鎌倉殿の13人…第15話 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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第15話 「足固めの儀式」


義仲討伐のため、

すぐにでも出兵したい頼朝。

しかし、御家人たちが

これに反発する。

着々と進む、頼朝追放計画。


京都では義仲が後白河法皇を

"捕らえ奉る"  何ていって人質にしようとして

いるし、法皇側の軍奉行には

鼓判官平知康がなり、軍には慣れていないので

不思議な、いでたちだったそうです。

『赤地の錦の直垂に

鎧を付けずに甲だけをかぶった妙な格好』

だったようですが、

テレビでは

鎧はつけていましたが、甲をかぶっていなか 

ったので、それもまた面白いし、

鎧に袖が入ってしまって窮屈そうでした😅


☝️義仲と後白河法皇と戦った

「法住寺合戦」後、

3度目の後白河法皇は近衛基通宅で

幽閉されてしまいます。


伊豆では、

義時はまずお父さんの時政に

八重さんとの経緯を話したら


北条時政は、

「立派な北条の跡継ぎを産んでもらわねばな」

「めでたい」なんて終始ご機嫌だけれど、

牧の方は含みのある表情で、

台詞はないけれど顔で演技。

宮沢りえってやはり演技が上手ですね。

しっかり義母の様に接し、しかし

「跡継ぎ」問題は別みたいな感じ


待望の時政と牧の方の間にできる男児は

1189年の6年後に「政範」ができるまで

しばし辛い思いをするのでしょう。


さて、登場人物で新しい登場人物が

でてくるのか

オープニングの音楽もしっかりみています。


お〜っ「善児」登場❗️

何かどのように関わるのか楽しみでした。


「梶原景季」もでてきました。

梶原景時の息子です。

今後、義仲追討で関係してくるのかな?

「平家物語」では、

佐々木高綱と梶原景季の「宇治川の先陣争い」

などにも関係してきているので

登場するようです。


今回は、足固めの儀式には、

万寿(頼家)の足固めという文覚による

偽の儀式と

「関東を一つにまとめ固める儀式」

と2つの意味合いがあると思いました。


『吾妻鏡』では欠落している部分で

どのように上総介の誅殺についてはよく

わからないみたいです。

しかし、

歴史としてしっかり刻まれている事実なので

どのように描くかが、脚本家三谷幸喜さんの

腕の見せ所。

本当に楽しみでドキドキ💓して

見始めました。



三浦館で頼朝排除の計画。


あくまでも血生臭くならないように、

大事にならないようにしようと

しているけれど、


ここで上総介はこんな事を言っていました


「主人(あるじ)を殺すような奴には、

           人は着いて来ない」


「この坂東を源氏から取り戻す」

   ここが重要ともいっています。




✨わぁ、これはすごい✨


のちのち、三浦義澄の後ろで控えている

三浦義村が公暁に言い放つ言葉かな?と

「ドキ」っとしてしまいました。


鹿狩りをして、武装をし万寿を手中に収め、

頼朝に退いてもらう。という策を練っています。


※実は第3話でサラッと

義時と義村の「シシ」を「鹿」違い会話で

済ましてしまったのですが、

「三谷マジック」と思っていたのですが、

もしかしたら、ここで表現しているのかな?


「鹿ヶ谷の陰謀」の

      坂東版で「鹿狩り事件」?


結局は平家も源氏も同じ。

「繰り返し」をしていることと

言いたいのでしょうか?

ちょっと深読みすぎ?


ちょっと笑ってしまった土肥実平の

「腰が痛い」といって欠席してしまった

シーンがありましたが、後々ですが

あの公暁によるシーンで義時も腹が痛いとか

調子が良くないということで急病で欠席して

難を逃れていましたね。

もしや伏線?


今回は伏線がいっぱい

梶原景時と畠山重忠の会話

石橋山の合戦では平氏側にたった2人

「仲間から逃げろ」
「今度友を裏切ったら、私の先は無い」

「私は頼りにされている」
「使われると便りにされるのは違います」

「あのお方が、
  我らを信じていないことは
   梶原殿が1番わかっておられるはず」


重い💦これは後々、「頼朝の死」と

 関係してくるのではないかな?


 「主人を殺す奴には人は着いて来ない…」


その後の場面で安達盛長が

「文覚の件、土肥実平の言葉、

 梶原殿の居所が

 わからないのが気になります。

 全てが謀反の企てを示している」

 と進言して頼朝の下知を聞いて動こうと

 する安達と比企をよそに、

 義時は御家人を説き伏せて治れば

「無かった事にしてようと」

 する言葉を信じて突き進むけれど、

 義時以外は、みんなそんなのは無理だと

 わかっているのに…


 三浦義村に何度もそんな事は無駄だと

 言われているのに


 「頼りにされている」と思い、

 必死に自分の役目を果たし、奔走している

 義時でしたね。


畠山重忠の言葉


  「頼りにされていると、

       使われているのは違う」


思い知らされます💦



今回は、もう一言一句が伏線💦だと思って

います。


長くなってしまった💦


                 つづく