離婚(7)
娘をお世話してくれた友達のところに泊まらせてもらった。
わたしが不在の間、娘は友達の娘さんと一緒に仲良く遊んでいたそうだ。科学者のショーにも連れて行ってくれたようで、とても充実した時間を過ごしたようだ。
わたしが戻っても、娘は友達と遊ぶことに夢中。お風呂も2人で入ったのだった。
夕飯も手巻き寿司で、とてもおいしくいただいた。
娘を、この街に住んでいたときにお世話になっていた保育園に預け、まず銀行へ。
わたしと娘名義の口座の住所変更をするためである。
これは簡単で、何の証明もなしに変更届を提出するだけでやってくれた。
その銀行でばったり会った知人に、市役所まで送ってもらった。
去年の夏に3人目のお子さんが生まれたばかりで、今は育児休暇中だという。
ご主人は、海外研修に行く可能性もあるそうだし、本当すごいなぁと思う。
ちなみに、泊まらせてもらった友達も、付き添ってもらった友達も、4人の子持ちである。
この街は、共働きの家庭が多い上に、子だくさんのカップルが多いように思うけれど、この街は生活感というものをどっしりともっているような気がする。
政治に関心が高い人もやけに多い。
市役所では、海外転出の届けを出した。
年金のことも聞いてみたが、任意保険に入らない限りは今のところ何の手続きをする必要もないという。
市役所から家庭裁判所までは歩いて移動した。
いつも車で移動していたが、そこは街の中心地で、いろんな思い出がフラッシュバックしてくる。
生後3ヶ月の娘を連れて、市役所に、年金の手続きと医療費免除の申請をしに行ったこと。
娘の病児保育で、ある施設にお世話になったこと。
県民会館で、通っていたアトリエのグループ展をやったこと。
仲のいい仲間と、飲み歩いたこと。
よく前を通っていたが、入るのは初めての家庭裁判所。
、、、が、
「今この市で居住されていないのでしたら、ここで申し立てすることはできないですよ。住民登録地とか本籍に関係なく、実際に住まわれている地域の家庭裁判所に行ってください。」
と。
なぬー。また東京の家庭裁判所の所在地を調べなくてはいけないのか!しかし、この街に来る必要がなくて、ほっとした。どうやら、郵送による申し立ても可能だそうだ。
そして即元夫に電話。頼んである戸籍謄本を、実家に送ってもらうように頼んだ。
それから買い物をして、友達宅におじゃましてインターネットを使わせてもらい、家庭裁判所について調べた。
ついでに、戸籍謄本の取り寄せについても調べた。
それにしても、なんでこんなにプロセスが煩雑なのだろうか。
わたしが住んでいる国の場合は、何にしても手続きは非常にラクなのに!
それは、個人個人が番号をもち、それはどんな状況になろうとも不変だからである。したがって、個人を識別するのは番号だけでOKで非常に容易なことなのである。
それに対して日本は、家制度の中の個人という認識である。その「家」というのは不変ではない。婚姻、離婚などで変わりうるものである。だから、ある「枠組み」に所属する個人を証明するために、その変わりうる「枠組み」を毎回毎回掲示する必要がある。
戸籍が存在しているのは、世界の中でも数カ国しかないそうであるが、非常に現実から乖離したシステムであると思う。
日本社会はどんどん個人主義になってきているのに、必ず「枠組み」に所属しなければならないという矛盾。
友達が、「ペーパー離婚」を選んだのも、夫が筆頭者となる「枠組み」に所属した一員とみなされるのに嫌気がさしたからだという。
「わたしはわたし」というアイデンティティを獲得するために、あえてその「枠組み」からはずれ、自分自身で「枠組み」を立ち上げようとしたのである。
その上日本は、姓で呼び合うことが一般的である。
結婚や離婚によって姓が変わることによって、個人の認識が危うくなるのもありがちな話だ。
結婚当初は、ありがちな姓に変わったので、職場に同じ姓の人もいたりして、現場を混乱させてしまった覚えがある。
同窓生などは、いまだに旧姓で呼ぶ人も多いが。
娘を保育園まで迎えに行った。
娘はちやほやされたらしく、子供たちの間で、食事の席や昼寝で娘の隣を獲得しようと争奪戦が繰り広げられたそうな。転校生のようである。
娘もこの保育園が大好きで、
「今日ね、玄関を掃除したんだよ。Mね、給食全部食べたよ!」
と生き生きと保育園でのことを語ってくれた。
そのあと、友達に温泉に連れていってもらった。
夫と3人でよく行った温泉。
やっぱりきもちいい。
温泉からホテルに行き、食事をしてから、昨日あった友達らが遊びに来てくれた。
娘がいたからあまり濃い話はできなかったけど、やっぱり一緒にいると充実する。
この街にいると、せつなさでいっぱいになる。
わたしが不在の間、娘は友達の娘さんと一緒に仲良く遊んでいたそうだ。科学者のショーにも連れて行ってくれたようで、とても充実した時間を過ごしたようだ。
わたしが戻っても、娘は友達と遊ぶことに夢中。お風呂も2人で入ったのだった。
夕飯も手巻き寿司で、とてもおいしくいただいた。
娘を、この街に住んでいたときにお世話になっていた保育園に預け、まず銀行へ。
わたしと娘名義の口座の住所変更をするためである。
これは簡単で、何の証明もなしに変更届を提出するだけでやってくれた。
その銀行でばったり会った知人に、市役所まで送ってもらった。
去年の夏に3人目のお子さんが生まれたばかりで、今は育児休暇中だという。
ご主人は、海外研修に行く可能性もあるそうだし、本当すごいなぁと思う。
ちなみに、泊まらせてもらった友達も、付き添ってもらった友達も、4人の子持ちである。
この街は、共働きの家庭が多い上に、子だくさんのカップルが多いように思うけれど、この街は生活感というものをどっしりともっているような気がする。
政治に関心が高い人もやけに多い。
市役所では、海外転出の届けを出した。
年金のことも聞いてみたが、任意保険に入らない限りは今のところ何の手続きをする必要もないという。
市役所から家庭裁判所までは歩いて移動した。
いつも車で移動していたが、そこは街の中心地で、いろんな思い出がフラッシュバックしてくる。
生後3ヶ月の娘を連れて、市役所に、年金の手続きと医療費免除の申請をしに行ったこと。
娘の病児保育で、ある施設にお世話になったこと。
県民会館で、通っていたアトリエのグループ展をやったこと。
仲のいい仲間と、飲み歩いたこと。
よく前を通っていたが、入るのは初めての家庭裁判所。
、、、が、
「今この市で居住されていないのでしたら、ここで申し立てすることはできないですよ。住民登録地とか本籍に関係なく、実際に住まわれている地域の家庭裁判所に行ってください。」
と。
なぬー。また東京の家庭裁判所の所在地を調べなくてはいけないのか!しかし、この街に来る必要がなくて、ほっとした。どうやら、郵送による申し立ても可能だそうだ。
そして即元夫に電話。頼んである戸籍謄本を、実家に送ってもらうように頼んだ。
それから買い物をして、友達宅におじゃましてインターネットを使わせてもらい、家庭裁判所について調べた。
ついでに、戸籍謄本の取り寄せについても調べた。
それにしても、なんでこんなにプロセスが煩雑なのだろうか。
わたしが住んでいる国の場合は、何にしても手続きは非常にラクなのに!
それは、個人個人が番号をもち、それはどんな状況になろうとも不変だからである。したがって、個人を識別するのは番号だけでOKで非常に容易なことなのである。
それに対して日本は、家制度の中の個人という認識である。その「家」というのは不変ではない。婚姻、離婚などで変わりうるものである。だから、ある「枠組み」に所属する個人を証明するために、その変わりうる「枠組み」を毎回毎回掲示する必要がある。
戸籍が存在しているのは、世界の中でも数カ国しかないそうであるが、非常に現実から乖離したシステムであると思う。
日本社会はどんどん個人主義になってきているのに、必ず「枠組み」に所属しなければならないという矛盾。
友達が、「ペーパー離婚」を選んだのも、夫が筆頭者となる「枠組み」に所属した一員とみなされるのに嫌気がさしたからだという。
「わたしはわたし」というアイデンティティを獲得するために、あえてその「枠組み」からはずれ、自分自身で「枠組み」を立ち上げようとしたのである。
その上日本は、姓で呼び合うことが一般的である。
結婚や離婚によって姓が変わることによって、個人の認識が危うくなるのもありがちな話だ。
結婚当初は、ありがちな姓に変わったので、職場に同じ姓の人もいたりして、現場を混乱させてしまった覚えがある。
同窓生などは、いまだに旧姓で呼ぶ人も多いが。
娘を保育園まで迎えに行った。
娘はちやほやされたらしく、子供たちの間で、食事の席や昼寝で娘の隣を獲得しようと争奪戦が繰り広げられたそうな。転校生のようである。
娘もこの保育園が大好きで、
「今日ね、玄関を掃除したんだよ。Mね、給食全部食べたよ!」
と生き生きと保育園でのことを語ってくれた。
そのあと、友達に温泉に連れていってもらった。
夫と3人でよく行った温泉。
やっぱりきもちいい。
温泉からホテルに行き、食事をしてから、昨日あった友達らが遊びに来てくれた。
娘がいたからあまり濃い話はできなかったけど、やっぱり一緒にいると充実する。
この街にいると、せつなさでいっぱいになる。
離婚(6)
夫に駅で降ろしてもらって、夫との話し合いでそばにいてくれた友達に車で迎えに来てもらった。
友達の顔を見たら、とたんに涙が出てきた。
彼女は、わたしの、親友のひとりだ。
彼女に、「再評価」を教えてもらって、以来わたしたちは素のままで互いを受け入れあっている。
本当は、夫婦間でこうした関係性を築きたかった。
きっと、誰もがそう願うであろう。
しかし、日本ではそれが難しいようである。
わたしたちだけでなく、関係性について大なり小なり問題を抱えているのではないだろうか。
だからこそ、夫以外の誰かと、信頼関係をもちたかった。
目の前で思い切り泣ける人を欲していた。
もうひとり、大好きな友人も合流した。
3人そろったところで、
「Iちゃん、離婚おめでとう!!」
と2人に歓迎を受けたわたし。
実は、この2人、離婚の先輩なのである。
一人は、夫からのDVから逃れるために子供の親権を断念してまでも離婚を決行し、
もう一人は、自分のアイデンティティを獲得するために、生活形態は一切変えず、形だけの「ペーパー離婚」をした。
それから、3人で思い切りいろんなことを語り合った。
夫婦のありかた、日本での家族のありかた、政治、教育など。
2人とも福祉関係に携わっているので、今の日本の政治には不満がたくさんあるようだ。
少子高齢といって、生活保護世帯を除いたすべての世帯が課税対象になるなど、貧しい人にとって納税が重い負担となる一方で、法人税は減税となっている。
ある自動車メーカーでは、9000万円もの減税があったそうである。
福祉関係はお金にならない。だから、政治的に真っ先にあおりを受けてしまう。
資本主義に走る結果、福祉関係は乏しくなる一方である。
また、憲法改正について話題が及んだ。
9条の改正だけでなく、男女平等の思想を変え、家族を尊重して男女それぞれの役割に徹するという条文を盛り込む案があるのだそうである。
「ジェンダー」ということばも、国会ではタブーなのだとか。
思わず笑ってしまった。
家族を尊重していないのは、どこの誰なのだろうか。
経済を発展させるために、「家族の尊重」を利用するだけではないのか?
元夫の両親は、まさに、資本主義の発展のために日夜働く元夫を支えるための存在を探しているのである。
夫が、一人であるためにすさんだ生活をしているのを懸念して。
夫婦同姓に固執したり、「戸籍」の制度にこだわったり、家族の形にはやけにこだわるのに、実態は問題だらけ。
指導教官の最終講義の二次会で、あの国の同僚も来てくれたのだが、先輩が、
「でも、日本の方が離婚率は低いですよね。」
と言ったところ、同僚は、
「実際、関係が壊れているケースが多いみたいだけどね。」
と辛口のコメントを残したのだった。
そういえば、ニュースで、サマーワの治安維持部隊が、オランダからイギリス軍に変わったというトピックで、日本人の取材陣がアムステルダムの街頭インタビューをしており、
日本「サマーワでオランダ軍が日本の自衛隊を守っていたことはご存知でしたか?」
オランダ人「知らなかったわ。守っていたというのはいいことだと思うけど、、、どうして日本人は自分たちで自分たちをプロテクトしないの?」
日本「憲法で、禁じられているからです。」
オランダ人「そうなの。でも、それだったら、なぜイラクに来たの?」
矛盾だらけ、である。
友達の顔を見たら、とたんに涙が出てきた。
彼女は、わたしの、親友のひとりだ。
彼女に、「再評価」を教えてもらって、以来わたしたちは素のままで互いを受け入れあっている。
本当は、夫婦間でこうした関係性を築きたかった。
きっと、誰もがそう願うであろう。
しかし、日本ではそれが難しいようである。
わたしたちだけでなく、関係性について大なり小なり問題を抱えているのではないだろうか。
だからこそ、夫以外の誰かと、信頼関係をもちたかった。
目の前で思い切り泣ける人を欲していた。
もうひとり、大好きな友人も合流した。
3人そろったところで、
「Iちゃん、離婚おめでとう!!」
と2人に歓迎を受けたわたし。
実は、この2人、離婚の先輩なのである。
一人は、夫からのDVから逃れるために子供の親権を断念してまでも離婚を決行し、
もう一人は、自分のアイデンティティを獲得するために、生活形態は一切変えず、形だけの「ペーパー離婚」をした。
それから、3人で思い切りいろんなことを語り合った。
夫婦のありかた、日本での家族のありかた、政治、教育など。
2人とも福祉関係に携わっているので、今の日本の政治には不満がたくさんあるようだ。
少子高齢といって、生活保護世帯を除いたすべての世帯が課税対象になるなど、貧しい人にとって納税が重い負担となる一方で、法人税は減税となっている。
ある自動車メーカーでは、9000万円もの減税があったそうである。
福祉関係はお金にならない。だから、政治的に真っ先にあおりを受けてしまう。
資本主義に走る結果、福祉関係は乏しくなる一方である。
また、憲法改正について話題が及んだ。
9条の改正だけでなく、男女平等の思想を変え、家族を尊重して男女それぞれの役割に徹するという条文を盛り込む案があるのだそうである。
「ジェンダー」ということばも、国会ではタブーなのだとか。
思わず笑ってしまった。
家族を尊重していないのは、どこの誰なのだろうか。
経済を発展させるために、「家族の尊重」を利用するだけではないのか?
元夫の両親は、まさに、資本主義の発展のために日夜働く元夫を支えるための存在を探しているのである。
夫が、一人であるためにすさんだ生活をしているのを懸念して。
夫婦同姓に固執したり、「戸籍」の制度にこだわったり、家族の形にはやけにこだわるのに、実態は問題だらけ。
指導教官の最終講義の二次会で、あの国の同僚も来てくれたのだが、先輩が、
「でも、日本の方が離婚率は低いですよね。」
と言ったところ、同僚は、
「実際、関係が壊れているケースが多いみたいだけどね。」
と辛口のコメントを残したのだった。
そういえば、ニュースで、サマーワの治安維持部隊が、オランダからイギリス軍に変わったというトピックで、日本人の取材陣がアムステルダムの街頭インタビューをしており、
日本「サマーワでオランダ軍が日本の自衛隊を守っていたことはご存知でしたか?」
オランダ人「知らなかったわ。守っていたというのはいいことだと思うけど、、、どうして日本人は自分たちで自分たちをプロテクトしないの?」
日本「憲法で、禁じられているからです。」
オランダ人「そうなの。でも、それだったら、なぜイラクに来たの?」
矛盾だらけ、である。
離婚(5)
友達と別れ、夫と役所へ。
しかし、今日は日曜日。
離婚届を受理はされるが、戸籍を扱う市民課ではない当直の人が受け付けるので、実質何も処理されない。説明もなしである。
したがって、また明日に市役所に出向かなければならない。
しかし、とりあえず、「離婚」した。
不思議なことに、何の感慨もなかった。
ずっと離婚すると言っていて、離婚届を出すことはその延長にあるような、そして、その先もきっといろんなことがあって、あくまでもわたしの人生の中の「通過点」であると、そんな感じだった。
人生の中でいろんなことはあるけれど、その一瞬一瞬それぞれ一生懸命で、「離婚」の瞬間だけが特別なわけではない。
帰りの車の中で、少し話をした。
実は、夫の両親はわたしのことが好きではなかったらしく、むしろ離婚を好ましく受けとめたとのこと。
わたしの、「気がきかない」ところが、その主な原因だったそうである。
夫の実家で家事をしたり、何かを手伝うことを積極的にはしなかったからであろう。
でもわたしは、きっとそれだけが理由ではないと思う。
わたしは、義両親を嫌いではなかったが、ことごとく価値観の違いというものを感じていた。
例えば、育児にしても、学齢期以降の教育を重視していて、それ以前はせいぜい栄養をつけるとか、排泄のしつけをするぐらいなもの、ととらえているようであったが、わたしは、むしろ学齢期前に生きることのモチベーションを育てることが重要であるという信念をもっていた。
だから、義母が、夫が小さいときに、無理やり嫌いなナスを十分に租借しないままにお茶で流しこんだり、始末がいやだといって、生後6ヶ月から大の方はトイレでさせたという話を聞いて、ひそかに心を痛めたものである。
夫は、いまだにナスが嫌いである。
また、旅行観も違う。
義母は、とにかく、
「生春巻が食べたい。」
「チューリップが見たい。」
という理由で、大金を積んで、ツアーに参加するタイプ。
帰ってきては、たくさんのブランド品を買い込んで、
「ベトナムはな、もっと働けや、と思うたわ。」
「とにかく一面チューリップやったわ。」
という簡単な一言で旅行の感想はおしまいである。独特な感性など皆無である。
そして。
一番重要なこと。
それは、結婚観の違いである。
世代の違いも大きいであろうが、義両親は、夫は外で一生懸命働いて生活費を稼ぎ、妻は家を守る、という関係性を徹底している。
それはそれでうまくいっているので、義両親の関係については文句のつけようもないが、だからこそ、家のことに目を配る力に乏しいわたしの「欠点」が目についたに違いない。
夫の両親は、夫の「結婚相手」を探し始めたとのこと。
思わず、笑ってしまった。
結婚前、夫が東京を去って、大阪で職を得、しばらく遠距離恋愛が続いたとき、わたしが、
「東京を離れる決心がつかない。」
「でも、このまま離れたままで、結婚しないのだったら、両親も気にしてお見合いをさせようとすると思うよ。」
と夫は言ったのだった。
自分に自信がなかったわたしは、そのひとことで結婚を焦るようになった。
夫と別れたら、一人になってしまうという不安があったからだった。
でも、今は、滑稽なことばとして、そのセリフを受け取った。
夫の両親は、今度こそ、彼らの価値観に合致するような女性を獲得しようと躍起になるのだろうか。
夫に従順で、地方居住でも文句いわず、夫の帰宅時間が遅いことも受け入れ、家のことに専念する女性。
夫はハンサムだし、頭もよく、安定した職業についているから、きっと、簡単にみつかるとは思うけれど。
わたしは、到底、夫にはふさわしくない女性であることを、改めて実感した。
しかし、今日は日曜日。
離婚届を受理はされるが、戸籍を扱う市民課ではない当直の人が受け付けるので、実質何も処理されない。説明もなしである。
したがって、また明日に市役所に出向かなければならない。
しかし、とりあえず、「離婚」した。
不思議なことに、何の感慨もなかった。
ずっと離婚すると言っていて、離婚届を出すことはその延長にあるような、そして、その先もきっといろんなことがあって、あくまでもわたしの人生の中の「通過点」であると、そんな感じだった。
人生の中でいろんなことはあるけれど、その一瞬一瞬それぞれ一生懸命で、「離婚」の瞬間だけが特別なわけではない。
帰りの車の中で、少し話をした。
実は、夫の両親はわたしのことが好きではなかったらしく、むしろ離婚を好ましく受けとめたとのこと。
わたしの、「気がきかない」ところが、その主な原因だったそうである。
夫の実家で家事をしたり、何かを手伝うことを積極的にはしなかったからであろう。
でもわたしは、きっとそれだけが理由ではないと思う。
わたしは、義両親を嫌いではなかったが、ことごとく価値観の違いというものを感じていた。
例えば、育児にしても、学齢期以降の教育を重視していて、それ以前はせいぜい栄養をつけるとか、排泄のしつけをするぐらいなもの、ととらえているようであったが、わたしは、むしろ学齢期前に生きることのモチベーションを育てることが重要であるという信念をもっていた。
だから、義母が、夫が小さいときに、無理やり嫌いなナスを十分に租借しないままにお茶で流しこんだり、始末がいやだといって、生後6ヶ月から大の方はトイレでさせたという話を聞いて、ひそかに心を痛めたものである。
夫は、いまだにナスが嫌いである。
また、旅行観も違う。
義母は、とにかく、
「生春巻が食べたい。」
「チューリップが見たい。」
という理由で、大金を積んで、ツアーに参加するタイプ。
帰ってきては、たくさんのブランド品を買い込んで、
「ベトナムはな、もっと働けや、と思うたわ。」
「とにかく一面チューリップやったわ。」
という簡単な一言で旅行の感想はおしまいである。独特な感性など皆無である。
そして。
一番重要なこと。
それは、結婚観の違いである。
世代の違いも大きいであろうが、義両親は、夫は外で一生懸命働いて生活費を稼ぎ、妻は家を守る、という関係性を徹底している。
それはそれでうまくいっているので、義両親の関係については文句のつけようもないが、だからこそ、家のことに目を配る力に乏しいわたしの「欠点」が目についたに違いない。
夫の両親は、夫の「結婚相手」を探し始めたとのこと。
思わず、笑ってしまった。
結婚前、夫が東京を去って、大阪で職を得、しばらく遠距離恋愛が続いたとき、わたしが、
「東京を離れる決心がつかない。」
「でも、このまま離れたままで、結婚しないのだったら、両親も気にしてお見合いをさせようとすると思うよ。」
と夫は言ったのだった。
自分に自信がなかったわたしは、そのひとことで結婚を焦るようになった。
夫と別れたら、一人になってしまうという不安があったからだった。
でも、今は、滑稽なことばとして、そのセリフを受け取った。
夫の両親は、今度こそ、彼らの価値観に合致するような女性を獲得しようと躍起になるのだろうか。
夫に従順で、地方居住でも文句いわず、夫の帰宅時間が遅いことも受け入れ、家のことに専念する女性。
夫はハンサムだし、頭もよく、安定した職業についているから、きっと、簡単にみつかるとは思うけれど。
わたしは、到底、夫にはふさわしくない女性であることを、改めて実感した。
離婚(4)
離婚届である。
「実は、こっちに引っ越してしばらくしてから、すでに入手していた。」
一層、夫がわからない。
それなら、なぜ、すぐに離婚に応じなかったのだろうか。
わたしと同様、夫も、すでに関係が破綻していることを認識していたのだろう。
でも、関係継続に執着するあまりに、誤魔化しつづけてきた。
記載欄を埋め、サインしたあと、
「実は、阪神大震災がきっかけで、きもちを開くことができなくなった。」
神戸に住む友達のことが心配で、大阪からかけつけたものの、その途中で、無残な惨状を目の当たりにし、しかも友達は亡くなっていて、とてもショックを受けたらしい。
それからというもの、その惨状を思い出すのが怖くて、トイレに入るときも、お風呂に入るときも、バスに乗っている間も、常に雑誌などを読むなどして、思考することを避けていたと。
「道の真ん中に、胴体がまっぷたつになった遺体とか、顔だけが転がっているとか、足だけが落ちているとか、そんな惨状見たことあるか?TVでは、せいぜい建物が倒壊しているのが映っただけだけど、実際にはあんなものじゃない。どんなにすざましかったか、想像もつかないだろう?」
確かに、想像はつかないよ。
どんなにTVで、津波のことや、テロのこととか、戦争のこととか、毎日毎日いろんなニュースが入ってくるけれど、どんなに悲惨なことなのか、実際のところ、体感などできるわけない。
「じゃあ、なんで、そのことを言ってくれなかったの?今更そんなこと言われたって、今まではそんなことちっとも知らなかったよ。」
「自分が壊れるのが怖かったから。」
やっぱり、ぜんぜん考え方が違う。
確かに、阪神大震災は特殊な出来事だったといえよう。
だけど、誰もが、大なり小なり過去の傷をもっていて、それで苦しんだり悲しんだりしている。
だからこそ、人は一人では生きていけない。
苦しいこともシェアしあって、支えあいながら、人って生きていくものなのではないだろうか。
それを、夫は、あえて傷をふたすることによって、ごまかし、だからこそ、わたしの苦しさを受け止めることもできなかった。
本質ではなく、表面だけでも、「幸せ」を演出し続けようとしたのかもしれない。
夫は、わたしとの関係不全のエクスキューズとして打ち明けてくれたのかもしれないが、わたしにとっては、逆に不信感だけが残った。
言ってくれたらよかったのに!
つづく。
「実は、こっちに引っ越してしばらくしてから、すでに入手していた。」
一層、夫がわからない。
それなら、なぜ、すぐに離婚に応じなかったのだろうか。
わたしと同様、夫も、すでに関係が破綻していることを認識していたのだろう。
でも、関係継続に執着するあまりに、誤魔化しつづけてきた。
記載欄を埋め、サインしたあと、
「実は、阪神大震災がきっかけで、きもちを開くことができなくなった。」
神戸に住む友達のことが心配で、大阪からかけつけたものの、その途中で、無残な惨状を目の当たりにし、しかも友達は亡くなっていて、とてもショックを受けたらしい。
それからというもの、その惨状を思い出すのが怖くて、トイレに入るときも、お風呂に入るときも、バスに乗っている間も、常に雑誌などを読むなどして、思考することを避けていたと。
「道の真ん中に、胴体がまっぷたつになった遺体とか、顔だけが転がっているとか、足だけが落ちているとか、そんな惨状見たことあるか?TVでは、せいぜい建物が倒壊しているのが映っただけだけど、実際にはあんなものじゃない。どんなにすざましかったか、想像もつかないだろう?」
確かに、想像はつかないよ。
どんなにTVで、津波のことや、テロのこととか、戦争のこととか、毎日毎日いろんなニュースが入ってくるけれど、どんなに悲惨なことなのか、実際のところ、体感などできるわけない。
「じゃあ、なんで、そのことを言ってくれなかったの?今更そんなこと言われたって、今まではそんなことちっとも知らなかったよ。」
「自分が壊れるのが怖かったから。」
やっぱり、ぜんぜん考え方が違う。
確かに、阪神大震災は特殊な出来事だったといえよう。
だけど、誰もが、大なり小なり過去の傷をもっていて、それで苦しんだり悲しんだりしている。
だからこそ、人は一人では生きていけない。
苦しいこともシェアしあって、支えあいながら、人って生きていくものなのではないだろうか。
それを、夫は、あえて傷をふたすることによって、ごまかし、だからこそ、わたしの苦しさを受け止めることもできなかった。
本質ではなく、表面だけでも、「幸せ」を演出し続けようとしたのかもしれない。
夫は、わたしとの関係不全のエクスキューズとして打ち明けてくれたのかもしれないが、わたしにとっては、逆に不信感だけが残った。
言ってくれたらよかったのに!
つづく。
離婚(3)
そして、子供のこと。
わたしも知識不足だったのだが、離婚届の書類の中に、親権者として母親を指定したとしても、自動的に子供の籍が母親の新戸籍の中に入るわけではない。
家庭裁判所で、子供の氏の変更許可の申請をし、それが受理されてから、役所で入籍届を出さなければならないのである。
しかし、そのために、家庭裁判所には、妻の名前が×にされた夫の戸籍謄本と、妻の新戸籍の謄本を提出しなければならない。
つまり、家庭裁判所と、2箇所の役所とかかわらなければならず、非常に面倒くさい。
ちなみに、夫は、本籍を実家のままにしてある。
その土地に愛着があるのは理解できるが、はっきりいって、そのために何度も面倒な思いをした。
パスポートも、免許証も、ビザの申請も、「戸籍抄本」が必要になる度に、夫のご両親にお願いするか、郵送申請するかして、住居地から遠い本籍地から取り寄せなければならなかったからである。
夫「でもこれは、俺はもうタッチできないからね。そっちでやるしかないよ。」
わたし「でもさぁ、わたしも時間がないし、今回の一時帰国の間にできるかどうかはわからないよ。大体、家庭裁判所の決済だって時間がかかるだろうし、不可能じゃない?」
夫「家庭裁判所では一日で受理されるってよ。とにかく、早く子供の名前を抜いて欲しいんだよね。」
手伝えないけど、早く(わたしの力だけで)やって欲しい。
夫らしいこどばだが、、、
はっきりいって、わたしにとっては、子供の籍が夫の戸籍の中に入ったままでもあんまり困らないんですがね。
次に、養育費のことについて。
海外にいる間は、月1万円程度減額するという。
子供に会うことができないからだそうだ。
子供に会うつもりはないのだそうだが。
わたし「口座番号教えるから、そこに送金して欲しいんだけど。」
夫「手数料バカ高いから、通帳もらいたいんだけど。」
わたし「じゃあ、どうやってその口座管理できるの?」
夫「カードでできるでしょ。」
わたし「じゃあ、どうやって通帳渡せばいいの?」
夫「送ってよ。」
なんで、簡単にATMから送金できるものを、わざわざ通帳を書留かなんかで送らなければならないのでしょうか。印鑑は別保管するにせよ、送ることも夫に預けることも非常に怖いのだけど。それに、カードだけこっちが所有するとなると、管理してくれる両親に暗証番号も教えなければならない。
そんなこんなと、実際の細かいことについて話しあったあと、ついに「アレ」が出てきた。
つづく。
わたしも知識不足だったのだが、離婚届の書類の中に、親権者として母親を指定したとしても、自動的に子供の籍が母親の新戸籍の中に入るわけではない。
家庭裁判所で、子供の氏の変更許可の申請をし、それが受理されてから、役所で入籍届を出さなければならないのである。
しかし、そのために、家庭裁判所には、妻の名前が×にされた夫の戸籍謄本と、妻の新戸籍の謄本を提出しなければならない。
つまり、家庭裁判所と、2箇所の役所とかかわらなければならず、非常に面倒くさい。
ちなみに、夫は、本籍を実家のままにしてある。
その土地に愛着があるのは理解できるが、はっきりいって、そのために何度も面倒な思いをした。
パスポートも、免許証も、ビザの申請も、「戸籍抄本」が必要になる度に、夫のご両親にお願いするか、郵送申請するかして、住居地から遠い本籍地から取り寄せなければならなかったからである。
夫「でもこれは、俺はもうタッチできないからね。そっちでやるしかないよ。」
わたし「でもさぁ、わたしも時間がないし、今回の一時帰国の間にできるかどうかはわからないよ。大体、家庭裁判所の決済だって時間がかかるだろうし、不可能じゃない?」
夫「家庭裁判所では一日で受理されるってよ。とにかく、早く子供の名前を抜いて欲しいんだよね。」
手伝えないけど、早く(わたしの力だけで)やって欲しい。
夫らしいこどばだが、、、
はっきりいって、わたしにとっては、子供の籍が夫の戸籍の中に入ったままでもあんまり困らないんですがね。
次に、養育費のことについて。
海外にいる間は、月1万円程度減額するという。
子供に会うことができないからだそうだ。
子供に会うつもりはないのだそうだが。
わたし「口座番号教えるから、そこに送金して欲しいんだけど。」
夫「手数料バカ高いから、通帳もらいたいんだけど。」
わたし「じゃあ、どうやってその口座管理できるの?」
夫「カードでできるでしょ。」
わたし「じゃあ、どうやって通帳渡せばいいの?」
夫「送ってよ。」
なんで、簡単にATMから送金できるものを、わざわざ通帳を書留かなんかで送らなければならないのでしょうか。印鑑は別保管するにせよ、送ることも夫に預けることも非常に怖いのだけど。それに、カードだけこっちが所有するとなると、管理してくれる両親に暗証番号も教えなければならない。
そんなこんなと、実際の細かいことについて話しあったあと、ついに「アレ」が出てきた。
つづく。
離婚(2)
まずは、お金の話。
前回一時帰国したときに、国際電話したときの料金と、今回の荷物の送付代の半額を負担せよ、と。
そこで、2年間ろくに子供の養育費を出してくれなかったことと、毎月入る育児手当をそのまま搾取したのだから、免除して欲しいと頼んだ。
すると、
「いらない、って言うから出さなかったのに、今更なんでそれを言ってくるの?」と。
そりゃあ、結婚している間は、夫の財産は共有のもの、すなわちわたしの財産でもあるという意識があるから、可能な限りは自分の給料範囲内で生活しようと思っていたのだ。
だけど、夫は、わたしのそういう努力もむなしく、学会などの旅行などで散財したり、パチンコで遊んでいたのだ。結局、アパート代を払っても、相当の手取りが入っていたのに、ボーナス分しかプラスになっていなかったのではなかろうか。
また、荷物のことでもモメた。
「別にあてつけでたくさん荷物を送ったわけじゃないよ。何も言ってこなかったし、元の贈り主に返すというのが妥当だと判断して送っただけだよ。」
ベビーベッドは、わたしの両親が買ったものである。
だから、送り返したのだという。
「それにしたって、もう使わないことは容易に想像できたでしょう?そういったものを、なんでわざわざ送ってくるの?」
「偉そうに言うなよ。荷物を送るのにどれだけの労力がかかったか、わかってんの?」
確かに、細かく送るべき荷物をリストアップにしなかったわたしにも落ち度はあるが、、、まさかベビーベッドやふとん乾燥機まで対象物とは思わなかった。
せいぜい、本と写真と服ぐらいを考えていただけで。
実際にこのアパートにいない限り、荷物を細かく指定することは到底不可能であろう。
自分でも、「こんなものあったっけ?」というぐらい、膨大な荷物の山であるのだから。
結局、育児手当金月5,000円×24=12万円から負担することになった。
次に、合意書。
まぁ、慰謝料以外は妥当な内容だった。
だけど、なかなかサインできなかった。
お金のことは、まぁいい。
でも、わたしだけが、「謝罪」しなければならないことが、納得いかなかったからだった。
すると、関係不全は、両者が関与していたということは認めたのだった。
荷物のことにしても、養育費のことについても、意見がかみあわない。
「使わないものをなんで送るの?」
「どれだけ大変だったか、わかってる?」
答えになっていない、やり取り。
お互いに、相手を責めようとするばかりで、相手のことばに応えられない。
自分の言い分だけを主張しようとする。
最初から、そんな不毛なやりとりばっかりだったかもしれない。
だけど、わたしたちの「関係不全」と、わたしの「不貞行為」はまったく別の問題であると。
傷ついたことは事実だから、「謝罪」して欲しい、と。
「だけどわたしだって、一緒に暮らしていたときにさんざんアンタに傷つけられたよ?」
「俺だって、傷つけられていたよ。」
ああ、またもや責め合いになるだけ。
わたしが、夫のことを傷つけていたことは、事実であると思う。
家事育児に関しては努力していたけれど、夫に対しては途中からまったく思いやろうとも思っていなかったし。
「じゃあ、なんで、わたしへの愛情を失わなかったの?離婚を切り出したときに、なんで離婚したくないってごねたの?」
「家族だから。」
おいおい。
「家族だから愛情をもつ」のではなく、「愛情をもって家族を形成する」んじゃないの?
これも、完全にすれ違いだね。
だけど、わたしは、合意書にサインをした。
つづく。
前回一時帰国したときに、国際電話したときの料金と、今回の荷物の送付代の半額を負担せよ、と。
そこで、2年間ろくに子供の養育費を出してくれなかったことと、毎月入る育児手当をそのまま搾取したのだから、免除して欲しいと頼んだ。
すると、
「いらない、って言うから出さなかったのに、今更なんでそれを言ってくるの?」と。
そりゃあ、結婚している間は、夫の財産は共有のもの、すなわちわたしの財産でもあるという意識があるから、可能な限りは自分の給料範囲内で生活しようと思っていたのだ。
だけど、夫は、わたしのそういう努力もむなしく、学会などの旅行などで散財したり、パチンコで遊んでいたのだ。結局、アパート代を払っても、相当の手取りが入っていたのに、ボーナス分しかプラスになっていなかったのではなかろうか。
また、荷物のことでもモメた。
「別にあてつけでたくさん荷物を送ったわけじゃないよ。何も言ってこなかったし、元の贈り主に返すというのが妥当だと判断して送っただけだよ。」
ベビーベッドは、わたしの両親が買ったものである。
だから、送り返したのだという。
「それにしたって、もう使わないことは容易に想像できたでしょう?そういったものを、なんでわざわざ送ってくるの?」
「偉そうに言うなよ。荷物を送るのにどれだけの労力がかかったか、わかってんの?」
確かに、細かく送るべき荷物をリストアップにしなかったわたしにも落ち度はあるが、、、まさかベビーベッドやふとん乾燥機まで対象物とは思わなかった。
せいぜい、本と写真と服ぐらいを考えていただけで。
実際にこのアパートにいない限り、荷物を細かく指定することは到底不可能であろう。
自分でも、「こんなものあったっけ?」というぐらい、膨大な荷物の山であるのだから。
結局、育児手当金月5,000円×24=12万円から負担することになった。
次に、合意書。
まぁ、慰謝料以外は妥当な内容だった。
だけど、なかなかサインできなかった。
お金のことは、まぁいい。
でも、わたしだけが、「謝罪」しなければならないことが、納得いかなかったからだった。
すると、関係不全は、両者が関与していたということは認めたのだった。
荷物のことにしても、養育費のことについても、意見がかみあわない。
「使わないものをなんで送るの?」
「どれだけ大変だったか、わかってる?」
答えになっていない、やり取り。
お互いに、相手を責めようとするばかりで、相手のことばに応えられない。
自分の言い分だけを主張しようとする。
最初から、そんな不毛なやりとりばっかりだったかもしれない。
だけど、わたしたちの「関係不全」と、わたしの「不貞行為」はまったく別の問題であると。
傷ついたことは事実だから、「謝罪」して欲しい、と。
「だけどわたしだって、一緒に暮らしていたときにさんざんアンタに傷つけられたよ?」
「俺だって、傷つけられていたよ。」
ああ、またもや責め合いになるだけ。
わたしが、夫のことを傷つけていたことは、事実であると思う。
家事育児に関しては努力していたけれど、夫に対しては途中からまったく思いやろうとも思っていなかったし。
「じゃあ、なんで、わたしへの愛情を失わなかったの?離婚を切り出したときに、なんで離婚したくないってごねたの?」
「家族だから。」
おいおい。
「家族だから愛情をもつ」のではなく、「愛情をもって家族を形成する」んじゃないの?
これも、完全にすれ違いだね。
だけど、わたしは、合意書にサインをした。
つづく。
離婚(1)
いよいよ。
昨日、二次会で実家に戻り、娘を連れて羽田へ。
一時帰国のたびに泊まる成田空港近くのホテルとは違う。
狭い狭い部屋だった。
今朝、ホテルから出してくれた車も、いつもの、外国人や客室乗務員が乗るようなバスではなく、数人しか乗れないワゴン車。
朝8時の便で、1時間半ほどのフライトで某地方都市へ。
大好きな街。
でも、今回はいつもと違う感情が襲ってきた。
駅からタクシーで娘が通っていた保育園へ。
娘の世話とわたしの同伴をお願いする友人いずれも、保育園での用事があったからだった。
懐かしくて、大好きで、感謝いっぱいの保育園。
だけど、やっぱりいつもと違う。
大好きな友達に付き添ってもらわなかったら、この重圧感に耐えることができただろうか。
友達の車で、かつてわたしたちが住んでいたアパートへ。
ピンポーン。
わたし「あの、友達に同伴してもらったんだけど。」
夫「付き添いはいいんだけど、これは2人の問題だから、帰ってもらえませんか。」
わたし「でも、複数の人にも誰かに付き添ってもらった方がいいってアドバイスされたんだけど。弁護士にもそういわれた。」
ウソついた。
夫の表情は、一瞬くもった。
夫「弁護士?なら、裁判しようか。」
わたし「裁判しなくても、弁護士に相談くらいするでしょう?とりあえず、同伴を認めてよ。」
夫「まさか、ほかの人がくるとは思わなかったんで、ちらかってますけど、どうぞ。」
第三者がいると、夫は至って紳士的だ。
だからこそ、夫の人間性に問題があるなど、ほとんどのひとは認識していない。
そういうことを考え、わたしはあえて夫とはほとんど面識のない友達に同伴をお願いした。
わたしと友達は、夫の住むアパートにあがった。
つづく。
昨日、二次会で実家に戻り、娘を連れて羽田へ。
一時帰国のたびに泊まる成田空港近くのホテルとは違う。
狭い狭い部屋だった。
今朝、ホテルから出してくれた車も、いつもの、外国人や客室乗務員が乗るようなバスではなく、数人しか乗れないワゴン車。
朝8時の便で、1時間半ほどのフライトで某地方都市へ。
大好きな街。
でも、今回はいつもと違う感情が襲ってきた。
駅からタクシーで娘が通っていた保育園へ。
娘の世話とわたしの同伴をお願いする友人いずれも、保育園での用事があったからだった。
懐かしくて、大好きで、感謝いっぱいの保育園。
だけど、やっぱりいつもと違う。
大好きな友達に付き添ってもらわなかったら、この重圧感に耐えることができただろうか。
友達の車で、かつてわたしたちが住んでいたアパートへ。
ピンポーン。
わたし「あの、友達に同伴してもらったんだけど。」
夫「付き添いはいいんだけど、これは2人の問題だから、帰ってもらえませんか。」
わたし「でも、複数の人にも誰かに付き添ってもらった方がいいってアドバイスされたんだけど。弁護士にもそういわれた。」
ウソついた。
夫の表情は、一瞬くもった。
夫「弁護士?なら、裁判しようか。」
わたし「裁判しなくても、弁護士に相談くらいするでしょう?とりあえず、同伴を認めてよ。」
夫「まさか、ほかの人がくるとは思わなかったんで、ちらかってますけど、どうぞ。」
第三者がいると、夫は至って紳士的だ。
だからこそ、夫の人間性に問題があるなど、ほとんどのひとは認識していない。
そういうことを考え、わたしはあえて夫とはほとんど面識のない友達に同伴をお願いした。
わたしと友達は、夫の住むアパートにあがった。
つづく。
恩師の最終講義
今日は、指導教官の最終講義だった。
日本を出てからというもの、研究室で仲良かった人でさえもご無沙汰だったので、彼らに会うことが楽しみだった。
思いのほか、たくさんの人があつまり、互いに懐かしがった。
出産した人、大阪から東京に転職した人、研究室内で結婚した人、今度結婚する人、、、、
卒業してから8年、皆それぞれ状況が変わって当然である。
さすがに、この年で離婚するのはわたしだけであるが。
わたしよりも年上である先輩の中でも、未婚という方はたくさんおられるのに。
夫は、同じ研究室出身であるので、さすがに皆には離婚のことを言いにくかった。
本当に仲のよかった人や信頼できる人だけ、こっそり打ち明けた。
最終講義で思ったこと。
そもそも、これでわたしの人生は変わったのだった。
自分に自信がもてず、やりがいもなく、とてもつまらなかった日々が、突如輝かしい日々へと変わった。
バイトで疲れ果てていても、結果を知りたいがために、急いで研究室に逆戻りして徹夜で実験に明け暮れる日々。
親の反対を押し切って、無理やり大学院に進んでからは、いろんな人との出会いがあった。
夫との出会いも研究室であったし、あの国の研究者、すなわち今の指導教官とも、彼が研修生として先生のところに来たのがきっかけとなって出会ったのである。
そして、結婚、出産で田舎に引っ込んでいたとき、たまたまかの国の研究者と出会ったのも、先生の研究室であった。
あのディスカッションがなければ、あの国に住むこともなかったであろう。
先生の研究を通じて、いろんな人と交わり、語り合い、衝突しながら、いつも考えさせられ、学ばさせられた。
先生には感謝しつくせない。
どんな結果になろうとも。
日本を出てからというもの、研究室で仲良かった人でさえもご無沙汰だったので、彼らに会うことが楽しみだった。
思いのほか、たくさんの人があつまり、互いに懐かしがった。
出産した人、大阪から東京に転職した人、研究室内で結婚した人、今度結婚する人、、、、
卒業してから8年、皆それぞれ状況が変わって当然である。
さすがに、この年で離婚するのはわたしだけであるが。
わたしよりも年上である先輩の中でも、未婚という方はたくさんおられるのに。
夫は、同じ研究室出身であるので、さすがに皆には離婚のことを言いにくかった。
本当に仲のよかった人や信頼できる人だけ、こっそり打ち明けた。
最終講義で思ったこと。
そもそも、これでわたしの人生は変わったのだった。
自分に自信がもてず、やりがいもなく、とてもつまらなかった日々が、突如輝かしい日々へと変わった。
バイトで疲れ果てていても、結果を知りたいがために、急いで研究室に逆戻りして徹夜で実験に明け暮れる日々。
親の反対を押し切って、無理やり大学院に進んでからは、いろんな人との出会いがあった。
夫との出会いも研究室であったし、あの国の研究者、すなわち今の指導教官とも、彼が研修生として先生のところに来たのがきっかけとなって出会ったのである。
そして、結婚、出産で田舎に引っ込んでいたとき、たまたまかの国の研究者と出会ったのも、先生の研究室であった。
あのディスカッションがなければ、あの国に住むこともなかったであろう。
先生の研究を通じて、いろんな人と交わり、語り合い、衝突しながら、いつも考えさせられ、学ばさせられた。
先生には感謝しつくせない。
どんな結果になろうとも。
多忙
今朝の起床時間、午後2時。
起きたとき、冗談かと思いました。
目覚ましもなく、雨戸も閉めっぱなしだったので、起きられなかったらしい。
予想通りの積雪。
明日、車で不用品を処分しに行くので、柔らかいうちに取り除いて車を出やすくしようと雪かきをしていたら、思いのほか湿った雪だったので、これは大丈夫かもと思い、娘を連れて買い物へ。
貧乏なわたしだけれども、どうしても欲しいものがあったのです。
それは、スキーウェア!!
かの国は、とても寒い北国なのだが、冬の間、娘はつなぎのウィンターウェアを着ている。
ところが、これはとても暖かいのだが、4月から5月くらいの中途半端に寒いときなどはかえって暑すぎてしまうので、上下はなれたウィンターウェアが欲しかったのだ。
あの国でも売っていることは売っているが、ダウンがパンパンに入ったごわごわしたものしかなく、イマイチ動きにくい。
それはスキーウェアもしかりで、わたしなど、ますます太ってみえてしまうのである。
それが、日本のスキーウェアだと薄くて暖かい。
わたしはいつも日本製のスキーウェアを着ているが、あまりにも薄着にみえるので、
「それじゃぁ、寒くない?」
と言われるほどである。
しかし、ありそうなところへ行ってもなかなかみつからず、、、
結局1時間ほど車で徘徊したあと、スポーツ用品店を発見!
しかも、シーズン終わりかけとあって、非常に安い!!
さすがに選択の余地はほとんどなかったが。
わたしのと娘のを買っても予算の半分以下。
わたしのは買うのを諦めていたので、とてもうれしかった。
家に帰って、2件の旅行のアレンジ。
1件は離婚のために夫の住む街に行くもので、もう1件は同僚と研究室見学に行くための旅行である。
実は両方とも事情が複雑である。
土曜日に空港近くのホテルに泊まり、日曜日に朝一の飛行機で夫の住む街に移動し、友人に娘を預けに行き、なおかつ別の友人に付き添ってもらって夫のところに行く手はずをしている。
しかも、土曜日には、指導教官の最終講義および2次会パーティがあるので、そのあとに急いで家に戻って娘をひろい、空港に向かわなければならない。
ホテルの場所、空港までのアクセスを入念にチェックした。
研究所見学は、節約のために行き帰り両方夜光バスでの移動である。
しかも、同僚と中央駅で待ち合わせして、研究所に行かなければならない。
その駅は政令都市の中心駅だけあって、かなり広い。
誰も携帯電話をもたないし、彼らは日本語表示を解さないので、待ち合わせはかなり不安を伴うのである。
それで、駅構内の地図をダウンロードし、それをエクセルに貼り付けて、英語のキャプションを付け、待ち合わせ場所に印をつけて、同僚らにメールで送った。
そして、またまた荷物の整理。
ほとんど日本に残していくつもりだが、必要なものはその国にもっていくからである。
思わず、昔の写真を見入ってしまった。
あまりにも痛すぎて。
枚数は膨大で、いろんなことをしているのだけど、表情がよくない。
不細工というだけでなく、自信のない、何の輝きもみられない、さみしい顔。
だけど、あえて、その何冊かを彼に見せてあげようと思う。
**************
彼に電話した。
息子さんは日曜日まで元奥さんのお母さんに引き取られたそうで、さみしい思いをしているかなーと思って。
元気そうだった。息子さんがいない間、アパートの中を一斉に整理するそうである。
元奥さんの浪費で、不用品が蓄積され、一部屋物置部屋と化しているからである。
離れていても、似たことをしているわたしたち。
起きたとき、冗談かと思いました。
目覚ましもなく、雨戸も閉めっぱなしだったので、起きられなかったらしい。
予想通りの積雪。
明日、車で不用品を処分しに行くので、柔らかいうちに取り除いて車を出やすくしようと雪かきをしていたら、思いのほか湿った雪だったので、これは大丈夫かもと思い、娘を連れて買い物へ。
貧乏なわたしだけれども、どうしても欲しいものがあったのです。
それは、スキーウェア!!
かの国は、とても寒い北国なのだが、冬の間、娘はつなぎのウィンターウェアを着ている。
ところが、これはとても暖かいのだが、4月から5月くらいの中途半端に寒いときなどはかえって暑すぎてしまうので、上下はなれたウィンターウェアが欲しかったのだ。
あの国でも売っていることは売っているが、ダウンがパンパンに入ったごわごわしたものしかなく、イマイチ動きにくい。
それはスキーウェアもしかりで、わたしなど、ますます太ってみえてしまうのである。
それが、日本のスキーウェアだと薄くて暖かい。
わたしはいつも日本製のスキーウェアを着ているが、あまりにも薄着にみえるので、
「それじゃぁ、寒くない?」
と言われるほどである。
しかし、ありそうなところへ行ってもなかなかみつからず、、、
結局1時間ほど車で徘徊したあと、スポーツ用品店を発見!
しかも、シーズン終わりかけとあって、非常に安い!!
さすがに選択の余地はほとんどなかったが。
わたしのと娘のを買っても予算の半分以下。
わたしのは買うのを諦めていたので、とてもうれしかった。
家に帰って、2件の旅行のアレンジ。
1件は離婚のために夫の住む街に行くもので、もう1件は同僚と研究室見学に行くための旅行である。
実は両方とも事情が複雑である。
土曜日に空港近くのホテルに泊まり、日曜日に朝一の飛行機で夫の住む街に移動し、友人に娘を預けに行き、なおかつ別の友人に付き添ってもらって夫のところに行く手はずをしている。
しかも、土曜日には、指導教官の最終講義および2次会パーティがあるので、そのあとに急いで家に戻って娘をひろい、空港に向かわなければならない。
ホテルの場所、空港までのアクセスを入念にチェックした。
研究所見学は、節約のために行き帰り両方夜光バスでの移動である。
しかも、同僚と中央駅で待ち合わせして、研究所に行かなければならない。
その駅は政令都市の中心駅だけあって、かなり広い。
誰も携帯電話をもたないし、彼らは日本語表示を解さないので、待ち合わせはかなり不安を伴うのである。
それで、駅構内の地図をダウンロードし、それをエクセルに貼り付けて、英語のキャプションを付け、待ち合わせ場所に印をつけて、同僚らにメールで送った。
そして、またまた荷物の整理。
ほとんど日本に残していくつもりだが、必要なものはその国にもっていくからである。
思わず、昔の写真を見入ってしまった。
あまりにも痛すぎて。
枚数は膨大で、いろんなことをしているのだけど、表情がよくない。
不細工というだけでなく、自信のない、何の輝きもみられない、さみしい顔。
だけど、あえて、その何冊かを彼に見せてあげようと思う。
**************
彼に電話した。
息子さんは日曜日まで元奥さんのお母さんに引き取られたそうで、さみしい思いをしているかなーと思って。
元気そうだった。息子さんがいない間、アパートの中を一斉に整理するそうである。
元奥さんの浪費で、不用品が蓄積され、一部屋物置部屋と化しているからである。
離れていても、似たことをしているわたしたち。
残ったもの
彼が住む国は、今大雪に見舞われているそうで、20cmの積雪があったそうだ。
今年はとにかく雪が多い。
去年はほとんど降らなかったのに、今年は何度も降るので、雪が完全消え去るときがないほどだ。日本も多いそうだが、世界レベルでも今年の冬は寒い傾向があるのだろうか。
今、夫が送ってきた荷物を整理している。
なんと単身パック3個分、総数33個もの荷物が届いたのである。
チェストや雑誌ラック、もはや使わないベビーベッドまで送ってきたのだ。
箱の中にシャンプーまで入っていたのには思わず苦笑。
ちなみに、夫の住むところからわたしの実家まで800kmも離れている。
もはや使わないことを知りながら、わたしと娘が使ったありとあらゆるものをこんな離れたところにわざわざ送ってきたということに、彼の心情も垣間見ることができる。
もっとも、わたしも、いろいろ買いすぎていたかもしれない。
買い物って楽しい行為。
目的がなくとも、通販のカタログをみれば何か欲しくなるし、本屋に行けば必ず何か買ってしまう。
今は、本当に自分の給料だけで生活しているから、本当に必要なもの以外は極力買わないようにしているけれど、日本にいるときは、やはり夫の存在のおかげで、購買欲を抑えていなかった。
そういう生活を享受していたことを、今更ながら実感した。
彼のことを、母に話した。
別に反対をしたわけではないが、彼に対してはかなり懐疑的である。
いかんせん外国人ということもあり、どうなるかわからないという不安があるようである。
最初やさしくても、結婚したらいきなり豹変したという外国人の噂をたくさん聞いたからであろう。
もっとも、外国人に限ったことでなく、日本人でも同じことがいえようが。
また、わたしの夫に対するきもちも激変したから、「今はただのぼせているだけ」と疑っているのもあるだろう。
なんといっても、夫とつきあい始めのときは、夫に対しての賞賛雨あられだったから。
それは、、、、わたし自身否定できない部分もあるんですがね。
わたしも、彼のことを愛し続けることができるのか、本当のところ自信はない。
だけど、夫のときと違うのは、わたし自身の心境が変化したということ。
夫とつきあっているときは、自分のことが受け入れられず、自分で自分の選択に責任を負えていなかった。
だから不満ばかり蓄積していったんだと思う。
彼のことを信用しているかどうかということに関係なく、今は自分が選択した結果をすべて自分で責任を負う気構えでいる。
荷物を整理しながら、確かにあの頃の生活を懐かしく思い返しはしたが、だからといって戻りたいとは思ってはいない。
むしろ、彼と、
芸術フェスティバルに参加して、廃材で創作をしたり、粘土製作したこと、
亡くなったおばあさんの家を訪れたあと、美しい森に散策しに行ったこと、
折り紙でクリスマスツリーを作ったこと、
一緒にお寿司を作ったり、クッキーを焼いたこと、
などなど、お金をかけずとも愉しかった思い出がわたしの中に色濃く残っているのである。
まぁもちろん、本(というか漫画)はやっぱり楽しいものですがね。
というか、、、、
お金がないと、日本にいるのはツライ!!
今年はとにかく雪が多い。
去年はほとんど降らなかったのに、今年は何度も降るので、雪が完全消え去るときがないほどだ。日本も多いそうだが、世界レベルでも今年の冬は寒い傾向があるのだろうか。
今、夫が送ってきた荷物を整理している。
なんと単身パック3個分、総数33個もの荷物が届いたのである。
チェストや雑誌ラック、もはや使わないベビーベッドまで送ってきたのだ。
箱の中にシャンプーまで入っていたのには思わず苦笑。
ちなみに、夫の住むところからわたしの実家まで800kmも離れている。
もはや使わないことを知りながら、わたしと娘が使ったありとあらゆるものをこんな離れたところにわざわざ送ってきたということに、彼の心情も垣間見ることができる。
もっとも、わたしも、いろいろ買いすぎていたかもしれない。
買い物って楽しい行為。
目的がなくとも、通販のカタログをみれば何か欲しくなるし、本屋に行けば必ず何か買ってしまう。
今は、本当に自分の給料だけで生活しているから、本当に必要なもの以外は極力買わないようにしているけれど、日本にいるときは、やはり夫の存在のおかげで、購買欲を抑えていなかった。
そういう生活を享受していたことを、今更ながら実感した。
彼のことを、母に話した。
別に反対をしたわけではないが、彼に対してはかなり懐疑的である。
いかんせん外国人ということもあり、どうなるかわからないという不安があるようである。
最初やさしくても、結婚したらいきなり豹変したという外国人の噂をたくさん聞いたからであろう。
もっとも、外国人に限ったことでなく、日本人でも同じことがいえようが。
また、わたしの夫に対するきもちも激変したから、「今はただのぼせているだけ」と疑っているのもあるだろう。
なんといっても、夫とつきあい始めのときは、夫に対しての賞賛雨あられだったから。
それは、、、、わたし自身否定できない部分もあるんですがね。
わたしも、彼のことを愛し続けることができるのか、本当のところ自信はない。
だけど、夫のときと違うのは、わたし自身の心境が変化したということ。
夫とつきあっているときは、自分のことが受け入れられず、自分で自分の選択に責任を負えていなかった。
だから不満ばかり蓄積していったんだと思う。
彼のことを信用しているかどうかということに関係なく、今は自分が選択した結果をすべて自分で責任を負う気構えでいる。
荷物を整理しながら、確かにあの頃の生活を懐かしく思い返しはしたが、だからといって戻りたいとは思ってはいない。
むしろ、彼と、
芸術フェスティバルに参加して、廃材で創作をしたり、粘土製作したこと、
亡くなったおばあさんの家を訪れたあと、美しい森に散策しに行ったこと、
折り紙でクリスマスツリーを作ったこと、
一緒にお寿司を作ったり、クッキーを焼いたこと、
などなど、お金をかけずとも愉しかった思い出がわたしの中に色濃く残っているのである。
まぁもちろん、本(というか漫画)はやっぱり楽しいものですがね。
というか、、、、
お金がないと、日本にいるのはツライ!!