”鎌倉殿の13人…源義円 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

5年前に行ったきりで、行きたいとは思って

いたものの、なかなか行けずにいた

関ヶ原に行ってきました…

その足を少し伸ばすと、そこには

墨俣川の合戦で命を落とした義円の墓が…

どうしても行きたかった墨俣川

見てみたかった源義円の墓…

「墨俣川の合戦」で命を落とした

源義円の公園に供養塔があって、

近くにはお墓があるというし、

「公園にまでなっているんだなぁ」

と百聞は一見にしかずということで、

行ってきました❣️




墨俣川が見え始めるとだんだんと畑の中に

入っていき、川がすぐそこにあるものの、

私が思っている、みんなが遊べるような公園が

あるのかと思っていたのですが、車一台がやっと

という感じで、地図が示したところが



この祠があり、その左には




☝️には


源平墨俣川の合戦

養和元年3月10日(1181年)長良川を挟んで

源平の大激戦が展開された。

世に言う源平墨俣川の合戦である。

同年2月4日平清盛死す。

東国源氏は勢いを得て、京は攻め上る。

これを迎え討つため、平重衡を総大将として

維盛・通盛・忠度・知度・盛綱・盛久などの

部将7千余騎杭瀬川を渡り、右岸の墨俣川

(上下宿)に陣す。

一方源氏の将 行家(神宮十郎蔵人)は

千余騎を率いて左岸の羽島側(小熊)に

着陣す。

源頼朝は応援のため弟の源義円をつけ、

西上させたが合流せず、二町を隔てて軍を

整えた。義円は行家に先陣されては兄頼朝に

合わす顔がないと考え、唯一人馬に乗り、

敵陣側の西岸にひそみ、夜明けとともに

「義円は今日の大将軍なり」と名乗って

先陣のさきがけをしようと、白む夜明けを

待っていたところ、見廻り夜警兵に

見とがめられ、「兵衛佐頼朝の弟で卿の公

義円という者だ」というが、早いか勇敢に

戦い、武運つたなく、力つき、平盛綱に

撃たれた。








車一台🚗通れる道の反対側には民家





そして祠の右横には





また、その横には👇







供養塔がありました。


お墓はまた別の場所で、

150mくらい離れた場所にあるのですけれど、

車を置いておくスペースもなく


目の前まで地図通りに車でいってみました。




こんな旗がありました。






この日は、墨俣の間に来るまで、

関ヶ原を通ってくるので、色々と寄り道を

していたら、夕方にこちらに到着になって

しまいました。


また、関ヶ原での体験は後日ブログをUPしたい

のです。