5年前に行ったきりで、行きたいとは思って
いたものの、なかなか行けずにいた
関ヶ原に行ってきました…
その足を少し伸ばすと、そこには
墨俣川の合戦で命を落とした義円の墓が…
どうしても行きたかった墨俣川
見てみたかった源義円の墓…
「墨俣川の合戦」で命を落とした
源義円の公園に供養塔があって、
近くにはお墓があるというし、
「公園にまでなっているんだなぁ」
と百聞は一見にしかずということで、
行ってきました❣️
墨俣川が見え始めるとだんだんと畑の中に
入っていき、川がすぐそこにあるものの、
私が思っている、みんなが遊べるような公園が
あるのかと思っていたのですが、車一台がやっと
という感じで、地図が示したところが
この祠があり、その左には
☝️には
源平墨俣川の合戦
養和元年3月10日(1181年)長良川を挟んで
源平の大激戦が展開された。
世に言う源平墨俣川の合戦である。
同年2月4日平清盛死す。
東国源氏は勢いを得て、京は攻め上る。
これを迎え討つため、平重衡を総大将として
維盛・通盛・忠度・知度・盛綱・盛久などの
部将7千余騎杭瀬川を渡り、右岸の墨俣川
(上下宿)に陣す。
一方源氏の将 行家(神宮十郎蔵人)は
千余騎を率いて左岸の羽島側(小熊)に
着陣す。
源頼朝は応援のため弟の源義円をつけ、
西上させたが合流せず、二町を隔てて軍を
整えた。義円は行家に先陣されては兄頼朝に
合わす顔がないと考え、唯一人馬に乗り、
敵陣側の西岸にひそみ、夜明けとともに
「義円は今日の大将軍なり」と名乗って
先陣のさきがけをしようと、白む夜明けを
待っていたところ、見廻り夜警兵に
見とがめられ、「兵衛佐頼朝の弟で卿の公
義円という者だ」というが、早いか勇敢に
戦い、武運つたなく、力つき、平盛綱に
撃たれた。
車一台🚗通れる道の反対側には民家
そして祠の右横には
また、その横には👇
供養塔がありました。
お墓はまた別の場所で、
150mくらい離れた場所にあるのですけれど、
車を置いておくスペースもなく
目の前まで地図通りに車でいってみました。
こんな旗がありました。
この日は、墨俣の間に来るまで、
関ヶ原を通ってくるので、色々と寄り道を
していたら、夕方にこちらに到着になって
しまいました。
また、関ヶ原での体験は後日ブログをUPしたい
のです。