「都の義仲」


頼朝の最大のライバル、

木曾義仲は、北陸に勢力を伸ばしていた。

その義仲を討つべく、

平家の追討軍が迫っている。

もう、1週間がたったのかと視はじめると

思うのですけれど、こうしてブログをUPして

いると、早くこの先が視たくって

仕方ないです。


小四郎義時と八重さんが先週のラストシーンで

本当によかったです。ほっこりしちゃいました。

義時はストーカー体質だったという

記述があるらしのですけれど、

血生臭い鎌倉殿の周辺なので安らぎ💕


ドラマの途中では、八重さんは

妊娠していましたね。



☝️のガイドブックからですが、

第14話は、寿永2年(1183年)

義時は21歳


寿永2年5月

倶利伽羅峠の戦いで勝利して、

その後に入京を果たす木曾義仲でした。

平氏としては、食糧の確保を北陸の方へと

求めるはずでしたが、これもできなくなり、

同年6月には

篠原の戦いで勝利して木曾義仲は入京。

平氏は都を落ちのびることになりますが、

後白河法皇は比叡山に隠れてしまい、

法皇とともに行けなかったです。


木曾義仲は入京する際にやはり、

比叡山とも話し合っているとのことなので

法皇も一役かっていたのでしょうか?

全くここでは、以仁王の子どもである

「北陸宮」については触れずに話が進行

できています。


それにしても吾妻鏡でも木曾義仲の

「田舎者」ぶりはかなりな事を書いて

あるようですが、

牛車から飛び降りてしまう所も

笑われたとあるので、しっかり描かれています


牛車は後ろから乗って、前の牛を外して

前から降りるのを、後ろから飛び降りていま

してね。先に着いていた行家さんに聞いて

おけば良いのに。

でも、笑われた事すらわかってないのかな?

って感じでした。


牛車の乗り方


☝️こちらを読んだら良くわかりました


頼朝が義仲がいよいよ入京してしまい

先に平家を滅ぼされたら困るみたいな

事を言って焦って💦いましたが、

大江広元は「義仲と法皇が合うわけがない」と

断言していました。

義仲はもらった扇も暑いからと

いって煽ぎだしちゃうし、

三種の神器も知らないし困ったものです。


養和の大飢饉の影響や平氏が

都落ちの時に持っていってしまったり

とかでかなりの食糧不足、

また統率の効かない寄せ集めの烏合の衆が

都を強奪、破壊などをして

無秩序状態にしてしまったとか

「草燃える」ではそのあたりは

描かれていました。


今回大姫の婿と言いながらの人質として、

清水(志水)冠者義高が鎌倉へきています

従者には海野幸氏と望月重隆らを伴って

きたようですが、オープニングの出演者

テロップには「海野幸氏」とありました。

海野幸氏と今回は書いてなかったのですが、

望月重隆は両者「弓」の達人だったらしく

特に海野幸氏は何度も弓のことで吾妻鏡に

でてくるようですよ。


木曽義高が上野に逃げる際も、孝高の

身代わりになって布団にくるまっていて

逃げる手助けをしてあげたようです。


孝高の「蝉の抜け殻」集めにはびっくり

しましたが、何か言われがあるのかと

色々と調べていたら👇の動画をみて納得👀


(ネタバレ)なこともあるので、

史実を知らないで楽しんで見て

いらっしゃる方にはネタバレ要注意です

主人は知らないので、ちょっとがっかりした

部分もありました。

👇



いよいよ鎌倉殿と御家人との主従関係が   

悪化してきていますが、

「雨降って地固まる」ではないですが、

その地固めに「人柱」を付け加えなければ

いけないのかと、次週は義時にとっても

辛い回になるような気がします。


頼朝と義経の弓をしているところのシーン

も言いたいことがたくさんあったけれど、

「もう、これがあって話す最後?」

と思いました。やはり、最初のシーンの

八重との言葉のやりとり、何度も後ろを

振り返って八重をみる小四郎義時。

ほっこりするシーンと思いました。



義仲寺の紫式部