いまのしゅんかん -2ページ目

山スキー旅行

昨日家を出て、オスロのキャンプ場で車中泊し、今日Jotunheimenまで移動してきた。

 

15:45頃宿にチェックインし、バンの中で着替えて16:20にプチ山スキーに出かけた。

Lofotenではほとんどできなかったし、二ヶ月弱前に骨折してから初めての山スキーで興奮。

 

滅茶苦茶いい天気!

 

2年前よりは雪が少ないが、去年よりは多く、暖かく感じたが雪は乾いててかたく、思っていたより春スキーという感じではなかった。

 

 

雪が少ないから平らではないし、わたしの苦手なかたい雪だったけど、意外と大丈夫だった。

これが斜度があればもっと怖いと思ったかもだが、、

 

100mちょっと登ったところで彼が先に滑走し、わたしは休みながらゆっくりトランジションし、彼が登り返してきたところでいざ滑走。

 


 

私は山スキーの滑走がとても苦手で、ボーゲンも入ることも多く、なんだったら立ち往生することもあるが、ここはかなり平らで雪もかたかったので、ほぼゲレンデの感覚で滑走でき、とても楽しかった。

氷河ではないオフピストでこんなに気持ちよく滑れたのは初めて?いや、さすがに初めてではないが、、数回目くらい?

 

楽しかった、、、

それに、解雇されてからずっと心のつかえが取れなかったのが、初めて多幸感も得たほど。

山って、癒しなんだな、、、とつくづく。

 


 

これまたお気に入りの宿での滞在も今の私には必要で。

もう7度目くらいの滞在で、スタッフの人にはいつもいいサービスをしていただいている。

(骨粗鬆症でアルコール断ち?は?何の話?飲まなきゃやってらんねーと飲みまくってます。。)

 

明日はもっと斜度のあるところまでチャレンジする予定。

怖いけど楽しみ。

お祝いディナー

昨日は、彼と私の誕生日の合同お祝いとして、娘と3人で新しくできたポップアップの焼き鳥レストランに食事に行った。

こんな状況でとてもお祝いする心境ではなかったし、食欲も全然なかったけど、結果的に行ってきてとても良かった。

 
 
娘自身、とてもタフなジェネレーションで、住むところも見つかりにくいし、仕事も見つかりにくい状況にあるのに、とてもリラックスしてて、私の解雇にもあまりショックを受けてなくてて、それどころか、失業期間にやりたいことをどんどんやればいいと勧めてくれたのだった。
 
具体的には、娘は会員になっているジムでは月に4回第三者を無料で招待できる特典を使って、来週一緒にジムに行き、腹筋と背筋のトレーニングを教えてもらえることになった。
また、心臓の手術をして、ずっと苦手だったジョギングを娘は興味持っていて、一緒に秋の13,8kmマラソンのイベントに参加しようとも。そのために一緒にジョギングしようとか。
 
娘曰く、経済的に差し迫ってないのなら、下手にストレスを持つより、その期間を自由な時間として楽しむべきだと。
確かに。。。
仕事が好きだったし、デンマークに来てノンストップで23年間働き詰めで、なんだったら定年退職になったら、その後は暇になっちゃうことさえ心配していたくらいだけど、ここらで思い切って休んで、仕事以外にもっと目を向けて、やりたいことを探すのもいいか。。。
 
一つ興味があるのは、ワーホリか留学生の女の子をホストすることである。
今まで負荷の方が大きいような気がして考えたこともなかったけど、今だったら経済的なメリットがあるし、姪と遊んだ時に思ったけど、若い女の子との交流は面白いかもな、と。
 
サービスしてくれてた子が気さくな女の子で聞いてみたら、やはりワーホリで夏までデンマークに滞在するとかで、彼女は運良く住むところはスムーズに見つかったけど、コペンハーゲンと近郊で住まいを探すのは普通に苦労するので、いいと思いますよーとのこと。
 
あと、娘は娘で色々考えていて、もうしばらくしたら、普通のアパートに引っ越し、大学を卒業してしばらく仕事が見つからなかったら、そのアパートを又貸しして日本でワーホリかインターンをすることも考えていると。
とりあえず暗礁してる、彼の会社の学生ジョブの話がどうなっているのか、また聞いてみるつもりらしい。
いざとなったら、私に頼ってくるのかな、と思ってたけど、案外と自分でなんとかしようとしていてホッとした。
娘も心臓の手術で食生活に気を遣っているけど、お金がないなりに工夫していているし、それを楽しんでいるようでもあり頼もしく見えた。

 

万が一の万が一で家を売ることを考えて、アパートをサーチしてみたら、前に私が所有していたアパートの地域で額が軽く1mio(2500万円)高くなってて白目剥いた。

1億円近くするアパートがゴロゴロあって、アパートを買うのも今は一苦労なのか、、と。

娘も、収入のあるパートナーを持つまでは買うことは全然考えられないらしい。

 

アメリカ人のBFは希望していた大学の修士課程に入学許可が降りなかったので、とりあえずアルバイトをしながら半年後に再挑戦するらしいが、お互いに状況があやふやなのに、割とポジティブに見えてすごいなと思った。

そこまでクリティカルではない私の方がワタワタしている。

 

一応誕生日プレゼントとして自作のセーターを娘からもらった。

材料費+労働費は私持ちだったけど、とても良くできてて嬉しかった。

 

元同僚に遭遇

昨日、やり取りしていた元同僚から、前職の会社で、財政問題により金曜日に4人に解雇通知したというメッセージをもらった。

これで前職に戻る希望が完全に断たれたにもかかわらず、正直安堵もした。

やはり私の予測は当たってて、転職は間違ってなかったことを認識し、1年前の決断に対し後悔する必要がなくなったからである。

そのニュースを聞くまで、転職するべきではなかったのかもしれない、とチラっと思わなくもなかったので。。。

もしあのまま前職に留まったとしても、すでにパイプラインが枯渇しつつあった私は、1年後に同じ結末になってたと思われ、だとしたら、違う環境で違う経験をできたことの方が価値があったと思える。

 

身をすり減らしたのも、いい経験といえばいい経験と言えなくもない。。。自分が何をやったか、というよりも、真に会社の利益になる働きをすることの難しさを学んだので。

ぶっちゃけ、実際に会社の収入源となる製品の生産に携わる中卒の現場労働者の方が、やたらコストのかかるエンジニアの私よりも会社にとって利益だった、というわけで。

別に私は、自分の学歴や業績に変なプライドを持ってたわけではないし、マウントもとってなかったし、むしろ言語能力で卑屈になってたくらいで、現場の人たちへのリスペクトも示していたつもりではあるけど、それでもその現実には凹む。

 

一昨日はあるご家庭を訪問させてもらい、昨日は友達に遊びに来てもらったのだが、一昨日会った方は、組織の予算が4割カットになった結果、ご自身の雇用が不安定になってて半年先も状況は不測、昨日会った友達は同じく失業中の身分なため、二日連続でこの度の解雇についてぶちまけさせてもらい、いずれも自分のことのように私の苦しみに共感してもらって、ものすごく嬉しかった。

特に昨日は、友達も同じ失業保険基金に入会していることを知り、かなりプラクティカルな情報も聞けて本当にありがたかった。

なんたって私は、どの基金の会員なのかもはっきり認識してなかったくらいで。。。20年以上会員なのに、手続きやどのようなシステムなのか全く理解してなかったという。。

 

今日は、まずタイヤ交換と年間チェックのためにワークショップに車を持って行き、お昼過ぎに血液検査のアポがあったので、いい天気だし4kmの道のりを徒歩で行こうと歩いていたら、なんと途中で、ジョギングしている元同僚に遭遇した。

 

その元同僚は、年末の頃Linkedinで解雇になったことを知り、その翌日にショッピングセンターでバッタリ会ってちょっと立ち話をしたが、割と近所に住んでいたらしい。

早速この度の解雇について話したら、彼もまた前職のコンサル会社でパイプラインが細ってきていることを案じ、製造業の会社に転職したらわずか半年で解雇通知がきたという。まったく同じ。。。

 

現況についても聞いたら、ビジネスを立ち上げたものの、まだ客がついているわけではなく、しかし子供も小さいので、失業保険がもらえる2年間は、よっぽど条件がよく自分が興味が持てるポジションしかアプライしないとのことだった。

でも、最近、子供が保育園でトラブルがあり、転園してやっと落ち着いたらしいが、子供のことの方が仕事よりもよっぽど大事だという。さすが、、、と感心してしまった。

 

失業中でも、全然こたえてない、リラックスしている元同僚を見て励まされた。

 

 
かかりつけ医に行った後は、道を変えて車をピックアップしにワークショップへ。
行きもそうだが、帰りも徒歩じゃないと通らない道を歩いたので、結構楽しい散歩だった。
 
この状況なので部品交換を拒否したが、強くブレーキ交換を勧められ、脅されもしたので、結局またアポを取ることに。
ブレーキ交換で3500kr。チーン。。
新車で買ってまだ5年だし、今は車を使わなくなったので、延期しようとしたがダメか。。
 
しかしこういうことでいちいち落ち込むのはやめよう。。。
元同僚のようにもっとゆったりと構えたい。
5月になって、骨折から3ヶ月経ったら、私もジョギングを再開しよう。

失業2日目

まずブログを書いて状況を自分の中で整理し、5年前のCVをアップデートし、新しいプロジェクトのリーダーとメールでやり取りした。

彼らの新しいラボは6月中旬まで稼働しないのでラボタスクはできず、しかも無償であっても化学薬品で実験するとなったら保険はかけないといけないので実は結構面倒だが、リモートの仕事だったら、非公式にでもすぐに始められると。とりあえず来週かイースター明けにオンラインミーティングをすることにした。

 

そのプロジェクトリーダーとのやり取りで、この度の解雇について思うところが色々出てきて、お昼に彼の会社に行き、別棟のカフェでお茶をした時にまたまたぶちまけた。

 

家に帰り、Linkedinでジョブサーチにかけてみるが、本当にrelevantな仕事がほとんどなく撃沈。

興味がある会社どころか、そもそも仕事があまりない。

これは、と思ってもユランだったり。

 

かかりつけ医とのアポがあったので、クリニックへ。

看護師さんと、骨粗鬆症専門の医者に、先日総合病院で受けたDXAによる骨密度の評価をしてもらい、大腿骨頸部を骨折した割には骨密度は低くなく、ビタミンDの量も高くなったので、それほどクリティカルではないが、一応薬の処方をし、その前後で血液検査をして骨の形成がされているかを評価するとのこと。

 

そして帰ってきて、再びジョブサーチをし、完全にrelevantではないが、アプライできそうな仕事はいくつか見つけたので、来週そのためのカバーレターを書き、アプライすることにした。

 

また、自治会のFBグループで地域熱供給の導入を今回はしない、というポストを見かけたので、え、すでにその決断をしなければならないわけ?と慌てて調べてみる。

そしたら、すでに地域熱導入の申込期間は過ぎていたことが判明、しかしまぁ、ポストで見る限り、思っていたよりも高そうだし、実際導入されてから問題が浮上する可能性もあるので、様子見もしたいし今回はいいか、と。

それに二人暮らしのせいかガス代も全然かかってなくて、多分倍の値段になってもそれほど痛手はない感じ。

 

、、とあっという間に夕方になっていて、一応専業主婦?なのに、主婦としての仕事は何もやってないのだった。

試練2

このブログを読んでくれているリアル友達にはほとんど知らせたのだが、実は、水曜日、なんと私の53歳の誕生日に解雇されるという憂き目にあったのだった。

 

一番大きな理由は、今の工場長が新しい工場の工場長の兼任はできないとして、社長の実弟を雇うことになり、確実に私よりも人件費が高い人を入れる結果、50代シニアエンジニアとして決して安くはない私のポジションをなくすことにより、そのコストを削減するためである。

社長自身はもちろん、30歳の次期社長の報酬もそれなりのはずで、さらに家族一人を増やし、人件費コストのキャパが超えたのだろうと思われる。

 

私は3つのグラントプロジェクトを持っていたし、ボスニア人のラボテクニシャン並みに分析スキルをつけてきたので、まさか解雇されるとは思ってもなかった。

しかし、社長にとっては、フィードバックをクリティカルに求められないグラントプロジェクトは私が欠けてもお金は自動的に入ってくるし、分析に関しては、私もずっと思っていたけど、実はそこまで重視されていないことを薄々感じていて、それなりにお金のかかる私を持っていることの価値を見出さなくなったのだと思う。

もし、プロジェクトと分析業務のほかに、営業スキルや、工場を動かすスキルを持っていれば話が別だっただろうけど、残念ながら私にはその能力はなかった。

 

社会人になって28年、簡単に解雇されるデンマークでも23年間解雇されたことがなかったので、初めての解雇は大ショックで、体を動かすのに数分かかり、最初にやったことは、元同僚と、新しいプロジェクトのパートナーに電話したこと、別の知り合いにもメールを書いて仕事を探してますアピールをし、荷物を片付け、パソコンのデータをきれいにし、鍵とパソコンを返して会社を出て、彼をピックアップして家に帰ったのだった。

 

とてもじゃないがご飯を作る気力はなく、外食することにし、パソコンを探しにショッピングセンターに行ったが、プライベートで持っていた、ネットを見るためだけに使ってたMacBookを仕事にも使えるようにOSをアップデートすることに決め、外食では食欲はなく、禁断のビールを大量に飲み、誕生日の夜はついぞ寝ることはできなかった。

 

給料は来月から3ヶ月間補償してくれることになったが、実質翌日から無職状態になり、家にいても気持ちが滅入るだけだと思ったので、ちょうど工科大学でジョブメッセのブースに立つ彼につきあって一緒に大学に行くことにしたのだった。なんだったら、知り合いにも会おうと。

 

 
自宅から大学まで3kmちょっと、歩いて行くことにしたのだが、それがとてもよく、あるローカル駅に併設されているベーカリーでお茶もした。
彼と話し、レジャーに制限はかかるものの最悪生活はできるという結論に達し、使ったことのない失業保険組合がどこなのかも確認できたのでそこまで経済的にクリティカルではないが、なんと言っても心配なのは出産前後の1年間を除いて28年間ずっと働いてきた私が、無職という状態に耐えられるかどうかで、歩きながら頭が冴えてきて、ジョブシーキングしながら、同時に、解雇された会社に散々指摘されてきたコミュニケーション能力を伸ばすコースを取ろうとか、時間給でもいいから研究の手伝いをオファーしてみるとか、色々アイデアが湧いてきて、この時勢、職探しは長期戦になるだろうけど、腐らないようにアクティビティを絶やさないようにしようと考えたのだった。
 
大学で彼と別れて、まずはプロジェクトパートナーの研究室にサンプルを届けに行き、一応仕事探しをアピール。でも、必要とされるスキルは私にはrelevantではないので言ってみただけ感。プロジェクトの話をして研究室を後にした。
そして、私の古巣へ。
まず、前に住んでいたアパートの下に住んでいたシリア人の奥さんとキッチンで会い、しばらく立ち話。彼女は手首を骨折して病欠していたそうで、私も大腿骨を骨折したのでその話で盛り上がった。4ヶ月後にディフェンスがあるので、今仕事を探しているがやはり見つからないという。
ラボアシスタントの人も来て3人で立ち話し、一番目当てだった准教授の人が来たので、頼み込んで急遽面談してもらった。
彼女は私の失職にショックを受け、お金はないけど、私に大学に来て欲しいと言ってくれ、だいぶ慰められた。私がお金ではなくアクティビティを欲していることを理解してくれ、時間給で雇えないか可能性を探ってみるとまで言ってくれて、自己肯定感だだ下りだっただけにとても嬉しかった。
 
まだお昼まで時間があったので、友達のお墓に。とにかくじっとしてスマホを見るだけなのは避けたかった。
その友達は、私のことを案じてくれていた人だったので、本当にその通りになったね、と。泣きながら、これを機に、今度こそは自分のことをきちんと省みて、この困難を乗り越えるよう頑張るとお墓の前で宣言した。
 
ジョブメッセに行き、2社ほど話し、1社は15年くらい前にクライアントだった会社だったので、今の状況を聞き、感慨に耽った。
もう1社は分析サービスの会社で、もう分析はお腹いっぱいで興味はないけど、とりあえずアプリケーションは送ろうと思った。
 
彼のブースに行って、一緒に食堂にランチしに。
最後の1時間半はずっと学生の相手で忙しかったという。しかし、AIのポジションは、逆に将来ポジションがなくなるのではと考察。
 
家に帰って、全然寝れていなかったのでしばらく寝て、私のCVとカバーレターのドラフトをピックアップし、前日苦戦したOSのアップデートをして、CVを書く作業をする環境を整えた。なんと6年間もアップデートを放置していたので、やたら苦労して彼がやってくれたのだった。ありがたい。。
学生の時はMac使いだったけど、社会人になってからはPCオンリーだったので、システムのアップデートも自動だったし、ちょっとした作業でも骨が折れる。。
 
夕飯を作る前にコミュニケーションコースを調べてみたら、プライベートだと15000krとかから。エンジニア組合のコースは無料だが、まだ会員だと思ってたら会員になってなく、調べてみたら1年間引き落としがなかった。退会申請してからも1年以上引き落とされていたし、メールだけはずっと来ていたのでまだ会員だと思ってた。。。でも失業中の今、年間4300krとか痛い。。
失業保険を受給するようになればコースがあるようなので、その時まで待つか。。
 
あとは、時間給の仕事オファーのメールを書いたり、自分のサブスクをチェックしたり。早速、TV2 Playのサブスクを脱退。娘のサブスクもいい加減移すことを考える。
 
そういう作業をしながら、やっと気持ちが落ち着いてきて、やっぱりあの会社は私には向いていなかったという事実をだんだん認められるようになってきた。
仕事そのもの以外にやたら気を張ったし、くだらないことにエネルギー費やされたし。分析の検量線の標準液を作るのに、少しでも外れると怒られるので、ピペットとスケールを使って正確にやろうとしたら意味がないと怒られ、挙句にManipulateしたりとか、細かいエピソードはてんこ盛り。Manipulateは多かったので、確かに分析そのものの意義は失ってたなとも思う。
彼が仕事で難しい問題解決をしているのを見ると、そこは私のエンジニアとしての成長はできない場所だった。新しいプロジェクトだけは心残りだが。
 
ただ、私が期待していたことの経験はできなかったので、それは素直に私の能力不足としか言いようがなく、この失業期間は反省会を含めた充電期間にしたいと思う。
 
解雇の前に、ドイツ在住のクリスチャン友達が、骨折や不法建築などの一連の出来事は、我が家を小さな教会にしないためのサタンからの嫌がらせで、一応それを神が認めた、私への試練だと言ってて、そのメッセージを送ってくれた翌日に解雇されたので、わーー本当に友達が言ってた通りじゃん!とも思ったのだった。一瞬、家を手放すことも考えたので。
友達に連絡したら、「やっぱり!」とのこと。
彼女は、去年の9月に我が家に泊まりにきてくれたのだが、家の居心地良さだけでなく、私と彼の信頼と尊敬に満ちた愛のある関係を見て、この家は絶対いい教会になる!と思い、その過程で絶対サタンのターゲットになると思っていたら、不法建築の件でやっぱり!で、解雇ときて確信に至ったそうである。
 

 

イースター明けにコムーネが我が家に来るので、弁護士から地下室からベッドや椅子をなくしてして欲しいと言われたので、彼がベッドを解体し、マットレスはロフトに。弁護士に確認したら、ここに置くのは大丈夫だとのこと。

コムーネが来る時に、弁護士と建築スペシャリストも来てくれることになり心強いけど、その時間給も加わって今までのトータルで50000krは超える見込み。ま、しょうがない。

 

ホルムズ海峡は戦争が終わったあとも元通りにならないと言われていて、さらなる経済危機に陥ることは必至、もし彼までも職を失ったら流石に家を手放す以外はなくなるだろうけど、この試練を乗り越え、私と彼のユニットを守り抜きたいと思う。

国政選挙

 

昨日は国政選挙の投票日で、わたしは勤務のあと、投票に行ってきた。

先月告示されたときは迷いに迷ったが、この度のイランの戦争で石油危機に陥ったことで、やはり石油をメインにしたエネルギー政策に限界を感じ、もともと山が好きで気候変動も肌で感じるようになったこともあり、気候変動対策をもっとも重視しているラディケーレに投票することに決めたのだった。

 

ラディケーレは理想主義すぎて、プラクティカルではないと思ってたけど、もういよいよ、目先の利益だけを言っていられなくなってきた時勢になっているわけで。

長期的な視点でみれば、物価高は避けられず、エネルギー消費を抑える姿勢をもたなければならない。

 

そして夜、テレビで選挙結果をみていたのだが、、、、

 

 

投票締め切り時間20時には出口調査の結果が出て、左派ブロックが83席、中道が14席、右派ブロックが78席と出て、開票してすぐ右派と左派の数が逆転したものの、すぐに左派が優勢になり、23時半頃には開票が終了、このような結果になったのだった。

出口調査からの推測がそう遠からずというのもすごいと思った。

 

わたしが投票したラディケーレは全国で9番目だったが、、、

 

 

わたしの選挙区では3番目に多かった。

逆にデンマーク民主党や市民党みたいな極右政党が少ない。

ラディケーレは、中道政党だが、もっとも移民に寛容で多様性を許容する政党で、日本人がイメージする極左政党だと思う。実際名前もラディケーレベンスタで「極左」を意味する政党名なのだが。

コペンハーゲンやフレデリクスベアでも人気で、どうも学生街で人気があるっぽい。

 

 

結局、現首相のMette Frederiksenが政権成立のコーディネーターに指名され、穏健党を含んだ左派政権の成立を目指すという。

穏健党は左派だけ右派だけの政権をヨシとしないので成立するかは不明だが、左派グループは穏健党を政権に含む意思はないので、右派と一緒になる方がまだ現実的である。

 

ラディケーレも政権に入ってくれるのを祈るばかりである。

試練

信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。
食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。
また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。
すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。
それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。
すなわち、/「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、/すべての舌は、神に賛美をささげるであろう」/と書いてある。
だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。

(ローマ 14:1-12)

 

12月以来、3か月ぶりにビデオチャットでの聖書の学びがあった。

1月も2月も集まらず、直前にキャンセルされたのだが、先月はなんとわたしが骨折した日で、痛みに耐えながら中止になってホッとした記憶がある。

それで、わたしが入院して手術した経緯について話したのだが、前回の学びのときから本当にいろんなことがあったなと振り返るのだった。

 

娘の心臓の手術と療養

トランプのグリーンランド獲得に関するデンマークへの圧力

不法建築の通知

わたしの骨折と入院、骨粗しょう症の診断

イランの戦争とエネルギー代の高騰

姪の経済的困難

 

次から次へと困難がふってくるような、振り回されている感の大きい3か月間で、特に国際情勢にはうんざりし、日米首脳会議ではどっちも嫌いなので悪口を言いまくり、人をジャッジしてはいけない、という基本を完全に忘れていたと思う。

 

でも、おそらく今後よくなることはないので、厳しい状況に振り回されずにどれだけ自分を保つことができるのか、という話になった。

 

ただ、骨折に関しては、病院で診断されたときは、なぜ氷の上で走るなんていう愚かなことをしたのだろうと後悔したが、退院後痛み止めのモルヒネをやめて散歩をしたとき、やっと体が動いているという感覚を得て、自分が生きているという敬虔なきもちになれたし、骨粗鬆症が発覚して生活習慣を変え自分をいたわることができたので、困難が新たな気付きを与える機会になることを体感してもいる。

 

そして、この度の戦争は長引きそうだし、いよいよ腹をくくらないと、、、と思っている。

つまりこれを機に、気候変動を考慮したライフスタイルに変える、ということである。

今までも散々、エネルギー消費を控えなくてはと思いながら、自分の欲に抗えずにずるずると来た感じ。

 

特に軽油が爆上がりしたので、彼はそろそろバンではなく自転車通勤にシフトすると言っていたが、今朝はわたしよりも早く家を出て、なんと走って出勤したのだった。

わたしもいい加減、放置しているロードバイクを出して、もっと自転車を使うようにしなければ。。。理学療法士さんも、走るのはまだダメだけど、自転車はいいと言ってくれているし。

 

旅行も、とりあえず予定しちゃっている夏まではそのまま、以降は頻度を下げたい。

 

でも、困難によって学ぶことも結構あるので、それほど恐れることはないかな、とも思っている。

オーフスで姪と再会

 

ワーホリでデンマークに住んでいる姪に会いに、彼と娘と3人でオーフスまで行ってきた。

 

なかなか仕事が見つからず、経済的に厳しいであろう姪はやれることも限られていることが伺えたので、彼女をアパートの前でピックアップし、すぐにARoSというオーフスの現代美術館へ向かった。

娘と姪の学生チケット二枚買うより、30歳以下の若者対象の年間パスのほうが一人同伴できるし安いと言われて、姪にプレゼントした。友達がデンマークに来る予定もあるそうで、ちょうどよかった。

 

レインボー回廊を歩く娘と姪。

最下階の常時展にあったインスタレーション。アメリカ人の作品で、彼らが90年代に新潟で閉鎖された歯科院に入ったときに、激しい雷雨にあった経験をそのまま作品にしようとしてできたものらしい。

いかにも昭和チックな内装に、窓に激しく流れる雨水とか、雷の音や光、天井から落ちてくる雨漏りとかやたらリアルで、ついついノスタルジーにひたってしまった。

 

美術館の中にあるカフェテリアでお茶したあとは、ストレートフードへ。

 

 
出張で何度か来たが、遊びに来るのは5年半ぶりで、ここは初めてだった。
かつてコペンハーゲンにあった、元工場を改装してできたストリートフードにとても似ている。
逆に、前回遊びに行ったときに飲んだ海岸沿いのバーは見つけられず。
オーフスは今も建築中の建物がたくさんあり、常に変化している様子がうかがえた。
 
仕事を見つけるのに苦戦しながらも、一件フィードバックがあってオファー待ちだという。
もし仕事が得られなかったら、我が家に移るオプションも考えているが、とりあえずはオーフスをとても気に入っているようだった。
美術館もストリートフードも全然混雑していなくて、ルイジアナ美術館やRaffenなどいつも激混みのコペンハーゲンに比べると、とてもリラックスしているところで、居心地がいいのもわかるような気がした。
 
家族の話も面白かったが、印象的だったのは、姪がすでにデンマークと日本の労働文化がかなり違うことを認識していることだった。
彼女が驚いたのが、すべての仕事が「専門職」であり経験を求められていることだったという。
また、IT系に興味をもち、社会系学部の教育を受けながらすでにIT企業の内定をもらっているほどだが、デンマークのデジタル社会でMitIDのデジタル認証システムに感激し、一方で日本の乱立するITシステムについて考えさせられたという。
デンマークは、基本的なシステムは統一されていて、競争は最小限にとどめられているため、1企業の利益が大きくなりやすいが、日本では小さなビジネスが乱立しているので儲けが出にくくなっているのでは、と思ったという。
 
姪の直観はまさにその通りで、彼が日本で最後に携わっていたプロジェクトが、まさにデンマークで既存のシステム開発だったので、なぜすでにあるものを0から作る必要があるの???と、個人的な意義はともかく、社会的な意義を見いだせず、強くデンマークへの就職を勧めたくらいである。
でも、デンマークのように日本でも既存のものを外から買ってしまえばいいという発想にすると、同時に多くの仕事を失うことになるという、姪のロジックもまさにその通りで、だから日本では賃金は上がらないわけだよね、、という結論に。
それでも日本人は安定を好むから、変わることはできないだろうという姪の考察。
 
デンマークのいいところだけを見るのではなく、その弊害もまたあるだろうという彼女の視点は正しいと思う。
仕事探しで難航する経験もまた彼女の糧になることを祈るばかりである。

茶名授与記念茶事

師匠の茶名授与記念茶事に行ってきた。

 

 

難しいお点前の披露だったので社中でただ一人四ヶ伝のお稽古をしている私が主客をつとめることになり、昨日まで動画を見ながら必死に覚え、今日は早めに行って食事の準備を手伝った。

 

 

出汁をとって、味噌汁の具であるレンコン豆腐を少し煮て、椀に入れ辛子をのせたり、、

 

 

お赤飯を花型に型取りしたり、、

 

しかし、この茶事は食事もお菓子も師匠が全て用意したのだからさすがである。

 

 
流石に正式な茶事の形式だと時間がかかるので点心方式で。
お赤飯、お味噌汁、筑前煮、漬物。
お弁当箱が見つからなかったため、御膳を使うことになったが、笹の葉を敷くのが、さすが師匠のセンスである。
あと、レンコン豆腐は、擦ったレンコンと葛で練りレンチンしたものだが、美味しかった。。

 

 
お菓子はなんと7種!
上用まんじゅう、キミしぐれ、桜餅、うさぎ練り切り、菱形菓子、羊羹、メロン。
食事の後だし、量が多いので全部食べなくてもいいと言われたが、ペロッと食べてしまった私って。。。
どれも美味しかった。羊羹とメロン以外全て自作で、よく5種も手作りできるなと思った。
しかし山芋の入った上用饅頭は、大体7種菓子に入っており、しかも中心に置くものであるらしい。
 
師匠のお点前は写真撮ったけど、写真のシェアは禁止されているから載せないが、今お稽古していることの集大成を見ることができ、今はこの割稽古をやっているんだと認識できたし、主客をやることによって道具の扱いについて改めて学び、また他の参加者にも教えながらだったのでより覚えることができた。
一昨年スウェーデンの人と話しても思ったが、普通はこんなに体験させてくれることはないらしいが、私の師匠は、社中に色々経験させたいと思うひとで、茶事はもちろん、七事式や野点の企画もしてくれる。
野点は我が家の庭でだが。8月の中旬にやる予定である。
 
師匠は海外在住ながら割と順調に茶名を授与できたと思うのだが、わかるような気がする。
茶道の関わり方が深い。
まず道具を集めることがすでに敷居が高いのに、経済的な制約があっても集めているし、なんだったら自作もしている。
社中も多く付けてイベントも企画している。
すごい、、、私はそこまでできないと思うけど。
 
とにかくいい経験のできた1日だった。

ジゼル

王立劇場に「ジゼル」のバレエ観劇に行ってきた。
 
同伴した友達とは一緒に観に行くのは初めてだったが、ずっとジゼルを観たいと言ってて、私も時々チェックしていたけど、なかなかなく、半年くらい前に友達が見つけてくれてやっと行くことになったのだった。
 
王立劇場も久しぶり、と思っていたら、最後に行ったのは2023年のクリスマスのくるみ割り人形だったらしい。
くるみ割りは最近もいった感覚でいたけど、実は2年以上前だったという。。時間感覚がやばい。。
 

初めて、開演前のインストラクションに。

 
王立劇場には何度も言っているのに、説明を聞くのは初めて。
豪奢な天井を眺めながら、ジゼルのあらすじを聞きながら思い出す。
私にとってのジゼルの見ものといえば、ジゼルが亡くなってからの後半、精霊ウィリの波のように見えるアラベスクの群舞だが、友達は日本で観劇した時にそれに感激し、また観たいと思ったらしい。
 
そして開演。
 
 
後半の印象が強すぎて忘れていたのだが、むしろ結婚式のシーンがメイン。
パドトゥも夫婦になるカップルがメイン。
 
そして、身分を隠しているけど貴族のアルブレヒトはやたら細くて、森番のヒラリオンはマッチョであることが気になり、それが身分の違いを示す意図的な配役なのかな、、と思ったりした。昔見た時はそこまで違いを感じなかったような。

 

休憩を挟んで、楽しみにしていた後半。

一気に背景は暗くなり、墓地の厳かな雰囲気に一変する。

 

アルブレヒトに制裁を下そうとするミルタに赦しを請うジゼル
 
やっぱり、昇天したジゼルの踊りは美しかった。
 
朝に気がついたメッセージで、また「生」と「死」について生々しく感じていたところに、「ジゼル」はタイムリーで刺さる演目だった。