いまのしゅんかん -435ページ目

彩りの人生


もう、疲労困憊だった。
5時半の起床で、父親の通勤に便乗させてもらって駅まで車で行き、そこから高速バスで成田空港へ向かうも、中央道が信じられないほどの渋滞で立川過ぎた辺りから首都高までのろのろ運転となってしまったために3時間近くもかかり、成田から乗り換え地点のヘルシンキまで10時間、2時間の待ち時間にさらに1時間半のフライト、荷物受け取りに30分もかかり、空港から迎えに来てくれた彼の自宅まで電車と徒歩で帰った。

だけど、彼は、そんなわたしに代わって夕飯を用意してくれ、あまりの眠気に1人で勝手に寝てしまったあと、子供たちを別の部屋に寝かしつけてくれた。
お花まで用意してくれていて、よほど楽しみにしてくれていたんだなぁ、と思った。
荷物部屋だった部屋も使えるようになって子供たちがそこに寝られるようになり、今まで4人で寝ていたところを彼と2人だけで広々と寝られるようになったし。

***************

今回は、あまり買い物はしてこなかったのだが、結婚前の写真とわたしが描いた絵をもってきた。
わたしの「過去」を、彼はどう思うかなぁという好奇心があったので。

彼は、主にわたしの外見について興味があったようだが、わたしはあの一生懸命だった日々を痛々しく思い出していた。

わたしは、かつて、人に評価して欲しいと思っていた。
だから、
自転車のレースで1番になろうと努力し、
お茶の稽古にも精を出し、
研究室では、日夜実験に励み、英語での論文を書いた。

その結果、いつでもそれなりに人に評価されてはきたけれど、ちっともうれしくなかった。
それは、そのこと自体、本当に愉しんでなかったから。

人に評価されることだけを意識していると、感性は自ずと乏しくなる。
充実しないし、幅が広がらない。物事を深められない。

自転車での旅行は、いつも表面をなぞるような有名な観光地めぐりだったし、
お茶の稽古をすることによって、技術は学んだが、人を思いやることを学んだわけではなかったし、
英語の論文はまったくもってひどいシロモノ。

娘を出産してからしばらくして描いた絵。

娘がどの状態にあっても、とことん受け容れていきたい、、、
そう思いながら描いた。

でも実際、それがどんなに大変なことなのか、まったく予想もできずに、ただの「キレイゴト」だった。
「いいお母さん」と評価されたい、と思っていたのかもしれない。


帰りの飛行機の中で、隣に座ったフィンランド人の男性と話が盛り上がった。
いろいろ話したのだが、もっとも印象深かったやりとり。

男性「わたしもね、子連れでアメリカに暮らしたことがあるから思うのだけど、子供にとって2ヶ国語を覚えることはとてもいいことだと思うね。」
わたし「そうですね。そのかわり娘は日本語の能力が衰えてしまってますけど。ただ、わたしが思うのは、ことばももちろん大切ですが、それよりも日本とは異なる文化があるのだということを認識することが重要だと思うんですね。違いを認めて受け容れることといいますか。」

男性とは握手して名前を教えあって別れたが、かつてわたしは、こういうことを本当は求めていたのかもしれない、と思った。

人によく思われたいというのではなく、人と楽しい時間を過ごしたと、自分自身で得る実感。

彼は、あまりの外見の変化に驚いていた。
少しは痩せたおかげもあるかもしれないが、いまだに基本的には化粧もしていないし、服装も粗末なままであるにもかかわらず。
やっぱり、きもちの状態が外見に大きく影響する。

ちなみに、わたしは、その絵が好きである。
彼も気に入ってくれた。

何層も何層も色を変えて重ねていった絵。
世の中は彩りがあるから、味があって深いのだということを示唆してくれる。
その彩りを認識して初めて、人生豊かになるような気がする。
苦しさもまた、「愉しさ」に変えていきたい。

最終日


わたしが、N市に行っている間、娘はわたしの両親とディスニーランドに行った。
日本に来る前から約束していたことで、とても楽しみにしていた。
日本に来てからも毎日のように、「いつ行くの?」と聞いていたほどだ。
行く当日など、朝の5時半に起きたそうである。二度寝をしたそうだが。

実際にとても楽しかったようで、いろんなことを報告してくれた。

月曜日だったにもかかわらず、非常に混んでいたそうだ。

大学生が休みであるのも関係しているのかも、と思ったけれど、やっぱりキャラクター戦略というか、映画とかけあわせた戦略のおかげでは?と思った。

娘がディズニーランドに行きたがるようになったのも、保育園でディズニープリンセスが流行り、「シンデレラ」「白雪姫」「アラジン」などのビデオを観るようになってからである。
最近は、描画といえば、プリンセスばかり。
微妙に区別しているようである。
それもあり、フェステラウンでは、シンデレラの衣装を作ったのであるが。
やはり、生でそのキャラクターたちを目の当たりにしたい、と思うようになったのであろう。

****************

あっというまに、日本滞在の最終日になってしまった。
母校に行きたいとも思っていたが、静養と部屋の片付けだけで終わってしまった。
それではあんまりかな、と思って、娘と街に出て、本屋に行って雑誌を買い、ドトールでお茶した。

次に来れるのはいつになるのかわからないのに、娘には退屈させてばかりで申し訳なかった。
わたしが、離婚に伴う事務処理で忙殺されていることを認識したようで、今回はわたしの両親によく懐いた。
今までの一時帰国では、ほとんど元夫が住む街で、保育園に通ったり、夫と一緒に3人で出かけるなど、毎日楽しく過ごしていたが、今回はその地方都市で少しだけ友達や保育園で過ごせたのと、最後にディズニーランドに行った以外は、役所などにつきあわせるか、実家でのんびり過ごしたぐらい。DVD三昧だったかもしれない。
本当、今回は余裕がなかった。

日本をたってから、少しは落ち着いてくるだろうか。
彼は、わたしのための買い物をすませ、空港に迎えにきてくれる。夕飯も彼が用意してくれるとのこと。

彼に会えることの楽しみと、長く日本から離れるかもしれないさみしさと交じり合った複雑な感情の中に、今いる。

会社見学

1週間後に万博が開催される、A県の県庁所在地であるN市に行ってきた。
ちょうどそこの近くに出張があり、日本に来ていた同僚たちと、友人が働いている研究所に見学するためである。
節約のために夜行バスで移動したのだが、すぐに後悔した。疲労がたまっている体にバスはきつい。
というか、こんな状況になることをまったく予測せずに、なんでわざわざN市に行くことにしてしまったのか、あまりの自分の能天気さに後悔したのだった。

だけど、結果的には楽しかった。
自分が考えていた実験のヒントをそこから得ることができたし、自分が思っているほどその実験は甘くはない、さまざまな問題点を認識することができた。
それに、民間会社も見学させてもらったのだが、こういう現場をみると、いかに自分がいつも頭の中だけで考えていることを省みさせられる。
そういう自分を省みることを刺激させられるから、やっぱりたまには外の世界をみることも必要だなぁ、と思った。

半分冗談で、仕事の話も示唆された。
人材を必要としているのは事実のようだった。
だけど、実際に工場を見学して、その社長さんが要求している技術を提供するのは、そう簡単なことではない、いやものすごいハードなことだと思った。
わたしは、1年半後に学位を取得すれば、それなりのキャリアを形成したとみなされるだろう。
しかし、キャリアがあるからといって、すぐにそれが実地で使えるわけではない。
実際に問題とされていることを解決して、はじめて使えるキャリアになるのだ。

雇われる側とすれば、それなりにやりがいがあって、なおかつそれなりの報酬を得たいと思うのは自然であろう。
しかし、「やりがい」ってなんだろうと思う。確かにルーチンワークは退屈になってくるかもしれないが、本当にオリジナリティのあるような仕事というのは、苦しくてつらいことが多い。社長さんに問題を提起されて、やりがいはあるが、果たして自分がそれを解決できるのか、はっきりいって自信がなかった。情報をあつめ、知恵をふりしぼり、誰もが思いつかないアイデアを創作しなければならない。

そして、労働者の立場として年収400万円、500万円と簡単にいうけれど、それだけの利益を出すのは、実はとても大変なことである。
昨日、あるものを作る一連のプロセスをみたが、
「これ、一体300万円くらいよ。」
といわれて、顔面蒼白になった。
3ヶ月もほとんど手作業でやっとできた製品が、300万円でしか売れないとは。

友人が紹介して入社したそこの社員さんは、
「いやぁ、ここで、体をたくさん動かしながら働いて健康的な生活を送ってますよ。家に帰ればいい疲労感でぐっすり眠れますしね。」
と言っていたそうだが、わたしも著しく共鳴した。
わたしも、体を動かして、お金を稼いでいる実感を味わいながら働きたい。

だから、ホリエモンも、今人気のデイトレも好きじゃないのかもしれない。
実際にお金を生み出している現場からかけ離れて、マネーゲームだけに走っている感じが。

先週までは、離婚のディストレスで、あまり食べることへの欲求もなかったが、ここで食べた、「ひつまぶし」と「手羽先」は、本当においしいと思った。
やっぱり、日本食は最高と思った。

ここに来て、よかったと思った。

バツ一

やっと、雑務もひと段落した。
夫と娘の戸籍謄本も今日届いた。
わたしの名前には、しっかりバツがついていた。
離婚した人を「バツ一」というけれど、筆頭者の夫にはバツがつかない。
娘もわたしの戸籍に入籍すれば、「バツ一」となる。

今日は、古い友達の家に遊びに行き、夕方には弟一家が実家に遊びに来た。

友達は3人の子持ち。
一人っ子の我が家とは違って、にぎやかそのものであった。
5歳のお姉ちゃんはともかく、3歳のお兄ちゃんと1歳の弟くんがしょっちゅうやんちゃして目を離せない。

それに対して、弟は1歳半の女の子の子持ちである。
さすがに女の子だけあって、まだおとなしい。
弟は、今派遣の技術者として働いているのだが、毎日誰よりも早くにあがって、育児に励むそうである。そのおかげでその子は弟に非常に懐いていて、娘が弟に遊んでもらおうものなら、嫉妬で怒るのである。

夫婦の関係性って、人それぞれだなぁ、と思う。

これまた20年来の友達から、夜電話があった。

彼女と、「結婚」というものについて、語り合った。

わたしたちの親世代は、結婚というのは、ある意味人生の必然であって、生きていくための手段という意味合いも多分に含んでいたと思う。
わたしの母親などもよく言うのだが、昔ほど多くの家庭で夫の暴力が横行していたのだという。にもかかわらず、妻は生活のためにそれに耐えるしかなかった、と。

元夫のお母さんなどは、恋愛をしたことがなかったそうだ。
人を好きになるという感情を知らないまま、生活の糧として親の勧められるままにお父さんとの結婚に応じた、と。
だからこそ、自分の役割というものを認識し、毎日遅いお父さんを咎めることは一切せず、家事を精力的にこなしつづけた。お父さんとの夫婦関係は非常にうまくいっていた。というより、うまく「機能」していた。

それに対して、今は人生をより豊かにするために、「結婚」しようとするのだと思う。
今は女性だって、経済的に自立できる時代だし、生活のために結婚する必要もない。結婚相手に対して、より高い付加価値を求めるのだと思う。

元夫と結婚するとき、
「俺が幸せにするから。」
と言われた。

あのときは、そのことばに酔っていたが、今でこそ笑いとばせる。

誰も、わたしを幸せにすることなど、できない。
わたしが、自分で決めることだ。

元夫にとって、「幸せにする。」ということが、経済的に安定した生活を保障するという意味であるのなら、夫は充分その約束を果たしたといえよう。
でも、わたしは違っていた。

弟は、別の職種に転職するために、あと数週間で今の会社を辞める。
どれくらいの間、無職になるかはわからない。
でも、お嫁さんに、不満のカケラもみられない。
実に幸せそうな二人なのである。
弟一家と散歩したが、ささやかだけれど愉しかった。

今の彼は、一回も「幸せにする」と言ったことがない。
そのかわり、
「何かあったら、僕が助けてあげる。」
「問題が起きたら、二人でどうしたらいいか考えよう。」
と頻繁に言ってくれる。
わたしは、こういう関係性が好きである。

自分の思い込み、価値観を、相手に押し付けない。
二人で共に苦しいことも楽しいこともシェアしあっていく、関係。

わたしは、後悔していない。

離婚(11)

必要ではないが、可能なら入手したいものについて処理することにした。

というのは、今年の夏に、彼のお父さんが60歳になるのを記念して、国外に住む彼の弟一家も交えてファミリー総出で旅行に行くつもりなのだが、途中までは電車で行けるものの、目的地までアプローチするには車が必要な場所なのである。
彼は車をもっていないので、レンタカーで車を借りる予定なのだが、あいにく彼は免許をとってから一度も車を運転したことがないらしく、彼が運転するのはあまりにも危険でわたしが運転しようと。
それで、国外免許証を入手したいと思ったのだ。
お父さんは今からこの旅行を楽しみにしていて、すでにホテルを予約するなどのはりきりようであり、わたしもできることなら運転できる状況にしたいと思っていた。

本当は居住地で発給するのが妥当であり、免許証を発行した夫の居住地で申請するのがもっともラクな方法であるのだが、車なしではなかなか行けない不便なところに免許センターがあり、滞在していた期間中、優先順位の高い事項だけで忙殺されていたのでそこでの申請を断念したのだ。
しかしインターネットで調べたところ、海外に転出した場合、一時滞在場所を証明するものがあれば、その管轄内で住所変更できるとのこと。
いずれにしても、名前はともかく、住所変更だけはしたかったので、トライしてみることにした。
幸い、日本に来る前にプロバイダで住所変更しており、その会社からわたし宛の葉書がきており、それが一時滞在の証明に使えそうだった。

そして最寄の警察署に行ったところ、
「ここでは国際免許証の発給はしていません。T市の警察署か、試験場に行ってください。」
と。
とりあえず、住所変更をお願いすると、それはやってくれてほっとした。
本当は、交通法により、名前も変更しなければならないようである。2万円以下の罰金も科せられるのだとか。しかし、戸籍ができない今はどうすることもできない。

仕事が休みで、娘の世話をしてくれる母に電話したところ、T市の警察署に行ってもいいと言ってくれたので、そのまま国際免許証を入手しに行くことにした。
忙しくて消耗しきっているわたしにかわって、娘の面倒をよくみてくれる両親に感謝である。
わたしはずっと調べものをしたり、記録をしたりしてなかなか娘をかまうことができず、娘もすっかりわたしをあてにせずに両親にばかり懐くようになってしまった。
以前はいやがった「じいじとのお風呂」も今は楽しくてしょうがないようである。

T市の警察署で、なんとか国際免許証を入手することができた。
あきらめていたので、うれしかった。
大変だったが。。。

実家に戻ってからメールをチェックすると、久しぶりに彼からのメールが!
実は、離婚した直後に、友達宅から彼にメールを出したのだが、なしのつぶてだったのだ。
どうやら、調子の悪かったパソコンがいよいよ壊れてしまい、なかなかメールを開くことができなかったそうである。

先週末に元奥さんの荷物で倉庫に化していた子供部屋をきれいにして完全使える状態にしたこと。
最近タイ料理にトライするようになったこと。
ずっと車の送迎だったのが、自転車での通勤に切り替えたこと。
来週の月曜日、ある会社の就職面接があるのだが、その仕事にとても興味をもっていること。

ささやかであるが、生活感あふれる彼の報告がほほえましかった。

そして。
わたしに会いたい。
わたしたちと週末過ごすことを楽しみにしている。
と。

来週の月曜日、わたしは友人の研究所を見学しに、N市に行く予定である。
近くにI市という、神社で有名な街がある。
そこに、願掛けに行こうと思う。

離婚(10)

入籍届の用紙を入手しに市役所へ。
質問もたくさんあったので、専門の人に相談させてもらうことにした。
というのは、昨日の夜、家庭裁判所に出す申し立て書を埋めようとしたところ、あることについて疑問がわいたのである。

海外居住ということで、東京家庭裁判所で申し立てをしてくださいと言われたものの、実際この市に住む両親に入籍届けを出してもらうつもりで、海外に送ってこられてもかえって困るので、申し立て書の中にある住所欄に海外の居住地を書くのが本当に妥当なのかどうか、判断しかねたのである。かといって、両親の住所を書くと、東京裁判所で申し立てする必要もないのではないか、と思ったのだ。

「とはいえ、ここでは申し立てについては一切わかりかねますので、やはり家庭裁判所に直接問い合わせしていただけますか。入籍に関しましては、あなた様の署名がございましたら、ご両親がこちらにお越しいただいて提出されるのにまったく問題ありませんから。」
とのこと。
入籍に関しては、家庭裁判所の許可さえ得られればスムーズにいきそうなのでほっとしたが、、。
ふー。また家庭裁判所に問い合わせしなくては。

それと、もうひとつ懸案事項なのが、養育費を入れてもらう口座のこと。
通帳を渡して欲しいといわれ、だとしたらほとんど預金のない口座が好ましいと思ったものの、実際その銀行はとっくに合併していて別の銀行名になっている上に、口座のある支店はすでにつぶれていた。
一応ATMで口座番号を確認してみたものの、なぜか通帳に記帳された金額とATMで示された残金がまったく違っており、なんとなく不安を覚えた。
本当にこの口座番号で正しいのだろうか、、、、。いずれにしても、一度銀行に出向いて、通帳を新しく作り直す必要がありそうである。しかし、その銀行は非常に遠いところにある。
やはり、その口座は断念することにした。

元夫に電話して、通帳は送らずに、銀行から振り込んでもらうことにした。いくら手数料がかかるとはいえ、やはり通帳を渡すのには抵抗がある。
元夫は、それで了承してくれた。

で、比較的大きい預金が入っている、わたしの結婚前に開設した口座に振り込んでもらうことにした。
本当は、ペイオフの解禁があるので、その口座は使いたくなかった。

しかし、他の口座は、いずれも結婚後に開設した口座で、
住所変更はしているが、地方にしかない銀行の口座
都市銀行で、経営も比較的安定した銀行であるが、住所変更していない口座
都市銀行で、クレジットカードも作っていて、カードの住所変更はしたが、本体は住所変更をしていない口座

で、いずれもあんまり条件的によろしくない。
住所変更は次回にやろうと思っているのだが。
(といって日記を書いている今、調べてみたら、インターネットで申込用紙をダウンロードして、郵送での住所変更が可能だとのこと。もっとも、実家にはプリンターがないので、できるとしたら日本を発ってからだが。)

それにしても、、、。
なんでこんなに複数の口座を作ってしまったのだろうか。
それもこれも、勤務先の都合と、結婚が原因である。
本当は管理が大変になるので、避けたかった事態なのですがね。
しかも、最近の日本は、合併が盛んなので、東京から離れて久しいわたしなど、都市銀行にお世話になることもなかったので、UFJとかみずほ銀行が元々どこの銀行だったか知らないほどである。

自宅に帰り、家庭裁判所に問い合わせ。
すると、居住地と実家の両方を併記してくださいとの明快な答えが。
その理由としては、送達先は日本国内ではあるが、万が一家庭裁判所の方から法定代理人に問い合わせしたいときに、必ず連絡がとれるところを把握したいとのことである。
したがって、申し立て書のほかに、海外の携帯番号や勤務先の電話番号を書いた書類を添付することにした。

ふー。
やっと、最低限やるべきことは終わった。
実際に郵送してもらうのは両親であるが、あとは戸籍謄本を入れるだけで、他は何もしなくてもいい状態まで用意したのだから、なんとかやってくれるだろう。
入籍も、意外と複雑ではないようだし。

それにしても疲れた。。。。

離婚(9)

そういえば、昨日は高校の入試があったのだった。
飛行機の中でもらった新聞を読んでいたら、入試問題をみつけたので、解いてみた。

面白いな、と思ったのは、問題が見事に時代を反映したものであるということ。

例えば、英語の試験の中には、日本ではまだ家事が夫婦間で平等にシェアされていないことに対するエッセイが載っていたり、国語では、グローバルといっても国際交流の中でなかなか自己主張できない日本人としての特性が出てしまう問題に関するエッセイがあったり、社会では時差に関する問題が出ていたり、理科では地震の問題が出ていた。

結構、問題を解くのは楽しかった。
だけど、こういうのも技術を身に付けて臨むんだろうなぁ、と思うと少し複雑。
試験が終われば見事忘れる、みたいな。

そういえば、英語はヒアリングもあった。
やっぱり、もっと使える英語教育の取り組みがされているのだろうか。
わたしが学生のときは、授業でもヒアリングはほとんどなかったと思う。
でも、今でも日本では、騒がれるほど英語を使う機会がないと思うが。
わたしの同僚が、東京で滞在していたときに、駅や銀行など公共の場でも英語を話せる人がまったくいなかったことに驚いたそうである。
こないだの二次会でも、外国人である同僚に話しかけた人はほとんどいなかったし、一緒に話しても彼の英語が聞き取れないようであった。
機会がないし、機会があっても、話そうとしない。
やっぱり、ことばは習慣性のものだから、よほどの努力をしないかぎりは使えないと思う。

***********

実家に戻ってから、即座に雑務開始。
わたしの新本籍地と、娘の本籍地への戸籍謄本郵送申請の準備である。

娘の本籍地の市役所に問い合わせたところ、わたしが娘の戸籍謄本を入手するには、免許証などのわたしの身分を証明するものが必要であると。
う~。この辺にコピー機ないのに。。。

結局、郵便局で、定額小為替を購入するときに、頼み込んでコピーしてもらい、必要事項を書いた書類を入れて、二箇所に郵送した。

あとは、家庭裁判所への申し立ての準備と、入籍の準備をしなければならなかったが、それだけでもう力尽きた。
もう役所に行く気もおきなかった。

別離

いよいよ、この街を去る。

5年前の4月、東京で友達の結婚式に出たあと、関西にある元夫の実家に移動し、そこから車で、夫と娘と3人でこの街にやってきた。
娘はまだ3ヶ月で、オムツと、ミルクの粉と、哺乳瓶と、お湯の入った魔法瓶を積んでいた。
元夫が、いきなりこの街に就職することを決め、知人も友人もいなく、産業に乏しくて仕事もみつけられそうもない新天地に、根を張った生活を営んでいくことができるのか、不安いっぱいの門出だった。
目的地に近づくにつれ、どんどん人気がなくなって、やけにさみしい風景になっていたか、今でもよく覚えている。

失業保険の受給の手続きにいったら、娘をみてくれる人がいないかぎり、社会復帰ができる環境にないとみなされるため受給の資格がないと言われ、このタイミングで転職を決めた夫をうらんだ。
街で一番大きなお店は、サティだと知って、絶望した。
テレビが5チャンネルしかないことを知って、失望した。
子育て支援センターに行くも、なかなか話せる人ができなくてさびしかった。

最初は嫌いだった、この街。

だけど、一枚のチラシからある保育園にとびこみ、そして思わぬところから仕事の依頼があり、そうしていくうちに仲間や友人ができてきて、徐々に根を張ることができるようになったのである。

同時に、何が大切なことなのか、考え方も変わっていったのである。
この街に住んだ3年間がなければ、彼と共鳴しあうこともなかったかもしれない。

今は、しっかりした5歳の娘と2人で、飛行機でこの街を去る。
たった3年間とはいえ、娘は、やはりこの地で成長したのだ。

いつになるかはわからない。
でも、きっと、いつか、また、この街に来るから。

大切な場所

娘の通っていた保育園は、かなり特殊であると思う。
こうして、この街を出てからかれこれ2年もなるというのに、快く一時保育を受け入れてくれるのもこの保育園ならではのことであろう。
そのことを今の保育園の保育士さんに話したところ、大変驚かれた。当然その保育園では、退園したら二度と受け入れてくれないそうである。

また、単にフレンドリーなだけでなく、保育というものを本質的に追究していくようなところだった。
わたしも、ここで育児について、いや人間というものについて、たくさん学ばさせてもらった。

娘を愛していきたい。
どんなことがあろうとも、わたしだけは娘の味方でありつづけたい。

娘を得て、すぐにそう決意したものの、現実はかけ離れたものだった。
体重の増えばかりを気にして、なかなか哺乳瓶でミルクを飲んでくれないことだけを悩んで、誤魔化すかのように、寝起きのところを横になった状態のまま哺乳瓶で授乳したりしていた。
愛情をもって接しているとは、到底いえない育児だった。

しつけのことばかりに気をとられて、自分の思い通りにいかないとすぐにキレた。
娘のきもちを理解しようなんて、余裕がなかった。
娘の潜在的にもつ力を信じずに、力で抑えつけてばかりいた。

自分が間違っていることを、気づかせてくれた。

ろくにおもちゃもない、だけども自然には恵まれたこの保育園で、土や水に触れながら力をつけ、自信をつけていった娘。
遠慮のない子供同士の交流で、社会性を身に付けていった娘。
いろんな経験をして、感性を磨いていった娘。

娘の原点はこの保育園にあると今も思っている。

一時帰国のたびにお世話になっており、今まではかなり頻繁にお世話になっていたが、次回はいつ来れるかわからない。

いつもに比べて、別れがつらかった。

離婚(8)

今日も娘を保育園にお願いして、ホテルから雑務をこなした。

まず本籍のある地域の家庭裁判所に電話して、子供の姓変更の許可申し立てを郵送でできるかどうか問い合わせたところ、
「海外に居住されている場合には、霞ヶ関にある東京家庭裁判所で申し立てをしていただくことになりますね。」
なぬー!またたらいまわしか!
それで電話番号を教えてもらって、東京家庭裁判所に電話したところ、どうやら郵送での申し立てはできるそうでほっとした。

次に本籍地の市役所に戸籍の問い合わせをしたところ、
「戸籍作成に、10日~2週間かかる。」

!!!!

このITだなんだといっているご時勢で、いまだハードでのやり取りをやっているとのこと。
離婚届を出した地域の市役所で書類を作成し、本籍地にそれを郵便で送付、そしてその市役所で新しい書類を作成するのだそうで、どうしても郵送や書類の作成などの物理的な作業に時間がかかってしまうのだそうだ。

ああ~~。
これでは、もう日本を発つまでに申し立てすらもできないことは確実。
両親に頼むしか手立てはないようである。
しかし、申し立て→入籍と段階をふまなければならず、しかも必要な書類は微妙に異なるので、詳しく説明しなければならない。とりあえず、できる限りのことはするつもりではあるが。

「まだ戸籍ができなくても、あらかじめ申請することは可能なので、郵送申請されたらどうですか。」
と言われたので、そうすることにした。戸籍謄本が両親宅に郵送されるだけでも、だいぶラクにはなるはずである。
しかし、手数料は、定額小為替で払わなければならない。
このIT社会で、役所がらみは大抵現金書留か、小為替での支払いがほとんどなのである。
ちなみに、家庭裁判所への申し立ては、収入印紙で支払うことになっている。
しかも、申し立てだけでなく、入籍にも娘の戸籍謄本が必要とのこと。
元夫は、1通だけこっちに送ると言っていたので、娘の本籍地にも郵送申請しないと。

東京に帰ったら、膨大なやるべきことが、、。
わたしの本籍地への郵送申請と、娘の本籍地への郵送申請と、申し立ての準備と、入籍の準備と、養育費を入れてもらう口座のアレンジと、、、。
しかも、来週の月曜日には、また別の地方に行って、同僚らと落ち合って友人の研究所を見学する予定になっている。
ああ~、あの提案をするべきではなかったか?
というか、わたしの置かれている状況を重くみてなかった自分を今更ながら反省している。

確かに、夫のいうように、荷物ひとつにしても、安易にお願いしてリストアップするなど深く考えてなかったし、娘の戸籍なども軽く考えていた。
離婚に伴う、物理的な困難を甘くみていた、、、。

一時帰国に便乗して、先生の最終講義や友人の研究所見学など、浮かれていた自分が恥ずかしい。
それどころか、分析もお願いしようと試料まで作った自分って、、、。
プレゼンの準備もしようと思ったが、とんでもない。

それにしても。
やっぱり、日本のシステムはおかしいと思う。
なんで、2週間もの、空白期間があるのだろうか。
その間、わたしは、わたしという人間を証明する手立ては何もないのである。