
家族
昨日は、よっぽど疲れていたのか、ブログを上げてから18時くらいにはベッドに入り、そのまま寝てしまった。夜中に起きたけど、夕飯も食べずに朝まで寝た。
まぁ、今月は特に忙しく、、、、
月頭に娘のハイキングデビュー旅行に行き、帰ってきて数日後に手術で入院、同日に退院、翌日に友達が来て1週間滞在、その間にCEOとの個人面談で契約更新しない旨伝えられ求職活動を再開、友達が出ていった数日後から姪が1週間滞在、最終日の日付が変わるタイミングで甥を空港まで迎えに行き、一泊、翌朝から父と義妹らが合流し、観光や食事を一緒にした。
あまりにもバタバタで、求職活動がらみで色々やりたいことがあったのに、失業保険の給付申請だけリサーチだけして、あるポジションにアプライしようと思ってたのが疲労でできず、今朝しようと思ったらアナウンスが消えていてショック、、、昨日まではあったのに。その勢いで、別のポジションを探して、カバーレターを書いてアプライした。
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自慢の我が家を家族に披露できて嬉しいのと同時に、家族に対する解像度も一気に上がったような気がする。
これまで1年に一度しか会えていなかったので。。。
姪もしっかりしていて驚いたけど、甥はまた全然違うキャラだが、ユニークというか、とにかくチャーミングな性格で、人モテするタイプ。年配にも好かれる。わかる。。。物置部屋に泊まってもらう時も、「この部屋を俺一人で寝ていいんすか?あざーす!!」と嬉しいことも言ってくれたり。女の子にもモテて、今まで複数人と付き合ってきたが、今は特に彼女が欲しいとは思わないらしい。
末っ子の姪は、常に自分が肯定されて育ってきた感じで、余裕を感じる。
3人とも、軸があるし人をきちんと尊重する。そして、弟の子供だけに皆経済観念がしっかりしている。
娘なんか、26歳になった今でも親がお金を出すことを当たり前にしているところがあり、私のお金で遊びたがり、私が無職になってお金を出し渋るようになったことに眉を顰めたが、姪たちは娘よりもずっと年下なのに親に頼ろうとしていない。我が家に1週間滞在した姪は、「叔母さんにお金を払いたい」と最後まで言ってくれたほどである。断ったけど。
そして義妹、理系ではないのに、会社の事業に関して幅広く勉強していて驚いた。
大学訪問が決まって、しかもコペンハーゲン大学が運動生理学で有名なことを知り、論文を集めて勉強してくるつもりだったらしい。
義妹とコペンハーゲン大学へ
家族が、今日のお昼の便でデンマークを発った。
仕事だったので見送りには行けなかったが、Air BnBをチェックアウトし、バスとメトロを乗り継いで空港に行き、何のトラブルもなくゲートまで行けたらしい。
正直、自分が日本からデンマークに帰る時よりも、家族がデンマークから日本に帰る方がよっぽどこたえた。
特に、ワーホリで半年間デンマークに滞在していた姪とは、オーフスと離れていたとはいえ、年に1度しか会えなかった時に比べて距離を縮めることができたので、彼女が帰ってしまうのが寂しかった。
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実質的な最終日だった昨日、義妹とコペンハーゲン大学に行ってきた。
来月から研究生として働くことになっている日本人の女の子と話すためである。
実は、半年前、この建物の真ん前で氷の上で滑って転んで大腿骨頸部を骨折したので、それ以来の訪問に感慨に耽った。
しかも、ここに来る前にクリニックに行き、看護師さんと一緒に血液検査を見て、骨粗鬆症の薬の効果を確認したところだった。
私は更年期のせいか、骨を壊す働き(骨吸収)が活発だったため、5月から骨吸収抑制剤を飲んでいるが、幸い服薬でその働きが落ち着いてきた。
もし、ここで骨折しなかったら、骨粗鬆症であることも発覚しなかったわけだし、むしろいいきっかけになったのかもしれない。
広々とした食堂で、3人で話したのだが、楽しかった。
その大学で働くことになっている子は、運動生理学の分野で、運動による筋肉の生理的現象の変化について研究しているそうで、認知症の検査キットを作るスタートアップの会社で働く義妹は、デンマークでなぜか認知症の割合が少ないことに興味を持っており、少ない日数でもデンマークで高齢者を興味津々で観察し、80代のデンマーク人が海で泳いでいるのを見て驚いたそうで、その子にデンマークと日本の生活スタイルの違いについて話を聞くのが楽しいようであった。
私は、来月から無職になるので、できれば、日本とデンマークの共同研究の架け橋ができればと思い、その可能性を探ることを目的にし、興味のオーバーラップを見て好感触を得たが、残念ながら義妹の会社は3年前に大学との関係を絶っているそうで、既存のグラントの対象外であることを早々に認識し、その道が閉ざされるのを感じつつも、話そのものは面白かったし、私は問題に対して考察することがやっぱり好きなんだなーと思った。
また義妹の会社もスタートアップだけに、出資企業にとっての利益や意向に影響され、以前とだいぶ方向性も変わってきているらしい。以前は、大学発の技術をもとにした商品開発をメインにしていたのが、今はだいぶ出資企業の商品開発にフォーカスされるようになったと。なので、私が考えていた、アカデミックなプロジェクトにそもそも興味持たれないかもしれず。
しかし私もこの3ヶ月間スタートアップの会社で働き、なんだったら、スポンサーの意向でプロジェクトも止まり、契約は継続されないことになったので、こういう方向性の変更については理解することもできた。
とはいえ、義妹は日本人の健康寿命と寿命のギャップの長さを問題視していて、その会社を通してその問題に取り組みたいと考えているようなので、それについては引き続き応援したいと思っている。
家族の来デンマーク(2)
今日は、仕事を休んで、7時15分頃に家を出て、家族の宿泊先にバスで向かい、まだ絶賛準備している中、私だけゆっくりコーヒーを飲みながら待ち、8時半頃にAirBnBを出て目的地に向かった。
Helsingørのクロンボー場である。
歴史も面白いが、、、
(デンマーク初めての女王マルグレーテ1世の甥、Erik af Pommernが要塞として建てたことを初めて知った。。)
パーティをテーマにした展示が目新しくて面白かった。
16世紀でも、踊りまくるパーティ文化がすでにあり、1週間連続でパーティしてこんなザマになってたらしい。。
今のデンマークの異常なほどのパーティ文化は、歴史的なものだった、、、と納得。
地下の、暗くて迷路のような展示も面白かったが。。。
父が、でかい声で日本語で、ギャーギャー騒いでいるのが可愛かった。
デンマーク在住23年でやっと父が来てくれたことに感慨があったり。。。
夜は我が家で食事の予定だったので、その後、彼らがルイジアナ美術館に行く傍ら私は家に帰ってきて準備して待ったのだが、美術館では外で過ごすことにハマり、その後我が家に来る前にショッピングセンターに寄ったらしい。
本当はお茶を披露するつもりだったが、来たのが19時近くだったので、まず家の中を案内し、その後食事の準備をした。
大量に用意したはずのなんちゃってすき焼きはあっという間になくなり、白菜とベーコンと春雨を追加したが、8人分用意することのむずかしさをしみじみ。。。ランチでは皆少食だったので、迂闊だった。。。
やっぱり日本人はご飯だよね。。
散々歓談したのち、21時半近くに我が家を出ていった。
今月はずっとゲストを迎えていたので、これでひと段落したが、でもやっぱり家族との時間は楽しいと思った。
23年間、年に1、2回会うのがせいぜいだったのが、姪がデンマークに来てくれたことによって一気に解像度が上がった感じ。
弟の3人の子供が皆それぞれキャラが立っていることも初めて認識した。
なんか、やっぱりゆくゆくは日本に帰りたいな、、、ともちらり。
しみじみする夜だった。
家族の来デンマーク
昨日、夕飯の後3時間ほど仮眠し、2週間弱南欧を旅行していた甥をピックアップしに、姪と一緒に23時30分に家を出て空港に向かい、40分ほど待って、無事に出てきた甥と一緒に1時頃空港を出て家に帰ってきた。
我が家に来るなり甥は歓喜。
姪が大きな寝室を使っているので、私の物置部屋に70cm幅のマットレスを敷いて、もちろんシーツで包んで掛け布団と枕と一式用意し、暖房もかけていたが、狭いところで申し訳ないと思っていたのに、
「この部屋、俺一人で使っていいんですか?ありがとうございます!」
とむしろ感謝された。。。
なんでも、この2週間弱、高校の時の先生と、クラスメート3ー4人と一緒に旅行していたが、ホテル泊は3泊のみ、ほとんどが小屋泊か車中泊で、なんとSUV車4人で寝てたとのこと。
足を伸ばして寝られるだけ御の字だったという。。朝まで爆睡だったようだ。声かけてもなかなか起きてこなかった。
私の出勤時間に合わせて二人には出ていってもらい、9時半到着予定の便でデンマークに来る、父と義妹ともう一人の姪3人と合流するために二人は空港へ。
職場からやり取りしていたが、二人は9時半過ぎに空港に着いたが、義妹たちはボーダーコントロールで長時間待たされ、11時前にやっと出てきたようだ。
10時半頃空港に来た娘も一緒に6人でまずは娘のアパートに行き、荷物をデポし、予定通りコペンハーゲン観光に。天気もよく、運河ツアーも良かったとのこと。
仕事から帰ってきて、19時前くらいに彼のバンで、姪と甥の荷物を届けに、彼らが宿泊しているAirBnBへ。
義妹と甥と姪は、彼のバンにやたら感動し、なぜか試乗会と撮影会。爆。
車中泊してきた甥は、バンの中のマットレスにゴロンと寝転がったり。
うちの家族は、いちいち感動してくれて嬉しい。
宿は、滅茶苦茶大きい一軒家の地下室だが、キッチン、バスルーム全て揃っていて、寝室が3部屋もあるという。。
私がプレゼントしたLæsefidusenと初のご対面。カワイイ。
姪が調理したタラコパスタを少しだけご相伴させてもらい、ビールを飲みながら歓談。
私が移住して23年にして初めての来デンに満足している様子が窺えた。
円安が厳しいタイミングだが、、、やっと来てくれて何よりである。
発酵食の流行
カフェで働いていた姪に触発されて、オサレな朝食を用意してみる。。。
ヨーグルトに、グラノーラ、裏庭で収穫したブラックベリーの自家製ベリーソース、いちじくにダークシロップ。
そして、ちょっといいチーズを買ってみたり。
私は、和食作りには気合入れててかなりの頻度で和食だったりするけど、我が家は基本は健康志向でもなく、割とジャンクなものも食べてしまう家庭である。ビールばかり飲んでるし。
姪は、カフェが好きで、カフェで働くことを希望していたが、しかも「Hakko(発酵)」という名の、抹茶と自然酵母パンに力を入れているお店に採用してもらえたので、学びも多く楽しく働けたそうで、その話が興味深かった。
長時間労働も厭わず自然酵母をしっかり管理しているだけでなく、インスタのマーケティングも上手な店で、常に列をなしているような繁盛しているカフェで、2年前にオープンしたばかりなのに、すでに3号店もオープンしたところで、カフェといっても奥深いビジネスなんだなーと思った。
私にとってのカフェは、人と会うための場所にすぎず、カフェそのものに全く興味がないので、今まで知らなかった世界でもある。
そういえば、2年くらい前だったか、コペンハーゲンで有名なパン屋さんに友達といって長蛇の列に並んだが、今年の1月、心臓の手術で我が家に療養していた娘がそのパン屋のファステラウンボウラが食べたいと言って、そのためにわざわざコペンハーゲンに行きまた長蛇の列に並んだ。パン如きでこんなに並ぶのか、、、と驚いた記憶がある。
数年前からか、自然酵母で作った丸いパンに、Gammel Knasという長期熟成のチーズを挟んだBMO (Bolle med Ost)という一見シンプルなパンが流行っているらしいが、私は当然知らず。チーズを挟んだただのボウラじゃん?みたいな。
そもそも、自然酵母のパンが流行り出したのも、コロナ禍以降の現象であるらしい。暇を持て余す人が、時間がかかる自然酵母の発酵に嵌るのもさもありなんである。
そういえば、コロナ禍でレーズンと小麦粉で自然酵母作りにトライしている友達もいたな、、、でも雑菌管理が難しく、パン作りには悪戦苦闘しているようだったが。
月末に、友達の友達であるデンマーク人が我が家に来てくれるのだが、その方は日本人で発酵に詳しい人を紹介してほしいと友達に頼んで、納豆を作っているといって友達は私を紹介し、やり取りを始めた次第である。
その方もまさに自然酵母のパンを焼いたり、ケフィアというヨーグルトに似た乳製品を作る人らしい。
納豆は作るけど、市販の納豆菌を使うし、納豆菌は熱湯にも死滅しないほど強いから雑菌管理も難しくないし、発酵そのものに詳しいわけでもない私。山廃や生酛の日本酒を飲むようになって、発酵に興味は持っていたが。
どんな話をすることになるか、、、
楽しみにしようと思う。
Letbaneの開業
今日、Letbane(トラム)が開業し、今日だけ無料で乗れるということだったので、娘にも来てもらって、姪と3人で地元の街に行った。
センター駅のプラットフォームは混んでいそうだったので、大学まで車で行って乗ることも考えたが、意外と乗れそうだったので、まず大学方面のトラムに乗り、終点駅まで行って引き返し、そのまま逆方向に、去年まで住んでいたアパートの最寄駅の次の駅まで乗り、そこでまた引き返してセンター駅まで戻り、少しお茶をして帰ってきた。
あまりの乗客で少しずつ遅れていき、だんだんトラム同士の間隔が狭まってきて詰まってしまい、終点駅の次の駅で、10分くらい停車し待たされてしまったが。
トラムそのものはどってことはなかったが、なんせ去年まで私の生活圏だったところだったので、それに対する感慨の方が大きかった。
街の駅の近くのトンネルだが、元々ここは、私が23年前に初めて自転車を買った自転車屋の店舗を潰して作られた線路である。
上は、高速道路と近郊電車の線路があるのだが、元からあるトンネルを作り直してLetbaneが通れるようにすると思いきや、まさか店を潰して線路を引くとは思わなかった。トンネルを作り直すよりむしろ容易だったのかもしれないが。
ただのトラムでも、こういう難易度の高い工事の箇所がいくつかあり、工事費が高くなるはずである。
にもかかわらず、私が懸念していた通り、需要は見込めず、当初、一日43000人の利用客があるだろうという見込みが大幅に下方修正され、1日12000人しか使わないだろうとの予測らしい。
まぁ特に工事中は、Letbaneが引き継ぐことになるはずのバス路線はカオスだったので、自転車か車にシフトした人も多かったからだと思われる。あと、公共交通手段が滅茶苦茶高くなったので、車の方が実は安いというのもあったり。特に今は電気自動車の人も多く。電気自転車に乗る人も増え、自転車での移動もますます容易になった感じ。
Letbane建設が決定されてから15年、時代は変化した。
うちのコムーネは、工事費爆上げで最後までよく思っておらず、そのせいか、今日のイベントもたいしたことなかった。隣のコムーネの方がコンサートもあったり盛り上がっていたらしい。
トラム経験は楽しかったが、、、ちょっとしょっぱいスタートではあった。
職探し
契約終了まであと2週間ちょっと。
だいぶやるべきタスクも削られたので、今までのデータを整理するのと同時に職探しに関して色々と動いている。
1. 知っている会社にコンタクト
3社くらいに当たったが、1社は可能性を探ってくれるとのこと、1社は、私の方から調査して連絡することになっている。Claudeが使えるうちにやらないと、、、
あと、知人が募集のポストを上げていたので連絡したところ、すでに別の人に決まってしまってたとのこと。まぁ、エンジニアの仕事でも何でもない門外漢の仕事だし、条件は悪いしで、そもそも私がアプライするような仕事でも無いのだが。
2. オープンポジションにアプライ
Claudeを使ってアプライしてみたかったので、とりあえずCVを更新して、あまりrelevantではないがあるオープンポジションにアプライするべく、ClaudeにCVとポジションの説明書きと、会社のサイトのリンク先と、直近で書いたカバーレターを添付して、カバーレターを書いてもらった。
明らかにrelevantではない書き方になったので、ちょっと関連つけようとCVを少し変えて、再度カバーレターを書いてもらい。
今日、会社の採用プラットフォーム上でアプリケーションを送った。
Claude、文章を考えてくれるだけあって、滅茶苦茶省エネ。もちろん、内容は自分で考える必要があるが。
3. 共同プロジェクトの企画
義妹の会社と、知人の研究室で、日本ーデンマークのグラントのアプライをできるのでは、と、ガチに考え始めた。
来週、義妹ら家族がデンマークに来るので、木曜日に、コペンハーゲン大学の訪問のアポをとった。
仕事が好きで、社畜に化している義妹、大学訪問の機会を得て大歓喜。
実現するかはわからないが、動くの、楽しいかも。
4. 他の収入源の模索
実は、ある人に部屋を貸す話が浮上し、一生懸命家を掃除して一応見てもらったが、別のアパートで契約する流れになったとのこと。かといって他に積極的にテナントを探す気はないので、また機会があれば、という感じ。
それとは別に、投資口座を流石に作らないと。。。
今週から本腰入れ始めたので、結構疲れた、、
20代女子との集まりで
ワーホリ中の姪が我が家にいる間に、同じ20代の子を集めたいと思い、娘と3人の日本人女子に声をかけて食事会をやったのだが楽しかった。
7人分、、ということで、お惣菜何種とかではなく、一度に大量に作れるカツカレーとポテトサラダを用意したが、喜んでくれてよかった。
50代60代しかいない前職から、20代30代しかいない現職に移って思ったことでもあるけど、今の若い人って、私の年代よりも、自分と相手の間のボーダーに意識的で、概して礼儀正しく、相手をきちんと尊重する傾向があるように見える。もちろん心のうちは推し量れないが少なくとも表面上は。
私の年代および、それ以上の年代は、より自分にとっての正しさを表立って主張することに躊躇しない感じがする。
今の若い人の方が、人生のオプションがあることも関係しているのかもしれない。
人それぞれ違ってて当たり前という感覚があるように見える。
私の年齢あたりで就職氷河期に入っていったので、いろんなオプションが増えていったはものの、進学して就職して結婚して子供つくって定年まで同じところで働いて、という人生の道を無意識に前提としてあって、社会情勢によって結果的に別々の道に分かれていった感じがあるけど、今は最初からいろんな選択肢の中から選ぶというか。
今思ったけど、もし、私が大学3年生の時に氷河期じゃなかったら、親の圧力もあったし修士に進学せずに学士でそのまま就職し、こんなアウトロー的な人生ではなく、もっと王道の人生を歩んでいたのかな、と。とはいえ、最初の結婚相手とは、修士の時に研究室で一緒の人だったから、学士で就職してたら結婚してたかは不明だが。
彼らは、結構いろんなことを真面目に考えていて、興味深かった。
基本的にあまり考えずに突き進んでいた私の20代はもっと薄っぺらくて、、、
30歳でデンマークに移住した時に、自分のあまりの教養のなさを認識して愕然とした記憶がある。
暗くなりがちな今の時勢だが、しっかりとした若者たちとの交流で、光明が見えるような夜だった。
今後の予定と、姪の一時滞在
契約終了まで3週間切ったので、流石に重い腰を上げて、職探しを再開した。
まずは、知り合いにメールを送り、同時にジョブアナウンスをチェックすること。
しかし、相変わらず私に合う仕事はなく、厳しいことはわかる。
昨日委託しているところからの分析データをもらったので、今日、試しに、Claudeで詳細の実験条件を書いてその結果を予測させてみたところ、ほとんど当たっていて、その実験に費やしたエネルギーは、、、と思ってしまった。
今後は、実験にかかるコストを10分の1に減らせると思う。
そして、エンジニアとしての存在意義は、、、と考えさせられた。
ちなみに、前々職の元同僚に連絡してみたところ、未だかなり厳しいらしい。
コンサル業なんて、これほど生成AIのクオリティが上がってしまったら、影響受けやすい業種だと思う。
とりあえず、ピックアップしたポジションに、Claudeを使ってCVとカバーレターを作ってアプライするつもりだが、今度は職探しがもっと長引くことを想定しつつ、いろんな道を模索しようと思う。
- 課題になっている地下室の湿度問題に対し、ベンチレーションシステムを構築しながら、電気回路などを学ぶ
- あることで起業することを考える
- 茶道の道具を木工で自作しながら、設計作成および加工スキルを磨く
- 失業手当以外の収入源ソースを考える
- 教会のボランティアにアプライする
地下室は、すべての部屋の湿度をモニタリングしたところ、やはりフローリングの部屋とタイルの部屋では5-10%も湿度が違うことがわかり、床の断熱がされていないタイルの部屋がある北側の方が湿度が高い傾向が見られた。
しかし、北側に限って、水と温水パイプが密集していて、しかも玄関もあったりするので、換気扇を設置するスペースはあまりないし、インフラパイプの集中で穴を開けるのも怖すぎる。
なので、空気の循環がされるようなシステムを作った方がいいな、というのが私たち夫婦の結論。冬になる前に材料を揃えて、テストができれば、、と思っている。
他は、木工作業は完全に未着手だが、それ以外は何かしら動いていて、無職になってもアクティビティは絶やさないようにしようと思う。
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昨日、今月末に日本に帰ってしまうワーホリ中の姪が、オーフスのアパートを引き払い、我が家にやってきた。
大きな荷物で大変だろうと、コペンハーゲンのバスターミナルまで迎えに行ったが、スーツケース一つにバックパックと小さなカバン一つで収まっていて、意外に荷物は少なかった。
服もかなり処分したようで、ほとんどスーツケース一つにまとめられたらしい。半年もいたのにすごい。
姪は、最後にはほぼフルタイムで働くなど、かなり重宝されたらしく、盛大な送迎会も開いてくれたという。
仕事で英語を磨いただけでなく、語学学校にも通いモジュール1も終えたので、デンマーク語も少しだけ聞き取れるようになったそうだ。ま、まじか。。。
半年間だけで、これだけの収穫を得た姪に対し、叔母としては誇らしい気持ちである。
最初から、ビザの申請だけでなく、住むところを探すのも、住民登録の手続きも、銀行口座の開設も完全自力でこなしていて、しっかりした姪だなと感心していたが。ちなみに彼女は全然SNSをやってない。
裏庭のブラックベリーを喜んで収穫してくれたので、寒天寄せを作った。
Vejrhøj 100マイル
今週末はイベント尽くしで、プライドやIronmanレースがあり、自転車180kmに近くの幹線道路がコースに含まれているので、賑やかな音が聞こえてくる。
ちなみに、同僚の一人は、金曜日に、swim 400m - bike 18km - run 4kmという、Ironmanの1/10バージョンのプレイベントに参加したらしい。これくらいで始めるのはとてもいいかも。
一方で彼は、毎年参加している草レース、Vejrhøj Enduretrail 100milesに行き、金曜日の夜に家を出て、土曜日に日付が変わる時間にスタートした。
去年は出張があったり、友達が泊まりにきたりしてバタバタしていたので見に行かなかったが、今回は私も何も予定がなかったし、毎回大体日曜日の早朝にゴールするから、冷たいビールを持参して彼のバンの中で車中泊して彼のゴールを待とうかな、と思い立った。
しかし、14時前に3周96kmを走り終わって、4周目スタートしたというメッセージが入り、あれ、いつもより早くない?と思ってたら、、、
3年前は、16時20分頃に4周目スタートしている。
調べてみたら、去年は15時49分、一昨年は15時頃に3周終わっている。
なんと、19時42分に4周終わって、20時前に最終ラップをスタートしたとのこと。
は、早い!!
過去4年の記録を見ても、
2022年:22時28分
2023年:0時18分
2024年:20時53分
2025年:22時58分
に4周ラップ終了とあるので、一番早かった2年前よりもさらに1時間以上も早く、過去最速ペースである。
慌てて準備を始め、シュラフをとってきて、冷えたビールを保冷剤とタオルと一緒に保冷バッグに詰め、20時半頃に家を出て、近くのガソリンスタンドで満タンにし、100km弱ほどある会場へ向かった。
22時頃に会場に到着、彼のバンの横に駐車。
ヘッデンを忘れたので、スマホのライトでトイレに行き、夜間は自動で施錠されてしまうせいか、枝をつっかえ棒にしてドアが閉まらないようにしてあり、ドアが少し開いた状態だが誰も来ないだろうと用を足し、車に戻ってきて荷物を出し、隣の彼のバンに移動。
22時半頃就寝。
4周目のラップが6時間弱なので、最終ラップも6時間はかかるだろうと、2時のゴールを予測して目覚ましをかけた。
1時半に起きて、ゴールのテントへ。
車を停めているところは電波が入らないので気が付かなかったが、1時13分にコースの終盤に入っているメッセージが来ていたので、本当に2時くらいにゴールなのかもと、たまに真っ暗な丘の方を眺めながら、基本はテントの中で待った。
(ヘッデンがあれば、森の中で待機もできただろうが、、、ちょっと後悔)
そしたら、気がつかないうちに、1時52分にゴール!
は、早い!!
なんと、3位だった。
参加者が少なくてもなかなか届かなかったメダルにようやく!
今年は、バス代とディーゼル代の高騰で行き帰り20kmをジョギングで通勤しているのだが、実は滅茶苦茶いいトレーニングになっていたっぽい。
とはいえ、今回も他のイベントのせいか参加者が少なかったのだが。
もしかしたらそれこそIronmanの方に流れて行ったのかもしれない。
彼は、2021年にUTMBがらみで2週間以上アルプスに行ってて参加できなかった以外、2020年からほぼ毎年、100マイルになった2022年からは皆勤賞なので、ブリーフィングで主催者は彼のことを紹介し、なんだったら100マイル以外のレースでも語られていたのか、エイドステーションで話しかけられることが多かったという。
この主催者は、4年前の200kmレースでも個人的にアシストしてくれるなど、何かと彼を気にかけてくれている。
私が持参した冷えひえのビールで乾杯したあと、彼はバンの中でブルーシートを敷いて横になり、私はまた100kmの道のりをドライブして自宅に帰った。
4時頃戻ったが、最後の道路がIronmanのコースに含まれていたので、早く帰ってきて良かったと思った。


















