離婚(5) | いまのしゅんかん

離婚(5)

友達と別れ、夫と役所へ。
しかし、今日は日曜日。
離婚届を受理はされるが、戸籍を扱う市民課ではない当直の人が受け付けるので、実質何も処理されない。説明もなしである。
したがって、また明日に市役所に出向かなければならない。

しかし、とりあえず、「離婚」した。

不思議なことに、何の感慨もなかった。
ずっと離婚すると言っていて、離婚届を出すことはその延長にあるような、そして、その先もきっといろんなことがあって、あくまでもわたしの人生の中の「通過点」であると、そんな感じだった。
人生の中でいろんなことはあるけれど、その一瞬一瞬それぞれ一生懸命で、「離婚」の瞬間だけが特別なわけではない。

帰りの車の中で、少し話をした。

実は、夫の両親はわたしのことが好きではなかったらしく、むしろ離婚を好ましく受けとめたとのこと。
わたしの、「気がきかない」ところが、その主な原因だったそうである。
夫の実家で家事をしたり、何かを手伝うことを積極的にはしなかったからであろう。

でもわたしは、きっとそれだけが理由ではないと思う。
わたしは、義両親を嫌いではなかったが、ことごとく価値観の違いというものを感じていた。

例えば、育児にしても、学齢期以降の教育を重視していて、それ以前はせいぜい栄養をつけるとか、排泄のしつけをするぐらいなもの、ととらえているようであったが、わたしは、むしろ学齢期前に生きることのモチベーションを育てることが重要であるという信念をもっていた。
だから、義母が、夫が小さいときに、無理やり嫌いなナスを十分に租借しないままにお茶で流しこんだり、始末がいやだといって、生後6ヶ月から大の方はトイレでさせたという話を聞いて、ひそかに心を痛めたものである。
夫は、いまだにナスが嫌いである。

また、旅行観も違う。
義母は、とにかく、
「生春巻が食べたい。」
「チューリップが見たい。」
という理由で、大金を積んで、ツアーに参加するタイプ。
帰ってきては、たくさんのブランド品を買い込んで、
「ベトナムはな、もっと働けや、と思うたわ。」
「とにかく一面チューリップやったわ。」
という簡単な一言で旅行の感想はおしまいである。独特な感性など皆無である。

そして。
一番重要なこと。
それは、結婚観の違いである。
世代の違いも大きいであろうが、義両親は、夫は外で一生懸命働いて生活費を稼ぎ、妻は家を守る、という関係性を徹底している。
それはそれでうまくいっているので、義両親の関係については文句のつけようもないが、だからこそ、家のことに目を配る力に乏しいわたしの「欠点」が目についたに違いない。

夫の両親は、夫の「結婚相手」を探し始めたとのこと。
思わず、笑ってしまった。

結婚前、夫が東京を去って、大阪で職を得、しばらく遠距離恋愛が続いたとき、わたしが、
「東京を離れる決心がつかない。」
「でも、このまま離れたままで、結婚しないのだったら、両親も気にしてお見合いをさせようとすると思うよ。」
と夫は言ったのだった。

自分に自信がなかったわたしは、そのひとことで結婚を焦るようになった。
夫と別れたら、一人になってしまうという不安があったからだった。

でも、今は、滑稽なことばとして、そのセリフを受け取った。
夫の両親は、今度こそ、彼らの価値観に合致するような女性を獲得しようと躍起になるのだろうか。
夫に従順で、地方居住でも文句いわず、夫の帰宅時間が遅いことも受け入れ、家のことに専念する女性。
夫はハンサムだし、頭もよく、安定した職業についているから、きっと、簡単にみつかるとは思うけれど。

わたしは、到底、夫にはふさわしくない女性であることを、改めて実感した。